うさヘルブログ

気持ちの整理のために開設。うさまるとデスヘルが好き。最近は、気持ちの整理とダイエット報告がメインになってきています。

『かもしれない』は嫌いだ

リスクを冒すからには、見合っただけのリターンがほしい。

人間の基本心理だと思う。

 

僕の場合、これが『金を出すからには、望んだものを必ず手に入れたい』につながる。

 

だから、『金を出せば、手に入るかもしれない権利を与える』、といったタイプの売り物、例えば、宝くじとかくじ引きとか、賭け事を僕は心底嫌っている。

 

『かもしれない』は嫌いなのだ。

 

大学生のころだ。

トリックスターというネットゲームをやっていたことがある。

 

基本無料だったが、時たま発売されるペット型アイテムが可愛いので、なんどか課金をして購入したこともある。今ではサービスも終了し、データは残っていないが、後悔はしていない。まぁ、そんなものだろう。

 

さて、僕は一月ほど前にアプリゲームを始めた。こちらも基本は、先ほどのネットゲームと変わらない。違うのは、ガチャシステムというものが導入されている点だ。

 

こちらが売り出しているのは、ガチャをする権利であって、ゲーム内のアイテムが使えるようなる権利ではない。課金をしたところで手に入らない可能性もあるということだ。僕はこのシステムが心底嫌いで、まったく手を出していなかった。出そうとも思っていなかった。

 

ところが最近、気になるキャラが出てきたので、少しだけ課金してガチャに挑んだ。当然のように当たらなかった。瞬間、そのゲームに対する興味が、本当に一瞬で失せた。一月ほど育成に入れ込んで、課金をしたデータにもかかわらず、すぐさま削除した。ゲームに手を出したことにではなく、『手に入るかもしれない権利』を購入したことに対して、ひどく後悔している。二度と手を出す気はない。

 

金を出したにもかかわらず、望んだものが確実に手に入るわけではない。これはそういうものだ、と認識した瞬間、僕は一切の興味をなくす。『確実』の保証があるモノ以外に興味はない。こういったところも100 or 0 で考える癖が出ているのだな、と、改めて思った。

 

これをどうにかした方がいいといわれる。けれど、生きる上での根本に染み付いた性根をどうやって修正すればいいのだろうか。いろいろと試すしかないのかもしれない。

 

『かもしれない』は嫌いなのに。