うさヘルブログ

気持ちの整理のために開設。うさまるとデスヘルが好き。最近は、気持ちの整理とダイエット報告がメインになってきています。

世界樹の迷宮 ~ 長い凪の終わりに ~ 第十五話 夜にある、それぞれの運命は

第十五話 夜にある、それぞれの運命は

 

あれは、私の/私たちの、宿敵だ。

だから、殺す/倒す。

 

 

新迷宮の第五層は、かつて己が生まれ育った街、冬木そのものだった。階層の仕組みは今までのものとは異なり、本来なら五階分の階層があるだろうところを全てぶち抜いて、冬木という街がまるごと保管されている。

 

今、かつて第五次聖杯戦争が行われた街は、世界樹の大地のはるか下、現在の人間や世界の時間軸などとは関わりを断絶するような深い霧を全景に纏い、しかし過去の時代を記憶からすら風化した遺物などにはしてやらぬと主張するかのように、そのまま形を残していた。

 

私の知る過去の冬木と異なる点といえば、街全体が謎の結晶化を起こしている点と、暗がりの中にある街を覆う霧と、夜の中にあっても点灯の様子を見せぬという当然と、街中を魔物共が堂々と闊歩する異常な光景だ。魔物どもの正体を確かめるべく強化した視力でかつて繁栄した文明の痕跡を気ままに歩く魔物の姿を確認してやれば、それらはたった二種類であることに気が付ける。

 

二種類のうちまず目に飛び込んでくるのは、街中に多くいる、四足歩行を行う犬型の獣だ。人間一人くらいなら丸呑みに出来そうな真っ黒の巨体の前方に、全ての生命に対する嫌悪感が籠った一対の瞳をもち、霧の乱反射を貫かんばかりの濃い赤色の瞳の視線を街にばら撒きながら、奴らは闊歩する。

 

人間の抱える負の感情というものから、憎悪や暴虐といった攻撃的な成分だけを抽出し、煮詰めたような黒色で身体を形成する奴らは、主に冬木の西側、つまりは深山町の住宅街から表通りに面した付近を中心に位置を取っている。町を這いまわる様は、まるで血管の様だ。

 

さてそんな清々しいまでの生命に対する憎悪を撒き散らす毒潮の行方を追っていると、やがて方々の街の交差点に別種の魔物が生息している事に気が付ける。そいつは、かつて私の脳内に現れたような、頭足類の触手だけを切り取って、子供が接着剤で適当に組み上げたような稚拙な姿形をしていた。それこそがもう一種の魔物である。

 

先の犬が男の持つフィジカル的な攻撃性の象徴だとすれば、こちらは女のメンタル的な攻撃性の象徴のようだ。ヘドロ色をしたそれは、刺々しい雰囲気をもたない代わりに、体に纏わり付いてくる情念と言うものを具体化したかのような、生理的嫌悪感を引き起こす見た目をしている。

 

一呼吸ごとに、丸みを帯びた触手の全身が、うぞりと霧を纏って艶めかしく蠢く姿は、真正面より鋭利な攻撃性を主張する先の獣とはまた別種のおぞましい嫌悪感を保有しており、東洋人たる私にも、西欧の人間が何故タコを悪魔と嫌うのかを否応無しに感覚で理解させてくれた。

 

人類文化の垣根を超えて、不快の感情を根源的な部分から理解させるそいつは、まさに「魔のモノ」と呼称されるに相応しい人類の敵対者の姿の具現化であると言って過言でない。

 

犬の群れが血管であるなら、奴はリンパ節だ。血管の分岐部分に重なるようにして存在するそいつは、体を構成する触手の先が犬の黒々とした体と触れ合うと、途端全身を大きく震わせる。まるで快楽の宴に溺れているような暴走ぶりを見せる。

 

そして接触のたびに、犬は数を増やし、あるいは触手はその体を大きくする。あれが餌付けなのか、あるいは交尾なのかは知らぬが、今は一旦おいておく。異形共が交わり増殖し拡大するのを観察したところで事態の収拾は測れない。必要であるのは、宝石により魔のモノを封じる場が何処にあるか、だ。

 

―――おそらくそれは

 

本来なら分からぬ、奴ら、すなわち魔のモノにとってアキレス腱となりうる場所を、しかし私は、この冬木という街において聖杯戦争を戦い抜いたという過去の経験から、その弱点となり得る場所の予測をすることができていた。

 

―――柳洞寺の地下大空洞にある、か

 

冬木の街より少し離れた場所にある円蔵山。その山中にある柳洞寺の、さらに奥にある池の地下に存在する大空洞「竜洞」。その場所こそが、おそらくは街に這い巡らされた血管とリンパのごときが帰結する脳髄であり、心臓部でもあるはずだ。

 

大空洞は、冬木の街という土地に流れる最大の霊脈が存在する場所であり、かつて大聖杯と呼ばれる聖杯戦争の核が保管されていた場所でもある。

 

ならば、霊脈に沿って人の負の感情を吸い取る魔のモノが身を休める場所として選ぶに最も相応しい拠点であり、また、聖杯戦争の再開を謳う言峰綺礼が反撃の用意を構えるに最も適した居城であるといえるだろう。

 

その証拠に、もはや奴らの胎内となった冬木の街の魔物の流れに沿って全体を俯瞰すると、奴らは西側の深山町側にばかり数が集中していることがわかる。さらに詳細に見れば、円蔵山を中心に放射状に広がり、かつ外側の扇行くほどその密集密度が薄くなっている事もわかる。つまりは私の予想通り、円蔵山こそ、奴らの拠点であると考えて良いだろう。

 

一つ懸念があるとすれば、今までの世界樹の迷宮の傾向から察するに、その場所の最奥地に待ち受けているのは、おそらく魔のモノだけではないだろうことか。おそらく最優の名を冠するセイバーと関連する獣もまた、番人として身を潜めているはずだ。加えて、そして言峰綺礼という男もまたこの街のどこかで、我々の命を狙っているに違いないのだ。

 

―――まあ、いい

 

奴の行動について考え出すときりがない。一旦はおいて、ともかくまずは見える問題を片付けるしかない。敵の拠点の位置を暫定的ながらも定めた私は、眼下にある階段の行方が繋がる冬木のセンタービル屋上から柳洞寺までを俯瞰する。

 

直線にすれば目算ざっと二十キロメートルないだろうその道は、しかし往来する二種類の魔物の群によって埋め尽くされていて、まるで地面が見えない。その往路だけで千。街全体を見れば数は優に万を超えだろう。

 

それだけの数生息している魔物をどう対処するか。最初の問題はそれだ。馬鹿正直にあの数を真正面から捌くことも決して不可能ではないが、千、万の数を全て鏖殺して進むというのは、無駄な消耗だけを招く、いかにも非効率で愚かしい行為だ。

 

不特定多数との連戦は間違いなく疲労を招き、疲労は判断ミスと軽率な行動の呼び水となり、死に直結する。共に追放された身分である以上、今更かもしれないが、私だけならともかく、彼らに死線の上を歩かせるのは最低限度にしてやりたい。傲慢と言われようと、それは譲れぬ分水嶺だ。

 

あるいはこの場所から宝具の狙撃にて、一方的に街中や、あるいは円蔵山を攻撃するという手段がないわけでもないが、攻撃に反応して奴らが思いも寄らぬ行動にでる、あるいは、攻撃で祭壇の様なものが崩壊してしまっては、本末転倒だ。

 

ならばこの際における最善の手段は、暗殺者よろしく魔のモノに悟られぬように心臓部へと近づき、宝石にて封印してしまう事だろう。とはいえ、この場より最短距離にて柳洞山地下にあるだろう封印の場まで駆けつけようと考えたのならば、まるで血栓の如く目詰まった奴らの監視を掻い潜って柳洞寺に辿り着かねばならない。

 

新都を隠れて散策するだけならまだしも、それは難しい。新都の側から円蔵山ある深山町の方へと向かうには、二つの街を繋ぐ唯一の場所である冬木大橋をわたる必要がある。しかし橋の上では、犬型の魔物が我が物顔で闊歩しているし、また、その先にある深山町は、道という道に奴らが這いずり回っていて、もはや巣窟だ。

 

地形に沿って真正直に進むなら、まずもって戦いは避けられない。といって川を渡るのも悪手だ。幅のある川はそれなりの深さがあり、私とて一足飛びにて超えられない。渡河のさなか足をつくことのできない状態で奴らに気づかれたのなら、死はまぬがれられるまい。

 

また、群体じみた奴らの事だ。一匹にでも姿を認識されれば、情報は一瞬のうちに共有される可能性もある。獣ごときにいくら襲われようと負けぬ自信はあるが、ぐずぐずしていると、この層の番人や言峰綺礼、魔のモノが直々に円蔵山より出てくる可能性も考えられる。

 

アーチャーの名を冠する私ならば、高度と視界さえ確保できれば、見つかった時点で、その地点から敵の本拠地にまで一挙に宝具を打ち込むことも可能であるが、もし万が一、言峰や魔のモノが彼女の宝具を再現していたのならば、遠距離による宝具を用いての勝負に持ち込むのは悪手だろう。

 

前回のバーサーカーの宝具の再現において、十二あるはずの試練が一つ足りなかったことから、流石の奴らも、格の高い英霊の宝具や能力は完全に再現できないのだろう、と楽観気味な推測もできる。

 

だが、それでも、アーサー王たる彼女の宝具、魔力を光に変換し、超高密度な光の断層を生み出して敵を討つ神造兵装「約束された勝利の剣/エクスカリバー」と、次元遮断により物理攻撃をシャットアウトする、無敵の完全防御兵装「全て遠き理想郷/アヴァロン」が、ある程度以上の性能を再現されているとすれば、私の遠距離射撃など無力化され、返す刀で私はおろか、彼らごと消滅してしまう危険性もある。

 

セイバーすなわちアーサー王の伝承から、この度いかなる獣が出現するかのおおよそ予測が付いたので、対策として有用そうなアクセサリーを持ってはきたが、果たしてそれが彼女の攻撃にどこまで耐えてくれるかは、それこそ天のみぞ知る話である。

 

―――とにかく、それも彼女と対峙しなければ意味のない話。

 

話を元に戻そう。まず目的地にたどり着くことこそが肝要だ。

 

かつてのように、この身が英霊というエーテルで構成された体で、また、未知なる敵という存在がなければ、パラシュートでも投影してこの天高き場所から柳洞寺目掛けスカイダイビングよろしく飛び降りるという強引な突破を試みても良かったかもしれない。

 

だがあいにく、私は現在、生身の肉体となっており、また、同様に生身の体である仲間がいる今、空中で身動きの取れない状態に陥る、あるいは着地の際に衝撃を殺しまでの瞬間、無防備な時間を作る事になるその案は、いかにも下策であるように思える。

 

一人で考えるも、まるで名案というものは思い浮かんでくれない。私にとって、状況が特異かつ常識はずれすぎて、知識から答えを引っぱり出せないのだ。

 

―――さて、どうしたものか……

 

「どうした、進まないのか? 」

 

安全な暗殺の方法を考えていると、ダリが後ろから話しかけてきた。振り向けば地上の様子を眺めていた彼等は、いつの間かすっかり元の調子を取り戻している。

 

「いや……、あれをどうするかと思ってな」

 

眼下の霧の街の適当な場所を指差すと、彼等は不思議そうに首を傾げて尋ねてくる。

 

「あれ……とはなんだ? 」

 

―――ああ、そうか、通常の視力では街の詳しい様子を見て取ることができないのか

 

「―――、今、君たちが一望していた街の中、特に片側の方、霧の中を赤い光が蠢いていただろう? あれらは全て魔物だ」

 

告げると彼等はすぐさま言葉の意味を理解すると、それが示す答えを予測して顔を顰めてみせた。唯一、楽師の彼だけが、涼やかな常と変わらない笑みを浮かべている。

 

「おいおい、まじか。灯りじゃなかったのか……。どんだけいるんだよ……」

「なるほど……、確かに目凝らしてみれば、動物の動きをしている。目的地もわからんのにあれ全てを相手にしての探索は馬鹿げているな。まずは方針を立てるのが先決か」

「そうですね……、今の私たちは手持ちの道具も限られていますし……」

 

一同は、私の告げた言葉を当然のように事実として受け入れた。その行為に、彼等から私に対する無条件の信頼を感じて、私は少しばかりの歓喜の感情を抱いた。

 

「いや、目的地なら検討がついている」

「……なに?」

 

だから、私も彼らを信じて、素直に情報を提示することにした。

 

「あそこだ。東西に広がる街の、田園が多く広がっている方の山の上を見てくれ」

「―――少し離れた場所に、池らしきものがあるな」

「ええと、でかい平屋の建物もある」

「そうだ。その場所だ。街の全景を見ると、その場所を中心に放射状で敵の数が増えていっているのが分かるだろう? おそらく、その密度の最も濃い場所の中心地、つまりはダリの言った、円蔵山にある池の、その地下にある大空洞―――通称「竜洞」に、敵の親玉が潜んでいるものと思われる」

 

柳洞寺の裏手を指差してみせると、彼等はその場所を目視して大まかな場所のみ確認したのち、私の方に向きなおして尋ねてくる。

 

「本拠地の見当をつけた理屈はいいとして、君はなぜ地形の名前を知っていて、地下の空洞があり、そこに潜んでいるといいきれるのだ?」

「簡単な話だ。それは、ここは私が過去の時代において育った土地であり、そしてかつて同じように街中を戦場として潜む敵と戦った経験があるからだ」

 

ダリの問いに、私はやはり素直に答えた。彼等は返答を聞いてようやく全員が驚きの様子をみせたが、すぐさまそれぞれに笑いを浮かべた。

 

「なるほど、そりゃ詳しくて当然だ」

「では、頼りにしていいのだな?」

「―――ああ、勿論だ。存分に頼りにしてもらって構わない」

 

サガとダリは普通なら問い返してくるのが普通であろう事情を耳にして聞いて、なお無邪気に尋ねてくる。信頼を覆さない彼等の態度に、ようやくもって私は、不信や侮りを含まない、信頼の感情のみを返礼の中に込めて返すことができた。

 

「で、さしあたってどうするのが最も効率がよろしいのでしょうか? 」

 

ピエールが楽器を鳴らす事なく尋ねてくる。敵地、眼下に無数の敵が群がる中で大きな音を立てる愚行は避けたのだろう。飄々と皮肉を述べるだけでなく、きちんと話を前に進めるあたり、中立と傍観者の立場を謳うだけのことはある。

 

「単純化して考えよう。まずは、真正直にあれを突っ切るのを良しとするか否かだ」

「勿論、否だ」

「同じく」

「私も反対です」

「まぁ、まともな神経をしているのであればそうなりますよねぇ」

 

返ってくる否定の意思に苦笑いしながら、私は再度問う。

 

「さて、ではどうする? この階段を下った先、新都より本拠地に向かうためにはあの川を渡過してやる必要がある。装備を脱いで無防備な状態で川を泳ぐは悪手であるし、敵の屍山血河を築く覚悟がなければ、あそこまで辿り着けんだろう?」

 

我ながら意地悪く聞くと、全員が律儀に思考を開始する。その様子を微笑ましく見守りながらも、私も最高の答えを編み出すべく、しばしの間、己の思考に没頭する。

 

やがていくつかの応答の後に編み出された彼等の回答を得て、なるほど、奇策とは常に己の常識の慮外に存在するのだなと感心する。同時に、私の常識からすれば外れた事実を前提とする案を提出する彼等は、私とは似たようで異なる感性を持つ存在であることを認識させられた。

 

 

