うさヘルブログ

気持ちの整理のために開設。うさまるとデスヘルが好き。最近は、気持ちの整理とダイエット報告がメインになってきています。

世界樹の迷宮 ~長い凪の終わりに~ 第五話 降りる帳、されど幕間の日常は狂乱に満ちて

世界樹の迷宮 ~長い凪の終わりに~

 

第五話 降りる帳、されど幕間の日常は狂乱に満ちて

 

どんな世界になっても、自分の心だけは決して変わらないと思っていた。

けれど、心は世界のありようでこうも簡単に変容する。

 

 

「攻略されただぁ!?」

 

深夜の店内の静寂を甲高い声が切り裂いた。平穏を乱した張本人は鼻息を荒げてカウンターの上に身を乗り出し、買取査定中の素材を押しのけて道具屋店主―――ヘイを睨みつけている。寝間着なのにやけに目の冴えた様子のヘイは、慌てて、「静かにしろ、今は夜中だぞ! 」と大きな声で言ってのけた。己の注意の声の方が大きいという間抜けさに、ピエールがくすくすと笑う。

 

彼ほどではないが、私も当然驚いているし、ギルド「異邦人」の他のメンバー、ダリ、あのシンまでも、素直に驚いた表情を浮かべてヘイを眺めている。違うのは多少笑みを浮かべたピエールだけだ。ヘイは、近い近い、と言ってサガの上半身を押し返すと木台の上からおろして、視線を散らすように両腕を大きく振り、サガによって撒き散らされた素材を引き寄せながら答えた。

 

「おう、その通りよ。明日あたりにはエトリア中に話が広がるだろうぜ。いやぁ、出会った時から雰囲気で出来る奴だと感じていたが、まさかこう、単独で新迷宮の一層を攻略する実力の持ち主だとは思わなんだ。いやぁ、声をかけておいて正解だったなぁ」

 

道具に拡大鏡をあて、真剣な様子で鑑定を行いながら、それでも笑みを抑えきれないにやけた顔からは、誰かに知り合いの活躍を教えたくて仕方がない、という気持ちが読み取れる。知人が有名になった事を自慢する際に、よく見かける顔だ。知り合いの活躍というものは、まるで自分ごとのように嬉しいものだから、気持ちはわかる。

 

いや、まて、しかし、そんなことよりも、いま、ヘイは信じられない事を言わなかったか?

 

―――単独で、新迷宮一層を、攻略した?

 

それはつまり、私がいつも潜っていた旧迷宮の二層の魔物なんかとは比べものにならない、旧迷宮の四層を軽々と攻略できるギルドのメンバーときちんとした戦いになるくらいには強い魔物がうろつく樹海を一人で探索し、多くの熟練冒険者たちが討伐に失敗して帰ってこなかったという強さの番人を、たった一人撃破してみせたという事か。

 

一体―――それはどれほどの強さや経験があれば、成せる事なのか。想像もつかない強者の存在は、それだけで背筋にぞくりとしたものが走る。想像を超えた未知というものは、いつだって怖さと興奮の混ざった感覚を覚えるものなのだろう。

 

「ん……、単独? ヘイもしかして、その彼……というのはもしかしてあの依頼の? 」

 

ピエールが尋ねた。緑水の瞳からは、興味を抑えきれず、好奇の光が溢れ出ている。

 

「おうよ。何を隠そう、この前、お前らに毒祓のタリスマンと石祓のバングルの素材を譲ってやって欲しい奴がいるっていう、あれの依頼主がそれよ」

「ああ、ヘイが珍しく肩入れをしていた冒険者か……、ふむ、ヘイ。確か君は、見込みはあるし、強いが、探索をしたことのない、ど素人だと言っていなかったか?」

「おお、その通りよ。なにせ、エトリアの門前で出会った時、あいつときたら手入れの行き届いた高価そうな鎧と服を着ているだけで、後は何も持っていなかったんだからなぁ。……、うん? しかし、迷宮から帰ってきて一番にここにきた時にゃ、あいつバッグを持ってたな。さて、あいつ、道具屋を訪れるのは初めてだったように見えたが、いったいどこで手に入れたんだ? 」

「大方、新迷宮の中で誰かが忘れていったモノを拾ったんじゃないですか? 」

 

私が意見を述べると、ヘイは、「あ、なるほどな」と言って、手を叩いた。

 

「いえいえ、わかりませんよ。もしかしたら、じつは一緒に潜った仲間がいたけれど新迷宮内で死んでしまって、そんな仲間の意志ごとをバッグの中に詰め込んで受け継いだのかも……、いえ、だからこそ、一人で踏破しようと考えたのかもしれません」

 

さすがはバードという語り部キタラを鳴らしながら言うだけあって、彼の言葉は不思議と信用しても良いかもと言う物語があった。なるほど、でも確かに、たった一人で新迷宮の一層を攻略しましたというよりは、複数で行って、ただ一人返って来ました、という方が、まだ説得力がある気がする。だいぶ悲劇的に脚色されているけれど。

 

「ピエール。お前、本当に、いい加減にしたほうがいいぞ」

 

でっち上げられた脚本の内容を責めたのは、サガだ。彼は小さな顔の中で細く輝く鳶色の瞳を、さらに鋭利にして強く忠告する。普段は飄々とした人物が見せる、見知らぬ他人の悪口に腹をたてる姿が意外すぎて、私は息を呑んで案外真面目な一面もあるのだなと驚く。

 

「そもそも、俺がバッグを見た時にはすでにあいつ一度目の探索を一人で終えてたしなぁ。二度目の探索でもって攻略したのは院発行の素材証明書に書いてあったし、一回目の探索の後、素材を加工してやったら即座に迷宮向かったみたいだし、一人で攻略したのに間違いはないと思うぞ」

 

ヘイが呆れたように言うと、ピエールは肩をすくめて、一応の反省を示した。

 

「それは興味深い。しかしどんな背景があれば、どんな実力を持っていれば、一人で新迷宮なんて思えるですかねぇ。いや、是非とも、一度お話しを伺いたいものです」

 

と思うと、ピエールはすました顔をうっとりとした表情に変化させながら言う。蕩けた声と焦点の定まらない瞳は、まるで恋する乙女のそれだ。彼の脳内は今、話の中に出てきた彼の存在でいっぱいなのだろう。なんというか、自由な人だな、と思う。

 

「いや、そんな事より、素人同然の男が迷宮を攻略した方が、重要だ! どんなやつなんだ、そいつは!? 」

 

幻想に浸るピエールを押しのけて、ダリが尋ねる。迷宮では常に冷静な指示を飛ばし、冷徹にこちらの至らぬ点を指摘する彼は、珍しく狼狽えていた。感情の波の大小が少ない人、というイメージが強かっただけに、普段とのギャップの大きさが面白おかしく、何とも意外な感じだ。少しばかり、親しみを感じることができて、少し嬉しい。

 

「どんなって、エミヤっていうやつさ。赤い外套に白髪でべらぼうに長身の、そう、ダリ。ちょうどお前位の背格好をした、冒険者さ。おお、そうだ、良いものを見せてやろう」

 

ヘイは言うと、ウキウキとした様子でカウンターの奥へ引っ込み、そして赤い布を抱えて戻ってくる。彼が抱えていたのは、麻でも絹でも木綿でもないつるりとした布だ。

 

見た目いかにも頑丈そうで耐水性に優れているように見えるそれは、道具屋の娘である私も見たことない表面のつるりとした布だが、使用用途は想像できた。きっとそれは、回収した素材を収納しておく袋なのだ。

 

「あいつが持ち帰ったものを買い取ったんだ。……ほれ!」

 

「「「「「―――――――――――――……!」」」」」

 

ヘイは、ご覧あれと布を開帳する。途端、私たちは意識を奪われた。ああ、なんて。なんて。

 

「美しい……!」

 

