うさヘルブログ

気持ちの整理のために開設。うさまるとデスヘルが好き。最近は、気持ちの整理とダイエット報告がメインになってきています。

世界樹の迷宮 〜 長い凪の終わりに 〜   第十二話 高波は風水の交流にて引き起こされ

世界樹の迷宮 〜 長い凪の終わりに 〜

 

第十二話 高波は風水の交流にて引き起こされ

 

属性、気質、性格が己と大いに違う相手とぶつかり合う。

つまるところ、大なる変化はその果てにしか現れない。

 

 

人一人を失っても、世界はいつもと変わらないで、気の向くままに寒暖の間を行き来する。家を出ると、今日は機嫌が悪いのか、多少の蒸し暑さを取り戻した街を突っ切ってヘイの道具屋を一人で訪れると、いつもと変わらぬ鈴の音が私を迎え入れてくれた。

 

カランカランと鳴り響く清涼さに招かれる様にして中へと足を踏み入れると、すぐさまその軽快とは相容れない重い地響きが上層階より階下にまで響いて、音とともに奥よりこの店の主人が現れた。

 

「やぁ、響。いらっしゃい」

 

そうして奥より現れたヘイは私を見て、いつもの様な朗らかな笑顔を向けてくれる。

 

「どうもこんにちは」

 

彼の言葉にわたしもいつものようにぺこりと頭を下げて応対する。

 

「珍しいな。嬢ちゃん一人でここに来るのは」

「ええ、そうですね。基本的には両親と一緒か、ギルドの仲間と一緒に来ることばかりでしたから」

 

答えると、彼はしまった、と言う顔をして、けれど、以前私がやった、気にしないでくださいという態度を思い出してくれたのか、すぐさまいつものにこやかさを顔に貼り付けると、再びわたしに問いかけてきた。

 

「それで、何の用だい? こちらで預かっていた分の武器防具の修繕ならもう終えたから、あいつらに返したはずだけど」

「ああ、ええ、はい。その、じつは、例の武器を受け取りに……」

 

おずおずと答えると、ヘイは首を傾げながら言う。

 

「んん? 響、お前さん、シンの刀を引き継いだんじゃあなかったのか? 」

 

シン。さらりと述べられたその名前に胸がちくりと痛む。この痛みこそが未だに自分が彼を事を忘れていないでいられる証しだとしても、やはり未だに違和感を覚えてしまう。ままならないものだ。

 

「ええ。たしかにそうなんですが、ここ数日素材を集める合間でエミヤさんに刀を振る様子を見てもらったところ、あの刀身が太く重量もそこそこある剣を私が振り回すには、まだ力も経験も足りないと言われまして。そこでみんなに相談したところ、この前出来た刀を使えばいいんじゃないかと言う事になりまして」

「ははぁ、なるほど」

 

ヘイは軽く何度も頷いて見せると店の奥に引っ込み、そしてすぐさま戻ってくる。彼の太い手には、すらりと直線の袋麻が握られていた。彼はそれを木の机台に置くと、袋の帯紐を解いてその中身を取り出した。

 

「これが、以前お前さんたちが持ち込んだ虫の薄羽を鋳造、加工して作り上げた品だ。羽の量が大した枚数なかったから小刀になったが、たしかに今のお前になら丁度いいだろう」

 

言ってヘイは小刀をとりだすと、鞘から引き抜いて、布地の上に刀身を置いた。反りは無く、直刃。切る、と言うよりも突く事に特化したような作りの六十センチの刀身は、通常の打刀というより、脇差、ナイフに近いように見えるが、しかし、短くなろうと決して刀身から斬るという機能が失われていない事を主張するかのように、棟区から切っ先までを冷たく輝かせ、その怜悧さと機能美を主張していた。

 

「これがご所望の品だ。銘は「薄緑」とした」

 

言うと、彼は昼間なのにランプの光を用意して、刀身の近くに配置する。すると光の一部を受けた刀身は、七色のうち緑の色だけを選定したかのように地金で反射して、刀身の周囲に綺麗な薄緑色を纏って輝いている。ああ、なるほど由来が一目でわかるいい名前だと思う。

 

私はその誘うような刀身の光の眼差しに吸い込まれるように柄へと手を伸ばすと、手にとって感触を確かめる。

 

「……軽い」

「だろう? しかし、その軽さとは裏腹に、驚くほど良く斬れる。……ちょっとまってろ」

 

いうとヘイは近くにある鍛冶場の炉付近から適当な薄い鉄の塊を持ってきて机の上に置くと、こちらを見て顎を軽く振ってその塊に注意を送るように指示を出す。私は彼の言わんとしている事が理解できて、思わず呟いた。

 

「正気ですか? 」

「力を入れなくていい。軽く押すだけのつもりでやってみな」

 

彼の迷いのない指示に戸惑いを覚えながらも、恐る恐る指示通り塊に刃を当てて、押し込む。すると触れた刃は予想とはまるで異なる動きを見せて、けれど彼の想定通りなのだろう、するりと一体化してゆくかのように刀身が残らず鉄塊の内部に吸い込まれたかと思うと、抵抗というものを忘れたかのようにすとんと落ちて、鉄塊と机との接点までを分断した。

 

あまりの予想外に思わず勢いよく刃から手を離すと、刃はそのまま木製の机に上に柄の部分だけを残して吸い込まれた。ヘイはおいおい、店の備品を壊すなよと笑いながら、剣を机より引き抜いた。そうして現れた刀身には刃毀れも曇りもなく、ランプの光を浴びて先程と全く変わらない姿を晒し続けている。

 

「……すごい」

「だろう? まぁ、なんでも、とは言わないだろうが、少なくともウチで扱っている武器のどれよりも軽く、硬く、そして鋭い。……、入門編の代物として扱うにしちゃ上等すぎるが、そんな素人同然の腕前ながら今後もあの新迷宮深層に潜る嬢ちゃんにはうってつけかもな」

 

ヘイはぼやきながらも薄緑の刀身を鞘に収め、こちらへと押し出した。私はそれをおっかなびっくりながらも手に取ると、鞘を握りしめてその感触を確かめる。羽のように軽すぎて。ともすれば重さすら失ってしまいそうなそれは、シンという男が命を賭して手に入れた品を加工した品だ。その見た目の重さに惑わされて込められた真の重量を忘れないように、ぎゅっと握りしめると、腰のベルト部分に差し込んで、固定してやる。

 

普段は何も詰め込んでいない部分に物を突っ込んだ事で、刀と触れた体の部分が当然のように違和感を主張したが、その感触が刀本来の主人である彼の事を忘れないという決意のように思えて、今は有難いと思う。

 

「ありがたく……、頂いていきます」

「ああ」

 

断言して頭を下げると、彼は短く了承の返事をくれる。その迷いのない断言はヘイが私をシンの後継者として認めてくれているように思えて、私は少しばかり落ち込みかけていた気分を上向きにしてくれた。

 

多少向上した気分を胸に宿すと、もう一度深々と頭を下げて、店から立ち去ろうとする。そうして扉に取り付けられた鈴の音が鳴り響く直前、彼は思い出したかのように机を叩いて、なぁ、と声をかけてくる。

 

振り向いて彼の顔を確認すると、熊のような大柄な体型に似合わない、太い眉をひそめて、口を窄め、優柔不断の顔をしながら、しかしはっきりと聞いてきた。

 

「なぁ、お前さんから見て、エミヤの調子はどうだい? 」

「……、いつもと変わらず、冷静で調子を崩さず、しっかりとした感じで―――」

 

そこまで言って、言い淀む。口籠もりに現れた心中の戸惑いは、エミヤの最近を知らぬのだろうヘイにも、彼の現在の様子を雄弁に伝えたようだった。彼は重苦しくため息をついて、ぼやく。

 

「やっぱり、焦っている感じか」

「……、ええ。理由はわかりませんが、新迷宮の奥へ早く到達してやろうという意思が感じられます。多分、今回私にさっさと助言をくれたのも、それが原因だと思います」

 

付け加えるならエミヤは多分、自分が過去の人間であるという事実が原因で、焦りと迷いを抱いているのだろうと私は思っている。ただ、彼に私の考えが正しいのかどうかを聞いて確かめたわけでない以上、そんな私の勝手な妄想をさも事実であるかのように語るのは失礼だと思ったため、私はそれ以上のことをヘイには語らなかった。

 

「この前、ダリと一緒に犬の頭を持ち込んだ時も、だいぶ思いつめた様子だったからな。多分、シンの事が原因になっているんだとはおもうが―――まぁ、あんまり一人で思いつめないように気を使ってやってくれ」

 

シン。そういえばエミヤも彼がいなくなった事を気にかけていたな、と思い出すと同時に、そうしてエミヤの事を気にするくせに、さらりとシンのことを流すヘイの態度が少しばかり気に食わなくて、つい余計な言葉が口をついて出た。

 

「……、そうですね。誰かさんと違って、あの人、繊細そうですから」

 

言って後悔する。こんなつもりはなかったのに、気にくわないと思うと、すぐにイラっとした感情が言葉へと変換されて心から漏れてしまう。シンのことが話題に出てきて、相手が彼の死を気にしていないという態度を取られると、シンのことを好きだったという感情がすぐさま別の負の感情に転じて、文句となってしまう。

 

そんな己の所業を恥じての葛藤と懊悩と羞恥が顔に出ていたのか、ヘイは私の嫌味を何一つ気にしないという体で、巨体を揺らせて気さくに笑うと、低くしっかりした声で続ける。

 

「まぁ、そうだな。それは間違いなくその通りだ。奴はとてつもなく繊細で臆病で自分に厳しく、だからこそ、強く、そして孤高だ。今のあいつには、まるでお前さんとつるむ前のシンと今のダリの不安定な部分をくっつけたような、両極端な危うさがある。―――だから、まぁ、今の嬢ちゃんも大変かもしれないが、気にかけてやってくれ」

 

いって小さな私に向かって大きな頭を下げるヘイの姿はとてつもなく優しさに溢れていた。同時に、彼もまた、何も言わないがきちんと他人の事を見ていて、それでも他の人が触れて欲しくないと思っている部分に触れないだけの思いやりを持った人物なのと思い知る。それだけに疑問が浮かんだ。なぜ、ヘイという男は、始めから自分で彼に言う事を諦めてしまうのか。

 

「それなら、ヘイがそのままの言葉を思いと一緒に伝えたらいいんじゃないですか? 」

「……俺みたいな年寄りが言っても、真剣みの熱がたりんからなぁ。……もう無理なんだよ。歳をとるとな、ただでさえ体の中から抜け落ちていく熱が拍車をかけてあぶくに消えてくんだ。矜持を定めて、ちょっとでも興味のひくものに必死になって、そうやって色んなことに奮いたてるような努力をしてやっとこさ生まれる熱で自分の平生を保つので精一杯なのさ。……新しい事を試して、いろんな楽しい事をして、一日をいい日にして毎日栄養を与えてしがみついていないと、退屈な昨日を生きたという後悔すら明日の朝には消えちまう。案外辛いもんなんだよなぁ、苦労したってぇのに、その時の苦しみがないのって。気がつくと魂が幸せの中に溶け込んじまわないように、自分を保つので手一杯なんだ。だから苦労してるやつに、何て声をかけていいかよくわかんねぇ」

 

だから無理なんだよ、と小さく言って後ろを向いた彼の背中は、哀愁と自己嫌悪が染み付いた、小さな背中に見えた。過去に色んな出来事があったけれど、出来事によって生じた悲しみや苦しみを気がつくと忘却の彼方に失い続けて、結局直近で一番楽しい事から順にしか思い出せなくなってしまったそんな後悔が、背中には張り付いていた。そして、その後悔すらも、明日には忘れてしまうのだと、彼は経験的に知っているのだ。

 

その背中には、見覚えがあった。そう、あれはつい最近。シンが死んだすぐ後のことだった。そうだ。彼のその縮こまった巨大な背中は、まるで私が泣き叫ぶ部屋から出ていく際のダリの様だと思った。

 

―――、そういえば、彼も大丈夫、明日になれば元に戻るから、と言っていた。だとすればおそらく、彼もまた、ヘイと同じく、悲しいとか苦しいとかの記憶を忘れてしまう事を知っており、受け入れてきた人だと言うのだろうか。……だとしたら私は、知らぬとはいえ、どれだけダリに対して、そしてヘイに対して、失礼な態度を取ってしまったのだろうか。

 

「だからすまねぇ。多分、俺じゃ無理だ。俺じゃ無理なんだよ。だから、頼むよ」

 

言うと彼は拳を両の固く握り締めてこうべを垂れて、両の腕とともに机の上にズシリと乗せた。己の限界を悟り、無力である事を知っているからこその独白は、彼の中に今ある鬱屈を全て吐き出しているのだろうにも関わらず、たしかに彼の言う通り、決意の言葉はどこか軽い様に感じられた。それの実感を伴わないと言う軽妙さがまた、彼の苦しみを生んでいるのだと思うと、なんとも悲惨だと感じてしまう。

 

禿頭目立つ程いい歳をした年老いてさまざまな経験を積んできただろう男性が、自分の半分に満たない年齢の女に向かって、自分では無理だ、と言葉を絞り出すのにどれだけの勇気が必要なのだろうか、どれだけの覚悟が必要なのか、わたしにはさっぱりわからない。多分、性差と年齢差いうものの所為もあるのだろうが、きっと永遠にわからないかもしれないというという予感がした。

 

けれど、きっと彼の悩みの本質と痛みを真に理解する日は来ないかもしれないけれど、その己の感情を正しく制御ができずに苦しんでいるという部分だけは、痛いほどに理解ができた。悪口を正面から受け取り、その上でさらに他人への配慮を忘れないヘイのその態度は、自身の都合を優先にして文句を垂れる己の矮小さに気付かせてくれ、私は萎縮した気分ながらも、しかしはっきりと答えた。

 

「―――、はい、やってみます」

 

未だに自分の中の気持ちですら制御できず持て余す私だけど、それでもエミヤという超然たる存在の彼が、冷静に突っ走れる彼が、己の体を省みることなく無茶や我武者羅を押し通さない様に気を使ってみます、という返事に、ヘイが歓喜と悲痛の混じった複雑な顔で頷いてくれたのを見て、私は店の外へと足を踏み出す。

 

