公衆電話
本日の床屋での会話
「家の電話に公衆電話使ってるんですね。」
「親機として使えるからね」
「緑が一般的なイメージあります。」
「緑かぁ……赤とか黄色とか知らない?」
「え、緑とグレー以外あるんですか?」
「そっかぁ、知らない世代かぁ。」
緑と灰色しかないと思っていたら、赤青ピンク黄色を経て、ようやく緑とグレーが登場したらしい。知らんかった。
携帯電話の普及で、周辺でボックスをみることが少なくなった公衆電話。
十五年ほど前になるだろうか。駅に行くと、公衆電話が空いたスペースにところ狭しと並んでいた。使っていたのはもっぱらサラリーマンのおっさんだった。
焦った様子を見せるおじさんは、電話機の上に十円を積み重ね、次々とそれを投入している。悠々と話すのは、さっと電話を終わらせる人か、テレホンカードを使っている人だ。100円玉を入れる人は滅多にいなかった。
ちなみに五十円玉が使えないのは、穴に紐を通して再利用を試みる輩がいるからだと床屋のおっさんは言っていた。不謹慎だが、目から鱗だった。そのアイディアには脱帽する。
駅前や繁華街にある電話ボックスには、怪しげな広告やチラシがペタペタと貼られていた。宣伝ペーパーは風俗系と金融系が多かったかな。あとはマッサージと個人経営の怪しげなお店。
ネットが流行っていなかったので、紹介サイトやブログなんてなかったからなぁ。
一月も使われれば結構な額になるのか、公衆電話泥棒なんてのもいた。デカい本体ごと持っていかれ、公衆電話に貯蔵されたお金より公衆電話本体の被害の方が大きいとか。
今で言う、ATMをぶっ壊して中のモノをいただく感覚なのだろうか。なんにせよすさまじい話だ。
かつて公衆電話は、学校、駅や町中のあちらこちらにあり、頻繁に使用されていた。今では、それらがあった場所にはICカード搭載のコインロッカー、自販機やゴミ箱が代わりに立ち並んでいる。
時代の変遷で必要なくなったものは淘汰される。当然なのだろうが、昔の景色を知るものとしては、世界から自分の居場所が消されているようで、ちと寂しい。床屋のおっさんも僕に知らないと言われたときは、こんな気持ちだったんだろうか。