うさヘルブログ

気持ちの整理のために開設。うさまるとデスヘルが好き。最近は、気持ちの整理とダイエット報告がメインになってきています。

世界樹の迷宮 ~ 長い凪の終わりに ~ 最終話 運命の夜を乗り越えて―――、 Fate root ending

最終話 運命の夜を乗り越えて―――

 

己と己の為した結果を受け入れろ。

それが過去を寄る辺として選択したお前に出来る、唯一の事だ。

 

 

―――So as I pray,Unlimited Blade Works/その体はきっと、無限の剣で出来ていた

 

詠唱を終えた途端、足元ではマグマ滾り、時折その熱を帯びた岩の塊が巨大氷塊と絶え間なく周囲に拡散する雷を伴って嵐とともに駆け回る、異臭に満ちた死の気配が荒々しく駆け巡る濃密な混沌とした閉鎖空間は、緋色に染まる天空の元、荒野に無数の剣が突き立つ光景が地平の彼方まで広がる動きのない世界へと書き換わる。

 

「―――!? ―――? ―――! ????」

 

そんな静寂の掟が支配する世界において、自らの身に何が起こったのか理解できない、と言った風に無秩序に全身を動かすのは、アンリマユと魔のモノが融合し、その影響を最も強く受けた部分―――すなわち、私の夢に現れた奴の本体である人間の脳の形をした化け物と、その微かな取り巻きである。

 

当初の予定では、奴をまるごとこの「無限の剣製」の世界に閉じ込めて殲滅する予定だったが、流石に世界を書き換える固有結界でも、許容することのできる大きさに限りがあったということだろうか。とはいえ

 

―――多少予定外ではあったが、敵の守りと力が予定より弱まったというのなら、こちらは彼女たちだけでもなんとかなるはずだ

 

固有結界の中に取り込めた彼らのうち、一名は英霊で、一名は優れた魔術師で、残る四名は竜すら打ち倒す一流の冒険者たちだ。彼らなら、弱体化した魔のモノなどに相手など負ける要素がありはしない。

 

また、外にて魔のモノの残り部分と対峙する彼らだって、いずれもが名高き英雄。その安否を心配するだけ、寧ろ彼らにとっては侮辱とも言える行為といえるだろう。おそらく、結界を解いて現実世界に戻ってやれば、あの喧しいやりとりを見せてくれるに違いない。

 

「――――――!」

「お前の相手はこの私だ!」

「援護します、セイバーさん!」

 

外の世界に思いを馳せていると、魔のモノの声なき咆哮と、騎士王、響の声が交差し、戦端が開かれたのが理解できた。彼女らがこちらに気を使ってくれたのだろう、激しい攻防が繰り広げられる戦場は徐々に離れてゆく。

 

 

「お前の相手はこの私だ!」

 

暴れ出そうとする敵へと迷わず刃を向けて叫び注意をひいたセイバーさんは、金色のきめ細やかな髪、中性的ながらも整っている顔と、小さな体のどこから周囲を脅す威圧を発しているのか、一声の挑発にて敵の視線を釘付けにすることに成功する。

 

「援護します、セイバーさん!」

 

声をかけると、私もダマスカス製の剣を構えた。この世界の景色と似た色合いをした剣は、力を発揮する瞬間を喜んでいるかのように、周囲の光を反射してキラリと周囲に赤金色の光をばら撒いた。

 

「あれだけのデカブツ相手ですと、やはりまずは行動速度をあげるのが重要ですかねぇ」

 

続けて飛び出していた同じくピエールが、「韋駄天の舞曲」を奏でると、スタッカートの多いテンポの良い音楽が戦場に鳴り響き、私たちの神経系を強化する。

 

「―――これは……」

「速度を上げました。時間の制約はありますけれど、ピエールの歌は味方の身体能力を向上させるんです! 」

「なるほど」

 

説明を聞いたセイバーさんはまっすぐ前を見据え直すと、剣を上段に大きく振りかぶって巨大な敵へと迷わず切りかかった。彼女の私と同じくらい小さな体が流星のように、蒼と金の尾を引きながら魔のものへと突撃する。凄まじい踏み込みと、裂帛の気迫。それを。

 

「――――――!! 」

「ちっ、浅いか」

 

魔のモノは自分の本体を狙ったその攻撃を、敵と自分の間に巨大な触手を挟み込むことで防御を試みた。触手の大きさは人を十人くらい束ねてもまだあまりあるくらい太い。とっさの抵抗に、けどセイバーさんは見事に反応して、彼女は剣の一撃を振り下ろし、それは触手の表面を深々と切り裂いた。直後。

 

―――死ね

 

「うぁっ―――!!」

 

触手の傷口から飛び出した黒い闇を見た瞬間、重圧が頭に入り込んでくる。目元から入り込んだ他人を憎む心、許せないと気持ち、どうにかして排除したいと願う思いは、私の頭と心の全ての部分に枝葉を伸ばして、全てを塗り潰そうと侵食する。

 

「う……、あ……」

 

寒い。体がガタガタと震えだす。盆地にあり、石と漆喰の町であるエトリアは、冬も盛りな時期に吹雪くと家中の水が凍りつくほど冷え込むが、この感覚はまさに街中へ裸で放り出されたような感覚だった。

 

「ヒビキ、大丈夫ですか?」

「セイバー、さん」

 

体の中から湧き出てくる悪寒に膝をつき、体を抱え込んでどうにか極寒の痛みに耐えていると、戻ってきていたセイバーさんが傍に寄り添い、手を肩に当てて言葉をかけてくれる。

 

「気をしっかり。確かにあの悪意は凄まじいが、あれは以前のように世界の全てを呪い殺せるような濃密さを持たない。そう、あれは単なる残り香にすぎないのです」

「は……、い」

「なるほど、では次はあの呪いを鎮める曲へと移行しましょうか」

 

いつのまにか私の傍にやってきていたピエールは、弦を揺らすと今度は喉元の声と組み合わせて、重厚な曲調の音楽を響かせる。その心休まる音色を聞けば、体のどんな異常もすぐに治ってしまうそれは、「破邪の鎮魂曲」と呼ばれる、バードのスキルだ。

 

「あ……」

 

曲の効果はすぐに発揮されて、暖かな音色に包まれた私の体は熱を取り戻す。

 

「―――見事です、楽師。貴方が戦場にて奏でる音色は、体に入り込んだ余計な物を除外し、確かに行動速度を上昇させる効果がある」

「お褒めに預かり光栄です、セイバーさん。……ところで、貴方、そうして褒める態度、随分と様になっていますが、もしや元は、どこかの国の高貴なお方で? 」

「その上慧眼だ。その通り。私は元ブリテンという国を王として収めたこともある」

「ああ、通りで威厳があるはずだ」

「貴公はやはり見る目がある。この外見に惑わされず正しい判断を下す人間は久しぶりだ」

「おい、呑気に話している場合か! 」

 

叫び声に反応してダリの方を向くと、セイバーさんより遅れて前に飛び出ていた彼は、体を傷つけられた魔のモノが攻撃の繰り出した第二の触手の攻撃を盾とスキルで防いでいるところだった。

 

「そうそう、積もる話は後々! こんなデカブツさっさと片付けて、遅れてきたエミヤの出番がなかった、なんてことにしてやろうぜ! ―――おら、くらえ、核熱の術式!」

 

ダリの背中より飛び出したサガは、展開していた籠手に蓄えていたエネルギーを解放し、光を触手の根元付近へと直撃させる。触れたモノの組成を変化させ爆発のエネルギーとするえげつない術式は、大樹の根元のようなふとい腕元にて大爆発を引き起こすと、ぶちぶちと耳障りのよくない音が聞こえ、大地をゆるがす音が固有結界の中に響き渡る。

 

「―――よっしゃぁ! ざまみろ、デカブツ!」

 

そして核熱の術式が生んだ煙の晴れた後、触手が脳みそと離れ、根元より千切れて大地に転がっているのを見て、サガは殊更喜んでみせた。

 

「へ、同じデカブツでも、でかいだけでのろま魔物なんざ、さっきのでかい火竜に比べりゃなんてことないぜ! 」

「サガ……、お前はほんと、こういう巨大な敵の時、いきなり攻撃的になるなぁ」

 

……よくわからないが、なにやら言葉の端々から多分に怨念のようなものを感じる。ダリの態度とサガの言動から察するに、多分サガは、相手が巨大である場合は、とても感情的になって、積極的に攻勢に出るタイプであるようだった。思い返せば、この迷宮の四層でヒュドラを相手にした時や、ついさっき火竜と戦った時も、そんな態度だった気がする。

 

「でかいだけからって偉いわけじゃねぇ! 小さくとも重要なのは、なにができるかだ!」

「その通りです。サガと言いましたか。貴方は物の道理というものが良くわかっている」

「な、そうだよな!」

「―――はぁ……」

 

セイバーさんが今度はサガと謎の意気投合を見せたところで、ダリが大きくかぶりを振って、諦観のため息を吐いた。なんというか、先ほどまでの緊張感が嘘のようだった。

 

「はいはい、あんた達がすごいのはわかったから、今は戦闘に集中なさい」

 

そんな二人に嗜める言葉をかけたのは、凛という女性だ。黒髪の綺麗な髪を流したスタイルのいい美人さんは、その年若い見た目に似合わない色香というものを所作の端々からにじみ出させていて、同性である私ですら、ドキッとしてしまう妖艶さがあった。

 

「ノリ悪いなー、沢山ある触手のうち、二本しかないデカブツの片方をやっつけたんだぜ? どう見てもあれが主力武器だろうし、これで戦力も半減したってもんだろ―」

「……あれで?」

 

凛さんは、気楽なサガの言葉に冷たい一言とともに魔のモノの体を指差す。サガが振り向き、つられて私もその方を見ると、ちぎり落とされた腕の断面から黒い汚泥をダラダラと垂らす魔のモノは、その脳みその本体が震えたかと思うと、脳の切れ込みに沿って盛り上がっている肉の、その全部の部分が破裂寸前にまで膨れ上がり、変形し、変色して、新たな姿を取って行く。

 

「――――――…………」

 

その変貌の、あまりの惨たらしさと醜悪さに絶句。やがて脳はさらなる変形を見せると、脳の中心にあった単眼の両脇に、二つの眼球を伴った肉の塊を生やした。その肉塊はやがて顔面となり、そしてその顔面の脇が盛り上がって肩となり、さらに肩の下の部分からは先ほどのものよりも太い新たな触手が日本、腕のように生えてきた。

 

そんな変態を見てあっけにとられていると、変化の際にグラグラとしていた全身がいつのまにか安定していることに気がつく。そしてその巨大な体の下半身へと目線を移せば、移動に適していなかった脳幹部分は、ダンゴムシのような甲殻類の体へと変化して、安定性を増していた。

 

しかしそれでもまだ体のバランスが上手く取りきれず、上半身がグラグラとすることが気に食わなかったのか、頭の上―――というより、脳の上から生えた二本の肉塊頭部の下に二本の、これまた大きな触手を生やして、それを地面の上に置いて、支えとした。

 

するとそこで奴の体はピタリと止まる。変態した体の真ん中にある単眼の瞼が細められたかと思うと、パチパチと瞬きをして、体全体と触手を蠢かせる。どうやらようやく重心の安定する姿勢がとれる体になれて、ご満悦のようだった。

 

「なんだよそれ、インチキだ!」

「アンリマユと魔のモノじゃあややこしいし……、迷宮の主人だから、ダンジョンマスター……じゃ、ちょっとカッコよすぎるか。―――フォレストセル……、っていうのはまた違う奴の名前だし……」

 

叫ぶサガを無視して、凛さんはブツブツとつぶやいている。どうやら変態を遂げた奴の名前を考えるのに夢中のようだ。これだけの出来事が起こっているのにもかかわらず、まるで無視してそれを考えられるあたり、彼女はその細身に似合わないほど強靭な心臓をしているらしい。

 

「悪魔の星喰……見た目的に悪食の虫……拝火教だから、始原の悪魔、魔神……うーん、ピンとこないわねぇ」

 

凛さんが首を傾げている間、変化させた体の調子を探っていたのか、体全体を奇妙に蠢かせていた魔のモノは、突如としてその動きを止めると、次の瞬間、その動作からは先ほどまでの不自然さはなっていて、一転して滑らかなものへとなっていた。

 

「リン、それはまた後で考えればいいではないですか。そろそろ奴が動きそうだ」

「だめよ、名前っていうのは大切だわ。あいつがずっとあの状態であるならいいけど、またアンリマユとか魔のモノに戻ったり、別の形態になった時、混乱しないように固有名称をつけておかないと……―――そうだ、セイバー、じゃあ、あなたが直感で決めちゃって頂戴」

「―――私が……、ですか?」

「ええ。あなた、直感に長けているでしょ? ならそれに任せちゃえばいいかなって思って」

「了解です―――――――――、ではオミニス・デモン……というのはいかがでしょうか?」

「日本風にいうなら、禍ツ神ってとこかしら。昏い地の底に潜む禍ツ神、オミニス・デモ―――、ん、それらしいじゃない」

「それは良かった―――来ます!」

 

