うさヘルブログ

気持ちの整理のために開設。うさまるとデスヘルが好き。最近は、気持ちの整理とダイエット報告がメインになってきています。

変わる痛み

僕には弟がいる。僕とは違い、堅物ではあるがまじめで、親友と呼べる友人が何人かいて、割と思っていることを素直に話すいいやつだ。会社から帰ったら、スーツは帰ったらきちんとしわ取りの機械にかけて、匂いを気にして昼休みには白シャツを変え、製汗デオドラントを使い、腕時計もする。

 

わが弟ながら、とてもできた人間だと思っている。唯一、布袋様のような腹回りをしているのが心配だが、まぁ、愛嬌といえる顔立ちだし、いいと思う。年を取ったら、スラムダンクの安西先生のような見た目になるのだろう。

 

優秀で愛嬌もある人間だ。それがとても羨ましい。

 

 

あれは優秀な人間だ。何も考えずに、その時に興味を持ったものに手を出しては、すぐに飽きて放り出す僕と違って、手を出すときは自分なりに論理と思考のもとに力を蓄えていく。だから一緒に始めたとして、最初のうちは勝ったり負けたりだが、続けていると、大抵、弟の方が上手くなる。

 

技術や学力のみならず人付き合いもうまく、それでいて自分を曲げない。父から失敗作と評された僕と比較するなら、あれは成功作といえるだろう。

 

ふとした時、僕は弟の存在にコンプレックスを刺激される。黙々と努力をしているとき。その結果何かを勝ち得た時。着々と自分の力をつけ、身の回りの環境を整えているのを知った時。そんな時、僕はひどく自分が惨めで矮小な存在に思ってしまうのだ。

 

持たざる者のくだらない嫉妬といってしまえばそうなのだけれども、わかっていても、思ってしまう事がある。そして、思いを抱いた自分が情けなくて、余計に落ち込む。悪循環だ。

 

うつ状態のとき、これと同じような悪循環が僕の中で、繰り返されていた。

 

さてこれではいけないと、自らを変えるため、発奮して何かを習得しようと思ったのが、つい最近の話だ。僕は、自分の未来を決めようとしている。

 

しかし、僕には重要なターニングポイントで自分の未来を決めて成功した経験がない。経験がないものに手を出して失敗したくない。失敗して周りの誰かが嘲笑う声を聴くのが怖い。だから踏み出せない。踏み出せない自分を正当化するためにあらゆる言い分を考える。

 

本能と勘と運とのみで現実を直視せず生きてきた僕にとって、深く考えて現実を見つめる作業は苦痛だ。しかし、もうすでに今までのやり方では通用しないところに来ている。だから変わろうとあがいている。

 

最近、何かを考え込んだ時、よく頭痛がする。きっと遅かりし成長痛だろう。変われているのだと信じることを続けてみよう。