ピエールが一同の気持ちを代弁していた。サガに戦闘馬鹿と呼ばれているシンですら、現れた人頭大の紫鱗と、綺麗に折り畳まれた白皮に心を奪われ、目線を切ることが出来ずにいる。

 

魔性。そうとしか表現のできない美しさ。菱形に潰れた四角と六角形が組み合わさった形状から、恐らくその品が蛇の鱗であることが伺えた。討伐した新迷宮一層番人から剥ぎ取られたのだろう代物は、そこにあるだけで他の全てを些事へと追いやる存在感があった。

 

まるで美女のようだ、と思う。紫の鱗は直線的な怜悧な美しさを持つ美女だ。薄暗くなった店内に広がるランプの光を下僕にして飴色を身に纏い、黒く艶やかに微笑んでいる。対して、白い皮は一変して物腰柔らかい態度の美女だ。皮の優美な曲線はしなやかさを想像させ、蝋燭の炎を思わせる美しさで視界を優しく包み込む。ランプの光は優しく虜にさせられ、その身の回りを虹色の薄布がかかっているかのようだった。

 

彼女らは自らの美しさを主張するなどという野暮な事をしない。ただ有るだけで周囲の者共を虜にしてしまうのだ。その誇らしげでない様の、なんと上品なこと。なるほど、ヘイが自慢したくなる気持ちがよくわかる。同じ道具屋の……というか、人の習性だ。美しいものを手に入れたとき、人はその存在を見せ付けずにいられないのだ。

 

魅了されたピエールの手がふらふらと二つに伸びた。それは意識してのものでない。美しいものを手に入れたいと思う気持ちが、自然と手を向かわせたのだ。

 

「あ、こら、いかん! 」

 

ピエールの手がものに触れる寸前、先にそれを手に入れたという慣れからか、一足先に意識を取り戻していたヘイは慌てて布を閉じる。誘蛾灯が遮られたことで、虫になっていた私はようやく全身の自由を取り戻す。長く深く息を吸って吐くと、同じように皆がそれに続いた。

 

「いや、素晴らしい。良いものを見せてもらいました。加工するとしたら、スケイルアーマーにするのが妥当でしょうか」

 

我にかえったピエールはバツが悪そうに礼を述べると、手を引っ込める。物惜しい。はしたない。だが、まだ見たい。出来ることなら、手にとって頬ずりの一つでもしたい。欲しい。彼の様子からは未練がありありと見て取れた。気持ちはよくわかる。私だって手に入るものなら、是非とも手に入れたい。ヘイにピエールの様子を見て、苦笑いを浮かべながら、いそいそと品をしまい込む。

 

「誰がそんな勿体無いことをするか! しかし、いやぁ、実に良い買い物した。そういう反応をしてもらえると、有り金叩いて買った甲斐があるってなものだ。いや、しかし、大したものだよなぁ。一人で番人を倒すたあよ」

 

ヘイの一言に、意識をまともに戻したシンが反応を見せた。

 

「ところでヘイ。魔物が倒されたと言うことは、明日からは……」

「ああ、いつも通りなら、番人が復活するまでの間に冒険者たちが新迷宮に殺到するだろうな。そうだ。お前さんがた、今からでもラーダに行って探索予約を取っておくといい」

 

次の層への階段を守る番人は、一週間ほど経つと復活する。これはエトリアだけでなく、ハイラガードやアーモロードなどの迷宮にも共通する不思議な法則だ。なぜ復活するのかは、そもそもそれが本当に復活なのかすら、未だにわかっていない。まぁ、とにかく重要なのは、一週間ほどは、番人がいない状況が生まれるということだ。

 

さて、番人がいないその一週間の間、番人の部屋直前付近で部屋の主人と対峙する事を躊躇って足踏みしていた、けれど野心ある冒険者たちが、我先にと迷宮へ押しかける。そこの主人がいない間に先に進んでしまおうと言う魂胆だ。

 

そう考える多くの人は、強いものと戦いたいわけじゃないけど、目にしたことのない光景を見たくて冒険者を志した、とかの好奇心旺盛な性質の冒険者だったりする。後は、とにかく下の層で取れる物の方が高く売れるから、とかのお金目当ての人とか、他にも執政院のギルド長率いる調査隊や、施薬院、道具屋組合の雇った冒険者とかだったっけか。

 

とにかく、番人が倒された直後からこの一週間の間は、こういった人達が番人のいないうち次の階層に進んでしまおうと殺到する。一時間に五人の人間までしか入ることが許されていない世界樹の迷宮に対して、百を越すギルドの人間と、それ以外の冒険者たちが入り口に押し寄せて、我先に迷宮に入ってやろうとするのだから、たまらない。

 

いつだったか、そんな彼らが殺到した事で、迷宮入り口で大混雑と混乱が起きて以降、番人が討伐された直後には「番人がいないから、今なら好きに通って良いよ。でも執政院で予約した人から順番にね」と言った内容の御触れが出されるようになったのだ。

 

そして、その御触れが発表されるのは、討伐が判明した次の日の朝五時だ。そして発表の直後、ラーダには探索の許可を求めて長蛇の列ができる。旧迷宮でもよく見られる現象だ。

 

ならば、新迷宮でも当然、いやむしろ確実に、明日のラーダは今まで以上に、好奇心と野心旺盛な冒険者で溢れるかえることになる。出遅れれば次の冒険は、少なくとも次に再び番人が復活する迄の、一週間程度は引き延ばされることとなるだろう。そして一週間という時は、誰よりも早くの迷宮攻略を目的とする私たちにとってとても大きな出遅れとなる。

 

ちなみにであるが、実のところ迷宮の潜入予約自体は番人討伐直後であろうとなかろうとできるので、目敏い、耳ざとい冒険者の人は、誰かが番人を倒したその直後に、何処かからか情報を仕入れて、素知らぬ顔で探索の予約を入れることもある。例外除いて前からの予約が優先されるので、彼らの手によって狭き門はさらに狭いものとなる。

 

だから、ヘイは、今のうちに私たちもそんな彼らのように優先予約をしておいた方がいいぞ、申請を忠告してくれたのだ。なんともありがたいことだ。

 

「予約か……そう、そうだな、その通りだろうな。感謝する」

 

シンは唇をひん曲げながら心遣いに礼を言った。最初に新迷宮踏破を成し遂げて五層探索の許可をもらうためなら、間違いなく有難い忠告なのに、なぜ彼は不機嫌そうな顔を浮かべるのだろうか?

 

「それはね。彼が他人に手柄譲ってもらって喜ぶタイプじゃないからさ」

「――――――!」

 

びっくりした。びっくりした。突然、後ろから聞こえた内心に答える声と、肩にそっと乗せられた柔手に、心臓が飛び出るかの思いをする。ピエールだ。彼はしてやったり、の笑みを浮かべると、私の肩を揉みながらシンの心情を代弁する。その柔らかな手がむずがゆく、吐息がくすぐったく、なんとも全身にこそばゆい感覚が走る。

 

「出来る事なら、番人を自らの手で倒してから先に進みたい。だが、進むなら今がチャンスだと言うのもわかる。五層の三竜を倒すのが目的なら、もちろん進むべきだ。だが、ああ、しかし。今彼はそんな葛藤の渦にいる。いやぁ、純情ですねぇ」

 

茶化すかの口調は大きく、ピエールの高い声は静かな店内によく響いた。思わずシンとピエールの顔を交互に眺める。シンの顔はピエールの顔を真剣に見つめたまま動かない。一体何を考えているのだろうか。気持ちを暴いての代弁など、誰にとってもいい気分ではなかろう。もしや怒ったかと思うと、ああ、胸が痛い。悩んでいるとシンが口を開いた。

 

「うむ……、うむ、その通りだ。流石はピエール、的確だな」

 

出てきた言葉に息を思い切り飲んで、吐く。割と挑発に聞こえる台詞だったので心配したが、どうやらこれくらいは彼らにとって軽口の範疇であるらしく、シンのまっすぐな答えに、ダリもヘイも笑っている。先ほどエミヤという男の悪口に怒ってみせたサガも、声を上げて笑っていた。

