うさヘルブログ

気持ちの整理のために開設。うさまるとデスヘルが好き。最近は、気持ちの整理とダイエット報告がメインになってきています。

世界樹の迷宮 ~ 長い凪の終わりに ~ 最終話 運命の夜を乗り越えて―――、 Fate root ending

最終話 運命の夜を乗り越えて―――

 

己と己の為した結果を受け入れろ。

それが過去を寄る辺として選択したお前に出来る、唯一の事だ。

 

 

―――So as I pray,Unlimited Blade Works/その体はきっと、無限の剣で出来ていた

 

詠唱を終えた途端、足元ではマグマ滾り、時折その熱を帯びた岩の塊が巨大氷塊と絶え間なく周囲に拡散する雷を伴って嵐とともに駆け回る、異臭に満ちた死の気配が荒々しく駆け巡る濃密な混沌とした閉鎖空間は、緋色に染まる天空の元、荒野に無数の剣が突き立つ光景が地平の彼方まで広がる動きのない世界へと書き換わる。

 

「―――!? ―――? ―――! ????」

 

そんな静寂の掟が支配する世界において、自らの身に何が起こったのか理解できない、と言った風に無秩序に全身を動かすのは、アンリマユと魔のモノが融合し、その影響を最も強く受けた部分―――すなわち、私の夢に現れた奴の本体である人間の脳の形をした化け物と、その微かな取り巻きである。

 

当初の予定では、奴をまるごとこの「無限の剣製」の世界に閉じ込めて殲滅する予定だったが、流石に世界を書き換える固有結界でも、許容することのできる大きさに限りがあったということだろうか。とはいえ

 

―――多少予定外ではあったが、敵の守りと力が予定より弱まったというのなら、こちらは彼女たちだけでもなんとかなるはずだ

 

固有結界の中に取り込めた彼らのうち、一名は英霊で、一名は優れた魔術師で、残る四名は竜すら打ち倒す一流の冒険者たちだ。彼らなら、弱体化した魔のモノなどに相手など負ける要素がありはしない。

 

また、外にて魔のモノの残り部分と対峙する彼らだって、いずれもが名高き英雄。その安否を心配するだけ、寧ろ彼らにとっては侮辱とも言える行為といえるだろう。おそらく、結界を解いて現実世界に戻ってやれば、あの喧しいやりとりを見せてくれるに違いない。

 

「――――――!」

「お前の相手はこの私だ!」

「援護します、セイバーさん!」

 

外の世界に思いを馳せていると、魔のモノの声なき咆哮と、騎士王、響の声が交差し、戦端が開かれたのが理解できた。彼女らがこちらに気を使ってくれたのだろう、激しい攻防が繰り広げられる戦場は徐々に離れてゆく。

 

 

「お前の相手はこの私だ!」

 

暴れ出そうとする敵へと迷わず刃を向けて叫び注意をひいたセイバーさんは、金色のきめ細やかな髪、中性的ながらも整っている顔と、小さな体のどこから周囲を脅す威圧を発しているのか、一声の挑発にて敵の視線を釘付けにすることに成功する。

 

「援護します、セイバーさん!」

 

声をかけると、私もダマスカス製の剣を構えた。この世界の景色と似た色合いをした剣は、力を発揮する瞬間を喜んでいるかのように、周囲の光を反射してキラリと周囲に赤金色の光をばら撒いた。

 

「あれだけのデカブツ相手ですと、やはりまずは行動速度をあげるのが重要ですかねぇ」

 

続けて飛び出していた同じくピエールが、「韋駄天の舞曲」を奏でると、スタッカートの多いテンポの良い音楽が戦場に鳴り響き、私たちの神経系を強化する。

 

「―――これは……」

「速度を上げました。時間の制約はありますけれど、ピエールの歌は味方の身体能力を向上させるんです! 」

「なるほど」

 

説明を聞いたセイバーさんはまっすぐ前を見据え直すと、剣を上段に大きく振りかぶって巨大な敵へと迷わず切りかかった。彼女の私と同じくらい小さな体が流星のように、蒼と金の尾を引きながら魔のものへと突撃する。凄まじい踏み込みと、裂帛の気迫。それを。

 

「――――――!! 」

「ちっ、浅いか」

 

魔のモノは自分の本体を狙ったその攻撃を、敵と自分の間に巨大な触手を挟み込むことで防御を試みた。触手の大きさは人を十人くらい束ねてもまだあまりあるくらい太い。とっさの抵抗に、けどセイバーさんは見事に反応して、彼女は剣の一撃を振り下ろし、それは触手の表面を深々と切り裂いた。直後。

 

―――死ね

 

「うぁっ―――!!」

 

触手の傷口から飛び出した黒い闇を見た瞬間、重圧が頭に入り込んでくる。目元から入り込んだ他人を憎む心、許せないと気持ち、どうにかして排除したいと願う思いは、私の頭と心の全ての部分に枝葉を伸ばして、全てを塗り潰そうと侵食する。

 

「う……、あ……」

 

寒い。体がガタガタと震えだす。盆地にあり、石と漆喰の町であるエトリアは、冬も盛りな時期に吹雪くと家中の水が凍りつくほど冷え込むが、この感覚はまさに街中へ裸で放り出されたような感覚だった。

 

「ヒビキ、大丈夫ですか?」

「セイバー、さん」

 

体の中から湧き出てくる悪寒に膝をつき、体を抱え込んでどうにか極寒の痛みに耐えていると、戻ってきていたセイバーさんが傍に寄り添い、手を肩に当てて言葉をかけてくれる。

 

「気をしっかり。確かにあの悪意は凄まじいが、あれは以前のように世界の全てを呪い殺せるような濃密さを持たない。そう、あれは単なる残り香にすぎないのです」

「は……、い」

「なるほど、では次はあの呪いを鎮める曲へと移行しましょうか」

 

いつのまにか私の傍にやってきていたピエールは、弦を揺らすと今度は喉元の声と組み合わせて、重厚な曲調の音楽を響かせる。その心休まる音色を聞けば、体のどんな異常もすぐに治ってしまうそれは、「破邪の鎮魂曲」と呼ばれる、バードのスキルだ。

 

「あ……」

 

曲の効果はすぐに発揮されて、暖かな音色に包まれた私の体は熱を取り戻す。

 

「―――見事です、楽師。貴方が戦場にて奏でる音色は、体に入り込んだ余計な物を除外し、確かに行動速度を上昇させる効果がある」

「お褒めに預かり光栄です、セイバーさん。……ところで、貴方、そうして褒める態度、随分と様になっていますが、もしや元は、どこかの国の高貴なお方で? 」

「その上慧眼だ。その通り。私は元ブリテンという国を王として収めたこともある」

「ああ、通りで威厳があるはずだ」

「貴公はやはり見る目がある。この外見に惑わされず正しい判断を下す人間は久しぶりだ」

「おい、呑気に話している場合か! 」

 

叫び声に反応してダリの方を向くと、セイバーさんより遅れて前に飛び出ていた彼は、体を傷つけられた魔のモノが攻撃の繰り出した第二の触手の攻撃を盾とスキルで防いでいるところだった。

 

「そうそう、積もる話は後々! こんなデカブツさっさと片付けて、遅れてきたエミヤの出番がなかった、なんてことにしてやろうぜ! ―――おら、くらえ、核熱の術式!」

 

ダリの背中より飛び出したサガは、展開していた籠手に蓄えていたエネルギーを解放し、光を触手の根元付近へと直撃させる。触れたモノの組成を変化させ爆発のエネルギーとするえげつない術式は、大樹の根元のようなふとい腕元にて大爆発を引き起こすと、ぶちぶちと耳障りのよくない音が聞こえ、大地をゆるがす音が固有結界の中に響き渡る。

 

「―――よっしゃぁ! ざまみろ、デカブツ!」

 

そして核熱の術式が生んだ煙の晴れた後、触手が脳みそと離れ、根元より千切れて大地に転がっているのを見て、サガは殊更喜んでみせた。

 

「へ、同じデカブツでも、でかいだけでのろま魔物なんざ、さっきのでかい火竜に比べりゃなんてことないぜ! 」

「サガ……、お前はほんと、こういう巨大な敵の時、いきなり攻撃的になるなぁ」

 

……よくわからないが、なにやら言葉の端々から多分に怨念のようなものを感じる。ダリの態度とサガの言動から察するに、多分サガは、相手が巨大である場合は、とても感情的になって、積極的に攻勢に出るタイプであるようだった。思い返せば、この迷宮の四層でヒュドラを相手にした時や、ついさっき火竜と戦った時も、そんな態度だった気がする。

 

「でかいだけからって偉いわけじゃねぇ! 小さくとも重要なのは、なにができるかだ!」

「その通りです。サガと言いましたか。貴方は物の道理というものが良くわかっている」

「な、そうだよな!」

「―――はぁ……」

 

セイバーさんが今度はサガと謎の意気投合を見せたところで、ダリが大きくかぶりを振って、諦観のため息を吐いた。なんというか、先ほどまでの緊張感が嘘のようだった。

 

「はいはい、あんた達がすごいのはわかったから、今は戦闘に集中なさい」

 

そんな二人に嗜める言葉をかけたのは、凛という女性だ。黒髪の綺麗な髪を流したスタイルのいい美人さんは、その年若い見た目に似合わない色香というものを所作の端々からにじみ出させていて、同性である私ですら、ドキッとしてしまう妖艶さがあった。

 

「ノリ悪いなー、沢山ある触手のうち、二本しかないデカブツの片方をやっつけたんだぜ? どう見てもあれが主力武器だろうし、これで戦力も半減したってもんだろ―」

「……あれで?」

 

凛さんは、気楽なサガの言葉に冷たい一言とともに魔のモノの体を指差す。サガが振り向き、つられて私もその方を見ると、ちぎり落とされた腕の断面から黒い汚泥をダラダラと垂らす魔のモノは、その脳みその本体が震えたかと思うと、脳の切れ込みに沿って盛り上がっている肉の、その全部の部分が破裂寸前にまで膨れ上がり、変形し、変色して、新たな姿を取って行く。

 

「――――――…………」

 

その変貌の、あまりの惨たらしさと醜悪さに絶句。やがて脳はさらなる変形を見せると、脳の中心にあった単眼の両脇に、二つの眼球を伴った肉の塊を生やした。その肉塊はやがて顔面となり、そしてその顔面の脇が盛り上がって肩となり、さらに肩の下の部分からは先ほどのものよりも太い新たな触手が日本、腕のように生えてきた。

 

そんな変態を見てあっけにとられていると、変化の際にグラグラとしていた全身がいつのまにか安定していることに気がつく。そしてその巨大な体の下半身へと目線を移せば、移動に適していなかった脳幹部分は、ダンゴムシのような甲殻類の体へと変化して、安定性を増していた。

 

しかしそれでもまだ体のバランスが上手く取りきれず、上半身がグラグラとすることが気に食わなかったのか、頭の上―――というより、脳の上から生えた二本の肉塊頭部の下に二本の、これまた大きな触手を生やして、それを地面の上に置いて、支えとした。

 

するとそこで奴の体はピタリと止まる。変態した体の真ん中にある単眼の瞼が細められたかと思うと、パチパチと瞬きをして、体全体と触手を蠢かせる。どうやらようやく重心の安定する姿勢がとれる体になれて、ご満悦のようだった。

 

「なんだよそれ、インチキだ!」

「アンリマユと魔のモノじゃあややこしいし……、迷宮の主人だから、ダンジョンマスター……じゃ、ちょっとカッコよすぎるか。―――フォレストセル……、っていうのはまた違う奴の名前だし……」

 

叫ぶサガを無視して、凛さんはブツブツとつぶやいている。どうやら変態を遂げた奴の名前を考えるのに夢中のようだ。これだけの出来事が起こっているのにもかかわらず、まるで無視してそれを考えられるあたり、彼女はその細身に似合わないほど強靭な心臓をしているらしい。

 

「悪魔の星喰……見た目的に悪食の虫……拝火教だから、始原の悪魔、魔神……うーん、ピンとこないわねぇ」

 

凛さんが首を傾げている間、変化させた体の調子を探っていたのか、体全体を奇妙に蠢かせていた魔のモノは、突如としてその動きを止めると、次の瞬間、その動作からは先ほどまでの不自然さはなっていて、一転して滑らかなものへとなっていた。

 

「リン、それはまた後で考えればいいではないですか。そろそろ奴が動きそうだ」

「だめよ、名前っていうのは大切だわ。あいつがずっとあの状態であるならいいけど、またアンリマユとか魔のモノに戻ったり、別の形態になった時、混乱しないように固有名称をつけておかないと……―――そうだ、セイバー、じゃあ、あなたが直感で決めちゃって頂戴」

「―――私が……、ですか?」

「ええ。あなた、直感に長けているでしょ? ならそれに任せちゃえばいいかなって思って」

「了解です―――――――――、ではオミニス・デモン……というのはいかがでしょうか?」

「日本風にいうなら、禍ツ神ってとこかしら。昏い地の底に潜む禍ツ神、オミニス・デモ―――、ん、それらしいじゃない」

「それは良かった―――来ます!」

 

「――――――!」

 

セイバーさんの忠告とともに、奴の口が雄叫びをあげ、そして頭上に脳の端々から漏れ出した黒い汚泥の塊が集まり、球体をいくつも形作って行く。途端、背筋を通り全身に広がる悪寒。寒いを通り越して灼熱とすら感じるようになったそれは、明らかにその球体を体と頭が感じ取ったが所以のものだった。

 

―――あれはまずい

 

「セイバー、見てわかると思うけど、あれはアンリマユの呪いを濃縮させた塊よ。食らったら一たまりもないわ。―――だから全部残らずぶっ飛ばしちゃって頂戴。魔力の心配はしなくていいから」

「ええ、勿論です、凛。あのような汚泥の一雫たりとも貴方には触れさせやしません」

「いい返事」

 

微笑む凛さんをみると、彼女は手のひらに乗せて、なお、あまりあるサイズのとてつもなく巨大なダイヤモンドをいつのまにか持っていた。周囲の光を反射して万華鏡のような七色の光をばらまく光具合から、多分は人口じゃなくて天然の宝石なのだと思い浮かぶ。

 

しかし、妙だ。その見たこともない大きさの宝石を私はどこかでも見たことがある。あれは確か―――、あ。

 

冒険者ギルドの転職石?」

「あら、惜しい」

 

私の言葉に、凛さんは笑って手のひらで宝石を転がしながら言う。

 

「まぁ、あれもこれも宝石剣を作成する際に出来たプロトタイプの転用品だから、間違えてもしょうがないんだけれどね。―――これはね。遠い昔に第二魔法に挑んだ際、その機能の一部だけを再現した、特殊な宝石なの。違う世界への扉を開けることは叶わなかったけれど、大きなオドを集めて蓄積する機能と、それをマナ化して使用者の体に還元して、無限の運用を可能にする機能を備え付けてある。近場に霊脈があるならその性能はダンチよ」

「第二魔法……、オド……、マナ……、霊脈? あの、それって……?」

「ああ、ごめん。そりゃ専門用語ばっかりでわからないか。えーっと、ま、要するに」

 

凛さんは目線をセイバーさんの方へと向ける。すると彼女は、両手に固く握りしめた剣を、今まさに振り下ろさんとしているところだった。

 

「エクス―――カリバー!」

「あんな感じの一撃を何発撃っても大丈夫にする道具ってことよ」

 

 

「―――人の心の中なのだから、少しは手加減してほしいものだがね」

 

遠目に見ると、サガの一撃により巻き上がった爆発にて魔のモノが押され、少し仰け反って後退したのがわかる。戦場が遠ざかりつつある中、そちらへと向かう凛と目があった。何がそんなに嬉しいのか、戦場に似つかわしくない穏やかな笑みを浮かべた彼女はこちらへ軽く手を振ると、どこからともなく取り出したダイヤモンドを片手に苛烈な戦線へと身を投じてゆく。

 

「―――知識として貴様がこの魔術を納めていることは知っていたが、実際目にするとなんとも胸打つ光景だな」

 

溢れる清香に満ちた雰囲気をぶち壊した男は、あたりを見渡すとそんなことを言って一つ息を吐いた。その所作からは、それが珍しく奴の本心からの言葉である事がうかがえた。

 

「貴様が私を賞賛するなどとは珍しい。明日の天気は雹や雷でも―――ああ、それですでに結果外の環境は、ああも秩序なく壊れていたのか」

ギルガメッシュが貴様をフェイカーと称して嫌った理由がよくわかる。盗人猛々しいというか、なるほど、恥ずかしげもなくこうまで堂々と他人の成果をさも己のモノであるかのようにひけらかされると、関係なくとも無性に腹がたつ」

「投影は模造品を作る技術。所詮はコピーにすぎん。剣の持つ機能と機能を持たせるに至った理念を横取りして、手柄を誇るつもりは、ない。ただ、そういった過去の人たちが残した武器を収集し、何を思って彼らがこれらの剣を作り上げたか。先人たちの思いを読み取り、形として残し、誰かに語ることもできるこの魔術、私も最近ようやく存外に嫌いでは―――いや、誇らしく思えるようになくなってきたよ」

 

言って我が心象風景を見渡す。決して夜の闇に呑まれてたまるものかと夕暮れを保つ空の下、一つのことを極めるために他の全ては要らぬと捨て去る覚悟を表す荒野に突き立つ剣の群れは、己の存在価値を製作者に認められたことを喜ぶかのように刀身に秘められた力を発揮する瞬間を、柄を天に向けて、今か今かと待ちわびている。

 

そんな彼らの間を縫って吹く風は、剣に秘められた熱量の余波は受けて、心地よい微熱を伴い、体をくすぐって通り抜けて行く。そして地平線まで駆け抜けた瑞風は、遠く空の彼方で動く歯車すら滑らかに動かす動力源になるのだろう。

 

光景は自らの歪みを表すとともに、自ら自身の象徴でもある。そして私は光景に、自らの歪みを思い出して、そして、それとともに奴の歪みに気がついた。

 

―――ああ、そうだ

 

「他人とは違い生まれがはっきりとせず、はじめの記憶が地獄の光景であったためか考え方が異質で、正義の味方になりたいと言ってもまともに受け取ってもらえず、他人の助けになりたいと走り回っても、返ってくるのは大抵、罵声と徒労感のみ。そんなことを繰り返して、繰り返して、繰り返すうちに、骨の髄まで他人に理解を求めない姿勢が身についていた。なるほど、理解されないはずだ。なにせはなから相手に理解を求めていないのだから」

「―――何を」

 

先ほどの問答に答えてやろうと考え、はじめた語りに奴は狼狽えた様子を見せた。一歩踏み出して少し奴へと歩み寄ると、奴は一歩後ろへと下がる。また一歩を踏み出せば、奴も再び一歩下がる。そうだ。その態度。やはり奴も私と同じだったのだ。

 

「価値観の違いとは恐ろしいものだ。特に私や貴様のように、信じた価値観に殉じて生涯を投げ出すような男が、しかしやがてそんなもの、世間にとって全く無意味でどうでも良いものだったのだと知った時、そんな無価値なものに己の生涯を費やしたという事実が耐え難くなって、過去の自分を消し去ってでも、無くしたくなる。あるいは、理解をしない人間のことなど、どうでもよくなる」

「―――やめろ」

 

一歩近づく。一歩遠のく。まっすぐ奴の顔を見据えると、常に人を見下すような視線は何処へやら、その目には、多分に戸惑いと怯えの成分が混じっていた。間違いない。奴は己の嗜好が他人に理解されず受け入れられないことを憤っていながら、しかし同時に、他人に理解されることを望み、それでいて、他人に理解されることを恐れている。

 

「貴様は言ったな。『なぜ私が許容されず、お前が許容されるのか』と。おそらくそれは当然の帰結だったのだ。確かに我々の理念は他人には理解され辛いものだろう。なぜなら、私の、自らよりも他者の救いを優先するという歪みも、貴様の、他者の醜いとおもう出来事を美しく思うという嗜好も、通常、一般の人が持ち得ぬものであるからだ」

「――――――」

 

一歩近づく。一歩遠のく。そう、これは傷の切開だ。心で膿んで触れて欲しくない部分を探り当て、切りつけ、悪いモノを摘出し、治療する。本来なら奴の得意分野であるそれを、今、私は、言峰綺礼という男に対して仕掛けている。

 

「しかし私はそれでも周りに主張し続け、貴様はどこまでも隠し続けた。私が平然とそれの主張をしても迫害されなかったのは、ある意味で当然といえるだろう。なぜなら、私の主張は人間が唱える最も尊き理想に近いものだ。だが貴様の嗜好は、違う。それは、人間たちが嫌う、一般には嫌悪の対象となるものなのだから」

「――――――」

 

一歩近づく。一歩遠のく。こちらと彼方の物理的な距離は変わらない。だが、互いの心の距離は、間違いなく近づいているとおもった。なぜならあの男は否定をしない。少しでも隙を見せれば言葉を用いて煙に巻く事を得意とする男が、肯定もせず否定もしないのは、私の話していることに一定の納得を得ている証拠であると、私は確信する。

 

「それがこの結果だ。主張し続けた結果、私は私の意見と考えに同調する仲間を得て、果ては彼らに救いを齎された。人と世界が私の理想とする世界へと近づいたから、おそらく私は世界から許容を得た。起こった出来事は奇跡だったかもしれない。でも、この結果は、奇跡なんてものじゃあないんだ。ただ、必死に己の主義を周りに主張して、ぶつけ合って、過程で積み重ねてきた結果が、こうして奇跡のような出来事が起こってくれた、と。ただ、それだけのことなんだ」

 

一歩近づく。奴が足を止めた。だから私も足を止める。視線を一瞬だけ足元へと送ってから、再び奴の顔面の方へと戻すと、先ほどまでずっと見据えていた奴の顔に浮かんでいた、奴に似合わない弱い感情の成分はどこか旅へと出かけたようで、仏頂面が戻ってきていた。

 

奴の左右を彷徨っていた視線はまっすぐこちらを見据え、眼前にいる合わせ鏡の存在を睨め付ける。それは、なんとも奴らしい、相手の言い分を理解し、しかし相手の存在は受け入れられぬという、受容と拒絶に満ちた眼光だった。

 

それでいい。私と貴様の関係はそうでなくてはならない。

 

とはいえ、貴様は貴様で、表立って述べた結論と積み重ねた結果が記録として残ったが故、同調する者が現れた。魔のモノだ。貴様にとっては、それこそが救いだったのだろう。だからこそ、蘇生させられた貴様は、奴の復活のために動いていた」

「―――そうだ。魔のモノ。人類からそう呼ばれ、悪魔と嫌われていた奴は、しかし奴だけは歪んだ嗜好を持つ私の事を必要とし、受容した。奴は私以上に人類の醜い部分を必要とし、そして求めていた。だからこそ私は、同士である奴のために尽力しようと思ったのだ」

 

奴は吹っ切れた顔で口角を上げ、三日月の笑みを見せる。自信に満ちた顔は、常ごろ奴が見せるものとまるで変わらないものへと変化していた。

 

「―――ふん、曝け出して積み重ねた結果、か。なるほどそういえば、貴様は初対面の頃から臆面もなく正義の味方になりたいなどという恥ずかしい妄想を口にしていたな」

「若さ故の暴走……、と言いってやりたいが、再びそれを目指しだした今、もはやそれを妄想だの空想だのと言ってはいられん。―――そうだ。私は正義の味方になる事を目指している。そして、そんな己の望みのために、悪の容認者である貴様を排除しようと考えている」

「そうか。奇遇だな。私も己と、そして私を救い―――、そして今やアンリマユに呑み込まれてしまった魔のモノの末期の願いを叶えるために、貴様とその仲間たちを殺して、せめてその目的を達成してやろうかと考えていたところだ」

「そうか―――」

「そうだ―――」

 

一歩近づかれる。一歩近づく。赤土が風に舞い上がり、私と奴の間を吹き抜ける。奴が拳を握り、身を構える。私が双剣を手中に収め、全身の力をほどよくに抜いた、両腕をだらりと下ろした戦闘態勢へと移行する。

 

「――――――」

「――――――」

 

奴の足裏が、じり、と地面を擦り、私も呼応して半歩を踏み出す。もはや激突は寸前だ。あと一つ、何か合図があれば、その時点で我らは―――

 

「――――――!!」

「エクス―――カリバー! 」

 

固有結界の中で眩い光が我らを包み込んだ瞬間、互いが詰めていた距離は瞬時に零となり、雌雄を決する時が幕を開けた。

 

 

「まずは小手調べといこうか」

 

言峰綺礼という男は、平時においては他人を見下す言動や他人の嫌がる事を喜ぶ思想をするわり、こと戦闘においては驚くほど実直、かつ堅実に、強靭な鍛錬と単純思考での戦闘を好む傾向にある。

 

戦闘においての己を勝利に導くための基本は、相手の土俵に上がらず、相手が嫌がる事を続け、己の有利を保ち続けることにある。となれば、それこそ言峰綺礼という男の本領発揮の分野であり、魔のモノとの連携を断たれていようが、アンリマユや魔のモノを無理やり利用するよう立ち回れるだろうに、奴はその己の有利を捨て、愚直なまでに体術を用いての近接戦闘を選択した。

 

始めの一撃はあまりにも正当な、一路冲捶。八極の基本である飛び込みの歩法にて、言峰は奴の体が私の剣の間合いに入る直前、膝を曲げ、身を沈めた体制から、一気に丹田に込めた力を解放し、左半身を前に突き出した。たった体に力を溜め込む余裕など数瞬の間しかなかっただろうに、踏み出す足と突き出された拳に込められた力は相当なもので、その一撃は以前校舎にて戦った時よりも数段早いものだった。

 

耳障りな風切り音を立てるその拳の初速と加速度は、大砲の発射を思わせ、なるほど、初見ならば、相手が英霊であっても有効打になり得えるかもしれない。おそらく、魔のモノがアンリマユに呑み込まれた際、しかし魔のモノの体もパワーアップを果たし、その恩恵を魔のモノの眷属化していた奴も受けたのだろうと推測。だが。

 

「ぬるいな」

「ちっ……」

 

迷わず左腕の剣にて切り上げて奴の左拳の進行方向に合わせ、同時に震脚を行った左足めがけて右手の剣を投擲し、その進路を塞いでやる。八極の拳にて重要なのは、手と足の一致である。おそらく拳の動きだけならば奴もそのまま攻め入り、勁を当てるための別の動作へと移行する予定だったのだろうが、足の動きを殺されては、八極の真髄は発揮できない。

 

言峰は、舌打ち一つすると、しかしすぐさま半身を捻らせ左足を剣の軌道上から外してやると、多少体の速度を落とすと同時に左腕を下げて、変則型の攔捶へと移行。肘を打ち出すのではなく開いた掌を下に差し出す姿勢は、おそらくこちらの左腕を捉えて拳と拳の超近接戦闘へと持ち込む腹だろう。

 

―――ならば

 

左腕の切り上げる動作をそのまま変更させず、投擲作業を行った右腕を目隠しにして、こっそりと右半身を下げた体勢へと移行したのち、奴の腕が私の腕を掴むタイミングで、右足を奴の死角から背後めがけて打ち出した。