「本当に、いいんだな? 」

 

投影した弓を構えつつ尋ねる。彼等より提案された策には、正直、今でも多少の不安を抱えているが、彼等を完全に信じるならば、今のところ最善の策であるように思えた。

 

「大丈夫だって、お前の能力とこいつのスキルがあれば、いける、いける」

「うむ、この距離で、というのは初めてだが、まぁなんとかなるだろう」

 

サガの軽口とダリの言に嘆息すると、足元よりどこまでも長く伸びた鉄の鎖の行方を追いかける。頭上に開いた穴の奥にまで伸びたその蛇腹の鉄鎖は私が投影したものだ。

 

穴へと伸びた鎖の先端は百に分離しており、先端の剣には簡単に抜けないよう返しを大量に施し、その上でステンドグラスの間と、この場所へと続く短い洞窟の、あらゆる場所に埋め込んである。そして洞窟の中から私の手元へと続く鉄鎖は、私と洞穴の段差の上に数十往復ものしていて、重なり合って山脈を作っていた。

 

「じゃ、ちょっくら、仕事してくる」

 

言うとサガは洞穴の中に消える。

 

「氷結の術式!」

 

そして聞こえる彼の声とスキルの名称。その後、大気中の水分を急激に凝結した際の、擦れた耳障りな甲高い音がしたかと思うと、天井が多少揺れる。その後何度か同じことが繰り返されたかと思うと、やがて彼が出てきて、もういちど同じことを行い、洞窟は完全に氷にて完全に封鎖されてしまった。

 

「おまたせ。上の方は特に念入りに氷を張っておいたぜ」

「フリーズオイルをばら撒いて、鎖にも塗ったので、多分、強度も……うん、大丈夫です」

 

サガはアムリタという己の精神力を回復すると言う秘薬を飲みながら、軽くいう。フリーズオイルとは、本来武器に塗り込むことで、切った部分を凍らせる力を持たせる道具だ。それを今回、鎖と杭に塗ることで、より二つがより強固に土壁面とくっつくようにしてあるのだ。

 

響は鎖に塗り込んでいたオイルの効力が発揮を確認する。やがて準備完了の合図とともに、彼女は通常なら矢羽のある部分が先の鎖と繋がっているその矢を、凍りついた洞窟より伸びている細く頑丈なザイルと共にダリに渡した。

 

彼は特別製のそれらを受け取ると、ザイルを強く己の腹の装備に括り付けたのち、頷く。

 

「―――よし、やってくれ」

 

ダリの言葉を受けて、私はもう一度全員の顔を眺め、その瞳に覚悟の光があることを確認すると、私は不安を一旦別の場所へと押しやるとともに、攻撃用の矢―――すなわち剣を投影し弓に番えた。

 

視線を足元へ。はるか下にある街の中へと移す。目線を移動する際、最中、目的の場所である冬木センタービル隣の公園から少しばかり外れて、東南方向にある丘とそこにある建物が目に入る。

 

―――冬木教会……

 

因縁の敵が拠点としていた場所。私の聖杯戦争の序幕が始まった場所。私が凛によって眠りについていたという場所。そして言峰綺礼という男が凛を処分したという場所。それを目にしたことで、私の心中にあるテンションのボルテージは一気に上昇する。

 

そう、これだ。今必要なのは、敵の急所を気取られず静かに貫く為の冷静さではなくて、戦意を叩きつける挑戦的な烈火の意思だ。

 

「了解だ……!」

 

湧き上がった憤怒の思いを矢に乗せて、鏃の先端を目的の場所へと修正する。やがてその先端が寸分違わず公園の中心をさしたと同時に、私は弦持つ手から力を抜いて、矢を解放した。

 

射出された無名の宝具は、私の強化魔術と重力の力を受けて、瞬時にはるか眼下の地面に突き立つ。投影した武具が懐かしの大地と接触したのを見切った瞬間、一言を呟いた。

 

「壊れた幻想/ブロークン・ファンタズム」

 

この度矢として使用した剣は、ランクの低い宝具に過ぎなかったが、それでも夏の短夜に支配された街の闇を、一瞬だけ光で支配する程度の効力は持っていた。やがて響き渡った爆裂の音色と広がった光が失せた時、大地に蠢く魔物どもは異常事態に気がついた。

 

「――――――!」

 

真っ先に反応したのは、公園周辺の魔物どもだった。己の領域に対する突然の暴力行為に、怒り狂った雄叫びがあがる。それはやがて橋から深山の街を遡って、柳洞寺の間にいる魔物どもへと伝播し、奴らは次々と活性化してゆく。

 

しかし異常信号が山に到達した後、魔物たちは一斉に山側から静まり返ってゆく。そして赤の光の波が、深山に街から新都の方へと動き出す。異常の報告を受けた司令部が侵入者排除の命令を出したのだろう。

 

しばらくの間、血液が循環する如き様をしばらく眺めていると、やがて強化した視界に、深山の街にいた多くの魔物が新都に進行しながら、攻撃が具体的には何処より行われたものであるか探る視線を周囲に向けているのが映る。

 

頃合いを見計らって、剣にショックオイルを塗った後、先ほど同様に数度も矢を連続して叩き込む。雷の属性を身にまとった矢は、空気との接触により尾を引いて夜の闇に輝きを残すと、すぐに地面と接触する。それと同時に剣を爆裂させた。

 

「――――――!」

「―――!」

「―――――――――、―――!」

 

闇の中を切り裂きながら下降する矢は、奴らにこの暴行を行った下手人が、冬木にて最も高いビルの屋上、その天井より続く階段を登りきった場所にいると悟らせた。視線の集中を感じて、わざとらしいまでに殺気をばら撒いてやると、直後、近場にいた奴らは、怒り狂って結晶化したビルの内部へと飛び込んだ。

 

闇の中、奴らをその内部に取り込んだビルは、振動と赤い光で奴らの進行状況をつぶさに知らせてくれる。ビルがうねる場面など、大地震か解体現場以外でお目にかかれるまい。

 

「―――来た……!」

 

奴らの殺到により屋上の扉が障子紙のように突き破られた瞬間、彼らに合図を送る。ダリは先ほど仕掛けを施した矢を私に手渡し、そして自らは伸びた矢より伸びている鎖の連環を軽く手に握った。

 

響とピエールは、鎖を掴むダリの体が、手すりのない階段からずり落ちないよう、片手でしっかりと彼の足を掴み、もう片方の手でつるりとした階段の断面を持ち、己の体を固定した。サガは一人、彼らのさらに下の段の部分で解放した籠手を、眼下へと構えていた。

 

「ではいくぞ……!」

 

彼らの準備が滞りなく終わっているのを確認すると、私は矢羽の部分に鎖のついた矢を番え、過剰と思えるほどに強化を施すと、弦より射出した。過剰な重さを後方に加えられたそれは、しかし空中を三秒かけて十キロ程度直線に進み、やがて自重と後ろに続く鎖の勢いに負け、放物線を描いての落下を開始する。

 

「―――ぬ、……ぐぅ、……っ! 」

 

ダリの役目は釣り竿のリールのそれに近い。作戦は、射出した矢に繋がる鎖が絡まってしまえばそこで終わりである。故に決してそんな事態にならぬよう、ダリはその両手と全身にて鎖が円滑に矢の後ろについていけるよう、己のスキル、フルガードによって鎖がスムーズに宙へと飛び出せる様、サポートを行っていた。

 

だが彼の足元はつるりと滑る階段であり、踏ん張りが効きにくい。ジャラジャラと音を立てる鎖の勢いに、ダリの全身はガタガタと揺れて、今にも滑り落ちそうだ。そこで、響とピエールの出番だ。

 

二人は、彼の体が決して動かぬようにと彼の金属鎧に包まれた足を抱え込み、さらには二人が使用できる日常レベルの氷術にて彼の足元を階段ごと凍らせ、固定の状況を保っている。彼らが必死の形相でダリが滑落しないよう、振動を抑えていた。

 

やがて彼らの献身の甲斐もあって特別製の矢が地上へと着弾すると、後部にひっついていた鎖ごと地面に深くめり込み、鎖がぴんと張り詰めたくらいで停止する。固定化がうまくいったのは、フリーズオイルが、矢が地面へと突き刺さった瞬間、その周辺を凍らせたおかげでもあるのだろう。

 

そしてこの場所と目的地であるかつて穂群原学園と呼ばれた学び舎の校庭との間に出来上がったのは、一辺だけが多少歪んだ直角三角形だ。

 

「炎の術式!」

 

直後、サガが巨大な機械籠手を装備していない方の手でスキルを発動した。籠手の力を利用せずに放たれたそれは、それでも氷を蒸発させる威力は十分に持ち合わせていて、すぐさまダリの足とサガ、響の手の氷は溶かされ、彼らは自ら作り出した氷の戒めより解放される。

 

「―――っ!」

 

ダリが少しばかり苦い顔を浮かべた。炎の余熱が鎧を伝わって多少彼に害をもたらしたのだろうか。だが彼はその痛みを転機とすると、天井より地面にまで伸びた鎖の上に自らの槍を引っ掛けると、鎖を跨がせた柄の部分をしっかりと握りしめ、命綱となる紐もカラビナも付けず、階段より中へと身を投げ出した。

 

「はっ! 」

 

私はすかさず彼の体に巻きついているザイルを手に取り、確保し、そしてダリの背中を強化した脚で、おもいきり蹴り飛ばした。金属鎧と靴底の鉄板がぶつかり合い、鈍い音をたてる。蹴りにより勢いを増した彼の体は一瞬真横に進むが、すぐさま重力の影響を受けて下方向へと落下すると、槍が鎖の上を滑り、グラインドを始めた。

 

「―――ぐぉ、お、……おぉ、…………おおおおぉぉぉぉぉ―――」

 

そして彼は、冬木の夜の闇の中を滑空する。背後よりの衝撃に流石に声を抑えきれなかったのか、彼は声を漏らしながら、角度のついた鎖の上を滑りゆく。事前にフリーズオイルを塗り、槍と鎖の間に生じる摩擦と抵抗は極限まで減らしてあるためだろう、その動きは思ったよりもずっと滑らかだった。

 

「っ!」

 

同時にダリの落下エネルギーが速度に変換され、彼の下降に伴って、ザイルが飛び出る勢いも増してゆく。今度は私がリールの役目をする番である。彼を蹴り飛ばした後、階段を踏みしめた足には、響とピエールが先ほどと同じ様にひっついていた。ダリと違い、金属製の鎧で足を覆っていないため多少足が冷え込むが、まぁ、必要経費というものだろう。

 

彼らの援護もあって、体が階段より滑り落ちることはない。また、ザイルにはフリーズオイルが塗られているため、摩擦と熱の痛みは軽減され、滞りなくその細身は宙に飛び出していく。わけだが、そのフリーズオイルのおかげで私は、手が削られ、焼かれながら、瞬時に凍りついてゆくという、初の体験を味わうこととなった。今更ながら厚手の手袋を投影しておけばよかったと後悔するも、もはや遅い。

 

振動と共に訪れる不可思議な痛みを感じた脳は、手中にある理解の及ばぬ存在であるザイルを手放せと警告を鳴らしてくるが、彼が地面に着くまでの間は絶対に放してやるものかとその命令を無視する。また、手中にて行われている、凍った端から溶けて、また凍るという行為により、私の手は見る間に薄く赤い氷に包まれてゆく。

 

「あの、すごいことになっていますけれど、本当に大丈夫ですか……?」

「ああ、なんてことはない……それより見ろ……」

 

その光景はこの世界の住人である響にも異常と映ったらしい。気遣ってくれた彼女に強がりを返し階段へ視線を向けると、私の視線に意識を誘導された彼女は、気づき、叫ぶ。

 

「敵が! 」

「任せろ、一直線の階段なら、いくらでもやりようがあらぁ! 氷の術式! 」

 

すぐさま階段より押し寄せてくる敵に対してサガが氷の術式を解き放った。彼の眼前より前方に巨大な氷塊が生まれ、それは綺麗に階段を沿って転げ落ちてゆく。

 

それはやがて登ってくる獣どもを押しつぶしてセンタービルの屋上にまで移動すると、屋上の一部壁面を粉砕しつつさらに向こう側に飛び出して、地面へと落下してゆく。まるでハリウッド映画のワンシーンの再現だ。

 

「すごい……、敵が見る間に落ちてく! 」

「はっはっはぁー! 遠距離から狭い場所で一方的に嬲れるならこっちのもんよ! 」

「それ、自慢げに言える事ですか? 」

 

どこぞの考古学者味わった様な苦しみを経験した獣は、悔しさに遠吠えをあげながら落下してゆく。そんな光景を目前にして繰り広げられる緊張感のないコントのバカバカしさに、多少苦痛が軽減されるのを感じていると、やがてその衝撃は唐突に消え去った。

 

ダリだ。おそらくザイルの結びつけてある彼が、落下による凄まじい衝撃をパリングのスキルで受け流したのだろう。つまり今、彼は地面に降り立ったのだ。そして眼下、獣どもが蠢いていた冬木の街を見てやると、今や魔物のほとんどが新都にやってきていて、ビルの下にて群がっている光景が目に映る。

 

ただ敵の一部ではあるが、ダリが山の近くにある穂群原学園に降りたった所業を見て、慌てて身を翻して山側の方へと引き返している魔物もいた。獣の移動速度は速いが、とはいえ、これだけの距離があれば、我々が彼に続く時間くらいは稼げるだろう。

 

「そら、順番が来たぞ! 」

 

とはいえ時間が惜しいのも確かだ。急がせなければならぬと三人に呼びかけると、サガは先ほどと同じような動作で二人の氷の縛を解除すると、サガとピエールは己の体につけたカラビナと安全綱を地面にまで伸びたザイルに引っ付けて、二人は迷わず飛び出して行った。

 

「では、お先に失礼」

「後でな! 」

 

事前に薬にて物理の耐性を上げてあるとはいえ、よくもまぁ、四キロもの上空から迷わず身投げを行うものだ。スキルというものに絶対の信頼を置く態度にはやはり感心してしまう。彼らにとって、スキルが効力を発揮するのは、呼吸をした際、肺が酸素を取り込むのと同様に当たり前のことであると知りつつも、驚きの感情が生まれるのを抑えられない。

 

などと考えていると、残る一人の少女がザイルに身を確保した状態で飛ぶのを躊躇っていることに気がついた。彼女は足元を見て体を震わせ、目を瞑って天井を見上げ首を振ると、力を込めて無理やり目を開けて眼下に視線を落とし、そしてもう一度全身を震えさせて階段にへたり込んだ。

 

「―――怖いか」

「あ……、はい」

 

問うと彼女は思いの外素直に返答してくれた。

 

「無理もない、この高度だ。よくも彼らは、ああも戸惑いなく飛び降りられるものだ」

「迷宮の外では大地にぽっかりと穴が開いているので、深い場所にでも調査のために降りていく機会もあると聞きます。彼らにはその経験があるから、迷わずいけるのでしょう……」

「ふむ」

 

なるほど、そういえば迷宮にて探索と戦闘と地図作成ばかり繰り返していた故忘れていたが、冒険者とは本来、そういう外部での活動こそが本来の彼らのあるべき姿だったと習った事を、今更ながらに思い出して納得する。

 

「なるほど、そういえば、君は正式な戦闘職とやらではなかったな」

「ええ、ですからこういったことには慣れていなくて……」

 

震える彼女は、しゃがみこんだ体で下を見ると、己の体を支えているものが、透明な素材で作られて薄い板である事を今更ながらに思い出したようで、余計に全身を大きく小刻みに震わせる。

 