 

多分だが、先程サガが怒ったのは、目の前にいない人の悪口を卑怯にも言ってのけたからなのだろう、と勝手に思った。ああ、でも、本当に心臓に悪い。

 

「だがピエール、惜しいな。少しだけ足りん」

「おや、残念。果たして何が足りなかったのでしょうか?」

 

シンは深く頷くと、答える。

 

「エミヤだ。迷宮を一人で踏破したという彼が、果たしてどんな能力を持った人なのか、私は非常に気になっているのだ」

 

なるほど、先ほどの苦悩に見えた表情は、ピエールが指摘した思いに加えて、エミヤという一人で新迷宮の番人を倒した人のことを考えていたからだったのか。それは確かにとても彼らしい。他の冒険者の強さに興味を抱かない私ですら気になるのだから、他の皆から戦馬鹿などと揶揄されるほどの彼なら、気になって当然だろう。

 

「ヘイ。他に彼について知っていることはないか?」

「って言われてもなぁ。あいつ、と知り合ったのはついこの前だし……、ああ、そうだ」

 

ヘイは、ぽん、と手を叩くと、言う。

 

「エミヤだがな、あいつ、赤死病の解決を望んでいるみたいだぜ」

 

ピクリと私の体が反応した。赤死病。両親の死んだ原因。私が新迷宮を目指す原因となった病。もう気にしていないつもりだったけれど、体は心より正直だったようで、その動きに反応するかのように心に漣が立つ。

 

シンがこちらをちらりと見た。遅れてほかのダリとサガが心配そうな目線を、ピエールがあまり興味なさそうな目線を向けた。さらに遅れてヘイが、しまった、とても言いたげな、大口を開け、開いた口の前に手を持ってくるという行動を取った。

 

いつまでも気を使われている、というのが少しばかり気に食わなくて、両手をブンブンと顔の前で振ってみせると、真っ先にシンがふいっと顔を背けてヘイの方を向き、先ほどのヘイの話題の後に続けてくれた。

 

「ほう……、しかしそれにしては仲間を集めず単独でというのは珍しいな。数がいればその分とれる戦略が増えるのだから、普通なら迷宮での活動が許可されている最大人数である五人で徒党を組みそうなものだが……。複雑な事情持ちか? 」

「さぁな、俺にはわからん。推測をする気もない。客の語らない事情を邪推したいと思うほど、身の程知らずじゃないからな。知りたきゃ本人に聞けよ。さっき言った通り、赤い外套に白髪長身の目立つやつだからすぐわかんだろう」

 

ヘイは言うと、今までの愛想の良さが嘘のように、迷惑だ、といった顔をする。まぁ、その通りだ。迂闊に人の情報を話す事は、信用を失う行為に繋がる。

 

いろんな人と接して色々な情報を手に入れることのできる道具屋は、だからこそあまり人の事情を深く話そうとしないし、想像を働かせようとしない。語るのは、判明している事実だけなのだ。赤死病については、きっと、彼が公言していたのだろう。

 

「わかった。感謝する―――、では行こうか」

 

いうと、シンはクルリと踵を返した。どこへ? 聞こうと思ったが、言わずとも理解できた。私は荷物を持ち直すと、彼の後に続く。シン以外のメンバーも鷹揚に頷くと、床に置いていた荷物を持ち上げて後に続く。彼の事が少し理解できた気がして、嬉しいと思う。

 

私たちはヘイに挨拶と礼を告げると、夜の闇の中に足を踏み入れる。目指すはラーダ。目的は、一人で番人を倒した彼よりも早く、新迷宮の奥地へと到達する事。

 

―――明日からはまた、一段と騒がしいエトリアの1日になる。

 

世界が賑やかになるのを想像して、私は少し胸が踊った。

 

 

番人という障害を打ち倒した後、糸を用いてエトリアに戻った私は、討伐報告を済ませるためにラーダへと向かった。転移の際に生じる光を外に漏らさないため、あえて空気と換気のための穴以外をなくした、牢獄のような設計の転移所より街中に足を踏み出すと、陰鬱とした気分を祓ってやろうとするかのごとく、満点の星空が私を迎えてくれた。

 

―――ああ、そういえば、ここは天に近い土地だったな

 

闇の部分よりも多く見える星の光。文明の匂いがする街中にいるにもかかわらず、大気が澄んでいる証拠を映し出す空を見上げていると、時代が変わったというのをひしひしと感じる。聖杯戦争の最中、高層ビルの上から眺めた電気文明が灯す街の光ですら、この光量に勝りはしないだろう。煌びやかな星に誘われるようにして足を踏みだす。

 

ベルダの広場への道は、夜という時刻であることもあって、いつにも増して賑わっている。この時間帯は冒険者という人種が多い。彼らはこのベルダの広場にある金鹿の酒場を中心とした飲食店を目当てにやってくるのだ。

 

右を見てみれば、店からはみ出したテーブルや椅子の上で酒を瓶から直接胃の中へと押し込む人間がいて、左を見れば、そんな彼らを冷めた目で眺める、少しインテリぶった格好の人間がいる。どこの時代でも見られる、対立。そんな光景に、かつて自分が駆け抜けてきた時代の変遷の中にあった騒めきを見出して、胸がざわめく。郷愁、というやつだろう。

 

思うまま歩く。人類の機械文明の大半を足元に閉じ込めて、世界は一変した。世界に住む住人はスキルという異能を当たり前のように使用して日々を過ごし、自分のような不審者を当たり前のように慮る人ばかりだ。それが上っ面で見せかけの優しさでないことは、人の意地汚さを間近で眺め続けて、誰より知り尽くしている私にはすぐにわかった。そうした偽善者がもつ、押し付けがましい正義の匂いが、彼らからはしない。

 

かつて私が生涯を駆け抜け過ごした世界はこれほどまでに人に、他者に優しい世界ではなかった。歳をとってかつての自分を見下せるほど高くなった背と、分別を覚えて多少は賢しくなった頭が捉える景色は、いつだって悲しみと憎しみ、偽善と欺瞞に満ちて、汚れていた。

 

数千年。凛は数千年の時が流れていると述べたその世界は、しかし、そんな醜悪さとはかけ離れた世界になり変わっていた。永劫続く時の流れの果てに、人々の醜い部分を知り尽くした気になっていたけれど、もし何かきっかけがあって、その後数千年の時が経つことで、人々がこうまで変われるというのなら、果たして私が生前、そして死後やっていた虐殺はなんだったのだろうか。

 

自分という存在が正義の味方なんてものを目指さなくとも、人々はこうして変わってゆける。そうして変わった世界に、果たして自分という不純物は必要なのか。この世界の住人と話していても、裏を読もうとして、そしてそれが勘繰り過ぎだと気付き、彼らの幻影という鏡に己の醜さを見つけるばかりのこんな私に、果たして存在価値はあるのか。そこまで考えて、自嘲した。

 

己のレゾンテトールを問うという、思春期の少年少女が陥るメルヘンチックな精神状態になる事ができたのを、青臭い過去の自分を取り戻した証と見ていいのか、それとも単にあの正義の味方を目指すと誓ったあの少年時代より己が成長していない証明と見るべきか。悩む私が複雑な思いをため息に込めて白い吐息を空気に撒き散らした時、私の靴先は地面の微かな段差を叩き、私が目的の場所にたどり着いた事を教えてくれた。

 

―――まぁ、今考えるべきことではないか

 

一旦全ての悩みを放棄して、賑わい見せる金鹿の酒場と真反対の場所にある、静かな執政院ラーダへと足を踏み入れる。暗がりの廊下を進んで受付にたどり着くと、背負った素材と地図を事務員に差し出して番人討伐の報告を行う。

 

「一層を攻略した。手続きを頼む」

 

いうと、受付は一度首を傾げてぽかんと口を開けて間抜けな面を晒したかと思うと、

 