 

「それは悪手だ」

「ぬ……」

 

それをいつの間にやら前方へと持ってきてあった右腕を用いて膝に微かな力を込めて私の力をいなし、私は体勢を崩される。その隙を見逃さず、奴は防御の動作により巨体が縮こまった勢いと体勢を利用して、右半身を前に押し出し、右腕にて私の顎下を狙ってくる。

 

蹴りをいなされ、左腕を掴まれ、死に体となっている所へと繰り出される一撃は、通常の人間ならば避けられようもないのだろうが、あいにく私は通常の範疇に収まらない、魔術師であり、元英霊という存在である。

 

「――――――」

「―――ちぃっ!」

 

奴の拳が私の顎へと叩き込まれる寸前、私の無抵抗から異変を感じ取ったのか、奴は攻撃のために踏み出そうとしていた右足が地に着いた瞬間、そこに秘められていた力を全て後方への跳躍のために使用し、奴と私の間合いは大きく開く。

 

「惜しいな、気づかれたか」

「そういえば、貴様の戦いは正々堂々が理念でなく、隙を作り、相手を騙すが、戦闘手法を基本とするのであったか―――」

 

憎々しげに奴が注ぐのは、私の眼前にある空間―――の、その前に置かれた、虚空より突如出現した一つの剣にであった。その剣の名前は、「薄緑」。奇しくも、この世界でそう名付けられた、番人の体を加工して作られた、刀身が薄く、触れただけで接触したものを切り裂く、とても切れ味の良い剣である。

 

そんな殺傷力を秘めたとは思えない、ガラスのごとき薄い緑色の刀身は、役目を果たせず出鼻をくじかれて、残念そうに落下して地面へと刀身を隠してしまう。

 

「なるほど、ここは貴様の世界。虚空より剣を取り出すことは容易いということか」

「その通り。だから言峰綺礼。もし貴様が私にその拳を届かせたいというのであれば―――」

 

私は腕を振り上げる。途端、地面に突き立つ剣は揃って宙へと浮き上がり、その鋭い切っ先を奴の体へと向けた。

 

「まずはこの弾幕を捌いてからということになる」

 

振り下ろすとともに言峰の体へと殺到する剣群。

 

「――――――おぉぉぉぉぉぉ!! 」

 

吠える言峰は、体捌きと強化した体を存分に動かし、前進を放棄し、回避と防御の専念を選択した。

 

―――まずはこれで体力を削る

 

先ほどの手合わせで確信した。奴は能力が私より劣るとはいえ、やはり油断ならない技量の持ち主だ。まともに正面からぶつかってはやられる可能性もある。ここは一つ、仕切り直して敵の戦力を削るが上策というものだ。

 

 

「下がれ下がれ! またあの黒い煙と粉が飛んできたぞ! 」

「黒い泥と奴の太い腕が邪魔で、短時間の照射ではエクスカリバーの光でも本体まで届かないか……!」

 

ダリの警告に、セイバーさんが攻撃を中断し、全員が揃って闇を撒き散らすオミニス・デモンから距離を取る。もうこれで都合三回ほどセイバーさんは、奴目掛けて黄金の光をオミニス・デモンに放っているが、敵のあまりにも巨大な触手腕と、奴の作り出す濃密な闇に拒まれて、未だにその堅牢な守りを貫くことが出来ていないのだ。

 

勿論、千の魔物を一蹴することができるセイバーさんの「エクスカリバー」を喰らった奴も、無傷というわけにはいかず、彼女の攻撃が奴の撒き散らす闇の粉に中断させられたのち、光の中より現れる時は腕がボロボロの状態であるのだが―――

 

「おい、また腕が再生し始めてるぞ!」

 

光の奔流の中から姿を現した奴の半分ほども削れた太い腕が、見る間に肉が盛り上がり回復するのを見てサガが悲鳴を上げた。そう、これだ。セイバーさんの攻撃によって削れた奴の体は、すぐさま再生してしまうので、攻撃がまるで無意味に終わってしまうのだ。

 

もちろんセイバーさんも、なるべくなら続けて奴にあの光の攻撃をしようと、剣を構えているわけだが―――

 

「今度は炎か……! みんな私の背後に! ファイアガード!」

 

姿を現した途端、間髪入れずに周囲に散らばった暗黒の粉が灼熱へと変化して、周囲を獄炎の渦中へとすり替える。見切ったダリがスキルにてそれを防ぐ。セイバーさんの放つものとば別種の、白く眩い光に染まる視界。

 

光の奔流は火竜の吐息よりもさらに強大で、目を開けていると潰れそうな程の光が一瞬あたりを包み込む。唯一幸いなのは、瞬間的に周囲の酸素を奪い尽くして攻撃が一瞬で終わってくれることだろうか。

 

やがてその一瞬の攻撃が収まると、空気の空白地帯となったその場所に、私たちのいたダリのスキル範囲内部より酸素を含む空気がなだれ込んで、乱雑に風が吹き荒れる。

 

暴風が収まり、こちらの体制が整う頃には―――

 

「―――再生速度が速過ぎる! キリがねぇ!」

「奴の撒く粉も、炎、氷、雷に変化するとはまた多芸ですねぇ」

「言ってる場合か! 連続して来るぞ! 今度は頭だ!」

 

現れる万全の状態の敵。しかもそうして奴が攻撃する間にも、奴はすでに別の部位による攻撃の準備を終えていて、連続してこちらを襲うのだ。

 

「またなんかやばそうな力があいつの前に集まってんだけどぉ!? 」

「完全防御の札はもう切ってしまった……! セイバー、君の剣であの力の塊を消し飛ばせないか!? 」

「ええ、やってみましょう! エクス―――カリバー!」

 

そしてオムニス・デモンが放つ闇色の光球とセイバーさんの光線は激突し、力の相殺は黒白を周囲に撒き散らしながら拮抗。

 

「あ、―――あぁぁぁぁぁ!」

 

セイバーさんが吠える。剣より放たれる光の勢いが増し、そして拮抗状態は崩れ、奴の力は掻き消され、体は再び黄金の光に飲み込まれるが―――

 

「―――ダメだ! また、粉が散った! 来るぞ、退け、セイバー! 」

「―――っ、了解……!」

 

これでまた盤面が最初に戻ってしまう。一旦引く最中、やはり再生する奴の腕。そして。

 

「今度は氷か! フリーズガード! 」

 

黒い粉は、今度は触れたもの全てを凍らせる魔性の氷粉となり、赤土と剣の大地を白く染め上げる。こちらの攻撃は先ほどの炎のそれと違い、一瞬で効果が切れた後、大地が凍りついている以外に大した影響はなく、視界を遮るものもない。また、敵が攻撃の準備を整えていないこともあり、絶好の攻撃チャンスに思えるのだが―――

 

「これなら……! エクス―――」

「―――! だめ、やめなさい、セイバー!」

 

そして隙を晒す奴の触手腕のうち、自らの体を支える前方の二本の腕が黒く染まりつつあるのをみて、凛さんがセイバーさんの行動をやめさせた。

 

「リン!? 何故ですか!? 」

「奴がまた腕に高密度の呪詛を纏ったわ。さっきサガの術式のダメージを反射したあれよ」

「―――っ、くっ! 」

 

一見無防備に見えるそれは、奴の罠なのだ。オムニス・デモンは、自らの仕掛けにこちらがのらないことを確認するとその呪いの守護を解き、再生し終わった肩の方から生えた二本腕を大きく振り上げて、こちら目掛けて振り下ろす。

 

「核熱の術式! 」

エクスカリバー! 」

 

二つの触手目掛けて放たれる錬金術師最大の術式と、セイバーさんの剣の光。それらの力の奔流が触手を削り、千切り、砕き、撃ち落とすその隙を狙い、敵は再び力を収束して、暗黒の球体を己の頭前に作り上げる。

 

「セイバー! 落ちてくる触手は私がなんとかする! 君はあれの対処を! 」

「了解です!」

 

そして繰り返される、拮抗、打破、撤退。そして。

 

「また粉だ! 」

「今度は雷か! 」

 

また、拮抗。

 

「らちがあかないわね……」

 

ダリの守護の中、状況を端的に言い表した凛さんは、舌打ちをして爪を噛んだ。

 

「地の利を活かすことができればもっと楽に戦えるんでしょうけど……」

 

周囲を見渡した凛さんは、そして視線を、オムニス・デモンからもう一つの戦場、エミヤさんと言峰の決闘の方へと送る。彼らは今―――

 

 

「これだけやってもまだ耐えるか……!」

「あいにく耐え忍ぶは神の使徒たる我らの得意技でな……。耐えられない試練を神は与えず、必ず何処かに脱出の道が用意されているものだ」

「減らず口を……!」

 

吐き捨てるが、服の端々が破け、身体中のあちこち出血があり、満身創痍な状態ながらも、殺到する剣の嵐に己の心技体を行使して耐える言峰の姿は、確かに与えられた試練を耐える敬虔な信者のそれに見えなくもない。

 

奴は今、私が全力で打ち出している、全方位からの剣の射出攻撃に致命の一撃を受けずに耐えている。つまり、少しでも剣林の弾雨の手を抜けば、この拮抗状態が破られてしまう可能性は高い。

 

刃の檻の中でただひたすら耐える奴の未だに暗い光の宿る眼光を見れば、奴は私の隙を見せた途端、なにかを仕掛けようとしているのは明らかだった。だから一切の手を抜けない。

 

―――安全を優先するあまり、勝負どころを見誤ったか……

 

魔のモノとアンリマユの力により己を強化した言峰は、予想以上にこちらの攻撃に耐え、喰らいついてくる。予定では早々因縁に終止符を打ち、彼女たちと合流するつもりだったのだが、奴との決着がつくまでには、まだ時間がかかりそうだ。

 

 

「―――どうやら当分、援護は期待できそうにないわね」

「れ、冷静ですね……」

「泣いて喚いて事態が解決するんなら、アカデミー賞を狙えるくらいの演技をして見せてもいいんだけどね。慌てたところで一銭の得にもなりゃしないもの」

「はぁ……」

 

相変わらずわからない単語が飛び出すけれど、確かにその通りだ。

 

「とりあえず、手持ちのカードを確認するとしますか。手すきは―――、貴女と私くらいか」

「ええ……、まぁ……」

 

セイバーさんは攻撃。ダリが防御。サガは二人の手伝いで、ピエールが補助。近づく余裕がまるでないため、あのデカブツ相手に道具を使って援護をする余地はない私と、セイバーさんに対する魔力の補給やスキル使用の精神力補充のために控えている凛さんだけが、ほとんどダリの後ろを移動するだけの状態になっている。

 

「ああもう、そう落ち込まないの。以前聞いたけれど、貴女、ツールマスターなんでしょ? なら道具を使っての作業が本分。戦闘の面で本職に劣ったところで恥じることはないわ。―――貴女は貴女にできることをすればいい。」

「―――はい」

「よろしい……、で早速なんだけど、貴女、手持ちの道具を見せてもらえないかしら」

「あ、はい。……どうぞ」

「ありがとう」

 

凛さんの要請に応じて道具を詰めたバッグを渡すと、彼女は中の物色を始めた。

 

「うーん、やっぱり食料と補助と回復系の道具しかないかー……、転移系の道具があれば、ワンチャン、あのデカブツのすぐ近くにセイバーをすっ飛ばせればなんとかできると思ったんだけどなー」

「あ、あの、凛さん、その……すみません。私たち追放された身分なので……」

「ああ、そういやそうだったわね。―――あと、凛でいいわ。あっちもセイバーで。堅苦しいの嫌いなのよ、私」

「あ、はい、わかりました。―――凛」

「ん、よろしく、響」

 

挨拶をすませると彼女は器用にもダリの後ろに張り付きながら、再び道具鞄を漁り出す。

 

「うーん、アムリタ系と状態異常系が多いわね……。香を組み合わせて毒にしても回り切る前に回復されそうだし、即効性も足りないだろうし……、せめて絶耐ミストか、起動符か、明滅弾でもあれば、使い方次第で一瞬くらい足止めに使えたんだけど……」

「ダリとサガとピエールがいるから、基本的に攻撃、防御、戦闘補助系の道具は持ってきてないんです。どちらかというと、回復と、瞬間火力を上げる薬と、継戦を保つための道具くらいで―――」

「ま、パラディンアルケミスト、バードがメンツであればそうなるか。それでアタッカーは、アーチャーってわけかしら―――、ん? 響、あんた、それ、なに? 」

「え?」

 

凛の指摘に自分の手元を見ると、上でもらったシンの遺体から見つかったという宝石を持っていることに気がついた。トゲトゲとした外観のそれを無意識のうちに取り出して弄っていたのは、自分の気持ちを落ち着けるのに彼の力を借りようとしたためだろうか。

 

「ふぅん……、ねぇ、響。ちょっーと、それ、見せてもらっていい」

「―――どうしてですか?」

「ちょっと、なによ、怖い顔しちゃって―――珍しいものだからね。ねぇ、貴女、それがなんだか知ってる?」

「いえ……、凛さ……、凛は知っているんですか?」

「ええ。見せてくれたら教えてあげる」

 

言われて渋々とそれを彼女に手渡すと、彼女はその宝石を受け取るや、なんらかのスキルを発動させよう力を込めて、しかし何も起こらない。

 

「あれ、おかしいわね……」

「凛、一体、貴女は何をしようとしたのですか?」

「この石はね。魔物や人のスキルを閉じ込めた魔術書/グリモアって言うアイテムなのよ。装備していれば、身体能力が上がったり、スキルが使えるようになったりするの。だから、魔術回路を改造しちゃって殆どの魔術が使えない、スキルも基本的なものしか使えなくなってる私でもこの石があれば使えるようになる……、はず、なんだけど。でも変ね……。これ、なんか変な制限がかかってて……」

「制限?」

「うーん、なんか、こう、ロックっていうか、違和感っていうか……、ねぇ、響。貴女、これどこで手に入れたのかしら?」

「―――それは」

 

シンが。あの人が。死んだあの人の中から―――

 

「―――OK、わかったわ、響。言わなくていいわ。その顔でだいたい事情は読めたから。―――なるほど、じゃあ、多分そうなのかもね。―――、はい、返すわ」

「え? 」

グリモア、多分、貴女か、貴女の仲間たちなら使えると思うわ、それ。石を体の延長線上にあるものと考えて、集中してみて頂戴。そうすれば石に秘められている力がわかるわ」

「わかりました」

 

凛の言う通り、両手でグリモアを抱え込んで、意識を集中する。溶け込んでいく心。石の中に秘められた想い。グリモアは、ただ一つの願いを果たして欲しいとの願いが、彼の体の鍛え上げられた想いとともに、抽出され、こぼれ落ちたモノだった。

 

「―――シン」

 

彼の純粋な願いが胸を打つ。これはあっさりと逝った彼が残した無念の結晶と言えるだろう。いや、無念ではない、希望だ。これは私たちに、私に、彼が残した最後の希望。

 

「凛」

「ん?」

「私、この状況をなんとかできるかもしれません」

「―――へぇ」

 

面白がりながらも真剣味を秘めた声。私は彼女にこのグリモアの効果を説明し、思いついた戦術を話すと、彼女は感心して頷いて、その案を受け入れた。

 

 

「セイバー! 」

「凛!? 危険です! 今の貴女は前線に出てくるべきでは―――」

「いいから聞きなさい! 頃合いを見計らって、響がオムニス・デモンに隙を作るわ! その隙を狙って貴女の宝具を叩き込んでやって頂戴! 」

「響が―――、わかりました」

「あとは……、そこの錬金術師! サガとか言ったわね!」

「ああ、なんだ! 」

「聞いてたわね? 響が今からあれをなんとかするから、セイバーに続いて、でかいのをぶっ放してちょうだい! 」

「―――ああ、わかったよ! 」

 

セイバーとサガが承諾の返事を返したのをみて、私は上段に構える。まだ完全には馴染まない構えだけれど、彼のことをずっと追いかけてきた私は、彼の剣を使いこなそうと鍛錬を重ねてきた私は、グリモアのおかげもあってか、今まででいちばんの出来に体を構えることができた。

 

戦況を見極める。目の前で戦闘中のみんなは、私たちが相談する前や間、ずっと最初の頃と変わらない行動を順番に繰り返している。狙うのは―――きた!

 

「氷か! という事は……」

「またあのでかいのがくるぞ!」

 

オムニス・デモンの脳の上にある二つの頭の前では、再び暗黒の呪いの濃縮が行われていた。この距離からあれを防ぐ手段は、セイバーの「エクスカリバー」のみ。しかしそれを防御に使うと、威力が相殺された上、再び奴が回復する時間を稼がれてしまうのだ。

 

「させません! 」

 

でも、逆に言えば、その発射を阻止してやることできれば、セイバーのエクスカリバーの威力を全て攻撃に回した上で、攻撃をすることのできるチャンスになる。だからそこに目をつけたのだ。

 

剣を握る手に力が入る。目の前にいるのは、これ以上ないほどの強敵。あれを思えば、先ほど戦った三流のうちの一つ、「偉大なる火竜」ですら、前座にすぎなかった。きっと彼の分身であるこの石は、そのことを感じ取っていたからこそ、あの時はなんの反応も見せなかったのだ。

 

いつだか彼は言っていた。この剣を三竜に突き立てて欲しいと。それほどの強敵にこの剣と自分の技が通用するか確かめたかったと。そう、全てはこの時、この瞬間のために。今後きっと二度と現れることもないだろう強敵にこの一撃を叩き込むために、この石と、彼のこの剣は存在したのだ!

 

―――止まっているデカブツ相手になら、私でも……!

 

「イグザート・アビリティ!」

 

ツールマスターとしての力を最大限に発揮して、フォーススキルを使用する。力を全て引き出されたグリモアは、その水色の身の内側から眩いばかりの光を放つと、私の体に彼のスキルの力を漲らせる。全身を駆け巡る力は力強く、感じた懐かしい暖かさは寂しかった心を満たして、涙がこぼれ落ちた。

 

柄を握りしめていた手が緩む。過度な緊張は万全の一撃を放つに不要だと、彼の意思が教えてくれる。脱力を。あと少しの間だけ、私の全てを彼がくれる感覚に全て委ねる。数秒。たったそれだけの間持ってくれれば、そのあと私はどうなっても構わない。

 

敵の球体が最大限に達している。もはや発射される寸前だ。このタイミング。狙うのならば、敵が攻撃をするその直前。敵の両肩の一対の頭が揺らぐ。敵の動きが手に取るようにわかる。狙うのなら―――――――――、今!

 

「『一閃!』 」

 

彼の奥義の名を叫ぶ。驚愕の視線を感じた。果たしてサガか、ダリか、ピエールか、あるいはその全てなのか。振り下ろした刃は虚空を切り裂き、オムニス・デモン全ての首と触手の後ろに空間の亀裂を生み、薄っすら赤銅色混じった白色の刃が現れた。

 

奴らの太い首や腕を一太刀で刎ねることが可能なほど巨大な刃はすぐさま目の前の獲物に食らいつくと、体内へと侵入し、その内部を断通するやがて刃が断通する。刃の入り口と通り道と出口に沿って、赤い筋が走った。

 

やがて両断され、自重を支えきれなくなった細胞は、切り離された肉体へと手を差し伸べるのをやめて、見捨てられた肉体は重力に負けて地面へと滑り落ちて行く。見事な切れ味。当然だ。

 

このグリモアという石に秘められているのは彼の技術の全てであり、それを私がツールマスターとしての力全てを以ってして完全に引き出したのだ。このような些事、こなせない筈がない。

 

そしてその直後、予想通り制御部位であったのだろう二つの頭部の神経系が断絶されたことにより、オムニス・デモンの体中央部分の単眼の前で濃縮されていた闇の塊は、濃縮されていた闇の球体の滑らかな表面が大きく波打ったかと思うと、暴発。

 

生まれ出た火と熱の勢いが、切り落とされたことにより現れた断面を焼き、焦がし、熱処理して行く。同時に爆発の勢いによってやつの体は大きく振動し、今しがた断った部位が奴の体と離れる速度が加速した。これで回復能力もある程度阻害できるはずだ。

 

「――――――!? ―――? ―――、!!!?」

 

確信が事実へと移り変わった頃、一方で奴は何が起こったのか理解することができず、戸惑ってばかりいるようだった。熱に脳中心にある単眼の表面を焼かれたデモンは、瞼らしき機構をぱちぱちと瞬きさせながら、状況の把握に必死に努めている。

 

「サガ! セイバー! 」

「―――おっしゃ、任せろ!」

「ええ、あとは私たちが! 」

 

待ってましたとばかりに二人が返事が返ってくる。

 

「これで閉幕です! カーテンコールはいりませんよ! 」

 

そしてピエールがフォーススキル「最終決戦の軍歌」を歌う。勇ましい曲調の音色が周囲に響き渡り、二人の能力を最大限にまで引き上げる。

 

サガは籠手に限界まで溜め込まれていた力の、早くこの狭苦しい所から己を解放しろとの訴えに応じて、スキルの名を叫ぶ。セイバーも上段に構えていた剣の柄を握る両手に力を込めると、流麗な動作で剣を敵めがけて振り下ろし、そして宝具の名を叫んだ。

 

「超核熱の術式! 」

「約束された勝利の剣/エクスカリバー!」

 

黄金の光は未だ空中に残る闇の残滓をかき消しながら、敵の無防備となった単眼に直撃する。混乱する奴の眼へと突き刺さった光は、瞬時に剥き出しの後頭部へ突き抜けて、脳みその中央部分に大きな穴を開けた。

 

遅れてサガの奥義が脳の下部に直撃。甲殻類の脚が生えた敵の体に当たった組成変換の術式は、即座にその体組織を爆発のための力と書き換えるための力として転換すると、連鎖は倍々に加速度を増して消滅と爆発を繰り返す。

 

やがてその余波はセイバーの剣によってばら撒かれた肉片にも影響を与え、敵の体はカケラも残さず黄金の中へと消えてゆく。やがて彼女の放つ光が収まり、光の影響が完全に消え去ること、茜色の空の下に広がる赤色の地面の上には、今姿命を散らせた敵の死を悼むかのように、剣が墓標として大地につきたつ光景だけが広がっていた。

 

 

「敗れたか」

 

そんなセリフが剣雨を通り抜けて聞こえたかと思うと、言峰は静かに抵抗のために動かしていた全身から力を抜いた。自然、抗いをやめた奴の全身を剣が貫く。あまりの予想外に、私が剣の雨を止めることができたのは、奴の体の半分ほどが剣によって吹き飛ばされた後だった。

 

腕はちぎれ、内臓の代わりに鉄が配備され、頭にも剣が突き立っている。数百の剣をその一身に浴びながら、心臓と脳の重要部分を避けていたのが、ある意味では奇跡だと思った。もはや自らの足ではなく、剣によって支えられた体であるにもかかわらず、奴は静かに瞑目して、笑みをたたえている。

 

「―――なぜだ」

 

結果、敵を倒したというのに、思わず奴の行為に問いかける言葉が出た。あんな死に体になったのだ。こんな問答にもはや無意味であると言うことは、その所業をなした己が誰よりも一番理解していた。

 

問いかけに奴の体がほんの少しだけ揺れた。微かに漏れる呼気から、それが今の奴にできる精一杯の笑いの仕草であると言うことに気づいたのは、奴がまだ剣が刺さっておらず自由に動かせる首を持ち上げてこちらに笑いかけたのを見た瞬間だった。

 

「満足したからさ」

 

それはあまりにも、言峰綺礼らしくない言葉だった。だがその一言は私に奴の心情を理解させるのに十分なものであった。

 

「一つ、忠告しておいてやろう」

 

険しい顔に柔らかな笑みを浮かべていた神父は、一転して常の奴らしい他人を馬鹿にするような見下す視線をこちらに向けて、語りかけてくる。ただ、そうして向けられる常の笑みは、あまりにも弱々しく、私は無言を保つことしかできなかった。

 

「魔のモノの意思が完全に殺され、負の感情を収集する力が弱まるだろう今後、おそらく、世は荒れる。また、アンリマユという悪神が召喚されたこの世界、この空間に散ったとはいえ、魔のモノの体に残った悪の概念は、霊脈を伝って、世界に散らばった可能性が高い。すると人の心には悪心が戻り、以前のような争いに満ちた世界になるだろう。喜ぶがいい、エミヤシロウ。そうなれば、世界には、再び貴様のような正義の味方を必要とする時代が到来する事となる」

「なっ……」

 

奴が述べた内容は、私を戸惑い驚愕させるのに十分な重みを持っていた。滑稽にも足踏みし、体を仰け反らせた様を見て、奴は嬉しそうに笑い、しかしすぐさま顔を顰めた。つまらない、とそんな感情を露わにする奴の顔には、寂寞の感情もが浮かび上がっていた。

 

自分の言動に私が動揺し、みっともない姿を見て多少の愉悦の元としたが、胸に到来した感情の成分が思ったよりも自らの心を揺らすことがなく、落胆した、という感じだろうか。それだけではあの寂の表情の説明はつかないのだけれども、ともあれ。

 

「貴様、それを知りながら、なぜ諦めた。貴様のそれが真実であるというのならば、いつの日か、世に再びアンリマユや魔のモノが降臨する可能性があるということだろう」

「それは私の知る彼とアンリマユではない。彼らは先程貴様らに殺されたのだ。どれだけガワを整えて再び召喚しようが、それは地続きでない。その時点でよく似ているだけの他人に過ぎない。―――そんなこと、元は英霊であった貴様が、最もよく知っていることだろう」

「―――」

 

つまりは何か。この男は、そんな、人間らしい感傷ために、目の前にいる憎き不倶戴天の私との戦いを止め、命を放棄したと言うのか。

 

「魔のモノという理解者を得て、アンリマユの誕生を祝福することができた。できればその後彼らの交わりから何が生まれるかを見たかったが、もはやそれは叶いそうにない。それにもう、私を、私のまま必要とする者がいなくなったのだ。生のままの私の本質を知り、それでも誰かに必要とされる。否定のない完全な許容。これほどの悦楽を知ってしまった今、この醜い世界において、それ以上のものはもはや手に入るまい。最高を知った今、残る人生などすべて灰色の世界に過ぎない。だから、もう、未練はない」

 

虚言と真実を誤魔化す奴の口から零れ落ちた言葉は、驚くほど虚飾がない。長き奇妙な旅路の果てに、ようやく得た伴侶を失った悪の容認者は、なんとも人間らしい感傷に包み込まれ、死を望んでいた。否、奴がかつて信じた神の言葉を借りるなら、言峰綺礼という男もまた、ただ己の心地よき居場所を求めて彷徨う子羊に過ぎなかったのだ。

 

もはや話すべきこともなくなったのだろう奴は、ただ悠然と死の訪れがやってくるのを待っている。荒野にて全身を剣にて貫かれ、故に倒れることすら出来ず磔にされている奴は、まるで十字架を背負った殉教者のようにも見えた。

 

