うさヘルブログ

気持ちの整理のために開設。うさまるとデスヘルが好き。最近は、気持ちの整理とダイエット報告がメインになってきています。

世界樹の迷宮 〜長い凪の終わりに〜   最終話 さぁ冒険を始めよう(B:世界樹 root)   世界樹 root ending   完  

最終話 さぁ冒険を始めよう(B:世界樹 root)

 

君の目の前には見知らぬ世界が広がっている。どんな手段をもって踏破しようと君の自由だ。君は地図を作ってもいいし、作らなくてもいい。魔物を倒して進んでもいいし、逃げ回って進むもいい。あるいは敵を仲間にするという手段だってあるかもしれない。

 

固定観念に囚われるな。あらゆる手段を講じて、欲望の限り、己が欲望を追求し、突き進め。未知を前に、血潮を熱く滾らせ、胸を高鳴らせ、壁を打ち破らんと困難に挑んでこそ、冒険者というものだ。

 

 

『手始めに、ここまで抗った貴様らには、我再誕の地にて人柱となる栄誉を与えよう』

 

宣誓と同時に、クラリオンは天井へといくつもの巨大な触手を伸ばして、地面へと侵入させた。蠢く巨大な触手が平面に整えられていた天井を揺るがし、亀裂を生じさせる。パラパラと落下しだす土塊に、奴の狙いがなにかを悟り、血の気が引いた。

 

「奴め、天井を破壊するつもりか! 」

「いかん、散れ! 」

「いかん、集まれ! 」

 

私の推測に反応して、ヴィズルとダリが同時に、けれど、方向性が真反対の種類の指令を叫んだ。私はヴィズルと同じ判断を下し、全速力で個々にその場から離脱に注力する。逆に、異邦人ギルドの五人は、固まりながらも迅速に避難を開始した。ほどなくして、奴の侵攻に耐えきれなくなった岩盤と土砂が、茶色の濁流となって落下してくる。

 

やがてそれは、造物主の怒りのような土石流となり、瀑布の如き勢いを伴って、キロメートルも離れた天地の二点間を結びつけようとする。膨大な質量が下方へ運ばれ、小山を作ってゆく。土砂は落着と同時に細かい砂塵が舞い散って土煙となり、積み上がる山の周囲へと散らばっていった。そして生まれた天然の煙幕はあっという間に私たちを包み込み、各々の姿を隠してしまった。

 

私は薄れゆく視界の中である程度距離が開けたことを確認すると、後方より迫る土砂の勢いが弱まった事を確かめた。全身を強く打ち付ける砂塵の勢いに負けて転げてしまわないよう四つん這いの姿勢になり、手足を地面と接地させて風との接触部を減らす姿勢とった。

 

呼吸をしようとすると、砂が隙間から体内に入り込んでくるため、息を止めてじっと耐える。耳の中にまで入り込んできて鼓膜を叩く風と砂が鬱陶しい。風と砂の飛び交う音だけが私の周囲の世界を支配していた。全身がひりつく。服の中にまで入り込んでくる砂塵が気持ち悪い。治療が終わって正常な状態に戻った感覚が、この時ばかりは少しばかり鬱陶しく思った。贅沢な悩みだ。

 

やがて土煙が、風によって、洞穴の入り口にできた小山からなだらかな平原である空間の奥の方へと次々と運ばれてゆき、全身を叩きつける砂塵の大嵐から解放された私は、ようやく周囲を見渡す余裕を取り戻した。徐々に鮮明になってゆく視界の中に仲間を見つけて、ホッと一息つく。呼吸を行うとひどく皮膚が痛んだ。天然のサンドウォッシュで多少表面を削られたようだ。手持ちの水で消毒だけ行う。

 

音と砂が肌と鼓膜を叩く感覚に長い時間じっと耐えていた気がするが、実際数十秒もたっていないのだろう。おそらくは、私の周囲を取り囲んだ風と音の圧がひどかったものだから錯覚したのだ。味方も私たちを認識したらしく、彼らはこちらへと近寄ってくる。

 

「―――無事か! 」

「ああ、なんとかな……」

 

ダリが応答した。彼らはダリを中心として固まっていた。彼らも私同様、息も絶え絶えの様子だったが、見るとダリ以外の体にはまるで擦り傷や切り傷がなく、逆に全身に鎧を纏った最も重装備の彼のみが、全身に細かい擦過傷や打撲傷を負っていた。

 

「―――よくやる。あの土砂災害を回避しながら、パラディンのフルガードでパーティーの受ける被害を最小限に抑えたか」

 

彼らとは別方向からやってきたヴィズルがダリへと話しかける。見れば、彼は、傷こそ負っていないものの、服や髪は風に乱れ、土に汚れ、私同様に酷い有様だった。

 

「それが私の役目だからな」

 

ダリは響からメディカによる治療を受けながら、淡々とヴィズルの賞賛に応答する。言葉には謙遜も、皮肉も含まれておらず、彼にとってすれば、味方の盾になるのは当然自分の役目であると心から信じている様子が伺えた。

 

「いや、その手段が最も効率良いとわかっていても、自らだけが代わりに傷を負うとなると、普通、人はそれを嫌い、戸惑い、躊躇ってしまうものだ。それを躊躇せず行えるだけでも大したものだよ」

「―――そう、だな」

 

ダリは続くヴィズルの言葉に、なぜか戸惑った顔をした。嬉しいような、素直に賞賛を受け入れられないような、そんな感情が渦巻いているように見える。

 

「おい、なんかやばい雰囲気だぞ! 」

 

ダリの心情の正確なさを察するまもなく、サガが叫んだ。視線を頭上のクラリオンへ移すと、奴は崩れた天井の中へと伸ばしていた触手を、さらに深く地面へとめり込ませ、蠢かせていた。地上にいる我々を完全に無視しての、千メートル以上離れた空での不振な行為。もはや土砂が落着する場所に我らはいないというのに行われる奴の行動に、不安を抱く。

 

―――何が目的か

 

疑念にその部分を注視してやると、大量の岩土を失った空間には、土、岩とは別種の巨大な茶色い壁面が現れていた。その茶壁は、瑞々しく、大量の細かい皺が刻まれており、ヒゲのようなものが生えていた。そこで悟る。ああ、なるほど。あれは―――

 

「―――いかん、世界樹の根が露出した! 」

 

やはりそうか。比較対象となるクラリオンや部屋などがあまりにも巨大すぎて一瞬わからなかったが、その茶色い壁は、たしかに巨大な樹木の根の形状をしていた。

 

根の一本ですらスカイツリーを優に越す長さと大きさを持つ巨大な根。そんなもので己を支える樹木が巨大な枝葉を伸ばし地球の表面を覆い尽くしているのならば、どれほど巨大な大地の天殻であっても巨人アトラスのように支えることが可能だろう。

 

「おい、なんか、あいつ、触手を根っこに伸ばし始めたぞ! 」

「というか、根っこの表面に触手を突き刺したな」

「―――っ、いかん、奴め、世界樹の内部に毒を注入し、枯らす算段か! 」

 

サガとダリがクラリオンの世界樹に対する行動を実況した途端、ヴィズルは身を捩り、胸を固く抑えつけると共に、なんとも憎々しげな言葉を述べた。過剰と思えるような反応。私含めたその場にいる誰しもが、少しばかり気圧された顔でヴィズルを見る。彼の顔は、あまりの興奮ゆえだろうか、真っ赤に染まっていた。

 

「―――まて、今なんと言った? 毒を注入し、世界樹を枯らす? 」

「ああ、その通りだ。今奴は、触手の先から毒を世界樹に注入している。根っこから吸収された毒が世界樹の全身に浸透した時、エトリアの―――、いや、それどころか、エトリアを中心とした、世界の七分の一程度の大地が崩壊することとなる」

「なっ……」

 

ヴィズルの推測に、その場にいる誰もが絶句した。話のスケールが大きすぎて現実感がなく、まるで冗談のようにも思えてしまう。しかし、崩壊の予測を淡々と述べたヴィズルの顔には、一切の遊びも余裕もなく、そこでようやく、彼の言が真実なのだろうことを、脳が認識した。

 

「―――触手が刺さった部分を見ろ」

 

ヴィズルは再び上を向いて、露出部を指差す。人差し指の行方を追うと、クラリオンと世界樹接触部分が赤く染まりつつあるのがわかる。

 

「あれこそが、奴の侵食を示す証拠だ。あれは奴が世界樹の封印に対抗すべく、生み出した毒。その毒に侵されたものは、やがて全ての精神力や気力を病み、全身が赤くなり死んでしまうのだ」

「―――それが赤死病か!」

「……あの毒が使用され続ければ、やがて世界樹は赤で覆い尽くされるだろう。するとその瞬間、世界樹は死滅し、枯れ果て、エトリアとその周辺の大地は崩落する!」

 

ヴィズルは一転して、怒りに身を震わせながら、吐き捨てた。顔面が頭蓋骨を万力で締め付けられたかのように歪み、瞳の奥に烈火の気性が宿るのを感じる。ヴィズルは、まるで我が子の殺害宣言を聞かされた親のように、激しい怒りを抱いていた。

 

「―――奴の言動からするに、無論、それだけではすむまい。おそらく奴は、別の世界樹の元へと赴き、同様のことを繰り返すだろう。さすればエトリアどころか、場所が悪ければ、今の世界がまるまる崩れ落ちる事態だってありうる―――、すなわち、世界の危機だ!」

 

やがて全身を震わせる男は、しかし、周囲の反応が薄かったことに気がついたらしく、自らの話のスケールをさらに広げて、大業な身振りで演説するかのように叫んだ。おそらくは、呆然としたところに大きな話をすりこむことで、こちらの危機感を少しでも煽ろうという思惑なのだろう。カルトなどでよくやられる洗脳術のようだ。

 

「―――それは放っては置けんな」

 

だが、私はそんな彼の思惑にあえて乗ってやる。不思議と、とても懐かしい感覚を覚えた。それは、私と彼が、旧世界の手法を用いて、目の前の彼らの意気を高揚させようと協力しているがゆえのシンパシーなのかもしれない。

 

「―――ああ、そうだな」

 

そして真っ先にシンが話に乗ってきた。

 

「だな」

「ああ。エトリアの崩壊だけでも見過ごせないのに、理由が増えてしまったな」

「話がおっきくなりすぎて、まだちょっと混乱してますけど……」

「まぁ、どのみちやることが決まっているのですからいいじゃありませんか。ねぇ」

 

サガ、ダリ、響が彼に続き、ピエールが最後に私とヴィズルを見て、悪戯餓鬼のような皮肉さと意地悪を混ぜた表情で笑いかけてくる。どうやら一人には思惑が見透かされているようだったが、彼らの出した結論にヴィズルは満足な表情で頷くと、私を見た。彼に応答し、私も頷き返す。そして周囲を見渡すと、声高に宣言した。

 

「ああ。では、ここはひとつ、宇宙から来訪した無礼な客人を始末して、世界の平和でも守ってみせるとしよう! 」

 

 

「―――と張り切ったはいいが、どうやってクラリオンを倒せばいいのだ?」

 

鬨の声が響き渡った後、気分が高まりきる前に、ダリが水を差した。集中しつつあった熱気が微かに拡散する。冷静で、空気の読めない所が、なんとも彼らしい。

 

「そりゃ、お前。どうするって……」

 

言葉を切ってサガが上を向いた。天井は遥か彼方、千メートル以上もの上空にあり、奴が作業している場所も、同様である。体を平たくアメーバ状に伸ばした奴は、今、天井付近にまで上昇し、多数の触手を用いて毒を世界樹に浸透させている作業の最中だった。

 

「―――どうすりゃいいのかねぇ?」

 

首を真上に向けて天井を仰ぎ見ていたダリは、グリグリと首を動かして奴の活動場所を見やっていたが、やがて首を鳴らして、顔をしかめた。ずっと直上を見ていたため、首を痛めたのだろう。

 

「サガ。お前のスキルでなんとかならないか。お前の雷撃や核熱なら天井まで届きそうなものだが」

 

やがてシンが口を開いた。とにかく、意見を出さないと始まらないと思ったのだろう。

 

「無茶言うなよ。今まで潜ってきたのと同じくらいの高さがあんだぞ?仮に届いたとして、あのデカさのやつを始末する威力を出せるとは思えねぇな」

「なら……エミヤ。君の魔術で―――」

「すまない。今の私の魔術回路には、マナをオドに変換する機能に不全がある故、宝具に十分な魔力を充填させることが出来ない。簡単な強化や剣の投影と、基礎的な解析なら使える。だが、悪いが、以前のような威力を期待しないでくれ」

「―――そうか」

 

エミヤの断言に、シンは悲痛な顔で目を伏せて、肩を落とした。むずがゆいが、彼にとって憧れの人間である私の戦闘力低下が心底悲しく、悔しいのだろう。彼の落胆の態度に、私まで心が痛くなる。

 

「結局、蜘蛛や蟻のように、あの垂直な壁を登ってあそこまで行くしかないのだろうか? 」

「それは労力対効果を考えると、あまりに非現実的だな。まだサガの術式で爆発を起こし、勢いで空を飛ぶ方が、まだ現実味がある」

「爆発の炎熱をファイアガードで防ぎながら風圧で飛ぶってか? ……、まぁ、俺ら全員の重量吹き飛ばすのに一回で十メートル行けるとして……、百回繰り返さないうちに行けるかもなぁ」

「核熱とファイアガード百回……、確実に手持ちのアムリタが足りないですね……」

「皆さんここに来て、ユーモアセンスが身についたようですねぇ。―――しかし、まぁ、そんな急制動繰り返すと気持ち悪くなりそうです。同じ空を行くなら、フユキの時のように空中に階段があるか、いっそ、羽でも生えて空を飛ぶことが出来れば、話は早いんですがねぇ」

「―――なるほど。ではそれでいこう」

「……え?」

 

ピエールの冗談に反応したヴィズルは、ひどく真剣な様子でポツリと言葉を漏らした。一同の目が強面の彼へと集中する。

 

「あそこまでの道と、空に道があれば、あとはなんとかなるのだろう? ならば、それを私が用意してやろうと言ったのだ。―――自在に空飛ぶ羽はくれてやれないがな」

 

 

「―――うそぉ」

 

サガが呟いた。今起こっている現実を脳が理解しきれず、心情が言葉として漏れたのだろう。彼が呆然としている間にも、私たちは秒速十から二十メートルの速度で地面から離れ、天井へと迫りつつあった。

 

私たちの体を押し上げている存在の正体は、世界樹の根だ。ヴィズルの提案の直後、地面が波打ったかと思えば、上で露出しているものより細い世界樹の太い木の根が私たちの足元へ忽然と姿を現し、根っこ同士が絡まり合って掌のような形に固まり、上空に向かって急成長を始めたのだ。

 

この展開には流石のシンやエミヤも驚いたようで、彼らもサガやダリ同様に戦闘の構えを取るのも忘れて呆然と突っ立っている。

 

「いやぁ、絶景かな、絶景かな。―――『異貌のモノに対抗し世界の危機を救わんと立ち上がった勇者たちの行動はかつて世界樹の核であった男の心を打ち、かの存在は、勇者たちに大いなる救いの手を差しのべた。暗闇を切り裂き、勇者たちの体を上空へと押し上げるは、何を隠そう世界樹自身なのである。そう。彼らの勇気は、まさに未踏の地において天へと続く道を切り拓いたしたのだ』……。いいですねぇ、幻想的ですねぇ……」

 

ただ一人、ピエールだけが、満面の笑みで周囲を見回しては、状況を詩歌へと変換し、飛び跳ねんばかりに勢いで喜色を露わにしている。シンたちと同じく呆けていた私は、いつもと変わらぬ彼の態度に少しばかり落ち着いた気分を得る。

 

『―――なんだ、生きていたのか』

 

やがてクラリオンは地上より上昇してくる巨大な存在に気がついたらしく、巨大な眼の一つを私たちに向けると、億劫そうな声を上げた。同時にその体の表面が蠢き、巨大な触手が数え切れないほど私たちの方へと伸びてくる。叩き落とそうという魂胆だろう。どうにか対処しないといけないのは確かだけれど、一本だけでも、直径十数メートルはあるだろう触手を完全に防ぎ切る手段はちょっと思いつかない。

 

「―――おい、やべぇぞ、あの質量だと、核熱が効いて幾分か体積を削ったところで、残りの重量に押しやられる! 」

「流石にあの太さだと、斬りとばすのも無理そうだな……」

「あれを見て切断しようという発想に至る君の感覚は流石だな、シン! 」

「そうか? 」

「皮肉だ、馬鹿! 」

「何を呑気しているんですか!もうすぐそこですよ! 道具……、糸を使いましょうか!?」

「いやぁ、一つの根っこは止められるかもしれませんが、全部は難しいでしょうねぇ」

「冷静に言ってる場合か! どうする! 数が数だけに、防ぎきれそうもないぞ! 」

『やれやれ、騒がしいな』

 