「えっ、と、すみません、もう一度仰って頂いてもよろしいでしょうか? 」

 

と問うてきたので、

 

「新迷宮の一層を攻略した。五階まで到達し、番人を討伐して帰還した。これがその証、番人から剥ぎ取った素材と、そこまでの地図だ」

 

言って諸々を差し出すと、受付はその素材を受け取り、確認し、そして、素材を見て魂を引っこ抜かれたかのように呆然としたかと思うと、地図を広げて眺めた。そして彼は、少々お待ちください、と言って、素材も地図もなにもかもを受付の机に投げ出したまま、髪を振り乱す勢いで執政院の奥へと消えていった。

 

しばらくそのまま受付の机に体を預けていると、受付の彼は消えた時と同じように駆け足で戻ってくると、額に汗を滲ませ、肩で息をしながら告げた。

 

「す、すみません! 今、担当のクーマ様が別の場所へと出向いておりまして、その、正確な手続きの方法がわかりません! と、と、ともかく、地図の正確さと番人を討伐したという事が事実であるか、今すぐ調査隊を組んで確認に向かわせますので、少々日数を頂いてもよろしいでしょうか? 」

 

なにもわからないという事を馬鹿正直に伝えなくともいいだろうに、と私は律儀さに苦笑しながら了承する。肩をすくめて手をひらひら振って見せると、

 

「了解した。では、インの宿屋という場所に逗留しているので、何かあったらそこまで連絡をお願いしてもよろしく頼む」

 

伝えると彼は、ひどく恐縮した態度で何度も頭を下げながら、剥ぎ取ってきた素材の一部を回収して預かり証を取り出すと、更に残りの素材の部分にも保証の紙をひっつけ、受付の予約票と共にこちらへと差し出してきた。未知だろう物を、鑑定もしていないのに保証していいのか、と聞くと、こんなくだらない嘘つく人に見えません、と断言された。

 

その甘さと人を見る目があることを好ましく思いながら、私はそれを回収すると、ラーダを訪れた時のように投影した防水加工済みのポリエステル布に素材をしまい込む。

 

すみません、すみません、と水飲み鳥のようにいう彼に、「別に君に謝って貰う必要はないよ」と一度告げると、私は物を持ったまま執政院を出て広場を通り抜け、賑わいの中を逆走してヘイの道具屋へと向かった。

 

 

夜も更けてきたころ、一面に黒の滑らかを保つ月夜へ雲が混じり、カーペットを侵食するかの如く光量の減った曇天へと変貌する中、迷宮より帰還した冒険者たちが広場に向かうのを尻目に、私は彼らが向かう方向と逆の方へと足を進めていた。昼間のドタバタとした騒乱が家族と過ごす団欒に変化する頃、夕餉の暖かさが窓より漏れる住宅街の幸福を邪魔しないよう、家々より溢れる光を避けながらヘイの道具屋へやってきた。

 

扉を開けると、涼やかな鈴の音が静寂に鳴り響く。音が鳴り終わらぬうちに木台の所まで進み素材を机に下ろして待っていると、すぐさま二階よりドタバタと音がして、見覚えのある熊のような男が現れる。彼は昼間の小汚い格好が嘘のように、柔らかなシルクの寝巻きに身を包んで、ポンポンのついた毛糸のニット帽を被っている。

 

「やぁ、すまないね、こんな格好で」

「いや、気にしないでくれ。こんな時間に訪ねた私の方が無作法だった」

 

非礼を詫びて頭をぺこりと下げると、彼は小さい声で大振りに笑ってみせて、言った。

 

「いやいやいや、冒険者っていうのは、それくらいでちょうどいいのさ。相手の都合をいちいち気にしていちゃ、命の切った張ったをするには頼りないからな」

「……そんなものか? 」

「そんなものだよ」

 

私はヘイのよくわからない理屈に首を傾げながらも、一応納得の返事を返した。すると、彼は私の不理解を笑うようにもう一度体を大きく揺らすと、木台の前までやってきて、私の対面に上半身を預けた。

 

「それで、どうした。こんな時間に」

「いや、なに、迷宮から帰ってきたので、つい、物を売りにきてしまったのさ」

 

いって素材の袋を前に差し出す。その差し出された黒い布袋の大きさにヘイはまず驚きながら、受け取っていう。

 

「おいおい、随分とまた大荷物だな。しかもこんな厳重に縛って……、ああん? なんだ、これ、随分とツルツルしてやがるな」

「ああ、まぁ、毒を使う蛇から剥ぎ取ったものだったからな。なにが飛び出すかわからんし、一応防水性の布に包んできたのさ」

「おいおい、まさか毒とか残っているってことはないだろうな」

 

言いながら彼は寝巻きの上に汚いエプロンを引っ掛けながら聞いてくる。

 

「さて、それを調べるのも、買取を行う君の仕事だろう? 」

「簡単にいってくれる 」

 

ヘイは苦笑いをしながら、しかし毒の事など気にもとめない態度で、おくびも出さずに袋の結び目を解く。やがて四つ結びの布が開かれた時、中から現れた物を見て彼はまさに、魂消た、という表現がふさわしいくらい、目を見開き、大きく口を開けて仰け反り、そして今度は見開いた瞼のまま品に顔を近づけると、口を強く結び、覗き込んだ。

 

彼はそうして現れた物品に、魂を奪われたまま動かない。そうしてじっと品を眺める彼の様子をしばらくは面白く眺めていたが、流石に三分としないうちに飽きたので、木台を叩いて彼の意識を引こうと試みる。

 

そうして何度か木台を軽く叩いて見てもヘイは一向に反応をしないので、多少強く木台を叩みてみせると、衝撃で木台の上に置かれたその品が崩れそうになるのを見てようやく奪われていたモノを取り返したのか、彼は慌てふためいて、崩れそうになる物品を抱きとめて、その崩壊を防いだ。訂正。未だに彼の意識は物品に取られたままのようだ。

 

「……お楽しみのところ悪いんだが、査定をお願いしたいんだがね」

 

いってのけると、彼は言葉もなく首を何度も上下に頷かせて、差し出したもの―――重ねられた紫の蛇鱗と白の柔肌が崩れないように丁寧に置き直すと、奥へと引っ込んで手帳を持ってきた。掌に収まる小さな紙束の表を一枚めくると、彼はそれをこちらへ差し出して言う。

 

「これが俺に出せる全てだ。好きな額、書き込め」

「……、正気か?」

 

差し出されたそれは、いわゆる小切手帳というやつだった。サラリとした上質な紙の、その表面の端と中央部分に、それぞれ店の名前と印、執政院の判が刻まれたそれは、おそらく本物で、院の方に差し出せばすぐにでも効力を発揮するだろうものである事が読み取れる。

 

「君、例えば私がこれに、零を二桁三桁の数をも書き込んだら、どうするつもりだ? 」

 

眉をひそめて忠告すると、彼は、その夢見心地な顔の中に真剣さを伴った顔で言う。

 

「構わん。これにはそれだけの価値がある。俺ぁこのエトリアで長いこと道具屋をやっているが、ここまで美しいものは見たことねぇ。シリカに飾られている三竜の一部だって、その加工品見た時だって、ここまで綺麗と思ったことはなかった。……、俺にはとてもじゃないが、これに値をつける事なんて無礼を働く事が出来ねぇ。悪いが、エミヤ。俺としてはこれをぜひ買い取りたいとは思うが、俺が感じたこの感動に俺は値をつけることはできねぇ。道具屋としちゃ失格だが、客観的な判断、ってやつが今の俺にはできそうにない。だから、エミヤ。悪いが、お前が値を決めてくれ」

 

ヘイは小切手帳をこちらに差し出したまま、その手で大事そうに鱗と皮の入った袋を胸に抱え込んでいる。美しいと思うのは確かだが、このような品に白紙の小切手を切るなど私からすればなんとも馬鹿げた取引に思えるし無茶苦茶をいうと思ったが、ここで小切手帳をそのままつき返して鱗と皮膚を無理に取り上げようとすれば、彼が必死の抵抗を見せそうな雰囲気を醸し出しているのを見て、もう何を言っても無駄だろうなと悟った。