何もせずとも奴は近いうちに死ぬ。だが、仮にも魔のモノという相手と繋がりあった体は、放置しておくと、再び奴をこの世に引き戻しかねない。それは私として望まぬことであり、そして、もはやこの世に未練のなくなったやつにとっても望ましいことでないだろう。

 

介錯をしてやる」

 

述べて私はやつにとって親しみ深いだろう剣を取り出した。取り出した折には柄しか存在しなかったそれは、魔力を込めるとうっすらとした刀身を生み、十字架を模した剣となる。「黒鍵」と呼ばれるそれは、人間以外の摂理を持つ相手の体に叩き込むことで、自然法則に則った元の肉体に洗礼し直す効果を持った、「摂理の鍵」だ。

 

「それが真に効力を発揮するのは、信仰心ある洗礼を受けた信徒が化け物相手に振るった時のみ。貴様のような信心とは対極にある男が振るったところで、なんの効果も発揮せぬだろうよ―――つまりは、余計なお世話だ」

 

自らにとって馴染み深い剣を持ち出された奴は、しっかりと私の思い遣りを笑いつけると、しかし、言葉とは裏腹に、動かぬ体を無理やり稼働させて、自らの胸を前に差し出した。

 

魔のモノと別れ、人として死ぬ。それはおそらく、奴なりの魔のモノという理解者に対する別離の思いと人としての矜持が齎した選択であった。生き汚なさとは程遠い態度は、私に奴の真意を汲み取らせて、私は手に持った刃を振り上げる。

 

「そうか―――ならば望み通りに」

 

剣を奴の体に振り下ろすと、するり、と驚くほど抵抗なく吸い込まれた。それは投影した剣自体が持つ信心深き信徒に対する憐れみだったのだろう、あるべきところへと収まった十字架は、奴の言った言葉とは裏腹に、すぐさま効力を発揮して、奴の体に全体に光の亀裂を走らせる。

 

―――We therefore commit his body to the ground.earth to earth,ashes to ashes,dust to dust./今こそその屍を地に委ね、人を地に返そう。土は土に。灰は灰に。塵は塵に。

 

「―――Amen」

 

魔のものとの繋がりを断たれた言峰綺礼は最後に一言、祈りの言葉を述べると、摂理の鍵により人へと戻った奴は、灰となって散ってゆく。突き刺さった剣が落ちた場所に積もった奴の灰は、土と交わることなく、風に消えず、その場に白い山を作った。

 

やがて固有結界を解除した際、灰は土に還り、塵は天へと登るだろう。奴が行く先に永遠の安息があるなどとは到底思えないが、行先は少なくとも、奴が醜いと断ずる此処や我々が今生きる世界よりは、奴にとって落ち着く世界に違いない。

 

 

「アーチャー! 」

「凛か」

 

真っ先に近寄ってきた彼女の名を呼ぶと、凛はすぐそばにある小山を少しばかり悲しそうに一瞥すると、かぶりを振って私の方を向いた。

 

「―――決着、キチンとつけられたのね? 」

「ああ。まぁ、奴の勝ち逃げのようなところもあったがな」

「そう。綺礼らしいわね」

「たしかに」

 

苦笑し合っていると、ドタドタと近寄る足音が空気を切り裂いた。

 

「そっちもやったのか、エミヤ! 」

「これで一件落着というわけか」

 

サガとダリは互いの顔を見合わせると、破顔して手を叩き合う。続けて差し出された二つそれぞれの手を礼儀として叩いてやると、彼らの喜び具合を表すかのように乾いた大きな音が固有結界内に響く。そこでようやく、全てが終わったのだ、という実感が湧いてきて、肩から力が抜けて行くのを感じた。

 

ダリとサガの二人は、セイバーへと礼を言い、ピエールを抱きかかえ、響を巻き込み、互いの健闘を称えあっている。魔のモノとアンリマユの融合体という、途方も無い敵との戦いが、終わってみれば被害ゼロであった結末というのは、出来過ぎているといえば出来過ぎているが、たまにはこう言った終わりも良いだろうと思う。

 

上を向くと、重く深いため息が自然と口から漏れ出た。背負いこんでいたものすべてが固有結界の中の空気に吐き出され、しかしこれでは心に溜め込んだままではないかと、他愛もない考えがうかぶ。

 

「―――お喜びのところ悪いが、そろそろこの結界を解除しても大丈夫だろうか? 」

 

水を差すと、一同は今、自分たちが何処であるかを思い出したのだろう、それぞれに頷いた。

 

「ではお言葉に甘えて」

 

全員の納得を得られた私は、早速結界の解除を試み―――

 

「―――って、ちょっと待って、アーチャー! 貴方、ここが何処か忘れたの!?」

「―――あ」

 

凜によって不注意を指摘された直後、結界が解除され、元々の世界に戻った我らは、魔のモノという巨大な地面を完全に失って、眼下に広がるマグマの直上に投げ出された。空気に存在する微かな微粒子ではもちろん我らが重力に引き寄せられて落ちるのを阻害することはできず、我々は揃ってのフリーフォールを開始する。ちなみに言峰綺礼だった灰はすでに風に煽られ、拡散の真っ最中だ。

 

「うそだろ!?」

「つ、掴めるものは―――」

「いやぁ、こんな間抜けな理由での死に様は予想できていませんでしたねぇ……」

「落ち着いて言ってる場合ですか!?」

「しまったな……、凛のうっかりが移ったか」

「何ですって!? 元はと言えば忠告したのにアンタが勝手に消すから―――」

「リン! 言ってる場合ではありません! 今はこの状況をなんとかしないと! 」

 

悲鳴に抵抗、呑気に怒号、冷静に金切り声に指摘。さまざまな声が入り混じりながら、一秒ごとに高度は下がってゆく。多少失念していたが、まぁ、私の投影で適当に鎖と台を設置すれば問題あるまい。

 

「トレース―――」

「あなた達は何やっているのかしら?」

 

オン、と呪文をいいかけた直前、体が空中に固定される。落下の最中唐突起こった停止によって、それまでに生じていた衝撃が体に加わった。思わず呻き声が出そうになるのを、なんとか堪えてやると、我々の眼前にこの現象を引き起こした主人が姿を表した。

 

「アーチャー、貴方、この中では最も判断に富むと思っていたけれど、思ったより考えなしの馬鹿なのね」

「返す言葉もない。いや、助かったよ、キャスター」

「ま、忠告を素直に受け取って礼を言うところだけは、美徳といったところかしら」

「キャ、キャスター! なぜ私だけ―――」

 

呆れ顔の彼女と言葉を交わすと、セイバーただ一人が彼女の魔術の恩恵を受けれずに未だに落下を続けていた。キャスターは、「あ」、と声を漏らすと、憎々しげに言い放つ。

 

「これだから魔力耐性が高い奴は嫌いなのよねぇ……」

「ああ、君の魔術を行動阻害と判断して彼女の対魔力の特性がかき消してしまったのか」

「いってる場合ですかぁぁぁ―――、早くなんとかしてくださいぃぃぃぃ―――」

 

声は凄まじい勢いで小さくなってゆく。とはいっても魔力を用いての救助手段を持たないキャスターに出来る事はなく、彼女は困った様子で己の顔に手を当てて、首をひねった。私は慌てて鎖のついた杭剣を投影すると、眼下めがけて投擲した。

 

「そら、これに掴まれ!」

「―――アーチャー、感謝します! 」

 

思い切り力を込めての投擲は、すぐさま彼女の落下速度を上回る。そして横までやってきた鎖を掴むと、彼女は何があろうと離すまいと言わんばかりに、片手で力強く鎖を握りしめた。直後。

 

「―――ぬおっ」

 

肩が引っこ抜けるかと言う衝撃。鎧を纏い、剣を握った筋肉質の彼女は、その小柄な外見とは裏腹に思いのほかの重量があって、私は思わず呻き声を上げた。

 

「た、助かった……」

「……それは、……よかった。……ところでキャスター。……物は相談なんだが、……早く私たちを岸まで運んで貰えないだろうか……」

「……ぷっ」

 

懇願に、あははははは、と、キャスターは体にゆったりと纏ったローブを大きく揺らしながら、高らかに笑い声をあげる。よほどツボにはまったのか、腹を抱えて大きく身を揺らしながら笑う彼女は、しかし緩やかに宙に浮いた私たちを移動させくれる。

 

余計なことに気を取られながらもきちんとした魔術操作が行えるあたり、やはり彼女は一流の魔術師なのだ。そして。

 

「お、おい、もう地面の上だぞ」

「随分と高いところまできましたねぇ」

 

マグマの広がる光景ではなくなったにもかかわらず、我々は彼女の魔術から解放して貰えていなかった。唯一、私の鎖に捕まっていたセイバーだけは、地上に降り立って、キャスターと、彼女に運ばれる我々を目線で追いながら、ゆっくり歩きながらと追いかけてくる。

 

「笑わせてもらったお礼よ。このままこの辛気臭い場所から運び出してあげるわ」

 

 

瓦礫の山の上をふわふわと浮遊しながら、瓦解した円蔵山の麓まで運ばれた私は、基本的に他人への興味を持たない彼女にしては珍しく丁寧な扱いで、地面へと置かれる。着地と同時に辺りを見渡すと、見通しの良くなったその場所からは、我々が洞穴へと突入する以前の戦闘により崩壊していた冬木の街が、より一層ボロボロになっている光景が目に映る。

 

魔のモノは地上に残った彼らの手でほとんど駆逐されたようだった。そこかしこ細長く地面が削れているのは、おそらくランサーの仕業だろう。クレーターのような穴が連続して空いているのはバーサーカー。整った切り口の塀や家屋はアサシンの所業で、かけらも優雅さなく散らばっている破壊痕は、おそらくキャスターの魔術によるものなのだろう。

 

「―――よくもまぁ。こうも暴れ尽くしたものだ」

「あら、貴方達がいなくなった後、姿を無数の獣に変えて襲いかかってくる魔のモノを残さず悉く殲滅して上げたのよ? 礼を言われる事はあっても、責められるいわれはないわ」

 

キャスターは上機嫌に胸を張る。

 

「まぁ、そうかも知れんが加減というものがあるだろう」

「その加減の余裕を考える暇がないほど暴れた奴らなんだから、文句は奴らに言いなさいな。あとはそれに触発されて暴れまわった男馬鹿三人。互いに刺激しあって暴走するものだから、余計に被害が大きくなったのよ。全く嫌になるわ」

「―――ところで、その馬鹿三人とほかのメンツはどこへいったのかしら? 」

 

凛の質問にキャスターは億劫な様子で彼女の方を見ると、それでも律儀に腕を動かして、街のあちらこちらを指差した。

 

「ランサーは橋の向こう。余さず掃討してくると言って、走って言ったわ。アサシンは―――、多分この街のどこかにいるんじゃないかしら。バーサーカーは暴れるだけ暴れまわった後、森の方へ消えて言ったわ。ライダーは……、ほらあそこ」

 

そしてその細い指の指し示す先を見ると、冬木の街の南側、大きなボロ家の屋根の上に立っているライダーの姿を見つけた。周りがボロボロの倒壊している家屋ばかりであるのにたいして、その家だけは原型を留めていた。間違いない。あれは。

 

「桜の家―――」

「……そうだな」

 

それで十分だった。後の全ては、瑣末な出来事に過ぎない。多分ライダーはマスターの住処を守りたいがために、我々に協力して戦ってくれたのだ。ふむ、そう考えると、存外あのいけすかない小悪党の小僧も好かれていたものだ。

 

「満足したかしら? 」

「ああ。―――それで、君たちはこれからどうするんだ」

 

問いかけると、キャスターは無言のまま今来た円蔵山への道へと緩やかに足を踏み出した。その歩みの行方を追っていると、やがて彼女は瓦礫の道の上に思い人の姿を見つけ、軽やかにかけだして、その胸の中に飛び込んだ。

 

女に飛びつかれた男は、無表情ながらも彼女をしっかりと抱きとめる。彼女は男の胸の中で満足そうに息を漏らすと、そのまま振り向きもせずに言い放った。

 

「好きにさせてもらうわ。―――どうせ後少しの命ですもの」

「それは―――」

 

どういうことか、と問いかけるよりも前に、彼らの輪郭が薄らいだ。彼らから存在感というものが抜け落ちてゆき、やがては向こう側の景色すら見通せる程になってゆく。希釈されていく彼女らの存在に驚いて同様の存在であるセイバーを見ると、彼女もバツが悪そうな表情をうかべ、静かに微笑みながら、その輪郭がぼやけつつあった。

 

「貴方が聖杯に臨んだのは、その時目の前にあった障害を打ち倒す力。なら、その障害を倒した今、必要なくなった力が消えてさるのは道理というものでしょう?」

 

キャスターの声が響く。消滅しつつある体とは裏腹に、その声だけは不思議とよく通り、私と仲間達に真実を伝えた。彼らが消える―――、私が呼び出した彼らが―――、……っ。

 

「凛!?」

「ちょ、ちょっと、何よ!」

 

嫌な予感に慌てて彼女の方を見ると、私が聖杯にて呼び出したにもかかわらず、目の前の彼女だけは、依然としてかわらずその場所で確かな存在感を携えていた。

 

「―――、君は、平気なのか?」

「ああ、もう驚いた……。ええ、そうよ。私は彼らと違って、依り代と触媒を元に呼び出されたからでしょうね」

「―――そうか」

 

よかった、と、安堵にため息をつくと、彼女はニンマリと笑って、意地悪い笑みをうかべながら、こちらの体をつついてくる。

 

「あら、なによ、そんなに心配してくれた? 」

「勿論だ、凛。君にまでいなくなられると、さすがに悲しい」

「―――そう」

 

素直に心境を述べると、彼女は一転、呆気にとられた様子の顔を浮かべると、私に背を向ける。肩は震え、耳まで赤くなっている。

 

「なによ、素直に返されると照れるじゃない……、あいつみたいなこといっちゃって……」

 

どうやら私は、彼女からすれば思いもがけない返しにより、彼女をやりこめたようだった。とは言っても、おそらく彼女がそうして恥じらいの様子を見せたのは、私にではなく、私の後ろに、かつて彼女が愛した夫の姿を幻視したからなのだろうとも思う。

 

「はいはい、惚気は後にしなさい。それよりも今は―――」

 

キャスターは流れる空気に耐えられなくなったのか、男の胸から顔を出してこちらを振り向いて、天井を指差した。指先の行方を追うと、天井が緩やかに蠕動し、パラパラと崩落を始めているのが目に映った。

 

「ここからの脱出を考えたほうがいいわよ。魔のモノとの戦いや、霊脈近くで大きな衝撃を与え続けたことで、地脈の動きが活性化してるわ。サービスで多少は持たせてあげるけど、私が消えて魔術の効果が切れたら、あの天井の土砂が街を全て押しつぶすでしょうね」

「そんな! でも、だって、どうやって脱出すればいいんですか!? 」

 

キャスターの言葉に、空を見上げていた響が悲鳴をあげた。悲鳴の理由は、私にも理解ができた。目線の先、天井よりすぐ下を見ると、私たちが下へ降りるのに使った鎖はすでに無く、魔物達がかけ上がろうとしていた天井に続いていた階段もすでに存在しなかったからだ。脱出しろと言われても、これではどうやって地上に逃げればいいのかわからない。

 

「知らないわよ、そんなこと。そこまで面倒見きれないわ―――、でも」

 

質問を冷たく切り捨てた彼女は、凛の顔見て述べる。

 

「そこの彼女なら手段を知っているんじゃないかしら? そんな顔をしているわ」

「え―――?」

「まぁ……、ね」

 

響に希望の篭った視線を向けられた凛は、口籠もりながらも頷くと、橋を渡った向こう側、新都の小高い丘の上を指差して言ってのける。

 

「私たちはかつて、あの場所に眠っていた。私とアーチャーは、あの場所にある転移装置によって、地上へとやってきたのよ」

「転移装置! 」

「そうか! そういえば、言峰という男が私たちに取引を持ちかけてきた時、たしかに教会の転移装置を使って戻れと言っていた!」

「なら、あの場所まで行けば私たちも助かるということか! 」

「では、善は急げです。さっさと移動するとしますか」

 

希望が見えたことにより沸き立つ彼ら。そして。

 

「じゃあ、お別れね、セイバー」

「ええ。残念ですが、そういうことになります」

「セイバー、キャスター、葛木。なんと言っていいのか……、君たちにはほんとうに助けられた。ありがとう。感謝の言葉がそれ以上に見当たらない」

「気にすることはない、アーチャー。あなたはこの度、間違いなく正しいことのために戦い抜いたのだ。ならばそのために手助け出来た事は、私にとっても誇らしい出来事です」

「いいわ。私だって宗一郎様ともう一度こうしてお会いすることができたんですもの。―――本音を言えば、裏切った貴方をどう縊り殺してやろうかと考えもしたけど、ま、今回に限っては、そのことで等価交換―――チャラにしてあげる。寛大な心に感謝しなさい」

「アーチャー。貴様が聖杯戦争においてやった事は間違いなく裏切り行為であり忌むべき行為だが、元はと言えば我らも褒められるような行為をしていたわけではなかったからな。こうして連れ合いと再会できた事と合わせて、相殺としておくとしよう」

「ふっ……そうか」

 

それぞれのらしい答えに鼻で笑って返すと、各々は柔らかな雰囲気を纏う。そしてキャスターと葛木は柳洞寺のあった方角へと消えて言った。最後は二人きり、邪魔されずにかつての拠点があった思い出の場所で、という事だろう。それに口出しするほど、私は野暮ではない。

 

残る一人の英霊―――セイバーに声をかけると、武装を解いた彼女はニコリと笑って黄金の剣を差し出した。

 

「それではこれをお返しします、アーチャー。これは貴方の剣だ」

「―――いや、それは君の記憶なしには再現できなかったものだ。真作ではないかも故に君にとっては見劣りするかもしれないが―――、きっと、私が持つよりも君が持つに相応しいと思う。出来れば君に受け取ってほしい」

「―――そうですか。ではありがたく」

 

彼女はそれを握ると、柄をもち地面へと突き立てた。そうして正面向いて凛々しく屹立する剣を構えた彼女は、まさにセイバーの名にふさわしい、堂々とした威厳を持っていた。ああ、やはりこの剣は彼女の元にあってこそ、真の輝きを発揮するのだと思える光景に、自らの選択は決して間違いなかったのだと確信する。

 

「では、さらばだ、セイバー」

「ええ、アーチャー。どうか息災で。リンもどうかお元気で」

「ま、私なりにね。じゃ、さよなら、セイバー」

 

セイバーの声を遮って、凛は笑って振り向いた。下手に別れを惜しむは優雅でないという事だろうか? かつての相棒との別れにしては、至極あっさりすぎて素っ気ない気もしたが、セイバーが何かを察したかのような顔をしたのを見て、とりあえず納得する事とした。おそらく私にはわからない、彼女ら同士で通じるものがあったのだろう。

 

 

「おい、本格的にやばくなってきたぞ!」

「言われなくても分かっている! 文句を言う暇があったら、足を前に踏み出せ! 」

「最後の最後まで締まりませんねぇ……」

「あと少し、あと少し……!」

 

深山の街を駆け下りて、橋を渡りきった私たちは、破壊の痕跡が凄まじく残る新都の街中を疾走していた。途中で限界を迎えた凛を胸に抱えながら冬木の街を駆け抜けると、遠い昔に忘れ去った出来事がいちいち記憶の扉を刺激して、郷愁に似た気分を抱く。

 

かつて英霊となった私が覚えていた記憶は、切嗣との出会いや、別れ、セイバーとの契約の場面といった印象に残っていたもののみなので、おそらくこの記憶と思いは、私に体を提供した衛宮士郎と言う男の持っていたものなのだろう。

 

埋め込まれた人の記憶に感傷を抱くという不思議な経験を、しかし不快に思わないまま、街中をかけていた私は、やがて丘を登りきった先に、見覚えのある建物を見つける。

 

「あった! これが……」

「教会、であっているんだよな?」

「ああそうだ。冬木の教会。奴の言う事に間違いが何のであれば、この隠し部屋に―――」

「ええ、間違いなく、装置はあるわよ」

 

腕の中に収まっていた凛は、よろよろと立ち上がると、すぐさましゃんと背筋を伸ばして、我々一同の先頭に立ち、言ってのけた。

 

「ついてらっしゃい。案内してあげるわ」

 

 

「――――――」

「あ、驚いた? すごいわよね、これ」

 

そして隠し部屋に一歩踏み入れた途端、現れた光景に驚いた。まず目に入ったのは、剥き出しになった石壁に囲まれた地下の狭い空間に所狭しと並ぶ機材類だ。それらの外観は整備した直後であるような清潔さを保っており、搬入した直後の、ゴムと金属の匂い入り混じった独特の匂いまでが保たれている。

 

そんな機械、機材を動かすためだろう、天井、地面、四方には、壁一面を覆う程のコード、ケーブル類が取り付けられ、部屋奥にある発電機らしきものへ繋がっている。もちろんこれにも経年劣化による綻びや撓みなどがなく、新品同様だ。

 

中央に設置された、レールの上に乗せられたベッドの上には、多少乱雑に包まったシーツが放置されているが、広げてみればまるで店に展示してあるものであるかのように真っ白で、やはりとても百、千以上もの年月が経過したとは信じられない。

 

「ちょっと。見惚れるのも良いけど、時間がないんだから早くして頂戴!」

「あ、ご、ごめんなさい」

「まるでシンジュクの地下の施設のようだ……」

「おい、ダリ、さっさと行くぞ」

「うーん、じっくりと見て回れないのが名残惜しい……」

 

私と同じく光景に目を奪われていた彼らは、凛の叱責に部屋を見回しながら奥へと進む。ベッドの下から伸びたレールを追うようにして部屋の奥へ進むと、彼女は部屋の最奥に設置されていた大きめの円柱型のケースを指差して言う

 

「さ、これに入って頂戴」

 

それは強化ガラスと特殊合金を組み合わせて作り上げられたケースに、なんらかの魔術防護を施した装置だった。彼女が入れと言うからには、これが件の転移装置という奴なのだろう。ケースのすぐそばにはキーボードとコンソールが備え付けられており、いかにもそれを利用してこの装置を起動するのだろうことがわかる。

 

我々はさっさと、あるいはおずおずとケースの内側へと足を踏み入れる。中から見ると、まるでこれから実験の憂い目に合わされる動物の気持ちが分かる気がした。処理を行い、ホルマリンでも流し込まれれば、見事な人間標本が出来上がるだろう。

 

「うぉ、でけぇ揺れ!」

「そろそろ限界なんでしょうねぇ」

 

他愛もないことを考えていると、天井がゆれて、石壁の上からパラパラと土ぼこりが落ちてきた。埃は地面やケースの外側の表面に触れると、瞬時に姿を消して、表面や地面から消え失せる。いかなる理屈によるかは知らないが、この場所はこうして清潔が保たれているのだ。

 

「やっば、急がなきゃ」

 

天井の崩落を感じ取ったのか、凛は焦りながら、しかし、慎重にコンソールのパネルを弄っている。おっかなびっくり、というのが最も適切に彼女の状態を表しているだろう。やがて警告音とアラームが鳴り響いたと思うと、機械的な合成音声がケースの開閉を怪我の忠告ともに発声し、ケースの扉が静かな音と共に閉じて、ロックのかかる音がする―――ん?

 

―――ロックの音?

 

「凛?」

「何よ。今操作に集中してるんだから、話しかけないで頂戴。下手に集中切らすとえらいことになるわよ……、ったく、綺礼のやつ、マニュアルに切り替えた上で説明書を処分するなんて、ほんっと、腹たつことしてくれるわね。えーっと……」

「ああ……それはありがたいのだが―――、凛、扉の鍵が閉まってしまったこれでは君が乗り込めない。一回解除の操作をしてから、続きを―――」

「ああ、良いのよ、それで。これ、オート設定解除されちゃったから、このコンソールで範囲と場所をマニュアル指定して、外部から操作実行を操作してやらないと動かないのよ」

「―――は?」

「マニュアルで動かすのを覚えるのも精一杯だったから、オート設定の仕方なんて覚えてないし、仕方ないでしょ。まったく綺礼も余計なことしてくれるわよねー」

 

軽々と告げられた言葉の意味を咀嚼するのには、多少の時間を必要とした。外からしか動かない? マニュアル操作の場合は外部から操作する人間が必要? ―――それはつまり。

 

「凛。ここを開けろ」

「うるさいわねー、あと少しなんだから、狭くてもちょっとは我慢しなさいよ」

 

努めて冷静に静かさを保った声で告げるが、彼女はなんて事もないようにパネルの操作を続けている。機械に取り付けられたキーボードを人差し指で一個ずつ操作する挙動は、いかにもいつもと変わらない彼女の様だった。切羽詰まった状況で、平然とそんな動作を見せつける彼女の態度に酷くイラついて、透明なケースの扉を強く叩きつける。

 

「凛! ふざけている場合か! この扉を開けろと言っている!」

 

―――your attention,please.please,do not rampage.

