うさヘルブログ

気持ちの整理のために開設。うさまるとデスヘルが好き。最近は、気持ちの整理とダイエット報告がメインになってきています。

熊野詣3 大門坂から那智大社まで

こんにちは。

うさヘルです。

 

ご閲覧いただきありがとうございます。

 

三回目になるので今更な気もしますが、注意事項を。

最近小説の書き進め方で悩んでいるので、文章の練習として熊野の紹介をしています。

 

うさヘルの気持ちを織り交ぜつつ書いているので、視点が一方的だったり、写真を使用しているので容量が大きかったり、写真枚数や文章の書き方に制限をかけながらの練習をしたりしているので、読みづらい、わかりづらい点があるとは思いますが、どうかご容赦ください。

 

 

 

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熊野に来て三日目。

熊野詣は熊野本宮、熊野速玉神社、那智大社の三社を巡ることで達成される。

今日は三社巡り最後の神社、那智大社を目指す。那智の大滝も目にするつもりだ。

 

那智大社は紀伊勝浦や新宮、那智といった最寄りの駅からのバスを使うことで、山の中にある神社の近くまで行くことができるが、一足飛びに行くのではなんとも味気ない。

 

というわけで、今日も今日とて少しだけ苦行を行うことにする。

 

バスに揺られること三十分。那智駅を通過し、山の中を乗り越えて、大門坂という場所にやってきた。写真に映る左の道を一時間半ほど登ることで、那智大社へ行くことが可能だ。

 

一応、右の道を進んでも行くことができるのだが、今回はやめておいた。こちらの道はバスや自動車のためにの道だ。せっかく歩くのだから、少しでも現代の匂いが薄いだろう自然の中を進みたいという願望からやめたのだ。

 

さて、坂の登攀を始めること最初の五分は人家が続いた。なだらかな坂に敷き詰められた石の歩道。その左右には人の手が入った庭とその主が住まう家がぽつぽつと並ぶ。小さな川の上に拵えられた、鳥居のついた橋を渡る。

 

川と橋、鳥居とくれば、まさに異界の入り口として相応しい。あちらとこちらは違う場所。橋を渡ればそこは異国というわけだ。ここから先はいつもの日常から切り離された場所なのだなと思うと、少し気分が昂った。

 

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橋を渡ってすぐに、夫婦杉が出迎えてくれた。道の左右にどでんとそびえたつ二つの大樹は、鳥居の柱のようだ。これもまた、彼岸と此岸を区切る結界の一つに見える。

 

頭を下げて夫婦のつないだ手の下をくぐると、少し空気が変わった。後ろを振り向けば人家が見えるが、前を見る限り、人の手が入ったのは下の地面のみで、それ以外の場所は自然のままだ。ここから先は、何かあっても人の助けが借りられないかもしれない。そう思うと、足に力が入った。

 

少しばかり進むと、平安衣装に身を包んだ二人が坂の上から降りてくるのとすれ違った。すぐ下の貸衣装屋でレンタルした人たちだろう。ふらふらとして足元がおぼつかない様子だった。無理もない、と思う。

 

何せこの日は湿度がとても高く、気温も高い。そんな中をがっちりと着物を身につけて、草履と足袋を用いて、急な坂を登り降りするのだ。体力的にも精神的にもつらかろう。

 

心配に思ったが、無視して進むことにした。旅の恥は掻き捨てというし、話しかけてもよかったのだが、男一人で旅している自分が話しかけて面倒なことになるのも嫌だなと思ったので、やめた。苦労をしょい込むのは自分事だけで手一杯だ。

 

ふらつく二人を尻目に、先の見えない階段を進む。石畳と泥土の混ざった階段は一歩踏みしめるだけでも一苦労だ。梅雨明け宣言があったとはいえ、日本は夏になっても相変わらず湿度が高い。本当に勘弁してほしい。

 

空気中の水分が肌にまとわりつく感覚はいかんともしがたく、気持ち悪さに体力がじわじわと奪われてゆく。持ってきた白いタオルは、昨日と同様、すぐに濡れ雑巾へと変貌する。拭いされきれない汗は服に染み込み、さらに体力を奪う要因となる。

 

長く歩いていては一層疲れるだけだ。そう思った僕は、疲れている体に鞭を打って、歩調を速めた。一足で進む距離はそのままに、繰り出す足の速度を早くする。早く着けばその分、楽になる。そうであると信じて、ただひたすらに前に進む。