湿気が満ちる街中に降りる晴天の光は、肌に纏わりつく生温さを伴って私の体を包み込み、私が一歩を踏み出す邪魔をする。手に入れた剣の斬れ味をもってしても両断出来そうにない全身を舐める不快な感触は、まるで今後私たちの行く道の困難を暗示しているかのように思えて、私はその不穏を払拭するかのように、虚勢の態度で気味の悪い空気を無理やり引きちぎりながら、我が家への帰路を急いだ。

 

 

シンの死亡した日より一週間の時間が経過した。仲間の無残な死に直面した彼らはしかし、彼の死亡した次の日から早々に新迷宮で活動を行うための準備を始め、前回三層に潜った時の装備の修繕と新たな道具の用意を終えて再び石碑の前までやってきた。

 

本来なら彼の死に多大なショックを受けていたサガという青年と、響という少女あたりは、戦意喪失や精神的外傷によりトラウマを抱えてもおかしくないと思っていたが、まるで何事もなかったかのような振る舞いを見せることに、一週間という時の中で死という出来事の処理を終えたことに一抹の寂しさを覚えてしまうのは、やはり旧世界の人間の感傷なのだろうか。

 

―――いかんな、なんと傲慢な考えだ

 

勝手に他人の心中を推し量り判断を下した無礼を心中で詫びながら、私は探索の準備を終えたギルド「異邦人」の四人と合流を果たして正式に合同パーティーを組み、共同で新迷宮の入り口より新迷宮の三層番人階へと転移を行う。

 

石碑を触り場所をイメージすると、すぐさま体の浮かび上がる感触がしたかと思うと、次の瞬間には体を強く押され、赤く染め上げられた迷宮の中へと私の体は移動させられる。後ろを振り向いてみれば樹海磁軸とは異なる色合いで青く屹立する柱は、響という少女が一時的に設置した携帯磁軸という転移装置だ。

 

携帯磁軸とは、樹海磁軸とはまた別の、ツールマスターという職業のみが迷宮に設置することのできるもので、迷宮の任意の場所を転移の先に設定できる優れた道具だ。これのおかげで私たちは余計な往復や戦闘をすることなく迷宮内部を進み、私たちはすぐに番人の部屋の前までたどり着くことが出来るというわけである。

 

但し、この携帯磁軸という道具は、樹海磁軸とは異なり、敵味方の区別なくあらゆる物を運んでしまうため、設置の場所を厳密に定められており、また、設置した際には、その場所を守る専用の衛兵を執政院から借りて配備する必要がある。

 

維持と設置に多くのコストを必要とする携帯磁軸はおいそれと設置することができないものではあるが、迷宮という危険と未知なる魔物の闊歩する場所において、探索開始地点を、決まった階層にしか設置されていない樹海磁軸前ではなく、各階の階段前にする事ができるそれは、余計な探索にて生じるリスクを避ける道具として、ある程度以上の実力を持つギルドは必ずといっていいほど利用されている。

 

そんな便利を利用して、私たちはこの度迷宮の十五階へと転移すると、すぐさま目的地の前までとやってくる。目の前にあるのは、新迷宮の番人の部屋の前に共通して存在する、遠目にもすぐさまわかる白く巨大な壁とそれに備え付けられた二枚の扉とその横に伸びる壁。

 

ゆうに高度百メートルはあろうかという天井までを塞ぐ壁は、圧倒的な威圧感をもってしてここより先が足を踏み入れてはならない禁足地である事を雄弁に告げ、迷宮の奥へと進もうとする人間の意思をぐらつかせる確かな効果を持っているように見受けられた。

 

私は首だけ振り向かせて、後ろに続いている一同の様子を眺める。この先で彼らは仲間を失った。この先にある番人の部屋は、彼らにとって忌まわしき場所であるはずだ。悲しみを溜め込めない世界とはいえ、流石にこの場所を前にすれば多少の動揺くらいは見せるかもしれない。

 

もしそこで一人でも動揺があったのならば、それを理由に私一人で先行するか、もしくはその人間を追い返して平生保つ人間のみで進むか、あるいは揃って引き返す事を提案しようと思っての確認作業だったわけだが、幸か不幸か、その行為は杞憂のうちに終わった。

 

彼らのうち誰一人として心折れている人間がいなかった。そのいつもと変わりない様子に頼もしさを感じると共に、やはり少しばかり、不安を抱く。彼の死からそんなに時間も経過していないのに、仲間の死という出来事に対して何の心理的ダメージを抱いていない彼らは、やはり自分とは違う生き物なのではないか。

 

そこまで考えて、しつこく浮かんだ考えを振り払う。そんな彼らの性質に不安を感じたのは、やはりおそらく私が彼らと違う時を生きた人間である、ということを端に発するのだろう。価値観の違いから、勝手に自己と他者の間に壁を作るなど、我ながらなんとも度し難い狭量さだ。

 

たとえ負の感情を溜め込めないというバックボーンがあろうと、その切り替えの早さと胆力は、一歩踏み外せば死が隣り合わせに存在するこの迷宮という場所を攻略するに当たって長所となり得るものであり、賞賛に値するものだ。そういった個人の感性の違いに基づく気質性質のあれこれは、決して己の尺度だけで善し悪しを判断していいものではない。

 

「開けるぞ」

 

ただそれでも、負の感情を溜め込まない、というのはここまで人間の性質を変えるものなのかと我が感性の内より勝手に湧き出てくる驚きは止められず、心中に湧いた傲慢さと狭量を誤魔化すかのように、私は力強く宣言した。

 

一同が頷くのを見て、私は扉の前まで進み、二枚扉の両方を押して開ける。巨大な二つの扉は一度奥へ壁と水平な向きのまま進み、そして部屋の内側に向かって開かれてゆく。

 

樹木が自由闊達な意思を露わにして乱立する赤い林は、以前訪れた時と同じような静けさで私たちを出迎えた。一歩を踏み出す。踵と靴先が湿った地面に埋もれて、ずむずむと水気を含む音を生む。静寂の空気を戸惑わせぬよう、一歩、もう一歩、と周囲を密に警戒しながら前に進むも、以前とは違い、刺すような殺気が、周囲を取り囲むまとわりつく視線がない。

 

確証はないが、新迷宮三層の番人はやはり、その一層、二層と同じように、倒してしまえば復活しないのだろう。これも聖杯戦争とサーヴァントをモチーフにしているからなのだろうか。

 

ともあれ、あれだけの苦戦を強いられた相手が復活していたのならば、シンという男がいない事を勘定に入れると、最悪、こちらも私の持つ真の切り札/宝具を最初から使用する事も視野に入れなければならないかと思っていたため、まずはその予想が外れてくれたことに一息漏らす。少しばかり気負いが薄れ、心理的重圧が軽くなった。

 

多少軽くなった気分の中、しかし警戒を解かず静々と前に進む。私に遅れて、後ろから四人は一丸となって前進してくる気配。多少気分の軽くなった私と違って、彼らの足音からは緊張の気配が伺えた。疑問はしかし、すぐに納得に変わった。もうすぐ彼の亡くなった場所だ。

 

まっすぐと奥へと進む。あと少し進めば、光が差し込んで視界が一気に開け、番人が座していた石とひらけた空間が見えるだろう。そんなおり、周囲の光景が変わった事に反応して意識を下へと向けてやると、周囲に赤く光る珊瑚や、微かに発光している海藻やキノコが一切生えていない、掘り返したばかりのような真新しさ残る地面が広がっている事に気がつく。

 

多少地形の変わったとはいえ因縁深きその場所を、私はもちろん、彼らも当然忘れてはいなかったのだろう。背後で彼らが足を止める気配を感じ取り、同じように立ち止まって彼らに視線を向けると、ダリが言った。

 

「エミヤ、少しだけ待っていてくれ」

 

背の高い彼が向ける赤銅の瞳には、なんと返事を返されようと、己はここでやるべき事をやるという意思が宿っていた。ダリは装備していた槍盾を地面に突き立てて、リュックを下ろそうとしていた。そうして彼が背負うリュックにはいつもと違うものが入っているのを見かけて、私は無言で頷く。

 

「ありがとう」

 

彼は深々と頭を下げると、体の前に持ってきたリュックの中から小さな白い花を取り出して、その地面に置いた。続けて瓶を取り出すと、栓を抜いて中身をその場所に振りまく。散った透明な液体は空気に触れると、少しばかり無念さを帯びたまま地面に落下して、土と触れた瞬間、液体は微かな光だけを放って赤色の中に吸い込まれてゆく。

 

後で知ったのだが、彼が衛兵として活動していた際、五層で入手した素材を使用して作られたネクタルⅱという名の、瀕死の重傷でもたちどころに快癒するという薬であり、今の時代滅多に手に入らないもであったらしい。

 

噂によれば死人すら蘇らせるとうそぶかれる、今後の冒険において瀕死の重症者が出た時に役立つだろうそれを、彼は一切惜しむことなく効果を発揮しない地面に振りまき、しかしその行為に対して文句を言う者はいなかった。

 

その現象の発露から、おそらくネクタル系列であろうと誰もが悟っていながら、いや、その効力とダリの意図を悟ったからこそ、誰一人として文句を言うものはいなかった。

 

ダリの所作を見た一同は、そのままその場所で瞼を閉じて、黙祷を捧げる。しばしの沈黙が辺りの静寂と一体化して、落ち着きのない色で囲まれた場を清浄なものへと変化させた。

 

「あの時、これがあればな……」

 

一番先に目を開けたダリは、ため息とともに後悔の言葉を吐き出した。つられて皆が垂れていた頭をあげる。戦闘と探索の空気が薄れるのを恐れて、私はわざと空気を読まず、通る声で短く呼びかけた。

 

「―――いこう」

 

一同は各々が抱く未練をそれぞれに断ち切るかの様に頷く。振り返って歩を進めると、皆が荷物を背負い直して私の後に続くのがわかった。静寂な森の中で聞こえて来るのは、私たちの足音と風が葉を揺らす音のみ。やがて番人がいた場所を超え、その先にある階段を下り、私たちは悲劇の起こった場所を通り過ぎて新迷宮の四層と呼ばれる場所へとたどり着いた。

 

 

世界樹の新迷宮

第四層「試練の枯レ森」

第十六階「神に運命を翻弄されし赤子」

 

 

新迷宮の四層は翠緑に溢れた一層、原始の生命力が漲る二層、海中の息吹を感じさせる三層とは一転して、生命の気配を感じさせない構造をしていた。赤い土埃が空気中を舞い、光が散乱を余儀なくされた輝度の落ちた場所において、一際目を引くのは赤の空間を貫いて屹立する樹木だ。

 

地面より長く伸びた樹木はどれだけの年月をかけて成長したのであろうか、見上げれば赤い霧霞に曇った視界の更に先、百メートルはあろうかという天井にまで到達する大きさのそれは、十人が輪になっても囲みきれない幹に、目算十数メートルはあろうかという巨大な赤い琥珀がその幹の所々に精製されている。

 

三層の海底よりさらに地の底、深海の光すら届かぬその場所を無理やり掘り抜いて作り上げたかのように、生命の気配が枯れ果てた地獄のごとき空間において、地より天に向かって身を捩らせながら樹木が屹立し必死に天井を支えている様は、まるでパルテノンの重厚な石天井を支える巨大な石柱のそれにも幻視できて、私に、この冥界のような層に出てくる敵が何の英霊をモチーフにして再構成されたものであるかを、容易に想像させてくれた。

 

―――ヘラクレス

 

花霞というよりは逆しまな玄冬を思わせる、紅錦の礫が粉雪の如く舞い、そうして敷き詰められた薄布の向こう側に、碧羅の大地が荒涼と広がる様は、なるほど、狂いの枷を嵌め込まれながらも裡に秘めた苛烈な激情を厳と制し、確かな意志を以ってして森林の奥の居城に住まう可憐なお姫様を守らんと命を賭した、偉大な巨漢の大英雄を表すに相応しい荘厳さと峻烈さと静寂さを同時に内包していた。

 

「あ、ここは少し違うんですね」

「……、なに? 」

 

ギリシャ神話において最も著名な、かつての聖杯戦争においても強敵として立ち塞がった、あの半神半人の大英雄が再び私の行く手を阻むのかと、早々にして多少の鬱屈と億劫を抱いた瞬間、響が漏らした彼女の方を振り向く。彼女は己の漏らした言葉に対して私がいち早く反応したことに少し驚いた所を見せたが、すぐに冷静さを取り戻して、首を小さく傾げた。

 

「何でしょうか? 」

「ああ、いや、違う、とはどういう事なのだろうかと思ってね」

 

尋ねると彼女は、ああ、と掌を叩き合わせて答える。

 

「あそこのですね。あの、太い木の根の赤い塊あるじゃないですか」

「……琥珀の事か? 」

「はいはい、多分それです。あれ、旧迷宮の方では樹液の塊なんですよ。それなのにこっちじゃなんか固まってるなーて、思って。今までの一から三層は色が赤である以外は全く変わらなかったのに、ここは少し違うんだなって思って」

「―――そうなのか」

「はい、でも」

 

それがどうしたのでしょうか、と彼女いう風には首を傾げた。私はただの興味本位だ、と言って誤魔化すと、再び彼女が指摘した部分を眺めた。……、樹木にはまっているのはどう見ても、赤い琥珀のようだった。

 

私は眼球に強化を施してその物体を眺めるが、やはり表面に流動性はなく、粘性があるようにも見受けられない。枯れ木にも見えるほど生気を失った樹木の幹にはまり込んでいるのは、じっくり眺めたところで、やはり流動性はまるでなく、年月をかけて精製された琥珀のようにしか見えなかった。

 

奴にじくりと侵食された証が残る赤い場所において、まるで時を幾億年も加速した後、ピタリと停止させたかのように動きを止めているその琥珀は、あちらとこちらの迷宮で異なる様相の証明に他ならず、魔のモノというものがなんらかの意図をもってしてこの場所を作り上げたのだろうと思わせる効果を持っていた。

 

―――ともあれ敵の領域に長居は無用か

 

「少し急ごう」

 

宣言の後歩みの速度を早めると、一同が反応して頷き、私の後に続く。私は後ろの彼らがついてこれるよう歩く速度を調整しながら、神殿の内部のごとき枯れた森の中を突き進む。一歩踏み出すごとに無抵抗に道を譲ってくれる空気中の粉礫が醸し出す雰囲気は、罠を仕掛けた猟師の殺気にも似ていて、何とも不穏な気配を六感へと訴えてきた。

 

 

うざい赤煙が舞う中を飛び交って、鋼の翼と爪と嘴を持つ鳥が飛来する。目にも見えない速さで飛んでくる鳥の嘴はとんでもない威力を持っている上に、躱そうが防ごうがねちっこく攻撃を繰り返し、また、よくわからない音がなったかと思うと、いきなり地面に斬撃の跡が残るような攻撃を飛ばしてくる。敵の攻撃手段は突撃か見えない斬撃かのたったの二つ。でもこの二つの攻撃がとてつもなく厄介だ。

 

突進はスキルを使ったダリの盾でないと防げない程の威力を持っている。ダリが盾で器用に敵の攻撃を逸らして突撃の方向を地面に逸らしてやった時、これで身動きが止まるだろうと思ったんだけど、地面に奴の嘴が吸い込まれたかと思った直後、地面にすくっと穴が空いて、すぐに少し先の地面から奴は平然と出てきた。まぁ、便利。こりゃ、一匹いれば工事や掘削する時に困らないね、ってか?