 

数度強く叩くと、警告の言葉が鳴り響く。冷静になれと警告してくる機械音声が、彼女を見捨てるのが正しい判断だと冷酷に告げているようで、余計に腹が立ってさらに力を込めてケースを叩きつけ続ける。

 

「凛! 凛! 開けろ! 凛!」

「やめなさい、アーチャー! ……転移装置が壊れるわ。そしたら貴方はおろか、貴方の横にいる彼らも帰れなくなる」

「――――――っ!」

 

気が狂ったかのように彼女の名を呼びケースを何度も叩きつけていると、彼女の冷静な指摘が耳朶を打ち、やけに脳裏に大きく響いた。振り上げた拳のおろしどころを求めて腕を彷徨わせていると、傍目に怯えている仲間たちの様子が冷や水となり、灼熱を保っていた頭から多少なりと興奮の熱を奪ってゆく。

 

外から凛がコンソールを不規則に叩く音だけが静かに聞こえてくる。慣れない手つきのこの音が止む頃には、もはや手遅れになるのだろうが、怒鳴りつけたところで彼女は決してこの扉を開けはしないはずだ。だから冷静に。対話に必要なのは、怒りでなく、冷静さだ。

 

「―――凛、わかった。……だから、まずは、この扉を、開けてくれ」

「えっと……あ、わかった。これで、場所の設定も完了っと」

「凛! 」

 

硬く心に決めた思いは一瞬で瓦解した。あっという間に再加熱を果たされた脳内は、彼女を多少強引な手段でも彼女を説得しろと伝えてくる。感情は発露の場を求めて両腕へと伝わり、そのまま左右の手をケースめがけて叩きつけさせた。大きく揺れるケースに、再び警告の電子声が繰り返される。

 

「君がそのつもりなら、こちらにも考えがある。固有結界を使用してでも、一旦君の―――」

「あ、これで実行の操作も終わりか。なんだ、案外呆気なかったわね」

 

カチリ、と音がして、ケースの中に魔力が充填する。あまりにも濃密な魔力の質と量は、思わず魔力酔いを起こしてしまうほどのものだった。魔力回路が自動的な反応し、体外に満ちるオドをマナに変換しようと試みて、失った魔力分の補填を開始している。

 

―――これではまともに魔術は使えない

 

使えるならば使いたいが、使った瞬間、自滅する。そうすれば暴走した魔術回路は、周りの彼らを傷つけ、最悪の場合、円柱型のケースの破損さえもあり得るだろう。なんとか首を動かして見渡すと他の四人は魔術回路という魔力に対しての耐性機構がない分、すでに気絶して床に伏し、あるいはケースの壁にもたれかかっていた。

 

周囲に満ちた濃密すぎる魔力量は物理干渉まで起こして、擬似回路のみならず通常の神経にまで作用を及ぼしたのだ。遅れて私の体からも力が抜けて行く。私はなんとか体をうごかして、ケースを叩く。しかしその力はもはや警告音がならないほどに弱々しく、ただ、ケースが軽く撓む音だけが虚しく内部に響き渡った。

 

「凛―――」

「どうよ、アーチャー。以前の時より、機械の扱いがずいぶん上手くなったと思わない? 」

「凛……! 」

「携帯電話だってまともに使えるようになったのよ。……、まぁ、体がボロボロになった士郎の世話をするのに機械の操作を覚えなきゃならなかったからさ。まったく、士郎ったらひどいのよ。自分が機械いじり得意だからって珍しく私の不得意な分野見つけていい気になるんだから。才能ない奴の気持ちを理解してくれないなんてこれだから特化型の天才タイプは……、って、それはある意味、私もおんなじか」

「凛!」

 

遺言じみた独白など聞きたくない。しかし、私の呼びかけなど御構い無しに他愛もないの言葉をつらつらと続ける彼女は、もはやこちらがなんと訴えかけようとこの扉を開けようとはしないだろう。ただそれでも諦めという言葉と仲良くはしようとは思わなかった。せめて名を呼び続ければ、この現実が覆ってくれることを祈って、ただひたすらに彼女の名を呼びかける。

 

「あ、でもいいこともあったのよ? 生まれた子供たちは二人とも優秀。スキルが使えるのはもちろん、魔術回路もきちんと引き継いでくれてた。上の子は私に似てそつなく優秀なのに、下の子はお父さん似の馬鹿で頑固な子でね。結局遠坂の家ごと、受け継いできた魔術刻印も上の子が継いだんだけど、下の子は士郎みたいに世界で困ってる人を助けるんだーって言って、どっかに飛び出していっちゃった。便りの一つでもよこせばいいのに、全くそんな無鉄砲で無神経なところまで親の性格を受け継がなくてもいいのに……、ってこれじゃいいことじゃなくて愚痴か」

 

―――Everything is prepared.Start the count.

 

アラームが鳴り響く。周囲の機械は不気味な稼働音を立てて動き、カウントを開始する直前だ。―――もう手遅れだ。彼女との別れは確定してしまった。絶望が心の中へと押し寄せる。神の存在を呪いたくなった。

 

―――こんな運命が用意されていると知っていたら、始めから別の道を選んでいた

 

そう思ってしまうのは今まで戦った仲間の彼らと、英霊の彼らと、目の前の彼女に対する冒涜だろう。ただ、それでも思ってしまうのは、私が人としての弱さを取り戻したゆえか。手に入れた希望を目の前で取り上げられる事がこれほどまでに辛い。ただ、ただ、胸が痛い。

 

「まぁ、もう何百、何千年も昔のことだからとっくに死んでるんだろうけど、それでもあの子たちはいい子に育ってくれたわ。強くていい子達だったから、きっと私たちの子孫はどこかで生きているはずよ」

 

―――Ten,nine、eight……

 

「凛……」

「噂によると、スキルの登場で居場所を追われた魔術師たちはロンドンじゃなくてアメリカの方へと集結したらしいから、もしかしたら、エトリアから東の……ああ、もう時間か」

 

―――three,two,one,……zero,has completed!

 

カウントが終わりを告げる。無邪気なくらい陽気な電子音声が残酷な運命の結実を告げていた。無力感が体を包み込み、精神を倦怠感が支配する。もう抗えない。彼女を救うことは叶わない。ただそれだけが、悔しかった。もはや一切の身動きを封じられた体は、別離に涙の一粒すら流すことを許可してくれない。

 

「アーチャー」

「……なんだ」

 

もう意識は朦朧だ。機械稼働の音が大きく響き煩いほど脳裏の中へと侵入してくる中、小さな彼女の声はやけに大きく響き渡った。

 

「正義の味方になろうとなるまいとあなたの勝手だけど、……幸せに生きてちょうだいね。最後の約束。私も守ったんだから、あなたも守りなさいな」

 

彼女の言葉は慕情というよりか、母性愛のようなものに満ちていた。戦争にて両親を失い、彼らのいた記憶をも丸ごと失い、養父に育て上げられた私にとっては無縁の感情だったが、その優しさの満ちた声色は、誰もが死にゆく戦場で、幾度となく聞いた事がある。

 

彼女は成長した女性の凛であり、私の知る少女の凛ではない。彼女は過去の記憶と変わらぬ凛ではなく、彼女は過去を抱えて少女から女性、そして妻から母親へと変化の道をたどった凛なのだ。姿形こそ聖杯の力により昔のままだが、年月の経過と環境は、彼女は「遠坂凛」から「衛宮凛」へと変化させていたのだ。

 

しかし同時に、私の知る凜の側面も持っている。優秀で、プライドが高く、才能が有り、そして、甘い。納得のいかないことは根に持つタイプで、受けたことは、恩だろうと、害だろうと、きちんと倍以上にして返さないと気が済まない。

 

おそらく成長し、愛した夫と共に子を育てた彼女は、私のことを過去のパートナーというより、夫や子供と同一視し、手のかかる家族と思うような心境となっていた。そして同時に、聖杯戦争において私から受けた恩があると感じており、それを返さないといけないとも思っていた。

 

その二つの思いが混じった結果がこれだ。彼女が自己犠牲を厭わなかったのは、過去に自らの家族であり、恩人を見殺しにしたと同等の咎を感じたがゆえの、献身と慈愛なのだ。

 

おそらくそれは、少女のころの彼女であるなら、心の贅肉として切り捨てていただろう甘さを、彼女は衛宮士郎という伴侶や、その子供たちと過ごすことで、彼女が変化した結果なのだろう。人は過去を抱え、変わり、成長する。長い英霊としての旅路の果て、そんな当たり前の事も忘れてしまっていた。

 

―――だからといって、今度は君が私の心に癒えぬ傷を残して逝くのか

 

もう少し上の世界で記憶を失った彼女と長く接し、彼女の変化に気づいていたのならば―――、あるいはこの結末を避ける事が出来たのかもしれない。押し寄せる後悔を必死に噛み砕いて、言葉を絞り出す。このような結末になってしまったが、せめて別れの挨拶くらいはまともに交わして終わりにしたい。

 

目も霞むところ、最後の力を振りしぼって、喉元と舌を動かす。必死の思いは最後に流暢な別れの言葉を出すことに協力してくれた。以前と同じようなシチュエーションでの別れは、しかし今回、まるで真逆の立場。

 

ああ、世界に取り残される人間というのは、こんなにもつらい思いを抱えるというのか。あの時私は、これほどまでの痛みを彼女の心の中に刻んでしまったというのか。

 

「―――了解した。大丈夫だよ、凛。ありがとう。―――そして、さよならだ」

「ええ、―――さよなら、アーチャー。―――私、また貴方と会えて、幸せだったわ」

 

―――haveagood life,good bye.

 

皮肉な機械音声が響く。無味乾燥な声に包まれて私はついに意識を失う。遠い昔に味わったことのある、地面に這う体が感じる石畳の冷たい感触が、私の冬木最後の記憶となった。

 

 

初めに光。次に熱。風、草と土の感覚と続いて、最後に匂いが、体の覚醒を促した。瞼に入り込む光を鬱陶しいと感じて手を用いて盾とするも、それでも遮断しきれない陽の光が両手の隙間より眼球に飛び込んで、私はゆっくりと瞼を開けた。

 

ぼやけた視界に映る緑。微かに口を動かすと口の中に違和感。口内を刺激する不快感に、砂利をその辺に吐き捨てると、両腕を支えにして上半身を起き上がらせる。地面を見ると、乾いた地面の一部分が濡れていた。頬を撫でると、湿っている。眠っている間に落涙していたようだ。

 

寝惚けた頭で立ち上がる。急激な運動により立ちくらみがした。たたらを踏んだ体が倒れないよう、足腰に喝を入れてその場に踏ん張る。歯をくいしばると、刺激が多少脳の活性化を促してくれた。

 

遠く山の稜線では太陽が姿を現しつつある。まだ半身だけながらも、光はたしかにあたりを照らしつつあった。山の端より広がる森林は、陽の光を浴びて山滴り、鬱蒼と茂った樹木の木下闇から伸びる夏草が、身を躍らせながら私の足元まで伸びてきている。

 

遠くに視線をやれば、エトリアの街が目に映る。それは見覚えのある光景だった。当然だ。だってそれは、私がこの世界に始めて足を踏み入れた時、目の前に広がった光景なのだから。

 

地上。かつての場所からはるか上空、多くの山々を追い越す高さとなった地上に、私は帰ってきたのだ。青嵐が程よい湿度の空気を攪拌して、草原を駆け抜けてゆく。風の刺激が決定的なものとなり、私を夢心地から現実世界へと引き戻した。余韻の覚めた頭がつい先ほど起こった現実の出来事を思い出してゆく。

 

―――凛

 

名を呼んだ途端、胸を突き刺す鋭い痛みが走った。どれほど肉体が傷つこうがそれに匹敵する痛みを得ることはできないだろう。なぜならそれは、もはや存在しなくなったモノを悼んだ際に生じる痛みだからだ。もはやこの世に存在しないものに想いを馳せた際に起こる痛み。あって当然ものがそこにないという痛み。幻肢痛

 

歯車の一つが欠けてしまった感覚。決定的な欠損。しかしそれは彼女が望んでの結末だった。たしかにあの時それ以外に、我々が助かる方法はなかったのだろう。彼女は強かった。強く、美しく、そして、どこまでも「凛」としていた。

 

あの時彼女が泣き言の一つでも言ってくれれば、迷わず地獄へ付き合っただろう。装置の前で迷い顔の一つでも見せてくれれば、彼女の考えを読み、彼女の役目を奪えたかもしれない。しかし、彼女はきっと、冬木の教会に我々が希望を見出した時には、死の未来を予想して、それを受け入れていた。

 

ああ、それで、セイバーは最後にあんな顔をしたのか。聖杯戦争終結後、凛と契約を交わし、地上に残った彼女だからこそ、セイバーには、凛がなにを考えているのか読むことができて、しかし、アーチャーでり、エミヤシロウでもある私の生存こそが凛の望みであると知っていたからこそ、彼女はなにも言わなかった。

 

あの時気づくべきだったのだ。だが、私は気づけなかった。そう、その時点で、きっと、私と彼女の時は決別の運命にあったのだ。あの時、そのことに気が付けなかった時点で、私が幸せな過去の代名詞たる彼女と共に歩むことのできる時間は終わっていたのだ。

 

過去を抱えても良いが、過去に足を引きずられるような事態に陥ってはならない。過去を受け入れ、抱え、そして、いつか乗り越える。そしてその記憶を持って、いつか彼女の元へと旅立とう。土産話を胸に、多くの楽しいことをして、あの時死の運命を選んだ彼女を、たくさん羨ましがらせてやろう。

 

きっとそれが、最期の時まで私のことを心配して最後に笑って逝った遠坂凛という女性に対して、私が出来る恩返しであり、彼女がその身をもってして私に示してくれた、人生を幸せに生きる方法なのだから。

 

 

エピローグ

 

 

街に戻ると、我々は入り口にて手緩い歓迎を受けた後、当然のごとく拘束された。以前と同じ様に白い部屋に閉じ込められた後、やってきたクーマに事の顛末を話すと、暫くの間同じ部屋に軟禁されたのち、事実確認が取れたと戻ってきて、我々は晴れて無罪放免となった。

 

すべての装備と道具を返却され、ギルドハウスに戻ってきた我々は、一旦その場での解散し、後ほど今後の方針について話し合うこととなった。

 

私はその足で、寝ぐらであるイン―――凛の宿屋へと戻った。

 

「ただいま」

 

すっかり習慣になった言葉が口からこぼれ落ちたが、主人を失ったばかりの家屋は、彼女の死を悼んで喪に服しているかのごとく静けさを保つばかりで、返事など返してくれなかった。

 

階段を登り、私の借りている部屋へと進む。扉を開けると、埃一つないよう綺麗に清掃された床と机、皺一つない白いシーツのベッドと、磨き上げられたガラス窓が借主を迎え入れてくれる。脇に配置された机の上には、ノリの効いたシャツとパンツが畳んで置かれていた。最後の最後まで、彼女は自らの役目を果たして逝ったのだ。

 

静かに扉を閉めて階下へと足を運び、風呂場へと向かう。途中、受付から勝手に二種類のタオルを拝借すると、脱衣所にて、風呂に水を張る手段を持たない事に気がつく。そういえば、いつもは彼女がスキルを用いて水貼りと湯沸かしを行ってくれていたのだった。

 

汗と垢を流すのを諦め、タオルをそのまま適当な場所へと置くと、食堂へ向かう。暖簾をくぐり、部屋へ足を踏み入れると、半分ほど飲みかけの紅茶が残るティーカップに加え、カバーを被ったティーポットが机の上に放置されていた。おそらく彼女の飲みかけだろう。カバーをとってポットの中身を確認すると、まだ半分以上も残っている。

 

埃の浮いたカップの紅茶を口に含むと、日を跨いですっかり味は落ち、匂いも飛んでいるが、それにしても渋みの少ない、程よい味わいのものであることが理解できた。

 

おそらくゴールデンルールに従って、キチンといれられたダージリン。雑味が少ないところから、茶葉の大きさはオレンジペコー。淡白な味わいはファーストフラッシュのものであるが故だろう。

 

はしたなくも故人の飲みかけを味わっていると、机の端に布がかぶせてあるトレイを見つけた。邪魔な布を取っ払うと、出てきたのは鍋と湯捨てと一客の見覚えあるティーカップと茶菓子。それが何を意味するのかを悟って、緩くなった涙腺は故人を偲んで一雫だけの水滴を床に落とした。

 

込み上げるものを噛み締めて、台所へ。いつもは整頓されているそこは、珍しく物に溢れていた。いくつものボウルや箱が水に満ちたタライの中に突っ込まれ、水面には油脂の汚れなどが浮いている。

 

冷蔵庫開けて見ると、中の氷はすっかり溶けていた。おそらく料理にすべて使ったが故だろう、中身が空っぽだったことが、唯一の救いか。少し寂寥感がわく。

 

目線を食器棚に移すと、一番奥に、風呂敷に包まれたモノを発見した。遠慮なく開くと、中は予想通り、以前見かけたあの重箱が収納されていた。見ていると、彼女と共に中の料理を取り分けたあの日を思い出す。再び胸を刺す痛み。

 

視界に収まっている限り続くだろう痛みを嫌って、元の通り重箱を風呂敷で包み込み、あるべき場所へと置く。そのまま台所から抜け出すと、食堂、廊下、受付を通り過ぎて、逃げる様にして街中へ。

 

街に出ると、朝方の残暑が嘘の様に、新涼が私を出迎える。暦を見ればおそらく、季節はもう立秋に至っているのだろう。爽やかな風が、彼女の残滓を払拭しきれず想いを溜め込み火照りつつあった体から、熱を奪って街中を通り抜けてゆく。

 

この涼しさならばもはや街の影を歩く必要もあるまい。そう判断して、表通りを堂々と歩く。軒先に店を構える食料品店に並ぶ品物は、どれも一度は味わったことのあるものばかりだった。毎日の食事を飽きない様にと彼女が気を配っていてくれたことがよくわかる。

 

住宅街と店の並びを過ぎて、坂道を登ると、すぐにベルダの広場へとたどり着く。エトリアで最も高い場所にあるという広場は、山の高い部分から吹き下ろしてくる寒風と涼風が合流して、行き交う人々を揶揄いながら、強く乱雑な暴風となり、広場の中央から空へと抜けてゆく。

 

風に誘われて空を見上げれば、白く重なった雲が小さな鱗の様に連なりあって鰯雲を作り上げていた。エトリアの上空から目線を広げれば、世界は突き抜ける様に青い空が、自由を誇るかの様に広がっている。

 

ついに赤死病の原因を討伐して平和になった街を一望すると、街のあちこちでそれを祝ってのイベントが催されている事に、今更気がついた。人々は賑わい、喜色満面の笑みで往来を行き交い、店に金を落としている。

 

噂が広まった頃には、もっと賑わうだろう。他国からの旅行者も増えるかもしれない。そうなれば、宿も旅行客で繁盛するだろう。さすれば、彼女の宿も―――

 

気がつくと視線を今しがた出て来たばかりの宿に送っている事に気がついて、目線を空へとそらした。何をしていても私の世界はあそこへと集約してしまう。結局は、あそこでの生活が私にとってこの世界の全てだったということか。

 

―――街を出よう

 

私の世界があまりに小さく、見上げた空があまりにも広大なものだから、思わずそんな決心をした。ここには彼女との思い出が多すぎる。この街にあの宿と彼女の残り香がある限り、私の世界は変わらず、過去の幻影と未練に囚われたままだと感じたのだ。そして狭量の人間のまま終わるのでは、いかにも彼女の思いに応えられない気がしたのだ。

 

そこで思う。旅立つと思い立ったはいいが、目的がない。正義の味方になるため、困っている人を求めて風来坊として辺りを転々とするも良いが、それではあまりにやることが漠然とし過ぎている。己を発奮させるためには、具体的な目標が必要だ。そう例えば、誰かの助けとなると言ったような何かが―――

 

―――喜ぶがいい、エミヤシロウ。世界は再び貴様のような正義の味方を必要とする時代が到来する事となる

 

―――きっと私たちの子孫はどこかで生きているはずよ。噂によると、スキルの登場で居場所を追われた魔術師たちはアメリカの方へと移動したらしいから、もしかしたら、エトリアから東の……

 

目的を定めようと過去の記憶を漁っていると、二人の遺言を思い出した。世界中に広まったかもしれない悪神の欠片。いるかもしれない凛の子孫。不確定であるばかりの情報であるが、赤死病を撲滅するという目的を達成し、未来の道しるべを見失ったばかりの私が、それでも生きていくための指針とするには、十分すぎるほどの存在感を保有していた。

 

―――結局は過去が道しるべとなるのか

 

拘束から解放され自由を得て、過去から持ち込まれたものを全て失っても、結局は過去のしがらみと決別することはできない。己というものは過去の積み重ねによって形作られるもの。この広大な世界でついに真実たった一人となり、支えとなる人を完全に失ってしまった私は、だからこそ過去にしがみつかねば生きていけなくなってしまったらしい。

 

―――まぁ、それも一つの生き方なのかもな

 

諦観ではなく、悟り。あるがままの自分を受け入れられる様になったというのも、また一つの成長の証と言えるのかもしれない。とても都合の良い自己解釈をすませると、身を翻して帰路を急ぐ。

 

この先、選んだ未来で何が待ち受けているかわからない。けれど、選んだ道を歩き、誇り、やり遂げて死んでゆく事ができるのなら。彼女の様に生きて、あのような満足そうな声で、最後の瞬間まで己の所業を誇り、笑って死を受け入れられるというのなら、嗚呼、たしかにそれは―――

 

―――なんて魅力的な生き様なのだろうか

 

 

赤死病という死病が撲滅して以来、世界と人々は少しばかり以前のような荒々しさを取り戻していた。日々小さな事での諍いが増え、数日前のことを持ち出して怒る人々も増えたという。不注意な事故で誰かが亡くなることも多くなった。

 

そんな多少荒れた世界において、人々の中においてまことしやかに語り継がれる存在があった。彼らは、人と人同士が争い、仲違いをする様な事態に陥ると、どこからともなくやってきて、話を聞き、問題を解決し、消えてゆく、風の様にやってきて、風と共に全ての問題を持って立ち去ってゆく集団だったという。

 

中でも風聞に名高かったのは、赤い外套を羽織り、浅黒い肌をした、見たこともないスキルを操る、白髪長身の男性だ。大抵の問題は、彼が目ざとく耳ざといからこそ、解決したのだという。

 

いつしか人々は、荒れた世界を凪ぐ存在として、彼らの事を「正義の味方」の代名詞として扱うようになったという。正義の味方となった男たちの行方は誰も知らない。けれど、彼らはいつまでもおとぎ話として語り継がれることとなるだろう。

 

 

「少年、なにを泣いているのかね?」

「っく、ひっく、―――だって、みんな、ぼくの、おとうさんとおかあさん、迷宮で死んだって、―――もう帰ってこないって、ひっく」

「ふむ、なるほど、―――力になれるかもしれん。事情を聞かせてもらえないだろうか?」

「―――助けてくれるの? おじさん」

「おじっ……、―――ああ、そうだとも。一緒に解決策を考えようじゃないか」

「―――どうして僕を助けてくれるの? 」

「それは―――」

 

とびきりの笑顔で私は言う。

 

「私が正義の味方だからだ!」

 

世界樹の迷宮 〜長い凪の終わりに〜

 

最終話 運命の夜を乗り越えて―――、正義の味方となった男

 

Fate root ending.

 

 

世界樹の迷宮 ~ 長い凪の終わりに ~ 第十七話 積み上げてきた過去の結実 A Fate root

第十七話 積み上げてきた過去の結実 (A:fate root)

 

必死でしがみついた果てには、必ず相応の結果が待っている。

例えその対象が過去であっても、そのルールは変わらない。

 

 

「響! 聖杯をこちらに! 」

「―――はい! 」

 

叫ぶと聖杯にたどり着いた彼女は、迷わずそれを私の方へと放り、剣を抜いて言峰の方を向いてその場に構えた。その一連の動作があまりに自然すぎて、一瞬思わず疑問を抱けなかったほどだ。

 

「響! 何を! 」

「時間を稼ぎます! その間に、なんとかしてください! 」

 

私が何をしようとしているのか予想もできていないだろうに、迷いなく言い切った言葉には信頼があった。こちらに向けられた小さな少女の背中は、いつか見た青い英霊の彼女のように絶対の覚悟が備わっている。

 

「―――っ!」

 

ならばその献身に最大の返礼で応えるためには、行動で示すしかないと思った。だから駆ける。殆ど動かない右腕を必死に聖杯へと伸ばす。放物線を描いて空中を進む銀の器は、暗闇の中最も明るく光を発していて、対象へと近づくほどにその姿が見えなくなる。

 

「邪魔をするな、小娘……! 」

「―――っあぁぁぁ! ……っぅあ!!」

「どけ! 」

 

目が潰れそうなほど眩い光の向こう側、すぐ近くで言峰と響が相対したのがわかる。けれど、どれだけ勇ましく、また、近接戦闘の才能があろうとも、長い年月を費やして積み上げられた技術と実力の差を埋めることは出来ず、彼女は一合を防がれたのち、一打の元に打ち払われ、響が地に倒れこんだのが打撲音からわかった。

 

―――早く……!

 

焦燥感が脳内の興奮物質を発生させて、時間の流れを遅く感じさせているのか、空中を進む聖杯との距離を詰めるも、私とそれが近づく速度は酷く遅く見えた。

 

「……まだ、行かせない……! 」

「―――よかろう、ならばまずは貴様から死ね」

 

打ち倒されても己の行動を阻害しようと試みる響のしつこさに、言峰はついに怒りの感情が分水嶺を超えたのか、それまでの感情が乗った声とは一転、冷酷さのみを孕んだ声を発すると、振りかぶった。その拳が振り下ろされた瞬間、彼女の命は尽きる事となるだろう。

 

だから。

 

「―――聖杯よ! 」

 

伸ばした手が光の向こう側の杯に触れた瞬間、残った指で必死に掴んで、思い切り叫んだ。

 

「我が願いを聞き届け、眼前の奴らを打ち払う力をよこせ!」

 

瞬間、手中に収まった銀の器は、私の指先から体に残る全ての熱を奪い去っていった。そして不足していた魂を補い、ようやく真なる完成に至った聖杯は、熱とともに受け入れた私の願いに呼応して世界を新たな法則で書き換えそうな光量で周囲を覆い尽くすと、その秘められた力を発揮した。

 

 

「―――よかろう、ならばまずは貴様から死ね」

 

地面から敵の顔を見上げると、殺意に満ちた瞳が向けられていて、そのさらに上では、拳が天に掲げられていた。あれはエミヤさんの胸を貫いた一撃だ。どうにかして防ごうにも、先ほど剣を弾かれた際の衝撃で両手は動かないし、なにより、胸を強打したことで全ての空気が肺の中から漏れてしまっていて、まともな回避の命令を体に出すことができないでいる。

 

―――でも

 

諦めない。負けるものか。命の危機に陥るピンチなんて、今までに何度もあった。その度に、私は、みんなに助けられてきた。自分の力で乗り越えたことだってある。だからめげない。一秒でも抗って生きる瞬間を伸ばせる可能性があるなら、その可能性にかけてやる。

 

動かない体に必死で命令を送りながら振り上げられた拳から目をそらさないで足掻いていると、彼は無表情の中に私の態度が心底気にくわないというような感情を張り付け見下ろしてきた。

 

―――ざまぁみろ……!