慌て私たち―――主に、サガとダリと私―――の態度に、呆れた様子の声が足元から振動として伝わってくる。骨伝導というやつだろう。音波によらない振動を仲介しての言葉を発したのは、遥か眼下の地面において、先程世界樹の根を呼び出し、そして出現した世界樹にその身を飲まれたヴィズルだった。

 

『触手の親玉、この度の事態の首魁たるクラリオンの討伐こそが目的であるのに、その内の一部を前にした程度でこうも右往左往されては、目的の達成が本当に可能だろうかという不安が生じてしまうではないか』

 

ヴィズルが述べると、ただでさえグラグラと不安定な足元が、よりいっそう大きく揺れた。一体何が起こっているのか。彼は一体何をしようとしているのか。―――その答えは、すぐに示されることとなった。

 

『なに―――、これは―――』

『我らがコピーし、作り上げた世界樹に備え付けておいた、魔のモノに対する自衛機構だ。楽園への導き手……、いや、この場合は、奈落への、と呼称するのが正しいかもしれんな』

 

クラリオンが初めてあげた驚く声に、ヴィズルが答える。初めに見えたのは、枯レ森で見たような形状の樹木だ。円状になったそれは、いくつもの木のコブが盛り上がったような部分が見える。続けて、ものすごい密度の草木が絡まったものが見える。巨大すぎて分かりにくいが、しなやかな動きのそれは、まるで服のように空気に押し返されて、ひらひらとはためいていた。

 

続けて柳やシダが複雑に絡まり合い、周囲の闇を吸収したかのような黒色に染まったかのような部分が現れた。さらに、太陽に葉っぱを透かした様な部位が出現し、最後に、今私たちが乗っている部分と同じような樹木が絡まり合った部分が地面より現れた。緑の青々とした匂いが辺りにつんと充満する。

 

『―――巨大すぎて通常のサイズである敵に対しての対抗兵器としては使うには過ぎた代物だが……、貴様という存在が相手であるならば、ちょうどよい。むしろ、本懐とも言える使用用途だろう』

 

そして現れたのは、おそらく全長五百メートルはあろうかという緑の巨人だった。樹木の王冠をかむり、草木のフードを纏い、枝葉とツタの髪の毛を生やした、薄羽の葉っぱの羽を持つ、樹木の体を持つ巨人は、私たちとクラリオンの間に割って入り込むと、王冠の中心、頭部にあたる部分を光らせた。

 

瞬間、巨人が発した炎が、氷が、雷が、私たちのいる空間以外を満たして、敵の触手を攻撃する。巨人の放つそれらの攻撃は、その巨体に見合っただけの威力を秘めており、また、その攻撃範囲も桁違いだった。巨人の一斉攻撃により勢いをひどく殺された触手の群れは、私たちの元に辿り着くよりも前に、空中でしなだれ、停止する。

 

「すげぇ……、いいぞ! そのままやっつけちまえ! 」

 

自らの身に迫り来る脅威を一瞬で取り除いた存在に、サガが興奮を露わにして叫んだ。巨大である存在に対して文句の一言をも漏らさないのは、その存在があまりに巨大すぎるせいだろうか、などと、場違いなことを思う。

 

『やれるものならそうしたいが―――』

『おのれ、小癪な。ならば―――』

 

クラリオンの恨み篭った重低音の声が暗闇に響き、同時に大きく足元が揺れた。体勢を崩しながらもなんとか倒れないように堪え、必死の思いで前方へと視線を送ると、クラリオンの体から今までのものとは比べ物にならない、直径にして百メートルはあろうかという巨大な触手が現れた。

 

触手は樹木の巨人と、私たちの足場となっている腕の様な樹木に絡みついてゆき、手をがっぷり四つに組んでの力比べの様相をみせた。巨人はその膂力で一瞬だけ拮抗の状態を維持するも、すぐさま自身よりも巨大な敵の触手群に押されて、大きく体を揺さぶられていた。

 

『そうもいかん。地上、太陽の下であるならば、世界樹使徒たるこの巨人も十全な力を発揮し、奴と拮抗の力比べをする事も可能かもしれんが、毒に侵され、地下深くの空間に閉じ込められた現状、巨人単身でのクラリオン打倒は不可能だ』

 

断言した巨人と化したヴィズルは、髪の毛や服の様になっている枝葉やツタ、柔らかい樹木部分を逆立たせたかと思うと、空中、天井に向けて一様に伸ばし始めた。そして勢いよく天井に突き立つと、根を伸ばすかのごとく侵食し、そして停止する。

 

自らの体を壁面や地面に完全固定することで、緑の巨人はようやくクラリオンとの力を拮抗させることに成功したようだった。しかし、逆にいえば、体を完全に固定させて自由を捨てなければ、相手と同等の状態に持ち込めないという事でもある。

 

自らの動きを捨てた緑の巨人が伸ばした枝葉と根は、壁面と天井、そしてクラリオン付近にまでその先端を伸ばし、クラリオンと緑の巨人との間に仮初めの大地を作り上げた。樹木に押し上げられていた私たちは、やがて巨人が作り上げた大地へと到着し、足を下ろす。地上より遥か遠い空中の大地は、急拵えにしては随分しっかりとしていて、私たちを危なげなく受け止めた。

 

『―――だが、時間は稼ぎ、足場の確保をし続けるくらいの事なら、容易にやってみせよう。……後は任せたぞ』

 

ヴィズルは私たちだけに伝わる様、足元の樹木の振動により私たちへと意思を伝えると、再び顔部分を発光させて、自らの巨躯に絡みついた巨大な触手へと攻撃を開始した。様々な属性の攻撃を受ける触手は、しかし、攻撃に身じろぐ様子を見せず、ギリギリと巨人の体を締め付けることに注力している。

 

巨人を締め付ける力はよほど強い様で、樹木が軋み、乾いた悲鳴をあげる音が、この場にまで聞こえてくる。なるほど、巨人が全開の出力を発揮してあの状態であるならば、たしかに、クラリオンの侵攻に完全な対抗をすることが不可能であるのだろうことがわかる。

 

「―――願い、たしかに承った……! 行くぞ! 」

 

ヴィズルの願いを受けて、シンが鬨の声をあげた。私たちはそれぞれに力一杯の応答を返す。そして私たちと奴との、世界の命運を賭けた最終決戦が始まった。

 

 

「方針は!? 」

 

ヴィズルが空中へと作り出した樹木の空中楼閣を突き進みながら、ダリが尋ねる。

 

「まずは剣の届く範囲まで接近する! そうすれば後は……」

『あとは、どうなると言うのだね? 』

 

シンの言葉を遮って、クラリオンの声が足元より響く。見上げれば、奴の体に存在する眼球の殆どが私たちの方へと向けられていた。全身を舐め上げるような視線に、鳥肌が立ち、一瞬たたらを踏みながらも、なんとか転げることなく、疾走するみんなの後ろについてゆく。

 

『だんまりか……。まあ良い』

 

すると奴は、世界樹の根っこに伸ばしていた触手のうち、何本かを引き抜き、蠢かせて天井の地面へと侵入させた。触手が蠕動運動を起こしたかと思うと、やがてクラリオンの侵入点より天井に巨大な亀裂が生まれ、大地は重力に抗う力を失い、崩落する。

 

『どの道、その矮小な身では、大したことは出来まい』

 

嘲笑う声に怒りの感情を抱く暇もなく、頭上より迫り来る土石流。先程よりも崩落地点に近い分、土砂はすぐさま私たちへと迫る。その分量は膨大で、下手をすると、エトリアの街一つくらいなら飲み込んでしまいそうなほどの量がある。取り込まれれば、下方、遥か遠くの地面に叩きつけられて即死は免れないだろう。

 

私たちは頭上より迫り来る脅威を回避するために、必死で走る。幸いにして、天井を崩すクラリオンの触手自身と、生い茂った樹木が障害物となり、土砂が私たちのところまで落ちてくるには、多少の時間的余裕がある。先頭を行くシンとエミヤは、それを見越して走行する場所を選定して先行してくれるので、私たちはなんとか被害無くやり過ごすことが出来た。

 

『生意気な―――』

「―――届いた……! 」

 

そして私たちは、クラリオンの触手と樹木が接触している部分へと到達する。世界樹の木の根は、奴の巨大な体の周囲を、竹籠みたいに取り囲んでいた。先頭を走っていたシンは、奴のまるで皮膚を剥いだ後の肉のような体を視認した途端、腰の左右に携えた二刀を引き抜いて無双の構えへと移行すると、突撃の勢いを乗せたまま、迷わず攻撃を開始した。

 

「抜刀氷雪! 」

 

二つの刃から、氷の力を纏った斬撃の光が、奴の黒い体へと発せられた。受ければ切断され、触れるだけでもその部位を凍結させる飛翔する斬閃はしかし、奴の体の命中する寸前、樹木と奴との狭間にてその一部空間、空中にのみ氷塊を生み出すだけの結果に終わる。

 

「なに!? 」

『万物を防ぐ障壁だ。―――神の身にそうやすやすと触れることが許されると思ったのか』

 

よく見ると、確かに薄い障壁のようなものが、触手と樹木の間にあるのがわかる。あれがシンの剣閃を防いだのだ。私たちを矮小と嘲るクラリオンは、合成したような音声にもかかわらず私たちに不快さを齎すという器用な事をやってのけると、その体に存在する全ての目をこちらへと集中させて睨め付けてきた。すると、複数存在する瞳の焦点が私たちに集中したかと思えば、ともすれば眠たげにも見える半開きの瞼の前に光が生じたのが見える。

 

「―――まずい、散れ! 」

神罰の光を受けよ』

 

シンの指示により私たちが散開するのと、クラリオンの瞳から光が放たれるのは同時だった。複数瞳より放たれた光は、私たちが寸前までいた場所にて収束し、世界樹の根を貫くと天井や壁にまで到達し、やがて、その焦点となった場所と、終端の場所に大爆発を起こした。

 

「―――!」

 

悪寒が私の体を動かした。咄嗟に足元へと伏せて、世界樹の根っこに短剣を突き立て自分の体を固定すると、直後、背後より熱を伴った風がやってくる。白い閃光が私の周囲の樹木の皮を焦がしてゆき、あっという間に表面を炭化させ、焦げ臭さが鼻をつく。生じた煙は風であっという間に吹き飛ばされるため、呼吸をすることができるのだけが救いだった。

 

しかし熱い。熱を伴う風は、胸と腹の中に入り込むと、存分に暴れて私の体温を上昇させる。そのまま吸い込むと内臓が焼けてしまいそうな高熱を帯びた空気を取り込み、浴びても、無事でいられるのは、ファイアリングという炎のダメージを防ぐお守りのお陰だろう。

 

けれど幾分か軽減できたとはいえ、それでも肌を軽く炙られる感覚はまでは防いでくれず、私は燻製にされる肉の気分を存分に味わうこととなる。

 

「―――あ」

 

やがて風の勢いが弱くなった時、伏していた顔をあげると、砂塵と煙幕が視界を遮っていたことに気がつけた。同時に、継続的な痛みを与えられる地獄からの帰還を自覚する。

 

「―――無事か、みんな! ……響!」

「……ばぁぃ、べぃぎでず」

 

サガの声に、反応して出た自分の声に驚いた。どうやら喉を焼かれて、声がまともに出なくなっているようだ。

 

「何処がだ! 皮膚表面どころか胎内も深度のある火傷を負っているじゃないか! まずは薬を使え! 」

「ばび」

 

ダリの指示に素直に従うと、カバンからメディカⅲを取り出して体に振りかける。回復の光が私を包み込んだかと思うと、少しののち、全身にむず痒い感覚が蘇る。どうやら自覚がなかっただけで、あちらこちらに神経にまで達するほどの酷い火傷を負っていたようだった。服のあちこちが焼けてしまっていて、肌を晒してしまっているの部分が多いのが、ちょっとばかり恥ずかしい。

 

触感が戻ってきたに安堵をすると、薄れてゆく煙の中で辺りを見回す。すぐ近くにいるのはサガとダリだ。多分、ダリのファイアガードで熱波を防いだのだろう。二人は傷一つ負う事なく、平然としている。少し遠くの場所では、シンがピエール前方で剣を前方に構えたまま、肩を上下させて呼吸を行なっていた。

 

シンの前方に小さな氷の塊が散らばっていることから、彼らはブシドーのスキル『抜刀氷雪』を連続して用いて熱波を切り裂き、生まれた隙間に氷の壁を作り出し、熱風を防いだのだろうと予測できた。ピエールが楽器に手を添えていることから、バードのスキル、『火幕の幻想曲』を併用して熱を軽減したことも伺える。

 

一方、一人みんなと少し離れた場所にいたエミヤは、彼がいつも纏っている赤い外套を全身に羽織ってその熱と風を防いだようだった。しかし、その防御行動は全ての熱を防ぐに至らなかったようで、彼の皮膚の表面は赤くなり、さらに、少しばかり焼けている部分もある。私は彼の元に近寄ると、先ほど自分に行ったのと同じように、メディカⅲをふりかけ、彼の傷を治療する。

 

「―――助かった。礼を言う」

「はい」

「そちらも無事のようだな! 」

 

短いやり取りをすませると、シンとピエール、そしてダリとサガも私たちの方へと近寄ってきた。合流すると、すぐさま状況の確認をするべく、視界を周囲へと広げる。

 

「―――根が……」

 

そして絶句した。先ほどまで私たちが足場としていた世界樹の根の部分が、完全に消滅してしまっていたからだ。破損ではなく、消滅。直径にすれば、百メートルはあろうかと言う巨大な木の根っこは、クラリオンの光線により完全に消滅し、断裂してしまっていた。もし世界樹の根が複雑に入り組んでいなければ、私たちは今頃遥か下方の地面へ向けて落下していたのだろう。

 

「どんな威力だよ……」

神罰の光、か。通常の手段では防げそうにないな」

「それよりも、問題はあの障壁だ。あれがある限り、通常の攻撃は奴に届かんだろう」

「―――しかも、奴は任意の場所に壁を展開できるようだな。おそらくはあの壁を用いて、長年の間、世界樹が持つ奴を封印する能力や、龍脈の流れから身を守っていたのだろう」

「万物を防ぐ障壁―――とか言ってましたものねぇ。まぁ、とは言っても完全無敵というわけではないのでしょう。でなければ、そもそも奴が封印されたりするはずありません」

「ああ。だからおそらくは、一定以上の威力や特殊な効果を持つものはキャンセル出来ないのだろう。とはいえ、だからといって突破口の手がかりになるわけでは―――」

『……まだ生き残っていたのか』

 

話し合いの最中、空間に大きく響く声が、それを中断させた。煙幕が完全に晴れた事でようやく私たちを見つけられたのか、奴は目を細めて私たちを睨みつけてくる。やがて巨体を震わせたクラリオンは体から細い触手を伸ばし、自らを取り囲む世界樹の根へと突き刺した。

 

根に突き刺さった部分から赤が侵食し、やがてクラリオンの毒素に染色された部分は盛り上がり、さらに噛みつき草に、マッドワームと災厄の木の根を合体させたような姿の敵が現れた。イソギンチャク、というのが一番適当な表現だろうか。それはフユキという場所にたくさん生息していた二種類のうちの一匹だった。

 

「―――おい、これ、まずいんじゃねぇのか?」

 

姿を現したクラリオンの小型版のような魔物は、同じように自らの足元である世界樹の根を触媒と媒体にしてその数を増やしてゆく。奴が増えるということは、同時に、世界樹の根の質量が減るという事でもある。つまりこのままクラリオンの行動を放置していれば、いずれ、自重と私たちと奴らの体重を支えきれなくなった根は、折れて地面へと落下するという事であり―――

 

「―――いかん、止めるぞ! 」

「方針は!? 」

「個々の判断で、適宜、臨機応変に!」

 

飛び出したシンは、自然体に構えた。無双の構えだ。全ての剣技を支える構えをとった彼は、増殖しつつある全て敵へと突撃すると、次々に胴体と触手を切り飛ばし、敵の数をみる間に減らしてゆく。そんな彼に私たちも続く。エミヤは先の尖った鉄鎖を振り回して敵を一気に処分し、サガは広範囲殲滅の術式で敵を吹き飛ばし、ピエールとダリは三人の援護を行なっていた。

 

私は、毒の香を使って敵の数を減らそうと試みる。毒の香を取り込んだ敵は、即座に体内器官を破壊され、上と下の穴から、様々なものを噴出して倒れこむ。毒を浴びた敵の体液が奴の体の下、世界樹の根に染み込むと、根は敵同様に徐々にドロリと溶けてゆく。

 

火竜を倒し、フユキの地下でもっと恐ろしい奴と対峙した今、もはやあの程度の敵に苦戦してやられるような私たちではない。一時的ながら、状況はこちらが有利を保っている。しかしこの勝負は、時間をかけて敵が生み出されるほど、足場となっている世界樹の体積が減ってしまうし、毒の浸透が進んでしまううえ、戦場全体の状況と数においては、向こうが有利である。つまりは、この一時の優勢はあまり胸を張れる結果ではないということだ。

 

『―――羽虫とはいえ、流石にこうまで抵抗されると鬱陶しい』

 