「――――――!」

 

セイバーさんの忠告とともに、奴の口が雄叫びをあげ、そして頭上に脳の端々から漏れ出した黒い汚泥の塊が集まり、球体をいくつも形作って行く。途端、背筋を通り全身に広がる悪寒。寒いを通り越して灼熱とすら感じるようになったそれは、明らかにその球体を体と頭が感じ取ったが所以のものだった。

 

―――あれはまずい

 

「セイバー、見てわかると思うけど、あれはアンリマユの呪いを濃縮させた塊よ。食らったら一たまりもないわ。―――だから全部残らずぶっ飛ばしちゃって頂戴。魔力の心配はしなくていいから」

「ええ、勿論です、凛。あのような汚泥の一雫たりとも貴方には触れさせやしません」

「いい返事」

 

微笑む凛さんをみると、彼女は手のひらに乗せて、なお、あまりあるサイズのとてつもなく巨大なダイヤモンドをいつのまにか持っていた。周囲の光を反射して万華鏡のような七色の光をばらまく光具合から、多分は人口じゃなくて天然の宝石なのだと思い浮かぶ。

 

しかし、妙だ。その見たこともない大きさの宝石を私はどこかでも見たことがある。あれは確か―――、あ。

 

冒険者ギルドの転職石?」

「あら、惜しい」

 

私の言葉に、凛さんは笑って手のひらで宝石を転がしながら言う。

 

「まぁ、あれもこれも宝石剣を作成する際に出来たプロトタイプの転用品だから、間違えてもしょうがないんだけれどね。―――これはね。遠い昔に第二魔法に挑んだ際、その機能の一部だけを再現した、特殊な宝石なの。違う世界への扉を開けることは叶わなかったけれど、大きなオドを集めて蓄積する機能と、それをマナ化して使用者の体に還元して、無限の運用を可能にする機能を備え付けてある。近場に霊脈があるならその性能はダンチよ」

「第二魔法……、オド……、マナ……、霊脈? あの、それって……?」

「ああ、ごめん。そりゃ専門用語ばっかりでわからないか。えーっと、ま、要するに」

 

凛さんは目線をセイバーさんの方へと向ける。すると彼女は、両手に固く握りしめた剣を、今まさに振り下ろさんとしているところだった。

 

「エクス―――カリバー!」

「あんな感じの一撃を何発撃っても大丈夫にする道具ってことよ」

 

 

「―――人の心の中なのだから、少しは手加減してほしいものだがね」

 

遠目に見ると、サガの一撃により巻き上がった爆発にて魔のモノが押され、少し仰け反って後退したのがわかる。戦場が遠ざかりつつある中、そちらへと向かう凛と目があった。何がそんなに嬉しいのか、戦場に似つかわしくない穏やかな笑みを浮かべた彼女はこちらへ軽く手を振ると、どこからともなく取り出したダイヤモンドを片手に苛烈な戦線へと身を投じてゆく。

 

「―――知識として貴様がこの魔術を納めていることは知っていたが、実際目にするとなんとも胸打つ光景だな」

 

溢れる清香に満ちた雰囲気をぶち壊した男は、あたりを見渡すとそんなことを言って一つ息を吐いた。その所作からは、それが珍しく奴の本心からの言葉である事がうかがえた。

 

「貴様が私を賞賛するなどとは珍しい。明日の天気は雹や雷でも―――ああ、それですでに結果外の環境は、ああも秩序なく壊れていたのか」

ギルガメッシュが貴様をフェイカーと称して嫌った理由がよくわかる。盗人猛々しいというか、なるほど、恥ずかしげもなくこうまで堂々と他人の成果をさも己のモノであるかのようにひけらかされると、関係なくとも無性に腹がたつ」

「投影は模造品を作る技術。所詮はコピーにすぎん。剣の持つ機能と機能を持たせるに至った理念を横取りして、手柄を誇るつもりは、ない。ただ、そういった過去の人たちが残した武器を収集し、何を思って彼らがこれらの剣を作り上げたか。先人たちの思いを読み取り、形として残し、誰かに語ることもできるこの魔術、私も最近ようやく存外に嫌いでは―――いや、誇らしく思えるようになくなってきたよ」

 

言って我が心象風景を見渡す。決して夜の闇に呑まれてたまるものかと夕暮れを保つ空の下、一つのことを極めるために他の全ては要らぬと捨て去る覚悟を表す荒野に突き立つ剣の群れは、己の存在価値を製作者に認められたことを喜ぶかのように刀身に秘められた力を発揮する瞬間を、柄を天に向けて、今か今かと待ちわびている。

 

そんな彼らの間を縫って吹く風は、剣に秘められた熱量の余波は受けて、心地よい微熱を伴い、体をくすぐって通り抜けて行く。そして地平線まで駆け抜けた瑞風は、遠く空の彼方で動く歯車すら滑らかに動かす動力源になるのだろう。

 

光景は自らの歪みを表すとともに、自ら自身の象徴でもある。そして私は光景に、自らの歪みを思い出して、そして、それとともに奴の歪みに気がついた。

 

―――ああ、そうだ

 

「他人とは違い生まれがはっきりとせず、はじめの記憶が地獄の光景であったためか考え方が異質で、正義の味方になりたいと言ってもまともに受け取ってもらえず、他人の助けになりたいと走り回っても、返ってくるのは大抵、罵声と徒労感のみ。そんなことを繰り返して、繰り返して、繰り返すうちに、骨の髄まで他人に理解を求めない姿勢が身についていた。なるほど、理解されないはずだ。なにせはなから相手に理解を求めていないのだから」

「―――何を」

 

先ほどの問答に答えてやろうと考え、はじめた語りに奴は狼狽えた様子を見せた。一歩踏み出して少し奴へと歩み寄ると、奴は一歩後ろへと下がる。また一歩を踏み出せば、奴も再び一歩下がる。そうだ。その態度。やはり奴も私と同じだったのだ。

 

「価値観の違いとは恐ろしいものだ。特に私や貴様のように、信じた価値観に殉じて生涯を投げ出すような男が、しかしやがてそんなもの、世間にとって全く無意味でどうでも良いものだったのだと知った時、そんな無価値なものに己の生涯を費やしたという事実が耐え難くなって、過去の自分を消し去ってでも、無くしたくなる。あるいは、理解をしない人間のことなど、どうでもよくなる」

「―――やめろ」

 

一歩近づく。一歩遠のく。まっすぐ奴の顔を見据えると、常に人を見下すような視線は何処へやら、その目には、多分に戸惑いと怯えの成分が混じっていた。間違いない。奴は己の嗜好が他人に理解されず受け入れられないことを憤っていながら、しかし同時に、他人に理解されることを望み、それでいて、他人に理解されることを恐れている。

 

「貴様は言ったな。『なぜ私が許容されず、お前が許容されるのか』と。おそらくそれは当然の帰結だったのだ。確かに我々の理念は他人には理解され辛いものだろう。なぜなら、私の、自らよりも他者の救いを優先するという歪みも、貴様の、他者の醜いとおもう出来事を美しく思うという嗜好も、通常、一般の人が持ち得ぬものであるからだ」

「――――――」

 

一歩近づく。一歩遠のく。そう、これは傷の切開だ。心で膿んで触れて欲しくない部分を探り当て、切りつけ、悪いモノを摘出し、治療する。本来なら奴の得意分野であるそれを、今、私は、言峰綺礼という男に対して仕掛けている。

 

「しかし私はそれでも周りに主張し続け、貴様はどこまでも隠し続けた。私が平然とそれの主張をしても迫害されなかったのは、ある意味で当然といえるだろう。なぜなら、私の主張は人間が唱える最も尊き理想に近いものだ。だが貴様の嗜好は、違う。それは、人間たちが嫌う、一般には嫌悪の対象となるものなのだから」

「――――――」

 

一歩近づく。一歩遠のく。こちらと彼方の物理的な距離は変わらない。だが、互いの心の距離は、間違いなく近づいているとおもった。なぜならあの男は否定をしない。少しでも隙を見せれば言葉を用いて煙に巻く事を得意とする男が、肯定もせず否定もしないのは、私の話していることに一定の納得を得ている証拠であると、私は確信する。

 

「それがこの結果だ。主張し続けた結果、私は私の意見と考えに同調する仲間を得て、果ては彼らに救いを齎された。人と世界が私の理想とする世界へと近づいたから、おそらく私は世界から許容を得た。起こった出来事は奇跡だったかもしれない。でも、この結果は、奇跡なんてものじゃあないんだ。ただ、必死に己の主義を周りに主張して、ぶつけ合って、過程で積み重ねてきた結果が、こうして奇跡のような出来事が起こってくれた、と。ただ、それだけのことなんだ」

 

一歩近づく。奴が足を止めた。だから私も足を止める。視線を一瞬だけ足元へと送ってから、再び奴の顔面の方へと戻すと、先ほどまでずっと見据えていた奴の顔に浮かんでいた、奴に似合わない弱い感情の成分はどこか旅へと出かけたようで、仏頂面が戻ってきていた。

 

奴の左右を彷徨っていた視線はまっすぐこちらを見据え、眼前にいる合わせ鏡の存在を睨め付ける。それは、なんとも奴らしい、相手の言い分を理解し、しかし相手の存在は受け入れられぬという、受容と拒絶に満ちた眼光だった。

 

それでいい。私と貴様の関係はそうでなくてはならない。

 

とはいえ、貴様は貴様で、表立って述べた結論と積み重ねた結果が記録として残ったが故、同調する者が現れた。魔のモノだ。貴様にとっては、それこそが救いだったのだろう。だからこそ、蘇生させられた貴様は、奴の復活のために動いていた」

「―――そうだ。魔のモノ。人類からそう呼ばれ、悪魔と嫌われていた奴は、しかし奴だけは歪んだ嗜好を持つ私の事を必要とし、受容した。奴は私以上に人類の醜い部分を必要とし、そして求めていた。だからこそ私は、同士である奴のために尽力しようと思ったのだ」

 

奴は吹っ切れた顔で口角を上げ、三日月の笑みを見せる。自信に満ちた顔は、常ごろ奴が見せるものとまるで変わらないものへと変化していた。

 

「―――ふん、曝け出して積み重ねた結果、か。なるほどそういえば、貴様は初対面の頃から臆面もなく正義の味方になりたいなどという恥ずかしい妄想を口にしていたな」

「若さ故の暴走……、と言いってやりたいが、再びそれを目指しだした今、もはやそれを妄想だの空想だのと言ってはいられん。―――そうだ。私は正義の味方になる事を目指している。そして、そんな己の望みのために、悪の容認者である貴様を排除しようと考えている」

「そうか。奇遇だな。私も己と、そして私を救い―――、そして今やアンリマユに呑み込まれてしまった魔のモノの末期の願いを叶えるために、貴様とその仲間たちを殺して、せめてその目的を達成してやろうかと考えていたところだ」

「そうか―――」

「そうだ―――」

 

一歩近づかれる。一歩近づく。赤土が風に舞い上がり、私と奴の間を吹き抜ける。奴が拳を握り、身を構える。私が双剣を手中に収め、全身の力をほどよくに抜いた、両腕をだらりと下ろした戦闘態勢へと移行する。

 

「――――――」

「――――――」

 

奴の足裏が、じり、と地面を擦り、私も呼応して半歩を踏み出す。もはや激突は寸前だ。あと一つ、何か合図があれば、その時点で我らは―――

 

「――――――!!」

「エクス―――カリバー! 」

 

固有結界の中で眩い光が我らを包み込んだ瞬間、互いが詰めていた距離は瞬時に零となり、雌雄を決する時が幕を開けた。

 

 

「まずは小手調べといこうか」

 

言峰綺礼という男は、平時においては他人を見下す言動や他人の嫌がる事を喜ぶ思想をするわり、こと戦闘においては驚くほど実直、かつ堅実に、強靭な鍛錬と単純思考での戦闘を好む傾向にある。

 

戦闘においての己を勝利に導くための基本は、相手の土俵に上がらず、相手が嫌がる事を続け、己の有利を保ち続けることにある。となれば、それこそ言峰綺礼という男の本領発揮の分野であり、魔のモノとの連携を断たれていようが、アンリマユや魔のモノを無理やり利用するよう立ち回れるだろうに、奴はその己の有利を捨て、愚直なまでに体術を用いての近接戦闘を選択した。

 

始めの一撃はあまりにも正当な、一路冲捶。八極の基本である飛び込みの歩法にて、言峰は奴の体が私の剣の間合いに入る直前、膝を曲げ、身を沈めた体制から、一気に丹田に込めた力を解放し、左半身を前に突き出した。たった体に力を溜め込む余裕など数瞬の間しかなかっただろうに、踏み出す足と突き出された拳に込められた力は相当なもので、その一撃は以前校舎にて戦った時よりも数段早いものだった。