気丈にも弱音だけは吐かない彼女に何か声をかけてやろうかとすると、雄叫びが耳朶を打って不快な遠吠えが耳の中に入り込んでくる。音量に反応してそちらを見れば、階段の半分以上を奴らは行儀よく並びながら進軍して近づいて来ていた。

 

私はいつもの双剣、干将・莫耶を投影すると、振りかぶって思い切り奴らに投げつけた。

 

「壊れた幻想/ブロークン・ファンタズム―――、そら、行くぞ!」

「え、きゃっ! 」

 

爆裂が敵を包み込むと同時に、私は彼女を抱えて空中に身を翻す。フリーフォールというには角度が柔らかすぎるそれは、しかし背後にて起こった爆発の勢いと私の強化した足の勢いにより最高の初速度を伴っての滑り出しによりすぐさま風切る速度となる。

 

「きぃやぁあああぁぁぁーーー、んむぅ……」

「黙ってろ、舌を噛むぞ」

 

突然の暴挙に口を閉じるのも忘れて悲鳴をあげていた彼女の口を、顎を抑えて無理やり閉じてやると、再び意識を前方に集中する。

 

―――ふむ

 

そうして自由垂直落下よりは大分安全な空中散歩の途中、眼下に広がる深山の街中に見覚えのある豪華な屋根を見つけて、ひどく懐かしい気分を抱く。

 

―――そういえば、凛に呼び出された直後も似たような体験をしたものだったか

 

うっかり家中の時計の針をずらした事を忘れたせいで、己のコンディションが最高になる時刻を間違えるというミスをやらかした彼女に呼び出された私は、一体彼女がどういうミスをやらかしたのかは知らぬが、眼下にある丘の上に目立つ、遠坂家のはるか上空へと投げ出される羽目になったのだ。

 

やがて落ちた衝撃にぶち壊れた居間の清掃を彼女に命ぜられた私は、次の日、彼女の望み通り普段通りの生活をこなしながら英霊ひしめく戦場へと赴き、そして、その夜、この度目的の場所としている穂群原学園の校庭にてランサーと戦闘をしたのを皮切りに、私と彼女の聖杯戦争は本格的に始まった。

 

―――これもまた縁というやつなのだろうか

 

冬木の中でも特に縁ゆかりある場所に想いを馳せながら、最終決戦の火ぶたを切るというのはなんとも運命的だ。そんなセンチメンタルに駆られた私は、直後、我ながら似合わないなと自嘲し、内心にて笑い飛ばす。

 

「見えたぞ」

「ん……!」

 

現実に意識を戻すと、彼女の顔に添えていた手を動かし、到着の時が近いことを教える。硬く閉ざされていた響の目がうっすらと開かれ、直後、彼女はその目を大きく見開いた。おそらく、凄まじい速度で景色が過ぎ去ってゆく光景に驚いたのだろうと推測。

 

やがて四十秒ほどの滑空の終着地である校庭に、ダリの姿が目に入る。二秒ほどもしないうちやってくる衝撃の瞬間に備えて姿勢を整えると、彼は盾を構え、防御の姿勢をとった。

 

「――――――パリング! 」

「――――――」

 

物理攻撃をシャットするこのスキルを駆使して、己が着地の際の衝撃をかき消し、またこうして味方を受け止めるというのが、今回の大幅ショートカットの肝だ。スキル発動直後、我々の体が彼の盾に触れた瞬間、すでに音速の速さを超えていた我々の体に秘められていた威力は全て消え去り、彼の盾の前にて自然に停止した。

 

なるほど、調査や探索を行う衛兵という職業につくものの、大半がパラディンのように盾持つ理由がよくわかる。不意の事態、つまりは、落とし穴だの足を踏み外した際にも、生存の確率を大いにあげることが出来るが故のものなのだろう。

 

やがてスキルにより動きの自由を奪われていた私が、己の体に重力が正常に働いたのを自覚すると、身を預けていた盾を離れて地面に降り立つと、腕の中にいる響が一瞬ぐらついた。

 

衝撃はなかったはずだが、あるいはこの長距離空中スライダーの速さに酔ったのかと、体を支えようとするが、彼女はよろめいた体をふらついた一歩で踏みしめると、己の意思で見事に地面の上に体を固定した。

 

「いけるか?」

「勿論です」

「では早速」

 

そうして彼女が戦意を失っていない事を確認すると、ピエールがスキル「韋駄天の舞曲」を発動する。我々の全身を巡る血液の循環が早くなり、酸素の運搬量が増え、行動速度が上昇する。

 

「―――よし、では行こう。案内は……」

「ああ、任せておけ―――、こちらだ」

 

身体能力向上を確認したダリの言葉を受けて、私は校舎裏の林を指差した。すると、背後より連鎖する獣どもの遠吠えが共鳴して、我々の身を包み込んだ。そう易々と行かせてたまるものかと、叫んでいるようだった。我らを取り囲んでいる湿った空気に、進軍を阻んでやると言わんばかりの圧力が伴った。

 

「目的地はすぐそこだ―――、行くぞ」

「まてまて、そう慌てるな」

 

その不快感を無視して宣言すると、彼らが頷くより先に、獣どもの咆哮よりもはるかに小さな低く重く、そして不快な声が、反響する高音の中をも通り抜けて、耳朶を打った。計画通り高所より無事に着地し、大幅な時間と手間の短縮に成功した喜びは瞬時に消え去り、常とは真逆のベクトルを持つ感情の波が心中に溢れだす。

 

「つれないではないか。客人の来訪に備えて大勢を引き連れて歓迎の準備を整えていたのに、主賓に会場を素通りされてしまっては、白けてしまうというものだ」

「貴様―――」

「他人の善意を己の都合で無碍に台無しとするのは、正義の味方らしからぬ、恥ずべき行為だと思わんかね? なぁ、エミヤシロウ」

言峰綺礼……! 」

 

奴の語る巫山戯た内容の話など頭の中に入ってきていなかった。振り向き眼球が奴の実体を目に収めた瞬間、一気に沸点を通り越して爆発した殺意は、一秒でも早く眼前の不快を取り除けと間断なく命じてくるが、溢れんばかりの膨大な感情の奔流を意思の力をもってして抑え込む。

 

瞬時に敵めがけて飛びかからんとする己の不用意な行動をそうして抑制できたのは、生まれた感情を殺すという作業が、生前も、死後も、心の外殻が擦り切れ、抱えていた理想を磨耗して見失ってしまうほど繰り返してきた手慣れたものであるからだろう。

 

―――焦るな、奴の言動と性格を読めば、何らかの罠が用意されているのは明白だ……!

 

悪辣の権化たる性格の男が、なんの策もなしに、敵前へと姿を晒す事など考えられない。

 

―――だから、奴を殺したければ、急くな、焦るな。条件が整うまで、その時を強かに待て。

 

「―――くくっ、心地よい殺気だ。お前の苦悩が手に取るようにわかるぞ。……どうした? 目の前に貴様のマスターを殺した憎っくき仇がいるのだぞ? その身の内に溜め込んだ激情のままにこの体を切り裂けば、今、貴様は本懐を遂げる事ができる。さらにはその上、主人に忠実なサーヴァントとして、義理も果たせる。そんな絶好の機会だろうに」

「――――――っっっ! 」

「ああ、それとも、やがて目的達成による快楽をより良きものにするため、限界まで我慢をするタイプであったのか? 排泄行為は、対象を溜めこむほど、多ければ多いほど、その後、体外に排出する際に一層の快楽をもたらすからな。―――く、く、くく、はは、ははははっ」

「―――貴様……!」

 

怒りに歯軋りをすると、高笑いが返ってくる。奴の一々全ての行為が、私の脳裏にて不快の感情の源となり、キリキリと万力で締め上げられたような痛みが頭全体に響き渡る。

 

絶え間なく押し寄せる不快の感情を押しとどめるべく、上下の歯が互いに押し合う力で突き抜けてしまいそうなほどに噛み締めると、挙動から私の内心を見破った奴はさらに愉悦の感情を増幅させたようで、高らかに笑って見せる。その事実に私は不快の感情をより高めた。

 

「―――エミヤ。あれはなんだ」

 

投げかけられる疑問の声。我々の不毛の問答に割り込んだダリの冷静な声に答えるべく、脳は怒りの感情を沸騰させることにのみ利用していた熱量を思考に割り振り、お陰で私は少しばかり冷静さを取り戻す事ができていた。

 

言峰綺礼―――、他者の絶望と苦悩を己の喜びとする男であり、私の仇敵であった人間であり―――いまは、魔のモノの手先となっている奴だ」

「そうか。つまりは我々の敵という事だな」

 

ダリの、戦闘移行動作がスムーズに行われる。彼が言い切ると、応じて全員が戦闘態勢に入る。一様に注意の視線を集めた言峰は、その場にいる敵対者全ての目線が己に集中した途端、薄ら笑いを浮かべた。

 

思い通りに事が進んでご満悦と言った言峰の表情から不穏の空気を読み取ると、奴が登場した時の台詞を思い出して、納得した。

 

―――なるほど、これが狙いか

 

「そう、私が倒すべき、最悪の性格をした敵だ。だから、君たちは先に進め」

「なに? 」

「……」

 

返ってくる疑問の声を一旦保留して視線を言峰の方へと送ると、奴は先ほどの笑みは能面に貼り付けたかのような不自然な無表情のものへと変化していて、それが私が看破した予測の正しさを証明しているようだった。

 

「私たちの勝利条件は、宝石にて魔のモノを封印すること。対して、魔のモノの手先になっている奴の勝利条件は、それを防ぎ我々を殺害すること。慎重を期して裏方に徹し姿を隠してきた男が姿を舞台に現れたというなら、それは我らの進んでいる方向が間違っていないのを示しており、我々の行おうとしていることが奴、すなわち魔のモノにとって都合の悪いことでありのだと認識してよかろう。―――、受け取れ」

 

言いながら赤い宝石を胸元より取り出すと、響という少女めがけて投げる。彼女は少し戸惑いながらもその巨大なルビーをしっかと受け取った。放物線を描いて空中を進んだ宝石を見た言峰は、私が彼女の宝石を手放した事が意外の事態だったのか、驚く様子を見せた。

 

「エミヤさん、これは……」

「行け。それを使う場所は、おそらく大空洞にある」

 

円蔵山の方向を指差して断言すると、言峰と真正面から対峙する。奴は能面の表情を崩さない。互いが不倶戴天の敵とする相手に向ける双方向の殺意が満ちる中、言峰の背後の闇の中から雄叫びと咆哮が響き、地面を揺らした。それは背後の彼らを動かす合図となる。

 

「……、作業を終えたら、すぐに戻ってきます」

「ああ。―――いや、不要だ。私もすぐに因縁にケリをつけてそちらへと向かうさ」

「了解だ―――死ぬなよ、エミヤ」

「ご武運を」

「負けたら承知しねーぞ! 」

 

彼らそれぞれの思いをこちらに投げかけて遠ざかって行く。私は気配と声が遠のく様を聴覚と触覚で捉えながら、他の感覚全てを言峰へと向けていた。

 

奴が彼らの進行を防ぐため動こうというそぶりを見せた瞬間、その隙を狙って即座に斬り捨てる予定であったが、予測に反して奴はまるで動かず、ただじっとこちらを見たまま、姿勢を崩さない。その予想外の挙動がひどく不気味だ。奴の目論見が読めない。

 

「―――何が狙いだ」

 

やがて校庭から彼らの足音が聞こえなくなったのを見計らい、私は奴に問いかけた。するとは奴は、ようやく顔面の筋肉を動かして、抑えきれない愉快を表すかのように、くっくっ、と唇を歪めて、呼気を漏らしながら言う。

 

「今しがたお前が見事言い当てたではないか。その通り、私の目的は足止めだ」

「ならば彼らが進むのを見逃した」

「見逃した……? 」

 

言葉に奴は、笑みを深める。

 

「何がおかしい」

 

自然体に開かれていた両肩を左右に揺らした。暗がりの中、奴の笑い声はやがて整った腹式呼吸のものとなり、自然体は徐々に戦闘を見据えたものへと変化する。カソックの奥で、体の揺らぎが徐々になくなって行く。

 

「いや、なに、獲物が思い通りの罠に嵌ってくれたのだ。思い通りにいった愉快を笑うなとは、酷と言うものだろう。……なぁ、エミヤシロウ。なぜこう考えようとはしないのかね? 私は今、予定通りに、奴らと貴様分断し、そのうえで貴様を足止めできているのだと……!」

「……! 」

 

思いがけぬ言葉に意識が彼らの方へと向かった私の一瞬の隙を狙って、奴は私に襲いかかってくる。聖堂教会の代行者たる奴が収めている戦闘のスタイルは、八極拳。傷を開く事が得意な奴にぴったりの、相手の守勢を打ち崩し、急所への門を開かせる武術だ。

 

奴は丹田に溜め込んだ気を胸の中にて爆発させ、一息でこちらの間合いに飛び込んでくると、両腕を左右の掌を上に独特の構えから、左足にて地面に踏み込むと同時に、その勢いに乗じて縦拳が突き出される。

 

「―――っ!」

 

発勁とともに顔面めがけて繰り出された右拳による点の攻撃を、強化を施した片手で払ってやろうとすると、奴の拳が開き、私の左腕に絡み付こうとしてきた。蛇の絡みつくような所作に悪寒を感じて、無理やり体を後ろに逸らして引っこ抜くと、崩れた体制のところ私の無防備な脇腹へと左の拳が突き入れられる。

 

「―――ぐっ!」

 

本来ならば、振り払った私の手を掴み、体を引き込んでからの左崩拳、右拳、右肘の連撃だったのだろう攻撃は、私が手を体ごと後ろに引いたことにより、不完全な一撃に終わっていた。右の脇に鈍い痛みを感じつつも、強化をした足で数十メートルほど後ろへ跳躍し、奴と距離を取る。奴は怪訝な顔を浮かべたが、すぐさま納得の様子で頷いた。

 

「これを避けるか……―――そういえば、貴様は凛の弟子でもあったか」

「おかげさまでね」

 

己の連続攻撃の仕掛けが見破られた要因に思い当たったようで、呟いた言葉に対して、律儀に予測が正解であることを答えてやると、奴はつまらなそうに舌打ちを一つ漏らした。少しばかり胸のすく思いがした。

 

かつて私のマスターであった凛という少女は、目の前にいる言峰綺礼という男から八極拳の手ほどきを受け、その戦闘技術を習得していた。そんな彼女が魔術の秘奥を研鑽するためにロンドンに留学していた頃は、しょっちゅう練習がわりの組手に付き合わされたものだから、八極の散手の基本的な流れくらいなら私も読み取れる。

 

とはいえ奴が人体破壊のため独自にアレンジを加えた八極拳は、凛のそれとは比べ物にならない修練と功夫の積み重ねにより、彼女より更なる達人の域にあるものだが、とはいえ基礎的な部分は変わらない。師より受け継がれた流れと呼吸というものはどうしても似通ってくるものだ。

 

つまりは、皮肉にも、奴が戯れに凛に武術の手ほどきをした事が原因で、私は今の攻撃を最小限の被害にてやり過ごす事が出来たというわけだ。

 

「投影開始/トレース・オン」

 

即座に常の武器を両手に投影して両腕をだらりと落とした戦闘体勢に構えると、奴も呼応して、再び肩幅を開いて自然体に戻り、丹田に気を練り始めた。奇襲による一撃を防がれたからだろう、やがて片手を前に突き出す、徒手空拳多くの武術に共通する構えへと移行する。

 