しかしクラリオンにしてみれば放っておけばいずれ自分に勝ちが転がってくる勝負とはいえ、手を煩わされ時間を浪費させられることを億劫と感じたらしく、生み出す数を一層増やして、世界樹の侵食速度を早めた。生産数は膨大で、やがて私たちが通常処理できる速度を上回ってゆく。

 

「お、おい、そろそろやべぇぞ!」

「道は狭まり、敵の数は増えてゆく。あの触手と敵をいっぺんに始末しなければ……!」

「それなら任せてもらおうか!」

 

サガとダリの愚痴に、シンは周囲の敵を掃討し終えると、距離をあけて両腕をだらりと垂らし、全身から力を抜いた、自然体に構えた。見間違いようもない。シンは今、彼が改良したブシドー最大の奥義を放とうとしているのだ。

 

「一閃! 」

 

二刀を用いることでさらに強力になったシンの放つ一撃は、その場にいる敵全ての頭部を切り落とし、心臓部を抉る事を可能とする。シンの一撃は、その場の有象無象を絶命させるだけでなく、世界樹の根と接していたクラリオンの触手をも断ち切った。これで、これ以上世界樹の根から新たな敵が生まれることはないだろう。

 

世界樹の根に突き刺さっていた触手は、クラリオンとの繋がりを断ち切られ、力なくしなだれる。やがて、切断された肉体は刺さった部分からドロリと溶けて液状化し、地面へと垂れ落ちていった。クラリオンの瞳がさらに細くなり、視線がシンへと集中する。

 

『おのれ、小癪な』

「……見たか?」

 

シンはクラリオンが向ける憎悪などまるきり意に介さず、私たちに話しかけてくる。エミヤたちは彼の言葉の意図をすぐに悟ったようだった。私は少しばかり考え込んで、彼らより遅ればせながら、シンが言いたかったことに気がついた。

 

「触手が……、奴の体が切れた―――」

「ああ。無意識だったが、切断場所の空間指定ができる一閃ならば、万物の障壁とやらの内側に刃の出現位置を固定する事で、障壁の向こう側にある奴の体にも有効となる攻撃を加える事が出来ることができるようだな」

 

シンの言葉に、改めて触手の切断面を見る。彼が白刃によって生み出した切り口は、すでに再生が始まっていて、肉が盛り上がり出していた。あの調子なら、もう十秒ほどもしないうちにクラリオンの肉体は元の姿を取り戻すだろう。

 

「つまり―――」

『貴様を始末してしまえば、我が身を傷つける事の出来るものはいなくなるというわけだ』

 

クラリオンがシンへと集中させる視線がさらに鋭いものとなる。敵の瞳の水晶体が細くなり、独特の文様が描かれた瞳孔の前方に光が収束してゆく。またあの足元を消滅させる一撃が来る―――

 

「散開! 」

 

指示通り、全員がその場から離脱する。直後、幾条もの光線が暗闇を貫いた。焦点となった光の収束箇所は消滅し、その後方では散乱した光と接触した部分に爆発が起こる。そして。

 

「シン! 」

「響! エミヤ! 無事か! 」

 

消滅の光は、一つの集団を二つへと分断した。一つは旧来からの友誼で結ばれているもの。一つは新迷宮という存在によって彼らと新たに縁が結ばれた存在。パーティーを新旧に分断した存在は、再び瞳の前方に力を収束させ始めていた。

 

複数存在する瞳の焦点は、すべてシンの方へと向けられており、文字通り、私とエミヤ、そして、シン以外の人間のことなど眼中にないようだった。神罰光が再び放たれ、彼らは光を避けるため、私たちとはさらに離れた場所へと遠ざかる。

 

「―――は我々が――。君の―で―――を削れ! その後、―――を、―――――の――へ」

 

遠ざかっていくシンの声が微かに聞こえる。遅れて生じる爆発。壁面や天井にて瓦礫の崩れる音と、爆発の音、そして、距離のせいで、ほとんど声も聞こえない。再び放たれる光。

 

「シン!? 何!? なんて言ったの!?」

 

叫び問い返すも、もはや声も届いていないようだった。否、彼らはこちらに意識すら向けられない状況なのだ。シン達はクラリオンの攻撃を避けるため、上下左右縦横無尽に、世界樹の根の上を駆け回っている。

 

「大丈夫だ、響」

「エミヤさん?」

 

剥き出しになった肩に置かれた手は力強く、皮膚と皮膚との接触により人肌の暖かさが伝わってくる。他人の体温は焦燥が生まれつつあった気持ちを押さえこみ、多少気分を落ち着けてくれた。私はエミヤの方を向き直して、彼の顔を見つめる。鷹のような鋭い視線は、私ではなく、別の空間へと向けられ、瞳の中では眼球が忙しなく動いていた。

 

「彼らには彼らなりの考えがあるようだ。だから我々は我々で、出来ることをやろう」

 

 

「一閃! 」

 

技の名を叫ぶと同時に、私が思い描いた場所へと斬撃と刺突が走る。無双の構えより繰り出したフォーススキル……、もとい、宝具は、私たちの全周を取り囲む触手を全て断ち切った。クラリオンの伸ばした触手の一部が力を失い落下してゆく。しかし、切り落とした部位はすぐさま肉が盛り上がり、蠢き、再生し、元通りの大きさにまで成長する。

 

「どうする、キリがないぞ」

「ダメージがないわけではない。切れるならば、殺せるはずだ」

「めちゃくちゃな理屈ですが、奴の力が無限ではないのは確かでしょうからねぇ」

「でなきゃ昔、世界樹が封印なんて処置をできたはずがない、か」

 

ダリの問いに答えると、ピエールとサガがそれぞれ賛同する。目の前にいる彼らは未だに敵を倒すことを諦めていない。私は目の前の仲間たちと再び共に戦えることを、とても誇らしく思った。

 

『見下してくれるものだ。―――だが、事実でもある。確かに私はかつて世界樹に封ぜられ、地下にて再起の時を待ち、時間を費やす屈辱を得た。しかし、こうしてこの星へ降り立った時以上の状態にて復活した今、末端器官の数十本を切るのがせいぜいの貴様らに負ける道理は―――ない』

 

クラリオンは自らの力を誇るかのように、再び光線の発射姿勢へと移行する。全身が震え、複数ある眼球から光線が我々の寸前までいた部分に収束した。全てを貫く光は我らの足場を消滅させ、繋がりを絶たれ一部を失った世界樹の根の傾斜が高くなる。我々は角度の変わった坂道を必死で駆け上りながら、世界樹の木の根の陰に隠れ、再び反撃の機会を伺う。

 

奴の瞳は複数あるが、巨大である事が奴にとっての利点であり、また欠点でもある。奴は巨大であるがゆえに、小さな存在である我らを見つけにくい、という事態に陥っている。私たちが米粒ほどの大きさもない小さな羽虫を視認しにくいようなものだろう。だからこそこうして鬱蒼と生い茂る世界樹の木の根を利用することによって、我々は奴から姿を隠すことができるというわけだ。

 

「それで、どうするんだ?」

「―――奴の巨体に対し、私の一閃ではたいした打撃となり得ないのは、これまでのやりとりからしても明白だ。―――先ほども言った通り、決め手はエミヤと響だ。彼女の能力と、彼のスキルがクラリオン打倒の鍵となる。だから、なんとしても彼らをクラリオンと接触させる必要がある。そのための前段階として、あの障壁を解除してやらなければならない」

「私に攻撃スキルを持たないから、論外として……、サガ。お前のスキルは―――」

「……隙間でもあるならともかく、完全にこちらとあちらを隔絶するような障壁があるんじゃ、スキルの力をその地点まで送り込む必要のある術式は通用しねぇな」

「―――つまり、頼りになるのはシンだけ、というわけか」

 

ダリとサガは自らの無力さを嘆き、揃って溜息を吐いた。この度の敵に対して有効となる技能を持っていないだけで、戦う力がまるでないというわけでないのだから気落ちする必要はないと思うのだが、どうもその辺りの感性は私と違うらしい。

 

「―――いえ、そんなことはありませんよ」

 

二人の自虐を否定する声が静かに響く。三人揃ってピエールの方に顔を向けると、彼は影の中、いつも通りの涼しげな笑みを浮かべながら、断言する。

 

「障壁を解除させるための手段を思いつきました。―――文字通り、我々皆が命を賭ける覚悟が要りますが、如何致しましょうか? 」

 

ピエールの希望に満ちた意地悪な笑みと提案に、私たちは一も二もなく頷いた。

 

 

「一閃! 」

『出てきたか……』

 

一閃はクラリオンの触手を切り落とすも、自らの肉体を切られたというのに、奴は余裕綽々の様子だ。クラリオンにとってあの触手は爪や髪のような、神経節の通っていないものなのだろうか。あるいは、使い捨ての部分故、わざわざ痛覚を感じる神経を通さず再生しているのかもしれない。

 

『二手に分かれたか? ……まぁいい。ただの人間ごとき捨て置いても問題なかろう。脅威となるのは英霊とかいう特殊な存在である貴様だけだ』

「私の仲間を見くびると痛い目を見るぞ。それに上の奴が言っていたぞ。貴様はかつて、そのただの人間に、してやられたのだろう? 」

『ふん……』

 

再び奴の触手が突き刺さった世界樹の根から末端となる魔物が出現し、私を取り囲み、行く手を阻んだ。文字通り血路を切り開いていると、血飛沫舞う視界の端に、奴の瞳が攻撃態勢に入ったのが映る。力場が瞳孔周辺へと収束し、大きな瞳に私の小さな体が映り込む。私は疾走し、世界樹の根を飛び回った。

 

回避行動の最中、毒に侵された世界樹の姿が目に入る。天井に悠然と佇む世界樹の根は、すでにその巨体の半分以上が赤に染め上げられていくのがわかった。刻限は確実に迫ってきている。

 

クラリオンは私の動きに一瞬戸惑ったのか、常より遅れた間隔で光を放った。一瞬の遅れがあったとはいえ、敵の攻撃精度は高く、再び私が直前までいた場所は魔物の残骸ごと消滅し、足元は微かに傾いてゆく。今、クラリオンの攻撃の見切りが行えるのは、私か、エミヤくらいのものだろう。

 

思考の最中、後方から、再び光が収束する気配感じ、やかんより湯けむりが噴出したかのような音が聞こえた。

 

―――来る

 

先ほどと同様、攻撃の瞬間を見切り、その場から離脱して、距離を開ける。敵の攻撃により多くの足場が消滅しているが、幸いまだその数は十分にある。だからこのまま回避を行いつつ、機会を待つ。

 

 

「今、クラリオンはシンにのみ集中しています。ですが、私たちという足かせを失ったシンが、彼本来のスペックを十全に発揮している限り、クラリオンは今の攻撃を続けても彼を殺すことはできないと悟るでしょう。そうすればあれは、必ず、奴は奥の手を使うはずです」

「―――奥の手があるという根拠は?」

「奴は自信家です。しかし、長い時間を必要とする策略を練り、それを実行し、果たすという精神的な耐久力も持ち合わせている。そんな奴のことです。他人に明かさない切り札の一つや二つ、持っていてもおかしくない―――そう、貴方の固有結界みたいにね」

「……、それで?」

「しかし、そして、今、苦戦しているにもかかわらず奥の手を明かさないところを見るに、奴が奥の手を使わないでいる理由は三つ考えられます。そう易々と使えない手段なのか、この場面で使ったところで無意味なのか、あるいは、たかが人間程度に使うのはプライドが許さないのか」

「ふむ」

「二番目である可能性は低いでしょう。いかなる場面であろうと覆せるからこその、切り札で、奥の手だ。なら可能性として高いのは、一番か三番。奴のこれまでの言動から推測できる性格を加味すれば、おそらくは三番目こそ、クラリオンが奥の手を切らない理由である可能性が高い」

「ああ、だからこそ、挑発がてら、シンは奴に細々と攻撃を繰り返しているのか」

「ええ。プライドの高い奴のことです。そのうち、シンの挑発と当たらない事実にイラつき、奥の手を使用する時が来るでしょう。―――その時は」

「承知した。ならば―――、せいぜい彼と君たちの手腕に期待し、その時を待つとしよう」

 

 

『なるほど、大言を口にするだけのことはある』

 

クラリオンはそんな言葉を口にすると、私に対しての全ての攻撃行動をやめた。今まで苛烈さが嘘のように、あたりは静まり返る。触手と世界樹の根の小競り合いにより、余波を受けた天井と壁が崩れ、土砂と岩が滝のように落ちる音だけが、耳朶を打つ。

 

『人間と種族の中には、大きさこそ矮小なれど、侮り難い存在がいる。貴様という存在は、そのことを嫌という程思い出させてくれたよ。―――礼を言おう』

「……どういたしまして」

 

これまでの奴とは違い、今のお言葉には、目の前の存在に対する敬意というものが確かに含まれていた。ただ、それは、私がエミヤや強敵などに向けるものとは違った、別種の感情を孕んだ、冷徹に見下し、睥睨するようなものだった。

 

『しかし残念ながら、これ以上君に時間を割いている暇はない。何せ本命は君ではなく、世界樹のオリジナルと――――、これ以上、このような場所で時間と力を浪費するつもりは、ない』

 

頭上から冷たい言葉を振らせたクラリオンは、全身に複数ある半開きだった瞼を全開にさせて、丸い瞳を完全に晒していた。瞳は純粋な殺意に染め上げられており、一片たりと余分な感情がうつっていない。先ほどまであった油断の色など、もはやかけらほども存在していなかった。

 

クラリオンの体に存在するすべての瞳が怪しく光を発する。やがて奴の体の前方―――重力の見方に従えば下方―――へ、巨大な多面体の透明な物質が出現した。見た目は宝石に似ているが、色合いが違う。漏斗状のあれはいったい―――

 

神罰大集光』

 

考える間も無く、奴はスキルの名を発した。悪寒が全身を走り抜けた。魂が無に還る感覚。どこまでも奈落へと落ちゆく感覚。一度実際に命を失ったが故に明確となった死の感覚に反応して、感じたと思うよりさらに前、生存本能が体を突き動かしていた。

 

クラリオンの瞳の前方に力場が生じ、光が透明な物質へと吸い込まれてゆく。多方向から光を吸い込んだそれは、内部にてゆっくりと収束すると、漏斗状の先端へと向かってゆく。あの部分より光が先端より私めがけて発射されたなら、間違いなく回避は不可能だろう。

 

致死と直感する一撃を放たれる前に、それを阻止せよと、遅れて脳内より命令が全身へと駆け回り、私の体は生存のための一撃を最速にて実行する。

 

「一閃!」

 

脱力は完全に行われ、全身から余計な力は一切抜けていた。今日だけでもはや都合十度は放った攻撃は、土壇場、死と隣り合わせの鍛錬により、さらに研ぎ澄まされた一撃となっている。左右両腕に握った一刀が、それぞれ奴を傷つける刀を生み出す元となり、空間の断裂より現れた刃が巨大な瞳群へと襲いかかった。

 

『―――っ、生意気な……!』

「やはり効果が薄いか……!」

 

一閃が奴の防御の内側、すなわち、集光が行われている瞳の前方へと生み出した斬撃と刺突の白刃は、予想通り、巨体には効果が薄く、巨大なクラリオンの角膜部分を軽く傷つけるだけに終わる。とはいえ、予想外の痛みに反応してだろう、奴がその巨大な瞳の瞼を下げたことで光の収束が一旦途切れたのは嬉しくも、喜ばしくない誤算だ。

 

『一度は不覚をとった……、だが二度はない……!』

 

宣言とともに瞼が開かれた。治癒の光がクラリオンの大きな瞳にきらめき、眼球についた傷はすぐさま失せてしまう。やがて完治したクラリオンの瞳周辺から振動が失せてゆく。おそらく、その周辺の組織に最大限の力を込め、たとえ水晶体や角膜が傷つこうと、いかなる痛みが来ようと、瞼を閉じないようにする措置だろう。奴は、私の一閃にて怪我を負うことになろうが、必ず私を仕留めると覚悟し、怪我や痛みを無視する決意をしたのだ。

 

敵ながら見事な度胸と決断に、思わず賞賛の言葉が喉元までやってくる。浮かれたものに加わって余計な言葉が出ないよう、歯を強く噛み締めて己の口元を強く結びつけると、もう一度無双の構えをとり、時を待つ。今、私にできることはすべてやってのけた。あとは―――

 

「―――任せたぞ、みんな」

 

 

神罰大集光』

 

クラリオンの言葉と同時に、巨大な集光プリズムへと光線が吸い込まれてゆき、尖った先端へと収束してゆく。光というには視認できるほどの遅さであるその速度は、だからこそ、まるで光が発せられる時を待ち、破壊の力を溜め込んでいるようで恐ろしかった。

 

体が震える。今、自分は、これから、あんなものに真正面から飛び込まなければいけないのだ。見上げる相手は、これまで対峙してきた敵のどれよりも巨大な存在だ。対峙したものの存在があまりに自らと違う次元にいると、大きい、小さい、と文句を言うことすら馬鹿らしくなるようで、俺はすっかりそのスケールのでかさに圧倒されていた。

 

我ながら格好悪いと思うが、体の震えが止まらない。それはフユキの地下洞穴で感じた、得体の知れないものに対する恐怖ではなく、これまで何度も味わってきた自らの命を失うかもしれないと言う、既知の恐怖だった。ただ、目の前にやってきた脅威の大きさが、今までと規模が違いすぎて、抑えきれないだけ。体の震えに反応して、籠手まで震えている。

 

―――もうすぐ出番だってのに……!