 

―――勘弁してくれ。

 

「―――おわっ」

 

愚痴っている間にも一撃が繰り出される。我ながら俊敏な反応と同時に、金属音と地面が擦れる音。ピエールのスキルで回避能力を上げてもらっていなければ、ダリの盾が俺を庇ってしてくれていなければ、俺はこの場で風通しの良い体となって死んでいただろう。

 

そうやってなんとかそいつの攻撃を死ぬ気で躱しても、防いでもらっても、鳥はすぐさま宙で体勢を立て直して、同じように突っ込んでくるのだ。少しくらい休ませろよ、疲れたそぶりを見せろよ。

 

―――ほんと、やな性格の奴だ。

 

もう一個のよくわからない攻撃はそうして攻撃を躱している際、気がつくと食らっている。切り傷っぽいし、多分すれ違う際、爪とか羽とかの鋭いもので攻撃されてるんだろう。こっちはダリでなくとも俺やピエール、響が装備しているような軽鎧の防具でも防ぐことはできるんだけど、なにせ攻撃が見えないもんだから、本当に対処がしにくい。

 

奴らの突撃をギリギリで躱すと生身の部分に傷が増えてるんだから、たまったもんじゃない。多少の怪我は自己治癒と響の回復薬でなんとかできるけど、今後シンの時みたいに万が一が起こるかもって考えると、大盤振る舞いは避けておきたい。

 

―――お前がいたら、こんなことにはならなかったかもなぁ

 

もしそのシンが生きていたなら、やつとすれ違いざまに首を切りつけるくらいの事はやってのけたかもしれない。などと考えると、少し胸が痛んだ。なんというか、喉元まで出かかっているのに言葉が出ない、くしゃみが出てくれない感じの悪さというか、そんな感じだ。

 

あいつがいなくなった、ということに対するどうこうじゃなくて、あって当然だったものがいつのまにかない物悲しさというか、いや、いなくなったから当然なんだが……。

 

―――ああもうわからん。

 

適当を信条とする俺がこんな感傷を抱くなんて、昔ならともかく、今の俺らしくもない。

 

「おいおい、まじか」

 

なんてそんな悠長な事を考えている間に、飛び回る五体の敵が一斉にこっちを向いたのがわかる。やめろよ、お前らに好かれても全く嬉しくないんですけど。ただでさえ太れないちっこい体なのに、物理的な減量を強いるなんて、お前らマジ鬼畜だな。

 

などと悪態つく間にも敵は行動を開始していて、すでに宙を羽ばたいて勢いをつけている最中だ。あれを防ぐにゃ、ダリのパリングかフォーススキル「完全防御」じゃないと無理だな。

 

でも、ダリのパリングは物理攻撃に万能だけど肝心のダリがあんなに早い奴らの連撃に対応できる程反射神経良くないし、素早くもない。完全防御なら耐えられるだろうけど、フォーススキルを使えるほどまだ力が溜まってないはずだ。

 

―――……あれ、詰んでね?

 

一縷の希望を託すかのように周囲を見渡すと、事態を把握してダリが駆け寄ってくるのが見えたが、その顔にはどうしょうもない不吉の未来を予想して絶望していることがわかる。ああ、お前もおんなじ結論に達したんだな。いや、しょうがないよ。だって、無理だもん。

 

敵の強さがあまりに尋常じゃない。空を飛び回る発生するような旧迷宮の四層までの敵ならFOEだろうが番人だろうが、ワイバーンという一体の化け物を除いて簡単に倒せる俺たちですら、あんな速さと硬さとしつこさを持った敵とは戦った事がない。

 

さて、どうすると思ったが、よく考えれば今まで俊敏に飛び回っている時はその攻撃を避けるに必死で、術式を当てるどころか発動を試みるのすら無理だったけど、敵の全部がこっちにまっすぐ突っ込んできてくれている今なら、発動するどころか当てるのも簡単じゃん、と思いなおし、咄嗟に籠手を展開する。

 

もはや千回以上は行っただろう慣れた作業は、敵が動きを見せる寸前のたった一瞬でその挙動を終えてくれて、素早い奴よりもさらに上の速度で術式を発動する事ができていた。さて、こういう硬い外殻を持つ奴には雷が効くと俺の経験では相場が決まっている。少なくとも旧迷宮ではそうだった。

 

籠手の先に雷球が生まれ、放電の光が周囲に走る。放電した雷が空気中の塵芥と反応して、火花を生んだ。とりあえず雷なら金属に向かって吸い込まれるだろうし、飛び込んでくるやつに向けて撃つのであれば、外れるということもないだろう。これを食らって一匹でも死ぬか、あるいは食らった奴が多少なりとも体勢を崩してくれれば、儲けものだ。あとはダリがなんとかしてくれるだろうと期待しておこう。

 

「大雷嵐の術式! 」

 

籠手は俺の意思を読み取って生み出した雷を周囲に拡散させ、あたりは光の網目が張り巡らされる。ちなみにこの攻撃は、俺たちの武器や体を外れて飛んでくれるようにしてあるので、味方には安心安全の雷撃網だ。敵味方を選別する為、俺たちの周囲に一瞬だけ待機してみせた雷は、すぐさま敵を見つけてそちらの方へと腕を伸ばす。

 

バリバリと音を立てながら伸ばされる手は五本。敵は目の前に現れた雷に驚いたのか、少しだけ躊躇して見せたけど、そのまま突っ込んでいく。

 

―――お、これなら一匹と言わず、全部始末できるかも。

 

「……はぁ? 」

 

なんて甘い考えは、早々に打ち破られた。敵はなんと、雷を嘴で弾きながら突っ込んでくるではないか。いや、効かないのかよ。じゃあなんでお前は驚いてみせたんだよ。インチキ過ぎんだろ、この嘘つきめ。なんて愚痴っている間にも敵は迫っている。

 

―――ああ、こりゃ死んだな

 

遺言でも捻り出すかと我ながら録でもないことを考えていると、横からなんかが飛んできて、敵の体を貫いて方向を別に向けてくれた。進行方向を強制、かつ、急激に曲げられた敵たちは飛来物の強制に逆らうことができずに、枯レ森の彼方に吹っ飛んでいく。

 

その中の、一体だけが手近にあった樹木の幹にぶつかって動きを止めた。悲鳴と共に、樹木に鳥が縫い付けられる。そうして俺は、ようやく飛来した物体の正体を知ることができた。それは矢だった。多くの返しがついた矢が敵の体内に食い込んでいる。

 

助かった、なんてと考えることもできずに呆然と敵の体を眺めていると、弓矢の刺さった場所から煙が上がったかと思うと、その肉体がドロドロと煙を立てながらとろけてゆく。あ、これ見覚えがある。三層で響が無茶やった時にすごい仰天した、蛇から抽出した毒の効能だ。

 

どうやらこの雷すら弾く外殻がクソ硬くすばしっこい敵は、反面、体内が繊細な作りの様で、内部に毒を打ち込まれると即死する、三層の犬と同じ体の作りをしていたらしい。まぁ、特化したタイプの敵の宿命だな。それにしてもこの飛び回る敵のクソ硬い外殻を見事に当てて、その上貫くなんて一撃を放つ芸当ができるのは―――

 

「間に合ったか」

 

―――このパーティー内では一人しかいないか

 

言って登場したのは、弓を持ったエミヤだ。エミヤの後ろ腰、バッグと反対の方には、矢筒に数十本の矢が入っている。しかし直前までは無手だったと思ったけど、あの弓と矢は一体どこから出したのだろうとか、もしかしてあの毒塗った矢を飛ばしたのかよ、よく弓も矢も溶けなかったな、毒液飛び散らない? とか、色々な疑問が湧いたけど、まずは。

 

「助かったー! ありがと! 」

 

飛び上がってわざとらしいくらいの笑顔で礼を言う。すると、エミヤは警戒を解かないまま静かに頷いた。返答には驚くほど感情が伴っていなくて、まだ敵が死んだのを確認できていないから警戒を解く訳にはゆかないという決意が見て取れた。うーん、ダリ以上に真面目なやっちゃ。

 

「それにしても、よくもまぁ、こんなん思いついたし、やってのけたな。普通考えないし、できないぜ? あんな馬鹿速いのが攻撃する瞬間、毒矢を当てて仕留めようなんてさ」

 

ふとそんな事を言うと、エミヤは少しばかりバツが悪そうな顔をして、まぁな、と答えた。はて、褒めたつもりだったが、何かまずいことでも言ったのだろうか。うーん、わからない。この手のダリと同じタイプの人間は成果を褒められると喜ぶものだと思ったが、違ったかー、残念。

 

「ダリとピエールもあんがとなー、助かったよ」

 

続けて二人に礼を言うと、息を切らしたダリはそれでも盾を掲げて。相変わらず落ち着いた様子のピエールは竪琴を鳴らして、素直に礼を受け取った合図を返してくる。渋々と呆れの成分を含んでいるが、うん、これが普通の反応だよなぁ。

 

―――……ま、いいか

 

「エミヤ。戦いは終わったと思っていいのか? 」

「多分な。目の前の鳥があの様なザマになったのだ。おそらくは毒矢を突き刺した他の四匹も同様の結果になっただろう。皆中の上、確実に奴らの胴体を貫いてやったからな」

 

答える顔にはやはり感情がなくて、残心というものが解かれていない。戦闘終了と言いながらも、警戒を解いていないのが丸わかりだ。少しばかり過剰すぎる気もするが、まぁ、今こいつはこの合同パーティー唯一の物理アタッカーだし、色々と気負って、気を張ってしまっているのだろう。ダリと同じで糞真面目なタイプっぽいし、きっとそうだ。ならこっちとしては出来るだけ、いつも通りに振舞って、慣れてくれるのを待つしかないよな。

 

「あいよー、……というわけで響、あれ、剥ぎ取りよろしく」

 

俺はダリとピエールの間に響を見つけると、両手で指差した先にある樹木の下には、エミヤが撃って毒殺した敵の残骸が転がっているそれを指差した。肉の部分は大半が残らず溶けてなくなってしまっているので、無事に残っているのは鋼っぽい素材だった、翼と爪と嘴のみだ。

 

「あ、はい、わかりました」

 

響はその指示を聞いて素直にそちらへと向かった。うん、自分で言っといてなんだけど、胆力あるなぁ。俺なら少なくともあんな、ぐちょぐちょで、べちょべちょで、うにょんうにょんの赤い塊、とてもじゃないけど触る気にならないよ。グロいし、なにより毒かかってるし。

 

「彼女だけに任せて大丈夫なのかね? 」

 

エミヤが尋ねてくる。その顔には、少女一人に解体の重労働を任せるのは如何なものかという非難の声が浮かんでいた。

 

―――ああ、そういえば、こいつが加入してから初めての剥ぎ取りだったっけか。

 

「むしろ、響だけのがいいんだよ。あれは響が一番の活躍ができる場面だからさ」

「……、なるほど、彼女は道具の扱いと素材の取り扱いを専門とする職業だったな」

 

返すとエミヤは脳内の記録から、響の職業の特徴を引き出したらしく、何度も頷いて納得の反応を返してきた。戦闘が終わった直度にサッと切り替えて思い出せるあたり、さすがは手練れの人間だと思う。俺はいらぬ世話かなと思いながらも、一応の補足を付け加える。

 

「ツールマスター。迷宮に行く機会も多いから、一応戦えない事もないように戦闘や探索のスキルも習得出来るようになっているけど、本当はああいった冒険者の持ち帰った素材の解体とか、道具の力を引き出していいもの作ったりするのが専門なんだよなー、あの子」

「ほう、その様な職業の女性が、なぜまた、冒険者に? 」

「その辺は事情があるんだよ。俺からは言えねぇ。知りたきゃあの子に直接聞いてくれ」

 

ひらひらと手を振って話を打ち切ろうとすると、エミヤは真面目な顔で頷いた。

 

「なんだよ」

「いや、軽薄な言動だが、中々に他人の事を考えているのだな、と思ってね」

「……あれあれ、もしかして、馬鹿にされてる? 」

「まさか。私の見る目が曇っていた故、反省せねばならんなという自省さ」

 

その自嘲は、エミヤが今まで俺のことを軽薄で考えなしに見ていたと告げる言葉だったけど、別にそんなに腹は立たなかった。昔から、失敗した時の雰囲気に耐えられず茶化すことで場を和ませてきた俺にとって、自覚のある悪癖の点だったからだ。

 

「まぁ、いいや。じゃ、とりあえず響の回収が終わるまで、情報整理しとこうぜ」

 

そういって俺が筆と墨、紙を取り出すと、エミヤも続けて腰のバッグから同じものを取り出す。俺たちは揃ってダリとピエールに近づくと、先ほど戦った敵の特徴などを話し合う。

 

会談する中でエミヤという男は、今さっき相対した敵の特徴のほとんど全てを正確に言い当てた。一番驚いたのは、やはり毒が鳥に有効と一目で見抜いて実行した点だ。一体どのようにして敵の弱点を見抜いたのだろうか。うーん、エミヤは相変わらず謎が多い。

 

もしかしたらクーマのいう、過去の人間というのも本当で、その知識に基づくものなのかもなぁ。もう少し、ばかり時間にゆとりがあったら色々と突っ込んだ所を質問して仲良くなれるかもだけど、ああまで切羽詰まった様子のあいつには聞きにくいし、まぁ、そのうち話してくれるのを待っていればいいか。

 

 

「エミヤ、ところで、君、その武器はどうやって取り出したんだ?」

 

今更といえば今更すぎる質問をすると、彼は弓を持った手を下ろし、反対側の手で少し躊躇いがちに口元を覆い考え込む。そうして少しの間逡巡して見せると、言った。

 