 

実力及ばない強敵に一矢報いた事が嬉しくて、精一杯の虚勢をはり、真っ直ぐ見つめ返してやると、言峰は私の目線を見てトドメを指す決心を固めたようで、その拳が思い切り振り下ろされた。

 

―――ああ、―――死んだか

 

それは今までとは違う、私の実力が上がった分、その攻撃を避けてやることは不可能と見切れたが故の、確信だった。確信の直後、全ての情報を拾い上げる器官が動くのをやめて、記憶と経験から生存方法を探ろうとして、走馬灯が脳裏を流れてゆく。映像は瞬時に両親が生きていた過去を通り過ぎると、仲間と共に迷宮へと挑んだ日々のものになる。

 

彼らと共に迷宮に初めて潜った日。死にそうになって帰ってきた初回。何もできなかった時の悔しさ。褒められた時の嬉しさ。必要とされた時の。役に立てると実感した時の、助けられた時の、気をかけてもらった時の、喜び。そして。

 

シンと過ごした日々。

 

不躾な願いを聞いてもらって、不器用なところを目撃して、馬鹿みたいな強さに憧れて、常識のないところに怒って、そして、知らぬうちに好いていたそんな彼を失った瞬間の痛み。命の危機に瀕して湧き出たそれらの思いの中にこの場を乗り切る為の手段はなかったけれど、最後の時、そんな好いた人の思い出を胸に抱いて死ねるなら、決して悪くないと思った。

 

そして迫る拳に強く死を意識した時、最後にシンの死んだ瞬間、後に聞こえた幻聴までもが頭の中で再現された。

 

『―――あの野郎の捨て駒にされたのは気にくわねぇが、必殺の看板をおろさずにすんだ事だけは、感謝してやる』

 

痛みに復活する感覚。生臭く、すえた匂い。眼前に迫る拳。そして。

 

「悪いが、今度もお前の邪魔をさせてもらうぜ、言峰! その心臓、貰い受ける!」

 

幻聴であった声がすぐ近くで聞こえて、確定していた私の死の運命は覆る。

 

 

「―――貴様、ランサー……! 何故ここに……!」

「へっ、その理由はお前が一番よく知っているだろうよ! 」

「奴の先ほどの叫び……そうか、聖杯か! 完成させた聖杯は、浄化機能の他に、願望器と召喚器としての機能をも発揮したのか! 」

 

青い装束に身を包み、しなやかの体から繰り出される神速の突きを、言峰は己の持てる技術と身体能力を駆使して回避する。向上した身体能力など、積み上げてきた戦闘技術などの、全ての持てる力を回避に注力しているが故に致命の一撃を食らう事はないが、それでも神話時代の英霊の一撃を回避しきる事は叶わず、カソックが裂かれて鮮血が舞う。

 

「よくもまぁ、俺を散々利用してくれたもんだなぁ、おい! 第五次の時からお前のせいで溜まりに溜まった鬱憤、ここで存分に晴らさせてもらうぜ! 」

「ふん……、貴様の都合になど付き合っていられるか」

「……ち、面倒なことしやがる」

 

やがて言峰は聖杯の光によって散らばり群がっていた魔のモノを己の周りに集結させて、己の身を守る盾として活用。人の胴体よりも一回りも二回りも大きな肉厚の触手の前には、神速と剛胆併せ持つランサーの一撃とて、貫通しきることなく中途にてその勢いが止まってしまう。

 

「そら、返せよ。贋作の贋作とはいえ、それでもてめぇにゃもったいねぇ代物だ。……くそ、数だけは立派に一丁前だな」

 

ランサーは貫かれた触手より槍を引き抜くと共に、湖底の戦場に立つ己めがけて集う暗黒の魔物どもを避けるためだろう、跳躍を行う。

 

「げ……、まじか」

 

そして着地地点と定めていたのだろう場所に、既に魔のモノが集結し始めているのを見つけて、間抜けな声を漏らすと、気怠げに槍を振るおうとして―――

 

「あら、情けない声を上げるわね」

 

やがて直上より落ちたランサーが魔のモノと接触するその寸前に、白く輝く光弾の群れが、暗闇もろとも魔物どもを貫き、あるいは着弾と同時に爆裂し、その場全てを吹き飛ばした。僅かな時が経過したのち、吹き荒れる風が晴れた後、ランサーは土煙にむせながら、煙の中より姿を表した。

 

「ぺっ、ぺっ、……おい、キャスター。今の、俺ごと吹き飛ばそうって魂胆だったろ!」

 

暗闇の先に文句を言うと、周囲の黒と近い色合いの紫のローブを纏った細身の女が現れる。頭上に向けた先端が円を描いている魔術杖を持った彼女は、荒々しく吠えるランサーの抗議を受けて、ローブの下に隠した顔から舌打ちを漏らすと、気怠そうに言った。

 

「あら、ちゃんと調整したわよ。ランサークラスの対魔力があれば余裕を持って弾ける程度にね。むしろ感謝してほしいくらいだわ。雑魚を始末する手間を省いてあげたのだから」

「……ちっ、女狐め」

「あら、犬ころに言われたくないわね」

「なんだと―――」

「なによ―――」

「やめろ、キャスター」

 

殺し合いの最中、悪態の付き合いから始まった男女の仲違いは、別の本気の殺し合いにまで発展しかけていた。毛色の違う殺意が一触即発の空気の中を作り上げる中、常人なら気絶しそうな空気をまるで無視して、妙に透明感のある静かな声が女を窘めた。

 

「今、私たちが聖杯によって記録より再現されたのは、魔のモノとアンリマユを打ち倒すため。ランサーとの内輪揉め行為は、的外れというものだ」

「―――はい、申し訳ありません、宗一郎様」

「謝罪の対象先が違う。頭を下げて謝るべきは私ではないだろう?」

 

キャスターは宗一郎に指摘されると、一瞬躊躇って見せたが、やがて渋々とランサーの方を振り向き、頭を下げた。

 

「―――私が悪かったわ。ごめんなさいね、ランサー」

「―――そういうわけだ、ランサー。そして連れ合いの失言は、私の失態でもある。後ほど正式に詫びを入れる故、ここは一先ず、鉾先を納めてくれないだろうか?」

 

まるで気持ちの入っていない棒読みなセリフが、ランサーの苛立ちを促進させる前に、宗一郎は頭を下げていた。キャスターは、己のマスターがランサーに対して頭を下げるという事態に、目を白黒させて怒りの感情を全身より噴出させたが、すぐさま自制して宗一郎の後ろに控えた。

 

元はと言えば、非はフレンドリーファイアを躊躇わなかった己にあるわけだし、問答したところで真面目を形にしたかのような男の前では何を言っても、さらに彼が頭を下げて謝るという逆効果にしかならないと判断したのだろう。

 

「……あー、わかったよ」

 

殺意を滾らせていたランサーは、真面目を形にした男の真摯な謝罪に、一旦はキャスターの無礼を赦そうという気になったようで、気怠そうに頭を掻きむしりながら、了承を返した。

 

「礼を知るあんたの顔に免じて、キャスターの件については、一旦、目をつぶっておく。―――おい、あんた、名前は?」

葛木宗一郎だ」

「そうか、じゃあ、葛木。―――お前、その女の旦那なら、きちんと手綱を握っとけよ」

「……承知した」

「―――〜〜〜!!」

 

旦那、というランサーの言葉に反応して満面の笑みを浮かべたキャスターは、手綱を握れという言葉をまるきり無視して喜んで見せると、その後、夫であることを当たり前のように肯定した葛木宗一郎の返答に、身をくねくねと悶えさせて恍惚の表情で、今が絶頂の気分にあることを周囲に知らしめていた。

 

「――――――」

 

ランサーのよそ見と葛木の謝罪、そしてキャスターのその隙を狙って、触手は地面よりキャスターに迫る。そして触手の太い胴より繰り出された一撃は、花枝のように細いキャスターの胴体を容易く引きちぎる一撃を放ち―――

 

「悪いがそれは通せんな」

 

ゆるりと空間を切り裂く三筋の光に身を細かく分断されて、ばらけた胴体が勢いをそのままに空中に散らばる。大半の質量を失い軽量化された魔物の体は、攻撃の威力をまるで失ってキャスターの体に降り注ぎ、せめてもの抵抗として、彼女が身にまとう紫色のローブの端を別の色にて汚してゆく。

 

「性悪の上、性格が捻じ曲がっているとはいえ、一応は婦人が伴侶との逢瀬を楽しんでいる場面に水を差すなど無粋にすぎる。もちろん、武人としても見過ごせんよなぁ」

 

周囲の警戒を怠るキャスターを魔の手から守護して見せたのは、紺色の雅な陣羽織に身を包む、涼やかな声の男だった。飄々と現れた彼が、片手に握る三尺ほどの長い刀身に僅かばかりひっついた血糊を飛ばすためだろう、刀を軽く中にて振ると、微かに地面の上を、雫が叩く音が鳴る。

 

「―――何をしていたのです、アサシン。私たちの守護は貴方に任せると言ってあったのに、なぜこれほど敵の接近を許したのですか?」

 

やがてその音にキャスターは気を取り戻した後、見渡して素早く状況を確認すると、己の体に魔物の血肉が僅かばかり付着している痕跡を見つけて、一気に機嫌を悪くして、アサシンを問いただす。

 

「おや、これは心外な。いや何、その男の隣に立つお主があまりに幸せそうだった故、邪魔しては悪いと思ってな。久方ぶりに場所の束縛もなかったことであるし、席を外して周囲の掃除に出払っていたのが、逆効果となってしまったようだ。許せよ、キャスター」

「―――減らず口を。ですが、一応は主人を思う気持ちを口にした事と、その嘘をしゃあしゃあと言ってのける度胸に免じて、一度は無礼と無様を許します。―――次はありませんよ」

「はいはい、寛大な処置に感謝いたしますとも、葛木夫人殿」

「―――ふんっ!」

 

アサシンの言葉に、わざとらしいくらい大きく不機嫌の返事を返すと、葛木の方へと近寄り、そしておずおずと手と肩を葛木に近づけると、彼は仏頂面の奥にてキャスターの意を汲んだらしく、抱き寄せる。

 

力強い抱擁に、キャスターの頭部を覆うローブがはらりと捲れて、美麗かつ上品な顔立ちが現れた。彼女は葛木の行動に一瞬驚いた顔をして見せたが、すぐさま先ほどまでのヒステリックが嘘のように、乙女の顔を曝け出して、隠そうともせずに幸せに浸っていた。

 

「よう、アサシン。おたくも大変だねぇ」

「ああ、ランサー。いや、これがなかなかどうして、悪くはないものだよ。我儘と気紛れは女を彩る化粧の一種だ。感情の躁鬱も、愛した男との逢瀬を他の輩に邪魔されたくない一心故と考えれば、それはそれで可愛げと趣があるものだ」

「わからねぇなぁ。女は組み敷いてこそだろう」

「ま、お主の気持ちもわからんでもないが、酒の肴に楽しむならこれもまた乙というものよ」

 

アサシンがカラカラと笑うと、ランサーはその酔狂っぷりに呆れた表情を浮かべ、ようやく完全に毒気を抜かれたのか、冷静な態度で周囲を見渡した。あたりにいた触手は全て消え失せていて、空白地帯となっている。

 

「ち、様子見ってわけか」

「まぁ、多少なりと戦の心得があり、兵法をかじっていれば、強敵相手に戦力を逐次投入しての消耗という下の下の策を行わないだろうよ」

 

緊張感のない空気の中は、一応、意味のあるものであったらしい。

 

「で、どうするつもりだ。あちらさんも、どうやら一息ついたようだが」

「そりゃ、一旦はあいつと合流する方がいいんだろうが……」

 

抜き身の獲物を構えた彼らは、多少静けさを取り戻した空気の中、先ほどまであたりを満たしていた剣呑な雰囲気とは、真反対の空気を生む二人を見る。

 

「キャスター、そろそろ彼らと合流を」

「もう少しだけ、このままでお願いします、宗一郎様」

 

珍しく葛木の言葉を遮るキャスターからは、胸焼けしそうなほど甘ったるい、その場にまるでふさわしくない、別種の空気が発散されていた。ランサーとアサシンはそれぞれ顔を見合わせると、野生的な苦笑いと皮肉混じりの涼やかな苦笑を交わして、彼らの様子を見守った。

 

どうやら、召喚者との合流は少し遅れることになりそうだ。

 

 

聖杯に願いを告げた途端、願望器から飛び出したサーヴァントと人間の群れが現れたのを前に、しかし私は、そんな奇跡よりも、願いを叶えて砕けた聖杯の中から最後に目の前へと現れた彼女に目を奪われて、一切の身動きが取れなくなっていた。

 

彼女は艶やかな黒髪を頭部にてリボンで二つに纏めて胸元の方へと垂らされている。さらりとした髪が張つく肌は瑞々しく十代の若々しさを保ち、クォータである彼女の日本人離れした端正な美貌をさらに輝かせるに一役買っていた。

 

そうして凛々しさの中に幼さ残した子供と大人の特性を両立する美しい顔から視線を下ろしてゆくと、襟元は女性らしく赤のリボンが行儀よく飾られている。それは同色の布を基調として身を包む彼女の凛然さを引き立てていた。

 

―――これは夢か?

 

否、決して見まがうはずがない。どれだけ時が経とうと、どれだけ世界が変わろうと、生前の私も、死後の私も、そして死後、蘇った私を、合計にして三度も、衛宮士郎/エミヤシロウという存在を救済して見せた彼女の姿を、他ならぬ当人である私が間違えるはずがない。

 

「あーあ、まったく、やんなるわね、あの腐れ外道。人の管理してた土地をこうもめちゃくちゃにしてくれちゃって。ほんっと、腹たつわ。……ま、とは言っても、冬木が私の管理下だったのなんて遥か昔だから、言う権利も消失してるかもしれないけど、こうまでされると、元管理人としては、やっぱり一言くらいは文句を言ってやらないと気が済まないわよね」

「―――凛……」

 

彼女らしい強気な言葉に、その存在が間違うことなく本人であることを確認すると、私は混乱のあまり、呆然と彼女の名を一言を呟くしかできずにいた。そうして気をやっている私を見た彼女は、ニンマリと、お淑やかな外見に似合わない凶暴な笑みを浮かべた。

 

「ええ、その通りよ。久しぶりね、アーチャー。まさか、こんな形で再開できるなんて思ってもいなかったわ」

「――――――」

「うわ、あんた、服、背中のところボロボロじゃない。半分以上露出するパンクな格好、貴方には似合わな―――くもないわね……。うん、いや、むしろ似合ってるかも……」

「――――――」

「あら? まだ腑抜けちゃってる? らしくないわねぇ。いつも余計な一言で他人を揶揄うあなたはどこへ行っちゃったのかしら?」

「―――なに、目の前に現れた顔が、あまりに淑女の嗜みと程遠いものだったのでね。まったく、写真に写る君は年相応の落ち着きとお淑やかさを身につけていたのに、まさか若返ってそれらを失ったお転婆の姿で現れるとは……、まったく予想外のことをやらかしてくれるよ、君は」

「―――あら、ようやくらしくなったじゃない」

 

いつものように互いに益体のない会話と苦笑いを交わし合うと、笑いが漏れた。可笑しくて仕方がない。気がついたら全身の傷は無くなっていて、失った肉体が擬似神経の魔術回路に至るまで元通りで、過去の時代の英霊が揃って召喚されていて、加えて、かつての時代の人間が若かりし頃の、あるいは生前の姿で呼び出されているのだ。一体どういう理論が働けば、このような奇跡が働くのか、まったく理解ができない。

 

「おかげさまでな、しかし何がどうなっているのだ?」

「それは……」

 

そんな思いが素直に漏れて出た。聞くと、彼女は私の足元を見つめる。つられて彼女の送る先に私も視線をやると、この現象を引き起こした願望器が粉々に砕けて、銀の砂が地面に散っていた。

 

「壊れちゃったか……。ま、そうなるわよね。なんせ、通常の枠を超えた数の再現をしたんだから」

「枠を超えた再現……?」

「ええ。第五次聖杯戦争において召喚された七騎に、私と、葛木。それで九人。全ての五次サーヴァントの他に人間二人。昔の姿で呼び出された理由は、おそらくは、サーヴァントとして参加したあなたにとって印象深く残った相手が、当時の印象のまま呼び出された形なんでしょうね。だから、私も昔の姿で再現された。ついでに言えば、他の人たちと違って、唯一わたしだけ肉体が存在しているのは、上にいる本人のものをそのまま利用されているからなんでしょうね」

 

彼女のいう意味を完全に理解することはできない。わかるのは、今目の前で起きている出来事が、私の使用した聖杯の引き起こした奇跡であるという事実だけ。ともかく、細かな理由や過程はどうあれ、こうして再びかつての姿である彼女と再開できるというのであれば、それだけで今までの苦労の釣りが来るくらい、喜ばしい出来事である。

 

「ん……、まて、今、全ての五次サーヴァントといったか?」

「ええ。あの怪物を倒すのに全戦力が投入されるのは当然でしょ? だから―――」

「ええ、ですから、もちろん私もいます」

 

凛の言葉を引き継いでしっかりとした意思が込められた力強い声を聞いて、月の光が明り取りの窓より差し込む蔵の光景を思い出した。鉄の足鎧で地面を踏みしめ、近寄ってくる彼地面をかつて地獄に落ちようと忘れないだろうと、風景と共に脳裏へ焼き付いた声。それは。

 

「セイバー……」

「その通り。久しぶりですね、アーチャー。……いえ、シロウの肉体をベースに召喚され、この世界の中で一人の人間として生きている貴方の場合、シロウ、と呼ぶ方が正しいのでしょうか? 」

「あ、ちょっち、まって、セイバー。それの呼び方はやめて頂戴。貴方にその呼ばれ方でアーチャーのこと呼ばれると、なんかすごく複雑な気分になるから」

「―――ええ、承知しました、リン。たしかにそれは、貴女とシロウ、それとアーチャーに対する気遣いと配慮も足りないものだった。申し訳ありません」

 

私は、旧友と久方ぶりにあったかのような会話を交わす彼女らの親交を深める態度に呆気を取られ、喜びを通り越して困惑していた。

 

「あ、またフリーズした。……、もう、しっかりしてよね。話の主役がそれじゃあ、らちが開けられないじゃない」

「リン。ご歓談の最中申し訳ありませんが、できれば話は全てが終わった後で。どうやら、周囲の掃討が一旦終わったようです。―――散っていた皆が戻ってきた」

 

セイバーの進言と共に、大小様々なバリエーションに富んだ、迫る複数の足音が聞こえた。

 

「よぉ、嬢ちゃん……、とアーチャー。すまねぇな。言峰を取り逃がしちまった」

「いいわ。あの性悪神父のことだから、一筋縄でいくとは思ってなかったもの。ありがとう、ランサー手間かけさせてごめんなさいね」

「なに、いいってことよ。美人の頼みを聞くのは男の甲斐性だ。それが歳食って相応以上に色気を醸し出すようになった良い女ならなおさらな」

「ランサー。お主、先ほどと言っていることが違わないか?」

「あぁん? アサシン、馬っ鹿、お前、性悪でヒステリックな女と、口がキツイだけで思い遣りのある良い女の価値を等価にしちゃいけねぇよ」

「―――そう、ランサー。そんなに早死にしたかったのね?」

 

集まってくる彼らが生み出す空気は、この場所が死地であることを忘れるくらい、賑やかで日常の雰囲気があった。戦場において明るく振る舞う彼らは、まさしく英雄と呼ぶに相応しい豪胆な性格をしていると言えるだろう。

 

「……エミヤさん?」

「……響か」

 

英雄達が歓談と乱痴気に興じる中、おずおずと聞こえてきた声に振り向くと、いつもの三人の姿を見つけて、少しばかりほっとした。どうやらいつのまにか、全身を覆う鎧に槍盾を持つ男に、未来じみた巨大な機械籠手を身につける男。そして、エプロンドレスに刀を背負うという如何にも妙ちくりんな格好の彼らは、私にとって日常の風景となっていたようだ。

 

「アーチャー」

「……! ―――ライダー……、とバーサーカーもか」

 

異常に満ちた非日常も、やがては慣れて平凡へと移り変わる。そんな当たり前のことを今更ながらに実感していると、背後より聞こえてきた後ろ驚いた。

 

顔面を半分ほども覆って目を隠すバイザーで顔を覆い、紫色の露出度の高いボンデージに身を包んだ長身妖艶な美女が、地面にまで届く長い髪を垂らしながらこちらへと近寄ってくる。彼女の細い片腕に胴体を抱えられた男は、大事そうに楽器を抱えながら気絶していた。

 

傍には、長身な彼女よりもさらに二回り以上も大きな巨漢で筋肉質な大男が、無言にて付き添っていた。握る巨大な石斧は大きく、人の体ほどもあり、その剣の無骨な刀身には黒い液体が滴っていた。

 

「祭壇に倒れていた貴方の仲間と思わしき人間を回収してきました」

「……ああ、ありがとう」

「いえ。ついででしたので」

 

ライダーはぶっきらぼうに告げると、抱えていた男を地面に下ろし、これ以上話すのも面倒とばかりに身を引く。バーサーカーは何も言わずにその後に続いた。私は横たえられたピエールの首に手を添えると、きちんと生きていることを確認して安心し、頬を軽く叩いて彼の意識の覚醒を促す。

 

「―――ぅん……、ぁ、あ……」

「ピエール! よかった! 無事だったのか」

 

呻き声を上げながらもピエールが目を覚ましたのを見て、サガが喜びを露わにしながら彼に飛びつき、両手で抱きしめた。ピエールはサガの抱擁をされるがまま受け止めていたが、やがてサガの背中をタップしてそれをやめさせると、周囲を見渡した。

 

「……見覚えのない方が大勢いらっしゃいますが、どちらさまで? 」

 

問いに答えられるものは、ダリ、サガ、響の三人の中にはいなかった。だが彼らの正体を知る者の検討はついていたようで三人は揃ってこちらを向くと、期待に満ちた目が私に集う。

 

「―――信じ難いかもしれないが、彼らは、過去の時代の英霊たちだ。はるか昔、私の生きていた時代において、偉業を成し遂げて神話や伝承に名を馳せた存在」

 

私の返答に、揃って彼らは首を傾げた。

 

「はぁ……、ええと、それで、なぜそんな彼らが此処に?」

「それは―――、むっ」

「なんだぁ」

地震……?」

 

問答は地面の揺れによって中断させられた。大地の振動は体を目に見えて揺するほど大きく、洞穴の天井からはパラパラと砂埃が落下する。このままでは遠くない未来、洞穴は完全に崩落するだろう。

 

「―――細かい部分は、地上に戻ったのち説明するとしよう。とりあえず、彼らは敵でなく味方だ」

「―――ええ、了解です」

「―――凛。奴が何処に行ったかわかるか?」

「ごめん。わからないわ。でも、見当はつく」

「ほう」

「ここは大空洞。かつて冬木の土地において最大の霊地であった場所よ。つまり、この下の地面には、大きな霊脈が流れている。そして、魔のモノは霊脈にひっつく存在。即ち―――」

 

凛が言葉を言い切る前に、再び地面が大きく揺れた。振動はやがて大地にヒビを生じさせ、生まれた亀裂から大地は瓦解し、崩落していく。岩塊が地底湖のさらに下へと落下していく中、やがて湖のあった場所はすべて底抜けて、地の底より現れた赤い光が天井にまで広がって、暗闇を照らした。

 

「―――下よ。くるわ!」

 

凛の忠告と同時に、崩落した湖底より影が伸びた。影は人の体が塵に見えてしまうほどの巨大さで、同時に、頭足類の足の様に吸盤を持ったものだった。高層ビルほどもある触手は、空中に長く、天井へと至るまで伸び上がると、やがてゆっくりとその伸縮する体を湖の際の大地にゆっくりと置いてゆく。

 

「―――地面が……」

 

巨大な触手と接触した部分は、焼成の音を立てて汚され爛れてゆく。元は茶色の地面が、奴に触れた途端、その存在ごと汚染されたかの様に、赤と入り混じった色合いになる。

 

地面は変わらず振動し、地底湖だった場所は崩落を続けている。湖底からは変わらず巨大な触手が伸びてきては、湖面跡の際に触手を置いて地面を掴み、その端の部分を侵食する。やがてその振動が収まり、繰り返される行為が収まり、触手の繋がっている先の本体の全容まで明らかになった頃、現れたものを見て、サガは呆然と呟いた。

 

「おい、どんだけでかいんだよ……」

 

やがて姿を現したそれは、全長にして十キロメートルはあろうかという巨大な化け物だった。黒く染まった全身を構成する多量の触手に、規則正しく配列されている吸盤と思われた部分は、よく見ると全てが目玉であった。やがてその触手が絡まりできた胴体を辿って彼方奥まで視線を移動させると、一部分だけが周囲の触手とは違う色合いと形状をしていることがわかる。

 

「―――あれは……」

 

その姿を見たとき、ようやく私は奴に見覚えがあることを思い出した。マグマの色に赤く染まる部屋の一区画、瓦解した部分に取り付き占有する、巨大な人の脳の形をした部位の中心に、巨大な目玉がはめ込まれたその姿。目玉の周りには口を形作るかの様に牙が生え、その下半分の部分には目玉が等間隔にて配備されている。

 

「そうか、貴様が夢の―――」

「ああ、そうだ。貴様が精神の裡に宿していたものは、魔のモノという負の感情を食らう生き物にとって、今や味わうことの出来なくなった極上の供物であったからな―――そして、これこそ、魔のモノの本体。遠き過去、宇宙より飛来した、負の感情を食らう生命体。そして世界樹により昏き海の淵に封ぜられてしまった禍ツ神。―――しかし今、その神は、残念なことに、アンリマユの力に耐えきれず、意識をそちらに飲み込まれてしまった」

 

脳の中央に配されたまなこがカッと開く。すると、かつて我が心の裡にて見た際は黄色かった単眼は、その色をどす黒く染め上げられていた。そして黒い瞳の周辺からアンリマユの暗黒色が広がると、すぐさま魔のモノの体を侵食し、全体を黒く染め上げる。

 

やがて全身がアンリマユで染まった魔のモノは、身体中の目を見開かせて、その全ての視線をこちらへと向けてきた。巨大な目玉から集中する視線の量は、地上、エトリアにて浴びせられたものに匹敵する程度だったが、その中に含まれる負の感情の成分は桁違いだった。

 

身体中の毛をぞくりと逆撫でるような感覚を覚えた瞬間、もはやアンリマユとなった魔のモノの瞳は上下の瞼が狭められ、じっくりとこちらを凝視したかと思うと、次の瞬間にはその瞳がついた巨大な触手をこれでもかというほど震えさせて、大地を大きく揺らした。

 

「―――これは……、何を……!?」

「まあいい。盛者必衰が世の常ならば、非情無情もまた、世の理―――それより、アンリマユは誕生したばかりでとても腹が減っている―――故にどうやら、目の前にいる豊富な魔力を持つ貴様らを食料として認識したようだな」

 

言峰が言うと共に、奴の巨体の地下にあるマグマが吹き上げられ、触手が動くたびに局所では吹雪が巻き起こされ、そして触手の先からは雷が落とされる。巨大な触手からは小さな触手と先の冬木の土地で見た黒き獣が生え、奴が体を揺らすごとに、ドドメ色の瘴気が辺りに撒き散らされる。

 

奴が戦闘の意思を露わにした瞬間、我々は身構えた。サーヴァント七騎と、六人の人間が揃って巨体を前に怯まない。言峰はそんな我らを見てつまらなそうに視線を後ろの魔のモノへと向けなおすと、こちらに背面を見せたまま慈愛に満ちた声で言い放つ。

 

「さぁ、食事の時間だ、アンリマユ。有象無象悉く、貴様の腹の中に収めるがいい。」

 

言葉と同時に迫る、過去の世界から連綿と受け継がれ残されていたかつて人類が保有していたこの世の全ての悪は、異星よりやってきた侵略者の体を乗っ取ったモノ。広がる絶望に立ち向かうは、悪意詰まった魔力の中より飛び出した英雄達。

 

そして最終決戦の幕は、ここに切って落とされた。

 

 

広い大空洞の空間では通常とは異なる性質を保有した嵐が全ての場所を占拠しようとしていた。暗闇の中をマグマと雷が舞い、それ以外の空間を埋めるようにして巨大な氷の礫まじる吹雪が吹き荒れ、それでもなお余る空間部分を、触手と獣が埋めている。

 

暗黒の空間は、いまやアンリマユに体を乗っ取られた魔のモノの体内そのものと言っても相違ない有様だった。大空洞を明るく照らすのは、大地の底に存在するマグマのみ。かつて人が住まい麓に沿って街が発展を遂げた穏やかな山の内側は、魔のモノや言峰の長年の霊脈改造により、死地へと化していた。