 

耳障りな風切り音を立てるその拳の初速と加速度は、大砲の発射を思わせ、なるほど、初見ならば、相手が英霊であっても有効打になり得えるかもしれない。おそらく、魔のモノがアンリマユに呑み込まれた際、しかし魔のモノの体もパワーアップを果たし、その恩恵を魔のモノの眷属化していた奴も受けたのだろうと推測。だが。

 

「ぬるいな」

「ちっ……」

 

迷わず左腕の剣にて切り上げて奴の左拳の進行方向に合わせ、同時に震脚を行った左足めがけて右手の剣を投擲し、その進路を塞いでやる。八極の拳にて重要なのは、手と足の一致である。おそらく拳の動きだけならば奴もそのまま攻め入り、勁を当てるための別の動作へと移行する予定だったのだろうが、足の動きを殺されては、八極の真髄は発揮できない。

 

言峰は、舌打ち一つすると、しかしすぐさま半身を捻らせ左足を剣の軌道上から外してやると、多少体の速度を落とすと同時に左腕を下げて、変則型の攔捶へと移行。肘を打ち出すのではなく開いた掌を下に差し出す姿勢は、おそらくこちらの左腕を捉えて拳と拳の超近接戦闘へと持ち込む腹だろう。

 

―――ならば

 

左腕の切り上げる動作をそのまま変更させず、投擲作業を行った右腕を目隠しにして、こっそりと右半身を下げた体勢へと移行したのち、奴の腕が私の腕を掴むタイミングで、右足を奴の死角から背後めがけて打ち出した。

 

「それは悪手だ」

「ぬ……」

 

それをいつの間にやら前方へと持ってきてあった右腕を用いて膝に微かな力を込めて私の力をいなし、私は体勢を崩される。その隙を見逃さず、奴は防御の動作により巨体が縮こまった勢いと体勢を利用して、右半身を前に押し出し、右腕にて私の顎下を狙ってくる。

 

蹴りをいなされ、左腕を掴まれ、死に体となっている所へと繰り出される一撃は、通常の人間ならば避けられようもないのだろうが、あいにく私は通常の範疇に収まらない、魔術師であり、元英霊という存在である。

 

「――――――」

「―――ちぃっ!」

 

奴の拳が私の顎へと叩き込まれる寸前、私の無抵抗から異変を感じ取ったのか、奴は攻撃のために踏み出そうとしていた右足が地に着いた瞬間、そこに秘められていた力を全て後方への跳躍のために使用し、奴と私の間合いは大きく開く。

 

「惜しいな、気づかれたか」

「そういえば、貴様の戦いは正々堂々が理念でなく、隙を作り、相手を騙すが、戦闘手法を基本とするのであったか―――」

 

憎々しげに奴が注ぐのは、私の眼前にある空間―――の、その前に置かれた、虚空より突如出現した一つの剣にであった。その剣の名前は、「薄緑」。奇しくも、この世界でそう名付けられた、番人の体を加工して作られた、刀身が薄く、触れただけで接触したものを切り裂く、とても切れ味の良い剣である。

 

そんな殺傷力を秘めたとは思えない、ガラスのごとき薄い緑色の刀身は、役目を果たせず出鼻をくじかれて、残念そうに落下して地面へと刀身を隠してしまう。

 

「なるほど、ここは貴様の世界。虚空より剣を取り出すことは容易いということか」

「その通り。だから言峰綺礼。もし貴様が私にその拳を届かせたいというのであれば―――」

 

私は腕を振り上げる。途端、地面に突き立つ剣は揃って宙へと浮き上がり、その鋭い切っ先を奴の体へと向けた。

 

「まずはこの弾幕を捌いてからということになる」

 

振り下ろすとともに言峰の体へと殺到する剣群。

 

「――――――おぉぉぉぉぉぉ!! 」

 

吠える言峰は、体捌きと強化した体を存分に動かし、前進を放棄し、回避と防御の専念を選択した。

 

―――まずはこれで体力を削る

 

先ほどの手合わせで確信した。奴は能力が私より劣るとはいえ、やはり油断ならない技量の持ち主だ。まともに正面からぶつかってはやられる可能性もある。ここは一つ、仕切り直して敵の戦力を削るが上策というものだ。

 

 

「下がれ下がれ! またあの黒い煙と粉が飛んできたぞ! 」

「黒い泥と奴の太い腕が邪魔で、短時間の照射ではエクスカリバーの光でも本体まで届かないか……!」

 

ダリの警告に、セイバーさんが攻撃を中断し、全員が揃って闇を撒き散らすオミニス・デモンから距離を取る。もうこれで都合三回ほどセイバーさんは、奴目掛けて黄金の光をオミニス・デモンに放っているが、敵のあまりにも巨大な触手腕と、奴の作り出す濃密な闇に拒まれて、未だにその堅牢な守りを貫くことが出来ていないのだ。

 

勿論、千の魔物を一蹴することができるセイバーさんの「エクスカリバー」を喰らった奴も、無傷というわけにはいかず、彼女の攻撃が奴の撒き散らす闇の粉に中断させられたのち、光の中より現れる時は腕がボロボロの状態であるのだが―――

 

「おい、また腕が再生し始めてるぞ!」

 

光の奔流の中から姿を現した奴の半分ほども削れた太い腕が、見る間に肉が盛り上がり回復するのを見てサガが悲鳴を上げた。そう、これだ。セイバーさんの攻撃によって削れた奴の体は、すぐさま再生してしまうので、攻撃がまるで無意味に終わってしまうのだ。

 

もちろんセイバーさんも、なるべくなら続けて奴にあの光の攻撃をしようと、剣を構えているわけだが―――

 

「今度は炎か……! みんな私の背後に! ファイアガード!」

 

姿を現した途端、間髪入れずに周囲に散らばった暗黒の粉が灼熱へと変化して、周囲を獄炎の渦中へとすり替える。見切ったダリがスキルにてそれを防ぐ。セイバーさんの放つものとば別種の、白く眩い光に染まる視界。

 

光の奔流は火竜の吐息よりもさらに強大で、目を開けていると潰れそうな程の光が一瞬あたりを包み込む。唯一幸いなのは、瞬間的に周囲の酸素を奪い尽くして攻撃が一瞬で終わってくれることだろうか。

 

やがてその一瞬の攻撃が収まると、空気の空白地帯となったその場所に、私たちのいたダリのスキル範囲内部より酸素を含む空気がなだれ込んで、乱雑に風が吹き荒れる。

 

暴風が収まり、こちらの体制が整う頃には―――

 

「―――再生速度が速過ぎる! キリがねぇ!」

「奴の撒く粉も、炎、氷、雷に変化するとはまた多芸ですねぇ」

「言ってる場合か! 連続して来るぞ! 今度は頭だ!」

 

現れる万全の状態の敵。しかもそうして奴が攻撃する間にも、奴はすでに別の部位による攻撃の準備を終えていて、連続してこちらを襲うのだ。

 

「またなんかやばそうな力があいつの前に集まってんだけどぉ!? 」

「完全防御の札はもう切ってしまった……! セイバー、君の剣であの力の塊を消し飛ばせないか!? 」

「ええ、やってみましょう! エクス―――カリバー!」

 

そしてオムニス・デモンが放つ闇色の光球とセイバーさんの光線は激突し、力の相殺は黒白を周囲に撒き散らしながら拮抗。

 

「あ、―――あぁぁぁぁぁ!」

 

セイバーさんが吠える。剣より放たれる光の勢いが増し、そして拮抗状態は崩れ、奴の力は掻き消され、体は再び黄金の光に飲み込まれるが―――

 

「―――ダメだ! また、粉が散った! 来るぞ、退け、セイバー! 」

「―――っ、了解……!」

 

これでまた盤面が最初に戻ってしまう。一旦引く最中、やはり再生する奴の腕。そして。

 

「今度は氷か! フリーズガード! 」

 

黒い粉は、今度は触れたもの全てを凍らせる魔性の氷粉となり、赤土と剣の大地を白く染め上げる。こちらの攻撃は先ほどの炎のそれと違い、一瞬で効果が切れた後、大地が凍りついている以外に大した影響はなく、視界を遮るものもない。また、敵が攻撃の準備を整えていないこともあり、絶好の攻撃チャンスに思えるのだが―――

 

「これなら……! エクス―――」

「―――! だめ、やめなさい、セイバー!」

 

そして隙を晒す奴の触手腕のうち、自らの体を支える前方の二本の腕が黒く染まりつつあるのをみて、凛さんがセイバーさんの行動をやめさせた。

 

「リン!? 何故ですか!? 」

「奴がまた腕に高密度の呪詛を纏ったわ。さっきサガの術式のダメージを反射したあれよ」

「―――っ、くっ! 」

 

一見無防備に見えるそれは、奴の罠なのだ。オムニス・デモンは、自らの仕掛けにこちらがのらないことを確認するとその呪いの守護を解き、再生し終わった肩の方から生えた二本腕を大きく振り上げて、こちら目掛けて振り下ろす。

 

「核熱の術式! 」

エクスカリバー! 」

 

二つの触手目掛けて放たれる錬金術師最大の術式と、セイバーさんの剣の光。それらの力の奔流が触手を削り、千切り、砕き、撃ち落とすその隙を狙い、敵は再び力を収束して、暗黒の球体を己の頭前に作り上げる。

 

「セイバー! 落ちてくる触手は私がなんとかする! 君はあれの対処を! 」

「了解です!」

 

そして繰り返される、拮抗、打破、撤退。そして。

 

「また粉だ! 」

「今度は雷か! 」

 

また、拮抗。

 

「らちがあかないわね……」

 

ダリの守護の中、状況を端的に言い表した凛さんは、舌打ちをして爪を噛んだ。

 

「地の利を活かすことができればもっと楽に戦えるんでしょうけど……」

 

周囲を見渡した凛さんは、そして視線を、オムニス・デモンからもう一つの戦場、エミヤさんと言峰の決闘の方へと送る。彼らは今―――

 

 

「これだけやってもまだ耐えるか……!」

「あいにく耐え忍ぶは神の使徒たる我らの得意技でな……。耐えられない試練を神は与えず、必ず何処かに脱出の道が用意されているものだ」

「減らず口を……!」

 

吐き捨てるが、服の端々が破け、身体中のあちこち出血があり、満身創痍な状態ながらも、殺到する剣の嵐に己の心技体を行使して耐える言峰の姿は、確かに与えられた試練を耐える敬虔な信者のそれに見えなくもない。

 

奴は今、私が全力で打ち出している、全方位からの剣の射出攻撃に致命の一撃を受けずに耐えている。つまり、少しでも剣林の弾雨の手を抜けば、この拮抗状態が破られてしまう可能性は高い。

 

刃の檻の中でただひたすら耐える奴の未だに暗い光の宿る眼光を見れば、奴は私の隙を見せた途端、なにかを仕掛けようとしているのは明らかだった。だから一切の手を抜けない。

 

―――安全を優先するあまり、勝負どころを見誤ったか……

 

魔のモノとアンリマユの力により己を強化した言峰は、予想以上にこちらの攻撃に耐え、喰らいついてくる。予定では早々因縁に終止符を打ち、彼女たちと合流するつもりだったのだが、奴との決着がつくまでには、まだ時間がかかりそうだ。

 

 

「―――どうやら当分、援護は期待できそうにないわね」

「れ、冷静ですね……」

「泣いて喚いて事態が解決するんなら、アカデミー賞を狙えるくらいの演技をして見せてもいいんだけどね。慌てたところで一銭の得にもなりゃしないもの」

「はぁ……」

 

相変わらずわからない単語が飛び出すけれど、確かにその通りだ。

 

「とりあえず、手持ちのカードを確認するとしますか。手すきは―――、貴女と私くらいか」

「ええ……、まぁ……」

 

セイバーさんは攻撃。ダリが防御。サガは二人の手伝いで、ピエールが補助。近づく余裕がまるでないため、あのデカブツ相手に道具を使って援護をする余地はない私と、セイバーさんに対する魔力の補給やスキル使用の精神力補充のために控えている凛さんだけが、ほとんどダリの後ろを移動するだけの状態になっている。

 

「ああもう、そう落ち込まないの。以前聞いたけれど、貴女、ツールマスターなんでしょ? なら道具を使っての作業が本分。戦闘の面で本職に劣ったところで恥じることはないわ。―――貴女は貴女にできることをすればいい。」

「―――はい」

「よろしい……、で早速なんだけど、貴女、手持ちの道具を見せてもらえないかしら」

「あ、はい。……どうぞ」

「ありがとう」

 

凛さんの要請に応じて道具を詰めたバッグを渡すと、彼女は中の物色を始めた。

 

「うーん、やっぱり食料と補助と回復系の道具しかないかー……、転移系の道具があれば、ワンチャン、あのデカブツのすぐ近くにセイバーをすっ飛ばせればなんとかできると思ったんだけどなー」