「不意の一撃故遅れをとったが、二度目はない」

「どうかな、わからんぞ。武は矛を止むるを以ってすとは、かつて春秋左氏伝の誤解が多く世に広まったが、本来、矛にて困難を切り開いて荒々しく突き進むことこそが武の語源だ。ならば、鍛錬を積み重ねれば、あるいは武術が強者を打ち崩す矛となるのは道理だろう? 」

「は……、外道に堕ちた神父が道理を語るとは笑わせる」

「道理、真理というものは常に人の属性、在り方などとは別のところにある超然としたものだ。その程度のことも理解していないとは、さては貴様、外道に属する悪人の私などより、余程、人という存在から遠き場所にいるのではないかな?」

「ふん……」

 

罵声の応酬は、互いが呼吸を整えるための時間稼ぎに過ぎない。存在を否定し合い、敵意が一欠片も減じていないことを確認し合うと、やがて奴の攻撃が繰り出される前に、自らの両腕と刃先が届く間合いを確認して、体の中心を軸とした球の範囲に迎撃の意識を集中する。

 

交差する夜闇の中、攻守のどちらが有効になるか考えていると、それを遮るようにして、耳の中に遠吠えが飛び込んでくる。敵の群れが近い。意識を微かにそちらへ配ると、地面を揺らす赤い大軍はもう橋を渡り、山へと続く商店街への道を直進しつつあった。

 

「よそ見とは余裕だな」

「ちっ」

 

出された沖捶からの一撃が己の制空圏に侵入する前に、刃を振るって侵攻を阻止して迎撃すると、先程よりも大きく背後に数度跳躍し、校舎の壁面に到達。そのまま窓枠に足を引っ掛けて数歩ほどで時計台の上にまで駆け上り、屋上へと到達する。

 

一旦奴から大きく距離をとったことで、状況確認の余裕ができた。すぐさま深山町を軽く一瞥すると、街中を疾走する獣どもが、波濤のごとく家々を覆いながら進む姿が目に映る。

 

―――あれを放っておくわけにはいかない

 

遡上する黒の濁流を放置しておけば、私と奴の決着がつくよりも以前に、柳洞寺に辿り着き、彼らと鉢合わせる可能性がある。広い場所でならともかく、大空洞のような閉鎖空間で中にあれが殺到すれば、先に行った彼らを待ち受ける暗い未来がたやすく予想できてしまう。

 

即座に両手の剣を腰に引っ下げると同時に、弓と矢を投影して、一旦奴らに向けて射出する。音速をはるかに超える殺意を秘めた弓と化した剣は、街中の私の思い通りの場所に着弾すると、同時に爆発を引き起こし、獣どもの尖兵を消しとばした。奴らの意識がこちらへと集中する。

 

「正義の為なら、不意打ちにて一方的な命の略奪することを躊躇わぬとは、なんとも非道だな。流石は衛宮切嗣という男の息子なだけはある」

「は、魔のモノという悪辣の権化たる存在を殺すのに、手加減と遠慮をする必要などあるまいよ。そして貴様が切嗣の正義のあり方を語るな! 不愉快だ! 」

 

いつの間にやら、屋上、時計台よりも一段低い場所にまでやってきていた言峰が、私の眼下でこちらの所業に文句をたれた。見れば、奴のそばには、先程己が吹きとばし殺した獣の同種が、数匹たむろっている事に気が付ける。やつらは赤い瞳に爛々とした殺意をたたえて、今にでもこちらに襲いかからんと、四肢の力を溜め込んでいた。

 

「さて、そろそろ処刑の時間だ。顔見知りのよしみで、最後の祈りの言葉と懺悔の時間くらいはくれてやろうか?」

「戯けたことを。貴様の口から漏れるのは、祝福の言葉ではなく、虚言と呪詛だろう。聞いたのなら耳が腐ってしまう。懺悔にいたっても、貴様なんぞに聞かせるような言葉はないさ」

「では力尽くにて無力化したのち、無理やり恩寵を与えるとしようか、エミヤシロウ……!」

「裏でこそこそ動く卑怯卑劣が本分の貴様如きにそれが出来るか、言峰綺礼! 」

 

そして戦闘は再開される。校舎の屋上にてはりめぐらされたフェンスが端々より吹き飛び、結晶化したコンクリートだった地面は余波であちこち崩れてゆく。やがて屋上を作り上げていた成分が残らず瓦礫の山になると、天井を失い露わとなった一つ下の階に降り立って、互いの殺意を込めた武器を押し付け合う。

 

かつての学び舎は、破砕音響き、瓦解して崩れ、その機能を悉く失ってゆく。崩落ごとに敵の数が増し、戦いは苛烈さを増してゆく。雑魚相手の一対多の戦闘は馴れたものだが、そこに不倶戴天の天敵が混じることで、全ての攻撃が厄介なものへと変化している。

 

戦闘は、しばらくの間終わりそうにない―――

 

 

背後より聞こえる身を竦ませる咆哮の合奏と、時折それを掻き消すかのように聞こえてくる爆発音。山の方めがけて進むたび遠ざかってゆくそれらは、自らしんがりを申し出たエミヤという男が未だに生存している証だといえる。

 

「くそっ、長いんだよ、この階段! チビな俺への嫌がらせか!」

「バカ!自虐をしている間があったら走れ! 早く! 」

 

ダリとサガは文句を言い合いながら急な階段を駈け上がっていた。山の斜面に建築された石の階段は斜度が三十度どころか四十五度はありそうな階段で、しかも所々結晶化し、柔らかく、あるいはツルツルとした表面になっているため、走って登るのに非常に神経を使う。

 

常ならそんな彼らに皮肉なツッコミを入れるピエールは、「韋駄天の舞曲」という素早さを向上させる歌スキルを効果が切れる直前を見計らって発動させ続けているが故に、詩歌以外の言葉を発する余裕はないようだった。また、私も、そんな彼らについて行くのに精一杯で、言葉を発している暇なんてまるでない。

 

「―――見えた! 門だ! 」

 

―――やっと着いた!

 

先頭を走るダリが叫ぶに反応して顔を上げると、あと五十段ほど先の石段の終着地には門が構えられていた。ようやく目的地目前までやってきた私たちは、進む速度を上げて最後の斜面を駆け抜ける。

 

「これが柳洞寺、というやつか…… 」

 

石段を登りきった後、元木造の結晶化した門を潜ると、かつては良く整備されていたのだろう敷き詰められた白石の上に、しかし長い年月の間放置されたことによって砂土と樹木の残骸が積もり荒れ果てた境内が現れる。ゴミ溜めのようになった場所の奥には、結晶化した元木造の建築物が佇んでいた。

 

「確か、この裏にある池の下に行くんだよな?」

「ええ、その付近に地下大空洞へと続く入り口があると言っていました」

 

私がサガの質問に答えると、サガは一瞬カバンに入った地図と筆記用具を取り出そうとして、しかし今は悠長に地図の製作なぞをしている場合でないことに気がつき、首を横に振って己の行動を改めると、率先して前に進む。

 

「じゃあ、とっとと行こうぜ! さっさと済ませてあいつの元にも戻らねぇと! 」

 

サガは街を見た。振り向くにつられて、私も山門の向こうに広がる街の光景へと視線を送る。暗闇の中、薄っすらと見える大地と建物が広がる街を、黒い波が飲み込んでゆく。波の正体は、赤い瞳を持つ四足獣と触手の魔物の集合体だ。

 

そんな悍ましい波打ち際より少し離れた場所にある、先程私たちが着地した広い場所であり、そして側にある崩壊しつつある側の建物の瓦礫が積もった最も上部分では、時折鋭い数条の閃光が飛び出して、押し寄せる波に呑まれる寸前の街中に等間隔に刺さると、爆発し、瞬時の間だけ短い光の柱を生み出す。

 

夜の闇に一瞬広がる閃光は、爆発で敵の進行を抑え込み、柵のように黒い波の進行を少しだけ送らせる効果を発揮した。それはエミヤという男が行なっている、敵がこの場所に達するのを防ぐ為の、妨害行動だ。

 

彼はあの瓦解する建物のある場所で、言峰という男や獣と戦いながら、私たちを守り、私たちが宝石を使って魔のモノを封じ込める時間を稼いでくれている。

 

敵と戦いながら、千を優に超える群勢を単騎で抑える手腕は、流石としか言えないものだ。しかし、そんな彼であっても、やはり万に匹敵しそうな魔物の進軍を留めるのが手一杯らしく、波は徐々にこちらへと迫ってきていた。

 

「響! 何をしている、早く! 」

 

私を呼ぶ声に振り向くと、彼らはすでに建物の方へと駆け出していた。建物はとても立派な木造建築だったようで、高さこそないものの、大きい。

 

「い、今行きます!」

 

慌てて彼らの後に続くと、建物と樹木の間を通って、かつて人の営みがあった痕跡を残す建物を横目に、裏口の方へと回る。現れたのは、闇色に染まる、黒々とした大きな池だった。

 

「で、どこなんだ、その入り口は! 」

「ちょっとまて、確か……」

 

ダリが叫び、サガが頭を片手で支える。

 

「……いえ、待ってください。どうやら、その前に一仕事終えねばいけないようです」

「なに? 」

 

サガが記憶の中から必要な情報の検出を行なっていると、ピエールは一旦歌を止めて、目の前に広がる池の水面を指差した。目を凝らすと―――

 

「……揺れてる?」

「ええ、しかもみたところ、どうも揺れは周期的であり、さらに振動は徐々に大きくなっている。これが指し示すところはつまりは―――」

 

彼がそのしなやかな指で湖面を指す。動きにつられて私たちがその先を追うと、やがて地が大きく揺れて、私たちがその対応に気を取られている最中、池の水面が大きく膨れ上がったかと思うと、爆発。

 

「なんだ!? 」

「敵襲!? 」

 

散らばった水蒸気と土砂の派手な演出とともに現れたのは、今まで見てきた敵の中でも、非常に大きな、それこそエトリアの街一つくらいの大きさはありそうな、巨大な赤い竜だった。

 

頭部の左右側頭部より伸びた山羊のごときツノは、天を貫かんばかりに雄々しく黒々とそびえ立った後、内に秘めている感情の重みで成長を阻害され、己の顔面すら傷つけてしまいそうなほど自らの顔に向けてねじ曲がっている。

 

反逆を企てるツノの生える赤き顔面には、彫りの深い憎しみに満ちた人面の様相が浮かんでいる。強烈な憎悪を過不足なく全身に伝えるべく張り出した太い首には、秘めたる凶暴さを表すかのよう白き骨棘が生えており、背骨に沿って尾の端にまで他者への害意を露わにしていた。

 

蜥蜴の胴体に似た胴体から生えた四つ足はその巨体を支えるには少々慎ましいサイズであったが、その四つ足の不足分を支えるべく背より広がった蝙蝠のごとき翼は、奴の巨体をまるごと包み込むほどの巨大に悠然と空に羽を広げ、奴がどのようにして巨体を動かすのかを明らかにしていた。

 

やがてその巨体を全て露わにしたやつは、私たちのはるか頭上にある二つの双眸にはめ込まれた、凶暴な外観に似合わぬ翡翠色の眼にてこちらを睥睨すると、己に比べて矮小な侵入者たちを嘲笑うかの如く大きく口を開き、咆哮を轟かせた。上顎より生えそろった牙から涎が地面と下顎へと垂れ落ちる。

 

「強敵出現の合図です。おそらくは、この階層の番人なのでしょう」

 

掲げた指を敵に向けて冷静に告げるピエール。敵の形を見た私は、思わず呟いていた。

 

「偉大なる……、赤竜」

 

言葉にハッと反応したのは、おそらく全員だったのだろう。

 

「エミヤの言うことは本当だったな……」

「あ、た、たしかに……、じゃあ、まさか、いや、やっぱりあれが……」

「ええ、我々が長年追い求めてきた、伝説の三竜の一つ!」

 

そして集中した視線を鬱陶しいと感じたのか、闇の中、赤い鱗の表面にて水気を蒸発させているその巨大な竜は、大きく息をすいこみながら首を真上に掲げた。唾液が汚れた滝を作る中、その洞窟がごとき喉の奥で、赤の光が闇色の口腔内を照らして、外に漏れてゆく。

 

瞬間、背筋を冷たいものが垂れ落ちる。同じ予感をダリという男もしたようで、彼は咄嗟に盾を前に構えると、その場にいる全員に向けて叫んだ。

 

「炎の吐息が来る! 私の後ろに! 」

 

ダリの忠告に、皆が飛びつくように彼の背後へと回り、迷いなく身を小さく屈めた。

 

「――――――!! 」

「ファイアガード! 」

 

ダリがスキルを発動したのは、まさに竜の喉元から煉獄の火焔が口腔の外部に吐き出された瞬間だった。光線と見紛うが如きその焔は、竜の巨大な口より吐き出された瞬間、私たちを呑み込んだ。

 

炎は温度が高くなるほど、赤、青、白と変化していくが、竜の炎は、赤をはるか通り越して、青に近い白光を放っていた。ダリのスキルによりその炎の威力を受けずにすんでいるとはいえ、彼のそれは、目眩しの如き光まで防ぐ機能は持ち合わせていないのだ。

 

私は腕を用いて、周囲より眼球に飛び込んでくる眩しすぎる光を遮断した。火除けの加護を持つ赤玉石のはまったアクセサリー、「ファイアリング」を装着し、スキルの効力による癒しの光が私たちを包み込んでいなかったら、目が潰れていたかもしれない。

 

「―――っ、ぐ、ぅぅぅぅぅぅ……!」

 

目眩すら引き起こす炎が全てを消し飛ばそうとする中、ダリという男は、目を細めながら必死に、炎の勢いに負けぬように槍を地面に突き立てて三本目の足とし、全身を引き締め、死線の最前線にて私たちを守ってくれている。

 

ダリの発動したそのファイアガードというスキルは凄まじい効力を持っており、スキルを最大まで極めた彼であれば、敵のその攻撃に利用されている威力を利用することで、傷や怪我の回復に当てられるスキルだ。

 

いかなる炎であろうとも遮断し、あまつさえは敵の攻撃の炎を利用して対象となっている味方の回復までするスキルを使用している彼は、けれど、ひどく苦しげな様子で歯を食いしばっており、その様子から、現在彼は、心身に多大な負荷を強いられているのがわかる。

 

彼の身に何が起こっているのかと目もくらむ光の中、無理に観察を行うと、私たちを取り囲んでいるスキルの光とは別種の、メディカなどを使用した際に発せられる回復光がダリの全身を取り巻いていることに気が付けた。

 

―――さっきまで傷なんて負っていなかったはずだけど……

 

「……ぐ、―――」

 

ダリの足と体がガクガクと揺れている。耳を済ませれば、骨が軋み、嫌な音を立てているのがわかる。そこで彼はその炎のもたらす破滅を完全に防ぎつつ、しかし奴の火焔の吐息が生み出す、炎に依らない圧力によりダメージを受けているのだということに思い至る。竜のブレスは炎の威力だけでなく、物理的な威力を伴っていたのだ。

 

おそらく、彼は炎を防ぎながら、その吐息の風圧で体にダメージを負い、その傷をスキルの効力で癒している。どれだけの苦痛と負荷が彼を襲っているのかは、そんな経験をしたことのない私にとって、想像の範疇外だ。

 

現状何も出来ぬ歯痒さと合わせて、敵の攻撃がもたらす目眩と炎の勢いが生み出す独特の風切り音に耐えていると、やがて竜が己の攻撃の無意味を悟ってか、ブレスの発射を止めた。

 