 

今や死地の同義となったその場所に置いて、しかし、アンリマユが空間を満たそうとするのを邪魔する者達がいる。

 

「―――、――――――、―――!! 」

 

それはサーヴァントと呼ばれる過去の時代の七騎の英霊達と、四人の人間と二人の亡霊からなる、十三人の集団だった。

 

その中で最も目立つのは、二メートルをはるかに越す巨大な石の斧剣を振り回す男の存在だろう。常人では持つことは愚か、その剣を支えることすら不可能な剣を軽々と振り回す男は、そんな剣よりもさらに大きな体を持っている。

 

「―――!! 」

 

比喩でなく丸太より太い腕が一度剣を振るう度、敵のが塵芥となって飛んで行く。薙げば巻き起こす一撃は敵に満たされた空間の一部を削り取り。振り下ろせば、眼下にいる敵全てを叩き潰し、余波にて大地が悲鳴をあげ、地面ごと陥没し大穴が開く。

 

まさに人間重機とでも言おうか、目の前に移る全てを破壊して、破壊して、破壊しつくして押し進むバーサーカーという巨漢の男の戦い方は、腰に獣の皮を纏っただけのワイルドな外見に似合った、災害のごとき暴走の様をみせていた。

 

「――――――!」

 

しかしそんな暴力と死の具現を前にしても、もはやアンリマユと化した獣と触手は一切怯む様子を見せない。獣は黒の中に、爛々と赤の目を輝かせてバーサーカーへと襲いかかり、触手はその後に続く。

 

黒く染まった命を、空間ごと抉り取るバーサーカーが残した破壊の痕跡は、すぐさま彼らによって穴埋めが行われ、切り開いたはずの道は閉ざされる。獣たちにとって、体を吹き飛ばされることは死ではないのだ。

 

一が全、全が一であり、アンリマユという悪意によって共通する意思を以って生まれた彼らにとって、個というものは存在せず、その全てが己であるのだ。故に、バーサーカーの攻撃により一や十、百や千の数の味方が吹き飛ぼうと、構わない。

 

体は霊脈と繋がった魔のモノが無限に調達し、精神というものは常にアンリマユによってバックアップされる奴らにとって、個の死は決して死という絶対的な恐怖の対象でない。そう、群体で、無限の再生を、無限に匹敵するほど行える奴らにとって、この戦いは包囲殲滅戦であり、持久戦。

 

否、己の腹の中にいる敵が、その体の内に秘めたエネルギーを切らし、いつか我らの殺到と奔流に耐えきれなく時を待つだけの、戦ですらない、単なる命を借り終えるまでの待機時間に過ぎないのだろう。

 

「いいねぇ、どいつもこいつも直線的で純粋な殺意に満ち溢れていやがる」

 

そうして恐れることなく破壊の化身に突っ込む彼らが性懲りもなく復活と再生を繰り返すのを見て、ランサーという男は口角を上げて獰猛な笑みを露わにした。

 

「そういうわかりやすく己の勝利を確信して見下し、素直に侮りを表現する態度は嫌いじぁない。少なくともあのクソ神父やアーチャーみたいな捻くれた男どもを相手にするよりかは百万倍マシだ。―――引いても臆しても死ぬようなこの環境。まさに最悪といっていいくらい、状況は明らかに不利だが、けれども、体の状態は制約が一切なく、万全、と。いや、こんな都合のいい限定的な逆境の戦場、そう体験できるもんじゃあねぇ。だから―――」

「――――――!! 」

「ハナっから全力全開! エンジンフルスロットルで行かせてもらうぜ! 」 

 

バーサーカーの破壊跡地に勢いよく赤い槍を片手に掲げたランサーが飛び込んで行く。

 

青い独特な戦闘装束を着込んだ男は闇の中、手前に踏み込み、赤い槍を突き入れ、そして引く。突き、敵を居抜き、絶命を確認したのち、引く。突き、引く。時たま、敵が数を利としてやらんとその鍛え上げられた躯へ群がろうとする際、それらの敵を払う動作が加わる事もあるが、基本的にランサーが行うのはただそれだけの二つの動作の積み重ねである。

 

文字としてみればとてもシンプルなたった二工程の作業は、しかし、神速を以ってして行われることで、槍の刺突は黒のキャンバスを槍の軌跡で一瞬だけ煌めかせ、緋色に塗り替える。

男はたったそれだけの動作で、周囲三百六十度すべてが敵という絶望の暗黒空間の中において、一人、己の生存を確保していた。

 

実体がある穂先が霞となり、再び見える時も置かず、また消える。たった一本の槍で己の体に緩急を持ってして驟雨のごとく、一秒の間に都合十以上も押し寄せる敵をことごとく討ち払い、己が間合いに侵入しようとした敵を貫いて血の雨を降らせる光景は、人類史の中を紐解いても可能とするものは三指に数えるほどだろう。つまりは眼前の光景は、ほとんど再現など不可能な、神話という御伽噺に語られて当然の、信じがたい奇跡の光景だった。

 

「ランサーのいうこともわからんではない―――が、無限に匹敵する畜生の群れを、ただただ切り払うだけの作業、不毛すぎてやはり興が乗らんな。水田や村に霞のごとく飛来した昆虫の群れを追い払っているかのような気分だ」

 

そしてランサーより少し離れた場所では、端正な着物を身に纏った風雅な男が、一般人より高い身長の彼自身よりも長い刀を振るって獣どもを切り払っていた。

 

「望むなら彼のような気持ちのいい益荒男と獲物と技術を存分に競わせたかったが―――ま、アサシンではなくセイバー、否、佐々木小次郎として全力で剣を振るうことのできる機会などこれ以降望める機会もあるまいし―――、精々存分に力を振るうとしよう」

 

言葉とともに剣が夜の闇に滑る。光を発した「物干し竿」は虚空に極端な湾曲の軌跡を描くと、次の瞬間、敵対した獣や触手は刀の通過した部分より体が綺麗にずれ落ちて、やがて臓物血肉が地面へとぶちまけられる。

 

バーサーカーという巨漢の戦い方が地形全てを巻き込む剛なる竜巻、ランサーのそれを狙いすましたかのように対象のみを襲う暴風と例えるなら、アサシン、佐々木小次郎の戦い方は、たなびく美しき死神の吐息だ。彼は必要最小限の力を持ってして、敵を切り裂いている。

 

敵という存在が彼の剣の存在に気がつくのは、地を駆けて、跳躍し、宙を進む彼らが、男ながらに優美かつ妖艶な雰囲気を持ったアサシンとすれ違い、空間に描かれる優雅な曲線光が彼らの体を透過したのち、体が幾重にも腑分けされて、命が刈り取られた後にのみだ。

 

日本の伝承において佐々木小次郎という経歴を紐解くと、確かにアサシン/暗殺者というよりはセイバー/剣士の職に当てはめるのが妥当だろうが、彼のその死神の鎌を思わせるような怜悧な剣の冴えを見ると、いや、アサシンこそが彼にとって正しく適職であると言えるのかもしれない。

 

「全く、数を減らしたところでたいした意味もないというのに、野蛮な男どもときたら……。素直に相手の思う通り、挑発に乗ってやるところなんて、ほんっと、馬鹿みたい。まったく、単純な性格で羨ましいこと……宗一郎様の謙虚さと落ち着きを見習ってほしいものだわ」

 

口ではなんと言いつつも、敵愾心旺盛な敵溢れる戦場に呼応して、内心血の滾りが湧いていることを抑えきれず意気揚々として戦場に向かう男たちを見て、キャスターは呆れた口ぶりで文句を漏らした。

 

男三人がそれぞれの性質にあった風となる中、悪意をまとった獣と魔物が暴れ狂う妖乱暴風が嘘のように、魔術師というクラスを与えられた彼女から半径数十メートルの空間は静けさを保っている。

 

静寂と騒乱。その彼我の境界線となっている場所に目を向けてやれば、なにか薄布一枚のようなものが領域を区別していることに気がつけるだろう。

 

「まぁ、ここに残った貴方たちは、あの脳筋馬鹿三人組とは違って、戦略と戦術を練る知能があるということで満足すべきかしらね。人払いと防護と静音を組み合わせた私の結界がある限り少なくとも作戦と対策を話し合って共有する時間も取れるわけだし……、―――あら、そう考えると、直線的なのや、手綱握りづらい馬鹿がいなくなって大助かり、ということになるかしら」

 

キャスターが神世の魔術師としての真髄を遺憾無く発揮し、速攻かつ簡易的に張った結界は、それでもかつての私の生きていた時代に存在していた魔術師としてとは比較の対象にするですらおこがましいような出来のもので、悪意ある獣の侵入を一時の間だけ完全に塞ぐ神殿と化していた。

 

もちろん周りが無限の物量を誇るような敵の数であるのでその内放置すれば打ち破られるかもしれないが、それでも一夜城は彼女のいう通り、多少の時間の確保を実現してくれるはずだ。

 

「キャスター。どのような理由であれ、戦士が戦さ場において昂ぶるのは当然です。また、言峰という男の掌の上で転がされ、獣へとこの身をやつし、いいように使われて溜まっていた鬱憤というものは、私にもある。―――それに、一人で勝手に盛り上がり先走るのは、男のサガというものでしょう。仕方ありません」

「セイバー。貴方のその、まだ発達途上の体である貴女に男の性質について語られると、なんだかとても犯罪チックな気分になるのですが……」

「な、ライダー! 私を侮辱するのか! 」

「あ、いえ、決してそんなつもりは……。ただ私は、少女然とした貴女に言われると……」

「私は王だ! 女という性別は王として国に尽くすと決めた時から捨てている! それに私だって好き勝手でこのような姿をしているのではない! 成長すれば私だって……! 」

「ああ、もう、興奮して前後の文脈が矛盾してて支離滅裂だけど、怒った顔もお人形さんみたいで可愛いわねぇ……」

 

周囲の嵐など気にもせず、隔絶した空間で女三人は姦しく騒いでいる。その様子を傍目に呆れながら見つめつつも、私はいつもの仲間の四人に凛を加えて、話を進めることとした。

 

「それで、どうすれば良いのかね?」

 

凛に問いかけると、彼女は口角を上げて意地悪い笑みを浮かべながら、言った。

 

「あら、気付いてたの?」

「勿論。わたしが聖杯に願ったのは、「奴らを打ち払う」事。ならば、その聖杯によって召喚された君たちが、あれらの対処方法を知らぬわけがあるまい」

「ま、もっともね」

 

彼女はそしてカラカラと、しかし楚々に笑う。その快活さはかつて聖杯戦争の最中において平穏な日常を謳歌する彼女が見せたものと変わらないものであり、しかし、お淑やかさを含むそれは、年月の経過というものを否が応でも感じさせるものだった。

 

「そうね……、あのデカブツ。つまり魔のモノは、アンリマユという存在に乗っ取られたところで、言ってしまえば冬虫夏草とかの寄生虫みたいなものよ。もちろん規模は桁違いだけどね。―――世界樹の一撃により霊脈という大動脈と一体化してしまっている奴は、静脈瘻とか動脈瘤みたいなもの例えるのが正しいかも。……ま、いずれにせよ、奴のあの巨体を用いて、霊脈と接して人々に己の体を飛ばして、負の感情を吸収しているってわけ」

「それは言峰から聞いた。私が知りたいのは、あれらの処分方法だ」

「せっかちねぇ……まぁいいわ。―――結論から言っちゃうと、あの魔のモノという存在に気づいた私たちは、その討伐の方法を模索して見つけた。魔のモノは言うなれば、寄生虫であり、霊脈の表面と癒着した腫瘍なのよ。なら、いたってシンプルにそれを引っぺがして殲滅してやればいい」

「なるほど……」

「けど私たちの時代じゃ、霊脈の表面に引っ付いた巨大な魔のモノを全部余すことなく剥がして、隔離して、その上で殲滅するって手段がなかったから、その手段は取れなかったんだけどね。過激派の意見として、当時魔術科学の融合により生まれた戦略破壊兵器「グングニル」で世界樹も霊脈も、魔のモノもろとも吹き飛ばせなんて案も出たんだけれど、霊脈ごと吹き飛ばしちゃうと世界中にどんな影響出るかわからないって事で見送られたし―――ま、結局、私たち旧人類は人類の足跡を残すために魔のモノと世界樹との共存を選び、緩やかに滅びを受け入れて、後の新世代に繁栄のバトンを引き渡すことを決めたわけだけれど……」

 

言葉を一旦切った凛は、ダリやサガ、響やピエールの顔を見渡すと、脳裏にいかなる感情が生まれたのか、柔らかな苦笑を浮かべた。やがて凛は、己らへと向けられる優しい目つきを見つめ返していた彼らから視線を外すと、再び顔の向ける先を私へと戻して続ける。

 

「とにかく、剥離と、隔離と、殲滅。それであいつはなんとかなるはずだわ。―――魔のモノは霊脈とほとんどくっついているような状態だから、本来なら剥離と隔離は非常に難しい問題だけれど、アーチャー、あんたの宝具、つまり固有結界なら―――」

「―――確かに、結界発動時、範囲内に奴の本体があるのであれば、奴の巨体ごと、まとめて引きずりこむことが可能だ」

「そう言うこと。そしてあれほどの巨体とはいえ、打ち滅ぼすだけなら―――」

 

凛はそこで再び言葉を切って、今度はその場にいる英雄たちを見渡した。アーサー王クーフーリンメデューサ、メディア、佐々木小次郎ヘラクレス、そして、私、エミヤ。

 

「これだけの戦力があるんだもの。十分可能でしょうよ」

 

彼女の言葉には、自信がたっぷりと含まれており、確信があった。

 

「当然です。一度は場所の不利に押し切られ不覚をとりましたが、二度目はない」

「潤沢な魔力が確保できるなら、デカいだけの輩を消し去るのくらい、なんてことないわ」

「気乗りはしませんが……」

 

そして英雄たちはそれに肯定の意を返す。戦場にいてこの場にいない男どもとて、ここに居合わせたのならその意見に肯定して見せただろう。―――ああ、いや、強さが対人戦に特化しているアサシンは口渋ったかもしれないが、ともあれ頼もしいことは確かだ。

 

そして私も彼女の意見と、彼らの意見に同意だ。私の真なる宝具「無限の剣製」は、数限りなく宝具の複製を行えると言う性質上、戦闘技術を極めた達人との一対一の対戦には不向きであるが、実力遥か劣る多数の敵を相手とするいわば殲滅戦に向いている。綺羅星のごとき彼らのもつ経歴に比べればはるか見劣りする程度の経験しか持たぬ私であるが、こと此度の戦いにおいては、彼らに勝るとも劣らない戦いぶりを発揮することが出来るだろう。

 

 

「―――じゃあ、アーチャー。さっそくだけど、セイバーの剣、投影してもらえるかしら?」

「……は?」

 

かつて名高き英霊たちと肩を並べて叩く機会を得て、また、そんな彼らよりもこの度私の力が役立つという事実に、柄にもなく自惚れていると、彼女の口から飛び出した言葉に驚き、突如として横っ面を殴られた気分になった。不意打ちにもほどがある。私の魔術の特性は、彼女だって知っているはずだからだ。

 

「凛。過去の私の伴侶であった君ならばよく知っていると思うが、私の投影魔術は万能でない。確かに剣の投影は我が魔術の得意とするところであるが、投影が可能であるのは、人の手で作り上げられた物のみ。神や星によって鋳造された聖剣を複製するというのはとても……」

「アーチャー、それはおかしい。あなたはあの教会で、自滅覚悟であれば、私の聖剣も投影できるはずと述べたはずだ」

 

暗に、自滅覚悟で聖剣を投影しろ、というセイバーの言に苦笑しつつも、私は言葉を返す。

 

「それは……、言ったかもしれんが、あくまで真に迫ることが出来るというだけのもの。どうあがこうが、本物には及ばない。何より、英霊として召喚された本人である君がここにいて、君がその剣を持っているのだ。私がわざわざその模造品を投影する必要はあるまい」

「いえ、それは違うのです、アーチャー」

 

セイバーは少し物憂げな表情で、しかし、私の言ったことを否定した。

 

「何が違うというのかね?」

「凛も言っていた通り、私たちは基本的に再現なのです。土地に残っていた聖杯が収集していた記憶より再現された存在。聖杯戦争に呼ばれた英霊たちがその側面の一部を取り出して元の人格を再現した複製であったとするなら、私たちはそのコピーから言峰の作り上げた聖杯によってさらに複製された存在。コピーのコピーです。聖杯を作り上げた言峰綺礼という男が心霊医療の術を収めていたためか、私たちの体こそはサーヴァントであったころと遜色ない構造を持つことができていますが、その武器に至っては……」

 

いうとセイバーは己の聖剣「エクスカリバー」を虚空より己の手中に取り出して見せてくる。風王結界を解かれ、鞘を失っている剣は、その光り輝く刀身が惜しげもなく晒されているが、なるほど―――

 

「これは酷い」

「ええ。これには魂がこもっていない。ガワだけを真似て作られた贋作のそれです。これにはオリジナルに対する敬意も、近づけようと理解を試みた形跡も見受けられない。模倣品ですらない、贋作にはるか劣る、単なるデッドコピーだ」

 

彼女はいうと、己の聖剣に似た剣を投げ捨てた。その斬れ味だけは再現できていたらしく、剣は地面に深々と突き刺さる。その様は、まるで己の痴態を恥じらって姿を隠そうとしているように見えなくもない。

 

「ですから貴方の力が必要なのです。かつて貴方の世界にあった剣は、貴方は贋作と言って断言していたけれど、そのどれもが胸を打つ輝きを放っていた。どの剣も、製造者のそうあれかしと鋳造されたと理念を宿し、誇り秘めていた」

「過分に賞賛の言葉を頂いたところで申し訳ないのだが、しかし私にはやはり出来ない。いや、確かに真に迫った投影品は出来るかもしれないが、おそらく生み出したところで、無茶の代償に生み出したもの神造兵装は、おそらく数秒も世に残らない―――」

「いえ、問題なく出来るし、残るはずよ、アーチャー」

 

提案の拒絶を遮って凛は述べる。断言に近い言葉には確信に近い思いが含まれていた。

 

「何を根拠に……」

「もともと投影とは、本来失われたオリジナルを数分間だけ自分のいる時間軸に映し出して代用するだけの魔術。そうして出来上がる品は、大抵ガワだけを真似た劣化だわ。そう言った意味では、言峰の作り上げた聖杯が模造したセイバーの剣は、正しく通常の魔術による投影品と言えるでしょうね」

「……それで?」

「そう、そして普通ならそうして投影した魔術の劣化品は、それでも「世界」という存在が、オリジナルが二つ存在するという事態を拒絶するため、修正によりこの世から消え去る運命にある。また、投影をした本人のイメージに破綻が起きた場合も矛盾で消えるけれど……ともかく、本来、投影品は、「世界」の修正により、この世界から消え去るのよ」

「そうだが、それが―――」

 

どうした、と聞きかけて、ようやく彼女の言わんとしていることを理解した。それは、元から投影した品が基本的に世界からの修正を受けず、消滅しない特異な投影魔術を使える私には、思いもよらぬ部分からの指摘だった。

 

「そうか、人類カテゴリの起こす事象において、「世界」とはつまり霊長の抑止力が相当する。即ち、それが代替わりして過去が刷新された今、もはや投影の修正は起こりえない―――、そうか、だから、あの言峰の投影品も、今なお消えずに残っているのか」

「ええ、きっとね」

「――――――」

 

投影という魔術に特化し、もとより消えぬ投影を可能とし、誰よりも造詣が深いと思い込んでいた私は、だからこそ投影がもはや世界からの修正を受けない魔術になっているといことに気がつかなかった。

 

「凛。確かにそれはその通りなのかもしれない。だが、だからといって、私が神造兵装を投影する事が基本的に不可能である事に変わりはない。理解しきれないからだ」

 

思いもかけず、元からできるが所以に気づかないという天才にありがちな弊害を、まさか基本的には凡人と変わらぬ才能しか持たないこの身が体験することになった事実を驚くが、しかし、そんな真実をしった今でも、私の結論は変わらない。

 

「たとえ世界の介入がなかろうと、世界の拒絶がなかろうと、私が投影を行うためには、その投影となる対象品の理解が必要だ。すなわち、創造の理念を鑑定し、基本となる骨子を想定し、構成された物質を複製し、制作に及ぶ技術を模倣し、成長に至る経験に共感し、蓄積された年月を再現し、あらゆる工程を凌駕し尽くし、幻想を結び剣と成す。―――故に、世界という理解が及ばぬ存在が理解の及ばぬ理論理屈を用いて作りあげた聖剣、私のような贋作者如きでは投影したところで、とても真作のそれにとても及ばない―――」

「あのねぇ、アーチャー。貴方の、その、自分や自分のやった結果を贋作として卑下する態度が一番の問題なのよ」

 

聖剣の投影が無理である理由を述べていると、私の言葉を遮って、凛は呆れた顔で言った。

 

「一口に贋作っていったって、本人が真作と断定しても贋作より評価が低いものもあれば、贋作と知られても評価の高いものもあるわ。例えばフェルメールの贋作製作に注力し、ピカソ風の絵を描いてほしいとの依頼に激怒したメーヘレンのように、誰かの贋作を作ることに情熱を注いで、はては英雄と扱われた画家。後年贋作であると本人が発表したにも関わらず、作品の出来が良すぎたために評価され続け、自分の真作を作り贋作であることの証明をしようとして失敗したバスティアニーニのような彫刻家。キリコのように過去の評価が高かった頃の自分の作品を贋作と言い切って切り捨てた画家だっている」

 

諭す物言いの彼女には、口を挟ませないだけの静かな迫力があった。

 

「周りの人がどう言おうと、世の中のものを贋作であるか否か。評価に値するかしないかなんて、決めるのは結局、自分。己の価値観による判断が全てなのよ。たとえそれが、他人の作品を模倣して作り上げたものであっても、いえ、だからこそ、作り上げた本人が本物と認めてやればそれらは製作者の生きる世界においてはなにより真なる作品となるし、そうでなくとも、贋作や模造品それじたいが評価を浴びることだってありうるし、はたまた、真作が本人にとって贋作になりうる事だってある―――」

 

諭す口調はやがて厳しいものとなる。

 

「アーチャー。あなたは、己の持つ魔術の奥義を「模倣した剣を収集するだけの下らない魔術」と言い張り、受け継いだ正義を「借り物の偽物」と言い切る。だからこそ、それらは、貴方にとって贋作の、偽物に過ぎないものになったのよ。そしてかつての人間と彼らが形作る世界という存在も、オリジナルのみを尊重し、それ以外を否定し自分の価値観以外を認めない極端なゼノフォビアに走っていたから、貴方もそう信じるようになった」

 

否、彼女は事実、怒りを抱いていた。凛という女性は私が自らを偽善者、贋作者、すなわちフェイカーと揶揄して卑下するような言動を責めていた。

 

「―――でも、この世界とそこに住まうひとたちは違う。この世界に生きてみてわかったでしょう? 基本的にこの世界の人たちは、他人や人をそうやすやすと否定しない。負の感情というモノの保存や記録が難しい彼らにとって、真作だろうと贋作だろうと、目の前そこにある己が感じた気持ちがなにより大切で全てなのよ」

 

負の感情の貯蓄ができないという特性は、図らずとも、他人の不徳を許容し、足るを知る、徳の高い人間を自ずと増やすこととなった。そしてそんな人間たちによって作られる無意識の集合体である霊長の抑止力は、同様に、彼らと同じく、真贋どうあれそこに存在するものを許容するに至ったと言う事か。

 

「だから人も世界も、真剣さが込められたものなら、過去の誰かの思想や品物こそがオリジナルだと言い張って、比較して、一々否定しない。だからこそ貴方も、貴方の生涯や培ってきた技術によって作り出す模倣の品を、一々、偽物、借り物と言って他人に主張する必要はないし、否定しないで。そうして貴方が己を信じる限り、貴方はこの世界で神造兵装に決して劣らない品を作れる人になる。それこそ、今ここで星が鍛え上げた聖剣に匹敵する投影だって可能とするはずよ」

 

いつかかつて埃かぶった部屋の中、彼女が衛宮士郎の信じる道と私の生涯を肯定して叫んだように、彼女は私という存在全てを許容して語りかけいた。それは、私と同じ時代を生き、私という存在と全く同じになる可能性を秘めた男を、肌身通して愛し続けてきた女だからこそ発することのできる、重みと説得力のある言葉だった。

 

「当時の私は言わなくてもわかると思っていた。いえ、素直じゃない性格だったから、いうなんて恥ずかしことできないし、だからせめて私が信じた道を貫くことで貴方が自分の生涯を誇れる時が来てくれれば、って思ってた。でもやっぱり、思いはせめて言葉にしなきゃ伝わらないわよね。―――あの人、つまり私の夫、衛宮士郎は、私を守ることができたから、俺は正義の味方でいられたって言って胸を張って死んでいったわ。だったら、その士郎の行き着く先であり、技術の集大成である貴方にそれができないはずがないじゃない。それを思えば、いつかきっと、いえ、今すぐにでも、貴方が自分を認めれば、その生涯を他人に誇ることの出来る男になる」

「――――――」

 

言葉に一筋の涙が溢れ落ちた。人前で無様だとか、男が女の前で泣くものじゃないとか、そんな強がりを思う余裕もなかった。ただ歳を重ねて経験を積んできた彼女の言葉に含まれる暖かな成分は、不思議なくらい容易に鉄の血潮を貫いてガラスの心を満たしていた。

 

命がかかった戦場において、己の役割を忘れたかのように、女に己の歪みを諭され、許容され、歓喜に滂沱の涙を流す私に対し文句を言うものは誰一人としていなかった。

 

この世界に人間である彼らも、かつての世界に生きた人間である彼女らも、ただその様子を静かに見守っている。それが、遂に私と言う存在が、現在と過去、その全てに受け入れられたと言う気がして、私はなんとも言えない清香の境地に至ることが出来た。

 

 

「いや、まったく、キリがねぇ。千は殺したのに、まだ際限なく出てきやがる。やっぱあの手の化け物は本体を叩かなきゃダメだな」

 

戦場に似合わない淑やかな空気を切り裂いたのは、今しがた戦場にて存分に力を振るってきた男だった。誰よりも先に戦場へと突入した男は、他の誰よりも速く見切りをつけてさっさと帰還したのだ。

 

 

おそらく大暴れしたのだろうことがランサーの言葉から分かるが、それだけの大立ち回りをしたにもかかわらずその体に傷一つなく、服にシミ一つ残っていない手並みは、流石、最速の名前に恥じない働くぶりであるといえよう。

 

「それで、あのデカブツと言峰をどうにかする算段は立ったのか?」

 

ランサーは赤い魔槍―――よく見れば、これも酷い出来の贋作だ―――気分良く振るって穂先に付着していた体液を払うと、乱雑に地面へと突き刺しながら軽く凛にはなしかけた。そして我々の一同を見渡した彼が、そうして彼女に話しかけたのは、おそらく彼なりに空気を読んだ結果なのだろう。