「あ、あの、凛さん、その……すみません。私たち追放された身分なので……」

「ああ、そういやそうだったわね。―――あと、凛でいいわ。あっちもセイバーで。堅苦しいの嫌いなのよ、私」

「あ、はい、わかりました。―――凛」

「ん、よろしく、響」

 

挨拶をすませると彼女は器用にもダリの後ろに張り付きながら、再び道具鞄を漁り出す。

 

「うーん、アムリタ系と状態異常系が多いわね……。香を組み合わせて毒にしても回り切る前に回復されそうだし、即効性も足りないだろうし……、せめて絶耐ミストか、起動符か、明滅弾でもあれば、使い方次第で一瞬くらい足止めに使えたんだけど……」

「ダリとサガとピエールがいるから、基本的に攻撃、防御、戦闘補助系の道具は持ってきてないんです。どちらかというと、回復と、瞬間火力を上げる薬と、継戦を保つための道具くらいで―――」

「ま、パラディンアルケミスト、バードがメンツであればそうなるか。それでアタッカーは、アーチャーってわけかしら―――、ん? 響、あんた、それ、なに? 」

「え?」

 

凛の指摘に自分の手元を見ると、上でもらったシンの遺体から見つかったという宝石を持っていることに気がついた。トゲトゲとした外観のそれを無意識のうちに取り出して弄っていたのは、自分の気持ちを落ち着けるのに彼の力を借りようとしたためだろうか。

 

「ふぅん……、ねぇ、響。ちょっーと、それ、見せてもらっていい」

「―――どうしてですか?」

「ちょっと、なによ、怖い顔しちゃって―――珍しいものだからね。ねぇ、貴女、それがなんだか知ってる?」

「いえ……、凛さ……、凛は知っているんですか?」

「ええ。見せてくれたら教えてあげる」

 

言われて渋々とそれを彼女に手渡すと、彼女はその宝石を受け取るや、なんらかのスキルを発動させよう力を込めて、しかし何も起こらない。

 

「あれ、おかしいわね……」

「凛、一体、貴女は何をしようとしたのですか?」

「この石はね。魔物や人のスキルを閉じ込めた魔術書/グリモアって言うアイテムなのよ。装備していれば、身体能力が上がったり、スキルが使えるようになったりするの。だから、魔術回路を改造しちゃって殆どの魔術が使えない、スキルも基本的なものしか使えなくなってる私でもこの石があれば使えるようになる……、はず、なんだけど。でも変ね……。これ、なんか変な制限がかかってて……」

「制限?」

「うーん、なんか、こう、ロックっていうか、違和感っていうか……、ねぇ、響。貴女、これどこで手に入れたのかしら?」

「―――それは」

 

シンが。あの人が。死んだあの人の中から―――

 

「―――OK、わかったわ、響。言わなくていいわ。その顔でだいたい事情は読めたから。―――なるほど、じゃあ、多分そうなのかもね。―――、はい、返すわ」

「え? 」

グリモア、多分、貴女か、貴女の仲間たちなら使えると思うわ、それ。石を体の延長線上にあるものと考えて、集中してみて頂戴。そうすれば石に秘められている力がわかるわ」

「わかりました」

 

凛の言う通り、両手でグリモアを抱え込んで、意識を集中する。溶け込んでいく心。石の中に秘められた想い。グリモアは、ただ一つの願いを果たして欲しいとの願いが、彼の体の鍛え上げられた想いとともに、抽出され、こぼれ落ちたモノだった。

 

「―――シン」

 

彼の純粋な願いが胸を打つ。これはあっさりと逝った彼が残した無念の結晶と言えるだろう。いや、無念ではない、希望だ。これは私たちに、私に、彼が残した最後の希望。

 

「凛」

「ん?」

「私、この状況をなんとかできるかもしれません」

「―――へぇ」

 

面白がりながらも真剣味を秘めた声。私は彼女にこのグリモアの効果を説明し、思いついた戦術を話すと、彼女は感心して頷いて、その案を受け入れた。

 

 

「セイバー! 」

「凛!? 危険です! 今の貴女は前線に出てくるべきでは―――」

「いいから聞きなさい! 頃合いを見計らって、響がオムニス・デモンに隙を作るわ! その隙を狙って貴女の宝具を叩き込んでやって頂戴! 」

「響が―――、わかりました」

「あとは……、そこの錬金術師! サガとか言ったわね!」

「ああ、なんだ! 」

「聞いてたわね? 響が今からあれをなんとかするから、セイバーに続いて、でかいのをぶっ放してちょうだい! 」

「―――ああ、わかったよ! 」

 

セイバーとサガが承諾の返事を返したのをみて、私は上段に構える。まだ完全には馴染まない構えだけれど、彼のことをずっと追いかけてきた私は、彼の剣を使いこなそうと鍛錬を重ねてきた私は、グリモアのおかげもあってか、今まででいちばんの出来に体を構えることができた。

 

戦況を見極める。目の前で戦闘中のみんなは、私たちが相談する前や間、ずっと最初の頃と変わらない行動を順番に繰り返している。狙うのは―――きた!

 

「氷か! という事は……」

「またあのでかいのがくるぞ!」

 

オムニス・デモンの脳の上にある二つの頭の前では、再び暗黒の呪いの濃縮が行われていた。この距離からあれを防ぐ手段は、セイバーの「エクスカリバー」のみ。しかしそれを防御に使うと、威力が相殺された上、再び奴が回復する時間を稼がれてしまうのだ。

 

「させません! 」

 

でも、逆に言えば、その発射を阻止してやることできれば、セイバーのエクスカリバーの威力を全て攻撃に回した上で、攻撃をすることのできるチャンスになる。だからそこに目をつけたのだ。

 

剣を握る手に力が入る。目の前にいるのは、これ以上ないほどの強敵。あれを思えば、先ほど戦った三流のうちの一つ、「偉大なる火竜」ですら、前座にすぎなかった。きっと彼の分身であるこの石は、そのことを感じ取っていたからこそ、あの時はなんの反応も見せなかったのだ。

 

いつだか彼は言っていた。この剣を三竜に突き立てて欲しいと。それほどの強敵にこの剣と自分の技が通用するか確かめたかったと。そう、全てはこの時、この瞬間のために。今後きっと二度と現れることもないだろう強敵にこの一撃を叩き込むために、この石と、彼のこの剣は存在したのだ!

 

―――止まっているデカブツ相手になら、私でも……!

 

「イグザート・アビリティ!」

 

ツールマスターとしての力を最大限に発揮して、フォーススキルを使用する。力を全て引き出されたグリモアは、その水色の身の内側から眩いばかりの光を放つと、私の体に彼のスキルの力を漲らせる。全身を駆け巡る力は力強く、感じた懐かしい暖かさは寂しかった心を満たして、涙がこぼれ落ちた。

 

柄を握りしめていた手が緩む。過度な緊張は万全の一撃を放つに不要だと、彼の意思が教えてくれる。脱力を。あと少しの間だけ、私の全てを彼がくれる感覚に全て委ねる。数秒。たったそれだけの間持ってくれれば、そのあと私はどうなっても構わない。

 

敵の球体が最大限に達している。もはや発射される寸前だ。このタイミング。狙うのならば、敵が攻撃をするその直前。敵の両肩の一対の頭が揺らぐ。敵の動きが手に取るようにわかる。狙うのなら―――――――――、今!

 

「『一閃!』 」

 

彼の奥義の名を叫ぶ。驚愕の視線を感じた。果たしてサガか、ダリか、ピエールか、あるいはその全てなのか。振り下ろした刃は虚空を切り裂き、オムニス・デモン全ての首と触手の後ろに空間の亀裂を生み、薄っすら赤銅色混じった白色の刃が現れた。

 

奴らの太い首や腕を一太刀で刎ねることが可能なほど巨大な刃はすぐさま目の前の獲物に食らいつくと、体内へと侵入し、その内部を断通するやがて刃が断通する。刃の入り口と通り道と出口に沿って、赤い筋が走った。

 

やがて両断され、自重を支えきれなくなった細胞は、切り離された肉体へと手を差し伸べるのをやめて、見捨てられた肉体は重力に負けて地面へと滑り落ちて行く。見事な切れ味。当然だ。

 

このグリモアという石に秘められているのは彼の技術の全てであり、それを私がツールマスターとしての力全てを以ってして完全に引き出したのだ。このような些事、こなせない筈がない。

 

そしてその直後、予想通り制御部位であったのだろう二つの頭部の神経系が断絶されたことにより、オムニス・デモンの体中央部分の単眼の前で濃縮されていた闇の塊は、濃縮されていた闇の球体の滑らかな表面が大きく波打ったかと思うと、暴発。

 

生まれ出た火と熱の勢いが、切り落とされたことにより現れた断面を焼き、焦がし、熱処理して行く。同時に爆発の勢いによってやつの体は大きく振動し、今しがた断った部位が奴の体と離れる速度が加速した。これで回復能力もある程度阻害できるはずだ。

 

「――――――!? ―――? ―――、!!!?」

 

確信が事実へと移り変わった頃、一方で奴は何が起こったのか理解することができず、戸惑ってばかりいるようだった。熱に脳中心にある単眼の表面を焼かれたデモンは、瞼らしき機構をぱちぱちと瞬きさせながら、状況の把握に必死に努めている。

 

「サガ! セイバー! 」

「―――おっしゃ、任せろ!」

「ええ、あとは私たちが! 」

 

待ってましたとばかりに二人が返事が返ってくる。

 

「これで閉幕です! カーテンコールはいりませんよ! 」

 

そしてピエールがフォーススキル「最終決戦の軍歌」を歌う。勇ましい曲調の音色が周囲に響き渡り、二人の能力を最大限にまで引き上げる。

 

サガは籠手に限界まで溜め込まれていた力の、早くこの狭苦しい所から己を解放しろとの訴えに応じて、スキルの名を叫ぶ。セイバーも上段に構えていた剣の柄を握る両手に力を込めると、流麗な動作で剣を敵めがけて振り下ろし、そして宝具の名を叫んだ。

 

「超核熱の術式! 」

「約束された勝利の剣/エクスカリバー!」

 

黄金の光は未だ空中に残る闇の残滓をかき消しながら、敵の無防備となった単眼に直撃する。混乱する奴の眼へと突き刺さった光は、瞬時に剥き出しの後頭部へ突き抜けて、脳みその中央部分に大きな穴を開けた。

 

遅れてサガの奥義が脳の下部に直撃。甲殻類の脚が生えた敵の体に当たった組成変換の術式は、即座にその体組織を爆発のための力と書き換えるための力として転換すると、連鎖は倍々に加速度を増して消滅と爆発を繰り返す。

 

やがてその余波はセイバーの剣によってばら撒かれた肉片にも影響を与え、敵の体はカケラも残さず黄金の中へと消えてゆく。やがて彼女の放つ光が収まり、光の影響が完全に消え去ること、茜色の空の下に広がる赤色の地面の上には、今姿命を散らせた敵の死を悼むかのように、剣が墓標として大地につきたつ光景だけが広がっていた。

 

 

「敗れたか」

 

そんなセリフが剣雨を通り抜けて聞こえたかと思うと、言峰は静かに抵抗のために動かしていた全身から力を抜いた。自然、抗いをやめた奴の全身を剣が貫く。あまりの予想外に、私が剣の雨を止めることができたのは、奴の体の半分ほどが剣によって吹き飛ばされた後だった。

 

腕はちぎれ、内臓の代わりに鉄が配備され、頭にも剣が突き立っている。数百の剣をその一身に浴びながら、心臓と脳の重要部分を避けていたのが、ある意味では奇跡だと思った。もはや自らの足ではなく、剣によって支えられた体であるにもかかわらず、奴は静かに瞑目して、笑みをたたえている。

 

「―――なぜだ」

 

結果、敵を倒したというのに、思わず奴の行為に問いかける言葉が出た。あんな死に体になったのだ。こんな問答にもはや無意味であると言うことは、その所業をなした己が誰よりも一番理解していた。

 

問いかけに奴の体がほんの少しだけ揺れた。微かに漏れる呼気から、それが今の奴にできる精一杯の笑いの仕草であると言うことに気づいたのは、奴がまだ剣が刺さっておらず自由に動かせる首を持ち上げてこちらに笑いかけたのを見た瞬間だった。

 

「満足したからさ」

 

それはあまりにも、言峰綺礼らしくない言葉だった。だがその一言は私に奴の心情を理解させるのに十分なものであった。

 

「一つ、忠告しておいてやろう」

 

険しい顔に柔らかな笑みを浮かべていた神父は、一転して常の奴らしい他人を馬鹿にするような見下す視線をこちらに向けて、語りかけてくる。ただ、そうして向けられる常の笑みは、あまりにも弱々しく、私は無言を保つことしかできなかった。

 