 

ガチガチとみっともなく金属音を鳴らすそいつを抑え込むと、別の場所に震えが出た。足元だ。地面を必死に踏みしめて全身に力を込めると、今度は背中から振動が伝わってくる。

 

―――ん……、伝わってくる?

 

瞬間、不思議と、体からフッ、と、力が抜けた。全身から力が失せたことで、俺の小さな体が余計に大きく揺さぶられる事になる。背中から伝わる振動が足元へと抜けて、地面に吸い込まれてゆく感覚が、とても心地よかった。

 

「―――ダリ。お前でも怖いって思うことあるんだなぁ……」

「……私は、木石ではない。―――常々言葉が足らないのは、悪いと思っている」

 

ダリは珍しく素直に弱気を晒した返答をよこす。まさかの事態に思わず振り向きそうになるが、体は固定されていて動かすことができない。しかし、得られた回答が気力を充実させてゆくのを実感すると、俺は大きく吸い込んだ息を細く長く吐き出して、シンの方を見た。

 

「一閃!」

 

すると、あいつはいつも通りに鋭い一撃を放っていた。虚空に生み出された一撃は、奴の巨大な瞳を傷つけ、その行動の阻害までして見せる。

 

―――は、はは

 

すげぇや。やっぱシンはすげぇ。そうしてクラリオンの行動を阻止してみせたあいつは、少しだけバツの悪そうな顔をしながら、もう一度同じ構えをとって見せる。ありゃ多分、予定通りに行動できなかったことを悔やむ顔だ。

 

とてもあいつらしい苦悩だ。あれだけの巨体相手に対等に立ち回って、時間稼ぎまでした上に、自身のミスを許さないとか、シンのやつくらいしかしない傲慢っぷりだ。けれど、俺は、そんな自信家で、向こう見ずで、無鉄砲なあいつがいたからこそ、ここまで来られたのであり、そして今、こうして訪れた恐怖を振り切って、その時が来るのを待つことができるのだ。

 

チャンスは一度きり―――、逃すつもりはない!

 

 

神罰大集光!』

 

奴が二度目となる切り札のスキル名を叫ぶ。光が再び宝石へと吸い込まれ、緩やかに焦点へと収束してゆく。光が発せられるその直前が、勝負の時だ。しかし。

 

―――あ、足が

 

肝心な時に、両足が竦んでいうことを聞いてくれない。いつだって感情を無理やり抑え込んでいた脳みそは、こんな時ばかり敏感に恐怖の感情を理解して、全身に対して死地に向かうことにたいして拒絶の意思を送っていた。

 

歯がゆくて、余計に大きく体が震える。身につけた鎧兜から金属音が鳴り響く。直前まで存在を気付かれないことが肝心なのに、他人よりも恵まれた体を持っているというのに、何という体たらくだ。恐怖を嚙みしめようとしても、歯はカチカチとなるばかりで、体を押さえつけるに役立ってくれない。あまりにも情けなくて、涙まで出てきた。まるで心が初心者の頃にまで戻ってしまっているようだった。

 

視線が定まらない。むせ返りそうになるほどの緑の匂いと、森が焼けた際の匂いが入り混じっている。耳鳴りはおそらくクラリオンの放った光の集まる音だろう。背後から聞こえた失笑は、サガのものだ。過敏になった感覚は、集中するには余計なものばかりを選別して、私の感情をかき乱す。ああ、本当に、なんてなさけな―――

 

「―――まさかお前にこんなことをする日がくるとは思わなかったなぁ」

 

後ろ手に鎧が叩かれる。それは意識を気づかせるための強いものではなく、泣き叫ぶ赤子をあやすような、優しく、思いやりに満ちたものだった。

 

「失敗したら一緒に謝ってやるからさ。気楽にやれよ」

「―――」

 

背後のいるサガの存在感が急に増す。同時に、ここで私が失敗すれば、この場にいる全員の命が失われ、さらには世界の破滅にまで繋がるだろうという気負いが、一気に拡散する。サガという男は、いつだってそうだった。

 

サガは口ではどんなに軽薄なことを言っていても、胸の中がどれほど揺らいでいても、周囲の人間の悩みを見抜いて、他人を慮ることのできる、強い人間なのだ。そして私は初志を思い出す。ああ、そうだ。人の心の変化が理解できないと思い込んでいた私は、変化を当然と受け止め対応するサガに憧れ、彼と共にいれば自分も変わることが出来るかもしれないと思ったからこそ、このギルドの勧誘に応じたのだ。

 

私は―――

 

「―――ありがとう。気が楽になった」

「――――――は、お前が素直にそんなこと言うたぁ、こりゃ明日はとびっきりの天変地異が起こるぞ」

「あるいは、そのせいでこんな事態に陥ったのかもしれんがな」

「……ははっ、いいね、ダリ。お前、それ、これまでの中で最高にイカした冗談だぜ」

「おかげさまでな。……いくぞ! 」

「―――おう! 」

 

緊張感は恐れとともに、とっくの昔に霧散していた。今、私の背後にはサガという男がいる。そしてサガの目の前では、シンという男が、単独であの恐ろしい巨大な敵と対峙している。エミヤたちは私たちの行動の成功を祈って、どこか別の場所で待機しているにちがいない。

 

―――失敗は許されない。けれど、失敗するなんて考えはもはや一片たりと浮かばなかった

 

神罰大集光! 』

「―――今だ、サガ! 」

「おう、核熱の術式! 」

 

そして私とサガは飛翔する。シンを殺そうとするあの光を遮り、血路を開くために。

 

 

「完全防御! 」

『なに!?』

 

光はシンという男を消滅させる寸前、空中にて停止した。否、私が停止させたのだ。光の粒子を完全防御で凌ぎ、サガがシンのいなくなった後方、世界樹の木の根に対して核熱の術式を使用する。生じた爆発の威力により、全てを消滅させる威力を持ったはずの光の中を突き進む。爆発により生じた火炎と熱は、ファイアリングとピエールのスキルで軽減し、あとは我慢だ。

 

『貴様たち、一体何を―――』

「すぐにわかるさ! 」

 

やがて完全防御が切れる前、身を消し飛ばしそうなほどの熱戦のから抜けると、クラリオンの敷いた万物の防壁の内側へと降り立つ。完全な防御を誇るという防壁は、内側からの衝撃にも強いらしく、私たちのような人間程度の大きさなら、簡単に支えてくれていた。

 

「サガ! 」

「任せろ! 超核熱の術式! 」

 

着地と同時に、我々を繋ぎ止めていた紐を切り離す。直後、万物の障壁の内側からサガのフォーススキルが放たれた。彼の機械籠手から放たれた破壊の光は、直進し、奴の瞳に直撃すると、接触部から爆発を生じさせ、さらに爆発により生じたエネルギーが連鎖的に奴自身の体を爆弾へと変え、更にその体積を削ってゆく。

 

『ぐがぁっ! き、きさま……!』

「いい足場だぜ! 不安定さが全くない! これなら、いくらでも正確に狙いがつけられらぁ! 絶対防壁なんてものを敷いたのが仇になったな! 続けてくらえ、核熱の術式! 」

 

瞳の一つはサガのフォーススキルによって完全に潰されていた。そして奴の文句が終わらぬうちに、サガの追撃が始まる。先ほどよりも少しばかり小さな光が放たれ、奴の体を爆発物へと変換し、その内部までを削ってゆく。

 

相手の体に作用し、それ自体を爆発の触媒とエネルギーとして変換する核熱の術式は、巨体に対してのまさに絶大な威力を発揮し、放たれた光が次々と奴の大きな瞳を潰してゆく。角膜は破壊され、水晶体はこぼれ落ち、どろりとした内部液が漏れ出した。もはや血涙ではなく、漏液。あれではもはや、瞳が目の前の光景を正しく認識する事は不可能だろう。

 

『お、おのれ……! ―――万物の障壁、解除!』

「う、うおぉ」

 

途端浮遊感が身を包み込む。足元を見ようなんて馬鹿な考えは浮かばなかった。それでもこの身に何が起こったのかは、奴との距離が見る間に遠ざかっている事実だけで判断できるというものだ。

 

―――私は今、サガとともに落下している最中なのだ。

 

「ピエール! サガ!」

 

私はサガを抱え込むと、大きな声を発した。

 

「はいはい、お任せあれ。火幕の幻想曲!」

「行くぜ! 大爆炎の術式! 」

 

何処かよりピエールの歌声が響くとともに私たちの体へ再び火属性の損害を軽減する膜が張られ、直後、サガにより大爆炎の術式が私たちの眼下に放たれる。暴風に煽られ迫り来る炎は私らを焼き尽くそうとするが、その勢いは火竜が放ったものなどとは異なり、まるで殺意のこもらない、単なる火と熱と風の集合に過ぎなかった。

 

「ファイアガード! 」

 

そして爆発により起こった火と熱を防ぎつつ、爆発の際に生じた風に乗って、私たちは世界樹の木の根にて鉤爪ロープを引っ掛けて構えるピエールの下まで自ら吹き飛ばされる。着地の際に全身に多少の痛みが生じたが、はるか下方の地面に身を叩きつけられ、肉片になり、痛みすら感じる間も無く死んでしまうことを思えば、むしろ喜ばしいものとして歓迎するべきものだろう。

 

「冗談で言ったが、本当にスキルで空を飛ぶことになるとは思わなかったなぁ」

「事実は小説より奇なり、という奴ですよ」

「―――それより、あちらはうまくやったのか? 」

 

私が周囲を見渡すと、真っ先に映ったのは、サガが引き起こした爆発の連続により身体中に大怪我を負い高度を下げていたクラリオンの体の上部へと取り付いた、シンの姿だった。シンは、両手に持った剣を俊敏にふるいながら、己のフォーススキル『一閃』を連続して行い、周囲を切り刻み続けている。

 

『ぐぉ……、貴様、これが狙いだったのか!?』

「硬質な障壁を用いて内部の守りを固めるという事は、内部は柔らかいですと言っているようなものだ! これだけ接近すれば、貴様のような柔らかいデカブツ―――」

 

そしてシンは無双の構えより一閃を発動する。シンの周りにあるすべての触手部分が切られ、吹き飛び、空中より掘り出されて下方に落ちてゆく。彼はまさに、闊達に自らの体を動かして、敵の体を解体し始めていた。

 

「斬って刻む事は容易! 」

『―――おのれ……! 』

 

シンはクラリオンの上面を疾走しながら、刀を振るって状況に応じてスキルを発動し続けている。触手にて構成された体のふとましい部分は、ブシドー最大の威力を誇るスキル『ツバメ返し』にてぶった斬り、細かい部分は『抜刀氷雪』の範囲攻撃にて纏めて叩き斬る。

 

触手が蠢き、クラリオンの身から配下が生まれるも、それらを利用してシンを排除しようという試みは、周囲全ての障害物を『一閃』にて纏めて斬り落とすシンの攻撃にて防がれる。見上げていると、クラリオンの上部から皮膚を擦った際こぼれ落ちる垢の様に、ポロポロと奴の一部が落下してきている事が理解できる。シンは鬼神の如き活躍で、クラリオンの巨大な体の表面を削りつつあった。

 

クラリオンは自らの絶対防御『万物の障壁』の内側に侵入した敵を排除することができず、ただ身を悶えさせてその巨体を削られてゆくばかりだった。

 

『ええい、忌々しい……! 』

「むぉっ……」

 

やがて自らの肉片が落下してゆく様がよほど歯痒かったのか、大きく身を悶えさせたクラリオンは、シンを振り払うためだろう、世界樹に毒素を注入する作業を中断し、大きく身を回転させた。天地が幾度となくひっくり返り、シンの姿が見え隠れする。

 

鬼神の如き強さを誇るシンとはいえ、彼の身体能力は人の持つそれの延長線上に過ぎない。シンは刀をクラリオンの体に突き立て、逆しまになった地面にへばりつき、蠕動と回転の運動に耐えるため、二つの剣を器用にクラリオンの皮膚に突き立てて、まるで壁面を登るかの様に、回転運動に逆らって上へ上へと向かっていた。

 

『しつこいぞ人間! 』

「ぐぬっ……!」

 

やがてそれでも自らの体から離れようとしないシンに痺れを切らしたクラリオンは、体表部分の触手を集結させて作り上げた自らの体を一旦解き、バラバラの状態へと形態を変化させた。散らばった触手の内、体表に配されていた部分は飛翔能力を持たない様で、バラバラとはるか下方に位置する地面へと落下してゆく。

 

「……っ、ちぃ―――」

 

やがてシンは巨大な体表部分の触手落下に巻き込まれ、クラリオンの体から引き剥がされてしまった。シンのしがみついている触手が、クラリオンが自身の周囲に張りめぐらせている万物の障壁と接触した瞬間、奴は障壁を一瞬だけ解除して、シンとともに自ら切り離した肉を障壁の外側へと放り出した。

 

シンはそれらの肉がはるか下方の地面へ向けて落下し出す前に、周囲に張り巡らされた世界樹の根向けて大きく跳躍すると、二本の剣を交互に突き立てて器用に上部へと登りあがる。それは、シンらしい迷いのない行動だった。

 

『ずいぶんとしぶとく抵抗しおってくれたな……! 』

 

クラリオンは怒りを隠そうともしない激しさを伴った口調で、シンを睨みつけた。今、奴自身が行った所業により、巨大だった体はその外周部分を大きく失い、今までの半分ほどの直径になっていた。

 

身体中に複数あった瞳も、たった一つにまで減っており、不定形のアメーバ状だったクラリオンは、一本の長い紐の先端に単眼が引っ付いた、マッドワームの様な姿になっている。我々の連携攻撃により、奴が弱体化したのは明らかだった。しかしそれでも奴は、我々が相手とするには十分すぎるほどの巨大な体躯をしており、強力な力を秘めていることが予測できた。

 

『多少不恰好な手法になるが仕方あるまい……! 』

 

奴は唇があれば食んでいただろう、不承不承といった声を上げると、小さくなった自身の体から周囲に散らばっている世界樹の根に向けて触手を大量に伸ばし、突き刺した。

 

「な、何を……」

「―――いけない、奴は、世界樹の根を枯らして、我々から足場を奪うつもりです! 」

『その通り。矮小な貴様らを相手に、この様な卑劣な手段を取らねばならないという事実は極めて不本意だが―――、誇りとするがいい。貴様らは、クラリオンという強大な個がこのような手段を取らねばならぬという状況になるまで、我を追い詰めたのだ!』

 

クラリオンは吠えると、自らを取り囲む様に空中に張り巡らされた世界樹の根の部分の接触部を見る間に赤く染め、凄まじい勢いで奴の配下へと変化させてゆく。触手型の魔物へと変化した敵は、その細い触手を世界樹へと突き刺して、自らの同種を生み出す。奴らそして世界樹が枯れる勢いを凄まじく加速させていた。

 

「おい、やばくないか!? 」

「ああ。このままだと……我らが支えとする根が枯れ果てるまでに一分とかかるまい」

「ですが……」

「ああ」

 

足場を求めて逃げ回る我々のうち、サガは多少焦った様子を見せたが、シンとピエールはひどく落ち着いていた。かくいう私も二人と同じ様に、気持ちは平生を保っていた。なぜなら。

 

「どうやら賭けには勝った様だな」

「細工は流々、仕掛けは上々、後は結果をご覧じろ、といった所ですかね」

「ああ。その通りだ」

 

瓦解していく世界樹の根にいる私たちは、足場を求めて逃げ回る最中、体躯の小さくなったクラリオンの直上にて密かに活動する、二人の姿を見つけることが出来たからだ。

 

「我らの命運は託したぞ。……響、エミヤ! 」

 

 

「彼らはうまくやった様だな」

 

エミヤ。エトリアにおいて、現在、最高峰の冒険者として名高く、同時に、この度の世界樹の新迷宮に深く関係している節のある男性。瀕死の重傷を負い、傷は癒えたといえど未だに能力を万全に使えない状態ながら、彼は今、これまでとまるで変わらない様子でこの場所―――クラリオンの背中を、迷いない足取りで疾走していた。

 

クラリオンが万物の障壁を解除した瞬間、奴の背中に取り付いたのはシンだけではなかったのだ。シン達と別行動をとった私たちは、シンとは別の場所からこの不安定極まりない場所へと飛び移り、そして肉を抉って内部へと取り付いた。

 