 

「手段はとっくに。ただ、今、それを補うための武器調達の手を相談してたところ―――ま、というわけで、私の愛した夫、今の貴方の投影魔術に比べれば遥かに技術面で劣る士郎だって、そうして勝利すべき黄金の剣/カリバーンの投影をして見せたのよ。貴方にだって出来ないわけないわ」

「―――かもしれん……、ああ、いや、―――そうだな」

 

強引に話を変えた彼女に、私はいつものように否定を含んだ肯定の言葉を返そうとして、それでは今までと変わらぬと気がつき、強い肯定の言葉へと変化させた。それだけで、確かに己は神造兵装に匹敵するものを投影する事だって可能だとおもえてくるのだから、人間心理というものは不思議なものである。

 

「固有結界の発動と神造兵装の投影、どちらも大役だ。だが、確かにやり遂げてみせよう」

 

言い切ると、凛が気持ちよい満面の笑みを浮かべ、セイバーも負けないくらい柔らかな笑みを浮かべた。二人の女性が浮かべたベクトルの違う柔和な笑みに、私は癒されながらも、大役を担う覚悟を決めていた。

 

面はゆさもあるが、それ以上に気分が昂ぶっていて、恥じる思いがあるならさっさと行動にうつせと心が叫んでいる。我ながら青臭いと思うが―――いや、悪くない気分だ。

 

「おっし、じゃあ、やるとしますか。おいアーチャー。宝具の複製ができるってんなら、俺の槍の投影も頼まぁ。これじゃ魔槍の名が泣くぜ」

「であれば私の物干し竿も頼みたい。流石にこの強度では竿というより爪楊枝だ」

「―――」

 

そう言って獲物を各々の獲物を差し出す二人に比べ、バーサーカーはすでに徒手であるが、こちらに向けられた暴走の名を冠するに似合わない静かな目線は、二人と同様に、己の獲物の投影を依頼しているのがわかった。おそらく彼の膂力に耐えきれなくなった時点で、砕けてこの世なら消滅したのだろう。

 

「ああ、わかった。実物に劣らぬものを投影してやるから、話し合いが終わるまで大人しくしてろ」

「おう、大人しく待ってるわ。―――なぁ、アサシン……いや、コジロウ。暇潰しに一手付き合わねえか」

「どうやらお主の「大人しく」の意味は一般のそれとは大分ズレているようだが……、まあいい。その提案には賛成だ」

「お、オタクいけるクチか。ノリがいいやつは好きだぜ、俺は」

「好かれるなら女子の方が良いのだがね。まぁ、益荒男相手ならその次程度に悪くはないか」

「ますます気に入った。じゃあ、早速あっちで挨拶がわりに一手組み交わそうぜ」

「心得た」

 

謎の意気投合をした男どもは、いって結界内の外壁近く、離れた場所まで進むと、文句をつけたばかりのそれぞれの獲物、即ち槍と剣を手にして相手へ刃を向け、決闘―――彼らにとっては組手なのかもしれない―――が始まった。

 

繰り広げられる戦いは、文字通り神技の応酬といって過言でなく、どの一撃にも露骨なまでに殺意がありありと乗せられている。流星のような刺突。闇を切り裂く刃。二人の繰り出す攻撃には相手に対する遠慮というものが一切なく、そうして相手の命を真剣に狙ってやるのこそが礼儀であると言わんばかりに、冴えていた。

 

彼らの頭の中ではおそらく、「この程度で相手が死ぬはずないし、相手が死んだとしてもそれはまぁ事故みたいなもので仕方ない」ということなのだろう。

 

「バカ二人」

「あのノリには流石についていけませんね」

 

いきなり繰り広げられた身内の殺し合いに、ギリシャ神話の女神二人が酷評を下した。セイバーは気持ちよく互いの技の応酬を楽しんでいる二人に少し羨んでいる様子が伺えたが、流石にこの場でそれを素直にいってしまうほどに空気が読めないわけではないようだ。

 

「なんなのでしょうか、これは」

 

ふと気がつくと、意識をとりもどしていたピエールが彼の仲間の側で呟くのが聞こえた。魔のモノどもに囲まれ、決戦を控えた直前の場面において、味方であろう男どもは同士討ちを開始し、それを止めようともせずに眺める者たちがいる。

 

確かに言葉にすれば、見る者全てを混乱の渦中に陥れてしまいそうな光景は、基本的にあらゆる物事を己独自の解釈のもと理解する彼にとっても、形容しがたいものであったらしい。

 

「さてね」

 

疑問をバッサリと切り捨てると、目の前繰り広げられる光景を前に、ともかく己に出来ることをしてやろうと、早速投影の準備に取り掛かった。

 

 

「突き穿つ死翔の槍/ゲイボルグ! 」

 

宝具の名が叫ばれるとともに、全身全霊の速度にて空中へと飛び上がったランサーの手から赤き魔槍が放たれ、槍はその真価を発揮した。手から離れた槍の穂先は瞬時に分裂し、三十の鏃になると、着弾した地点より百近くの獣と触手を吹き飛ばす。

 

速度換算すればマッハ二に匹敵する分裂魔弾の威力や絶大で、地面は剥がれ、土砂と敵がまとめて宙を舞い、地面に大穴を開ける。まるで隕石の着弾とも勘違いしかねない現象を引き起こした槍は、己が主人の意向に沿った威力を発揮したことに満足すると、すぐさま着地した主人の手中へと収まった。

 

「これだよ、これ。多少手ごたえは違うが、やっぱ俺の槍はこうでなきゃいけねぇ! 」

 

遠く離れた場所でランサーの満足げな声が聞こえたかと思うと、すぐさま手中の槍を独特の低い姿勢に構えて、再び集まってきた魔物どもの掃討を開始する。そして彼は愉快げに己が思い切り駆け抜けるスペースを再び確保すると、思い切り助走をつけて跳躍し、再び宝具の名を叫びつつ、槍を投擲。繰り返し魔のモノは吹き飛び、あとはそれの繰り返しだ。

 

確かに陽動のために目立つ行為をしろとはいったが、何もあそこまで暴れなくても、と思うのは、私だけではないと思う。

 

「キャスター。ではこちらも始めようか」

 

一方、そんな彼に私同様の思いを抱いていただろう、少し冷たい目線をランサーに向けていたキャスターは、宗一郎の意思に同意を返した。すると宗一郎の拳が強化の光に包まれ、キャスターと呼ばれた彼女はゆっくりと宙へと浮き上がってゆく。

 

「ええ、お任せください、宗一郎様。―――アサシン。わかっているわね?」

「おうとも、援護は任されよう。お主は存分にその力を発揮するがいい」

 

キャスターはアサシンの言葉を努めて無視すると、戦場に似合わない細身の美女は緩やかに複雑な紋様の魔法陣を己の周囲に展開させ、手にした魔杖をふるい、魔法陣より光の矢を発射した。

 

「アーチャーたちがいうには、ここは柳洞寺直下の洞穴で、奴らは寺を山ごと破壊してこの土地を穢すような輩と聞く。ならば遠慮は無用。寺の彼らは望まぬだろうが、弔い代わりに、奴ら悪鬼の命を吹き飛ばすことで存分に報いを受けさせるとしよう」

「ええ。もちろん。それがあなたの願いだというのなら」

 

光の矢は魔物に直撃すると、己の存在理由を存分に発揮して魔物を焼き尽くし、消しとばす。キャスターはそんな威力を秘めた魔弾を生み出す魔法陣を次々と虚空に描いては、マシンガンのごとく光の矢を発射する。

 

凛ほどの魔術師であっても、一つの形成がせいぜいだろう攻撃能力を秘めた魔法陣は、次々と生み出され、魔のモノをアンリマユごと焼き払う。それはまさに、神代の時代でも一部の優れた魔術師しか可能としない、奇跡の未技だった。

 

キャスターはその奇跡を、高速神言という己の技量と、すぐそばの地下を走る霊脈から膨大な魔力を汲み上げることで成立させている。

 

「魔術師は己の陣地であるのならば、有利にことを進めることができる。そしてここはかつての本拠地、柳洞寺の地下で、霊脈という魔力タンクのすぐ近く。―――負ける要素がないわ。だからせいぜい、あの人の願いの達成と私の鬱憤ばらしに付き合いなさい!」

「おお、怖い。とはいえ、たしかにあの気持ち良い御仁たちの眠る場所が穢され、この身が怒りを感じたのも事実。―――なら精々、この怒り、貴様らのその身を削ることで、晴らさせてもらうとしよう!」

 

宗一郎の腕より拳が振るわれ、彼の後ろをアサシンが守る。僧侶が眠る場所の猊下、僧たちが身を置く寺で世話になった三人は、それぞれの思いを胸に、派手な戦闘を開始した。

 

「では私はバーサーカーと」

「――――――!」

 

キャスターの奮戦を見物していたライダーも、緩々と動き出した。女性にしては長身の美女乗せた巨漢の男は、それでもそんな彼女を大きく見せないほどの巨大な体を瞬時に最高速まで加速すると、ライダーを乗せたバーサーカーはまるで戦車のように結界の外へと飛び出して、外の有象無象を蹴散らして遠ざかってゆく。

 

やがてすぐさま遠方へと孤軍にて進撃した灰色の重戦車は、周囲の的全てをわかりやすく蹴散らし、吹き飛ばし、蹴散らしていた。巨人はライダーという騎手を得て、益々盛んに暴走の様子を見せている。

 

「凛。アーチャー。では私たちも」

「ええ、続くとしましょう。―――そちらの貴方達も覚悟はいい?」

 

凛は自然な優しさを伴って、「異邦人」の彼らに問いかけた。かつてそんな如何にも優雅な所作は、あまりにも完璧すぎて猫を被っているに違いないと感の鋭い者に見抜かれて突っ込まれたものだが、今の彼女には、それを演技だと思わせないだけの自然さがあった。

 

おそらくその淑女の嗜みの現れは、彼女のそれが長年続けられたことにより洗練され、真実彼女の自然な動作として培われたからだろう。こんなところを見ても、なるほど、偽物であっても、続けることに意味はあるのだなと感心し、納得した。

 

「は、はい、もちろん!」

「無論だ」

「最終決戦を前におめおめとひきさがれねぇからな」

「いやぁ、どの戦いも素晴らしく目移りしますねぇ。正直、ここでずっと眺めていてもいい気分なのですが」

「ピエール。お前、だから、こういう時くらいは―――」

「―――ですが、先ほどの話を聞くに、貴方がたについていった方がもっと凄いものが見られそうだ。あの時見せた固有結界とかいうもの以上の衝撃を、見られるのでしたら、それはもう、勿論、覚悟してついていきますよ。―――それに、それを抜きにしても、仲間が死地に向かうのです。ついていかないという選択肢はありませんよ」

「―――は、そうだなその通りだ」

 

最終決戦を前にして、ようやく仲間を気遣う台詞を吐いたピエールに、サガは一瞬呆気にとられた表情を見せたが、すぐに満足な笑みを浮かべると、その内容に同意を返した。

 

「上でもいったけど、いい仲間を持ったじゃない」

「ああ。悪くな―――、いや、そうだ。いい仲間だよ、彼らは」

「そ。良かったわ。それで、ここからどうやって言峰の元まで行くの、アーチャー?」

「無論、彼らと同じ手段を取る。やるからには、徹底的に、だ。奴らの骨の一欠片すらなくなるまで殲滅し尽くしながら進軍するとしよう」

「あら過激ね。……でも気に入ったわ。喧嘩を売られたからには、二度と歯向かう気が起きないくらい後悔させてあげないといけないわ。相手があの言峰だっていうなら、加えてボコボコにしてやらないと私の気もすまないし―――、OK、アーチャー。じゃあ、この馬鹿騒ぎを終わらせにいきましょう」

 

彼女の物騒な言葉に応じて、復活していた魔術回路を励起させ、失った赤い外套を投影する。常ごろ投影した本人からすら贋作の扱いを受けていた聖骸布の外套を纏い翻すと、布切れは持ち主同様、初めて己の存在を誇るかのように夜の闇に赤の色を主張した。

 

「勿論だとも、凛。最終決戦の狼煙はドカンと一発、ド派手にぶちかまして、君の義侠と義理と流儀に答えるとしようじゃないか」

「あいかわらず律儀ね。でも気に入ったわ。それじゃアーチャー。音頭をよろしく頼むわよ」

「……私が、か?」

「当然じゃない。この集団は、貴方が歩んできた道で結ばれた縁の結果なのよ? 」

「そうか。そうだな……、では」

 

「ダリ」

「ああ」

「サガ」

「おうとも」

「ピエール」

「ええ」

「響」

「はい」

「セイバー」

「はい」

「そして、……凛」

「ええ」

 

「過去の因縁に決着をつけるときがきた。とっととこの狂乱を終わらせて―――、今の時代を謳歌するため、地上に戻るとしよう!」

 

振り上げた拳と叫びに呼応して、六つの拳が天に突き出され、頼もしい雄叫びが地に響く。エトリアの土地より西のはるかの地下。その地下に存在する冬木という土地の、さらに深い地底にある場所において、正しくここに、最終局面の火蓋は切られたのだ。

 

 

「エクス……カリバー!」

 

美しき少女に似合わぬ、されど戦場を駆ける騎士としては正しく猛々しい咆哮をあげて、彼女は宝具を振り下ろす。目眩い聖剣から発せられた光は、我らの道を進む障害となりうる敵を全て打倒せんとの主人の意向に呼応して、獣と触手をまとめて打ちはらう。

 

否、彼女の聖剣が生み出した光の断層は、魔物どもだけでなく、その道にあった、マグマ、巨大な氷塊、雷撃の嵐すらもまとめて吹き飛ばし、しかし天井に直撃する直前でその効力を失い、我々の進路に安全を確保してくれていた。

 

小さな体の振り下ろした剣より直進した光刃は、大きな体の火竜が放つ拡散する吐息とは異なり、主人の邪魔となる獲物を仕留める以外には機能を発揮せず、目的とする敵は確実に仕留めるが、そうでないものは見逃すという、正しく英霊の武器にふさわしい権能を持っているかのように見受けられた。

 

光景を見て私は、多少誇らしい気持ちを抱く。今更隠そうことでもない、彼女の振るう聖剣は、私の投影したものなのだ。やがて彼女が作り上げた道を駆け抜けて、私たちが彼女に追いつくと、彼女は本来の脚力を少し抑えて私たちと並走し、私の横に並んだ。

 

「流石です、アーチャー。貴方には謝罪しなければなりませんね。正直、投影品と聞いて本来より性能が大分劣る事を覚悟していたが、貴方の投影したこの剣は、真作であるエクスカリバーにも劣らぬ性能を発揮する」

「いや、構わないよ、セイバー。投影したものが本来のものに劣るというのは、本来普遍の事実だ。その下馬評を覆した私が優れているというだけのこと。―――謝るほどのことではない。それに、そう言ってもらえると、必死こいて投影した甲斐があるというものだ」

「―――承知しました。それにしても、変わりましたね、アーチャー」

「……そうか? 」

「ええ。前に出会った時より刺々しさが減って、卑下ではなく謙虚でなく、他人の尊敬を素直に受け取る強さがある。以前の貴方なら、どう言おうと己の所業を誇ったりはしなかったでしょう」

「そうか……そうかも―――、いや、そうだな」

「ええ。本当に、変わりました。まるでシロウのようだ」

「あの小僧の……? 」

「ええ。―――いい出会いがあったのですね」

「―――ああ。その通りだ。周りの人間がいい人すぎて、毒されてしまったよ」

「む、ですがそういう物言いをするところは未だ変わっていませんね。こういうのもなんですが、その物言いは人に誤解を与えることが多い。注意すべきです」

「……善処するよ」

 

まるでお節介な友人のように口出しする彼女は、気の無い返事ながらも承諾の返事が返ってきたことに一応の納得して黙り込んだ。彼女には悪いが、この性分は治らないだろう。

 

我ながら性格が悪いと思うが、呆気にとられて驚く彼らを見たり、私の言動で喜怒と愕楽の表情をコロコロと変える他人の様子を見て面白がるのは、数少ない娯楽だ。その辺りは他人に迷惑がかからない範囲で楽しむので、どうか勘弁してほしい範疇だ。

 

「委員長気質だな」

「……なんですかそれは」

「生真面目ということさ」

 

揶揄われているのか、褒められているのか判別がつかない、という顔で素直に悩む彼女の様子を横目に楽しみながら、それでも疾走する速度は緩めない。先行する我々の少しばかり後ろでは、彼らがピエールのスキルにより強化された体を酷使しながら、不安定な魔のモノの体を駆け上ってくる。

 

―――そう、今私たちは、敵の本丸めがけて最短距離を進んでいるのだ

 

「ちょっと……、こちとら、生身の体、なのよ……。あんたたち、すこしは、手加減ってものを、しなさい……」

 

息もたえだえに凛は文句を垂れる。優雅さを常の心がけとする遠坂の心がけは何処へいったのやら、美麗な表情には疲労の色が濃く滲み、滝のような汗がその顔を流れている。

 

「そうですよ。お二人とも早すぎます」

「いやぁ、この先行する仲間を追いかける感じ、昔を思い出しますねぇ」

「ま、多少足場が不安定で厳しいものはあるが―――」

「二層や三層の樹海を思えばなんてことはないよな」

 

対して、平均して傾斜が二十から四十、時には絶壁のような安定しない険しい道を進んでいるにもかかわらず、迷宮探索を生業としている彼らは涼しげな様子で言いのけた。多少額に汗が滲み、空気に漏れる吐息が白さを帯びているが、彼らの息はまるで乱れておらず、なんとも余裕の様子である。

 

「だ、そうだが?」

「現役の冒険者と引退して長いロートル魔術師の体力を一緒にしないで頂戴……! 昔は習慣だった八極拳の練習だって忘れちゃって久しかったっていうのに……」

 

負けん気を存分に含む文句に、肩をすくめて返答してやる。すると。

 

「それはいけないな。技術は一日休むと、正しく取り戻すのに三日はかかる。日々のたゆまぬ鍛錬こそが緊急、咄嗟の際においても役立つ、正しく身についた技術となるのだ」

 

などと別方向から聞こえてきた思いもよらない指摘に、私は誰よりも早くその声の主の方を振り向いた。奴はアンリマユと同化した魔のモノの触手の上にたち、悠然とこちらを見下ろしている。

 

言峰綺礼……!」

「そのとおり。しかし貴様らは余程不遜な輩だな。こうも死人をホイホイと蘇らせられると、その行為になんのありがたみも無くなってしまう。さまざまな鍛錬の先にある技術を日常の中へと落とし込んだスキルの存在といい、この世界の人間や、それを守ろうとする貴様ら、そして、そんな貴様らを許容する世界という存在は、そのような奇跡の価値を地に落としてでも、私と魔のモノの存在を否定しなければ気が済まないらしいな」

「綺礼……、あんた、よくも、シャアシャアと私たちの目の前に姿を表せたものね」

 

足元が魔のモノの本体という状況下において、魔のモノと繋がった奴が姿を表すという異常事態において、こちら側の人物全員が咄嗟の警戒態勢をとる中、奴だけは凛の怨嗟の篭った声にも大した反応を見せず平然と私だけを見据えて、続ける。

 

「その最も顕著たる例が、貴様だ、エミヤシロウ……」

「……私?」

 

スキルや技術という話の内容から、唐突に何ら接点のないはずの私に話の焦点が当てられたことに内心多少動揺しながらも、それを露わにしないまま、奴の言葉の先を聞く。

 

「一度目の蘇生は良い。あれは私の見逃しと、凛の覚悟と技術、そして衛宮士郎の献身による成果だ。貴様の蘇生―――いや、転生か。ともあれその結果、転生という事態が起こったことはこの世界の理からすれば不自然かもしれないが、死者を蘇らせる為に生者が血肉を削っての行為の結果と考えれば、自然なものだった。―――だが、二度目は違う」

 

奴はカソックの下で振り上げていた足を振り下ろすと、途端、その下部に当たる魔のモノの表面が砕けてマグマの中へと落ちてゆく。常に能面のような作り笑いを浮かべ、冷静の態度を心がける奴にしては、珍しく感情的な行動だった。

 

奴は私を嫌悪している。否、奴が一言を発するたびに、目の周囲に険しいいくつものシワを増えてゆくのは、言峰という男が今、己の語る言葉にて、私という男への嫌悪を深めている証拠だった。

 

「貴様はもはや心臓を砕かれた死に体の状況から、謎の復活を果たし、聖杯を手にしたことでさらなる奇跡を成し得た。―――なぜだ。なぜ親子揃って、自ら平穏を捨て、要らぬ理想の為に戦場へ身を置き、その身に余る大望を抱き絶望の中を邁進する愚かな者ばかりが、死者蘇生という最高峰の奇跡までも幾度も手中に収めることができるのだ! そしてなぜ、世界はそんな貴様らばかりを贔屓するかのように、貴様らにばかり都合の良い奇跡を用意し、それを許容する。―――なぜだ、アーチャー……! 」

 

そして私のことを奴は今、エミヤシロウとではなくアーチャーと呼んだ男は、これ以上ないほどに憎しみの感情を全身から滾らせていた。その慟哭は、その戦場にいた全ての者から抵抗の意思を奪ってみせるだけの迫力を秘めていた。

 

奴がなぜ今しがた急激な心変わりを見せたのか、その理由はわからない。生前、衛宮士郎であったころの私は、奴は他人が醜いと思うことこそを美しいと思う性格破綻者であるということしか知らない。

 

私にとって奴は、切嗣という養父を殺した仇であり、私の真の両親と共に多くの無関係な民間人を殺した罪人であり、そしてそういった他者の悲しむ行為を容認する、単なる悪人に過ぎなかったのだ。

 

死後、英霊として聖杯戦争に参加した折も、同様だった。奴は己の立場と過去の経歴から得たものを利用して戦争をかき乱し、他者を欺き、陥れることを目的として動いていた。奴は己の行為の結果、無関係の人間が死ぬことを当たり前のように許容していた。無論、それを我が目的のために見て見ぬ振りをしていた私も同罪であろうが、ともあれ、言峰綺礼という男は、私にとって単なる悪人というイメージしかなかった。

 

しかしそれがどうか。目の前にいる悪を許容する大悪人は、まるで餓鬼のように己が心中を

叫び、吐露し、憎き敵である私に、なぜ己は世界に許容されないのに、貴様ばかりが許容されるのかというその問いの答えを求めている。

 

おそらく奴は、その問いの答えを求めるためだけに、採算を度外視してこの場へとやってきた。今までの企みも、積み上げてきたものも、全てを放り投げて、己を敵だとして殺そうとする、因縁の相手の前に姿を表した。

 

己が存在の価値と意義を求めて苦悩し、何とかしようとあがき、そしてそれが叶わぬと知ったときに絶望し、答えを求め、恥も外聞をも気にせず、憎いはずの敵にすら問いかけ、必死に答えを求める。その行為に、私は痛いほど覚えがあった。なぜならそれは―――

 

―――私がかつて、過去の衛宮士郎という存在に対して行ったこと

 

途端、奴はまるで私にとって鏡のような存在だと感じた。他人の美しい行為にしか価値を見出せない男と、他人の醜き行為にしか価値を見出せない男。普通の人間を愚かと感じて世界に絶望を抱いた男と、未だに普通の人間の暮らしに憧れて世界に希望を捨てられない男。

 

私の陽は、奴の陰。奴の陽は、私の陰。否、合わせ鏡とかいう生易しいものではなく、それはもはや、太極、両義の関係性。他者の中にしか己の存在意義を見出せないという点まで含めて、私と奴は、正しく表裏一体の関係にある存在だった。

 

―――ならば、答えてやるのが、せめてもの情けというものか

 

奴が敵であることに変わりはない。奴が今回の事態を引き起こした黒幕であることに変わりはなく、故に奴がこれから殺すべき相手であることにも変わりはない。

 

ただ―――、己の存在意義を、否定されるだろう事を承知の上で、私という正反対の存在に問いかけた、奴という存在の必死の叫びを見過ごすのは、正義の味方を目指すものとしてやってはいけない事であると感じたのだ。

 

「―――凛、セイバー、そして、ダリ、サガ、響にピエール」

 

呼びかけると、金縛りから解かれた一同が声に反応して身を震わせる。

 

「何でしょうか」

「何かしら?」

 

どうやら凛の負けん気と意地よりも僅差で不測の事態に慣れたセイバーの方が早かったようで、出遅れたことを無駄に悔しがる彼女の変わらない気質を微笑ましく思う。他のみんなは二人より出遅れて、もはや台詞もなく次の言葉を待っていた。

 

「―――あの男との決着は、この手で直接つけたい。悪いが、固有結界の展開後、しばらくの間、自由にやらせてほしい」

 

言うと、彼女らは口を、目を大きく開き、あるいは、息を飲んで体を後ろにのけぞらせて、たいそう驚いた事を表現した。けれどすぐさま半月になるまで口角を上げて、満面の笑みで言い放った。

 

「いいわ。その我儘、聞いてあげる。滅多に聞かない、貴方の願いだもの」

「因縁というものは、己の手で最後までやり遂げてこそ、正しく終わらせることができるもの。アーチャー。その行為が貴方にとって救いとなるというなら―――、それは是非とも貴方が自らの手で成すべき事だ」

 

そして私の過去を知る二人は、それぞれの理由で私の我儘/願いを許容した。

 

「―――我々の目的であった三竜のうちの一つ、火竜討伐は君の力があってこそだ、エミヤ。いや、それ以前に、ここまで私たちが生きてこられたのも、君の助力があってこそ。なら、その借りを少しでも返すために、ここらで一つ、君に恩を売っておくというのも悪くない」

「ダリ。どうしてお前にもピエールの素直じゃない部分が移っちまったかなぁ。こういう場面では、好きにやってこいって、笑顔で送り出すのが思いやりってもんだぜ?」

「おや、堅物がとっつき易くなったのですから、その変化は喜んで然るべきなのでは?」

「あ、はは、あはは」

 

そして、いつもと変わらない三人のやりとりを繰り広げる彼らと、それを見て苦笑する小さな少女。やがて始まった男の馬鹿騒ぎに笑っていた彼女は、ひとしきり笑い終えると、姿勢を正して、こちらを向いた。

 

「エミヤさん。―――シンを失った私たちが、それでもここまでやってこられたのは、貴方の尽力と献身があってこそです。―――だから、私たちに憚ることなく、存分に、思う通りにやっちゃってください」

「―――了解した」

 

肯定の意見を受け、私は奴の方を向き直した。鳴動する魔のモノの体という大地の上で、言峰綺礼という男は、私たちのやりとりを見て心底嫌悪の感情を抱いたのだろう、目元に視線だけで誰かを射殺せそうな殺意を携えながらも、静かに私の返答を律儀に待っていた。

 

奴の頭には、もはやアンリマユや魔のモノの事情など関係ないのだろう。奴の興味はもはや、私が口からこれより出てくるはずの答えにのみ注がれている。その真摯さに応えてやるべく、私は奴の向ける熱量に劣らぬだけの意思を込めて、見返した。