 

私はしばらくの間。小切手帳の表面を見ながら逡巡していたが、覚悟を決め、手を伸ばして、金額を書き込み、そして彼の方へと押し返した。ヘイは自分の方へと戻ってきた小切手帳を恐る恐る受け取ると、その表側に書かれた金額を見て愕然とする。

 

「おい、おい、エミヤ。この、一万イェンってのは、どういう冗談だ? 」

 

彼の目には怒りがあった。それは金額があまりに高価であったからでなく、自分が魂を奪われたものが、エミヤにとってはたったそれだけの価値しかないと告げられたが故の憤怒だ。

 

私は彼のその激情を真正面から受けとめると、返しながら答える。

 

カルテルとやらで一度の取引でそれ以上の価格での買取はできないのだろう? なら、それ以上の金額を書き込んだところで、なんの意味もなかろうよ。君のその燃え上がる気持ちを否定する気も、馬鹿にするつもりもないが、意味のない紙切れを貰っても喜べんし、何より、私の手で誰かの生涯を破滅に追いやるなんて苦痛、もう真っ平御免でね」

 

冷静に、そして冷徹の視線で彼の向けてくる熱情を迎撃して見せると、相反するエネルギーの衝突に打ち勝った私の怜悧な意見は彼の煮沸した脳髄を冷ましてくれたようで、彼は熱が冷めたように、抱きかかえていたものを手放すと、それをこちらへと押し返して言った。

 

「すまん、興奮した」

「ん……、ま、そう言うこともあるだろうさ」

 

言うと彼はボリボリと頭を描いて、長く大きなため息をついた。暗い店内を照らすランプの橙が、彼の中で燻って残っていた熱を表すかのように彼の吐息に赤い着色を行う。

 

やがてしばらくの間、目を瞑って静かに側頭部を指で叩いていたヘイは、なにかを決心したらしく、一つ頷いて見せると、出戻った小切手帳を開くと、パラパラとめくってサラサラと書き込み、こちらへと再び差し出した。見ろと言わんばかりに差し出されたそれを手にとって中を開くと、全てのページに一万の値が小切手の価値を決定する記号と共に書きこまれている。普通より分厚い小切手帳の残り枚数から察するに、総額約百万イェン程度にはなるだろうか。

 

「……これは? 」

「エミヤ。お前の言う通りだ。たしかに冒険者が一回探索して持って帰ってきた品を、一つの道具屋が買取出来る額の限界は、一万イェンまでだ。一回につき一万イェン。それ以上になりそうな場合は、組合に相談するか、他の道具屋にお前の持ち込んだものを回してやらにゃならねぇ。組合のお陰で長く道具屋をやってこれた俺が、組合がそうと決めた法律を破るわけにはいかねぇが、だが、俺はそれを律儀に守ってこれを他のやつに渡したいとは思わないし、たったそれだけの値段でこれを買い取りたいとも思えねぇ」

「……」

 

彼の目は真剣だ。瞳にこもった熱の視線を羨ましく思いながら、私は続きを聞く。

 

「だから、こうしてくれねぇか。俺はお前が持ってきたこれを、まず一万で鱗一枚か皮一枚だけを買い取る。それ以外はまだお前のもんだ。でも残りは俺が預らせてもらう。そして、お前が来るたびに、一部ずつ買い取らせてもらうんだ。お前は渋って、一回の迷宮に潜るごとに、少しずつしか売り払おうとしない。俺は、それをいちいち律儀に一万ずつだけ買い取るんだ。来るたびにその小切手を使って払ってやる。そうすりゃいつかは全部を買い取ることが出来るって寸法だ」

 

どうやら彼は鱗と皮に、暫定的ながら一つ一万イェンの価値をつけたらしい。とすればこの鱗と皮の群は大体日本円にして総額三千〜四千万程度になるのだろうか。先ほどの彼の態度からすれば、随分控えめな額である気がするが、それでも一般的には結構な大金だ。

 

「……、別に構わんが、鱗と皮と合わせても、三十枚程度しかないぞ。一つあたり一万で買い取るとしても、だいぶ小切手の枚数が多い計算になるが」

「それ以外はお前に面倒を押し付けるのと、悪者にしちまう手数料だ。好きに使ってくれて構わん。大体それで当座にある額全部くらいだ」

 

要は全財産差し出すから売ってくれ、と言うことか。私は書き込まれた小切手を見て、次にその手を引っ込めようとしない彼の態度を見て、ゆっくりと一度大きく息を吸って吐くと、それを受け取って、一枚だけを破り、残りを返した。

 

「了解した。ではそれで取引成立としよう。残りはその鱗と皮と一緒に預かっておいてくれ」

 

言うと彼は、顔を一気に輝かせて、品を抱き寄せ、ついでのように小切手帳を引き戻した。

 

「ああ、わかった。ありがとうよ! 」

「まぁ、取引をやめたくなったらいつでも言ってくれ。中断はいつでも受け付ける」

 

言うと、「そんなこたぁしねぇよ! 」と大きな声で、彼は叫んだ。その熱にうなされた真剣さをなんとも微笑ましく思いながら、私は素材の証明書を置いて店外に出ようと、踵を返す。彼はその証明書が差し出されたのを見て、思い出したかのように聞いてきた。

 

「そうだ、聞き忘れてた。エミヤ、お前、これ、一体どこで手に入れたんだ? 」

 

ヘイが今更すぎる質問をしてきたのを可笑しく思った私は、失笑を漏らしながらも彼の問いに答える。

 

「なに、一層の番人を倒した際にだよ」

 

言うと新たな情報を得て静まり返った店内より退出して扉を出る。やがて店から素っ頓狂な叫び声が聞こえた頃、住宅街は私と彼、各々の非常識さを咎めるかのようにざわつきを取り戻していた。

 

 

番人を倒した翌日のことだ。昨日の苦労の出来事を反省しながらベッドの上で精神の疲れを癒していると、常より大きな人のざわめきが窓の外より聞こえてきた。私がなんだろうと窓下を覗き込むと、まるで砂糖に群がる蟻のように、インの宿の入り口に群がる冒険者たちの姿を見て、思わず閉口した。

 

雑多な格好をした彼らは律儀に宿の入り口に待ち構えて、なにかを待っている。やがてその異様な光景が果たしてなにによって引き起こされたものなのかを考えようとした時、部屋の反対側からノックの音がざわめきを割いて聞こえてきた。

 

「やぁ、エミヤさん。ちょっといいかい」

 

扉を開けると、そこには女将が疲れた顔で立っていた。その疲労の様子を見て、私は驚きながらも、私は頷き、肯定の返事を返す。

 

「もちろんだ。……どうしたのかね? 」

「や、昨日、あんた、番人を一人で倒したって、本当かい? 」

 

女将の質問に私は素直に頷く。すると、彼女は疲労のこもったため息を吐いて、私の方に分厚い紙束を差し出してきた。

 

「これは……?」

「見りゃわかるだろう。あんたへの勧誘状/依願状/恋文だよ」

 

無言で封を開けて中身を取り出して、全ての手紙を広げる。所狭しに並ぶ美辞麗句の文言に目が滑り、その性質が移ったかのようにいくつかの紙がひらひらと地面に滑り落ちた。落ちたものを多少乱雑に拾い上げ、眺めてほとんど同じような内容が書かれている事を確認すると、それは十分な効力を発揮して、私の全快まで回復しかけていた気力を減衰させてゆく。

 

階下の光景を想像してため息一つ。

 

―――ああ、ならばあそこの窓下で群れている彼らは、私を勧誘しようとしている冒険者たちと、番人から剥ぎ取った素材を買い取りたいと言う商人の群れということか

 

額に手をやって大きくため息を吐くと、女将が見かねて肩を叩いてくれた。多分に憐憫の情を含むそれが、今はとても有難い。

 