「魔のモノの意思が完全に殺され、負の感情を収集する力が弱まるだろう今後、おそらく、世は荒れる。また、アンリマユという悪神が召喚されたこの世界、この空間に散ったとはいえ、魔のモノの体に残った悪の概念は、霊脈を伝って、世界に散らばった可能性が高い。すると人の心には悪心が戻り、以前のような争いに満ちた世界になるだろう。喜ぶがいい、エミヤシロウ。そうなれば、世界には、再び貴様のような正義の味方を必要とする時代が到来する事となる」

「なっ……」

 

奴が述べた内容は、私を戸惑い驚愕させるのに十分な重みを持っていた。滑稽にも足踏みし、体を仰け反らせた様を見て、奴は嬉しそうに笑い、しかしすぐさま顔を顰めた。つまらない、とそんな感情を露わにする奴の顔には、寂寞の感情もが浮かび上がっていた。

 

自分の言動に私が動揺し、みっともない姿を見て多少の愉悦の元としたが、胸に到来した感情の成分が思ったよりも自らの心を揺らすことがなく、落胆した、という感じだろうか。それだけではあの寂の表情の説明はつかないのだけれども、ともあれ。

 

「貴様、それを知りながら、なぜ諦めた。貴様のそれが真実であるというのならば、いつの日か、世に再びアンリマユや魔のモノが降臨する可能性があるということだろう」

「それは私の知る彼とアンリマユではない。彼らは先程貴様らに殺されたのだ。どれだけガワを整えて再び召喚しようが、それは地続きでない。その時点でよく似ているだけの他人に過ぎない。―――そんなこと、元は英霊であった貴様が、最もよく知っていることだろう」

「―――」

 

つまりは何か。この男は、そんな、人間らしい感傷ために、目の前にいる憎き不倶戴天の私との戦いを止め、命を放棄したと言うのか。

 

「魔のモノという理解者を得て、アンリマユの誕生を祝福することができた。できればその後彼らの交わりから何が生まれるかを見たかったが、もはやそれは叶いそうにない。それにもう、私を、私のまま必要とする者がいなくなったのだ。生のままの私の本質を知り、それでも誰かに必要とされる。否定のない完全な許容。これほどの悦楽を知ってしまった今、この醜い世界において、それ以上のものはもはや手に入るまい。最高を知った今、残る人生などすべて灰色の世界に過ぎない。だから、もう、未練はない」

 

虚言と真実を誤魔化す奴の口から零れ落ちた言葉は、驚くほど虚飾がない。長き奇妙な旅路の果てに、ようやく得た伴侶を失った悪の容認者は、なんとも人間らしい感傷に包み込まれ、死を望んでいた。否、奴がかつて信じた神の言葉を借りるなら、言峰綺礼という男もまた、ただ己の心地よき居場所を求めて彷徨う子羊に過ぎなかったのだ。

 

もはや話すべきこともなくなったのだろう奴は、ただ悠然と死の訪れがやってくるのを待っている。荒野にて全身を剣にて貫かれ、故に倒れることすら出来ず磔にされている奴は、まるで十字架を背負った殉教者のようにも見えた。

 

何もせずとも奴は近いうちに死ぬ。だが、仮にも魔のモノという相手と繋がりあった体は、放置しておくと、再び奴をこの世に引き戻しかねない。それは私として望まぬことであり、そして、もはやこの世に未練のなくなったやつにとっても望ましいことでないだろう。

 

介錯をしてやる」

 

述べて私はやつにとって親しみ深いだろう剣を取り出した。取り出した折には柄しか存在しなかったそれは、魔力を込めるとうっすらとした刀身を生み、十字架を模した剣となる。「黒鍵」と呼ばれるそれは、人間以外の摂理を持つ相手の体に叩き込むことで、自然法則に則った元の肉体に洗礼し直す効果を持った、「摂理の鍵」だ。

 

「それが真に効力を発揮するのは、信仰心ある洗礼を受けた信徒が化け物相手に振るった時のみ。貴様のような信心とは対極にある男が振るったところで、なんの効果も発揮せぬだろうよ―――つまりは、余計なお世話だ」

 

自らにとって馴染み深い剣を持ち出された奴は、しっかりと私の思い遣りを笑いつけると、しかし、言葉とは裏腹に、動かぬ体を無理やり稼働させて、自らの胸を前に差し出した。

 

魔のモノと別れ、人として死ぬ。それはおそらく、奴なりの魔のモノという理解者に対する別離の思いと人としての矜持が齎した選択であった。生き汚なさとは程遠い態度は、私に奴の真意を汲み取らせて、私は手に持った刃を振り上げる。

 

「そうか―――ならば望み通りに」

 

剣を奴の体に振り下ろすと、するり、と驚くほど抵抗なく吸い込まれた。それは投影した剣自体が持つ信心深き信徒に対する憐れみだったのだろう、あるべきところへと収まった十字架は、奴の言った言葉とは裏腹に、すぐさま効力を発揮して、奴の体に全体に光の亀裂を走らせる。

 

―――We therefore commit his body to the ground.earth to earth,ashes to ashes,dust to dust./今こそその屍を地に委ね、人を地に返そう。土は土に。灰は灰に。塵は塵に。

 

「―――Amen」

 

魔のものとの繋がりを断たれた言峰綺礼は最後に一言、祈りの言葉を述べると、摂理の鍵により人へと戻った奴は、灰となって散ってゆく。突き刺さった剣が落ちた場所に積もった奴の灰は、土と交わることなく、風に消えず、その場に白い山を作った。

 

やがて固有結界を解除した際、灰は土に還り、塵は天へと登るだろう。奴が行く先に永遠の安息があるなどとは到底思えないが、行先は少なくとも、奴が醜いと断ずる此処や我々が今生きる世界よりは、奴にとって落ち着く世界に違いない。

 

 

「アーチャー! 」

「凛か」

 

真っ先に近寄ってきた彼女の名を呼ぶと、凛はすぐそばにある小山を少しばかり悲しそうに一瞥すると、かぶりを振って私の方を向いた。

 

「―――決着、キチンとつけられたのね? 」

「ああ。まぁ、奴の勝ち逃げのようなところもあったがな」

「そう。綺礼らしいわね」

「たしかに」

 

苦笑し合っていると、ドタドタと近寄る足音が空気を切り裂いた。

 

「そっちもやったのか、エミヤ! 」

「これで一件落着というわけか」

 

サガとダリは互いの顔を見合わせると、破顔して手を叩き合う。続けて差し出された二つそれぞれの手を礼儀として叩いてやると、彼らの喜び具合を表すかのように乾いた大きな音が固有結界内に響く。そこでようやく、全てが終わったのだ、という実感が湧いてきて、肩から力が抜けて行くのを感じた。

 

ダリとサガの二人は、セイバーへと礼を言い、ピエールを抱きかかえ、響を巻き込み、互いの健闘を称えあっている。魔のモノとアンリマユの融合体という、途方も無い敵との戦いが、終わってみれば被害ゼロであった結末というのは、出来過ぎているといえば出来過ぎているが、たまにはこう言った終わりも良いだろうと思う。

 

上を向くと、重く深いため息が自然と口から漏れ出た。背負いこんでいたものすべてが固有結界の中の空気に吐き出され、しかしこれでは心に溜め込んだままではないかと、他愛もない考えがうかぶ。

 

「―――お喜びのところ悪いが、そろそろこの結界を解除しても大丈夫だろうか? 」

 

水を差すと、一同は今、自分たちが何処であるかを思い出したのだろう、それぞれに頷いた。

 

「ではお言葉に甘えて」

 

全員の納得を得られた私は、早速結界の解除を試み―――

 

「―――って、ちょっと待って、アーチャー! 貴方、ここが何処か忘れたの!?」

「―――あ」

 

凜によって不注意を指摘された直後、結界が解除され、元々の世界に戻った我らは、魔のモノという巨大な地面を完全に失って、眼下に広がるマグマの直上に投げ出された。空気に存在する微かな微粒子ではもちろん我らが重力に引き寄せられて落ちるのを阻害することはできず、我々は揃ってのフリーフォールを開始する。ちなみに言峰綺礼だった灰はすでに風に煽られ、拡散の真っ最中だ。

 

「うそだろ!?」

「つ、掴めるものは―――」

「いやぁ、こんな間抜けな理由での死に様は予想できていませんでしたねぇ……」

「落ち着いて言ってる場合ですか!?」

「しまったな……、凛のうっかりが移ったか」

「何ですって!? 元はと言えば忠告したのにアンタが勝手に消すから―――」

「リン! 言ってる場合ではありません! 今はこの状況をなんとかしないと! 」

 

悲鳴に抵抗、呑気に怒号、冷静に金切り声に指摘。さまざまな声が入り混じりながら、一秒ごとに高度は下がってゆく。多少失念していたが、まぁ、私の投影で適当に鎖と台を設置すれば問題あるまい。

 

「トレース―――」

「あなた達は何やっているのかしら?」

 

オン、と呪文をいいかけた直前、体が空中に固定される。落下の最中唐突起こった停止によって、それまでに生じていた衝撃が体に加わった。思わず呻き声が出そうになるのを、なんとか堪えてやると、我々の眼前にこの現象を引き起こした主人が姿を表した。

 

「アーチャー、貴方、この中では最も判断に富むと思っていたけれど、思ったより考えなしの馬鹿なのね」

「返す言葉もない。いや、助かったよ、キャスター」

「ま、忠告を素直に受け取って礼を言うところだけは、美徳といったところかしら」

「キャ、キャスター! なぜ私だけ―――」

 

呆れ顔の彼女と言葉を交わすと、セイバーただ一人が彼女の魔術の恩恵を受けれずに未だに落下を続けていた。キャスターは、「あ」、と声を漏らすと、憎々しげに言い放つ。

 

「これだから魔力耐性が高い奴は嫌いなのよねぇ……」

「ああ、君の魔術を行動阻害と判断して彼女の対魔力の特性がかき消してしまったのか」

「いってる場合ですかぁぁぁ―――、早くなんとかしてくださいぃぃぃぃ―――」

 

声は凄まじい勢いで小さくなってゆく。とはいっても魔力を用いての救助手段を持たないキャスターに出来る事はなく、彼女は困った様子で己の顔に手を当てて、首をひねった。私は慌てて鎖のついた杭剣を投影すると、眼下めがけて投擲した。

 

「そら、これに掴まれ!」

「―――アーチャー、感謝します! 」

 

思い切り力を込めての投擲は、すぐさま彼女の落下速度を上回る。そして横までやってきた鎖を掴むと、彼女は何があろうと離すまいと言わんばかりに、片手で力強く鎖を握りしめた。直後。

 

「―――ぬおっ」

 

肩が引っこ抜けるかと言う衝撃。鎧を纏い、剣を握った筋肉質の彼女は、その小柄な外見とは裏腹に思いのほかの重量があって、私は思わず呻き声を上げた。

 

「た、助かった……」

「……それは、……よかった。……ところでキャスター。……物は相談なんだが、……早く私たちを岸まで運んで貰えないだろうか……」

「……ぷっ」

 

懇願に、あははははは、と、キャスターは体にゆったりと纏ったローブを大きく揺らしながら、高らかに笑い声をあげる。よほどツボにはまったのか、腹を抱えて大きく身を揺らしながら笑う彼女は、しかし緩やかに宙に浮いた私たちを移動させくれる。

 

余計なことに気を取られながらもきちんとした魔術操作が行えるあたり、やはり彼女は一流の魔術師なのだ。そして。

 

「お、おい、もう地面の上だぞ」

「随分と高いところまできましたねぇ」

 

マグマの広がる光景ではなくなったにもかかわらず、我々は彼女の魔術から解放して貰えていなかった。唯一、私の鎖に捕まっていたセイバーだけは、地上に降り立って、キャスターと、彼女に運ばれる我々を目線で追いながら、ゆっくり歩きながらと追いかけてくる。

 

「笑わせてもらったお礼よ。このままこの辛気臭い場所から運び出してあげるわ」

 

 

瓦礫の山の上をふわふわと浮遊しながら、瓦解した円蔵山の麓まで運ばれた私は、基本的に他人への興味を持たない彼女にしては珍しく丁寧な扱いで、地面へと置かれる。着地と同時に辺りを見渡すと、見通しの良くなったその場所からは、我々が洞穴へと突入する以前の戦闘により崩壊していた冬木の街が、より一層ボロボロになっている光景が目に映る。

 

魔のモノは地上に残った彼らの手でほとんど駆逐されたようだった。そこかしこ細長く地面が削れているのは、おそらくランサーの仕業だろう。クレーターのような穴が連続して空いているのはバーサーカー。整った切り口の塀や家屋はアサシンの所業で、かけらも優雅さなく散らばっている破壊痕は、おそらくキャスターの魔術によるものなのだろう。

 

「―――よくもまぁ。こうも暴れ尽くしたものだ」

「あら、貴方達がいなくなった後、姿を無数の獣に変えて襲いかかってくる魔のモノを残さず悉く殲滅して上げたのよ? 礼を言われる事はあっても、責められるいわれはないわ」

 

キャスターは上機嫌に胸を張る。

 