閉じた瞼の裏側にまで飛び込んでくる光芒の眩いが収まるとともに、ようやく目をまともに開けて、慌てて周囲の光景を確認。

 

「――――――」

 

すると、現れた光景にピエールですら、呆然として皮肉の声を上げることも忘れて、周囲を見渡してやはり絶句し、顎を下にだらしなく落としていた。端正な顔と飄々とした態度を続ける気概は、先の光の光線によって鎧袖一触に吹き飛ばされてしまっているようだった。

 

「……、嘘……」

「―――、なんだ、これ」

 

いやそれどころか、竜の吐き出した光の柱は、質実剛健だった寺院も、道と砂利にて景観整えられていた境内も、内外の境界を敷いていた山門も、この場所に続いていた長い階段も、さらにはこの場所に続く商店街の一部までも、吹き飛ばしていた。

 

炎の光線が通り過ぎた後の地面は、放射状でなく、まるで光の通過地点にあった障害物が消滅させられたかのように削り取られていた。地面に融解や炭化の様子がないことから、実際にこの世から姿を消されてしまったのかも知れないと思う。

 

「ファイアブレス……、事前に聞いていた動作をしてくれたから反応できたが、まさか、これほどとは思わなかった……! 」

 

ダリが息も絶え絶えに言う。彼は防御の後、巨大な槍盾を、体を立てて支えるための補助として使っていた。スキルの特性上体に傷は残っていないはずだから、つまりその所作は精神的負荷が故の疲労がもたらしたものなのだろう。

 

「いやぁ、人知を超えた存在と言うものは、やはり迷宮の奥に潜むものなのですねぇ」

「ピエール、呑気に言ってる場合か! お前はどうして、そう、緊張感がないんだ! 」

「……ぷっ」

「……ふっ、くくっ」

 

この期に及んでやはり常ごろと変わらない惚けたピエールの言葉に、怒りを露わにするサガを見て、私は可笑しいと感じて吹き出してしまう。ダリもつられてか、笑いを漏らした。

 

ピエールはそれを見てニヤリと笑い、サガはおそらくピエールが己を道化として利用して場に満ちつつあった緊張の空気を弛緩させたのだと言うことに気がついたのだろう、少し不満げな表情を浮かべたが、すぐさま、溜息を吐いて苦笑いを浮かべた。

 

「ダリ? もちろん、まだまだいけますよね? 」

「ああ、当然だ」

「炎の竜なら、弱点は氷術だったよな」

「ああ。だが、あのデカさなら、範囲の方がいいかも知れん。いけるか?」

「もちろん! 俺ぁ元々、そっちのが得意なんだ! 任せとけ! 」

「私はどうしましょうか? 」

「回復を最優先。奴に隙があれば、頭か足を狙って縛るのを優先の目標として、状態異常が狙えるようであれば、それでも狙ってくれ。麻痺でも石化でも毒でも盲目でも構わない」

「はい」

「ピエールはダメージ軽減を優先。その次は速度を重視。後は状況に応じて臨機応変に頼む」

「指示が雑ですねぇ……、まぁ、事細かに手取り足取り言われるよりかマシですが」

 

私たちはすでにいつもの調子に戻っていた。目線を合わせて頷き合うと、揃って竜の方を見る。敵は私たちが作戦を終えるのを律儀に待っていたのか、あるいは、単に吐息を放った後に反動がくるのかは知らないけれど、静かに私たちの方を見下ろしていた。

 

火竜と私たちの視線は闇の中に見えない火花を散らして、戦端を開く合図となる。

 

「――――――! 」

 

竜が己を鼓舞するかのように咆哮した。大気を震えさせ、地面を揺らし、闇に響く雄叫びは、巨大な己の必殺の一撃を受けて、なお怯まない私たちを敵と認めて、全力を出すとの宣言のようだった。

 

「やるぞ! 」

「おう!

「さて、では、伝説に挑むとしましょうか!」

 

負けじとこちらも三者三様の気合を入れる声を響かせ、戦闘が再開される。私は胸にしまいこんである彼の遺品である刺々しい宝石をぎゅっと握りしめると、シンの残した剣を鞘より解き放つ。ダマスカス鉱にて作られた刀は、独特の波紋を浮かび上がらせて、闇の中に輝いた。

 

薄緑は修復のための素材が足りなくて、結局はこれを持ってくることになったわけだけれど、そうなってくれて、本当に良かったと思う。だって、三竜を相手にするにあたって、これほどまで適した剣は、私にとって存在しない。

 

―――だって、この剣を三竜に突き立てて欲しいと言うのが、彼の望みだったのだから

 

私はもう一度宝石を握り、私の中の彼の存在を大きくする。そうして痛みと喜びの混じる、過去になってしまった彼の記憶と思い出から大きな勇気を貰うと、私は三竜の中でも最も強いと噂される竜に向かって、まっすぐ刀を構えた。

 

 

ブリテンの赤き竜……」

 

―――それに約束された勝利の剣/エクスカリバー、か……

 

宿敵との戦いの最中、竜が街に刻んだ真っ直ぐな破壊の痕跡に、私は彼女の宝具の発動した際の光景を思い出して、戦慄した。言峰との遭遇により忘却していたが、冬木も世界樹の新迷宮の五層であると考えれば、奥地に番人がいて当然と想定していたことを思い出す。

 

「舐められたものだ」

「っ、ちぃ……!」

 

輝く光が強制的に意識の在り処を奪った一瞬の隙をついて、奴の一撃が繰り出された。

 

私が両手に握る双剣の間合いの内側に入り込み、守りを抉じ開けようとする一撃を、干将・莫耶という宝具の持つ、互いを引き寄せあうという特性を用いて、無理やり両手を交差させてやることで防御すると、それを見越してだろう、すぐさま手を引っこ抜いた奴は、その場にて体を半身だけよじらせ、足を地面に強く踏みしめて、体当たりの一撃を繰り出す。

 

「がっ……」

 

鉄山靠。門を開くどころか力尽くでぶち壊してやろうという牙城の一撃を咄嗟に盾とした両腕でガードしてやるが、足場の悪い瓦礫の上でも奴の弛まぬ訓練と鋼の心が生み出すそれは常と変わらぬ威力と衝撃を生み出していて、発生した力を防ぎきれず、私は後部へ数メートルほど弾き飛ばされる。

 

「―――ち……」

 

直後、体勢が崩れた所に追撃の一撃を加えようと近寄ってくる奴の進路上に、多重投影した剣を生み出して進撃を封ずる。あわよくばそのまま剣に刺されば大ダメージが入るかもと期待しての防護壁は、しかし、奴の危機管理と慎重さの前に敢え無く狙いを看破され、元の狙い通りの役目だけを果たして地面へと突き刺さった。

 

「あいかわらず、わざと隙を見せて攻撃を誘う戦い方は上手いものだな」

「ふん……、貴様相手に手の内を晒した覚えはないのだがね」

 

私の狙いを見通した皮肉に返すと、奴は空虚に笑って言った。

 

「そうだとも。しかし、私は、かつてランサーの目を通じて、いや、あるいはそれ以上に土地と聖杯の記録を通じて、貴様の戦い方を熟知している」

「―――なに?」

 

戦闘の最中告げられた言葉に、片眉を上げて訝しむ。言峰綺礼の方を観るも、少しばかり離れた場所に遠ざかった奴の顔からは懸念の答えを何も読み取ることができなかった。

 

―――土地と聖杯の記録を通じてとはどういう意味だ?

 

「いったい―――」

「悠長だな。私に問いかけている暇などあるのか? 」

 

疑問が口より出て意味をなす前に、私の周囲に配備された触手型の魔物の数匹がこちらへとその手先を投擲し、まるで網のようになってこちらに迫ってくる。

 

触れればろくなことにならないであろう粘液に塗れた投網から逃れるべく、網目が大きい部分を狙って脱出しようとすると、隙間には獣型の魔物が配備されており、こちらに向かって直線的攻撃を仕掛けてくる。古典的な、逃げ場を限定し、その先に本命の槍を置く戦法。

 

「は……」

 

網目の隙間から半身乗り出して喉元めがけて真っ直ぐとやってくるそいつの、獲物を求めて馬鹿みたいに開いた口に、望み通り肉体の一部、すなわち剣を握った手を突っ込んでやると、そのまま口腔内部より上唇から頭部までを斬り払う。

 

そして奴の口が閉まる前に、突っ込んだ手を四分の一ほど回転させて敵の体の内側から横のベクトルを発生させやると、体内部分に殴打を繰り出し進路をずらしてやる。奴の体を利用して隙間が小さくなりつつある触手の網目を無理やり広げると、広がった部分より脱出。

 

敵の体から腕を引っこ抜きつつ、死体を振り払って腕を露出させると、唾液と体液にまみれた腕の汚れを軽く払う。

 

「無論、その暇があるから、こうして聞いたわけだが」

「ふん……」

 

奴の挑発に余裕をもってして返答してやると、悪意のこもった短い鼻息交じりの短い言葉が返される。同時に襲いかかってくる魔物ども。醜悪な存在の襲来は、奴がこちらの望む答えをわざわざまともに教えてくれはしないという証であるようだった。おそらくは、答える気は義理などないし、義務も無い、とそういうことなのだろう。

 

しかし。

 

「侮ってもらっては困るな。仮にもこちらは元英霊。数が多いとはいえ、この程度の化生どもに遅れをとるわけあるまい」

 

校舎横を通過した一撃に気を取られた先ならともかく、意識が万全な現在、一層の蛇どもの様な狡猾さも持ち得ず、三層の犬どもの速度に遠く及ばない程度の身体能力しかない魔物など、いくら群れようが、私の敵になどなりえない。

 

やがて総じて二十ほどの獣を切り捨てた時点で、一旦は打ち止めになったのを見計らって、もう一度奴に問いかける。

 

「さて、では、答えてもらおうか、言峰綺礼

 

味方の獣どもがやられてゆくのを黙って眺めていた奴に片手の剣の切っ先を突きつけてやる。返答なき場合は次は貴様を屠るというメッセージ。死刑執行の宣告を受けた罪人たる奴は、しかしそうして罪人を前にした神父らしく悠然と佇み、空虚な眼差しをこちらへと向けるばかりだった。

 

相手が己より格上の半神半人の存在であろうと饒舌と虚言を織り交ぜて煙に巻くのを得意とする言峰綺礼という男が、私との問答を避けて戯言すら言わないというのならおそらく答えは一つ。

 

「なるほど、土地と聖杯の記録とやらは、魔のモノとかいう輩に関係している事か」

 

無言と無表情を保っていた奴の仮面が崩れた。奴自身の怒りによるものなのか、あるいは、正体を暴かれた上位者によって意思に介在された結果なのか、積み上げてきた苦労と経験が年輪として刻まれた、黙っていれば端正かつ男前ともいえる顔面の、その頬と額、目元の先に不自然な数本のひび割れが現れた。

 

強面が憎悪を露わにしたおり、これ以上は何があろうと語ってやるものかという意思にてか、口元は固く結ばれている。もはや問答は無用ということか。

 

―――ならば、早々に決着をつけ、力尽くで聞き出すまで

 

強引な手段での問答を決心すると、残骸と成り果てた校舎の跡地横を再び閃光が切り裂いた。夜の闇を切り裂く光の柱は、先に描かれた円弧の上を掠めるようにして通過し、やはり先と同じように、闇色の魔物どもを打ち払いながら、大地を削ってゆく。

 

番人の攻撃に、早期決着の理由を一つ増やしながら、双剣を携えると、所作に反応するかのように奴の羽織るカソックが揺れ、背後より周囲に魔物どもが群れとなって現れる。その数はざっと五十。およそ先ほどの倍以上の数だ。

 

兵の数が倍になればその分取れる戦術も多数となり、それの処理するための手間は、先の魔物たち以上にかかることは必定だ。加えて、魔物の残数にまだまだ余裕があることは、奴の背後より迫る敵津波の存在からも明らかだ。

 

情けなくも口惜しいことだが、どうやら過去の時代から持ち込まれた因縁に決着をつける時は、思いとは裏腹に、早々に訪れてはくれないらしい。

 

 

「ファイアガード!」

 

発動直後に訪れた灼熱の閃光を、ダリのスキルが防ぐ。周囲を焦がす熱線を受けとめるのはまだ二度目であるというのに、物理的な圧力すら含む破壊の光を防ぐ彼は、先程よりもずっと余裕を持っていた。ダリはすでに炎の息に対して完全攻略の片鱗を見せ始めている。

 

どれだけの傷や衝撃が襲いかかる事態であろうと、それ自体が予想外でないのなら、覚悟を決めて平気で死地へと進むその様は、まさに守護騎士の名前を戴くに相応しい姿であると言えるだろう。

 

とはいえ熱線を防ぐのはやはり重労働らしく、彼は滝のような汗を額から流している。汗は熱線の生み出す風圧によりすぐさまファイアガードの効果範囲外へと吹き飛び、そして瞬時に蒸発して姿を消す。その様を見て、事態の深刻さを改めて思い出し、気を引き締め直す。

 

「姿が見えなくとも、位置さえ分かっていれば―――」

 

ダリの盾の陰に隠れたサガが、籠手を解放して氷の術式を発動させる。機械籠手よりはなたれた冷たい輝きが私たちの周囲を取り囲んでいる光に突撃して消えてゆく。

 

「今回のは一切加減なしだ! 大氷嵐の術式! 」

 

そしてすぐさま周囲の暴力的な光は弱まって、やがて消えていった。露わになった目の前を見てやれば、ダリに防御の姿勢を、私たちに不動を強いていた赤い竜の巨体の背中には、エトリアにある建物一つどころか、先程街中で見かけた天井より階段の続いていた巨大な建物を潰せるほどの、大きさの巨大な氷塊がのしかかっていた。

 

真球を縦に細長く潰したような楕円型の先端が尖った氷塊は、奴の背中に触れた途端、火花を散らしながら、溶けてゆく。奴の高温の滑らかな鱗が剥がれ落ちて、その下にある皮膚が、どす黒い皮膚に水膨れとなって、爛れてゆく。

 

氷が瞬時に蒸発して水蒸気となり、その煙に混じってこちら側に白煙が流れてきた。肌と服の間を肌寒い空気が駆け抜ける。多分、本来なら異臭も混じっているのだろうが、生憎初撃の熱線が地面を溶かした際、地面がガラス化したり、建物や樹木が燃焼したりの混じった匂いがあたりに充満したおり、鼻の機能は潰されていて役立たずとかしているため、匂いがわからなく、おかげで体はいつもと変わらず動いてくれる。運がいいのか悪いのか。

 

「―――っしゃあ、ザマァ見ろ! 」

 

地獄の光景に見紛うような事態を引き起こしたサガは、竜にダメージが入ったのを喜んで、今にも小躍りしそうな雰囲気だった。身長の小ささと合わさって、まさに子供のようだと思ったが、言わない。多分、いえば彼の怒りがこちらに向くだろうことが予想できたからだ。

 

それよりも、疑問に思うことがある。

 

「氷……、大氷嵐の術式にしちゃ、大きすぎやしませんか?」

 

戦闘の最中、我ながら呑気に体積だけ見てやれば竜と同じ大きさの大塊を指差していうと、サガは頷いて答えてくれる。

 

「ああ、いつもは手加減をしてる分と、風に回している分のエネルギーも氷に回したからな」

「手加減? ほんとは作れるのに、やらないんですか? どうして?」

「だって、大きく作ったって、小さい奴、早い敵にゃ当たらないし、効かないやつにゃとことん効かないし、効くにしてもあれだけデカいの作る意味ないし、下手に作成位置を間違えれば自分たちが危険に陥るし、何より、デカいの作ると地形をぶっ壊しちまうからな。法に触れる事はご法度って事で、通常なら適当な大きさに作るのが普通なんだが……」