その後、一旦クラリオンの端まで駆け抜けた私たちは、シンが暴れる中、不安定な足場をひっそりと細工を施しながら疾走する。蠢く肉体に刃を突き立てて肉を削り、穴を掘って埋めなおしても気付かれなかったのは、シンが暴れまわってくれたおかげだろう。クラリオンが脱皮するかのごとく表皮を脱ぎ捨てた時はとても焦ったが、お陰で私たちの仕事量も減ってくれて、万々歳と言えるかもしれない。

 

しかし、私にとって、そんなクラリオンの曲芸じみた行動に付き合わされて、無茶をやらされた代償は大きかった。

 

「―――大丈夫か、響」

「……はい、……問題ありません」

 

大嘘だ。エミヤの補助があったとはいえ、クラリオンの回転運動に逆らい、全力で落下に抵抗した結果、通常とはありえない方向への負荷を強いられた筋肉が痛みを訴えている。何度も転げそうになっているのは、普段あまり使っていない筋肉と関節を無理に稼働させてしまったせいだ。おかげであっちこっちが痛い。

 

踏みつけるたびにグニャグニャと定まらない感覚を返してくる足元は、シンや仲間たちと別れて行動し、その上彼らの命運を背負う事となった、私の心の中の戸惑いと不安を表しているかのようだ。それでもなんとか痛みを我慢して、足を縺れさせる事なく走っていられるのは、目の前で私を慮り先導する彼という存在があるからに他ならない。

 

「―――そうか」

 

慧眼で思慮深い彼のことだ。私のそれを強がりと見抜いたのだろうが、それでも彼は私の意思を尊重して、何も言わないでくれた。必死で色々な思いと疲労を抑え込んで身体中が悲鳴を上げ、誰かに優しく救いの手を差し伸べられたら、迷わず縋ってしまうだろうくらい弱っている今、その態度は何よりありがたいと思う。

 

「……ゃあ!」

 

クラリオンの体が大きく揺れた。ぐらついた体に手が差し伸べられるも、なんとか自力で踏ん張って見せる。すると足元の肉が絶え間なく脈動しているのがわかった。クラリオンの肉体は、蠢いて触手へと変貌すると、やがて生み出された無数の触手は世界樹の根へと突き刺さり、途端、接触部分から赤の染色が始まった。染まり上がった部分からは、触手型の魔物が生まれてくる。

 

「一閃! 」

「核熱の術式! 」

 

私の今いる場所からは見えないが、シンとサガがスキルの名を叫ぶ声が聞こえてきた。遅れて、スキルが効果を発揮し、敵をなぎ払い、空間を切り裂く爆音が響き渡る。私は彼らの攻撃のタイミングに合わせて、エミヤの生み出した杭を敵背中に打ち込み、皮袋を肉の中に埋めた。肉に包丁を叩き込んだような反動が、疲れた両手にジンと響いて、痛みを感じる。

 

『無駄だ! 自らの体をそぎ落とした分だけ、万物の障壁は以前よりも密に私の体を守護する! 肉を固く引き締めてやれば、その男の斬撃程度なら、もはや脅威にもならん! 貴様らの攻撃はもはや私には届かない、通らないのだ! 』

 

だがクラリオンが放つ怒りともなった大声は、その巨体を大きく震えさせ、足元を通じて体内に直接、耳をつんざかんばかりの声色を送り込み、手のひらの痛みとは比べ物にならない頭痛を引き起こす。私は効果がないと知りながらも、思わず作業を中断し、両手で耳をふさごうとしてしまう。

 

「―――急ぐぞ」

 

そんな反射的に生じた弱気の行動を、エミヤの声が中断させてくれた。彼の迷いない声色に導かれる様にして、私たちは再び解いた縺れ糸を垂らし、袋を結びつけながら、シンたちの攻撃に合わせて袋をクラリオンの体へと埋め込み、奴の体の上を疾走する。

 

『さぁ、去ね! 去ぬれ! 貴様らはこの地下深くにて、地に這い蹲っているのがお似合いだ! 所詮は矮小な人間の伸ばした手が天をつかむことは、永劫あり得てはならない事なのだから! 』

 

見下す言葉に反骨心が湧く。メラメラと闘志が燃え上がり、身体中の痛みを少しだけ和らげてくれた。

 

―――そんなことはない。私たちは、お前を倒して、もう一度天を仰ぎ見てみせよう

 

「―――エミヤさん、一つ、提案があります」

 

 

「一閃! 」

 

シンがブシドーのフォーススキルを発動すると、クラリオンの表面から、鑢か鉋をかけたかの様に、皮膚の屑と皮がむけて落ちてゆく。しかしそこまでだ。身体能力を最大限に引き上げたシンの一撃とて、万物の障壁を張り、筋肉がわりの触手を固く締め上げるクラリオンの体内奥深くにまでは刃が到達しない。余計な体表を捨て、防御に特化したクラリオンの守りはまさに鉄壁で、こちらの攻撃はほとんど一切通用していなかった。

 

『無駄だ! 』

「そりゃどうかなぁ! 」

 

サガが核熱の術式を、一つになったクラリオンの瞳めがけて放つ。触れれば爆発を引き起こす光は、奴が前方に張る万物の障壁―――の前方にいる、魔物の群れへと直撃すると、奴らを生む毒素を吐き出す触手ごと吹き飛ばし、風に乗って音と煙と血と肉片が散らばって煙幕となる。煙は奴の張った万物の障壁に沿って流れ、クラリオンの視界と聴覚を一瞬の間だけ遮断する効果があった。奴の攻撃がほんの少しの間だけ止まる。

 

「もう足場がほとんどねぇぞ! 」

 

しかし、そんなことを何度も繰り返していると、やがて気がつけば、天井より伸びてクラリオンの周囲に張り巡らされた世界樹の根は、ほとんど無くなっていた。戦闘の最中、クラリオンが自らの配下を生み出す触媒として使い、また、サガが敵の数が増えないように、触手の刺さった根を片っ端から吹き飛ばしていた故に、消失までの速度は余計に早まっていたようだった。

 

無数にあった根も、今や壁面から天井にかけて捻れながら身を伸ばす足元の一本のみ。この命綱を断たれた時、私たちの命は尽きてしまうのだろう。奴もそれを見越しており、最後の根を破壊しようと無数の触手を伸ばしてくる。しかし。

 

「一閃! 」

 

シンがそれをさせない。シンは今まで攻撃と撹乱のために使用していたフォーススキルを、守護のために使い始めたのだ。攻撃一辺倒の男がしかしその構えを捨て、一旦、完全な守勢に入った時の力や凄まじく、シンの白刃がきらめく度、クラリオンが伸ばしてくる触手は根元より断たれ、暗闇の中へと落下してゆく。

 

『手こずらせてくれる…・・・』

 

そしてシンの鉄壁の防御に己の攻撃の無駄を悟ったクラリオンは、触手を伸ばす行為を停止し、私たちから距離をとった。私たちと奴との距離は徐々に離れ、やがてついに私たちの位置する場所からでは、まともな攻撃が一切届かなくなる。奴は私たちとの間合いが十分開いたことを確認すると、ゆっくり自らの眼前に力場を生み出し、光を収束させてゆく。

 

「ダリ―――、お前、あれ、防げるか? 」

「ああ。一度だけ、私たちに対する攻撃ならば、なんとかしてみせよう。だが、足元、スキルの効果範囲外は無理だ。―――つまり、落下は防げん」

「誇張なし……、か。お前らしいわ」

 

問いかけに素直に答えると、サガは茶化した返事をこちらへよこした。その行為に肩の力が抜ける。余裕を持って辺りを見回すと、シンもピエールも、未だに希望の光が宿った瞳で、クラリオンの攻撃を真正面から見据えていた。

 

『最後の瞬間までその目をするか……、気に食わんが、構わん……』

 

奴の瞳の前あった光が収束を終える。クラリオンは、私が完全防御を使用しようと関係なく、世界樹の根元を焼き切れるだけの力を溜め込んだのだろう、単眼となった奴の眼前に生まれた光球はこれまで見た中でも最大のものであり、それ単体で直径百メートルはあろうかという巨大な球体だった。

 

『さらばだ!』

 

奴が叫び、光球が縦の楕円形に膨らむ。内部に貯蓄された力が波打つ表面を突き破るかのごとく、飛び出し、私たちを焼き尽くすべく、力を解放する―――、その直前。

 

「そう、これでさよならです! 」

 

響の声が大きく響きわたり、クラリオンの大きな単眼が存在する場所の上部より頭部背中より一瞬だけ小さな爆発が生じた。直後、連鎖的に奴の背中で爆発が起こり、粉塵が舞い上がる。

 

『なに……!? ぐっ、うっ、お、おお、おおおおおおおおぉぉぉぉ!』

 

爆発によって生じた煙が奴の体を包み込んだ途端、クラリオンは長く伸びた体を悶えさせて、苦しみだす。悶える体は、やがて解けて触手に戻り、さらに液状化、あるいは石化しながら崩れ落ちてゆく。

 

『貴様ら―――、一体なにを―――』

 

それでも奴なりの矜持なのか、溶けてゆく体のうち、単眼のある頭部だけは上下の向きを保ったまま振り返り、己の体が如何なる様になっているかを確認しようとする。そしてクラリオンは、己の現状を正しく認識したようで、単眼を大きく見開き、文字通り、目を見張らせた状態で、驚愕の声をあげた。

 

『毒と―――、石化か……!』

 

言葉を発したと同時に、角膜の上部がずるりと向けて落ちる。一層、蛇より取り出した毒がついに奴の巨体の中心部まで到達しようとしていた。クラリオンはどこからともなく大きな舌打ちをすると、その単眼に大きな亀裂が生じた。

 

やがて二つに割れた眼球と、ズル剥けた周囲の黒い皮膚の内部からは、人間の脳の形に似た姿の海松色の敵が現れる。前頭葉部分に単眼の眼が引っ付いているそいつは、脳幹から脊髄に当たる部分が二列等間隔に生え並ぶ目玉で構成される触手が集まって胴体のような体裁を整えている。クラリオンは、もはや毒に侵された我が身を見捨てて、触手で出来た体を脱ぎ捨てたのだ。

 

「その通りです! 」

 

空中に残った脱皮直後の触手の上で、この場所からでは点のようにしかみえない響が吠えた。我々とクラリオンの意識が彼女へと集中する。目を細めて彼女の様子を伺えば、今現在クラリオンが脱ぎ捨てた外殻、その頭上の頂点という、誰よりも高い位置にいる彼女は、落ちゆく足場の上で足をガタガタと震わせながら、必死の形相で見たことのない剣を握っていた。剣はその刀身が曲がった不思議な形状をしており、槍のようでもあった。

 

『女……!』

「私が貴方の体に毒と石化の香を埋め込んで爆破しました! あとは―――」

 

彼女はクラリオンの形骸が落下してゆく最中、ガタガタと震えていた身をさらにぎゅっと縮めて前傾姿勢になると、足元を思い切り蹴飛ばして、空中へと飛びだした。

 

「―――はぁ!?」

「ばっ……!」

「……響!」

「響さん……!」

『……!』

 

響の自殺行為には私たちのみならず、流石のクラリオンも驚いたようだった。何せこの場所は、地上より軽く千メートルは距離のある場所である。落ちたら即死という状況において、空中へと飛び出した彼女は、柄を両手でしっかりと握りしめ、剣を下方へと突き出しながらクラリオンへと直進したのだ。

 

「これでトドメです! 」

 

空間に響の大声が反響する。彼女の手にした短剣に如何なる威力が秘められているのかはわからない。けれど臆病を表に表していた彼女が、それでも自信満々に突き出す剣は、いかにも目の前のクラリオンを滅することが出来る威力を秘めているかのように見えてくる。

 

『小賢しい……! 』

 

しかしクラリオンは、大脳部分と小脳部分の下に格納していた、脳幹の形状に束ねていた十数本の触手を解くと、それらを用いて自らの体めがけて飛び込んでくる響を、頭上、斜め上に向けた眼前にて押しとどめた。

 

「あ、ぐぅ……!」

『そして浅慮なり!いかに弱ろうと、この程度の一撃、我が止められぬとでも思うたか! 』

 

空中にて十数本の触手に捕らえられた響は、全身をきつく縛り上げられていた。ギシギシとか細い肉体が軋む様子が、遠くの光景より伝わってくる。クラリオンと私たちの距離は軽く五百メートルは離れている。シンの一閃の射程から離れ、サガのスキルすら届かないこの場から私たちにできることは、ないと言って過言ではないだろう。

 

「響!」

 

シンの必死の叫びを快楽として捉えたのか、クラリオンの前頭葉部分についた単眼が悦楽に歪み、持つ全ての触手が響へと集中し、彼女の体を覆い隠し、さらに強く締め上げた。そして。

 

「ああ―――、その程度の攻撃なら、防いでくるだろうと思っていたよ! 」

 

今やクラリオンの下方へと位置する、落下しつつあった形骸の中から、赤い弾丸が奴めがけて飛び出した。エミヤだ。凄まじい速度を伴った彼は、先端が剣の形に尖った鉄鎖を握りしめ、クラリオンの露わになった脳幹部分へと一直線に迫ってゆく。

 

『―――貴様!』

「やはり諸王の聖杯は肉体の奥底、本体に隠していたか! だが―――」

 

エミヤは鉄鎖を振り上げる。おそらく脳幹部分に隠されていた聖杯に攻撃を仕掛けるつもりなのだ。エミヤの行為に反応してクラリオンは防御のために触手を動かそうとしたのだろう、一瞬だけ全身を強く震えさせたが、しかし何もしないまま、奴はエミヤの接近を許していた。

 

『これは―――!』

「縺れ糸! 足りない気力はアクセラで無理やり回復した! 私のフォーススキル『イグザート・アビリティ』は、どんな相手だろうと、当たれば絶対、道具は効果を十全に発揮する!」

 

よく見ると、いつのまにか、響を縛り上げる複数の触手は、響を掴んだその場所から伸びる縺れ糸によってその根元まで縛り上げられていた。おそらくエミヤが叫びクラリオンの気を引いた隙に、響がフォーススキルを発動したのだろう。

 

『お……の……れ……!』

「そして―――」

 

防御行動の取れなくなった奴は、響とエミヤを交互に見たのち、エミヤの攻撃の回避を試みるべく、身を後方へと動かして、退避行動をとる。だが巨体の動く速度は、自身の体を魔弾と化したエミヤよりもずっと遅い。クラリオンのすぐ近くまで接近したエミヤは、振りかぶっていた腕を思い切り振り下ろし、その先にある鉄鎖をクラリオンの体へと叩きつけた。

 

「これで、『ジエンド』、だ!」

 

そして転職して間もないエミヤは、ダークハンターのスキル、『ジエンド』を発動する。最大まで強化されたスキル『ジエンド』は、弱った敵を即死させる効力を持っている。スキルにより死の力を纏った鉄鎖が、奴の弱点―――すなわち聖杯があったのだろう脳奥の部分へと叩きつけられた。鉄鎖より鈍色の光がゆるゆると外皮を剥がれ、肉体を失い、脳と脊髄と周辺部位のみとなったクラリオンの残る全身に広がり、死の概念が伝播してゆく。

 

『また……、また、人間如きにやられるのか……、長き屈辱に耐え、アンリマユの力を手に入れ、完全復活を果たしたこの身が、矮小な、深い悪意も知らぬような、精神の脆弱な平穏な世界に生きる住民どもに、倒されるというのか……!』

 

クラリオンは死の力が自らの体に広がっていくのに合わせてその身を大きく揺らすと、怨嗟と怨念込もった恨みの言葉を吐き捨てた。

 

「―――彼らは確かに悪意に弱いかもしれない。かつての悪意に満ちた世界では生きてゆくのすら難しかっただろう。だが、だからといって、彼らは決して自他に悪意を抱かないわけでも、悪意に悩まないわけでもない。彼らの悩みや苦しみは、私や貴様のような、人は他人に悪意を抱いて当たり前の生物であると考える存在とは別の次元のものであるため、我らのような旧世界の存在には理解しがたいだけのことなのだ。―――己の悩みや苦しみを他人に八つ当たりすることなく、自らや仲間の手を借りながら乗り越えてゆく彼らが、弱いわけがあるまい」

『―――お、お、おぉぉぉぉぉぉぉぉ!』

「さらばだ、クラリオン―――そして、言峰綺礼

 

断末魔の雄叫びをあげて、奴は消滅してゆく。気がついたときには、クラリオンの脳型の体は、ほとんどが崩れ落ちていた。

 

 

そして―――

 

「ん……?」

「あ……」

 

やがて最後に触手と脳が消え去った時、空中にてクラリオンの体にて支えられていた響とエミヤは、止まった時間を取り戻したかのように、空中から地面へと向けて落下し始めた。

 

「凛の時といい、―――空中からの落下が私の持ちネタになりそうだな……」

「馬鹿言ってる場合ですかぁぁぁぁぁぁ―――!」

 

珍しく冗談を言い放ったエミヤに、響が熱いツッコミを入れた。ただでさえ我々のいる場所から距離の離れた彼らは、みるみるうちに小さくなり、奈落の暗闇へと消えてゆく。

 