「まぁ、そうかも知れんが加減というものがあるだろう」

「その加減の余裕を考える暇がないほど暴れた奴らなんだから、文句は奴らに言いなさいな。あとはそれに触発されて暴れまわった男馬鹿三人。互いに刺激しあって暴走するものだから、余計に被害が大きくなったのよ。全く嫌になるわ」

「―――ところで、その馬鹿三人とほかのメンツはどこへいったのかしら? 」

 

凛の質問にキャスターは億劫な様子で彼女の方を見ると、それでも律儀に腕を動かして、街のあちらこちらを指差した。

 

「ランサーは橋の向こう。余さず掃討してくると言って、走って言ったわ。アサシンは―――、多分この街のどこかにいるんじゃないかしら。バーサーカーは暴れるだけ暴れまわった後、森の方へ消えて言ったわ。ライダーは……、ほらあそこ」

 

そしてその細い指の指し示す先を見ると、冬木の街の南側、大きなボロ家の屋根の上に立っているライダーの姿を見つけた。周りがボロボロの倒壊している家屋ばかりであるのにたいして、その家だけは原型を留めていた。間違いない。あれは。

 

「桜の家―――」

「……そうだな」

 

それで十分だった。後の全ては、瑣末な出来事に過ぎない。多分ライダーはマスターの住処を守りたいがために、我々に協力して戦ってくれたのだ。ふむ、そう考えると、存外あのいけすかない小悪党の小僧も好かれていたものだ。

 

「満足したかしら? 」

「ああ。―――それで、君たちはこれからどうするんだ」

 

問いかけると、キャスターは無言のまま今来た円蔵山への道へと緩やかに足を踏み出した。その歩みの行方を追っていると、やがて彼女は瓦礫の道の上に思い人の姿を見つけ、軽やかにかけだして、その胸の中に飛び込んだ。

 

女に飛びつかれた男は、無表情ながらも彼女をしっかりと抱きとめる。彼女は男の胸の中で満足そうに息を漏らすと、そのまま振り向きもせずに言い放った。

 

「好きにさせてもらうわ。―――どうせ後少しの命ですもの」

「それは―――」

 

どういうことか、と問いかけるよりも前に、彼らの輪郭が薄らいだ。彼らから存在感というものが抜け落ちてゆき、やがては向こう側の景色すら見通せる程になってゆく。希釈されていく彼女らの存在に驚いて同様の存在であるセイバーを見ると、彼女もバツが悪そうな表情をうかべ、静かに微笑みながら、その輪郭がぼやけつつあった。

 

「貴方が聖杯に臨んだのは、その時目の前にあった障害を打ち倒す力。なら、その障害を倒した今、必要なくなった力が消えてさるのは道理というものでしょう?」

 

キャスターの声が響く。消滅しつつある体とは裏腹に、その声だけは不思議とよく通り、私と仲間達に真実を伝えた。彼らが消える―――、私が呼び出した彼らが―――、……っ。

 

「凛!?」

「ちょ、ちょっと、何よ!」

 

嫌な予感に慌てて彼女の方を見ると、私が聖杯にて呼び出したにもかかわらず、目の前の彼女だけは、依然としてかわらずその場所で確かな存在感を携えていた。

 

「―――、君は、平気なのか?」

「ああ、もう驚いた……。ええ、そうよ。私は彼らと違って、依り代と触媒を元に呼び出されたからでしょうね」

「―――そうか」

 

よかった、と、安堵にため息をつくと、彼女はニンマリと笑って、意地悪い笑みをうかべながら、こちらの体をつついてくる。

 

「あら、なによ、そんなに心配してくれた? 」

「勿論だ、凛。君にまでいなくなられると、さすがに悲しい」

「―――そう」

 

素直に心境を述べると、彼女は一転、呆気にとられた様子の顔を浮かべると、私に背を向ける。肩は震え、耳まで赤くなっている。

 

「なによ、素直に返されると照れるじゃない……、あいつみたいなこといっちゃって……」

 

どうやら私は、彼女からすれば思いもがけない返しにより、彼女をやりこめたようだった。とは言っても、おそらく彼女がそうして恥じらいの様子を見せたのは、私にではなく、私の後ろに、かつて彼女が愛した夫の姿を幻視したからなのだろうとも思う。

 

「はいはい、惚気は後にしなさい。それよりも今は―――」

 

キャスターは流れる空気に耐えられなくなったのか、男の胸から顔を出してこちらを振り向いて、天井を指差した。指先の行方を追うと、天井が緩やかに蠕動し、パラパラと崩落を始めているのが目に映った。

 

「ここからの脱出を考えたほうがいいわよ。魔のモノとの戦いや、霊脈近くで大きな衝撃を与え続けたことで、地脈の動きが活性化してるわ。サービスで多少は持たせてあげるけど、私が消えて魔術の効果が切れたら、あの天井の土砂が街を全て押しつぶすでしょうね」

「そんな! でも、だって、どうやって脱出すればいいんですか!? 」

 

キャスターの言葉に、空を見上げていた響が悲鳴をあげた。悲鳴の理由は、私にも理解ができた。目線の先、天井よりすぐ下を見ると、私たちが下へ降りるのに使った鎖はすでに無く、魔物達がかけ上がろうとしていた天井に続いていた階段もすでに存在しなかったからだ。脱出しろと言われても、これではどうやって地上に逃げればいいのかわからない。

 

「知らないわよ、そんなこと。そこまで面倒見きれないわ―――、でも」

 

質問を冷たく切り捨てた彼女は、凛の顔見て述べる。

 

「そこの彼女なら手段を知っているんじゃないかしら? そんな顔をしているわ」

「え―――?」

「まぁ……、ね」

 

響に希望の篭った視線を向けられた凛は、口籠もりながらも頷くと、橋を渡った向こう側、新都の小高い丘の上を指差して言ってのける。

 

「私たちはかつて、あの場所に眠っていた。私とアーチャーは、あの場所にある転移装置によって、地上へとやってきたのよ」

「転移装置! 」

「そうか! そういえば、言峰という男が私たちに取引を持ちかけてきた時、たしかに教会の転移装置を使って戻れと言っていた!」

「なら、あの場所まで行けば私たちも助かるということか! 」

「では、善は急げです。さっさと移動するとしますか」

 

希望が見えたことにより沸き立つ彼ら。そして。

 

「じゃあ、お別れね、セイバー」

「ええ。残念ですが、そういうことになります」

「セイバー、キャスター、葛木。なんと言っていいのか……、君たちにはほんとうに助けられた。ありがとう。感謝の言葉がそれ以上に見当たらない」

「気にすることはない、アーチャー。あなたはこの度、間違いなく正しいことのために戦い抜いたのだ。ならばそのために手助け出来た事は、私にとっても誇らしい出来事です」

「いいわ。私だって宗一郎様ともう一度こうしてお会いすることができたんですもの。―――本音を言えば、裏切った貴方をどう縊り殺してやろうかと考えもしたけど、ま、今回に限っては、そのことで等価交換―――チャラにしてあげる。寛大な心に感謝しなさい」

「アーチャー。貴様が聖杯戦争においてやった事は間違いなく裏切り行為であり忌むべき行為だが、元はと言えば我らも褒められるような行為をしていたわけではなかったからな。こうして連れ合いと再会できた事と合わせて、相殺としておくとしよう」

「ふっ……そうか」

 

それぞれのらしい答えに鼻で笑って返すと、各々は柔らかな雰囲気を纏う。そしてキャスターと葛木は柳洞寺のあった方角へと消えて言った。最後は二人きり、邪魔されずにかつての拠点があった思い出の場所で、という事だろう。それに口出しするほど、私は野暮ではない。

 

残る一人の英霊―――セイバーに声をかけると、武装を解いた彼女はニコリと笑って黄金の剣を差し出した。

 

「それではこれをお返しします、アーチャー。これは貴方の剣だ」

「―――いや、それは君の記憶なしには再現できなかったものだ。真作ではないかも故に君にとっては見劣りするかもしれないが―――、きっと、私が持つよりも君が持つに相応しいと思う。出来れば君に受け取ってほしい」

「―――そうですか。ではありがたく」

 

彼女はそれを握ると、柄をもち地面へと突き立てた。そうして正面向いて凛々しく屹立する剣を構えた彼女は、まさにセイバーの名にふさわしい、堂々とした威厳を持っていた。ああ、やはりこの剣は彼女の元にあってこそ、真の輝きを発揮するのだと思える光景に、自らの選択は決して間違いなかったのだと確信する。

 

「では、さらばだ、セイバー」

「ええ、アーチャー。どうか息災で。リンもどうかお元気で」

「ま、私なりにね。じゃ、さよなら、セイバー」

 

セイバーの声を遮って、凛は笑って振り向いた。下手に別れを惜しむは優雅でないという事だろうか? かつての相棒との別れにしては、至極あっさりすぎて素っ気ない気もしたが、セイバーが何かを察したかのような顔をしたのを見て、とりあえず納得する事とした。おそらく私にはわからない、彼女ら同士で通じるものがあったのだろう。

 

 

「おい、本格的にやばくなってきたぞ!」

「言われなくても分かっている! 文句を言う暇があったら、足を前に踏み出せ! 」

「最後の最後まで締まりませんねぇ……」

「あと少し、あと少し……!」

 

深山の街を駆け下りて、橋を渡りきった私たちは、破壊の痕跡が凄まじく残る新都の街中を疾走していた。途中で限界を迎えた凛を胸に抱えながら冬木の街を駆け抜けると、遠い昔に忘れ去った出来事がいちいち記憶の扉を刺激して、郷愁に似た気分を抱く。

 

かつて英霊となった私が覚えていた記憶は、切嗣との出会いや、別れ、セイバーとの契約の場面といった印象に残っていたもののみなので、おそらくこの記憶と思いは、私に体を提供した衛宮士郎と言う男の持っていたものなのだろう。

 

埋め込まれた人の記憶に感傷を抱くという不思議な経験を、しかし不快に思わないまま、街中をかけていた私は、やがて丘を登りきった先に、見覚えのある建物を見つける。

 

「あった! これが……」

「教会、であっているんだよな?」

「ああそうだ。冬木の教会。奴の言う事に間違いが何のであれば、この隠し部屋に―――」

「ええ、間違いなく、装置はあるわよ」

 

腕の中に収まっていた凛は、よろよろと立ち上がると、すぐさましゃんと背筋を伸ばして、我々一同の先頭に立ち、言ってのけた。

 

「ついてらっしゃい。案内してあげるわ」

 

 

「――――――」

「あ、驚いた? すごいわよね、これ」

 

そして隠し部屋に一歩踏み入れた途端、現れた光景に驚いた。まず目に入ったのは、剥き出しになった石壁に囲まれた地下の狭い空間に所狭しと並ぶ機材類だ。それらの外観は整備した直後であるような清潔さを保っており、搬入した直後の、ゴムと金属の匂い入り混じった独特の匂いまでが保たれている。

 

そんな機械、機材を動かすためだろう、天井、地面、四方には、壁一面を覆う程のコード、ケーブル類が取り付けられ、部屋奥にある発電機らしきものへ繋がっている。もちろんこれにも経年劣化による綻びや撓みなどがなく、新品同様だ。

 

中央に設置された、レールの上に乗せられたベッドの上には、多少乱雑に包まったシーツが放置されているが、広げてみればまるで店に展示してあるものであるかのように真っ白で、やはりとても百、千以上もの年月が経過したとは信じられない。

 

「ちょっと。見惚れるのも良いけど、時間がないんだから早くして頂戴!」

「あ、ご、ごめんなさい」

「まるでシンジュクの地下の施設のようだ……」

「おい、ダリ、さっさと行くぞ」

「うーん、じっくりと見て回れないのが名残惜しい……」

 

私と同じく光景に目を奪われていた彼らは、凛の叱責に部屋を見回しながら奥へと進む。ベッドの下から伸びたレールを追うようにして部屋の奥へ進むと、彼女は部屋の最奥に設置されていた大きめの円柱型のケースを指差して言う

 

「さ、これに入って頂戴」

 

それは強化ガラスと特殊合金を組み合わせて作り上げられたケースに、なんらかの魔術防護を施した装置だった。彼女が入れと言うからには、これが件の転移装置という奴なのだろう。ケースのすぐそばにはキーボードとコンソールが備え付けられており、いかにもそれを利用してこの装置を起動するのだろうことがわかる。

 

我々はさっさと、あるいはおずおずとケースの内側へと足を踏み入れる。中から見ると、まるでこれから実験の憂い目に合わされる動物の気持ちが分かる気がした。処理を行い、ホルマリンでも流し込まれれば、見事な人間標本が出来上がるだろう。

 

「うぉ、でけぇ揺れ!」

「そろそろ限界なんでしょうねぇ」

 

他愛もないことを考えていると、天井がゆれて、石壁の上からパラパラと土ぼこりが落ちてきた。埃は地面やケースの外側の表面に触れると、瞬時に姿を消して、表面や地面から消え失せる。いかなる理屈によるかは知らないが、この場所はこうして清潔が保たれているのだ。

 

「やっば、急がなきゃ」

 

天井の崩落を感じ取ったのか、凛は焦りながら、しかし、慎重にコンソールのパネルを弄っている。おっかなびっくり、というのが最も適切に彼女の状態を表しているだろう。やがて警告音とアラームが鳴り響いたと思うと、機械的な合成音声がケースの開閉を怪我の忠告ともに発声し、ケースの扉が静かな音と共に閉じて、ロックのかかる音がする―――ん?