 

サガは悶え苦しむ巨大な竜を指差していう。

 

「あれだけのデカさを仕留めるってんなら、相応のデカさが必要で、そんでもって地形の破壊なんて気にしていられる状況でないからな。そもそもあいつが周りをぶっ壊してるし、言い訳効くだってな事で、全力全開のスキル発動をしたわけだ。いやそれにしても多分この湿った空気が助けてくれたんだろうけど、確かに我ながらよくもああデカいのを作れたなぁ」

「おい、話をしている暇があったら、この隙に水分と塩分を補給して体温を適当に調整しておけ。さっきから熱の変化が急激だ。熱中症にならんように注意しろ」

 

自らの行為に感心しているサガと彼の説明を聞く私に、ダリが注意を呼びかけてくる。敵が目の前で苦しんでいる隙を見計らって、さっさと継戦の準備を整えているあたり、手筈の良さに驚くが、言われて汗が滝のように出ている事に気がつく。

 

軽く汗を拭って払うと、水滴が先の攻撃にて熱を帯びている地面に触れた瞬間、もはや高温に支配されたこの大地にお前の居場所なんてないとでも宣言されたかのように、蒸発し水蒸気となり、空気中を漂う冷気を帯びた同種の存在に混じる。

 

途端、不全に陥っていた肌が機能を取り戻して、実際の周囲の温度に対応しようと、再び汗を流し始めた。地面の中に収まりきらない熱が大気に上がって温度が水蒸気に伝播し、涼しげだった空気が熱を帯びた不快なものへと変わる。

 

木桃の蜂蜜漬けと塩と水を含んでから熱を生み出した元凶である竜を見ると、奴は体内にめり込んでいた氷の大半の処理を終えたようで、触れていたもう氷はもう半分以下の大きさになり、傷口から押しだされていた。宙に浮いて支えを失った氷が、地面に落ちて、大地が微かに揺れる。

 

その衝撃が竜の体を揺らした事で、傷口の痛みがぶり返したのか、竜は微かにその身を揺らして悶えた。しかし氷術により生まれた傷口は、ピンク色の肉が盛り上がり、すでに再生が始まっている。このままでは遠からぬうちに、奴の怪我は治癒しきってしまうだろう。

 

「畳み掛けるぞ」

「任せろ! 」

 

不利になるのを分かっていながら悠長に待っていようと思えるほど、私たちは自信家でもないし、そんな時間も残されていない。ダリがいうと同時に、私も足用の縺れ糸を取り出して準備を整えた。

 

ブレスは無効化とともに、反撃の機会に転じる事が出来る有効な機会が訪れるものであるとわかったことだし、残りの攻撃、移動手段である足と翼を防ごうという魂胆だ。竜の翼は見たところ爪が生えているし、おそらく、「足」の一部であると見て間違い無いだろう。

 

準備を整え終えた瞬間、奴も身動きが取れるくらいには回復したらしく、癒えきらない傷を負いながらも、四足を小刻みに動かし、両翼を羽ばたかせて、移動の準備を行なっている。おそらく先ほどまでのように、巨体に見合わない速度での突進を企んでいるに違いない。

 

「縺れ糸を使って、移動の制限を試みます!」

「援護する! 大氷嵐の術式!」

 

いうとサガは先んじて籠手を解放して術式を発動した。サガが術式の解放をすると、大気中に散っていた水分が彼の意識した場所に凝縮され、圧縮されたエーテルは凝固して巨大な氷の塊となり、奴の体の後方部分に出現する。制限を外された氷は奴の退路を断つとともに、傷つけるにも十分な大きさを持っていて、重力によって落下した。

 

そして私は奴の正面に向けて、縺れ糸を投擲する。力を解放された糸が奴の身動きを制限しようと、巨大な竜に向けて果敢に突撃する。前後のどちらを選ぼうと自らの身に害を被るこの状況。さぁ竜がどう動くのか―――

 

「え……」

 

しかし奴はこちらの思惑とは裏腹に動かない。その場で翼を大きく上下にはためかせたまま、前方の糸にも、体の上より迫る氷塊もまるで気にせず、その場で優雅に佇んでいる。その悠然とした態度がわたしにはなんとも不気味に映る。

 

同様に思ったのは、皆も同じだったようで、一同はそれぞれがすぐに動ける体勢に移行した。ダリは術式を発動直後の反動で少し動きの鈍くなっているサガを庇える位置に移動し、ピエールは皆と少しだけ離れた場所で竜の動き全体を観察している。

 

私はピエールのすぐ近くで、自分が放った糸の行方だけを意識的に追っていた。何か異変があった際、すぐさま動けるようにするためだ。そして。

 

「――――――」

 

私たちの短いやりとりの後、竜は翼の羽ばたきを強めた。形として見えそうなほど具現化した風が奴の体を鎧のように覆ってゆく。やがて私たちの放った攻撃が竜の纏った風の外套と接した時、その風鎧からは天井にまで貫かんばかり勢いで竜巻が生じ、巨大な氷塊は細かな砕氷となり、糸はあえなく風の渦中に消えていった。

 

「くそっ、そんなんありかよ!」

「どうやら奴も、私たちの攻撃に対して対抗策を見つけたようだな」

「――――――来ますよ、構えなさい! 」

 

激昂するサガと、冷静なダリがそれぞれ述べると同時にピエールの口から忠告が発せられる。竜が風の鎧を纏ったまま、前足を片方だけ地面に叩きつけたのだ。砕かれる大地。衝撃が私たちの方にまで伝わって身動きを微かに封じ、それと同時に、奴の灼熱の体温と熱線の余熱にて高温に加熱された土砂は、奴の纏う風によってこちらへと強烈な速度で飛来し、体を叩く熱砂の礫となる。

 

「っ……」

 

とっさに頭と重要な器官を装備品で庇ったけれど、その折に表に出ていた手腕部と皮膚が焼かれた砂によって傷つき、ヤスリで擦ったかのような傷跡が出来る。サガはダリに庇われて二人とも無傷だったけれど、ピエールは、私と同じような傷を負っていた。

 

楽器と喉、手、頭を庇うために装備で固めた背中を盾として使った彼は、竜の方を振り向くと、楽器の弦を鳴らし、言葉を漏らす。

 

「手間取るのはよろしくないのですが……、どうやら一筋縄ではいかないようですねぇ」

 

熱に満ちた空間に涼やかな声が響くと、彼の言葉は真実であると答えるかのように、竜は咆哮して戦意の十分を撒き散らした。見るともう傷口はすでにふさがっている。どうやらたしかにまだまだ戦闘は続きそうだ。

 

ピエールの言葉にすでになくなった山門の方に目を向ける。すると開けた視界の先、街を覆いこちらに迫っていた黒い波が、山のすぐ近くにある場所まで侵食を進めているものの、ある地点から放たれる矢がその波打ち際で爆発し、打ち寄せる魔物を払い、それらの侵攻を遅行させていることに気づける。

 

エミヤだ。彼は場所を移動しながら言峰や魔物の群れと戦いつつ、その上ああして足止めをして、私たちが宝石を収めて魔のモノを封じ込める時間を稼いでくれている。しかしそんな偉業をなす彼でもやはり数の暴力に耐えて動きを遅らせることで精一杯なようで、波は刻一刻と山へ迫って来ている。先程よりもずっと近い。時間的猶予はあまり残されていない。

 

―――早くしないと、不味いのに

 

急く気持ちを抑えながら、私はエミヤから託された宝石を握りしめると、冷静になれと訴えるかのように宝石は熱を吸収した。

 

 

周囲を取り囲む魔物の群れは絶えることなくこちらへと襲いかかってくる。奴らはすでに私の周囲の地面のほとんどをその姿で覆い隠していた。新都の方面からやってくる折り重った敵影をざっと見積ってやれば、未だ万は下らない数はいるだろう事が推測できる。

 

勿論その全てをまともに相手などしていられないので、飛びかかってくる奴らを迎撃したのち、投影した剣を投擲しては爆発させて敵を押しのけて短い間だけ安全地帯を生み出し、深山の街を侵食する奴らめがけて矢を数回ほど射出すると同じように爆発させる。

 

これで十程度の数は片付けられる。とはいえ、最低万はいるだろう数を相手にするなら、この程度の撃破など、微小誤差の範囲にしか過ぎないだろう。

 

何より、本命である言峰綺礼は、この作業を繰り返す最中、獣どもの波の中に姿を消してしまっており、余計に神経を尖らせて周囲を警戒しないといけない原因となっている。おかげでいつもよりも疲労のペースが早い。とはいえ焦り殲滅を試みて、そこに付け込まれるわけにもいかない。それでは奴の思う壺だ。

 

―――ん?

 

百を超え、千を超える獣を淡々と機械的に屠殺しおえた頃、その異変に気がついた。腐臭が満ちる中、土の匂いが風に混じってやってくる。匂いの中にそれを伝える成分が混じったということは、空気中の湿気の密度が増している証拠だ。

 

原因を探るべく肌の動きに気をやると、山の方から低地にむけて吹き降りてくる風が、ある時は真夏の時期であるかのように熱く、ある時は秋から冬にかけて吹くものであるかのように冷たいことに気がつく。

 

なにかと思い注意を背後に向けると、彼らの向かった先、すなわち柳洞寺の方を向いてやると、時折生まれる光の柱に混じって、四から五階建くらいの大きさはあろうかという氷塊が生まれては、細かく砕かれて宙に飛び散る光景を見つけて、驚くとともにどこか納得し、即座に目の前の戦闘へと意識を戻して―――

 

―――どうすればいいんですか!?

 

やれない。強化の魔術を施してある耳は、年若い女性特有の高温域に乗った声を捉えたからだ。私の生み出す爆発と破砕の音、獣どもの遠吠えなどを貫いてこの耳に届くその声からは、彼女らが今、切羽詰まった状況に置かれていることを、四キロは離れたこの場所までも伝えてくる。

 

「壊れた幻想!/ブロークン・ファンタズム」

 

自らの周囲に多少ランクの高い宝具の剣を突き立てて、今までより大きな爆炎の壁を作り、その中に身を完全に隠す。ほんの一時しのぎにしかならない上、せっかく攻撃と移動の誘導を容易くするため己の身に集中させていた敵の注意をバラバラに散らしてしまうことになるためやりたくなかったが、味方が危機に陥っているのだ。仕方がない。

 

―――む

 

一旦有利な状況を保つに見切りをつけて、自らが生み出した煙幕の中から山の方面へと飛び出すと、思い切り振り向く。竜の吐息によって山の上からこの場所まで障害物がなくなったのが幸いとなり、柳洞寺の方へと続く摩擦係数の少なそうな地面に沿って強化した視線をまっすぐ送ると、すぐさま彼女らの苦戦の様子が目に映った。

 

冬木の空を舞う巨大な竜が、その身に似合わぬ素早さをもってして、地面すれすれを滑空しては、不自然なほど滑らかな動きで再び宙へと舞い上がり、ダウン、スライド、アップ、の行動を繰り返している。巨体が赤の色を纏い力強く光の軌跡さまは、まるで夜空に指揮棒が三拍子のメトロノーム運動をしているかのような規則正しさがある。

 

やがてその軌道を追っていると、竜が一旦速度を急激に緩めて停止するポイントの前後に氷塊が生まれては、奴の生み出す竜巻によって砕かれ散るか、地上へと落下して、地面に突き刺さる光景が目に映る。突き立った氷柱は、炎熱を纏い奴の生み出す風圧にて竜がばらまく熱気にやられて、すぐさま溶けて小さくなってゆく。

 

私はその不自然な氷がスキルによって生み出されたものだということに気がつくと、彼らの狙いを看破してやる事ができた。

 

―――なるほど、炎熱の鎧を温度差と質量の槌で突き破る腹づもりか

 

セイバーという英霊を基にしているとはいえ、番人が生物である以上、先のような広範囲にわたって地面を削る威力の炎の息を吐くためには、それ相応の複雑な器官が体内に有り、また、体内のその部位は精密かつ、弱い構造をしている可能性が高い。

 

おそらく彼らは戦闘の最中そのことに気づき、その部位をどうにかして貫いてやればあの敵を倒せるとあたりをつけたのだろう。

 

「――――――!」

「ちっ、煙が晴れたか」

 

考察を重ねていると、背後より聞こえる威嚇の吠えに応じて即座に反転。飛びかかってくる奴らを思い切り蹴り飛ばすと、再び適当な場所に剣を差し込み、爆発させ、スペースを確保したのち、体を差し込んで、短い間の安全を確保する。

 

奴らがこの場所に押し寄せる前に、先程よりも高く宙へと飛び、津波の如き魔のモノ全体を俯瞰すると、すでに奴らは、柳洞寺のすぐ近くまで迫りつつある事がわかる。侵攻の境界線はジリジリ山の方へと押されつつあるが、未だに線を抜けて山へと向かうことは許していない事実だけが救いと言えるだろう。

 

―――もはや彼らだけに任せている時間はないか

 

とはいえ、援護に固有結界を使用して奴を巻き込むには射程が離れすぎている。弓にて宝具を射出してやるが最も効果的だろうが、あの高速で動き回る竜を仕留めるには、現状さっと思い付く手段では、不適当なものしか浮かばない。

 

「偽・螺旋剣」に「壊れた幻想」を併用してやればその動きを止められるかもしれないが、奴を仕留められるどの威力にするならば、爆発や宝具本来の威力で間違いなく味方も巻き込むだろう。かといって追尾機能のある「赤原猟犬」にて炎熱の鎧を貫いて竜を仕留めるには、威力を十分に発揮するだけの魔力を籠める時間が一秒程度では足りるまい。

 

加えて、巨体に殺意が迫った瞬間、攻撃の場所とタイミングを見通して回避をするあたり、どうも直感に優れているようであるし、よほど暗殺じみた一撃を飛び回る奴にめがけて放たねばならない。つまりは、射に集中する必要がある。

 

―――魔力を集め、集中し、宝具を放つという決定的な隙を、言峰が見逃すとは思えない

 

宝具というものが十全に威力を発揮するには、魔力を宝具にチャージした上で、宝具の真の名を呼ばねばならない。「壊れた幻想」を併用するなら、都合最低二、三度は、完全に竜の方へと意識を目の前の戦闘以外に集中する必要がある。そのような決定的な隙を、言峰綺礼という男が見逃すとは思えない。

 

己より優れた能力を持つ相手に勝利を収めるためには、相手の得意な土俵に上がらず、己の優位が確保できるまで待ちの姿勢を保つが良い事を知る奴は、その決定的な瞬間の訪れをどこかで伺っているに違いない。

 

奴は腐っても、元は神の教えに反する化け物の退治を専門とする代行者と呼ばれるエキスパート。化け物とは、人知を超えた、人間などよりはるかに身体能力を持つものが多い。奴は、己より身体能力が優れている者との戦い、殺す方法を熟知しているのだ。

 

さて、攻撃の下準備がいらない、隙を作らない程度の攻撃では竜を仕留められない。かといって隙を作ってしまうと、言峰綺礼により私が致命的な一撃を食らう可能性がある。死ぬ事に―――、今更恐怖など感じたりはしないが、これが聖杯戦争の再現であるというのなら、セイバーの代理たる竜を仕留め、直後に私が死ぬ事で、英霊の魂が七騎揃い、聖杯の完成に至るような事態だけは避けておきたい。もしやあるいは、それこそが奴の狙いかもしれない。

 

―――どうする

 