「どうやって、というのは説明しづらいな……、そうだな、質問を返す形で悪いが、君たちは、君たちがスキルと呼ぶ力が、どういった一連の流れでその現象を引き起こすのかを知っているか? 」

 

私は返答に困った。スキルはなんとなくで使える便利なもの、と言う感覚で使用していたので、どういった仕組みであるかなど考えたこともなかった。助けを求めるかのように眉をひそめて周囲を見渡すと、唯一サガだけがニヤニヤとした表情でこちらを見ているのがわかった。

 

あれはおそらく、いつもなら嬉々として知識を披露する私がすぐに返答をしない事から、私が知らぬ事を見抜いて、尋ねてくるのを待っているのだ。普段色々と気を使っている反動か、奴は所々の部分でこうした意趣返しを行うことがある。私は知らぬは恥でないと言い聞かせながら、おそらくはサガの思惑通り、奴に尋ねる。

 

「……、サガ、わかるか? 」

「おおとも。万物の神秘を解き明かし、あらゆる力の流れを自在に操るのがアルケミストの役目でありますれば、当然わかりますとも。……ダリ、スキルの始動から発動までの一連の流れはよく店の酒の注文に例えて説明される。俺らが酒、すなわちスキルを発動したいと考えると、その注文内容は瞬間的にその女将へと伝わって、受付から内容に応じた酒の種類と量が俺たちの元へと寄越される。この時、俺たちがどのくらいの酒量を頼めるかは、財布の中身、つまりは精神力によって決定されるし、どんな種類を頼めるかは個人のアルコール耐性、つまりは職業によって左右されるし、どのくらい度数の酒を頼めるか、つまりはスキルレベルは、院への貢献度によって上下幅があるってわけだ―――こんな感じだろ? エミヤ」

 

サガはニヤリとして彼に尋ねる。エミヤは少しの逡巡の後、やがて咀嚼し終えたのか数度軽く頷き、小柄なサガの顔の方を向いて納得したと言わんばかりに深く一度頷いた。

 

「そうだな。―――、そう、おそらくはその通りだ。いや、驚いたよ。まさかその様な喩えで返ってくるとは思わなんだ」

「なにぃ? やっぱりお前も俺を侮ってた口かぁ? 」

 

サガが不服そうに、態とらしく口を窄めて文句を述べる。エミヤはその大業の態度に苦笑しながら手を横に振ると言う。

 

「いや、違う。ああ、いや、そうだな。まさかその様な比喩の答えが広まっているとは思っていなかったんだ。なんというか、川の流れや大海のそれに例えられると思ってばかりいた……、ああ、しかし、そうか、そういえば、ここはそういう土地だったか。なるほど、そうだとすれば、より身近な物でわかりやすく例えられるのが自然というものか。言うなれば、冒険者の多くを侮っていた形になるかもしれん」

「……よくわからんが、エミヤ、お前、ピエールみてぇにいい性格してんな」

 

一人勝手に納得して見せたエミヤに対してサガは呆れた表情を返すが、当の本人は悪びれる事もなく、手の平をひらひらと振りながら嘲りに似た鼻息を一つもらすと、こちらを向いてニヤリと笑ってみせて、口を開こうとする。

 

多分彼にしてみればそれは別に相手を見下す意図を持たない自然の反応なのだろうが、その自嘲にも似た前置きの態度が妙に板についていて、私はなんとなく、彼という人間は私に似て、他者の評価などをどうでもいいと思っている点があるのかもしれないと思った。

 

「ダリ。先ほどのサガの例えに倣うなら、私も君たちと同様に、女将に酒を注文する事で剣や弓矢、盾を生み出している。ただ、その注文方式や、注文の発注先が君たちと同じ場所ではないのだ。そうだな、言ってみれば、店の中で出前の注文している様なものだ。そうやって私は「私の世界」に注文を出す事で、様々なものを取り出していると言うわけだ」

「ふぅん、なるほどね? 」

 

サガが生返事を返す。私は何も返事ができずに、ただ首を傾げるばかりだった。エミヤは多分彼なりに気を使ってサガの話になぞらえてくれたのだろうが、結局どうやって剣を生み出しているのか、どこから剣を生み出しているのか、という問いの具体的な答えになっていない。流れでなく仕組みを知りたかったわけだが、その理屈屋の彼らしくないあやふやな答え方から、私は、多分彼はこの辺りの話題をはぐらかしたいのだなと直感した。

 

「まぁ、ようは、気にすんな、ってことさ。同じような理屈で俺もこいつも戦闘出来てるんだし、だったら別に誰がどんな原理でどんなスキルで戦おうが、どーでもいい事だろ? 」

 

そんなエミヤの気持ちを私同様汲み取ったのだろう、サガが言う。

 

「まぁ、そうなのかもしれんが……、いや、ああまで見事に、剣、弓、盾を状況に応じて使い分けるのだ。他にもどんな事が出来るのか知っておいた方が、戦術が組み立てやすいと思ってな」

 

そこまで言って、ついこの間の話し合いのことを思い出す。本来なら協力者となった時点でそういった能力などを明かし合い、戦術を組み直すのが冒険者としては普通なのだが、

 

―――手札を全て明かしてもいいが、やれる事が多すぎて語りきれん。それにダリ。君はいざという時にやれる選択肢が多いと、どれを選んでいいか分からず混乱するタイプだろう? 出来る事を一々語り、無駄に選択肢を増やして君や君たちを混乱させるよりも、状況に応じて私が適切な対応をしたほうがスマートだ。なに、損はさせないさ―――

 

などと、実力差を盾にした上でのこちらを思っての提案なのだと言われては反論のしようもなく、特に己の欠点を槍玉にあげられた私は、強くでられなかったというわけだ。

 

とはいえ、いざ戦闘に直面すると、予想以上に彼はなんでも出来る事に気付かされる。少しでも足手まといにならず、その背中に追いつくために、だからこそ出来る事ならこの場で彼の戦闘手段を少しでも知っておきたかったのだが―――

 

「……、そうだな、まぁ、そのうちな」

 

彼はそれだけ言うと、再び口を閉ざし、何も語ってくれようとはしなかった。やはり未だに実力差のある私達を信頼しきれていないのだろう。その頑なさに私は何も聞ける事がなくなって、そのまま彼とは閉口の関係を保つ事となる。

 

その理屈屋で頑としていて、他人の都合に左右されず己の意見を貫くあたりから、おそらくやはりは、彼という人間は私に近いのだろうと感じ取る。

 

何かきっかけがあったのならば、もう少し何か話せるかもしれないが、おそらく今の彼の様子から察するに、それが余程の事情でない限り、話してはくれないだろう。その頑なさにまるで鏡を見ているかのような気分を味わった私は、ふと考える。

 

―――しかし、私と言うものは、周囲からすると、こうも扱いづらい人間だったのか

 

そうして同一視する事は彼にとって失礼と思いながらも己と同じような性質を持つ人間を前に、私は響が解体作業を終えるまでの間、これまでの所業を振り返り己の未熟と傲慢さを反省するという、彼にとって無礼となる行いを止めることは出来なかった。

 

 

ダリとサガ、そしてエミヤのやり取りを見て、私はひどく複雑な思いを抱いていました。多少硬くはありましたが、和気藹々とする彼らの様子がかつてシンが生きていた頃を思い出させたからです。かつては、シンが聞き、ダリが答え、サガがそのサポートをするという役割を、今では、ダリ、エミヤ、サガが、そのままバトンを受け継いでいました。

 

以前のダリは秘密主義なところがあり、己の事を語りたがらないところがありましたが、おそらくその秘密とは、第五層についてのあれこれだったのでしょう、以前のクーマとの会談にてその事を隠さなくても良くなったことによって、彼は以前よりもずっと素直な人間になりました。おそらくその内、もっと素直になりも、明朗になり、付き合いやすい人間になることでしょう。

 

サガは……、まぁ、良くも悪くも変わっている様には見えません。あれだけ懐いていた相手が消えたのですからだいぶ影響があるだろうと考えていたのですが、誤算でした。その変化のなさは、いい意味、とも悪い意味、とも今のところは言えません。まぁ、要注意、程度でしょうかね。

 

問題は―――

 

「素材の回収が終わりました」

「ご苦労様」

 

響とエミヤの二人でしょうか。

 

まず響です。素材を持って戻ってきた彼女の顔には、三人のやり取りを見てシンの生きていた頃の光景を思い出したのか、当時を懐かしみながらも、彼の欠如に悲しみを抱く、郷愁哀悼無常の入り混じった、複雑な表情が浮かんでいます。

 

この世界において悲しみの感情を記憶と共に抱え続ける為には、喜びの感情と共に抱え続けなければいけないとはいえ、結果、歓喜と相反する思いから生じる、えもいえぬ矛盾の苦しみを抱えたまま常日頃を過ごさねばならず、しかも、その心苦しさを処理することもできないという、まるで凪いだ海の上でただひたすら小舟にのって耐えざるをえないでいるような行き場のない痛み、わたしにはよくわかります。

 

このままでは彼女もわたしの如くに、処理しきれない感情の発露から物事を素直に受け取る事が出来なくなり、鬱屈とした思いから性格が捻じ曲がって行き、皮肉という形で悲哀を発散する事の出来ない歪みを表に出すようになってしまうようかもしれません。

 

ああ、吟遊詩人として多くの悲劇を収集し、知らぬ人の悲しみを抱え込んできましたが、直近味わった、近しい人の死の悲哀が齎す苦痛は格別でした。多少の苦痛なら刺激にもなるのですが、あの破滅的な苦痛は、とても刺激と呼べるものではありませんでした。

 

あれは痛苦の烙印そのものです。心に焼印として傷を与えられてしまったが最後、常にじくじくと痛み続ける熱情を抱えて生きる事を強いられるのです。私はもうこれ以上、あの親しい知人が死んだ際の引き裂かれる思いを味わいたいとも、増やしたいとも思いません。

 

吟遊詩人としてそのような生き方を覚悟した私ならともかく、シンという男がその思いを託したまだ多くの部分に無垢色を残す白百合が、手折られ、摘み取られ、悲劇色に染め上がってゆく様など見たくはありません。これは早急に対策を考える必要がありますね。

 

「どの程度回収できた? 」

「金属骨格の部分だけです。それ以外は全部溶けちゃってました」

「了解だ。では、先を急ごうか」

 

また、エミヤの方も問題です。平然と強敵を屠って見せる彼は、未だに実力の底も、隠している過去の秘密も、その全てを隠し通そうとしたまま新迷宮を攻略してやろうといい気概に満ちていて、誰も彼も信頼していない節があります。

 

信じて用任するが、信じて頼りはしない。己の能力が抜きん出ている事を知っているから一人でなんでも解決しようとして、そしてその通りにやり遂げてしまう。

 

その傲慢ながらも、しかしそれに見合った実力を持つ様は、まるでエミヤの活躍を知る前までのシンを見ているかのようです。何でもかんでも出来てしまう分、あらゆる事象を自分で処理してしまおうとして全てを抱え込み、気が付かぬうちに許容量を超えてしまう。

 

本人は気付いているのかいないのか知りませんが、側から見れば、彼の有り様はまるで風船を用いて肝試しをしているかのようです。幸いなことに、本人の問題処理能力が高い故に未だ破裂には至っていませんが、不幸なことに、本人の処理能力が優秀すぎる上、心身の耐久力も高すぎる故に、彼自身、破裂の限界がどこにあるのかを知らないように見受けられます。

 

しかして、そうして能力の高い彼にとっても、現在抱えている新迷宮の踏破という目的は、彼にとって処理の分水嶺を超えた望みであることは、彼が無意識のうちに発する焦燥感から読み取ることができます。

 

そうやって結果を求めて生き急ぐのは彼の性分のようですし、他人であるわたしにはその生き方にどうこう文句をつける権利はありませんが、そうして結果を急いて求めた結果、シンのように死なれてしまっては、なんとも目覚めが悪い事になります。

 

とはいえ今すぐにその点を指摘したところで、聞かせたところで、彼は先ほどのように誤魔化してしまうでしょう。あるいは、優秀な彼の事ですから、己の中に焦燥がある事を指摘すれば自覚し、一時は歩みを緩めてくれるかもしれません。

 

ですが、その後すぐに歩幅を戻して注意を促した周囲どころか己すらも誤魔化す振る舞いをするようになる可能性が高い。いえ、きっとそうなるでしょう。だからまだ話せない。

 

そう、まだ彼の内面に踏み込む為には、私たちは彼と過ごした時間が少なすぎ、共に積み重ねた経験が少なすぎます。まだ。そう、まだダメです。焦ってはなりません。交渉を切り出す際は、適切でもっとも効果的な時を狙わないといけません。とはいえ遅すぎてもいけない。

 

―――もし、彼の内面にもっと踏み込む事の出来る存在がいれば、あるいは、もう少しじっくりと仲良くなる時間があれば、我々の関係も違ったものになったかもしれない

 

そう思うと、残念でなりません。このまま互いを知らぬままの関係を保った状態で新迷宮を進んでいると、必ずどこかで歪な状態で信に命を預け合っている代償を払う羽目になる可能性が高い。すると結末は歪みを保ってきた代償としては死という代価を求めてくるかもしれません。

 

しかしまだ希望はあります。彼は新迷宮の四層だろうと出現する魔物を歯牙にかけないほどの実力を持ち合わせていますし、少なくとも四層の番人の部屋に到達するまで、生死に関わる自体は起きないでしょう。実力的な面で言えば、おそらく、番人の待ち受ける部屋までは安全を保てる可能性が高い。

 

が、反面、時間的な余裕はありません。この調子で行けば、あと数週間もしないうちに迷宮四層最奥まで辿り着いてしまう事でしょう。彼の実力と我々の協力があれば、それは全くたやすい事であることは自明です。

 

―――さて、ではそれまでの間になんとか彼と親交を深められる出来事が起こってくれる事を祈りましょうか。

 

 

世界樹の新迷宮

第四層「試練の枯レ森」

第十七階「剛勇無双を発揮した青春の日々」

世界樹の新迷宮

第四層「試練の枯レ森」

第十八階「狂気の代償を支払うべく神託を求めた朱夏の日」

世界樹の新迷宮

第四層「試練の枯レ森」

第十九階「神与え給うた苦難を歩んだ白秋の道」

 

 

これで四度目の遠征。

 

広く空を覆う、赤い天井。どのくらいの高さなのか、その天井までその身を捻らせながら伸びる樹木は、色さえ無視してしまえば、旧迷宮の四層、枯レ森と変わらない。

 