 

―――ロックの音?

 

「凛?」

「何よ。今操作に集中してるんだから、話しかけないで頂戴。下手に集中切らすとえらいことになるわよ……、ったく、綺礼のやつ、マニュアルに切り替えた上で説明書を処分するなんて、ほんっと、腹たつことしてくれるわね。えーっと……」

「ああ……それはありがたいのだが―――、凛、扉の鍵が閉まってしまったこれでは君が乗り込めない。一回解除の操作をしてから、続きを―――」

「ああ、良いのよ、それで。これ、オート設定解除されちゃったから、このコンソールで範囲と場所をマニュアル指定して、外部から操作実行を操作してやらないと動かないのよ」

「―――は?」

「マニュアルで動かすのを覚えるのも精一杯だったから、オート設定の仕方なんて覚えてないし、仕方ないでしょ。まったく綺礼も余計なことしてくれるわよねー」

 

軽々と告げられた言葉の意味を咀嚼するのには、多少の時間を必要とした。外からしか動かない? マニュアル操作の場合は外部から操作する人間が必要? ―――それはつまり。

 

「凛。ここを開けろ」

「うるさいわねー、あと少しなんだから、狭くてもちょっとは我慢しなさいよ」

 

努めて冷静に静かさを保った声で告げるが、彼女はなんて事もないようにパネルの操作を続けている。機械に取り付けられたキーボードを人差し指で一個ずつ操作する挙動は、いかにもいつもと変わらない彼女の様だった。切羽詰まった状況で、平然とそんな動作を見せつける彼女の態度に酷くイラついて、透明なケースの扉を強く叩きつける。

 

「凛! ふざけている場合か! この扉を開けろと言っている!」

 

―――your attention,please.please,do not rampage.

 

数度強く叩くと、警告の言葉が鳴り響く。冷静になれと警告してくる機械音声が、彼女を見捨てるのが正しい判断だと冷酷に告げているようで、余計に腹が立ってさらに力を込めてケースを叩きつけ続ける。

 

「凛! 凛! 開けろ! 凛!」

「やめなさい、アーチャー! ……転移装置が壊れるわ。そしたら貴方はおろか、貴方の横にいる彼らも帰れなくなる」

「――――――っ!」

 

気が狂ったかのように彼女の名を呼びケースを何度も叩きつけていると、彼女の冷静な指摘が耳朶を打ち、やけに脳裏に大きく響いた。振り上げた拳のおろしどころを求めて腕を彷徨わせていると、傍目に怯えている仲間たちの様子が冷や水となり、灼熱を保っていた頭から多少なりと興奮の熱を奪ってゆく。

 

外から凛がコンソールを不規則に叩く音だけが静かに聞こえてくる。慣れない手つきのこの音が止む頃には、もはや手遅れになるのだろうが、怒鳴りつけたところで彼女は決してこの扉を開けはしないはずだ。だから冷静に。対話に必要なのは、怒りでなく、冷静さだ。

 

「―――凛、わかった。……だから、まずは、この扉を、開けてくれ」

「えっと……あ、わかった。これで、場所の設定も完了っと」

「凛! 」

 

硬く心に決めた思いは一瞬で瓦解した。あっという間に再加熱を果たされた脳内は、彼女を多少強引な手段でも彼女を説得しろと伝えてくる。感情は発露の場を求めて両腕へと伝わり、そのまま左右の手をケースめがけて叩きつけさせた。大きく揺れるケースに、再び警告の電子声が繰り返される。

 

「君がそのつもりなら、こちらにも考えがある。固有結界を使用してでも、一旦君の―――」

「あ、これで実行の操作も終わりか。なんだ、案外呆気なかったわね」

 

カチリ、と音がして、ケースの中に魔力が充填する。あまりにも濃密な魔力の質と量は、思わず魔力酔いを起こしてしまうほどのものだった。魔力回路が自動的な反応し、体外に満ちるオドをマナに変換しようと試みて、失った魔力分の補填を開始している。

 

―――これではまともに魔術は使えない

 

使えるならば使いたいが、使った瞬間、自滅する。そうすれば暴走した魔術回路は、周りの彼らを傷つけ、最悪の場合、円柱型のケースの破損さえもあり得るだろう。なんとか首を動かして見渡すと他の四人は魔術回路という魔力に対しての耐性機構がない分、すでに気絶して床に伏し、あるいはケースの壁にもたれかかっていた。

 

周囲に満ちた濃密すぎる魔力量は物理干渉まで起こして、擬似回路のみならず通常の神経にまで作用を及ぼしたのだ。遅れて私の体からも力が抜けて行く。私はなんとか体をうごかして、ケースを叩く。しかしその力はもはや警告音がならないほどに弱々しく、ただ、ケースが軽く撓む音だけが虚しく内部に響き渡った。

 

「凛―――」

「どうよ、アーチャー。以前の時より、機械の扱いがずいぶん上手くなったと思わない? 」

「凛……! 」

「携帯電話だってまともに使えるようになったのよ。……、まぁ、体がボロボロになった士郎の世話をするのに機械の操作を覚えなきゃならなかったからさ。まったく、士郎ったらひどいのよ。自分が機械いじり得意だからって珍しく私の不得意な分野見つけていい気になるんだから。才能ない奴の気持ちを理解してくれないなんてこれだから特化型の天才タイプは……、って、それはある意味、私もおんなじか」

「凛!」

 

遺言じみた独白など聞きたくない。しかし、私の呼びかけなど御構い無しに他愛もないの言葉をつらつらと続ける彼女は、もはやこちらがなんと訴えかけようとこの扉を開けようとはしないだろう。ただそれでも諦めという言葉と仲良くはしようとは思わなかった。せめて名を呼び続ければ、この現実が覆ってくれることを祈って、ただひたすらに彼女の名を呼びかける。

 

「あ、でもいいこともあったのよ? 生まれた子供たちは二人とも優秀。スキルが使えるのはもちろん、魔術回路もきちんと引き継いでくれてた。上の子は私に似てそつなく優秀なのに、下の子はお父さん似の馬鹿で頑固な子でね。結局遠坂の家ごと、受け継いできた魔術刻印も上の子が継いだんだけど、下の子は士郎みたいに世界で困ってる人を助けるんだーって言って、どっかに飛び出していっちゃった。便りの一つでもよこせばいいのに、全くそんな無鉄砲で無神経なところまで親の性格を受け継がなくてもいいのに……、ってこれじゃいいことじゃなくて愚痴か」

 

―――Everything is prepared.Start the count.

 

アラームが鳴り響く。周囲の機械は不気味な稼働音を立てて動き、カウントを開始する直前だ。―――もう手遅れだ。彼女との別れは確定してしまった。絶望が心の中へと押し寄せる。神の存在を呪いたくなった。

 

―――こんな運命が用意されていると知っていたら、始めから別の道を選んでいた

 

そう思ってしまうのは今まで戦った仲間の彼らと、英霊の彼らと、目の前の彼女に対する冒涜だろう。ただ、それでも思ってしまうのは、私が人としての弱さを取り戻したゆえか。手に入れた希望を目の前で取り上げられる事がこれほどまでに辛い。ただ、ただ、胸が痛い。

 

「まぁ、もう何百、何千年も昔のことだからとっくに死んでるんだろうけど、それでもあの子たちはいい子に育ってくれたわ。強くていい子達だったから、きっと私たちの子孫はどこかで生きているはずよ」

 

―――Ten,nine、eight……

 

「凛……」

「噂によると、スキルの登場で居場所を追われた魔術師たちはロンドンじゃなくてアメリカの方へと集結したらしいから、もしかしたら、エトリアから東の……ああ、もう時間か」

 

―――three,two,one,……zero,has completed!

 

カウントが終わりを告げる。無邪気なくらい陽気な電子音声が残酷な運命の結実を告げていた。無力感が体を包み込み、精神を倦怠感が支配する。もう抗えない。彼女を救うことは叶わない。ただそれだけが、悔しかった。もはや一切の身動きを封じられた体は、別離に涙の一粒すら流すことを許可してくれない。

 

「アーチャー」

「……なんだ」

 

もう意識は朦朧だ。機械稼働の音が大きく響き煩いほど脳裏の中へと侵入してくる中、小さな彼女の声はやけに大きく響き渡った。

 

「正義の味方になろうとなるまいとあなたの勝手だけど、……幸せに生きてちょうだいね。最後の約束。私も守ったんだから、あなたも守りなさいな」

 

彼女の言葉は慕情というよりか、母性愛のようなものに満ちていた。戦争にて両親を失い、彼らのいた記憶をも丸ごと失い、養父に育て上げられた私にとっては無縁の感情だったが、その優しさの満ちた声色は、誰もが死にゆく戦場で、幾度となく聞いた事がある。

 

彼女は成長した女性の凛であり、私の知る少女の凛ではない。彼女は過去の記憶と変わらぬ凛ではなく、彼女は過去を抱えて少女から女性、そして妻から母親へと変化の道をたどった凛なのだ。姿形こそ聖杯の力により昔のままだが、年月の経過と環境は、彼女は「遠坂凛」から「衛宮凛」へと変化させていたのだ。

 

しかし同時に、私の知る凜の側面も持っている。優秀で、プライドが高く、才能が有り、そして、甘い。納得のいかないことは根に持つタイプで、受けたことは、恩だろうと、害だろうと、きちんと倍以上にして返さないと気が済まない。

 

おそらく成長し、愛した夫と共に子を育てた彼女は、私のことを過去のパートナーというより、夫や子供と同一視し、手のかかる家族と思うような心境となっていた。そして同時に、聖杯戦争において私から受けた恩があると感じており、それを返さないといけないとも思っていた。

 

その二つの思いが混じった結果がこれだ。彼女が自己犠牲を厭わなかったのは、過去に自らの家族であり、恩人を見殺しにしたと同等の咎を感じたがゆえの、献身と慈愛なのだ。

 

おそらくそれは、少女のころの彼女であるなら、心の贅肉として切り捨てていただろう甘さを、彼女は衛宮士郎という伴侶や、その子供たちと過ごすことで、彼女が変化した結果なのだろう。人は過去を抱え、変わり、成長する。長い英霊としての旅路の果て、そんな当たり前の事も忘れてしまっていた。

 

―――だからといって、今度は君が私の心に癒えぬ傷を残して逝くのか

 

もう少し上の世界で記憶を失った彼女と長く接し、彼女の変化に気づいていたのならば―――、あるいはこの結末を避ける事が出来たのかもしれない。押し寄せる後悔を必死に噛み砕いて、言葉を絞り出す。このような結末になってしまったが、せめて別れの挨拶くらいはまともに交わして終わりにしたい。

 

目も霞むところ、最後の力を振りしぼって、喉元と舌を動かす。必死の思いは最後に流暢な別れの言葉を出すことに協力してくれた。以前と同じようなシチュエーションでの別れは、しかし今回、まるで真逆の立場。

 

ああ、世界に取り残される人間というのは、こんなにもつらい思いを抱えるというのか。あの時私は、これほどまでの痛みを彼女の心の中に刻んでしまったというのか。

 

「―――了解した。大丈夫だよ、凛。ありがとう。―――そして、さよならだ」

「ええ、―――さよなら、アーチャー。―――私、また貴方と会えて、幸せだったわ」

 

―――haveagood life,good bye.