いやしかし、宝くじの一等にでも当たったかのような状況だ。あれの当選者も、そのお零れに預かろうとする輩が集まって来るらしいが、まさにそんな気分。加えて言うなら、多分、彼らはそんな貧者のような思想を持っていないで、なんというか、純粋な好意と好奇心しか持っていないらしいことが渡された手紙から読み取れる分、余計タチが悪いと感じた。善意の申し出と言うものは、かくも非常に、断るのを考えると心苦しくなるものなのである。

 

しかし、悪いとは思うが、これら全ての手紙にいちいち応対していてはキリがない。この手の輩は、「私は誰からの勧誘も受けない、売る気は無い」と、きちんと言ってやったところで、その情熱が平熱に冷めるまでの間、行為をやめようとはしないだろう。いやむしろ、丁寧に応対するほど、強く言い寄ってくる可能性すらある。

 

私の勧誘が不可能であると言う一発で周知させる手段があれば解決が望めるのだが、さて、どうしたものだろうか。

 

「ごめんくださーい」

 

策を練るべく首を捻ろうとした間にも、冒険者の声が受付から聞こえてきた。痺れを切らした誰かが突撃してきたのだ。蟻の穴から包みも崩れる。そんな嫌な予感がする。女将と顔を見合わせると私と等しく、苦笑いを浮かべていた。おそらく、同じ予測をしたのだ。気は進まないが、これ以上彼女に迷惑をかけるわけにもいくまい。

 

「迷惑をかけてすまない。あとは私が」

「待ちな。受付にはあたしがいく。あんたはあっちから出て行きな」

 

彼女は指でゴミ捨ての出入り口を示しながらいう。逃してくれるというのか。

 

「しかし、それでは貴女に迷惑が」

「ええとも、鐘がなってからずっと、もうずっと、迷惑かけられ通しでしたわよ。今後も続くのはごめんだね。あんただってそうだろう?  ―――だから、今日中になんとかしておくれ。今日一日位なら、我慢するからさ」

「―――感謝する」

 

受付に向かう女将に頭を下げて、扉を開けて、裏路地に出る。流石に誰かを勧誘するのに、商品を買い取るのに、ゴミにまみれた場所で待機しようと考える輩はいなかったようで、すえた腐敗臭が漂う場所は静けさを保っていた。私は袋を投影すると赤い外套を脱いで袋に叩き込み、麻のフードを投影して頭を覆った。

 

油で立たせていたさらに髪を寝かせて、いつもと違う、少しばかり着心地の悪い、一般の冒険者が羽織るマントを引っ掛けると、体全体を覆って、裏路地から裏道を辿り、人気の無い場所を、それでもさらに気配を消して進む。

 

―――まずは目立たぬ場所に行こう。静かで、人気がなく、静けさの支配する場所がいい。加えて、この事態を収集する方法を知り得ていて、なおかつ、口の軽くなさそうな人物といえば……

 

「クーマか、ヘイだな……」

 

ならばまずはクーマの元を訪ねてみよう。もしかしたら昨日の報告の結果を受け取れるかもしれないし、執政院の職員である彼ならば、名案をくれるかもしれない。期待を抱いて、人目を避けて裏路地を歩く。たまに誰かとすれ違うたび、後ろを向いて確認してしまう。一度疑心を抱いてしまうと誰も彼も勧誘をしてくる輩に見えるから、タチが悪い。

 

そうして遁走するかの様に街の中央へ向かうと、人気ない場所を選んでいる筈なのに人通りがそれなりにある事に気がつく。ざわめきは中心に向かうにつれて大きくなり、それと共に一層、人波が多くなってゆく。しかも都合の悪いことに、増えているのは冒険者ばかりだ。

 

さては街の中心で冒険者の催し物でもある日なのだろうか。だとしたらその場所を避けた方が良い。そう思って私は、街の人間に質問する事にした。一秒でも時間が惜しいこの際、多少のリスクは承知の上だ。

 

「すまない、ちょっといいだろうか」

 

冒険者でなさそうな人を選んで、声をかける。

 

「はい、なんでしょうか」

「今日はいつもより人混みが多いように見受けられるが、何かあったのだろうか?」

「ああ、それがですね。今朝方、新迷宮の番人討伐の報が広まりまして、冒険者の皆さんが我先に探索の予約を行おうと、ラーダに押しかけているらしいのです」

「……そうか、いや、ありがとう」

「どういたしまして」

 

なんとか笑顔を浮かべて礼を言うと、街人はにこやかに去ってゆく。彼が立ち去ったのを見届けた私は、もはや何度目になるかわからないため息を吐いて、己の状況を省みた。さて、困った。己の所業のせいとはいえ、冒険者がラーダに殺到しているのでは、クーマの元を訪ねるわけにはいかない。自意識過剰な気もするが、無用な混乱を避けるためだ。仕方がない。

 

―――やはりヘイの元へ向かうか。

 

政務官でなく道具屋とはいえ、長くこのエトリアに在住している分、少なくとも私よりは、エトリアの事情に精通しているはず。ならばこの馬鹿げた事態の収拾のさせ方を知っているかもしれない。打算的なことを思うのなら、昨日、借りを作った彼ならきっとなんとかしてくれるだろうと言う思いもある。

 

そんな期待を胸に、踵を返して、街の郊外へと向かう。ヘイの店は街の中心よりすこし外れた閑静な住宅地の中に建っている。彼の店に向かうにつれて、人波は少なくなって行く。それは噂の渦中の人物となってしまった、今の自分にとって都合が良かった。

 

 

「――――――」

 

人目を忍んで木目扉をそっと開けると、小さく鈴の音が鳴る。鈴の音すら今の自分の存在を見張っているようで、少しばかり焦りながら扉を閉じてやると、雑多に物の並ぶ棚を突っ切ってカウンターまで進む。鈴の音に反応したのか、すぐにヘイが奥より現れる。

 

「いらっしゃ―――、やぁ、いらっしゃい、エミヤ! 」

 

商売用の顔を、親しい知人用のそれへと変えて、愛想よくヘイは語りかけてきた。

 

「すっかり有名人だな。街中、お前が番人を討伐したっていう噂で盛り上がりだ」

「迷惑極まりないがな。見ろ」

 

捨てると祟られそうで抱えてきてしまっていた紙束をカウンターに広げる。買取依頼かな、と冗談を口にしながら手紙に目を通したヘイは、書かれていた内容を見て途端に口をすぼめて閉口すると、苦虫を潰したような顔を向けてきた。ああ、その気持ち、よくわかるとも。

 

「なぁ、これ全部か?」

「ああ。全く、我ながら大した人気者だよ。―――ああ、買取してくれるのだったか。大歓迎だとも。ついでに事態も収拾して貰えるなら、特別に熨斗と礼状だって付けてやろう」

「いらんいらん、持ち帰れ」

「そう言うな。一回の訪問につき、一万で買い取ってくれるのだろう? 」

「馬鹿いえ、あれはお前が迷宮に潜った後の一回だけだ」

「なに、遠慮することはない。今ならただで売り払う。いや、なんなら、処分代として預けてある小切手帳を破ってもらってもいい。それごと、そこにある炉にでも突っ込んでくれれば手間はない。全ては炎の中に消えてくれる」

「冗談、やるなら炉を貸すから自分で勝手にやってくれよ。情までこもってそうな紙束、燃やして念に祟られちゃたまらん」

「了解した。ではありがたく」

 

許可が出たので乱雑に紙束をまとめると、迷わず炉に突っ込む。火をかけると、情念と無遠慮と美辞麗句の混じった嘆願書がパチパチと音を立てながら灰になってゆく。いや、スッキリした。やはりこの手の念のこもっていそうな手紙は燃やすに限る。

 

満足に頷いて、振り返ってヘイの方を見てやると、本当にやると思っていなかったのだろう、唖然としたヘイの様子が小気味良い。少しばかり鬱屈としていた気が晴れた気分だ。

 