「響!」

「エミヤ!」

 

サガとシンが身を乗り出して、下方を覗き込んだ。遅れて私とピエールも二人に続く。

 

「―――どうやら無事のようだな」

 

奈落へと消えてゆく彼らの点が、多少大きな平行四辺形の面となったのを見て、私は呟いた。

 

「ええ。どうやら、二人は飛び降りる前に、パラシュートを身につけていたようですねぇ」

 

考えてみれば当然だ。特に、向こう見ずな部分のある響はともかく、冷静なエミヤが、助かる手段もなく空中に飛び出すという自殺行為を敢行するはずがない。当然なんらかの対処を講じているだろうことは、予測できた事態だった。

 

「―――はぁ……、まったく、ヒヤヒヤさせやがる」

「まぁ、終わりよければ全て良し、だ」

「―――ところで、彼らはそれでいいとして、私たちは、どうやってこの場から脱出すればいいのだ? あのような道具を生み出す手段、我々にはないのだが……」

「「「あ」」」

 

私の指摘に、珍しく三人が口を合わせてぽかんとした表情をうかべる。結局、ヴィズルが木の根の迎えをよこしてくれるまでの間、私たちは千メートルの壁を降りるのか、あるいは下の彼らの助けを待つべきなのかを議論し、時間を無駄に過ごす羽目となった。

 

 

「ちょっと、アーサー。なんで帰還の術式使ったのに、エトリアじゃなくてこんな場所に出てくるのよ」

「知るか。俺はいつも通り、術式を使っただけだ」

 

フレドリカとアーサーは言い合いを始める。そんな二人の諍いがどうでもよくなるほど、目の前に現れた景色の素晴らしさに心を奪われていたからだ。

 

山と大地の間から姿をあらわす太陽。光は雲海に覆われた部分以外の空の領域を紅に照らしあげている。残照は地面を薄く這ってゆき、やがて街に到達すると、大地の最も窪んだ場所にあるエトリアの街を半分ほど明るく染め上げる。

 

建物の影に追いやられた夜の残滓は、陽光を嫌うかのように月の沈んだ方向へと逃げてゆく。闇を追い払う行為を援護するかのように、東風が吹き荒れる。強風は木々を揺らした際に巻き込んだ葉を伴っていた。

 

しかし、闇が雲海の残る方角へ逃げていくのを拒むかのように、西側から山颪の風が吹き下す。山を降りてきた風は、土と葉と水気を含んでおり、やがて街の中央まで追いやられた東風は、その場所で山颪の風と拮抗して、絡み合った風は空へと吹き抜けてゆく。

 

風の中に大量に含まれた異物が、エトリアの街の上空で混じり合い、散乱し、光を乱反射した。やがて風の勢いが弱まる頃、光を伴った土や葉、水滴は、柔らかい光を帯びながら、暖かさを伝えるかのように街中に散らばってゆく。

 

いつも部屋を寒くし、店の前を散らかす鬱陶しいばかりの冷たい風は、別の場所から見ると、こんなにも美しく見えることに初めて気がつく。まるでエトリアという街が、凱旋を祝ってくれているように感じた。

 

「この景色を見るのも久しぶりだな」

「シン」

 

シンは背中越しからいつもと変わらない様子で語りかけてくる。後方では、エトリアの英雄達がシンを除いたメンバーと談笑している。穏やかな会話の内容を耳にすると、ようやく戦いは終わったのだということを心から実感できた。穏やかな心地を得る。彼は私の真横までやってくると、光散る街の光景を眺めたまま、言葉を続ける。

 

「かつて冒険者を志してこの街へやってきた時、一度だけ目にしたことがある。人とは多少感覚がずれている私も、この光景を見たときは、珍しく感動を覚えたものだ」

「……シン?」

 

シンは私の横に立ち並んだまま、戦い以外であるというのに、珍しく饒舌に、己が初めて街へと訪れた時のことを語る。その態度に違和感を覚えて隣の彼へと視線を移すと、稜線から伸びてきた朝日が彼の体を照らす中、徐々にその体が透けつつあることに気がついた。

 

「―――え?」

「そろそろ、か。そうだろうとは思っていた」

 

自らの体が薄れてゆくという異常を、けれどシンは当たり前のように受け入れ、穏やかな顔を浮かべている。暖かさを取り戻したはずの横顔を風がすり抜けていった。彼の髪はもう小

風に揺れすらしていなかった。

 

「もともと、一度死んだ身だ。英霊としての一時的な召喚だからな。消えゆくのは定めだ」

「―――だ、だって、そうは言っても、他のみんなも……」

 

シンの語った言葉の内容を否定したくて、拒絶の材料となる彼らを探して後ろを振り向くと、そこにはいつもの見慣れた四人がいるばかりで、先ほどまで彼らと談笑を交わしていた英雄達の姿はどこにも見当たらなかった。

 

サガとダリは目を伏せて、黙祷を捧げるような姿勢でいる。ピエールは目を瞑って空を仰ぎ、唇を小さくパクパクと動かしていた。それは彼らが死者を想い、弔う際に見せる態度だ。その中で、ただ一人、エミヤだけが切れ長な白眉の下に、物憂げな瞳を浮かべて私たちの方へと向けていた。縋るようにして彼と目線を絡ませると、彼は静かに視線の交差を断ち切り、首を横に振って、目を伏せて見せた。彼の返答に思わず息を呑む。

 

皮肉なことに、救いの手を求めて振り向いた先にあったのは、シンの述べたことが事実であることを補強する光景だった。それでも信じられなくて、信じたくなくて、本人からの否定を求めてゆっくりともう一度シンの方へと向き直ると、先ほどよりも輪郭がおぼろげになった彼は、薄れゆく中にあって唯一存在をはっきりと主張している彼の刀の一振りを、私の方へと差し出して笑顔を浮かべていた。

 

「これは君に返しておこう。もうそれは君のものだ」

 

私は、私へと差し出された刀を、しかしすぐには受け取ることができなかった。シンは目の前にいるのに、もう存在感がほとんどなかった。吹けば消えてしまうような姿の中で、唯一、確かな実体として存在するのが、差し出されたその刀だ。

 

私がそれを受け取ってしまえば、シンはそのまま消えてしまう。そんな予感が脳を支配して、彼の差し出した刀を受け取ることを全身が拒絶していた。そうしている間にも、彼の姿はさらに薄れてゆく。時よ止まれと強く願っても、時間は常と変わらず流れていくばかりで、彼の体から光が剥離してゆく現象を止めてはくれなかった。

 

「響―――」

「―――っ」

 

―――いらないっ

 

喉元まで込み上がってきた強い否定の言葉をなんとか飲み込む。だからといって、現実を否定しても、決まった結末が覆らないこということは、嫌という程理解できていた。だからせめて―――

 

「―――はい」

 

差し出された刀を素直に受け取る。どうせ覆らない別れの運命なら、せめて綺麗な幕引きで終わらせたいと思った。無理やり笑って見せるも、余計にシンとの別離が意識されてしまって、涙と嗚咽が溢れ出て、いらない化粧を顔に施してゆく。ああ、どうか見苦しいと思わないでほしい。暴走しそうな想いを必死に抑え込んでいるのだから―――

 

「いい顔だ」

「―――」

 

ここに来てそのセリフはずるいと思った。固く閉ざした心の蓋は、もはや何処か遠くへと吹き飛んでしまっていた。

 

「―――好きです」

 

勢いよく溢れ出した想いは、瞬時に体の外にまで溢れ出て言葉となり、自然と口から零れ落ちた。彼の顔に、驚いたような、とぼけたような、独特の表情が浮かぶ。不思議なことに、もうほとんど輪郭も存在感も失せているのに、彼の浮かべたその顔だけは、驚くほどはっきりと私の網膜にくっきりと映った。

 

「好きです、シン。あなたの事が好きなんです」

 

だから、言葉を続ければ、彼との別れの時が少しでも遠のくかもと思って、そのまま思いの丈をぶちまけた。壊れたおもちゃのように、好きだと、同じ言葉を繰り返す。言葉を発するたびに、涙の向こう側、シンは存在を濃く感じられた気がした。それが嬉しくて、何度も、何度も、何度も、何度も、同じ言葉を繰り返しす。

 

「好きなんです。消えて欲しくないんです。好きなんです。あなたの事が、好きなんです。シン。私は―――」

「響」

 

言葉を続けていれば、いつまでも彼が消えないでいてくれる気がして、息を継ぐ間も無く発声を続けていると、彼は短く私の名前を呼んだ。たったそれだけの言葉が、足掻く私の醜態を切り裂いて、私の息まで止めてしまっていた。

 

「―――」

 

彼の口から出る言葉が今生の別れとなる。そんな気がして、私は思わず手を伸ばしかけていた。続く言葉なんて聞きたくない。私は―――

 

「ありがたいが、しかし諦めろ。私はもう死人だ」

 

しかし涙の向こう側にいるシンは、私に自らを過去の未練として断ち切れとあっさり言ってのけると、返事も聞かずその存在感を薄れさせてゆく。最中、彼の体がこちらへと近づいてきたかと思うと、無遠慮に胸元へと手を突っ込み、何かを取り出して抜き去った。やがてキン、と甲高い音が数度聞こえたかと思うと、パラパラと地面に細かいものが落ちた音がする。

 

「こんなもの、もはや君には必要あるまい。冒険者として生きるのが辛ければ、その剣も売り払って、やめてしまっても構わん―――此度の召喚で、私は、私の願いを果たすことができた。だからもう、君が無理に私の願いを背負ってくれる必要はない。過去に縋り生きるな。泣くほど辛いのなら、生きるのに余分な思いは全てここに置いていってしまえ。私が全て持っていこう」

「あ……」

 

涙目をこすり、眼前の光景をはっきりと収められるようになった頃には、彼の姿はもうどこにもなくて、気持ちの良い、胸のすくような朝焼けの光景だけが、まるで色褪せずに広がっていた。シンの輪郭はかけらも見当たらないけれど、気配だけが残っている。そして―――

 

『さらばだ。私も君に好意を抱いていたよ、響』

「―――あ」

 

最後の時、微かに聞こえたシンの一言は、胸の中にある、怒りも悲しみも苦しみの思いを、全部まとめて切り飛ばす、まさに一閃の様な切れ味を持っていた。

 

ふと弄られた胸元を探ると、大事にしまいこんでいた彼の形見の宝石が消えていることに気がつく。私は本当に、シンの唯一の形見となってしまった刀の鞘を胸元に寄せて抱きしめた。シンの残滓を求めて柄を握りしめるも、しかしもう彼の体温は消え去ってしまっていた。本当に。本当に、過去に浸るための材料を余さず私から奪って逝ったのだ。

 

―――過去に縋り生きるな

 

それが本懐を遂げて消えた彼の最後の望みだというのならば、私はシンという過去になった人との思い出に溺れることなく、前を向いて、今という時を精一杯必死に生き抜こうと思う。だから―――

 

「っ、……っく、……あ、…………うぁ、あぁ―――」

 

―――それでも、今、この時だけは、あなたを思い、涙を流すことを、どうか許してほしい

 

透明な糸が、頬の、涙が枯れた跡を再び潤してゆく。こらえきれず恥も外聞もなく泣き声を上げだすと、彼の消え失せていた期間に溜め込まれ、彼と再会した半日のうちに醸造された想いは篠突く雨となり、積み重ねてきた好意と、未練と、後悔の全てを乗せて、託された刀身を濡らしてゆく。

 

「うぁ……、う、うぇ……、えっ、えっ」

 

死の間際、世界から消失する直前、私の告白に、未練を抱いて欲しかった。好きだと返して欲しかった。そうすれば一歩を踏み越えて、貴方のことを抱えながら生きてゆくとせんげんできたかもしれない。消えるなんてこと許さないと、わがままを言うことだってできただろう。けれど。

 

―――諦めろ

 

けれど、彼は、思いを告げても、まるで迷うことなく、私に己へ思いを捨てろと言ってのけたのだ。けれどそんな事、出来はずがない。出来るはずがない。出来るはずなんてあるわけない。だから、忘れず、抱え、浸らず、前に進むための経験にしようと思った。

 

胸の中はまだ大嵐で荒れている。しばらくの間は、彼のことを思い出すたびに、この嵐は再発するのだろう。やがて年が過ぎれば、いつかこの胸の痛みも記憶と共に薄れ、心の荒れた模様も、平静保つ、凪いだような状態になる日が来るだろう。だから前に進もう。

 

―――いつか貴方と過ごした日々なんか忘れちゃうくらい、楽しく生きてやる

 

『私も君に好意を抱いていたよ』

「―――っ……、うぁ……」

 

だからこのひと時、この場所で、存分に想いを置いてゆくために、彼のことを思い出そう。せいぜい私の溜め込んだ貴方への想いの重さに驚くがいい。馬鹿め。だいたい忘れろと言うのに、最後にあんな言葉を残していくやつがあるものか。おかげで全然―――

 

「貴方への想いが消えない……、消えないよぉ……、シン―――」

 

 

エピローグ

 

 

クラリオンとかいう大ボスを倒して、俺たちは晴れて無罪放免となった。おかげでエトリアの街を堂々と胸を張って歩いても、衛兵が飛んで来ることはない。面倒ごとが解決して何よりだ。縮こまったままコソコソと街を歩くのは性に合わないからな。

 

ただ弊害というか、面倒なことに、以前よりも顔が売れちまったせいで街を歩くたび、一々チラ見されるようになった。まー、どこにでもあるようなこんな顔を見て何が楽しいのか、そうすりゃバレないと思ってんのか、こっちに視線を一瞬送ってきては、ヒソヒソヒソヒソと、よくもまぁ飽きないもんだと思う。

 

クラリオン討伐から三日になるのに、未だにこれが続いているというのだから驚きだ。接近や勧誘の禁止令が出ているから害はないし、いちいち目くじら立てるのも馬鹿らしいから放置しているんだが、エトリアにいる間中、こうも全身に視線が集中するのを肌で感じると、流石に鬱陶しい。

 

「よう、邪魔するぜ」

 

煩わしさ全てを振り切るように、インの店の扉を開けて、閉める。背後より感じる視線が扉に遮られて失せた事にホッとしてため息ついたのも束の間、目線を前に向けなおしてみれば、今度は、受付や階段脇にいる全ての客の視線が俺に向いていることに気がついた。

 

いつぞや盛大に鳴いていた閑古鳥はどこかへ飛び去ってしまったようで、すっかり満員御礼の立て札が常に存在するように宿屋となったこの場所は、有名の札が貼られた俺らとは非常に相性の悪い場所へと変貌していたのだ。

 

「いらっしゃ―――、ああ、サガか」

 

そんな居心地の悪くなった混雑する宿屋の中から飛んできた聞き覚えのある声に、俺は機嫌を良くして、視線の集中する中を闊歩し受付まで歩く。飴色に光る木目の机台の前まで進むと、衆目の視線が集中する中、物ともせずに平然と客をさばく長身の男の姿がある。

 

「おい、お前客だろ? 」

「あいにく、この宿の主人は今、料理と接待で手が回らないらしいのでね。半ば強制的に手伝いをさせられているのさ―――ああ、失礼致しました、お客様。こちらが部屋の鍵となっております。ご存知かと思いますが、明朝五時になり、鐘の音がなると同時に、順次、未だ部屋の中に滞在しておりますお客様にお声をお掛けし、退出していただくこととなっておりますので、ご了承ください」

 

エミヤだ。本来客分である彼を働かせようと考えるあたり、この宿のばあさんもタダものでないなとおもう。慣れた手つきで書類を受け取り、宿帳に文字を記入し、案内とともに部屋の鍵を渡すのを見るあたり、もう幾度となく繰り返した作業なのだろう。

 

「そういうわけで、今は話ができん。先にいつもの部屋で待っていてくれ」

「りょーかい」

 

差し出された鍵を受け取ると、近くで俺らを囲むようにして屯っていた奴らを押し割って、階上へと足を進める。廊下を進み、ざわめきと視線が少なくなっていくのを感じながら目的の場所まで到達すると、部屋の鍵を開けて中へと入る。

 

すると、以前この部屋に入った時はシンも一緒だったな、と、軽く酩酊したような感覚を覚えた。豪奢ででかいベッドへと身を横たえると、目を閉じて、世の中の喧騒が少しばかり遠のいていく。どうせ誰もいないんだ。来るまで寝てても誰も文句も言うまい。

 

 

「失礼。そこを通していただけますか? 」

 

詩歌を一曲披露したのち、集まった聴衆に一礼を返すと、胸元まで下げた帽子に金銭を突っ込んでこようとする彼らの行為を遮って、押しのけ、私はどうにか輪から抜け出しました。早足にて立ち去ろうとすると、サインだの、弟子入りだのの懇願の声が後ろから聞こえてきます。

 

あの事件以来、今まで以上に顔が売れ、街中で演奏すると百人単位で客が集まるのは嬉しいことなのですが、彼らの大半が、私の語る物語ではなく、私自身を目当てにやって来ていることを考えると、その嬉しさも半減、と行ったところでしょうか。

 