そう、天井より落ちてくる砂がどこかから入り込んでくる光を反射してキラキラとひかる光景も、グネグネと歪んだ渇いた砂の地面も、その地面に生える刺々しい植物も、そのあまりの太さ故に幹が途中で己の成長を支えきれず折れてしまった樹木も、まるで一緒。

 

ここはまるで、旧迷宮の四層を完全にそのまま持ってきて着色の度合いだけを変えたかのような景色。そんな中、光彩の差異を除けば、違うのは、二点。一つは、樹木の幹より漏れ出していた樹液が、琥珀という物質に変わっている事。もう一つは、出現する魔物が、旧迷宮の四層のとは比べものにならないくらい、強い魔物に変化した事だ。

 

旧四層に出現する魔物のうち、火炎ネズミは、斬撃も刺突も打撃も一切効かない、巨大な猫の化け物に。ゴールドホーンは、とんでもない素早さで逃げ回るように。ブラックボアは元々の数回りは大きくなり、スナトビデメキンは素早く飛び回る鳥に、ヒュージモアは四足の馬になっていた。

 

後ろの二体は種族が違うのだから、変化というのは正しくないのだろうけれど、倒した後の体を解体すると、内部の作り、つまりは体組織から、血液の色、内部臓器、その他構造までがとてもよく似通っていて、そうとしか表現できないのだ。

 

「――――――! 」

 

しかしそんな、四層の魔物が可愛く見えるほどの強さを持った魔物たちは今、私たちの編み出した戦術によって次々と死に絶えてゆく。巨大な猫の化け物は、大きく口を開いた瞬間を狙ってサガが炎の術式をぶち込むことで、窒息死させる事ができる。

 

大猪はその巨体での体当たりをダリがパリングで防いだ次の瞬間、エミヤがさくりと切り捨てて終わりだし、素早く飛び回る鳥はエミヤが毒を塗った矢で撃ち落として終わりだし、馬と牛はその細い足を折るだけで地面に倒れこんで行動不能になるから論外だ。

 

「よーし、いいぞー、やっちまえー、エミヤー」

「気楽に言ってくれる……」

 

ちなみに、これらの魔物の対処法を見出したのは、今こうしてサガに気楽な掛け声を投げかけられた男、エミヤだ。彼はこの未知だった魔物の特性を見抜き、すぐさま臨機応変に見事な応対を編み出しては惜しみなく教えてくれたので、私たちは大した労力を費やすこともなく、魔物を難なく撃破する事ができているのだ。

 

今回の敵は、多分メディーサツリーと呼ばれる植物の魔物が変化したのだろう奴だ。元が樹木の形をした魔物だったそいつは、胴体にあった人の顔が牛の顔になった上で三つになり、頭部から生えた腕が六つに増え、沢山あった根の足が減って六つだけになっていた。

 

また、頭部にあった髪の毛の先に生えていた石化をもたらす四つの目は失せていたけれど、代わりに元々は樹木であったため炎が弱点であった特性が消えていて、ついでに炎どころか氷も雷も効かないようになり、驚くほどの俊敏性と腕力、回復力をも備えるようになっていた。

 

けれど。

 

「ほら、敵さんこちらっと」

 

それでもサガのこの余裕。サガはニヤニヤと意地の悪い顔を浮かべながら、数度無効化された経験から効かないことを承知なんだろうけど、雷を放つ。機械仕掛けの籠手により威力を強化された雷は、三つの顔を持つ敵の、その一つの顔面を見事に捉えて包み込む。直撃の瞬間、元メデューサツリーの体からは少しばかり火花が散り、側雷撃が近くの樹木を貫通する。

 

やがて雷光が晴れて敵が上げた顔は、やはり予想通り、まったく傷が付いていない。代わりに見えたのは、怒りに眼を輝かせた様子だ。そいつはサガの方を見ると、攻撃の対象をエミヤからサガへと変えて、そして怒りに任せたまま、突進する。

 

「おっと、予想通り」

「任せろ、パリング! 」

 

サガめがけて繰り出された巨体の前にダリが躍り出た。掛け声とともに生み出された物理攻撃の威力を完全に遮断する膜がダリの構えた盾の前に出現し、ダリは巨体の突進を事もなさげに受け止めた。ダリの前に現れた光の壁が役目を薄れてゆく。

 

「響! 」

「あ、はい。縺れ糸」

 

エミヤの指示で私は足用の縺れ糸を使う。私が敵めがけてぶん投げた糸は、ダリの盾の前の壁が消える前にシュルシュルと形を崩していくと、敵の足に巻きつき、その足を絡めとる。敵はその六本足を絡め取られて、窮屈さから解き放たれようと、必死の抵抗をしてみせた。

 

その抵抗や激しく、縺れ糸は数秒も持たないだろうことは簡単に見て取れたけれど、それで十分だ。少なくともこれで、その数秒は先の突進は使えないし、それどころか動くことすらままならないはず。一応、六本の腕と口から吐き出される石化のブレスはまだ脅威で危険だけれど、そんなもの近寄らなければいいだけの話だ。

 

「よくやった」

 

そうして少し離れた場所から聞こえる賞賛の言葉を投げつけてきたエミヤは、すでに矢を弓に番えていた。ああ、終わったな、と直感。彼がその弓を取り出すその時は、一度だって外す事なく敵を打ち貫き、見事に敵を仕留めてきた。だからもうあとは、彼がその矢を離してしまえば、この戦いもおしまいなのだろうと私は確信した。

 

「そしてさらばだ」

 

ヒュン、と風切り音がしたかと思うと、赤の霧を切り裂いてエミヤの矢が敵の頭部を貫通した。一層の蛇から取れた毒を加工して作った毒を塗った矢の一撃は敵の顔面が引っ付いた胴体に見事な穴を開け、続けて音も重なるほどの直後に放たれた第二射が胸の心臓があっただろうあたりを突き抜けていく。

 

頭部と胸を矢によって破壊された敵は、そのさらに直後、傷跡から毒が巡って全身が融解してゆく。驚くほど有効に働いた毒の効力により、赤の埃が舞う中に、樹木と毒が混じった化粧水がばら撒かれて、その敵は瞬時に背丈を縮めさせられていた。

 

これでもう戦闘終了だ。正直、ここまで一方的だと、謎の罪悪感が湧いて、必死にこちらを仕留めようと襲いかかってくる的に哀れの感情を抱いてしまうほどの一方的さだった。

 

とはいえ一応、常にどんな敵でもこんな風に簡単に仕留められるというわけではなくて、例えば、金色の鹿はこちらの姿を見かけた瞬間、目にも止まらない速度で私たちから逃げていってしまうから未だに倒せていないし、今みたいに初見のやつ相手だと多少手間取る……事もある。

 

でも、言っても、多少手間取るだけで、結局簡単に倒せてしまうのだ。

 

「さて、これで手仕舞いか」

 

これだ。この強さ。正直、私の援護などなくとも、彼はきっと同じように敵を打ち貫いていただろうと私は確信する。別に私の道具がなくても、ダリの防御がなくても、サガの援護がなくても、彼は間違いなく、同じように敵を仕留めてしまうだろう。多分、彼は同行者である私たちに気を使って、一人で簡単に敵を倒し切らないようにしてくれているのだ。

 

直接的な援護が必要ないというのなら、今後、彼の役に立てそうなのは、彼の身体能力を引き上げることのできるピエールだけだ。ああいやでも、そういえば、前回の戦いではダリがいなければ死んでいただろうから、彼もきっと必要とされている。

 

そしてようよう考えてみれば、ここまでの戦いの中で、サガが気を逸らしたからこそ、その隙に彼が敵を楽に仕留められた場面も多々あった。つまりはサガもエミヤに必要な人員として捉えられているのだろう。

 

しかし、三人とは違って、自分だけはそうでない。

 

先の場面を思い返せばそれは明らかだ。先ほども、ダリが敵の足を止めた時点で、こちらに指示をする暇があれば、彼ならその間隙を使って弓と矢で敵を仕留めることが出来たはずなのだ。それが意味するところはとどのつまりは、私は多分、出番がないという事で僻んだりする事のないようにとのお情けとお零れにて、活躍の機会を与えられただけに過ぎないのだろう。

 

頼りにされていない。お荷物扱いだ。そういう風にされる理由は、己自身の未熟さを以ってして、嫌という程理解できている。そうして早く己の未熟を理解できるのは優秀の証ではなくて、私はここ数週間の間、迷宮に潜らない間、暇さえあれば彼の元を訪ねて、彼の鍛錬に付き合わせてもらっている経験に基づくものだ。

 

シンが最後に私に託した、最期の願い。刀を三竜に突き立てて欲しいという彼の遺言に導かれるようにして、あの日以来、私は暇さえあれば剣を振るうようになった。エミヤのアドバイスで刀より剣に生まれ変わった、この二振りの刀を、だ。

 

使うなら折れた方をメインに鋳造しなおすがいい。刀は鍔の一センチ程の部分が弱い。素人が遠心力に頼って振り回すと、大抵そこから折れる。鋳型に流し込んで刀身の強度を均一に造りあげる西洋剣の方が負担は少ないだろう。そんなアドバイスをもらって以降、助言通りの両刃の剣として生まれ変わった彼の剣「カムイランケタム」を、「薄緑」と共に振るう。

 

シンが最後につげたアドバイスの通りに体を動かし、背筋を伸ばし、毎日毎日、剣を振る。そんな努力の結果として、この四度の遠征までの数週間の時の経過の最中で、私は己でも驚くほど上手く剣を振るえるようになっていた。無茶の証に潰れた血マメはすっかり固くなって、タコにまでなっている。

 

そしてなるほど、やはりシンの見込んでくれた通り、わたしには剣の才能があったようで、やればやるほどうちにその剣筋は鋭くなっていくのを実感できた。それでもまだ、彼らには、彼には届かない。届かない。どれだけ振るっても、わたしはシンのいう、シン以上の剣を振るう私になれる気がしない。

 

私がシンから受け継いだ剣の二振りを、どうにか交互に持ち替えながら振り下ろして動きを叩き込んでいる傍ら、エミヤという男は、文字通り目にも霞む速度で腕を脚を動かして、地を蹴り、宙を舞い、仮想の強敵との戦いに勤しんでいる。

 

その上で、彼はこちらの様子を完全に無視しているわけでなく、時折、私の修行がうまくいかない時には助言をくれたりするのだ。彼は己の内面の世界に敵を生み、思考内で強敵との苛烈な戦いをこなしながらも、周囲に意識を飛ばして俯瞰する事をやってのけるのだ。

 

そんな日々を過ごすうちに、私は彼の中に、シンという男の真っ直ぐさとダリという男の冷徹を見つけて、きっと彼はヘイの懸念したような、感情と理性の暴走を起こさないのではないだろうかと思うようになっていた。

 

こう言ってはヘイや歳を経た人に失礼かもしれないが、エミヤという男は、この世界における誰よりも精神が老成していると感じられる。彼はきっともう既に人として完成しているのだ。

 

多分彼は、おそらくは誰よりも色々な経験をして、多くの人々の完成形を知っているからこそ、未熟な私に適切な情けをかけてくれいて、無意識のうちに成長の機会を与えてくれているのだろうと思う。

 

加えて、己の益は全くないのに訓練を見守ってくれているのは、シンという男との約束があるからというのもあるのだろう。そういう、冷静な表面と冷徹を基本とする基本態度とは裏腹に、情に厚い部分と義理堅さがエミヤという男にはある。

 

その心遣いはありがたい事だと思う。思うけれど、ただ、不安と不満がないわけではない。そんな優しくも優秀な彼が私をこの旅路に同行させてくれている理由が、別に自分の能力が必要だからではなく、私が可哀想だから、連れていってもらえているのだと思うと、その必要のされていないという境遇が、かつて赤死病の噂が広まっていた頃の自分と重なり、正直、結構辛い。

 

迷宮は彼らがいれば、エミヤとあの三人がいればきっと迷宮は攻略されるだろう。そう、彼がいればきっと、シンの最期の願いだって叶えさせてもらえるだろう。シンの最期の願い。彼の剣を、強敵に突き立てて欲しいという願い。そう、それだって、彼の手に託してしまえば、間違いなく叶えてもらえるだろう。

 

死者の最期の思いを叶えてやる。それはきっととても喜ばしい事だ。でも、別に私の協力や努力がなくてもそれが達成されると思うと、胸が千切れるほどに痛い。私なんかいなくとも、そうやって彼の願いを成し遂げられてしまうだろうという事が、私にとってなにより辛い。

 

シンの最期の願いが叶う事は嬉しい事のはずなのに、それが私なしでも成し遂げられる事だと思うと、願いなんて叶って欲しくないと思ってしまう。この矛盾した感情をどう処理すればいいのだろうか。それとも、このわけのわからない感情は、やがてシンや両親を失った後のように、消えていってしまうのだろうか。

 

それは嫌だな、と思う。彼のことを思い出すと、胸が痛むけれど、同時に湧き出てくる暖かい気持ちが、それは嫌だと主張する。でもどうすればいいかわからない。わからない。わからない。シンが死んだ時から、あの日から、私の目的は最下層の番人に刃を突き立てる事だけだった。彼の代わりに刃を。

 

―――君ならば、私以上に剣を振るえるようになれる

 

―――本当に? なら、それはいつ?