 

皮肉な機械音声が響く。無味乾燥な声に包まれて私はついに意識を失う。遠い昔に味わったことのある、地面に這う体が感じる石畳の冷たい感触が、私の冬木最後の記憶となった。

 

 

初めに光。次に熱。風、草と土の感覚と続いて、最後に匂いが、体の覚醒を促した。瞼に入り込む光を鬱陶しいと感じて手を用いて盾とするも、それでも遮断しきれない陽の光が両手の隙間より眼球に飛び込んで、私はゆっくりと瞼を開けた。

 

ぼやけた視界に映る緑。微かに口を動かすと口の中に違和感。口内を刺激する不快感に、砂利をその辺に吐き捨てると、両腕を支えにして上半身を起き上がらせる。地面を見ると、乾いた地面の一部分が濡れていた。頬を撫でると、湿っている。眠っている間に落涙していたようだ。

 

寝惚けた頭で立ち上がる。急激な運動により立ちくらみがした。たたらを踏んだ体が倒れないよう、足腰に喝を入れてその場に踏ん張る。歯をくいしばると、刺激が多少脳の活性化を促してくれた。

 

遠く山の稜線では太陽が姿を現しつつある。まだ半身だけながらも、光はたしかにあたりを照らしつつあった。山の端より広がる森林は、陽の光を浴びて山滴り、鬱蒼と茂った樹木の木下闇から伸びる夏草が、身を躍らせながら私の足元まで伸びてきている。

 

遠くに視線をやれば、エトリアの街が目に映る。それは見覚えのある光景だった。当然だ。だってそれは、私がこの世界に始めて足を踏み入れた時、目の前に広がった光景なのだから。

 

地上。かつての場所からはるか上空、多くの山々を追い越す高さとなった地上に、私は帰ってきたのだ。青嵐が程よい湿度の空気を攪拌して、草原を駆け抜けてゆく。風の刺激が決定的なものとなり、私を夢心地から現実世界へと引き戻した。余韻の覚めた頭がつい先ほど起こった現実の出来事を思い出してゆく。

 

―――凛

 

名を呼んだ途端、胸を突き刺す鋭い痛みが走った。どれほど肉体が傷つこうがそれに匹敵する痛みを得ることはできないだろう。なぜならそれは、もはや存在しなくなったモノを悼んだ際に生じる痛みだからだ。もはやこの世に存在しないものに想いを馳せた際に起こる痛み。あって当然ものがそこにないという痛み。幻肢痛

 

歯車の一つが欠けてしまった感覚。決定的な欠損。しかしそれは彼女が望んでの結末だった。たしかにあの時それ以外に、我々が助かる方法はなかったのだろう。彼女は強かった。強く、美しく、そして、どこまでも「凛」としていた。

 

あの時彼女が泣き言の一つでも言ってくれれば、迷わず地獄へ付き合っただろう。装置の前で迷い顔の一つでも見せてくれれば、彼女の考えを読み、彼女の役目を奪えたかもしれない。しかし、彼女はきっと、冬木の教会に我々が希望を見出した時には、死の未来を予想して、それを受け入れていた。

 

ああ、それで、セイバーは最後にあんな顔をしたのか。聖杯戦争終結後、凛と契約を交わし、地上に残った彼女だからこそ、セイバーには、凛がなにを考えているのか読むことができて、しかし、アーチャーでり、エミヤシロウでもある私の生存こそが凛の望みであると知っていたからこそ、彼女はなにも言わなかった。

 

あの時気づくべきだったのだ。だが、私は気づけなかった。そう、その時点で、きっと、私と彼女の時は決別の運命にあったのだ。あの時、そのことに気が付けなかった時点で、私が幸せな過去の代名詞たる彼女と共に歩むことのできる時間は終わっていたのだ。

 

過去を抱えても良いが、過去に足を引きずられるような事態に陥ってはならない。過去を受け入れ、抱え、そして、いつか乗り越える。そしてその記憶を持って、いつか彼女の元へと旅立とう。土産話を胸に、多くの楽しいことをして、あの時死の運命を選んだ彼女を、たくさん羨ましがらせてやろう。

 

きっとそれが、最期の時まで私のことを心配して最後に笑って逝った遠坂凛という女性に対して、私が出来る恩返しであり、彼女がその身をもってして私に示してくれた、人生を幸せに生きる方法なのだから。

 

 

エピローグ

 

 

街に戻ると、我々は入り口にて手緩い歓迎を受けた後、当然のごとく拘束された。以前と同じ様に白い部屋に閉じ込められた後、やってきたクーマに事の顛末を話すと、暫くの間同じ部屋に軟禁されたのち、事実確認が取れたと戻ってきて、我々は晴れて無罪放免となった。

 

すべての装備と道具を返却され、ギルドハウスに戻ってきた我々は、一旦その場での解散し、後ほど今後の方針について話し合うこととなった。

 

私はその足で、寝ぐらであるイン―――凛の宿屋へと戻った。

 

「ただいま」

 

すっかり習慣になった言葉が口からこぼれ落ちたが、主人を失ったばかりの家屋は、彼女の死を悼んで喪に服しているかのごとく静けさを保つばかりで、返事など返してくれなかった。

 

階段を登り、私の借りている部屋へと進む。扉を開けると、埃一つないよう綺麗に清掃された床と机、皺一つない白いシーツのベッドと、磨き上げられたガラス窓が借主を迎え入れてくれる。脇に配置された机の上には、ノリの効いたシャツとパンツが畳んで置かれていた。最後の最後まで、彼女は自らの役目を果たして逝ったのだ。

 

静かに扉を閉めて階下へと足を運び、風呂場へと向かう。途中、受付から勝手に二種類のタオルを拝借すると、脱衣所にて、風呂に水を張る手段を持たない事に気がつく。そういえば、いつもは彼女がスキルを用いて水貼りと湯沸かしを行ってくれていたのだった。

 

汗と垢を流すのを諦め、タオルをそのまま適当な場所へと置くと、食堂へ向かう。暖簾をくぐり、部屋へ足を踏み入れると、半分ほど飲みかけの紅茶が残るティーカップに加え、カバーを被ったティーポットが机の上に放置されていた。おそらく彼女の飲みかけだろう。カバーをとってポットの中身を確認すると、まだ半分以上も残っている。

 

埃の浮いたカップの紅茶を口に含むと、日を跨いですっかり味は落ち、匂いも飛んでいるが、それにしても渋みの少ない、程よい味わいのものであることが理解できた。

 

おそらくゴールデンルールに従って、キチンといれられたダージリン。雑味が少ないところから、茶葉の大きさはオレンジペコー。淡白な味わいはファーストフラッシュのものであるが故だろう。

 

はしたなくも故人の飲みかけを味わっていると、机の端に布がかぶせてあるトレイを見つけた。邪魔な布を取っ払うと、出てきたのは鍋と湯捨てと一客の見覚えあるティーカップと茶菓子。それが何を意味するのかを悟って、緩くなった涙腺は故人を偲んで一雫だけの水滴を床に落とした。

 

込み上げるものを噛み締めて、台所へ。いつもは整頓されているそこは、珍しく物に溢れていた。いくつものボウルや箱が水に満ちたタライの中に突っ込まれ、水面には油脂の汚れなどが浮いている。

 

冷蔵庫開けて見ると、中の氷はすっかり溶けていた。おそらく料理にすべて使ったが故だろう、中身が空っぽだったことが、唯一の救いか。少し寂寥感がわく。

 

目線を食器棚に移すと、一番奥に、風呂敷に包まれたモノを発見した。遠慮なく開くと、中は予想通り、以前見かけたあの重箱が収納されていた。見ていると、彼女と共に中の料理を取り分けたあの日を思い出す。再び胸を刺す痛み。

 

視界に収まっている限り続くだろう痛みを嫌って、元の通り重箱を風呂敷で包み込み、あるべき場所へと置く。そのまま台所から抜け出すと、食堂、廊下、受付を通り過ぎて、逃げる様にして街中へ。

 

街に出ると、朝方の残暑が嘘の様に、新涼が私を出迎える。暦を見ればおそらく、季節はもう立秋に至っているのだろう。爽やかな風が、彼女の残滓を払拭しきれず想いを溜め込み火照りつつあった体から、熱を奪って街中を通り抜けてゆく。

 

この涼しさならばもはや街の影を歩く必要もあるまい。そう判断して、表通りを堂々と歩く。軒先に店を構える食料品店に並ぶ品物は、どれも一度は味わったことのあるものばかりだった。毎日の食事を飽きない様にと彼女が気を配っていてくれたことがよくわかる。

 

住宅街と店の並びを過ぎて、坂道を登ると、すぐにベルダの広場へとたどり着く。エトリアで最も高い場所にあるという広場は、山の高い部分から吹き下ろしてくる寒風と涼風が合流して、行き交う人々を揶揄いながら、強く乱雑な暴風となり、広場の中央から空へと抜けてゆく。

 

風に誘われて空を見上げれば、白く重なった雲が小さな鱗の様に連なりあって鰯雲を作り上げていた。エトリアの上空から目線を広げれば、世界は突き抜ける様に青い空が、自由を誇るかの様に広がっている。

 

ついに赤死病の原因を討伐して平和になった街を一望すると、街のあちこちでそれを祝ってのイベントが催されている事に、今更気がついた。人々は賑わい、喜色満面の笑みで往来を行き交い、店に金を落としている。

 

噂が広まった頃には、もっと賑わうだろう。他国からの旅行者も増えるかもしれない。そうなれば、宿も旅行客で繁盛するだろう。さすれば、彼女の宿も―――

 

気がつくと視線を今しがた出て来たばかりの宿に送っている事に気がついて、目線を空へとそらした。何をしていても私の世界はあそこへと集約してしまう。結局は、あそこでの生活が私にとってこの世界の全てだったということか。

 

―――街を出よう

 

私の世界があまりに小さく、見上げた空があまりにも広大なものだから、思わずそんな決心をした。ここには彼女との思い出が多すぎる。この街にあの宿と彼女の残り香がある限り、私の世界は変わらず、過去の幻影と未練に囚われたままだと感じたのだ。そして狭量の人間のまま終わるのでは、いかにも彼女の思いに応えられない気がしたのだ。

 

そこで思う。旅立つと思い立ったはいいが、目的がない。正義の味方になるため、困っている人を求めて風来坊として辺りを転々とするも良いが、それではあまりにやることが漠然とし過ぎている。己を発奮させるためには、具体的な目標が必要だ。そう例えば、誰かの助けとなると言ったような何かが―――

 

―――喜ぶがいい、エミヤシロウ。世界は再び貴様のような正義の味方を必要とする時代が到来する事となる

 

―――きっと私たちの子孫はどこかで生きているはずよ。噂によると、スキルの登場で居場所を追われた魔術師たちはアメリカの方へと移動したらしいから、もしかしたら、エトリアから東の……

 

目的を定めようと過去の記憶を漁っていると、二人の遺言を思い出した。世界中に広まったかもしれない悪神の欠片。いるかもしれない凛の子孫。不確定であるばかりの情報であるが、赤死病を撲滅するという目的を達成し、未来の道しるべを見失ったばかりの私が、それでも生きていくための指針とするには、十分すぎるほどの存在感を保有していた。

 

―――結局は過去が道しるべとなるのか

 

拘束から解放され自由を得て、過去から持ち込まれたものを全て失っても、結局は過去のしがらみと決別することはできない。己というものは過去の積み重ねによって形作られるもの。この広大な世界でついに真実たった一人となり、支えとなる人を完全に失ってしまった私は、だからこそ過去にしがみつかねば生きていけなくなってしまったらしい。

 

―――まぁ、それも一つの生き方なのかもな

 

諦観ではなく、悟り。あるがままの自分を受け入れられる様になったというのも、また一つの成長の証と言えるのかもしれない。とても都合の良い自己解釈をすませると、身を翻して帰路を急ぐ。

 

この先、選んだ未来で何が待ち受けているかわからない。けれど、選んだ道を歩き、誇り、やり遂げて死んでゆく事ができるのなら。彼女の様に生きて、あのような満足そうな声で、最後の瞬間まで己の所業を誇り、笑って死を受け入れられるというのなら、嗚呼、たしかにそれは―――

 

―――なんて魅力的な生き様なのだろうか

 

 

赤死病という死病が撲滅して以来、世界と人々は少しばかり以前のような荒々しさを取り戻していた。日々小さな事での諍いが増え、数日前のことを持ち出して怒る人々も増えたという。不注意な事故で誰かが亡くなることも多くなった。

 

そんな多少荒れた世界において、人々の中においてまことしやかに語り継がれる存在があった。彼らは、人と人同士が争い、仲違いをする様な事態に陥ると、どこからともなくやってきて、話を聞き、問題を解決し、消えてゆく、風の様にやってきて、風と共に全ての問題を持って立ち去ってゆく集団だったという。

 

中でも風聞に名高かったのは、赤い外套を羽織り、浅黒い肌をした、見たこともないスキルを操る、白髪長身の男性だ。大抵の問題は、彼が目ざとく耳ざといからこそ、解決したのだという。

 

いつしか人々は、荒れた世界を凪ぐ存在として、彼らの事を「正義の味方」の代名詞として扱うようになったという。正義の味方となった男たちの行方は誰も知らない。けれど、彼らはいつまでもおとぎ話として語り継がれることとなるだろう。

 

 

「少年、なにを泣いているのかね?」

「っく、ひっく、―――だって、みんな、ぼくの、おとうさんとおかあさん、迷宮で死んだって、―――もう帰ってこないって、ひっく」

「ふむ、なるほど、―――力になれるかもしれん。事情を聞かせてもらえないだろうか?」

「―――助けてくれるの? おじさん」

「おじっ……、―――ああ、そうだとも。一緒に解決策を考えようじゃないか」

「―――どうして僕を助けてくれるの? 」

「それは―――」

 

とびきりの笑顔で私は言う。

 

「私が正義の味方だからだ!」

 

世界樹の迷宮 〜長い凪の終わりに〜

 

最終話 運命の夜を乗り越えて―――、正義の味方となった男

 

Fate root ending.