悩む間にも、敵の軍勢は波濤の如く山へと迫る魔のモノの大波は、微かな判断の時間すら私から奪って行く。やがてその波打ち際の境界線が、竜と彼らの元へと押し寄せるまでには、もうあまり時間が残されていない。

 

現時点における最優先事項は、魔のモノの封印。それさえ済めば、もしやその手先たる言峰や奴らもあるいは消えるやもしれない。ならば―――

 

―――己が身を削る判断無くして、この窮地を乗り越えることはできない

 

覚悟を決めると、私は弓を投影し、瞬時に剣を生み出すとともに、まずは第一射を山の方へと打ち出した。

 

 

サガの有効打を防がれて以降、ずっと竜の攻撃は続いている。奴は炎の吐息が無意味と悟った瞬間から、炎を吐息という攻撃手段を自ら封じて、巨体に見合った体力と頑丈さ、見合わぬ俊敏さを組み合わせての持久戦を選択した。

 

奴が翼をはためかせると、巨体を風の鎧が覆い、熱と竜の鱗の防御力に加わって、第三の鎧となる。直後、風圧とともに放たれる竜の体当たりは、吐息に劣らぬ威力の攻撃となり、私たちに襲いかかってくる。

 

「――――――!」

「させん! 」

 

それを防ぐはダリのスキル、パリングだ。パラディンの使用する物理攻撃遮断スキルは、彼のように極めれば、たとえ一撃の威力が大地を砕き、地面を十メートル以上削りとるような破壊の力であろうと数回なら防ぎきる効力を発揮する。

 

彼の盾の前に出現したスキルの光は、竜の体当たりやその余波にて生じる暴虐の威力を全て消滅させるが、だからといって竜の体が消え去るわけでも、飛んでくる岩の重さがずっと消えているわけではない。

 

やってくる攻撃を馬鹿正直に真正面から応対していたのでは、スキルの効力消失と同時に襲い掛かる敵の行動や物自体の重量によって、彼は潰されてしまう。だから逸らす。今ダリは、攻撃の瞬間、全ての敵の攻撃の方向を変えるためだけに、物理攻撃を完全防御するスキルを使用して敵の攻撃をいなし続けていた。

 

「――――――っ、あ、はぁ、はぁ……」

 

ただし、その、敵の攻撃の威力を完全に殺し切らず、なおかつ、味方に被害が出ないよう

見極めて防御スキルを使用するという、繊細かつ精密な作業は、その完全な安全の代価として、ダリの肉体はおろか、彼の精神に多大な負荷をかけるものとなる。

 

多少はピエールが歌スキルにて負荷を軽減し、疲労を起こして骨折や筋繊維がちぎれたり、内出血を起こした部位に、適切な量の薬を使用することによって、彼の体は常に万全の状態を保っているが、そんな無茶をすでに都合二十、彼は行なっている。

 

今、私たちは彼が己の役割を十全以上に果たし、神業に等しい絶技を連続して成功させるという綱渡りの上に無事でいるのに過ぎないのに、しかし守られている私たちは未だに敵を倒すための職業ごとの役割を果たせずにいた。

 

補助と指揮がメインのピエールは攻め手となってくれる誰かがいなければ、その実力を発揮しきれない。シンもエミヤもいない今、サガの錬金術スキルしか攻め手はないのだが―――

 

「ああ、もう、くそ、ちょこまかと動き回るんじゃねぇ! 」

 

彼の反射神経では、竜の動きに対応しきれず、この場において唯一奴に通用しうる氷の術式は当たらない。中には命中しそうになった攻撃もあるのだが、そんな時には、竜の翼が大きくはためき、風の竜巻にて氷の塊を打ち砕いてしまうため、彼の攻撃は未だに一撃たりとも当たっていないのである。

 

―――なら必要なのは、奴の動きをどうにか止めてやること

 

一瞬でもいい。体を張れば、四層の時のように、三竜相手でもなんとかなるかもしれない。

 

―――三竜

 

口の中に溶けて消えた言葉に、私は瞬間的に利き手の右が剣の柄を握った。シンの遺言通り、奴の体に彼の刀を突きたてろと、私の心が叫んでいる。同時に、左手がバッグの中へと突っ込まれていた。私の体が目的を果たすために、いつも通り道具を使って敵の動きを止めろといっているのだ。

 

―――フォーススキルを使えばあるいは……

 

「やめておきなさい」

 

どうにか足止めを、と思ったとした矢先、ピエールの声が耳に入り込んできて、私の行動を阻害した。

 

「糸も香も無駄です。あなたの道具は、先ほど風と熱に阻まれたばかりでしょう? 」

 

そうだ。糸も香も、質量が軽過ぎて、竜の風の鎧の前に吹き飛んでしまう。運良く風に乗ったとしても、熱が邪魔をして、その効力は全く発揮されないのだ。だからこそ、フォーススキルなら、と考えたわけだが、多分、彼のいう通り、風と熱の二重の守りをどうにかしなければ、無駄な行為に終わるだけだっただろう。

 

彼の指摘は、間違いなく正しい、冷静なものだ、しかし、この窮地の状況下において、ただ冷静なだけの正論は、追い込まれていた私にとっては、焦燥する精神を逆撫でる材料でしかなく、私は竜の攻撃が続く中、思わず激昂して叫んでしまった。

 

「じゃあどうすればいいんですか!?」

 

声に反応したわけではないだろうが、竜が体勢を立て直して、瞬時にこちらを向くと、翼を大きく上下に動かして推進力を生み出して、突撃をしてきた。

 

再びそれをダリが防ぐ。数回そんな動きを繰り返したのち、ようやく動きの法則性が読めたのだろう、サガが氷術を使用して軌道上に大氷塊を配置するも、するも、奴は急制動と風を利用して、その攻撃を回避する。空を切った氷の塊は、無念さを知らしめるかのように大きな音を立てて落下し、地面を揺らした。

 

「サガの術式も当たらないんですよ! ほら!」

「うるせぇ! 文句があるなら、まともな代案を出してみろってんだ! 」

 

ピエールの冷静な指摘に苛ついて半ばヤケクソ気味に叫ぶと、私の台詞は、その己の不甲斐なさを示す無情な結末に誰よりも苛ついていただろう、サガの心に突き刺さったのだろう。

 

私の感情に呼応したかのような、荒く短い返事がサガより返ってくる。いつもなら多少は効果の見込める回答をくれる彼が、今、たったそれだけ応答しかしてくれないという事実は、空中を飛び回る竜に氷の術式を当てようする彼が、いかに余裕のない状態であるかを克明に告げていた。

 

サガは再び、ダリが逸らした竜の体が向かう先に術式を発動させ、竜と同等の巨大な氷塊を作り出し、奴が持つ質量の暴力に対抗しようとした。先程よりも竜の体に近づいた氷は、瞬時に竜の生み出した風の集約した一撃―――すなわち竜巻に打ち砕かれて、あえなく破片と散る。

 

宙空に舞った氷片が、竜の撒き散らす炎熱にて一瞬キラリと光ったかと思うと、次の瞬間には蒸発させられて、夜空の藻屑と消え、サガは大きく罵声と奇声が入り混じった声を上げた。

 

「くそ、なんだ、あの回避は! あいつめ、事前にどこに氷を作るのか位置がわかってるような、未来予測じみた直感してやがる! 」

「落ち着け。当たらないのなら、大氷嵐の術式を本来の使い方で使用したらどうだ? あれなら攻撃の範囲が広いのだろう?」

 

興奮気味のサガに向かって、ダリが言う。私の時と同様に、苛立ちのままになにかを言い返そうとしたのだろうサガは、勢いよくダリの方を向くが、彼の全身が煤や土埃に汚れ、治療の際の煙が鎧の隙間から漏れているのを見て、口を開いたままの姿勢で一瞬止まった。

 

そしてサガは開いた口を閉じて、歯を強く噛み締めると喉元に出てきていたのだろう罵声を含む言葉を飲み込んで、火竜がダリの功績によって己の勢いにより空の上を滑空して遠くへ離れ、サガの放った氷の術式を打ち砕く為に翼の力を使ったが故に体勢を整えている最中で、今、討伐のための議論の猶予時間がある事を確かめると、多少思案し、言った。

 

「……たしかにそうすれば、氷は当たるかもしれない。上手くスキルを当ててやれば、スキルによって引き起こされる風が、やつの風と打ち消しあって、氷が奴の体に当たる可能性だってある」

「なら」

「けどだめだ。それじゃ奴の体を貫くほどのでかさの氷は作れねぇ」

「核熱は? あれなら防御も関係なく―――」

「それもだめだ。奴の動きが早過ぎて、絶対にあたらねぇ。あくまで、空中の移動を予測して、突然奴の進路上に不意打って出現させることができる氷の術式だからこそ、奴が風の鎧を解かざるを得ないくらい、つまりは緊急避難の状況にまで追い込めるんだ」

「なら、奴がこちらに突進してくる瞬間に核熱を合わせてやれば―――」

「上手く当たれば竜の体が爆発しながら迫ってくることになるな。仮に当たったとして巨大質量がものすごい勢いで風と熱を纏って突っ込んで来て爆発するわけだが、おまえ、爆発と物理の同時攻撃の影響、完全に防げんのかよ」

「フォーススキルで……」

「ほぉ、ついでに起こる酸欠と長時間の余熱も防げると?」

 

ダリはサガの返答に沈黙した。なるほど、打つ手がないというわけではない。けれど、現状、よくて全滅覚悟で相打ちに持ち込むことしかできないというわけだ。

 

「みんな死んじゃうんじゃあ、だめですね」

 

言うと、みんながこちらを見た。そうだ、全滅じゃあ、意味がない。それじゃあ、この宝石を使って魔のモノを封じることができない。それでは、エミヤと言う男の望みを叶えることができない。そうだ。私は絶対に、この宝石を使って魔のモノを―――あれ?

 

―――私、なんで、こんなに魔のモノを封じることに必死になっているんだろう?

 

「あ……、だって、それだと、魔のモノを封じて、赤死病を封じられないし、エミヤさん助けられないし……」

 

それは、誰に対しての説明だったのか、けれど自然と口から出た言葉に反応して、皆が反応を返してくれる。

 

「……そうだな。その通りだ」

「倒す、倒さないは別として、生きて帰らないと、この短い間に五層でたっぷりと味わった刺激が歌として残せませんからねぇ」

「ピエール、おまえ、そこは嘘でも、みんなのためにとか、エミヤ含めた全員で生きて帰りましょうとか言っておけよ……」

 

彼がいつもの調子に戻ったのを見て、少し嬉しくなる。これでいい。きっと、この空気が好きで、これの暖かさを失いたくないから、私はきっと、魔のモノを封じるのに必死なのだ。

 

「ええと、じゃあ、結局どうやって、あの竜を倒すのか―――」

「―――、――――――、――――――――――――!! 」

 

考えましょう、と、言おうとしたところで、安寧を咆哮が切り裂いた。咄嗟に反応して音の方を向くと、遂に空にて体勢を整えた竜が長いで天を仰いで、攻撃の準備が整った事を、正々堂々と告げていた。

 

「―――あ」

「やべえな。もう時間がねぇ」

 

この場所から円を描く様にして起こっている爆発に反応して、思わず竜の下に目をやれば、街の半分以上を覆い尽くす魔のモノの配下である黒い影が山のすぐ下にまで迫っているのが見えた。竜が生み出す風と吐息、そして侵攻を阻止する見覚えのある爆発がなければ、とっくにこの場所まで呑まれていた事だろう。

 

サガのいう通り、もう時間はない。早く突破口を見つけないと―――

 

「……え?」

 

迷っていると、竜の直下、台風の目となっているのか、無風である場所から暴風の中へと飛び出した銀色の光が、風の壁を突き破った直後、二キロはある距離から放物線を描きながら軽々と私たちの方へと飛んできて、そして斜めに地面へと突き刺さった。

 

「うぉ、なんだ」

「……剣? しかもなんだ、これは。随分とまあ―――」

「捩じくれてますねぇ。けれどなんだか、なんとも言えない厳かな雰囲気がある」

「あ、多分、これ、エミヤさんの「魔術」の剣ですよ。なんでも、二層の番人を仕留めるときに使った、自動で定めた敵を追っかける機能が付いているとかいう―――」

 

そこまで言って、はっと顔を上げた。剣の意図するところに気がついたのだ。すると皆も、同様に視線を地面と平行の位置に戻して、同様の顔を浮かべていた。

 

「―――どうやら彼は、今一番我々に欲しい援護をしてくれるらしい」

 

ダリが静かに言った言葉に一様に頷くと、私たちは全員で空を見上げる。そこには私たちを葬らんと、翼をはためかせて体を大きく上下に動かす竜の姿があった。そうして奴の胴体を包み込んで、なお余るほどの両翼を大きく広げる姿はとても威圧的だったけれど、不思議とその姿は、先程までよりも随分と小さなものに見えた。

 

 

竜がすぐ真上にいる。彼女の生み出す巨大な両翼は、直下除く周辺に凄まじい暴風を生み出し、私が方々に生み出していた爆発の煙を瞬時に払うと同時に、そこにいる全ての生物の動きを鈍らせる効果を持っていた。

 

かつてあの竜のモチーフであったセイバーという少女は、アーサー王を象徴する、有名すぎる聖剣「エクスカリバー」を隠すために、「風王結界」という風にて光の屈折率を曲げて姿を隠す鞘を刀身に纏わせながら戦っていた。今、竜は、まさにその秘された聖剣の様相を象徴するかのごとき有様だった。

 

先の動きから察するに、竜は彼女が持っていた未来予知じみた直感を持ち、一定以下の魔力攻撃をキャンセルするに似たような、一定以下の威力の攻撃を無効化する炎熱暴風の鎧を纏うと同時に、直情型の彼女と同じような直線的な性格をしていると見受けられる。

 

今、竜は、翼を以ってして己の周囲に張り巡らせていた風の鞘を、推進の力に変え敵を仕留めようと敵を真正面から堂々と叩き潰そうとしている。竜はその力の巨大さゆえに、そのネームバリューゆえに、注目されるのは当然である、と、己の力量を理解し、自信を持っているのだ。

 

しかし、目の前のことを解決するに懸命になるあまり、このように足元に蠢く弱者が目に入らなくなる事や、弱者が必死に罠を仕掛けているのに気づかないところまでそっくりだ。

 

―――おそらく、気配を消し、耐えている限り、彼女は私が攻撃するまで気づくまい

 

夜空に浮かぶ彼女が生み出す暴風は、味方であるはずの周囲に散らばる魔のモノ配下たちの進軍を阻止し、奴らはまるで彼女の発するカリスマにひれ伏したかのように、地面の密着を強いられている。

 

火竜が街中にまで威光を発する中、まるで彼女に付き従う円卓の臣下たちのように、その直下にて彼女の威と覇の恩恵を受ける私は、そんな彼女に背後から刃を突き立てるため、着々と準備を整える。

 

やがて敵元まで一直線に飛び、敵対者を仕留める準備が整ったのだろう彼女が、騎士が名乗りあげるかのごとく、天を仰いで己が誇りを雄叫びに乗せて叫んだ。

 

その隙をついて、頭上にてつんざく彼女の遠吠えに耳を潰されそうになりながらも、周囲の警戒を怠らないまま、宝具の外側だけを似せて作ったまさに贋作そのものと言える剣を、彼らの元へと射出する。風の壁を通り抜けた剣は、銃より打ち出した弾丸に似た軌跡を描きながら、そして柳洞寺の彼らの元へと着弾した。

 

彼ら―――、特に、私が二層にて使った宝具「赤原猟犬」の結果をスキルと勘違いし、魔術と明かしたのちは、宝具についての説明を食らいつくように聞いてきた彼女なら、意図に気づいてくれるだろう。

 

やがて竜が名乗りを終えて眼下の敵対者を睥睨する頃、私も攻撃の準備を整えて、宝具を生み出して、矢の先端を静かに、直上の竜と彼らがいる山の丁度中央あたりへと向けた。

 

皮肉にも、敵となった彼女が作り出す風の防壁に守られたこの時を最大のチャンスとして、目を閉じて完全に己の中の世界へと入り込む。弓の術において、的に当てるために必要なのは、意志だ。

 

的を見なくとも、心の中に当たるイメージを描くことさえできれば、放った矢は自ずと目的の場所へと到達する。必要なのは、常に必中するイメージ。先程までの戦いから算出したデータを頭に叩き込んで、寸分の狂いなく、宝具が、数秒後の未来において、竜の体に当たる事を想像する。

 

殺意を向けるは、数秒後の奴。未来予知じみた直感があろうと、竜は、今現在の己へと向けられていない殺意に気付けるはずもない。奴の動きに惑わされぬよう、閉じた視覚の代わりに、聴覚と触覚を過敏とする。

 

やがて肌が一層の風の強まりを感じ、風が周囲を壊す音が途切れたのが鼓膜にて感じた瞬間、その二つすら排除して、完全に己の世界に内没する。

 

「――――――!! 」

 

――――――咆哮とともに直進、――――――そこだ!