 

今自分がどこにいるのかわからない。けれど、昨日とは違い、気持ちが折れる感覚はなかった。きっと、いつかたどり着ける。そう信じることができた。昨日のあれが自信になったのだろうか。そうだといいのだけれど。

 

急な坂道の続く自然の中を早足に駆け抜ける。その中で周りの風景に気を配る余裕もあった。左右に続く広がる樹林。時折のぞかせる、人の生活跡。自然の切れ目となる部分が現代のコンクリート路を交わる場所に建立している石碑。

 

気にいる景色をカメラに収めながら、ぬかるむ地面を踏みしめてどんどん前へ。息が荒くなり、余計なことを考えられなくなる。苦しいとは思ったが、辛いとは思わなかった。早くこの先を見てみたい。この苦しみを超えた先にはいったいどんな景色が舞っているのかが、楽しみだった。

 

ニ十分程して、開けた場所に出た。息を切らせながら上に目をやる。右に進めば那智大社に着くと書かれていた。やっとこさ到着だ。だが、少しだけ息を整えてすぐさま出発する。一息つくのは社に到達してからでいい。

 

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さらに十分ほど山を登り社の姿を目に収めた時、もう息は切れ切れだった。登り切った時、達成感より、せっかくの旅行なのに景観を楽しまず走り抜けるなんて、馬鹿なことしたなぁ、という気持ちが心の多くを占めていた。このあたり、僕は、自分を褒めたり、自分のやったことに対してすごいと思ったりすることが苦手なようだ。この点もどうにかして変えてゆきたいと思う。

 

那智大社は初日に行った熊野速玉神社と同じく、比較的新しさを感じた。けれど、瓦の色落ち、柱の傷などを見ると、否が応でも歴史があるのだと感じる。色彩褪せた以外に歴史の価値を見いだせていないという事だろうか。一つの価値観でしか物事を判断できていない自分の感性が少し残念だ。

 

品よく敷き詰められた砂利の地面をうろつこうと思ったが、疲れていたので、階段すぐ傍にある手水屋横の休憩所でに腰かけて休むことにした。自分以外の人間は息を切らしておらず、談笑にいそしんでいる。たぶん彼らはバスでこの近くまで来たのだろう。そう考えると、自分がすごいことをやった気分になれた。少し気が晴れた。

 

 

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その後、社務所でにお守りと御朱印を頂くととも、おみくじを引いた。日本一のおみくじと書かれた大きな箱を持ち上げて籤を取り出す。大きさが日本一だとしてもどうしようもないな、と思ったのはここだけの秘密だ。おみくじの結果は小吉。所によっては吉より上だったり、下だったりする運勢だが、今回の場合は下である気がする。書いてある運勢がしょぼい。残念だ。

 

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おみくじで得た負けの気分を晴らすべく、違うものに目を向けた。境内に立つ平重盛が植えたというもクスノキだ。800年以上も昔から存在するこの巨木の中は空洞となっており、通り抜けることができる。「胎内巡り」というそれは、護摩木に書いた願いをもってそこを通り抜けることで、願いがかなうとされている。初穂料は300円だ。

 

ここで変わりたいと願えば、少し間今までの自分と変わることができるのだろうか。一縷の望みを託す気分で願望を書き挑む。空洞の入り口は狭く小さい。でかい体を縮めて樹木の中に入ると、縦に広い空間が広がっていた。おおよそ4、5メートルはあるのではないだろうか。入ってすぐの場所には護摩木を納める場所があった。手に取って眺めればどんな願いが書かれているのかわかったと思うが、マナー違反な気がしたのでやめた。

 

先人に倣って目をつむり軽く祈るとともに、箱に収める。傾斜70度はありそうな急な鉄の階段を登り樹木の胎内から外へ出ると、目を見張る景色が広がっていた。足元に広がる那智大社周辺のお土産、そこから遠きに行くにつれて広がり増えてゆく自然。連なる山々の豊かな緑を麓から頂上までを余すことなく眺めていると、まるで自分がその箱庭の中にいる人形のような気分になった。ここにきてようやく、来てよかったなぁ、と思うことができた。

 

満足した気分で下に降りると、隣の寺院へ向かう。

 

こちらも有名なもので青岸渡寺というモノらしいが、今回は神社参拝が目的なので、軽く立ち寄っただけで終わった。残す神社はあと一つ。那智の大滝のそばにある、飛瀧神社だ。