 

ああ、なんでシンは、私なんかに願いを残していってしまったのだろうか。なんで。剣を代わりに突き立てて欲しいと私に頼んだのは本心だったのだろうか。もしや、もっとも近くにいたから、今際の際に口をついてそんな言葉が出ただけなのではないだろうか。

 

そんな風に思う自分がすごく嫌だった。結局私は、私の事情でばかり悩んでいる。それがすごく醜く見えて、嫌だった。醜悪な疑念の答えを求めて過去の彼に問うても、過去の記憶となってしまった彼は、当然のように何も答えてはくれない。

 

「おーい、響―、何してるんだよー、解体―」

「あ、はーい、いま行きます」

 

もう少し悩む時間があれば、あるいは、私が役に立てるような場面があれば、私もこの気持ちに決着をつける事ができたのかもしれないが、ともあれこんな所で、こんな時に、無い物ねだりをしても仕方ない。

 

どうしてシンが私に剣を託したのか、とか、ヘイがエミヤに対して心配している気配りは無用のものではないか、という疑念などの問題はひとまず置いておいて、私は今この時、私を必要としてくれる人の元へ向かう。

 

私はそうして腰から解体用のナイフを取り出すと、必要とされた役目を果たすべく、融解してほとんど残っていない敵の体へと刃を突き立てた。

 

 

世界樹の新迷宮

第四層「試練の枯レ森」

第十九階「十二の試練に挑んだ白秋の道」

 

 

ここまでに出来上がった地図を広げ、印をつけた部分を見る。FOEと刻まれた印の端には獅子に鹿、大猪に鳥、多数の牛、馬とゲリュオンと牡牛の文字が刻まれている。それはこれまでに現れた魔獣どもの外見と名前である。

 

これで八。その中で、鹿はその雷の如き速度についていけないため、捨て置いた。伝承によれば一年の時がかかるというアレを追ってまで捕縛するメリットがあるとも思えないので、一旦は保留。八引く一は七。

 

つまりはこれまでの四つのフロアで討伐できた魔獣の数は、七。十二から七を引くと、五。ならばおそらく、残りの二フロアには五つの試練、すなわち、五種類の魔獣が待ち受けているのだろう。

 

討伐できていないのは鹿、ヒュドラにアマゾネス、ラドンケルベロス。鹿はその速度での撹乱、ヒュドラは毒と再生能力、アマゾネスは数が脅威として、ラドンは炎と百の頭、ケルベロスは……はてさて、厄介な特徴はなんだったか。

 

過去の記憶より伝承を引っ張り出してきては、思い出してため息を吐く。残っている連中はどれも一筋縄ではいかない奴らばかりだ。不幸中ながらも幸いなのは、この新迷宮という場所は、五人という人数で攻略を行なっている場合、敵は最大で五体までしか同時に現れない事か。

 

どうやらこれは旧迷宮と共通するルールのようで、雑魚だろうが番人だろうが関係なくこの法則に縛られるらしい。唯一の例外はあの玉虫どもだが、まぁ、ルール破りはあの魔女の得意とする所だし、ひとまず置いておく。

 

ともあれ、この法則のおかげで、三千頭いるとされる牛どもや、湿地帯を覆うほど存在したとされる鳥たちと、真正面から戦う事なくすんでいるわけであるが、とすればもしや、今後、先の思い浮かべた五つの試練が同時に襲いかかってきたりする事態もあり得るのだろうか。

 

ああ、それは是が非でも勘弁してもらいたい。半神半人のギリシャの英雄と違い、私は正真正銘、元々はただの一般人なのだ。あの大英雄ヘラクレスですら一つ一つに苦戦した試練を五つも同時に受ける羽目になるだなんて、考えたくもない。

 

しかし、言峰か魔のモノ、どちらの思惑なのかは知らないが、なぜこんな悪趣味なものを作り上げたのだ。そう、こんな、第五次聖杯戦争に呼び出された参加者と関連の深い魔物や動物に、出典を同一とする第五次サーヴァントの能力を埋め込んで、迷宮内に出現するモンスターとして採用するという迷宮などを。

 

 

さて、改めて思い返せば、一層のあの巨大な石化を自在に操る蛇の魔物が、同様に、第五次聖杯戦争にライダーのクラスで呼び出されたメデューサの能力と似た外見と、因縁ある姿をしている事に気がつける。

 

二層の番人は虫を自在に操り転移と復活まで自在に操る、空を飛ぶ蛇であった。転移、復活、蛇、とくれば、思い浮かぶのは、セネカのメディアだ。

 

メディア。復活や蛇遣いの魔術を巧みに用いるほどの腕前から、ギリシャ神話において魔女と呼ばれたコルキスの王女たる彼女は、第五次聖杯戦争においてキャスターのクラスで呼び出され、手合わせした折りには、彼女は自身を自在に空間転移させる術を持っていた。

 

転移という偉業もさながら、空を飛んでいた事も、蛇の抜け殻を纏っていた事も、二人の息子をイアソンの眼前で殺害し、空へと逃げる際に戦車を引かせた蛇の存在を想起させる。二層の番人は、第五次聖杯戦争に呼び出された彼女と共通点を持っていたのだ。

 

また、同時に現れた玉虫の正体にも大雑把ながら予測は立ててある。おそらくあれは、イレギュラー的にアサシンとして呼び出された「佐々木小次郎」の代理なのだろう。

 

佐々木小次郎という英雄の伝承より生じる魔物はいないはずで、その生涯において関係するのは、宮本武蔵や鐘巻自斎、伊藤一刀斎といった人間たちであり、魔物や動物と同行したという伝承は耳にした記憶に覚えがない。

 

ただ、江戸初期時代に活躍した伝承がある事と、第五次聖杯戦争においてメディアに操られていた事実から察するに、恐らくは、あの本丸への守りを担当する門番の役目を強いられていた雅な玉虫こそが、風雅を愛する彼だったのだろうと考えた訳だ。

 

彼があの姿を取ったのは、あるいは彼の生きた時代と場所において、虫という存在こそが最も身近な脅威であったからかもしれない。私は目撃できなかったが、最期に一騎打ちを所望したという態度も、あの飄々とした侍の在り方を思えば、とてもらしい最期と思える。

 

ともあれこれで三体。

 

そして、第三層。あそこに現れた魔物は、犬、猪、牛と言った、同じく第五次聖杯戦争にランサーとして呼び出されたアイルランドの大英雄、クーフーリンに因縁深き魔物であった。

 

また、三層の番人たる猛犬が、非常に好戦的かつ、体に傷を負っても倒れず、己の死など知らぬといわんばかりに、苛烈な攻撃を仕掛けるその継戦能力に優れた雄々しい姿は、なんとも腹の中身をブチまけようと倒れずに最期の時を迎えた彼らしい生き汚い様であり、加えて最期として放った一撃は、クーフーリンの持つ呪いの魔槍ゲイボルクの「投げれば三十の鏃となって降り注ぎ、つけば三十の棘となって破裂する」特性と似通っていた。

 

奴の吐いた捨て台詞という決定打もあるし、言峰綺礼という男の言もある。間違いない。この新迷宮においては、第五次時聖杯戦争に呼び出されたサーヴァントの能力を持った、五次のサーヴァントと関係のある魔物、動物が、番人として、あるいは迷宮を彷徨う魔物として呼び出されているのだと確信した。

 

その法則に則って考えれば、あとは簡単な話だった。残るは四層と五層だけ。第五次聖杯戦争に呼び出された英霊のうち、私を除外すれば、残る英雄は、二人。すなわち、セイバーとして呼ばれた「キング・アーサー」と、バーサーカーとして呼び出された「ヘラクレス」だ。

 

そうして挑んだ四層は果たして予想通り、片割れのヘラクレスをモチーフにした魔物が襲いかかってきている。これまでの傾向とあの大英雄の生涯を考えるに、ヘラクレスの層では十二の試練と関連した魔物が出てくるのだろうという予想もまた的中し、それ故に私は記憶の中のギリシャ神話より情報を引き出す事で、容易に対処ができているという訳だ。

 

さて、幸いというか、不幸にもというか、これまでに出てきた魔物は、どれも伝承の中では彼が難なく葬り去った魔物ばかりで、あまり歯ごたえのない魔物ばかりであった。

 

だからこそこうして我々は、大した被害もなくこの十九階という奥地までスムーズにやってこられたわけであるが、そうして楽を堪能したと言う事実は、つまりこれ以降の番人のいる階までおいて、神話の大英雄が挑み特に苦戦した五つの試練を一気に乗り越えねばならないということを意味している。

 

あの大英雄が助力を求め、他の英雄と共になんとか踏破した試練を、五つ。それも、同時に出現するという事態もありうるという予想は、先を急ぐ私をなんとも心底億劫にさせる、懸念の種となっていた。

 

 

一度大きく息を吸って、吐く。悩み事の成分を大いに含んだ吐息は、空気中に散乱する赤い霧と反応して、一部の空気を濃く染めた後、地面へと落ちてゆく。いっそ、この吐息の行方のように、私も落ちて溶けて地面に吸い込まれ、その成分が地面を貫通してくれるのであれば、試練とやらを受けなくてもすむのだろうか、と非現実的な考えが浮かぶ。

 

―――は、試練を前にして臆病風に吹かれるとは、なんとも凡人らしい悩みだな

 

ともあれ今は探索中だ。こんなくだらぬ現実逃避をしている場合ではないと思い直して頭を振って考えを振り払おうと試みるが、湧き出た不安は過敏に神経を刺激して、私を余計に疲れさせる。あと五つも大英雄が苦戦した試練が残るという状況は、私をとても憂鬱な精神状態に陥らせていた。

 

神経昂り、無駄な消極的思考に走りたがる己の頭を戒めるべくもう一度頭を振ると、唇を軽く噛んでやる。すると硬い歯を破れんばかりに押し付けられた薄い皮膚と肉が鋭い痛みを訴え、私の頭で空想の中に散らばった意識を現実へと引き戻してくれる。

 

そして私は再び意識を外側へと拡散し、索敵と警戒を行う。未だに試練は現れる気配を見せない。安堵と不安が混ざったため息を漏らす。

 

―――しかし、死と隣り合わせの場所にいながら、随分と悠長に事を考えるようになった

 

油断の証とも言えるその余裕は、少なくともこの迷宮に一人で初めて潜入した際にはなかったものだ。果たしてこの余裕は、私が常に気を配り、常駐戦場を心がける事が出来なくなったほど弱くなった証なのか、それとも―――

 

―――多少なりと誰かを信じて、人に頼る事を覚えた証なのだろうか

 

ちらりと目線を後ろの四人に送る。彼らはこの命の危機と隣り合わせの赤き異界において、初めて踏み入れた場所に出現する敵の特性を知っていると豪語する私の言を素直に信用し、そして無邪気に受け入れ、肩肘を張る事なく、しかし密に索敵を行いながら私についてくる。

 

彼らは私に詳しく過去を尋ねない。彼らは人を無闇に疑わない。そう、彼らが正体を明かそうとしない私に寄せるのは、赤子が親に向けるような、無垢で透明な信頼だ。その、あまりよく知りもしない他人に全ての判断を、己の命を含む判断をも手放しに預けてしまう甘さは、まるでかつての未熟な己を見ているようで少しこそばゆい気持ちを抱かせる。

 

かつての私であったなら、その無邪気さを未熟と断言して忠告していただろう。その甘さは命取りになるといって、彼らを諌めていただろう。だがむしろ今は、そうして信を預けられている事を頼られている証と考え、心地よいとすら感じている。

 

考えてみれば、大した戦闘力を持たぬものばかりだったとはいえ、あの大英雄の試練をこうもやすやすと七つも踏破できたのは、ひとえに己以外の存在が私の後ろを守ってくれるという、安心感あってのものだ。彼らの存在は、今や迷宮探索に欠かせない存在ともなっている。

 

そう思うと七つの試練だろうが、負けて彼らを死なせるわけにはいかないという思いが湧いて出た。赤死病という広まる死病を消すため知らぬ誰かのために戦う、という抽象的な願いより始まった他人の為に戦いたいという思いは、守るべき誰かの具体例を得た事で濃度を増し、決意と覚悟を新たに褌を締め直そうと思わせる効力を持っていた。

 

最悪、切り札/私自身の宝具の使用も視野に入れながら、私は再び意識を外側に集中する。宙を舞う赤の粒子が一塊になって牡丹雪の如く地面に落ちて消えてゆく様は、最近整頓され露わになりつつある胸の裡にて思い返される過去の記憶の行方と重なって、妙な既視感を覚えさせられた。

 

 

「それではお疲れ様です」

「ああ、ではまた」

 

ぺこりと頭を下げて去ってゆく響を見送って、踵を返す。頭をあげて天を見上げれば、朱夏の匂いが息づく夜空は蒸し暑さを持って私の視線に返事を返してきた。過去を懐かしんでむせ返るには少しばかり足りない熱と湿度を全身で受け止めながら、帰路を緩やかに進む。

 

「―――ただいま」

 

言い慣れなかった台詞を、ようやく歯の浮く思いをせずに繰り出せるようになったそんな場所へ、足を踏み入れる。しかし、常なら対となる言葉を返してくれる相手はいつも通りに受付におらず、人気のない宿屋はその役目とは裏腹の静寂を返事として返すばかりだった。

 

「――――――? 」

 

いや、よく耳をすませてみれば、宿の奥、食堂の方から二人分の声が聞こえてくる。私という異物を受け入れて以来、久しく客を受け入れていないというそこから声が聞こえてくることに不思議の念を抱きながらも、私はか細い音に招かれるようにして歩を進める。

 

「―――はい、その通りです」

「そう……やっとなのね」

 

近寄るに連れて、意識せずとも会話が耳朶に飛び込んでくる。片方が重苦しい声色のソプラノであるのにたいして、もう片方は軽やかであるにもかかわらずしゃがれているという矛盾がなんとも印象深く、その濃淡がより一層会話の内容をより明朗に耳へと届かせた。

 

「それで、どのくらい保つのかしら? 」

「はっきりとはわかりませんが―――、おそらく保って一ヶ月から半年……」

「あら、大分振れ幅があるじゃない」

「ごめんなさい……、その、赤死病のことは詳しくはまだわかっていなくって……」

「そ……、ああ、ごめんなさい。別に貴女を責めたわけじゃないのよ」

「それでもごめんなさい」

 

冗談の通じない子ねぇ、と呆れたような声が聞こえ、やはり、ごめんなさい、という声が続いた。かつての世で聞き飽きたくらい耳にした、謝罪の言葉。その台詞に含まれている重み。

 

そうして空気の中に溶けてゆく微かな声には、峻烈な程の悔いと己を責める意思が込められていた。ああ、それは、他者の死を嫌になる程看取ってきた私が幾度となく聞き、あるいは聞かされた、死の運命を決定づけられた者へと向けられる、惜別と自責の言葉。

 

「―――なぜ」

 

気がつくと私は聞き耳の無礼の言い訳を考える暇も無く、食堂へと踊り込み、二人の会話に割り込んでいた。驚愕の表情を見せたのは同時で、その後の反応はまるで別だった。

 

一人の若人は居心地の悪さを隠そうともせず態度に表し、一人の老女はいつものように健啖にからからと微笑んで、気持ちのよい笑顔を返してくれた。

 

「―――あら、おかえり」

 

問いかけなどまるで無視しての呑気な掠れた声に、思わずいつものように返答をしそうになって、唇を噛んだ。ここで常と同じ挨拶を返せば、聡賢な彼女と、強引な態度に弱い己の気質が合わさって、話が有耶無耶の彼方へ無かったことになってしまう予感がした。だから、言葉を発することはしなかった。

 