袖つかもうとする彼らの手を振り切るため、もうすでにやましい身分でもないのに、エトリアの街中を裏路地利用し、こそこそと早足で街中を横切って駆け抜けていると、やがて見覚えのある看板を見つけてホッとしました。

 

インの宿屋です。しかし胸をなでおろしたのも束の間、いかなる事情なのか、かの宿屋の前には、先程衆目の中で見たばかりのいくつかの顔があるではありませんか。どうやら、私が回り道をしている間に、彼らは進む方角から私の目的の場所を見定め、先回りしたようでした。その能力は、是非とも迷宮探索で活かすだけにしてほしいものですね。

 

とにかく彼らに捕まり、再び時間を取られるのはごめんなので、裏口に回りこみました。通常なら、基本的に店の裏側にあるのは従業員専門の勝手口であり、客が入れる場所ではないのですが、扉を叩くと、見覚えのある顔が現れて、私を招き入れてくれました。

 

「人目を避けて裏口から特別扱いを求めるなんて、有名人ねぇ」

「そうですねぇ。もう少し彼らに節度があれば、喜べもしたのですけれどねぇ」

「まぁ、ああ行ったのは一過性のもので、はしかみたいなものだから諦めなさい」

 

彼女はからからと快活に笑いながら調理場へと戻っていきます。山のように積み上げられた素材を前に一つ大きなため息を吐くと、包丁をふるって、次々と食材を切りわけ、切り分けたものを複数の鍋やフライパンに突っ込み、スキルを使って調理を始めました。

 

「見ての通りだから、案内はできないわ。受付にエミヤがいるから、記帳して鍵を受け取ったら部屋へ行ってちょうだい。ああ、そうそう、目立たないように、帽子をとって、背負っている楽器外して、そこの従業員用のエプロンをしていくといいわ。顔を伏せて自分の荷物を抱えていれば、うちの店員ってことで、少しは目線を誤魔化せるでしょ」

「……感謝します」

 

忠告と助言どおり、身につけたものを入れ替えると、顔を伏せながら廊下を進み、受付のエミヤの所まで進みます。店扉の前後が騒がしい中、どうにか視線を避けて彼のところまで進み声をかけると、彼は予想外の場所から予想外の格好をした私が現れたことに少しばかり驚いた顔を見せましたが、店の入り口を見やるとすぐさま納得の表情へと変化させ、サガが以前の部屋で待っていることをひっそりと告げられました。

 

私はやはり目立たぬよう、身を潜めながら部屋へと向かい、ノックもなしに部屋へと入り込みます。扉が閉まると同時に、店内に溢れる喧騒の音が遠のき、ホッと一息。悪意がないからこそ、あの集団はタチが悪いと断言できます。ぞんざいに扱うわけにもいかないので、非常に対応が難しい。まったく、非常に面倒な相手です。

 

「―――んぁ? 誰だ?」

 

私の入室を察知して、寝ていたサガが素早く上半身を起こしました。眠っていたのか、寝ぼけ眼であるにもかかわらず、彼の籠手は半ば開放状態で、体勢もすぐさま戦闘に移行できる様になっているのは流石といえるところでしょう。

 

「……私ですよ」

「―――ああ、ピエールか。そんな格好してるから誰かと思ったわ」

 

サガの言葉に、今自分がどんな格好をしているかを思い出しました。エプロンの紐を解いて椅子の上に投げ捨てると、帽子と外套を箪笥へとしまい込み、楽器を手に持ち椅子へ座ると、ようやく人心地つくことができました。

 

「バードとしての活動中、熱心なファンに追い回されましてねぇ」

「ああ、お前の場合、冒険者としての活動以外が、本分だもんな。……お互い大変だねぇ」

 

軽い口調ですが、言葉には実感が伴っています。彼も前回の騒動で顔が売れてしまっていますし、有名税を支払う羽目になっているのでしょう。私とサガは、珍しく揃ってため息を吐くと、私は窓の外に目を向けました。

 

正午を過ぎたばかりのエトリアの街中は、今、外部からの観光客で溢れ、賑わっています。聞けば、目立たぬように窓の下を覗き込めば、大勢見える人間のうち、半分程度が私たち目当ての物見遊山客であるというのですから、たまったものではありません。

 

私はもう一度ため息を吐くと、椅子に座り、深く腰掛けて目を瞑りました。サガではありませんが、少し、何も考えずにすむ静かな時間がないとやっていられないというものです。

 

 

「というわけです。請け負っては頂けないでしょうか?」

「―――私の一存で決定するわけにはいかない。相談の後、後日の返答ということで宜しいだろうか? 」

「……わかりました。色よい返事をお待ちしていますよ」

 

金鹿の酒場にて、持ちかけられた話に保留の返事を返すと、依頼主は残念そうな顔を浮かべ、机から立ち去る。長く重いため息を一つ吐いて机の上に載った依頼の紙を回収すると、すぐさま別の誰かが私の前の席に座ろうと迫って来るのを見て、思わず顔をしかめてしまった。

 

「―――さぁ、今日はここまでだ。散った、散った」

 

しかし、そんな彼らを、槍を持った衛兵が手を振って、遮ってくれた。

 

「えぇー」

「横暴だー」

「もう半日以上も店を占拠している輩がいるとサクヤさんから苦情が出たんだよ。これ以上、店とこいつに迷惑をかけるようなら、とっ捕まえるぞ! 」

 

衛兵の彼が声を荒げて叫ぶと、冒険者や依頼の紙を持った奴らは蜘蛛の子を散らしたかのように立ち去って行く。やがて店から人が一人もいなくなったのを見計らって、女店主が閉店・準備中の看板を出したのを見て、私は大いに安堵のため息をついた。

 

女店主―――サクヤは笑って店の奥に引っ込むと、空になった水差しを机の上から回収して、新たに一杯になったものと手垢の付いていないコップを持ってきてくれた。

 

気遣いをありがたく受け取り、一息にてコップを空っぽにすると、ようやく人心地がついたと感じる。人気のなくなった昼間の酒場の奥で、ようやく静かになった机を前に、私は腰掛けていた椅子に思い切り背を預けて、凝り固まった体を思い切り伸ばした。

 

「―――っ、くぁっ、―――はぁ……」

「おつかれ」

 

骨と肉がはがれる感覚が心地よい。私を辟易とした聞き取り作業から解放し、周囲を落ち着いた環境へと変えてくれた彼は、私の前の席に腰掛けると、労いの言葉をかけて来る。割と無茶な要求ばかりを聞かされていたところだったため、彼の心遣いが胸に染み入ってくる。私はせめてもの礼として、新しいコップに水を注ぐと、彼の方へと差し出した。

 

「助かったよ。朝方食事を摂取しに来たら、そのまま注文をする間も無く、とっつかまってこれだ。気を利かせたサクヤが水を用意してくれなかったら、危うく干からびる所だった」

「まったく、腹が減ったのならギルドハウスで出前を頼めばよかろうに、不用意にこんな場所へ姿を現わすからだ」

「返す言葉もない。とはいえ。執政院の方に用事があったからな。目立たぬよう、朝一番で用事を済ませた後、まだ暗がりだったので、ついつい油断してしまった」

「ああ、そういえば、クーマ様に呼ばれていたんだったか。それなら仕方もないか。―――で、これからどうするんだ? 」

「インの宿屋に向かう。話し合いの予定があるんだ。この時間帯だと―――、すでにみんな揃っている頃かな」

「そうか」

 

彼は自らの前に差し出された水を一気に飲み干すと、兜の紐をほどき、それを私の方へと放り投げ、立ち上がった。とっさに受け取ると、金属鎧とぶつかり、甲高い音が高鳴る。

 

「では行こうか。移動中はそれをかぶっとけ。ついでに冒険者でなく、昔を思い出して衛兵のふりをしておけば、多少は野次馬どもの目線を防ぐこともできるだろうよ」

 

 

「というわけで、遅ればせながらも、昔の友人に助けられてなんとかこの宿屋までやってきたのだ。一応、依頼の紙の複製は全部もらってきたが……見るか? 」

 

ダリが机の上に置いた紙の束を見て、サガはしかめっ面を浮かべ、手のひらを振ってみせた。

 

「遠慮しとく。お前のそのうんざりとした顔見るに、どうせどれもろくなのないんだろ? 」

 

言葉通り、全く手をつけようとしないサガの代わりに紙束へと手を伸ばしたのは、ピエールだ。彼は数十枚はある依頼書のうち、上から数枚程を手にすると、目を通す。

 

「採取に探索、退治ですか……。殆どが階層の低いもので、緊急性が高いものはなさそうですし、別に私たちでなくとも出来るものばかりですねぇ」

 

ピエールはわざとらしいまでに大きなため息を吐くと手にした紙を揃え、素の紙片の上に乗せると、楽器を鳴らそうとして思いとどまり、その指を止めた。楽器の音色が部屋の外に漏れると面倒なことになる、と直感したのだろう。窓の外を眺めてみれば、未だに私たちを探してざわつく人たちを見るに、賢明な判断だと思う。

 

「それでも、どうしても私たちに、という依頼が多くてな。酒場の女将に頼み込む輩もいるらしく、仕方なしに事情を聞いてやろうと会ってみると、ついでに新迷宮の話を聞きたい、という枕言葉が付いて来る輩ばかりで、流石に少し辟易したよ」

「ああ……。ウチの方も、一時期、道具屋に買い物に来るのは、品物を購入するからついでに話を聞かせろ、みたいな人が多かったですからねぇ……。まぁ、わたしの場合は、三日と経たず売る品物がなくなっちゃったから、速攻、閉店にして事なきを得ましたけれど……」

「まぁ、個人経営の店なら、それでもいいんだろうが、酒場の依頼の方は、下手な理由で断ると、冒険者全体に迷惑がかかっちまうもんなぁ」

「以前ならシンのバトルマニアぶりが世間に知られていたお陰もあって、断ったところで悪い噂は流れませんでしたが、今回は、下手に英雄として名が売れてしまいましたからねぇ」

「クーマにも、急ぎの用事や目的がなければ、出来るだけ対処して欲しいと言われてしまっているからな」

 

ダリの言葉に、揃ってため息が一つ漏れた。その時、暗鬱としつつあった空気を裂くかのように、ノックの音が鳴り響いた。誰もが疲れた目で扉の方を見つめていると、返事がないことを無視して、誰かが扉を開け、中へと入ってきた。

 

「失礼する―――、どうした。揃いも揃って、不景気な面を浮かべて」

「逆だ逆。景気が良過ぎて、人手不足で倒産しかけてんの」

「ああ、なるほど」

 

サガの言葉に、エミヤは頷くと、後ろ手に扉を閉めて鍵をかけた。無意識のうちなのだろうが通常の鍵に加えて鎖まで使用するあたり、エミヤも表には出さないが、内心、警戒心が強まっているようである。

 

「まぁ、こういった熱狂は、一過的なものだ。加熱するのが急激な分、冷めるのも早いはず。しばらくの間は、有名税と思って諦めるしかないだろう」

「つっても、三日経ったのにこの有様だぜ? いったい、いつまで耐えればいいのさ」

「さてな。まだ三日、という言い方もできるが」

 

エミヤはサガの文句に首をすくめると、腕を組んで瞑目し、扉近くの壁に背を預けた。しばしの間、沈黙の時間が続く。どんよりとした空気が部屋の中に広がってゆく。みんなを呼び出しておいてなんだけれど、

 

「―――ところで、今日はどんな目的でわざわざこの場所に招集をかけたんだ、響? 」

 

口火を切りづらい状況の中、エミヤがアシストをしてくれた。彼の行為に感謝を送りつつ、私は言葉を継ぐ。

 

「ええと……、実は、皆さんにご相談があって……」

 

通り一辺倒の常套句を告げると、一斉に顔色が変わる。しまったと思ったが、もう遅い。ああうん、わかるとも。この台詞は、この三日、道具屋、執政院と酒場と施薬院で無茶振りや面倒な依頼や頼み事をお願いされる前に、嫌という程聞かされた言葉なのだから。

 

失態を悔やみつつ、一旦仕切り直しのために咳払いをすると、少し皆の表情は和らいだのを見て、私は早速、今日の要件を切り出した。

 

「―――、皆さん。よろしければ、旅に出ませんか? 」

「……旅?」

「ええ。とりあえず、まずはハイラガードの方へ」

 

頷くと、皆が一様に首を傾げた。まぁ、その反応は予想の範疇内だ。ハイラガードは安全に旅しようと思えば、エトリアから一ヶ月程度は要する場所にある。そんな場所へといきなり行こうと提案されたのだから、疑問符と共に返されるのも当然だ。

 

「……誰かからの依頼などではなく?」

「はい。私からの提案です」

「それはまた……、しかしなぜ急に?」

「えっと、昨日の昼のことなんですけれど……」

 

 

「海の真ん中の、空に浮かぶ島の迷宮? 」

「ああ。聞いたことないかな」

 

閉店の看板がかけられて静まり返った店内、ただ一人、うちの道具屋にずっと預けてあった荷物を取りに来た客が述べた言葉を聞いて、私は首を傾げた。目を瞑り、しばし考えこむ。

 

―――空に浮かぶ島……というと……

 

「えっと、ハイラガードの世界樹の最上階のことでしょうか?」

「惜しい。そこも今からしようとしている話に関係ある場所だけれど、あそこは森と断崖絶壁に囲まれた場所であって、周囲に広がっているのは海じゃないだろう?」

「はぁ、まぁ、たしかに」

 

受け取ったブツを抱えて私の間違いを指摘した彼は、得意満面の笑みを浮かべる。

 

「うん、でも、ハイラガードの最上階がその場所と関わっていることは間違いないんだ」

「はぁ」

 

要領を得ない話に、私は気の無い返答しか出来ない。お客さんは名の売れた道具屋である私をやり込めることが出来て嬉しいのか、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて、私の次の言葉を待っている。いかにも上から目線のその態度は少々癪に触るが、この手の人は私が尋ねようが尋ねまいが、どのみち話すまで帰らないというのを、私は経験上、理解している。

 

「えっと、つまりどういうことなんでしょうか?」

 

だから先に質問を切り出す。どのみち聞かないと終わらない話なら、さっさと聞いて終わらせた方が、精神衛生上もよろしいし、時間の短縮になるというものだ。

 

「ああ、実はね。その海の真ん中にある空飛ぶ島までは、ハイラガードの世界樹の最上階にある浮遊島の一つから出ている空飛ぶ船で行けるという噂なんだ」

「空飛ぶ船?」

 

私は首を傾げた。ハイラガードの世界樹の最上階までたどり着くと、そこには沢山の浮遊島があるという噂を聞いたことはあるけれど、そこから空を飛ぶ船が出ているという話は耳にしたことがなかったからだ。

 

「空を飛ぶ船っていうのは、気球とかではなくてですか?」

「ああ、違う、違う。あれは大きく縫い合わせた布の中を球状にして中を軽い気体で満たすだけで、基本は風まかせだろう? そうじゃなくて、もっと、荒れ狂う風の中を逆らって飛ぶようなやつさ。なんでも飛行船っていうらしいよ」

「へぇ……、でも、最上階なんて、そうそうたどり着けるものじゃあないでしょう?」

「そう。そこがこの話のみそでね。実はこの空飛ぶ船、乗せる人を選ぶらしくてね。ある程度以上の実力がない人間だと、乗船できず降ろされてしまうらしいんだ」

「はぁ」

 

乗る人を選ぶとは、またなんとも商売っ気のない、横暴な船もあったものだ。いや、そもそも世界樹の天辺などという場所からしか人を運ぼうとしない時点で損益もなにもあったものじゃないが、操舵している人は随分とまた性格が捻くれていると思う。

 

「そこで本題なんだけどね。僕は、君達なら、その船に乗って、海の真ん中の島にある迷宮を攻略できるんじゃないかと思うんだ」

「―――はぁ?」

 

驚きと疑念を含んだ上擦った声が出て、静かな店の中に響いた。自分ではあまり大きな声を出したつもりはなかったのだが、これまでの冒険で肺活量が上がっていたらしく、私の周囲にある重たいはずの机や椅子が少しばかり浮かび上がり、埃が舞う。

 

「ああ、すみません。驚かすつもりはなくて……」

「いや、うん、こちらこそ申し訳ない」

 

互いに頭を下げて自らの不注意を謝罪する不毛なやりとりが終わると、気を取り直した彼は咳払いを一つして、荷物を抱えなおすと、ふたたび私へと視線をまっすぐ向けてくる。

 

「何せ君達は、今をときめく、新迷宮を攻略した、エトリア最高峰のギルドだからね。船に乗る資格はバッチリあるとおもうんだよ」

「……まぁ、それはそうかもしれませんが」

 

自らの功績を褒められた際、以前のなら出てこなかっただろう慢心も謙遜もなくそんなセリフが出てきた事に我ながら驚いた。ここ一ヶ月で有名になったという自覚が成長したという自信に変化し、意識に変革をもたらしたのかもしれない。

 

「だろう? だから、機会があったら、是非とも挑戦してもらいたいと思ってね」

「はぁ……、でもなんでまた?」

 

