出来ることを探すというのは、存外に難しい
『何か』を始めてみようと、思い自分を省みてみた。が、思い浮かぶのは出来ないことばかりで、自信をもって「これができます」と言えない事に気が付いた。
『何か』に対して自信を持つためには、自分の評価軸で頑張ったと判断できるモノを残す必要がある。今やっているブログなり、物語を書くなりを続けて、結果を何らかの形で残すことができれば、少なくとも自信の源になるだろう。
しかし、これは自らの自信のためになることであり、主観的な評価だ。これを社会で生かすためには、客観的な評価軸で『何か』に価値があることを、他人がわかりやすいよう示す必要がある。
出来ることを探すというのは、存外に難しいことだと、改めて思った。
例えば、『僕は計算が得意です』と語って計算結果を書き記した紙片を見せるより、そろばんの段位免状でも見せた方が、他人にとってわかりやすかろう。
個人が持つ力量を客観的な評価軸で表し、保証してくれるのが資格だ。その人が一定以上の力量を持っていることを保証する。資格の難度が高いほど力量が上であることを示せるし、保証する人が大きな権力を持つほど保証度は高くなる。
ただし、その保証は時間がたつほどに信頼性を失う。現在僕が持っている物は、5年近く前に取った、院卒の事実と、TOEIC530位の点数、そして、ペーパーのままゴールドになった運転免許証くらいだ。どれもこれもすでに、『客観的評価』の印籠にはなりえない、錆びついた剣だ。
今の世の中、生きていくためには、他人に自分が出来ることを示し、納得してもらう必要がある。今現在において通用する武器が必要だ。
そんなわけで出来ることの引き出しを増やそうと、昔きまぐれに買った簿記のテキストに挑戦してみたが、やること単純なのに言語の定義がややこしくて、間違えてばかりいる。公式を覚えていないのに、線形代数や微積に挑戦している気分。
うーん、無様。自信をつけるどころか、むしろ自信を失いそうで笑える。とりあえずやり通してみる、と自分に誓っておこう。
簿記をやっていたら、せっかく院卒する程度の頭はあるのだし、理系のこともやりたいなと感じた。ので、並行して興味のある分野である、プログラミング言語Pythonもやってみるか。調べてみると一番稼げそうだし、小説の題材にもなりそうだ。