しばらくの無言。かつて雨降る中、この部屋で過ごした時と同様の、しかしあの時とは真逆の性質を持った静寂が部屋中を支配して空気を淀んだものへと変化させている。身体中に纏わりつくような漠とした空気を切り裂いたのは、やはり、軽やかではっきりとしたしゃがれた声だった。

 

「―――まったく、しょうがないわね」

 

私、重っくるしいのは嫌いなのよ、と言わんばかりのため息と共に生み出された言葉は若々しく、被っていた猫を取っ払った彼女の声は沈黙を振り払う祓いの剣となり、止まっていた時を動かす効力を秘めていた。

 

「サコ。ありがとう。また一ヶ月後、懲りずに尋ねてきて頂戴。お願いね」

 

先ほどの死の宣告などあてにもしていないから気にするとの成分を含んだ物言いは、インという彼女の目論見通り、狼狽えていたサコという小さな医師の冷静を取り戻す役目を十分に果たして、少女はぺこりと小さな頭をインに下げると振り返り、同様に私に対して深々と頭を下げながら、横を通り抜けていった。

 

その、臆病と焦燥が多分に混じった態度から、彼女が頭を垂れたのは謝罪の意を私に投げかけたかったからでなく、視線が合う事で疑問の念を投げつけられるのを嫌ってのものだと読み取ることができた。

 

逃げるようにして去ったサコの手によりやがて玄関の扉の音が静まり、取り残された私と彼女は対峙して見つめ合う。宵闇の中、私たちの背景は橙に光る洋燈の明かりを受けて黄昏時のような雰囲気に包まれている。山の端に消えゆく陽光を受けて背の低い彼女を見下ろしたかのようなその様は、私にいつぞやの忘れられぬ別離の瞬間を思いださせた。

 

―――凛

 

「まったく、盗み聞きとはやってくれるわね。エトリアの英雄様はプライバシーと言うものを知らないのかしら?」

「――――――」

 

見た目に反してそのなんとも若く強気で気丈な台詞は、余計にかつての主人を思い出させて、私に閉口の状態を保たせた。そうして口を閉ざす私を前にして彼女は優雅に鼻息を漏らし、腹を小さく抱えて笑って見せると、こちらの堅気を削ぐべく、片手を振った。

 

「もう、少しは反応してよ。まるで壁に向かって独り言を呟いているみたいじゃない」

 

からりからりと笑う。笑い声は、寿命を宣告されたとは思えないほどの軽妙さに満ちていた。

 

「―――なぜ」

「―――ん?」

「なぜ、黙っていた」

 

ようやく絞り出した一言。胸の奥を捻って生まれ出た雫の言葉には、短いながらも全ての想いが込められている。なぜ貴女は、自らの死期を私に隠していたのか。

 

「んー」

 

重苦しく吐き出した言葉に対して、彼女は年若い少女がやるように唇に手をあてて考える仕草をして見えると、しばらくののちに、悪戯っぽく笑って、言った。

 

「なんとなく? 」

「―――! 」

 

その自分の命の終わりなどどうでもいいだろうと言わんばかりの態度がなんとも気に食わなくて、思わず片足で床板を踏み鳴らしていた。同時に周囲の空気に重苦しいものが混じり、あたりを照らす炎が激情に反応したかのように激しく揺れた。

 

発火した感情の中にはそれでも冷静さが保たれていて、木製の床は悲鳴をあげるに留まってくれたのだけが、救いだった。彼女は未だに私の中の感情の天秤が揺らいでいるに留まっているのを見抜いたのだろう、愉快そうに笑って、言う。

 

「あら怖い」

「茶化さないでほしい。今の私はすこぶる機嫌が悪い」

 

素直に心情を述べると、やはり彼女は気さく柔和な笑顔で、真面目なんだから、とやはりからかう態度をやめようとはしなかった。その幼さを含んだ笑顔には癇癪を起こした子供を見守るような母性があって、老若合わさった矛盾さが、えもしれぬ魅力を醸し出していた。

 

「―――、ねぇ、エミヤ」

「――――――」

 

語りかけてきた彼女の言葉に無言の視線を返す。すると、飄々と笑みを浮かべるその碧眼の奥に秘められた真剣さを見つけて、どうにか文句返してやろうという気勢は折れてしまった。こちらの変化を見据えたかのように静かな笑みを携えて彼女は続ける。

 

「べつに、隠そうと思って黙ってたわけじゃないわ。ただ、そう、言うタイミングがなかっただけよ。だってそうでしょう? 考えてもみてちょうだい。私と貴方の関係は、宿の主人と逗留している客のそれに過ぎないわ。薄氷とまではいかないにしろ、厚い関係でもない貴方に向かって、あと少ししたら私死にますなんて、そうそう言えるわけないでしょう? 」

「……、それは、そうかもしれないが」

 

言われてみればその通りだ。私と彼女の関係は、所詮、店の客と主人のそれに過ぎない。金の繋がりがせいぜいの接点である。そうして客人が戸惑うのを考慮してなにも告げなかった彼女の感性は、まったくもって正しい。正しいが、ただ、それだけの関係と認めたくない想いが、私の中にはあった。それは私にしては珍しい執着という感情だった。

 

「……、それでも、もう季節が一つ巡るくらいの時を共に過ごしていたのだ。事情を話してくれても良かったのではないか? それくらいの友誼を重ねてきたつもりではあったが」

「そうね、それはそうかもしれないわ」

 

ごめんなさいね、と小さく認めて彼女は黙り込んだ。素直な謝罪の言葉に、私はなにも言えなくなる。再び沈黙が辺りを支配する。しかし、先ほどとは打って変わって無言の空気は、木漏れ日の下で固まった体を解したかのような穏和さを帯びていて、私の冷たく凍り付いていた心中をゆるゆると溶かすと、続く言葉を発せさせてくれた。

 

「―――原因を聞いてもいいだろうか? 」

「さぁ? 未だに解明されていない病のことだし、わからないわ。ああでも、冒険者はかかりやすいっていうくらいだから、案外、昔のツケが回って来たのかもね。私、こんな見た目に反して、服の下はびっくりするくらい怪我や手術の跡が残っているの。多分、若い頃は無茶苦茶やってたんでしょうね」

「……そうか」

「やだ、そう暗くならないでよ。もう、ほんと、調子が狂っちゃうわ。まったく、いつもの傍若無人で皮肉屋な貴方はどこへ言っちゃったのかしら? 」

「―――、ふ、大方、貴女の殊勝な態度に驚いて、どこか迷子になっていたのだろうよ」

 

無理やり絞り出してそんな事をいってやると、ようやく調子が戻ってきたわね、と彼女は満足げに笑って見せた。その快活さに励まされて、私はようやくどうにか己を律して、常と変わらぬ態度をとってやろうという気概が心中へと舞い戻る。

 

彼女は落ち着きを取り戻した私の様子を見て、慕情に満ちた晴れ晴れとした笑みを浮かべると、椅子に深く腰掛けて体を預け、天井を仰ぎ見て体の中の残りの重さを全て吐き出した。そして静かに目を瞑ると、口を一度大きく開いて胸の奥にしまい込みように外気を取り込み、やがて新たに取り込んだ空気と共に語り出した。

 

「―――、そうね。エミヤ。私がハイラガードからやってきたことは話したかしら? 」

 

少しばかり瞑目して記憶の底を探ると引っかかる項目を思い出す。

 

「……、そうだ、確か、以前そんな事を言っていたな。貴女はそこのレジィナという女性のレシピを受け継いだと言っていた」

「あら、よく覚えているじゃない。……じゃあ、それ以前の話、ご存知かしら? 」

「―――いや」

 

確か、聞いていないはずだ。彼女もそれは理解していたようで、やはり小悪魔のように意地悪く悪びれなく微笑んで見せると、私の返事に同意した。

 

「そうね。だって私、貴方に過去のこと話してないもの」

「ではなぜ―――」

「そして同じように、私も貴方の事をよく知らないわ。だって貴方、私に過去のことを何も話してくれてないもの」

「……」

「だから、私は貴方の事情を知らない。多分、貴方、そうやって誰にも自分の過去を語ろうとはしないんでしょう? 語らないってことは、多分、貴方にとって、過去は辛い事ばかりだったんでしょうね。そうやって過去に触れようとすると、貴方が剣呑な空気を発散して聞いてくれるなと主張する。だから、多分貴方の周りの人も、貴方を慮って踏み込んでこない」

 

私は押し黙る。その通りだ。私はこの世界に落着してから、誰にも己の事情を語ったことはない。以前の会談の後、真実に近いところまで迫られても、沈黙を貫き通した。

 

「この世界の人は、悲しいとかの感情を溜め込めない分、自分の心の傷にも、他人の傷にも、とても敏感に反応するわ。そうした痛みに敏感ということは、痛みをとても恐れやすい性質を持つということでもある。だから彼らは本心を曝け出して、自分と異なる感性を持つ他人と生の心をぶつけ合うなんて傷つく行為、自ら望んで行おうとは思わないのよ。だって嫌じゃない。生の感情をそのままにぶつけ合って、傷ついてそれで互いに嫌な思いをするなんて」

 

滔々と告げる彼女の態度には、まるでそんな彼等と己は違うから私は容赦しないわよ、と言わんばかり圧力があって、ならば彼女が心傷を厭わないのは何故だろうと私に疑問を抱かせた。

 

「だから私も踏み込む事を避けていたのよ。きっと、貴方もこの世界の人たちと同じように、優しくて臆病な人だと思っていたから。……でも、違ったのね」

 

彼女は言うと、この広い世界において始めて同類を見つけたと言わんばかりの、眩しいばかりの満面の笑みを浮かべて、続けた。

 

「貴方はそうと知っても踏み込んできた。質問が私と貴方とを傷つけるかもと知っていて、それでもなお踏み込んできた。……、ほんと、なんとも英雄らしい豪胆さよね」

「……」

 

それは。それは違うと思う。ただ私は制御出来なかっただけだ。目の前で誰かが死にゆくと言う事実にただ耐えられなかっただけ。鋼どころか、ガラスの如き心中の脆さだからこそ、相性の悪い思いはすぐに許容を超えて心に亀裂を生み、我慢の立ちいかなくなった心より溢れ出て、口よりそれが零れ落ちただけのこと。

 

そんな彼女の指摘を受け入れがたい、と言う想いが表に出てしまったようで、彼女は私の渋面を見て苦笑いをすると、「全く頑固なんだから」、と言って、静かに笑って見せた。

 

「……、私はね。若い頃の過去の記憶がないの」

「……は? 」

 

唐突な告白に私は思わず嘲りに似た声色を返してしまう。彼女はそれすらも笑って受け入れて、独白を続けた。

 

「気がついたらハイラガードの街の医療機関で寝ていたわ。しわくちゃのおばあちゃんがボロボロの体の状態でね。それが私の最初の記憶。私の最も古い、過去の記憶」

「――――――」

 

まるきり白紙の過去を持つ。その、世界でも類を見ないだろう奇妙な相似に、私は初めて同情の気持ちを覚えると共に、まるでそんな過去がないなんて事どうでも良い、と言わんばかりにあっさりと告白する彼女の態度に、なんとも言えない劣等感のようなものを抱いた。

 

彼女はなぜ―――

 

「なぜ、貴女はそうして、笑ってその事を話せるのだ? 」

「ん? 」

「だってそうだろう? 起きた時にはすでに青春どころか朱夏も白秋も過ぎて、玄冬の時期を迎えていて、過去に繋がる一切の事象がなくなっているのだ。だと言うのに、なぜ貴女は愚痴一つ溢さずにいられるのか」

 

思い返すまでもなくどう聞いても失礼な、しかし率直な物言いを、彼女は心底おかしいと言わんばかりに夜の闇を引き裂くほどの声で笑ってみせると、苦笑をこぼしながら言う。

 

「そう、普通そうよね。貴方の反応、きっととても自然なものだわ。……、そうね。じゃあ、老婆心ながら、いまだに迷いを断ち切れぬ若者に、年寄り臭い説教でもさしあげるとしましょうか」

 

彼女は一転して体を預けていた背もたれから己の重さを取り戻して見せると、曲がった背骨をしゃんと伸ばして、真っ直ぐな視線でこちらを見る。その翡翠色の瞳には、迷いというものが一切ない、凛としたものだった。

 

「多分ね、私は過去にやり遂げたのよ」

「……やり遂げた? 」

「そう。記憶はないけれど、過去の私はきっと、やりたいと思う事をやり通して、私の生涯の欲を私自身の望み通り、全部叶えて見せた。もうこれ以上ないってくらいやり遂げて、きっとその時点で私は私の生涯に満足したのよ。だから……、そうね、なんていうのかしら。今のこれは、きっとおまけみたいなものなのよ。そうやって頑張って生き抜いた私が、最後の一時に見ている、泡沫の夢。その淡い夢の中で、本来ありえなかった、自分が胸を張って生涯を生き抜いた、その後の世界がどうなっているか、なんてものを見る事が出来ているの。だから、感謝こそすれ、恨むとか悲しむとか、愚痴るとかそういうのは一切ないわ」

 

迷いなどない、と言い切る彼女の笑顔の中には絶望も諦観もなく、ただ希望に満ちていた。その煌々と輝く宝石のような笑みを見て、私は眩さのうちに目の潰れるかの錯覚を覚える。強靭な意思と覚悟をもってして生き抜いた女傑は、その強靭さを持ってして凛とした生涯を魂の内に刻みつけていた。

 

そして私は、その華々しくも味のある笑顔の裏に、衛宮切嗣という男が浮かべた満足の笑みを見つける。今にも首落ちて散りゆく運命が眼前に迫っている花であっても、己が生涯を誇れるのであれば、こうも凛然としていられるのかと羨望の思いを覚える。

 

「―――、あ、ごめん、ちょっち訂正。そうね、やな事はないって言ったけど、一つだけ、すごく残念に思う事があるわ」

「―――それは? 」

 

そうして常に笑顔でいた彼女を曇らせた残念の正体を短く尋ねると、彼女は今までとは違い、満足の中に寂寥を含んだ笑顔を浮かべて、告げた。

 

「私、すごく愛していた人がいたの。この人となら一緒に地獄へ落ちたって後悔しないってくらい、その人のことを愛していた。多分青春の頃からずっと一緒に駆け抜けてきた人で、馬鹿で、無鉄砲で、人の言うことなんてきいてくれない、餓鬼みたいな所もあるやつだったけど、私の半身でもある人だった。……そんな大事な人のことを、私はなんでか、今、まったく覚えていない。―――今、あの人が隣にいてくれない。それがすごく悲しくて、寂しくて、辛い」