 

現実と想定がリンクする。奴の動きはどこまでも私の予想と同調していた。

 

―――喰らえ!

 

「赤原猟犬/フルンディング!」

 

未来の竜に向けて、矢を放つ。瞬間、前方に殺意を集中し直進した竜は、下方より放たれた、矮小ながらも、己の腹を割いて心臓を傷付けるに十分な威力を秘めた矢が迫ることに気がついた。突如として現れた伏兵の存在を視認した奴は、しかしすでに最大の加速を発揮し、刹那の間にも速度を上昇させ続けていて、自由な身動きは取れずにいる。

 

やがて私は、奴の進行方向に空気中の水分が凝結する予兆を見つけた。氷塊が生まれつつあるのだ。おそらく奴もそれに気がついたのだろう、高速で直進する奴の霞む顔に歪んだ表情が浮かぶのが見えた。

 

氷の術式と、私の宝具は、奴が完璧な対処を試みようとしたところで、確実にどちらかの刃にてダメージを負うように計算されている。おそらく奴は、それを直感したのだ

 

そうして意識を割いてしまったのも余計な工程で、奴の死期は益々近づいた。そのまま直進してくれると、氷が奴の頭を砕き、剣が奴の胸の心臓がありそうなあたりを貫くゆえに面倒がないのだが、当然奴は、抵抗の様子を見せた。

 

竜はすでに最高速に達して身動きが取れないという限られた状況において、その恵まれた身体能力を十分に発揮して、身を捩らせるバレルロールする事で、無理やり己の死の運命を強引に捩じ伏せようとした。

 

一秒を何分割もしてスローモーに切り取ったコマ割りの中、巨体の上部が数枚もフィルムを吹っ飛ばしたかのように、地面を向く。奴は滑らかかつ重厚ながらも、腹部側の柔らかさを感じさせる白い鱗でなく、赤く雄々しく硬度を主張する背の側で赤原猟犬の方を受ける道を選んだのだ。おそらくは背中側の方がより硬度が高いのだろう。

 

凄まじい速度で接近する剣といえど、その矮小さでは己の堅い鱗を貫くは叶うまいはしない、と判断しての選択だろう。竜の顔は不意打ちしか出来ぬ卑怯者の蛮族じみた攻撃などで、己の身の堅き部分を傷つける事など出来ないと言わんばかりの自信に満ちていた。

 

自ら身が傷つくことを厭わず、その場において被害を抑えるための最善の選択をとる。

 

―――そうだろう、己が民を愛し、信じ、しかし大を生かすために小を切り捨てる選択を迷わず行える君なら、そうしてくれると思っていたとも……!

 

だから、「赤腹猟犬/フルンディング」なのだ。はなから私は、大した魔力を込めていないこの剣の一撃で、奴を仕留められるなんて思っていない。これが仮に「偽・螺旋剣II/カラドボルグ」であっても、魔力の充填が十分でないその宝具は、せいぜいが鱗と肉を裂くくらいが関の山で、彼女の風と炎と鱗の三重に及ぶ守りを破り、その深奥まで到達できはしないはずだ。

 

つまりはどのみち、魔力というエネルギーの足りない宝具が、幻想種の頂点たる竜の鱗と肉、骨を貫けよう道理などない。精々、その薄い部分の皮膚を傷つけるのが精々だろう。そう。

 

―――例えば、その暴風を生み出す両翼の皮膜部分などの……だ!

 

「殺ったぞ……!」

「――――――!?」

 

赤原猟犬が当初の命令通り、奴の最も薄い守りの部分を貫く。いかに竜鱗とはいえ豪風を生み出すための部分はしなやかかつ柔らかでなければ自在に風を操れまいとの想像は、見事に予測通り的中した。

 

放たれた猟犬は竜の風生み出す翼布を往復すると、剣の残した残像が糸のように赤の尾を引いて両翼の間を往復し、美麗かつ荘厳な翼は、子供が塗った雑巾のように、見る間にみすぼらしくなってゆく。

 

狙い通りだった。もし、あの時点で竜の背中の鱗を傷つける程度には威力の高いカラドボルグを使用したのなら、竜は防御でなく、別の回避を試みたかもしれない。だからこそ私は、カラドボルグでなく、フルンディングを選択したのだ。

 

やがて己の体を制御する帆船の帆を失った竜は、自ら行った回転の勢いを止めることができずにきりもみしながら直進し、すぐさま氷の鋭角と激突した。

 

瞬間、光が発せられて、あたりを明るく照らした。予測していた私は、両腕を構えることにてそれを完全防御し、やがてすぐに光の幕が消え失せた後、竜の姿を確認すると、予想外の位置にて己の苦手とする属性を体で受けることとなった竜が、体内への異物の侵入を許してしまう光景を見た。

 

竜は信じがたい現実に、目を白黒させていた。その間にも氷は融解と蒸発を伴いながらも、固体の状態を保ち、体内への侵入を見事に果たして、傷口を抉ってゆく。やがてその透明な杭がその向こう側に、奴の心臓だか、炉心だかの内臓を映し出すほど侵入したのを見て、私は勝利を確信した。

 

―――よし……!

 

同時に、空中に突如として出現した大氷塊と背中側にて激突したことにより、竜の体は多少その勢いを落としたものの、それまでに秘めていた速度をほとんど緩めず、山に向かうのを見る。アハトアハトどころの騒ぎでない大質量の戦略兵器に等しき威力を秘めた体が彼らに迫るのを、しかし私は問題ないはずだと考えながらその行方を追っていた。

 

あれだけの巨大質量であるが、ヒュドラの巨大な頭部の一撃を受け止めて平然としていた、ダリの物理攻撃威力を完全に消滅させるというスキルなら、竜の体当たりにも同様に効果を発揮して、竜は彼らの手前で停止するだろうと、考えていた。しかし。

 

―――何……?

 

竜の巨体は私の予想と違う方向へと進路を変えて、柳洞寺の山門があった辺りの斜面に激突した。凄まじい勢いで土砂が掘削され、空中に飛び散る。竜との激突の折に生じた巨大な音は、竜の移動により遅れて生じた音速を超えた際の衝撃の破裂音と混じって、遥か昔に眠りについた深山の街を起こしてやろうとするかのように、重低音で街を包み込んだ。

 

体の芯まで震える音の衝撃は、内外より鼓膜を揺らして虐め、瞬間、私は身動きが取れなくなる。過振動を与えられた鼓膜は、一旦、全ての音を区別することができなくなる。無音の世界にて気を取り直し奴の方を見れば、竜は未だに勢いを止めることなく、土砂を巻き上げながら、地面に潜行する作業を続けている。

 

予想外の出来事に、多少ばかり焦りが生じた。竜の体が地面下を進む衝撃で、穴の真上にある柳洞寺の境内周囲が崩壊し、竜の開拓した進路を埋めてゆく。その勢いは止まらない。

 

―――いかん。生死がどうあれ、このままでは彼らは土崩の下に埋もれてしまう。

 

スキルの守りを考えるに、圧死はないだろうが、あのままでは窒息死してしまう可能性がある。さっさと掘り出してやらねばと考え一歩を踏みだすと、背筋に悪寒が走った。

 

「――――――っ! 」

 

飛び跳ねるようにしてその場を離脱。聴覚が潰されていたが故に、触覚が敏感に反応したのか、背後の空気が不自然に揺らぐのをしっかりと感じたのだ。体を捻りながら着地し、先程まで私がいた空間を見てやると、先ほどまでちょうど私の心臓があった辺りを、拳が侵食していた。伸びた腕を顔まで辿ってやれば、見覚えのある顔が渋面を作っている。

 

ようやく姿を表した仇敵を目にした途端、臨戦態勢へと移行する。双剣を投影すると、奴も呼応して周囲に魔のモノ配下を呼び寄せ、二十メートルほどの距離で、私たちは対峙した。

 

「まったく、彼らと同じ場所へと送ってやろうという親切心を無碍にするとはな」

「―――言峰綺礼……!」

 

不快な声が耳朶を打ち、機能を取り戻した鼓膜が声を処理して、脳裏に不愉快な言葉が聞こえてくる。奴の声に続けて、魔のモノの静かな唸り声が輪唱し、周囲の空間を悪意と殺意に満ちてゆく。

 

「やれやれ、セイバーと言うクラスは毎度のこと頼りないな。最優が聞いて呆れる」

「は、優秀な人材を適切に扱うならばそれ相応の実力が必要だからな。セイバーを頼りないと言うなら、それは純粋に、マスターに彼女と見合った実力がないと言う証拠だよ」

「――――――」

「――――――」

 

もはや返答はなかった。お返しとばかりに、奴から発せられる殺意の密度をましてゆく。周囲を取り囲み空気を侵食する息苦しささえ覚える意思を、不敗の意志にて迎撃してやると、彼我の間にある空気が軋み、悲鳴をあげて空間から正常の温度が逃げ出してゆく。

 

「―――」

「―――」

 

奴が片方の腕を天に向けた。応じて魔物の群れがいっせいに姿勢を低くする。奴らは自らたちを統率する指導者による攻撃命令を今かと待ちわびている。

 

「命ず―――」

 

敵対者が口を開く。

 

「全力で奴を殺せ!」

 

腕を振り下ろした直後、殺到した獣は瞬時に奴を埋め尽くすほどその側面と背後より現れて、前方の空間に殺到した。隊列の乱れなど気にしない、悪の獣の本性を曝け出したかのような荒々しい進軍に対応すべく、体より力を抜いて、激突の瞬間に備える。

 

そして。

 

「―――!? 」

 

剣を構え戦意を高めていた私は、気がつけば私は光の中に包み込まれていた。たっぷり十秒ほども続いたそれに私は一切の身動きを封じられて、気付いた時には、顔の前には地面が広がっていた。正面より倒れ伏したのだ。

 

―――何が……

 

状況を確認しようと立ち上がる行動の命令を腕脚に送るも、一つの指先すらまともに動いてくれない。それでも足掻くと、微かに顔面の筋肉だけが苦渋の形に動いた。口の端から土の煙が入り込んで、土の不愉快な苦味が口の中に広がる。

 

土食む不快さに、なんとか己はなんらかの攻撃によってやられたのだと言う現状を咀嚼すると、どうにか自在に動く眼球だけを動かしせめてもの状況把握に努めようとして―――

 

「ほう、やはり元英霊は頑丈だな」

「こ、……み……、き……」

 

髪を掴まれて動かない頭が前を向かされる。眼球が不愉快を体現する男の姿をとらえた。言い返してやろうとしたが、呂律が回らない。脳裏より送られる信号を体がまともに処理してくれていない。

 

「ああ、無理をしない方がいい。何せ貴様の体は今、その背面より背骨や内臓が露出するほど血肉が刮げ、消失しているのだからな」

「―――あ……」

 

言われて己の現状を正しく把握した。神経回路は異常を知らせる信号に占拠されてまともな命令を送ることを不可能とし、脳は全身から一方的に継続して送られる痛みの信号に許容できる処理範囲を超えてオーバーヒートを起こしていた。

 

今、その痛みを私が感じていないのは、そうして押し寄せる異常のシグナルを脳が正しく処理しきれないからだろう。言峰は私の現状を把握したのか、さも愉快と言う風に体を大きく揺らして、言葉にならない笑いを漏らした。

 

その振動は、奴がしっかりと握っている私の頭髪を通じて、瀕死の重傷を負った私の体を大きく揺らすことともなり、視界がガクガクと上下左右にブレた。抵抗しようにも、文句を言おうにも、体が動いてくれないので、私にできることはない。

 

やがてその動きが収まる頃、視界の中に、冬木の街が削れ、焼成され結晶化した部分が生じた地面を見て、私は己の身を襲った一撃がなんであるかを正しく理解した。

 

「か……りゅう、の……、と…………き、……か」

「その通りだとも」

 

エクスカリバーの一撃に等しい威力が無防備な所を直撃しても生き残れたのは、炎の加護を持つアクセサリーのお陰だろう。絶え絶えの言葉を耳聡く聞きつけた奴は、嬉々として私の答えを肯定する。

 

あの攻撃命令は、魔のモノに対してだけでなく、竜に対しての令呪がごとき指令でもあったのだ。眼前に大軍を用意し、濃密な殺気によって意識を集中させ、そして注意の薄れた背後より灼熱の一撃食らわせる。

 

そして己を呑み込む光の奔流が自らにもたらす威力と害は、魔のモノの軍勢を肉盾とする事で、熱も圧力をもシャットする。配下を、命を消耗品として扱うそのやり方は、なんとも悪を容認する奴らしくて、反吐が出そうだった。

 

「くくっ、良いざまだな、エミヤシロウ」

「……、はっ」

 

蔑む視線に、奴が大笑いした際、微かにだけ動く右腕を動かして人差し指と中指だけを立ててやる。先程まで戦っていたセイバーたる彼女に触発されてか、私がイギリスの弓兵式に挑発してやるも、言峰綺礼は無力化した男の向ける悪意など愉悦の糧にもならんといわんばかりに平然と受け流して、言った。

 

「おや、まだ動くか。では念のため、その行儀の悪い指を始末しておくとしよう」

「――――――っ」

 

迷いなく人差し指と中指が捩じ切られる。奴はそうして捩じ切った二本の細長いを地面に落とすと、その上めがけて勢いよく足を下ろして、震脚する。衝撃に体が揺れ、落ちた視線にてその黒の靴が上がった後を見ると、地面には、肉も骨も砕けて厚みを失った、かつて私の肉体だったかけらがめり込んでいた。これでもう弓は扱えない。

 

ついでと言わんばかりに、奴は五指残る左腕を思い切り踏みつけて骨と肉を砕き、抵抗の余力を削ぐと、言った。

 

「さて、では、貴様のお仲間が余計なことをしでかす前に、止めてやらねばな」

 

奴は、手中に握っていた私の頭髪を離し、自由落下を開始していた私の顎を蹴り抜く。顎下より凄まじい衝撃が頭部を支配し、視界が揺れたかと思うと、瞬時に刈り取られた意識は現実から乖離して、私は暗闇の中へと送り込まれることとなった。

 

第十五話 夜にある、それぞれの運命は

 

終了