「さて、ヘイ。相談があるのだが、いいだろうか」

 

努めて爽やかに見えるよう振る舞う。あれはあれ。それはそれ。だから気にするなという意思表示は、果たして功を奏したらしく、ヘイは硬い表情ながらも、笑みを浮かべてくれる。

 

「はいはい、なんでございましょうか」

「すまないが、今なような事情があるから、これをなんとかしたい。まともに応対すれば引くものの、数が数だけにやってられん。宿の女将も悲鳴を上げている。まるで蝗害だよ」

「なんだぁ、蝗害って」

「しらんのか。虫……特にバッタだな。腹を空かせた奴らが空一面大地一帯を覆い尽くすほど発生して、餌を求めて大移動を行う。口に入るならなんでも齧って行くものだから、後にはぺんぺん草一つ生えない惨状になる」

 

生前、幾度か何度か目にしたおぞましい光景を思い出して、一人背筋に寒気を走らせる。飢餓の感情以外を持たない無機質な複眼と、身体の全てを移動のために特化させた肉体は、石のように固く、どう行った意味でも煮ても焼いても食えない奴となるのだ、

 

「へぇ。エトリアの外では恐ろしい事が起こるねぇ。ま、言わんとすることはわかったよ。要はひっきりなしに来る勧誘だのに関する一切合切をなんとかすればいいんだろう?」

「……出来るのか? 」

 

我ながら割と難題をふっかけたと思っていたのだが、ヘイは当然、と言わんばかりに胸を張りながら答える。

 

「もちろん。……いや、実際、似たような事態はよく起こるもんでなぁ。番人討伐の直後、勧誘だのに対策を取っていない奴はよくこんな事態を引き起こすのさ。ここまで熱烈なやつは初めて見たけどな」

 

言いながら、カウンターから一枚の書類を取り出してこちらへと差し出す。受け取り、表題を眺めると、嘆願書という題だけが大きく記されている。ほとんど白紙のそれを上から下まで一瞥、ピラピラとした紙を綺麗にたてながら聞く。

 

「それで、いったいこの嘆願書をどうして、何処に提出すれば良いのかね? 」

「嘆願の表題に、「一切の勧誘お断りの、御触れ施行依頼書」と書いてラーダに提出する。そうさなぁ、お前さんが番人を倒した事実を知る職員に直接渡してやれば、次の朝、鐘のなる前にはベルダの広場に「エミヤへの勧誘の一切を禁ずる」って御触れが出て解決してらぁ」

 

公的機関が個人のために保護令を打ち出して周知してくれるのか。いや、ありがたいが、しかし、その方法を行うには問題がある。

 

「それで、どうやってその「事実を知る職員」とやらに渡せば良いのかね? まさか広場に群がる冒険者の中を突っ切って行けというのではあるまいな。飢えた獣の群れに進んで身を投げ入れたいと思うほどの酔狂さは持ち合わせていないぞ、私は」

 

すると、大方の予想通り、ヘイは握りこぶしの親指だけをピコピコと動かして己を指し示した。得意げにしゃくりあげた顎の上に乗る唇は、いかにも意味ありげな笑みを浮かべている。まぁ、つまりそういう事なのだろう。

 

「はぁ……わかったよ、君に頼もう」

「よっしゃ、任せとけ。いや、確実に届けさせてもらいまさぁな。―――所で届ける際に誰か指定はあるかい? 親しいのがいるならそいつに渡してもいいし、なけりゃ、話の通りやすそうなクーマに届けておくが」

 

クーマ……、ああ、執政院の冒険者担当の職員の彼か。

 

「いや、その彼で構わないよ。職務に誠実そうであったしな」

「あいよ、了解」

 

顔も見えない誰かに頼むくらいなら、多少は知っている人物に渡してもらえた方が安心する。そもそもラーダに知り合いなどいないのだから、選択肢などあってないようなものだが。

 

「それで幾らだ」

 

ヘイがヒラヒラと舞わせていた嘆願書を掠め取ると、要項を記入しながら尋ねる。価格の決定をしないうちから書類に記載を始めるなど、愚か者のやる事であろうが、彼は労働の値を無闇矢鱈に吊り上げないだろうという確信があった。小切手を差し出しても受け取らないだろうから、そのこと始めから口にしない。

 

「ああ、今回代金はいらねぇ。そのかわり、ちっとばかし頼みを聞いてほしい」

 

ヘイはひらひらと手を振りながら、バツが悪そうに言う。只より高い物はないというし、少しばかり眉をひそめながら尋ねる。

 

「何だろうか。あまり無茶な事だと承諾しかねるが」

「ちょっとばかし、あってやってほしい奴らがいる。いや、この前お前さんが依頼を出した、ギルド「異邦人」の奴等なんだがね。奴さん達、新迷宮を一人で攻略したお前のことが気になっているようでさ。一度時間をとって、自慢話でも聞かせてやってくれないか」

 

少し迷った。私が冒険者たちに集られ辟易している状況を知っていて、その対策を頼まれながら、それでもヘイが頼むのだから、その「異邦人」というギルドの連中は、彼にとって特別なのだろう。

 

そうまでしての頼み事や、他者との交わりを拒もうと思えるほど無粋なつもりはないが、誰かと交流を行ってこちらの情報―――特に魔術関連の事情が漏れてしまうのも、困る。相手は新迷宮での出来事を聞きたいらしいし、そこに突っ込まれるとまずい。スキルのことに詳しくない私では、どこまで誤魔化しが効くかわからん。

 

下手を打てば魔術について開示せざるを得なくなるだろう。私としては、ブレーキのない車に等しい技術の存在を明かしたくはないし、スキルというものが使えないこの身にとって生命線となる魔術の存在を明かしたくはない思いもある。

 

いつかは露呈する事なのかもしれないが、いまはまだその時ではない。正義の味方になれるその時まで―――などと贅沢を言う気は無いが、いや、せめて、赤死病とやらの解明が済んでからであってほしい。それならば、果てに何があっても……、胸を張って彼女と彼と養父に会いに行けると言うものだ。

 

「あー、無理にとは言わないぜ。今すぐ、とは言うつもりもない。お前さんにも都合ってもんがあるだろうし、あいつらの返事も聞かなきゃならん。いやってんなら、そうだな、この依頼は、メディカ三個分の代金で引き受けるぞ」

 

考え事までは察していないのだろうが、拒絶を含む心情を察したのか、ヘイは折衷案のようなものを提案する。メディカ三個というと、六十イェン位……。

 

―――うん?

 

「ヘイ。君、その言い方だと、相手側の依頼あってのものでないように聞こえるが」

「そうだよ。こりゃ俺の独断だ」

 

あっさりと肯定。素直に疑問を抱いた。

 

「なぜ、わざわざそんな事を? 」

「なぜって、別に深い理由はねぇよ。そうだな、誰かに興味ある奴がいて、それが俺の知り合いだってんなら、引き合わせてやりたいと思うってだけのことだ。それ以上はないさ」

「――――――そうか」

 

なるほど、彼という人間の事を少し理解する。彼は、良いと思う事を、良いと思って人に提案する人間なのだ。押し付けるではなく、どうでしょうか、と提案する。それはやった結果に同意が得られないと気が挫けてゆく、簡単に見えて案外難しい事だ。

 

機会の提案を自然にできる彼はなるほど、根っからの商売上手であり、しかし商売に向かない、欲しい物を欲しいと言える気概を備えた人間なのだ。さて、どうしたものか。提案が彼の善意からのものと知ってしまった以上、人となりを知り、色々と骨を折ってくれる相手の要望を無碍に断るのは、少し心心苦しい。とはいえ下手に同意するのも気がひける。

 

「―――その彼らというのが、こちらの出す条件をクリアしているのであれば、構わない」

 