なんでわざわざそんなことを私に教え、私たちを迷宮に送り込もうとするのか。

 

「いや別に大した意味はないんだよ」

 

彼は笑うと、頬を指で軽く数度ひっかいた。照れ隠しの行動で軽く赤く染まる頬は、無邪気な笑みだけが浮かんでいる。

 

「ただ、もし僕が言ったことで君達が動いて、そこで世界の何かが大きく動くんなら、面白そうだと思っただけさ」

 

思いついたまま、無茶苦茶な理屈で人を動かそうとする様は、どこか彼の笑みに似た性質が含まれていて―――

 

 

「そんな話を聞いたので、」

「それでハイラガードに行きたいと? ―――ふぅん……、空飛ぶ島に飛行船ねぇ……」

 

気がつけば集合をかけて、シンとまるで似ていないはずの彼の提案を受けようと思ってしまったわけだ。言ってみれば、シンへの意趣返し。いわゆる、未練というやつからの提案だ。最後に感じた思いを正直に素面で言うのは流石に恥ずかしいので、多少誤魔化しながらも告げ終えると、ダリが訝しげな声を上げた。うーん、彼らしい、予想通りの渋い反応だ。

 

「うん、面白そうじゃないか。私は賛成だ」

「え?」

 

しかし、一瞬いつものしかめ面をしたダリは、珍しくすぐさま笑って見せると、直感的な決め方をしてみせた。驚くと同時に、ひゅう、と口笛の音が聞こえる。見るとサガが目を見張り口を尖らせている。彼も私と同じ気持ちを抱いたようだ。

 

「らしくはないが、いいね。ようやくお前も、冒険者のなんたるかを心得てきたようだな」

「おかげさまでな」

 

サガの差し出した片手を、ダリが軽く叩いて返す。性質と気質が真逆の二人が、ああも自然に刻意の表現をできるようなっているとは思っていなかった。一体、いつの間にあそこまで仲良くなったのだろうか。最終決戦の時に何かあったのだろうか。―――まぁ、いいか。

 

「ピエールは―――」

「ええ、もちろん賛成ですとも。限られた実力者だけが足を踏み入れることのできるまだ見ぬ新天地なんて、ああ、なんて胸が踊る―――、この観衆の視線に射殺されてしまいそうな街にいるよりは、よほど魅力的な場所で、刺激的な言葉です。是非とも、行きましょう! 」

 

ピエールは静かに立ち上がると、ゆっくりと片手をあげて、片足を下げ、芝居がかった動作をとりながら天を仰いだ。ああ、うん、こちらは、だいたい予想通りの反応だ。なんとも彼らしい賛成のリアクションは、予想外の光景を見て少しばかり興奮気味だった私の心を鎮めてくれる。私は振り向くと、部屋の端で瞑目をしていた最後の一人に話しかけた。

 

「―――エミヤはどうでしょうか?」

 

 

己へと声がかけられたのを機に、目を見開いて部屋の様子を見渡すと、視線が集中しているのがわかる。明らかに良い返事を期待しての目線。

 

―――さて、どうしたものか

 

正義の味方を目指す当初の目的としていた赤死病の解決はもはや果たしてしまった。かつてならば再び真に救済の手を必要としている人を求めてさっさと旅立っていたのだろうが、どうもこの度はそんな気にならない。

 

それどころか、噂頼りの眉唾話に乗せられて旅へ出てもいいかもしれないという気分ですらある。己の心中の変化を知った時、戸惑いの感情が頭の中を支配した。果たして自分は、どういった選択肢を取るのが正解なのだろうか、と。

 

「あら、いいじゃない。面白そうだわ」

「―――ッ、……イン、か」

 

懊悩が脳髄を駆け巡っていた時、だまし討ちのごとく突如として聞こえてきた声に反応して側面を見やると、いつの間にやらインが扉を開けたままの状態でこちらをじっと見つめていた。廊下のざわめきを聞いて、彼女は中へと入り込むと、扉を閉める。予期せぬ突然の乱入者の登場に、一同はあっけにとられていた。鍵の鳴る音が鳴る。

 

動作を見て、さて、そういえば、私が入室するさいに鍵とチェーンをかけたはずだが、と余計な事が頭をよぎった。彼女の手元を見てやれば、マスターキーらしきものと、細い下敷きの様なものを持っているのが映った。おそらくあれらを用いて、扉をこじ開けたのだろう。己の店だからといってやりたい放題である。

 

「定かでない噂に身をまかせて一歩を踏み出す、か。いいわねぇ、若くて。わたしもついて行こうかしら」

 

先ほど調理場で見かけた際あった疲労の色はそこになく、彼女は血気盛んな、それでいて微かに媚びるような視線が空を貫いてこちらへと送られてくる。察するに、本気と揶揄が八対二といった割合だろうか。

 

「イン。まさかと思うが冗談で言っているんだよな? 年甲斐もない」

 

己の観察が見出した彼女の感情の割合に、恐る恐る伺う様に拝聴する。

 

「あら、失礼ね。これが冗談の目に見えて? 」

 

すると彼女は、長く伸ばした白髪をさらいあげ、顔の皺を深め、夏風の熱気伴いながらも梳くような爽やかさを含んだ笑みを、秋の影を落とした様な涼やかさを伴う嬋媛な、それでいて寒気すら感じるような笑顔へと変化させ、答えた。己の最後の一言が彼女の反骨心を刺激する余計なものであった事に気がつく。うっかりの一言では済ますことのできない失態だ。

 

「―――そもそも、強者でないと乗り込めないといっていただろう? 聞けば、ハイラガードの世界樹を登る必要もあると言う。宿屋の女将である君には荷が重いと思うのだが」

「あら、侮らないでくれる? こう見えて私、結構強いのよ」

 

細身の彼女は外見こそ藤田の絵の様に線細く物腰穏やかに見えるものの、内面は天邪鬼と弁財天と鬼子母神をくっつけた様な、素直でなく、負けん気が強く、嫉妬深いが、面倒見の良いという性格をしている。こうなってしまえば、もはや私がなんといったところで彼女は己の決意を曲げはしないだろうし、私がこの旅についていかないと宣言したところで、勝手に彼らについていってしまうだろう。

 

「……降参だ。―――響。私もその旅に同行しよう。みんな。口煩い、棺桶に片足突っ込んだご老人が余計についてくるが、構わないだろうか?」

「死に損ない扱いするとはいい度胸ね、エミヤ」

 

響へと問いかけると、混乱のさなかにある彼女の意識が彼岸より戻り答えが返ってくる前に、六文銭を惜しんでこちら側の岸へ戻ってきたと彼女が、閑静ながらも怒りの迫力秘めた口調で口を挟んできた。

 

「先日まで死病に侵され、彼岸と此岸の淵を彷徨っていた君に文句を言える筋合いはないと思うが」

「懸衣翁と奪衣婆に負けず三途の橋をうろつけていたんだから、無効よ無効」

「橋姫かね、君は」

「失礼な。一条にも宇治にも伊勢にも道成寺にも縁なんてないわよ。―――でも、そうね……。嫉妬とは違うけれど、今、私は、貴方のせいで、似て非なるも、荒れた心境であるのは確かよ。小面をかぶって欲しかったら、せいぜい中将様みたいに振舞ってちょうだい」

「やれやれ、人心掌握や舞、雅楽に長けているわけではないのだが、茶坊主くらいには役立ってみせよう」

「あ……、えっと」

 

戯言にて舌戦を交わしていると、いち早く再起をした響より遠慮しがちな困惑気味の視線が、伏せがちの瞳を通して、私たちに。純粋さに窘められて、大人気ないやり取りを停止し、二人で彼女の瞳を見返していると、やがて意識を明瞭に取り戻した彼女は、なぜか憧憬の念を携えた双眸をこちらに向けつつ、晴れやかに胸を張った。

 

「では準備が整い次第、旅に出るとしましょうか!」

 

 

「なるほど、崖の街、というのは本当の様だな」

 

エトリアのはるか東、ハイラガード公国は、世界樹という大樹の根元、残された土砂が固まり岩となったその上を平らにならして造られた国だった。切り立った崖の上に造られた街は、中央のひらけた広場を中心として百数十メートルはあろうかという断崖絶壁の端にまで家々が立ち並んでいる。多少段の低い地面の部分には、平屋が立ち並んでおり、貧民窟の様相をなしていた。

 

建物は総じて古典米国、英国風。エトリアが東欧あたりの光景であるとするなら、ハイラガードはボストンやサンフランシスコ、ロンドンといった、少し新しい近代チックな作りの街並みだ。とはいえ、もちろん、全面ガラス張りのビルなどがあるわけではない。漆喰と煉瓦の綺麗な街並みが並んでいるだけだ。

 

街中をよく見れば、教会の様なつくりをした建物もある。公国というだけあって、こちらでは宗教が残っているという証なのだろう。エトリアではヴィズルという科学者上がりの男が統治者であったため政教分離がなされていたが、さて、ハイラガードはどうなのだろうか。

 

一旦街並みの観察をやめ、街の郊外に視線を広げる。木の根から街、街から崖、崖からさらに視線を下へやると、深い崖の底はそのまま川へと接しているのがわかる。幅五十メートルはあろうかという川は中央にある世界樹を取り囲むようにして蛇行していた。

 

巨大な滑車と水桶を利用して、はるか下方の川から水を汲んでいるのが見える。また、崖の上に造られた公国内へ入国するためには、川をまたいでいる大きな橋を渡らなければならないようだった。

 

橋は脚の長さが百メートルはある巨大なものだ。中央の橋桁は脚が少なく、多少脆い作りとなっている。仮に敵国に攻められた場合、この橋を落としてしまえば、完全に孤立はするが、ハイラガード公国は、一切陸地より攻め込まれる心配のない完全な孤島と化す。

 

料理、食材は世界樹の中にあるという迷宮より調達すれば良いので、水と人的資材が不足しない限り、永遠に籠城を行うことが可能な仕組みとなっている……らしい。

 

「久しぶりに見たわ」

 

と、隣で私にそんな知識を植え込んだ張本人が声をあげた。髪を雲のごとく流し、背丈をしゃんとさせ、赤い外套を風に梳かせた姿勢の彼女を見ると、とても一時期死にかけていた老体とは思えない。

 

「まさか本当についてくるとは思わなかったな」

 

言葉を投げかけると、彼女は妖艶に微笑んだ。

 

「しかも、店を売ってまでして、だ」

「貴方達のおかげで、今が旬で最高の売値だったんだもの。この機を逃す様じゃ、むしろ商売人として失格といるんじゃないかしら?」

「違いないかもしれんが……、イン、君、なんというか……この世界の住人にしては、珍しく、がめついな」

「失礼ね。私なんて普通よ。むしろ彼らに欲がなさすぎるだけ」

 

胸を張っての業突く張り宣言に苦笑いが漏れる。様になっているのがまた、彼女らしい。

 

「しかしこれで良かったのだろうか……」

「あら何が?」

 

胸の内に静々と押し寄せていた不安が口から漏れたのを、彼女は耳聡く聞きつけてくる。誤魔化してしまおうかと迷ったが、半端な言い訳では彼女に見抜かれると悟り、諦めた。漣すら立たない湖面のような美しい瞳を、嘘という不純物で汚したくないという思いもある。

 

「その場の勢いに押される形でここまでやってきたが、未だにエトリアの街には、私たちの手を求めている人も多くあった。世話になった人に恩を返しきれていないし、仲違いも修復できていない。それを―――」

「かたいわねー、もう少し柔らかく考えればいいじゃない」

「なに?」

 

荊棘のごとく突き刺さっていた悩みを正直に打ち明けると、彼女は私の話を遮って、言った。

 

「貴方はエトリアという街に巣食う、大きな病巣を取り除いた。そりゃ術後も経過は慎重に見守って細かい処置を施す必要はあるだろうけれど、それは貴方の役目じゃない。人にも街にも自然にも、自浄作用ってもんがあるんだから、自然治癒に任せればいいのよ。手取り足取りして面倒見られていたら、いつかは人は自分で呼吸することすら忘れちゃうわ」

「与えるのではなく、学ばせる、か」

「自立の機会を奪うのも、また傲慢ってもんでしょ。人生、味は濃い目、さじ加減は適当くらいでちょうどいいのよ。寺の小坊主じゃないんだから、精進料理みたいにピシッと毎回薄い味付けばっかりじゃ、なんのために生きているのか、わかりゃしないじゃない」

 

インは寺の坊主に恨み骨髄でもあるのか、彼らに対してあたりの強い物言いをすると、鼻息を荒くした。そうして活気よく意気込み悪態を吐く姿に、凛という恩人の少女の頃の面影を見つけて、少しばかり懐かしい気分を抱く。

 

「そうかもな」

 

だからかもしれない。反論は出てくることはなく、七割程度の納得を含んだ言葉が口をつく。残りの三割は、疑念と不満と自尊の混ざったものだろう。他人から突きつけられる結論というものは、得てして受け入れがたい成分を持っているものだ。

 

「だから貴方もたまには、過去のしがらみは忘れて、感情の赴くままに、今を、冒険するように、生きてみるのもいいんじゃないかしら? 貴方はきちんと感情のある普通の人間なんだから」

「―――ああ、……そうだな」

 

だがその不埒な残りの成分は、続く言葉によりこんこんと湧き出た怡々とした感情によって打ち消されて、泡沫に消えてゆく。

 

「おーい、手続き終わったぞー」

 

問答の末、心をざわつかせる不穏な波が収まり平生に戻った頃、遠く橋の向こう側からこちらへと戻ってくる姿が目に映る。

 

「ったく、面倒なことしてくれるよなぁ。国外からの来訪者の場合、一回ごとの渡橋人数が限られているとかよ」

「エトリアとは異なり、周囲を断崖絶壁に囲まれた閉鎖空間だ。それ故に入国者と人数には固く制限をかけ、厳重な守りを敷く必要があるのだろう―――、とはいえ面倒のは確かだな」

「ほんとだよ……、なぁ、響もそう思うだろ?」

「まぁ、そういう地域ですし……、でも、飛行船の噂は本当でしたね!」

 

響は苦笑いをしながらも文句に同意し、けれど一転して、発奮して喜びを露わにした。そのはしゃぎようを見ていると、つい先日、好いた男を失い、今日ハイラガードという場所に来るまでの間、躁鬱激しく懊悩を繰り返した少女とは思えない。

 

―――いや

 

よく見れば、その笑み方には不自然な部分がある。唇は限界までつり上がっているし、むやみやたらに両腕を動かして掌を握りしめては、喜びを表現するかのように振っている。俯瞰して見れば、端々からわざとらしさを感じるのは、気のせいではないのだろう

 

大切な人を失った悲しみを消化し切れたわけではない。それでも少女は気丈に振る舞い、過去に引きずられないよう、それを周りに悟られないよう心がけ、実行している。

 

「エミヤ?」

「―――ああ、彼方、天高く浮かぶ島に、飛行船か。……楽しみだな! 」

 

見習って、テンション高めに発言をしてみると、思いのほか言葉は力となり、自身の気分を多少盛り上げてくれた。すると響は、常とは異なる私のテンションに驚いたようだったが、すぐに気を取り直し、大きく頷くと、満面の笑みを浮かべた。

 

「ええ! ほんと、どんな光景が待ち受けているのか、楽しみですね!」

 

つられて笑みがこぼれた。ダリとサガは突如として目の前に広がった異常な光景に、呆然とするばかりだった。背後からインの漏れた失笑が聞こえてくる。こちらの気持ちを見透かしているのだろう。まぁ、こんな無様もたまにはいいだろうさ。

 

空を見上げると、世界樹の天辺の上空には、秘密を覆い隠すかのように積乱雲が停滞し、その白き塊を中心として、波及するように雲海が広がっている。さて、ただでさえ高いこの高度からさらに上の場所と考えると、もしや目の前の大樹は成層圏オゾン層を突き抜けて宇宙にまで聳え立っているのかもしれない。

 

そう考えると、柄にもなく胸がざわついた。心臓が高く脈打ち、血潮は熱く滾り、鼓動が早まる。善悪、損得を勘定に入れなければ、これから行く場所に、まだ見ぬ未知なる世界が待ち受けているというのは、こうも胸踊るものだったかと、今更ながらに思い出す。

 

「―――ああ、本当に、楽しみだ……!」

 

もう一度、大きく声を上げ、胸の中の滾りを表に出す。来た道は長く、進む先は遠く、行く道は険しい。時には、迫り来る試練の大きさに、心が折れそうになることもあるだろう。だが、その度に、今しがた抱いたような熱情を胸に、今を必死に生きれば、どんな困難でも乗り越えて行けるだろう。

 

「さぁ、冒険を始めようか! 」

「はい!」

 

響が呼応して、大きく返事をするとともに、頷いた。さて、では今しばらくの間は、全力で冒険者稼業に力を注ぐとしよう。

 

世界樹の迷宮 〜長い凪の終わりに〜

 

最終話 さぁ冒険を始めよう(B:世界樹 root)

 

世界樹 root ending