「――――――」

 

彼女の悲痛を露わにする叫びに、私はかけるべき言葉を失った。やがてそうして頼りにならない言葉の代わりにじっと視線を送っていると、戸惑いの視線に気がついた彼女は力強く言ってのけた。

 

「やだ、そんな顔しないで頂戴な。こっちまで鬱屈がうつっちゃうでしょ。……でも、そうね。ありがとう。そんな風に思ってくれて、ありがたく思っているわ」

「……わたしは」

「それにね。私、貴方に感謝しているのよ? 」

「私に? 」

「ええ。そうして天にまで聳えるハイラガードの世界樹を見るたびに、彼を失ったんだなと思い出しちゃうから、ハイラガードを離れてエトリアに移り住んで、それでも私は、やっぱり生きたような、でも死んだような生活をしていたわ。さっきはあんな事言ったけど、宿屋を営んでいろんな人と接していても、どうもみんないい子ちゃんで張り合いがなくて、あの人がいないから灰色の世界で、困っていたのよ。―――でも、そんな時、貴方が現れた。貴方は無茶をするし、かっこつけだし、皮肉屋で、どうしょうもなく意地っ張りだけど、私、そんな貴方がこの場所に来てくれてから、とても生活が充実しているわ。まるで失った過去の中で過ごしているかのよう。多分ね、貴方、あの人に良く似ているのよ」

「――――――」

「ごめんなさいね、勝手にあの人と重ねちゃって。面影を見るだけならともかく、誰かの代わりを求めるなんて、あまりにも勝手だわ。……ふふ、でも、過去なんて、って言いながら、やっぱり昔のことを思い出して楽しんでいるんだから勝手よね。まったく、我ながらほんと、自分勝手でやんなっちゃうわ」

 

らしいっちゃらしいんだけどね、と自嘲する彼女は、しかしなんとも楽しげで、殆どの負の感情を吹き飛ばしたかのような笑顔で告げる。彼女はそんな自分勝手な自分をこよなく愛しているのだろう。そしておそらく、彼女の伴侶も、そんな自由気ままを体現する彼女だからこそ、彼女の事を愛したのだろうな、と私は思った。

 

「うん、きっと、私、私の愛したあの人に会っていなかったら、貴方のこと、好きになっていたかもしれない。いいえ、きっと、好きになってたわ。そのなんとも不器用なまでに、自分の正義に従って、真っ直ぐに生きる様、私、ぜんぜん嫌いじゃないもの」

「――――――」

 

貴方の正義、嫌いじゃない。不意に齎された言葉は、頑なに閉ざしていた心の中心まで一直線でやってくると居座り、内より外へと向かって温かいもので満たされてゆく。身体中の神経に張り巡らされていた冷たいものは瞬時に溶けて、眼球と涙腺を通して体の外へと放出された。みっともないと思うこともできず、私はただ、呆然と言葉の意味をゆっくりと咀嚼しながら、言葉のもつ魔力が身体中に染み入ってくるのを受け入れる。

 

正義の味方なんていうものは、どこまでいっても、所詮は自分の正しさと思うことを相手に押し付けるだけの、独善に過ぎないものだ。若い頃は、その独善を、一般的に善と呼ばれる行為と重ね合わせることで、それでもいつかは全ての人を救えるようになると思っていた。

 

けれど、結局そんなことはなくて、世界中で普遍的に広がっている善というものは、それでも誰にとってもの善ではなくて、結局は多くの人を救える最小公倍数的な善性を汲み取って最大公約数となる人間を拾い上げることしかできなかった。

 

最初こそは悩んだその行為も、数を重ねるごとに慣れが生じて、やがてはおなざりな作業と成り下がる。やがて淡々と最大の人数を拾い上げるために最小の犠牲を強いるやり方は、最大数より零れ落ちた人たち、最大数である零れ落ちなかった人たち、そのどちらの目からも異端として映るようになる。

 

当然だ。そのような、普遍的な正義の歯車と成り果てた感情の枯れた機械のような男、誰が己と同種の生物として認められたりするものか。故に弾かれる。私という人間は、誰をも助ける正義の味方になると謳いながら、その実、誰からも疎まれる存在だった。

 

それを。その誰からも疎まれてきた、歪な己が正義を貫き通そうとする存在を、彼女はしかし、否定をせずに受け入れた。たったそれだけの行為が、他人のためにと心と命を削り、継ぎ接ぎだらけとなったガラスの心を暖かさで修復して、その中身までを溢れさせてゆく。

 

許容という行為が、共通点を持つ他人と弱さや経験を分かち合う行為が、これほどまでに己の心情を癒してくれるものだとは、思いもよらなかった。この誰もが私と違う背景に生まれ育った世界において、彼女だけは私と同様に、過去を失った事を悔やみ、嘆いている。

 

そして私はそんな彼女に憐憫し、同情し、そうして鏡を見るような行為は、私に共感の思いを抱かせて、私は己を存分に哀れと思って、体の中に理性の冷徹をして心中に溜め込んでいた激情の裡を表に解放してやることが出来た。そう、この涙はおそらく、私が生前と死後、さらにその後という長き渡る奇妙な生涯において、初めて純粋に私自身の為に流した、熱き咆哮の証だった。

 

 

ひとしきり両の眼から思いの丈を吐き出し終えると、彼女は静かに続けた。

 

「ねぇ」

「―――……、なんだろうか」

「さっきも言ったけどね。この世界の人たちは、優しくて、臆病で、痛みに敏感で、だからこそ、他人の痛がるような行為を避けたがる傾向にあるの。だから、多分、貴方が抱え込んでいるいろんな事も、こちらから話してあげない限り踏み込んで聞いてこないと思うわ」

「……そうか」

 

突然振り返された話をしかし私は、彼女が何を言わんとしているかを話の中身を予測できたが、静かにその続きを拝聴する事とした。それこそがこの、たった一人だけ過去に取り残されたような世界で、初めて己と同じ境遇を自ら語ってくれた女性に対する礼儀だと思ったから。

 

「ええ。だから、もし機会があったら、貴方の方から彼らに歩み寄ってやってくれないかしら? 貴方の過去がどんなものか私は知らないけれど、そう信じて、理解を求める想いを乗せて手を差し出せば、彼らは喜んで握り返してくれるはずよ」

 

受け取ったバトンを、次の人たちへ。自分という存在はそのうちいなくなるけれど、そうして差し出された想いになにかを感じ取ったのなら、そうして得たものを他の人へと渡して脈々と思いやりの連鎖を続かせて欲しいと、彼女は暗に告げている。

 

「ああ―――、承知した」

 

彼女が出した命の答えを、私はいつかの時のように受け取り、継承した。そう、私はようやく、この世界の人たちと同じ高さの座標軸に立てたのだ。長い旅路の果て、心中という名前の小舟は、漣一つたたない凪いだ状態で行く当てを失っていたけれど、そうして陸地の見えない大海の上に一人ポツンと佇んでいた頼りないそれの搭乗員は、ようやく陸に近付こうとする努力を始めて動き出した。

 

エトリアに来たばかりの日、空想の中で思い描いていた理想から受け渡されたものでなく、現実に存在する他人から渡された聖火は、かつて生前に衛宮切嗣という存在から受け継いだ種火と、死後に凛という女性が加えた燃料と合わさって、颶風の中でも決して消えぬ業火となる。

 

そうして私は一つの季節を過ごした後、ようやく真の意味でこの世界の人たちと同じ目線で付き合い、傷つけ合いながら生きてゆく覚悟を決めることができたのだ。まったく、歴史に学べないのは、愚者の性というが、なるほど、死後長きの時を得て己の過ちに気づくなど、愚鈍な己らしい劣等の証明である。

 

 

世界樹の新迷宮

第四層「試練の枯レ森」

第二十階「死を得て星空を抜け儚い命と聖域を守護する大英雄」

 

 

二十階入り口近く配置してあった携帯磁軸に転移するところから、五度目の遠征は始まった。枯れはてた森の中、視界の開けた、しかし地面が上下にうねる荒涼とした大地を、しばらく歩く。敵がいつ現れても対処できるように気を張っているせいで周囲の光景に気を配る余裕はない。

 

だが、このまだ姿を現さぬ敵に対する気配りが杞憂に終わるだろうことは、この第四層二十階に降りたってからすでに半日近くの時が流れているのに、十六から十九階の時とは異なり、未だ一度たりと敵の気配を感じられない事から、薄っすらと予測ができていた。

 

やがて異邦人の一同と共に探索を行っていた私は、一から三層までと同じ外側構造を持つ番人の部屋の前にまでたどり着く。番人の部屋までの道はL字の曲がり角が続き長いだけの一本道で、その長い道のりをここまでくる中において、やはり予想通り、敵は一切姿を見せなかった。

 

―――ということはおそらく、この中に……

 

おそらくは四つ、あるいは五つの試練がまとめて放り込まれている。鹿、ヒュドラにアマゾネスの群れ、ラドンケルベロス。名前を聞くだけで引き返したくなるような魔物が、群をなして襲いかかってくる。

 

その光景を想像した時、柄にもなく体が震えた。頭部から生まれた悪寒は背筋を駆け抜けて、心臓から指先にまで冷たい感覚が伝わる。武者震え、と言い切れたのなら格好良かったのだろうが、これは違う。これは目の前に置かれた箱が絶望だけを詰め込まれたパンドラの箱であると悟った時に生じる、未知と恐怖に対する、生物の根源的な部分が鳴らす警鐘だ。

 

そう、私の頭は、これより先に繰り広げられるだろう地獄を予測し、私の体はその地獄の中に身を投じ、踏破しなくてはいけないという恐怖に怯えたのだ。

 

戦いにおいては恐怖に体を支配された方が負ける。戦闘を行う者にとって恐怖を克服するのは、最初に乗り越えなければならない壁だ。しかし私は今、その恐怖を抑え切れずに表にだしてしまった。

 

戦闘を生業とする者にあるまじき失態だ。仮にとはいえ、あのヘラクレスと同じ場所に保管されていた英霊とは、とても思えないほどの臆病さ。怖い。苦しい。逃げ出したい。これが、生身の体、まともな神経を持つ人間が持つ感覚。

 

この震えは、かつての己の全てを投げ出してでも他者のために戦うエミヤシロウが、生涯を終えたその先、英霊となった後も持つことが出来なかった、己が世界から失せてしまうかもしれないという恐怖を体験している証。

 

―――まぁ、まともな人間の感覚を取り戻せていると考えれば、悪くはないのかもしれん

 

おそらくは私の生身の体を作るにあたって、人間「衛宮士郎」が素体にされているために生じる生理現象なのだろう。ふむ、だとすると、あの唐変木で鈍感な男も人並みの感覚を取り戻せていたのか。私と同じく、自己を失う恐怖を持っていなかったあの男が。

 

―――そう思うと、少し、感慨深い感じするな

 

「―――、エミヤさん? 」

 

などと考えていると、後ろから聞こえてきた軽やかな少女の声が私の意識を現実に呼び戻した。振り向けば、声の主人は心配そうな視線をこちらに向けている。そのさらに後ろでは、三人の男が三様の意外そうな顔を浮かべて、彼女と同じようにこちらへ視線を送っていた。

 

「いや、意外だな。あんたがそんな、普通の反応を見せるなんて思わなかった」

「確かに。なんというか、もう少し超然とした存在だとばかり……」

「まぁ、お陰で親近感は湧きましたがねぇ。……、ところでエミヤ」

 

ピエールは飄々とした雰囲気を一転させ、常とは異なる、厳しい表情をして言う。

 

「そろそろ、この部屋にいる番人の事を教えていただけませんかね」

 

空気が凍った。惚けた表情だったサガも、困惑顔だったダリも、同じように纏う雰囲気を剣呑なものに変え、真剣な目をして、こちらを見ている。誤魔化しは通じそうにない。射抜くような視線を受け流しながら、私は答える。

 

「なぜ知っている、とは聞かないのだな」

「聞いたら、答えてくれるのですか? 」

「…………さてね。案外素直に喋るかもしれんが」

「しかし、その口から語られる内容が真実であるという保証もないでしょう? そのあたり貴方ははぐらかしますから。そんなことより、私たちが知りたいのは、この先にいる番人の情報です」

「それすら真実とは限らんだろう? 」

「いえ、それはないでしょう。過去に関することは別として、これまでの四層に出てくる敵に対しての対処はどれも適切なものでした。貴方は、こと命がかかった事に関しては一切はぐらかさない、ある意味で真っ正直なお人です。……これから足を踏み入れた先にいる敵のことを考えて震えが出る程度には、正確な予測と把握をしておられるのでしょう? ですからそれを教えていただきたい。そうすれば、私たちが揃って無事に戻ってこれる確率も少しは上がるでしょう」

 

―――まいったな、これは

 

己の性格と白状の線引きを見抜かれていた事に、両手を上げて目をつむり、降参のポーズを取ってみせると、腕を組み直して首を傾げる。さて、どこからどこまでの情報をどの程度話していいものか……

 

―――いや

 

「―――、そうだな。知りたいと言うのなら、君たちには全て教えてやろう。私の生涯、私の過去、私の持ちうる戦術、その他諸々全て叩き売りだ。興味があるのなら聞くといい。今ならどれも特別価格で教授してやる」

「――――――、へぇ、大盤振る舞いじゃないか」

 

サガがにんまりと笑った。ダリは困惑気に、ピエールは竪琴を鳴らしながら上機嫌に笑い、そして響はなぜか少し寂し気に、笑った。彼らがそれぞれ見せた笑みの裏側を考察してやろうかと一瞬思ったが、無粋だと思いなおして止めた。なに、そんな疑問、あとで素直に聞いてやればよいのだ。

 

「とりいそぎ、この向こう側にいる奴らのことを教えてやろう。それ以上のことが知りたければ、そうだな、エトリアに帰った後、酒の肴にでも飽きる程に聞かせてやる。だから―――、どうか、死んでくれるなよ」

 

告げると彼らは、一転して濁っていた目を輝かせて、私の話を傾聴してやろうと、体を前に乗り出してきた。私はその素直さを好ましく思いながら、推論を語り出す。他者を信じて己の過去を話そうと思うこんな気持ちにさせてくれたインに最大限の感謝を送ると、私は門の奥に潜む魔物についての予想を彼らに語り聞かせることとなった。

 

世界樹の迷宮 〜 長い凪の終わりに 〜

 

第十二話 高波は風水の交流にて引き起こされ

 

終了