ふと思い付きそんなことを言うと、ヘイは目を輝かせた。上から目線の物言いだが、彼は気にした様子もなく、期待を込めた様子で次の言葉を待っている。いや、他人は己の心を写す鏡とは言うが、なるほど、その通りだ。無邪気さを前にすると、己がいかに邪に塗れているかを痛感させられる。

 

「おうよ、どんなだ。言ってみ、言ってみ」

「彼らが―――君の言う私に合わせたいと言う連中が、私と同じだけの実力がある、と君の目に叶うのであれば、会おう。ないのであれば、悪いが諦めてくれ」

「あー……なるほど。そうきたか」

 

我ながら無茶な条件を突きつけたものだと思う。スキルという技術があろうと、所詮、人間は人間。仮にも元英霊であるこの身と比肩する存在などいる筈がない。

 

英霊という存在と人を比べるというのは、どうすれば竹やりで戦闘機というはるか上空を音速以上で飛び回る暴力に対して生身で立ち向かえるか、と問うに等しい愚問だ。大抵の武器は上空を飛び回る戦闘機に当てる事ができないし、仮に英霊を仕留めうる武器を持っていたとしても、反応を見せる前に処理する事ができる。

 

人間と英霊の間にはそれ程までに隔絶した差が存在する。等しい戦力を保有する人間などそういるはずがない。―――万が一の例外が身内や知り合いにいたので、断言はできないが。

 

「ああ。出会いは有意義である方が好ましい。そして私にとって好ましい出会いとは、私と同程度の実力を持つものとの会合だ。どうも残念なことに、私の実力を知って寄ってくる輩は、私の力を利用しようとする有象無象である事が多いのでな。例えばあんな風に」

 

そうして炉を指し示すと、言外の態度にも否定の意が強く出ていたのか、ヘイは少し憐れんだような顔をする。不信を露わにしている私の言動を悲しく感じている、と、そんな表情だ。少しばかり良心が痛むが、情けをかけて今後の活動に支障をきたすわけにはいかない。

 

「だから、ヘイ。もし君が私を彼らと引き合わせたいのであれば、彼らが、私を利用しようとするだけの輩でない存在であると言う事を証明してほしい。元々、今回の嘆願書もそう言った彼らを寄せないようにする為に、提出するのだから」

「―――わかった。それでいいよ。……残念。しばらくはお預けかぁ」

 

言い切ると、未練タラタラであるが、一応の納得をしてくれた。同時に、私の価値に高額の札が貼られている事がわかり、悪くない気分を味う。自惚れも少しくらいならいいだろう。

 

「では頼む」

 

記入し終えた紙ペラを渡すと、受け取り了承の意を見せる。記入漏れがないかチェックをしながら、ヘイは思い出したかのように言った。

 

「そういえば、おまえ、明日までどうする予定なんだ? 宿には戻れないんだろう? 」

 

ああ、そうだった。さて、どうしたものか。御触れが出るまで街中にいるのは避けたいし、道具屋と宿を除いたとしても、冒険者が集う場所しか知らぬ。

 

「君のところで匿ってくれたりは―――」

「悪いな、一応、特定の冒険者を選んで肩入れはしない主義だ。預かるのは、他人様の道具と素材と依頼書だけってね。人を匿うのは、道具屋の理念に反する」

 

半ば予感していたとはいえ、あっさり断られてしまった。わかりやすいその性格は嫌いでないが、さて、何も問題は解決していない。ヘイは書類を確認しながらいう。

 

「行く当てがないなら、迷宮にでも行ったらどうだ? 番人討伐者であればどんな冒険者よりも優先的に入れてくれる。迷宮に入れるのは一時間おきだし、それだけあればお前さんなら、身を隠せるだろ」

「魔物の群れる場所を休息の場所に推奨するなど、正気か? 街中は論外として、野晒しでも郊外で時間を潰すほうがまだ安全な気がするが」

「ああ、郊外もやめといた方がいい。この辺の夜は水が氷になるくらいに冷え込む。夜に外で暖をとると、人が寄ってくるし、森での火起こしは禁止されている。かと言って、夜に寒さを避けて街に入ろうとすると、門のところで騒ぎになるだろう。ラーダに集まっている今ならまだしも、今夜から明け方にかけての門付近は二層に進もうとする冒険者で溢れるはず。ならいっそ、迷宮の中で一夜を明かした方がマシだと思たのさ。気は抜けないかもしれないが、あそこは不思議と温度が一定だからな」

 

なるほど―――、いや、魔物の群れが存在する場所で休憩を取れという意見には驚いたが、聞いてみれば、まぁ、納得のいく理由だ。そして彼のセリフに、今更ながらこのエトリアと言う場所の高度が、かつての地上世界より高い場所にあることを思い出す。

 

どの程度上空なのかは知らないが、ともあれ天空にある街の外で一晩を過ごすなどと言うのは、高山でテントも貼らずにビバークするに等しい愚行か。そんな自殺行為を試みるなら、同じ気を張るなら、出会い頭に処分のできる魔物相手の方が、まだ、気を揉む必要がない。

 

「意見、ありがたく参考にさせてもらおう」

「ん、行くなら今すぐがいいだろう。―――ほれ、糸と食料を持ってきな。冒険者と衛兵がラーダに殺到している今なら、門で鉢合わせずにすむはずだ」

「そうしよう」

 

ちゃっかりと買い物をすすめる彼の商人根性に失笑のまじった返事をする。言われた通りのものを揃えてもらうと、バッグに保管していた麻袋より硬貨を適当に差し出した。カウンターに置いたそれらを数えて、ヘイは文句を言う。

 

「おい、お前、出し過ぎだ。これじゃ五百と六十イェンも多い」

「チップ。まぁ、情報料だ。色々と助言も貰った事だしな」

「いらん。労働は別として、形の無いものに値をつけるのは好きじゃない」

 

告げるが、己の仕事と、自らが定めた額をキチンと受け取ることに対して誇りを持っているらしく、彼は頑として受け取ろうとはしなかった。高く評価されれば嬉しいものだと思うが、出された額が多いことに文句をつけるとは大したものだ。

 

「というか、あれだろ。六十ってのは、明らかにお前、あいつらと会わないことを前提の料金だろ。それがもっと気に食わん」

 

我を通して言い切る彼はいかにも不満げだった、昨夜も思ったが、自分の欲を優先して商売を後回しにするあたり、なるほど、やはり彼は小売向きの性格をしていない。

 

「そうだな……なら、こうしよう。労働には正当な対価が必要だ。多い分は今のところ、嘆願書の提出代金と思ってほしい。もし君の願いが叶って、彼らと私の対面が果たされて、今渡したそれが正当な対価で無くなったのなら、そうだな―――その時は私たちにオススメの酒でも一杯奢ってくれ。それでチャラとしよう」

「―――面白い。ならその時まで、これは預かっておこう」

 

打って変わって気をよくすると、ヘイは代金を桶の中に納める。コロコロと表情を変える彼の様子を面白く眺めながら、私はインの宿屋へ言付けをしてくれるようついでに頼んで、踵を返して外へと出た。中心より離れた街の中は、未だに静けさを保ったままである。私はその静寂を乱さないよう、そっと忍び足を保つと、街の出入りを管理する門の方へと向かう。

 

そうして身を隠しながら門を抜けて世界樹の迷宮へ向かっていると、私はいつのまにか、昨日まで抱いていた、胸を焦がす不安がなくなっている事に気がついた。忙しい日々悪夢を見なかったせいだろうか。天にまで届く程に騒がしい街の様子は、一時の間、自己嫌悪を忘れさせてくれる効力を発揮していたのだ。

 

悪夢を忘れる不安を忘れてしまった事実に、新たな不安と晴れやかなさが混じった混沌の気分を抱きながら、私は昨日と帰還したばかりの新迷宮へと向かう。透き通った青空では、積み重なった雲が乱雑に散らされながら、稜線の端の方へと呑気に流れていった。

 

世界樹の迷宮 ~長い凪の終わりに~

 

第五話 降りる帳、されど幕間の日常は狂乱に満ちて

 

終了