 

「決着をつけよう。貴様の望む答えは、その先にのみ存在する」

「―――よかろう。ならば、その求めに応じるまで」

 

そして私は世界を変えるべく詠唱を開始した。

 

 

「―――I am the born of my sword/体は剣で出来ている」

 

エミヤの口から言葉が発せられる。エトリアの言葉とはまるで違うその音の羅列は、けれど不思議と周囲に響く力を持っていて、その場にいる誰もがその詠唱に釘付けとなる。

 

「steel is my body,and fire is my blood./血潮は鉄で心は硝子」

 

続く言葉に凛とセイバーという女性らは、少しばかりその綺麗な顔立ちを曇らせた。多分、彼女たちは彼の発する言葉の意味を理解できて、そしてその内容が悲しいものであることがわかる。だってそうでなければ、エミヤさんの背中を見て、あんなに優しくも悲哀に満ちた目を向けるはずがない。

 

「I have created over a thousand blades./幾たびの戦場を超えて不敗」

 

言葉は続ける彼の背中は、大きくて、頼り甲斐のあるものだ。彼のお世話になったのは三層の番人戦から、駆け抜けた四層、そして特殊な五層と、とても短い間だったけれど、その間私は、この逞しい彼に、数え切れないほどお世話になってきた。

 

「Unknown to Death./ただ一度の敗走もなく」

 

エミヤはとてもいい人で、強い人だ。ただ、彼は強すぎるから、いろんなことを自分一人で抱え込んで、全部自分の中で処理しようとする。そして失敗した時も、自然と全ての責任を自分だけで取ろうとする。

 

「Nor known to Life./ただの一度も理解されない」

 

彼はまるで、過去のシンだと思った。もちろん私はどちらの昔のこともよく知らないのだけれど、他の人より力と心が強すぎて、だから目指す目標が高すぎて、追いかけようとする人もそんなにいなくって。きっとだから、みんなの中にいてもずっと一人の気分で過ごしていたんだと思う。

 

「Have withstood pain to create many weapons./彼の者は常に独り、剣の丘にて勝利に酔う」

 

そうか、だから、全部一人で抱え込むようになったのかもしれない。いつからか、彼は諦めたんだ。強いからじゃなくて、周りの誰もが彼のことを追いつこうと、理解しようとしないから、彼もそれを周りに強いることなく諦めた。彼は他人に嫌なことを強いてまで、自分の理解を求めなかった。自分の理解者を求めなかった。

 

「Yet,those hands will never hold anything./故に、その生涯に意味はなく」

 

そしてますます彼は一人になった。目的の場所まで迷わず走り抜ける人は少ない。色々な誘惑があって、大抵は寄り道をしたり、途中で挫折しそうになったりして、足を止める人も多い。けれど、彼は、気がつくと一人、目的の場所めがけて迷わず突き進んでいる。

 

それができる人は本当に少ない。だから、彼のそばにいて、そしてそれが出来ない人は、それが出来ないという劣等感が湧いてくる。多分、ヘイもそんなうちの一人だったのだろうと思う。そしてそんな彼と距離を置こうとするようになる。

 

―――そして

 

「So as I pray,unlimited blades works./その体は、きっと剣で出来ていた」

 

彼の言葉が終わると同時に、暗く死の気配に満ちていた暗く狭い世界は、黄昏の光が周囲に満ちる広大な世界へと置き換えられる。

 

固有結界「無限の剣製/unlimited blades works」

 

それが確かこのスキル―――いや、魔術の名前だったと思う。

 

すごい技だと思う。周囲の一定範囲を全て自分の心の世界と入れ替えるなんて、本の中のお話の中ですら聞いたこともない。多分、この世界においてこんなすごいことができるのは、それこそ彼一人なんじゃないかと思う。

 

―――だからこそ、ますます彼は孤立する

 

私は以前この世界を見た時、唐突に、彼という人物のことを理解できた気がした。

 

一面に広がる茜色の夕焼け空。黄昏色の行方を地平線の彼方まで追ってやれば、空の向こう側では大きな歯車が不規則ながら、けれど規則的に動いている。天と地の狭間で蠢いている魔のモノを無視して目線を地面にまで下ろせば、枯レ森の雰囲気とは違った感じの、命の気配が感じられない荒野には、植物の代わりに剣が乱雑に突き立っている。剣はどれも凄まじい雰囲気を放っていて目が離せない。

 

剣は多分、彼が他人との接点なんだろうと思う。彼はそうして、誰かが困っている時、剣を手に取り助ける時だけ、誰かに近づいて問題の解決をして去って行く。問題っていうのは、悩んで時間をかければかけるほど、他人から見れば、被害が大きくなって行くように見える。

 

当人からすればそれも必要な犠牲だとか思っていることでも、彼みたいな強い人からすればそれが無駄だと思えてしまうから、強引にでも問題の解決を図って、無理やりにでも解決へと導いてしまう。

 

でも当人が納得してない結末は、どれほどその被害が少なかろうが、決して問題の解決にならない。結果として優しすぎてつい手を出してしまう彼は、周りからすればとても傲慢な人間に映るようになってしまった。

 

きっと、それを端的に表しているのが、この悲しいくらい心の中に誰も命の気配が宿っていない、自分は常に理解されない人間であることを主張する世界なんだ。

 

 

随分と久しぶりにその世界を見た。私が目にしたのはたった一度、あいつが過去の自分を殺そうとして私たちと完全に敵対したその時だった。

 

その時、私は、この世界を殺風景だと思った。一目見てその歪みが理解できた気がした。もともとあいつはすごく根っこの部分がすごく歪んでいて、それが性格にも影響しているのだろうとは思っていたけれど、ここまで酷いとは思っていなかった。

 

あいつは誰とも繋がっていない。血反吐を吐いて正義の味方になる努力をして、誰かを助け続けて、誰も泣いてない世界を求めた少年が、果て手に入れたものがこんな荒野に鉄と灰色の空が広がるだけ孤独な世界だなんて、あまりに馬鹿げている―――

 

過去の自分を憎んで当然だと思った。でも当時の私じゃ彼の望みは叶えられないし、助けられない。だからせめて心だけでも救ってやりたいと思った。だから私は、聖杯戦争終結した後、あいつが役目を終えて消え去る前に、あいつにこの世に残らないかと提案した。

 

少しかもしれないけれど、あいつの歪みを理解して、あいつの鬱憤を理解した私たちのそばで、ほんの少しの間だけでも滞在することで、あいつの傷ついた心を癒してやれればと思ったのだ。

 

けれどあいつはそれを拒絶した。それは一時しのぎに過ぎないことを知っていたからだと思う。たとえ先延ばししたところで、待っている結末は変わらない。だから立ち向かう道を選んだ。どれほど望まぬ結果が待ち受けている道であろうとも、己で選んだ道だから逃げ出すわけにはいかないと、さっさと地獄へと舞い戻ることを選択したのだ。

 

馬鹿な男だと思った。だけどそれ以上に、彼のそんな無言の選択をさせてしまったことが、何より悔しかった。そしてその苦しみはどれだけ年を重ねようと消えることはなく、むしろ、年を重ねてできることが増えてゆき、立場と力が増すにつれて、重いものへと変わってゆく。

 

あらゆる事柄に人並み以上の才能があり、苦労と程遠い立場にあったと自覚するこの遠坂凛という女は、しかし、ただ一人、地獄にて苦悩する男を救えない。少女の頃に突き刺さった楔は、年をとり、他の全ての苦悩を大抵処理してきた私にとって、だからこそ決して忘れ得ぬ膿んだ痕となる。

 

そしてやがて年をとって、膿んだ傷を見ないふりするのも限界に達しそうな頃、私の妄執は彼を助けるための手段を思いつかせたのだ。それはとても外法な手段だった。下劣と言い換えてもいい。

 

けれど、私は私を苦しめてきた全てを取り除くために、その機会に飛びついた。夫は多分そのことを見抜いていた。だから自分の命ごと身を差し出せというような無茶苦茶な要求も迷わず呑んでくれたんだ。

 

だって私の愛したあの人は、そんな私の我儘な部分も知っていて全て受け入れてくれた、正義の味方を目指した優しい人だったから。

 

 

全部の準備を終えて、後は私が観測装置となるだけという段階になって、ようやく本懐を果たせるというのに、私の中には少し不安が生まれつつあった。

 

果たしてこれで、本当に彼は喜んでくれるのだろうか。誰かの犠牲の果てに己が身の解放が行われるという行為を、彼は許容するのだろうか。己が身を呈してでも誰かに泣かないでほしいと願った彼は、果たしてこんな形での救済を、救いとして受け取ってくれるのだろうか。

 

それが己の罪悪感がもたらす杞憂に過ぎなかったのだということを思い知ったのは、己が過去の記憶を取り戻してからの期間、彼が私の前で幾度となく見せてくれた、屈託のないけれど困ったような笑顔見せてくれたからであり、そして今しがた、己の心象風景を一望して眺める彼の顔を見たからだ

 

―――ああ、自分のやったことは、決して無駄ではなかった

 

それはなんて素晴らしい奇跡なのだろう。私は自らの選択が間違っていなかったことを確信し、過去にその判断を下した私と、そんな私の選択を受け入れてくれた夫を思い、深く感謝の念を天に送った。

 

第十七話 積み上げてきた過去の結実 (A:fate root)

 

終了

 

世界樹の迷宮 ~ 長い凪の終わりに ~ 第十六話 過去より出でし絶望と希望

第十六話 過去より出でし絶望と希望

 

誰もが私を否定する。

だから私も貴様らに理解など求めない。

 

 

「おい、大丈夫か? 」

「……あ」

 

気遣いの言葉に目が覚める。瞼を開くと、飛び込んだ光に瞳孔が調整を試みて、視界がぼやけた。やがて気持ちの悪い瞳の収斂が収まった頃、眼球がいつもの仏頂面を捉えて、安堵の気持ちが湧いて出る。

 

「こ……、こ……は」

 

見渡すと、洞穴の中に私たちはいた。土臭く、口の中は砂利まみれ。肌と顔に張り付いていた砂を落として、何度か咳き込んで体内に入り込みかけていた砂を吐き出すと、改めて周囲を見回す。すると、すぐ近くに見覚えのある仲間の顔がもう二つあるのに気がついて、安心のため息を吐くとともに、疑問を呈した。

 

「どこ、なんでしょうか? なんで……わたし達、こんなところに……?」

「わからない。竜の体当たりの衝撃が予定外に前方の地面と接触して土石流となったため、完全防御で竜の体当たりの威力を防いだのち、フルガードを発動した。お陰で竜の突撃をまともに受けずに済んだはいいが、その際に生まれた衝撃で、私たちは地面の掘削に巻き込まれて、奴ごと地下に埋もれたのだと思う」

 

言うと、ダリがわたしの背後を指差した。

 

「え―――、うわっ」

 

つられてそちらを向くと、示す先に、先ほどまで死闘を繰り広げていた竜の巨体を見つけて、驚き後ずさる。それを見ると、サガが笑って言った。

 

「大丈夫だって、死んでるよ。そんなに怖がるなって」

「言いますが、貴方だって、急に起き上がった奴が、最後にあらぬ方向めがけて吐息を吐き出した時、頭を抱えて身を縮こめたじゃないですか」

「おま……、ピエール、別に、それを言う必要はないだろうが! 」

 

やりとりにホッとする。胸をなでおろすと、ダリが言う。

 

「すまない、傷を治してもらえると助かるのだが……」

 

よく見ると、彼の体は全身が青アザだらけだった。そういえばフルガードを使用したと言っていたが、その特技は攻撃を完全に無効化するものではなく、一定時間、周囲の仲間が負うダメージを一身に引き受けて軽減する効果のスキル。

 

つまり彼は、この地下の空間に掘り抜けてやってくるという凄まじい衝撃を三人分余計に、全てその身で受け止めたと言うことになる。偉業を為して私たちを守った恩人の傷に、わたしは慌てて回復薬を取り出すと、振りかけた。

 

「―――よし、助かった」

「いえ、こちらこそ」

 

傷が癒え、己の体の不備がなくなったのを確認すると、彼は近くの地面に落としていた松明を拾う。その柔らかな赤い光は、周囲に拡散すると、ようやく周囲の暗がりに対応した瞳が、照らしだした洞穴の奥の光景を捉えた。改めて先ほどと同じ疑問を口にする。

 

「……ここは? 」

「位置的に、柳洞寺という建物のあった山の奥深くだろう。―――ああ、なら、つまり、そうなのか?」

「……? 」

「つまりここが、エミヤの言っていた、目的の大空洞であるかもしれないと言うことですよ」

 

ダリが一人納得した様子で頷くのを見て首をかしげると、内容をピエールが補足する。

 

「―――たしかに、集中してみると、尋常じゃない気配が奥からするな」

 

サガが真剣な表情を浮かべて呟く。真似をして目の前に広がる暗闇に意識を集中してやると、腹の底から不快感がこみ上げてきた。本能的に吐き気を催してしまうような感覚を覚えてえずくと、むせて唾を地面へと撒き散らしてしまった。

 

―――たしかに、気持ち悪い何かが、この先にいるんだ

 

この闇の空間の奥に、本能に干渉して不快の感覚をもたらす何かが潜んでいる。気分を悪くするものの存在を意識すると、自然とその名前が浮かび上がってきた。

 

―――魔のモノ……

 

そう、ダリとピエールの言っていたことはおそらく正しいのだ。この先にきっと、魔のモノがいる。不思議な確信を得ると、みんなを見回す。全員が同じ所作で肯定に首を縦に振ったのを合図に、ダリを先頭としたいつもの警戒態勢で、私たちは闇の中へと歩を進めた。

 

 

「――――――」

 

小さな空間を抜けた先、突如として広がった地下の大空洞に言葉を失った。地下のはずなのに不自然に明るいその空間は、しかし、奥行きが把握できないほど遠くまで広く、どこまで続いているのかわからない。それでも見える部分に目を配ると、数十メートル先の下の大地には、暗い闇色の池がそこから奥まで続いている。

 

地底湖を見た瞬間、不快感を覚えた。胸を圧迫するような、濃密な感情が心の中に生まれ、思わず身震いして自分の体を抱き寄せる。それは、悲しいとか、腹がたつとか、そういった、ドロドロとした負の感情をいっぺんに合わせたものだった。

 

わたしがそれでもなんとか倒れることなく胸の中で無茶苦茶に暴れる痛みに耐えられたのは、多分、常にシンの痛みを抱えているからなのだろう。

 

見れば、ダリとサガは、押し寄せたその負の感情を受け止めきれなかったからなのだろう、地面に片方の膝をつき、あるいは四つん這いの姿勢で涙と涎を垂らしながら、その奔流に耐えている。唯一ピエールだけが、多少つらそうながらも、なんとかその場に立っていた。

 

「なるほど、あれが魔のモノという奴で……」

「はい。きっと、あの奥にある杯が、その封印のための制御装置なんでしょう」

 

ピエールに回答に視線を再び前へと向ける。その邪悪の気配に満ちた池の上では、ポツンと小島が浮かんでいた。それは、人の手が入っていると一目でわかる不自然な三角錐型をしていた。頂点は平たく均されており、その平面の上には祭壇があり、台座の上では静かに杯が光を放っている。

 

人の頭ほどもある大きさの杯の表面は脈動しているかのように発光しており、周囲の暗黒とは別種の昏い光を周囲にばらまいて存在感を主張していた。その冥光は、魔のモノとの繋がりがあると確信ができる禍々しい外見と雰囲気だった。

 

―――なら、あれに宝石を投入すれば、魔のモノを封印できるのか

 

予感はほかの人に先んじて一歩を踏み出させた。あるいは、熟練の彼らよりも先に足を踏み出せたのは、魔のモノを封じると言う、この赤い宝石を持っていたからなのかもしれない。

 

彼より託されたルビーを手にして表に取り出すと、宝石は松明の光を反射して、暖かい光が周囲にばらまいた。宝石より生じた光は、抑えきれぬ悪意が満ちた暗黒空間の中、それらを抑制し、浄化するかのように、柔らかい領域を生成する。

 

そのかつての宝石所有者の慈愛の表れであるかのような光に導かれるように、まずピエールが私の後に続き、その後ようやく立ち直ったダリとサガが遅れて足を踏み出した。通常とは違う硬さを持つ地面を、金属の靴底が叩く独特の甲高い音がなり、目的のモノへとどんどん近づいて行く。

 

やがて暗闇色の池の前までたどり着いた。湖面から水底を見ることはできない。多少躊躇したが、足を踏み出すと、地底湖は思った底が浅くて、すぐさま湖底に足がつく。この汚泥の中を泳がなくて済む。その事実にひとまず安堵した。

 

「慎重にな」

 

向こう見ずな先行を窘められるも、そこに私を引き止める成分は含まれていなかった。認められている。自然と気持ちが昂ぶった。さらに前に進もうとして改めて一歩を踏み出す。踏み出した部分を見ると、真っ黒だった湖面の自分の足から数メートルほどの範囲だけが透明な色となっている。

 

これは浄化だ。きっと宝石が力を発揮して、魔のモノを封じ込めたのだ。確信が胸に去来し、抑えきれない興奮が、言葉になって口元からこぼれた。

 

「これなら魔のモノを封じられる―――」

「なるほど、かもしれん。だが、そんなことをやらせるわけにいかないな」

 

そうして明るい未来の光景を予測した時、冷たい声が心の隙間から入り込んできて、意識が今という現実の薄暗い空間の中に暗澹たる気分とともに引き戻される。

 

「聖杯の作成に百数十年の時を。核を埋め込み、完成した聖杯の器に魔力を溜め込むのに、更に六十年近くの時を費やしたのだ。いくつかの工程を省き、予定を多少繰り上げる羽目となったが、時をかけ再開した聖杯戦争もようやく最終段階に達した。それを、貴様らなぞに邪魔されるわけにはいかんのでな」

 

背後より聞こえた声に反応して、皆で一斉に振り向くと、私たちがやってきた小さな洞穴の奥から、一人の男がカツカツと靴音を立て、ズルズルと重い袋を引きずるような音とともにやってくる。私たちは、その声に聞き覚えがあった。確か―――

 

「言峰……、綺礼」

「ほう、私の名を知っているか」

 

輪郭すら見えない暗闇の奥で、声が愉快そうに笑う。その声はとても心地よい低音で、油断すればするりと引き込まれてしまいそうな昏い魅力に満ちていたが、だからこそ、私は恐ろしいと感じて、考えるより先に武器を構えていた。

 

続く金属音。ダリは槍盾を前に構え、サガは籠手を解放し、ピエールは楽器の弦に手を当てる。どうやら心を切開して領域に侵入されたような感覚を抱いたのは私だけではなかったらしく、三者も同様に緊張した面持ちで戦闘態勢を取っていた。

 

「嫌われたものだな。ほとんど初対面の相手に対してなぜそうも敵意を露わにする」

「お前は―――言峰綺礼という人物は、魔のモノと一体化した存在だとエミヤが語っていた。それはすなわち、私たちにとっても敵であるということだ。たとえそれが元人間であったとしても―――」

「―――ほう、奴がそう語ったのか?」

 

告げると、言峰は意外だとばかりに言葉尻をあげた。

 

「そうだ。彼は私たちに、魔のモノとかつての世界のことを語ってくれた。だから貴様という人物が悪辣な存在であるという事もよく理解している」

「―――く、は、はは、理解。貴様が私を理解しているだと?」

 

ダリが珍しく敵意の感情を露わにした言葉を他人に投げかけると、言峰という男は言葉の成分よりも内容が気にかかったらしく、息を詰まらせたかと思うと、広い空間に響き渡らんばかりの哄笑を撒き散らす。それはダリのぶつけた敵意感情などとは比べ物にならない密度の感情の発露だった。

 

私は言峰という男が、ダリの理解という言葉に、どんな感情を抱いたのかは理解した。反応した彼が、声とともに発散した嫌悪や憤怒、感情が、はたしてどんなモノを起源として生み出されたのかも、ぼんやりではあるものの、理解することができた気がした。

 

おそらく私がそんな彼の発露した感情に微かな共感しかできなかったのは、他者に対する失意と絶望というものが、私たちの普段の日々にはほとんど存在しない、特別な感情であるがためだろう。

 

 

言峰綺礼という男は、人間として欠陥品だった。他人の不幸の中にしか、己の幸福を見出せない感性は、表向き平等と平和を重んじる人間社会において、間違いなく悪の側に属するものだった。

 

どうしても他者の喜びの中に己の幸福を見出すことができない。他人が美しいと思うモノを見て、美しいと思うことができない。その機能がないのだ。人間として感性が故障しているのでなく、そう思う機能が欠落している。それこそが、綺麗という言葉を名に授かった男が皮肉にも生まれ持った業だった。

 

教会という場所に生まれ落ちた私は、神の教えを受けて成長するとともに、己の生まれた意味を問うた。私の感性は、人の世において、望まれていないものである。ならば私の生まれた意味とはなんだ。聖書によれば悪魔と呼び蔑まれる彼らですら、世に悪という存在を知らしめる敵対者として、聖職者や、他ならぬ神に存在を許容され価値を認められている。

 

しかし、私の場合は違う。世の中において、他人の不幸を喜ぶ男を何処の誰が許容するというのか。何処へ行っても、他人の幸福を醜いと感じ、その不幸を喜ぶ私の感性と存在は、悪魔などと呼ばれる彼らとは違い、その存在意義と価値の全てが否定されていた。

 

この世に生まれてきてはならぬ存在。そんなものがこの世にあることが耐えられない。人は全てなんらかの意味を持って生まれてくる。そんな綺麗な世界の中で、ただ一人、己という存在だけが無意味無駄無価値の烙印を押されていて、そんな己を追い詰めるかのように、己の感性は、世間が醜いと断じるものであると知る良識を、私は理解することが出来ていた。

 

若かりし頃、私は己のその悪を尊ぶ感性の発露を、己が未熟ゆえのものであると断定した。他人とは違う感性を発端とする苦痛と懊悩は、己が未だ神の愛に気づかず、意図を汲取れぬがゆえの未熟の証であると理解した。

 

なぜなら己は、悪魔どもと違い、人の倫理と道徳を理解することができる。生命の誕生を尊いものであると祝福し、死にゆく命を憐れみ慈しむことができる。だからこの苦しみは試練なのだと受け取った。神という偉大なるお方が、なんらかの意図を以ってして我が身に課した、試練。

 

あるいはかつて、恐れ多くも苦難の道を歩み殉教し聖人の座に列席した方々と同じように、この苦悩と共に歩む道の果てにこそ、いつかは己の空虚たる心を満たす意味と価値が見つかるのかもしれないと、伽藍堂で虚無の心を埋めるべく、我慢と忍耐の道を歩み続けた。

 

やがてその行為が空虚であると真に悟ったのは、いつのことだったのか。積み重ねた石の塔を見つめては、それは違うと世間の常識に拒絶され、再び石塔の建築を試みる。その全能たる神の意図を完全に理解してやろうという傲慢な挑戦は、まるでまさに、バベルの塔を建設して天の頂に到達してやろうという無謀な試みそのものであると言えた。

 

私は価値が欲しかった。この世に生まれた意味が欲しかった。全知全能と讃えられる神が

この身を人の世に生まれ落としたからには、その誕生と命にはなんらかの意図があり、意味と価値を持つはずだ。そう、決して私の存在は間違いなどではない。無意味で、無駄で、無価値な命なんてあっていいはずがない。

 

―――無意味に生まれ、無駄に命を消費して、無価値に死んでゆくだけの命など認めない

 

生きる目的が欲しかった。楽しく幸福に生きてみたかった。いつかは完全になりたかった。否、だが、真実、私の生涯は「無」だったのだ。他人の価値感を、己を図る物差しとして利用し、己を否定し続ける行為は、どこまでも私を磨耗させ続けた。認めない。認めない。認められない。己の生涯がただの徒労に過ぎないなどと、断じて認めるわけにはいかない。

 

他人は、己が死地に向かい、体を虐め、無駄な努力に足掻く行為を苛烈と呼び、信仰に厚いと賞賛し、褒め称える。だがそんなものに、感性の違う存在の賞賛などに、なんの意味がある。それどころか、己が裡に押さえ込んだ感性に気付かず、己の醜い本性を改めようと足掻く行為に歓喜されるたび、己が本来持つ感性はやはり完全に間違って、お前の人生は無価値であると拒絶されているようで、余計に腹が立った。

 

ただそれを発露して周りを絶望させる行為は、人間社会において悪と呼ばれるであると行為と認識できる思考と常識を、当時は持ち合わせていた。故に、抑え、仮面を被った。人間社会において悪として拒絶される本性の、抑制と抑圧。そしてそんな醜い感性の己を苛烈に虐め抜き、崇高な目的を見出すための鍛錬を続ける日々こそが、若かりし頃の言峰綺礼の生涯の全てであった。

 

 

「貴様が私を理解できているというのか……。この醜いものだらけのモノに満ちる世界で、平凡に生涯を終える事が許されるのに、それを捨てて他人の幸福のために命を捨てて生きるという、そんな私の苦悩とは程遠い世界の住民の一人である貴様が、私という存在を悪と断じることが出来るほど理解できたと! そういってのけるのか! 」

 

ただ拒絶されただけでは、ああも激昂することはないだろう。その言葉には、今ダリが「言峰綺礼という人物を理解した」という述べた事象に対しての、嫌悪感と憤怒と憎悪がありありと乗せられていた。

 

己の生まれ持った感性を絶対と信じて、他人の事情を汲まず、上っ面、与えられた情報だけを聞いて理解したつもりになって、相容れないモノと感じたものを悪と断ずる行為。言峰綺礼という男は、おそらくその全てを嫌って感情を露わにしたのだろうと、私は理解した。

 

これまで経験したことのない、格別質の高い濃密な負の感情を真正面から生のままに叩きつけられた私たちは、一切の反応をする事が出来なかった。やがて彼は己を律して、それを抑え込むと、一転して静かな気配を漂わせて、言う。

 

「この土地に残っていた記憶を読み解いて、儀式を再現し、手順の乗っ取り、正しく聖杯を降臨させるために時をかけて、奴の望みを叶えるために準備を整えてきたのだ。そしてそれは私の望みでもある。―――易々と封印などしてもらっては困るな」

 

吐き捨てると、言峰は暗闇の向こうから、なにかを前方に放り投げた。手荒く投げ込まれたそれは、彼の数メートル先の地面に叩きつけられると、軽くバウンドして、呻き声を上げた。その掠れてほとんど聞こえない小さな声に、私たちは、目を見張った。だってそれは。

 

「エ、エミヤさん!? 」「エミヤ!?」「嘘だろ!?」「まさか……!」

「その通り」

 

奴が前に進み出て、何かをつぶやいたかと思うと、奴の周囲がポッと明るくなった。そして地面に現れた彼の姿を見て、私たちは絶句して、声も出せなくなる。

 

エミヤは、ボロボロと言う形容詞が陳腐に思えてしまうほど、瀕死の重傷を負っていた。正面から倒れ伏した彼の逞しかった背中はひどく焼け爛れ、肉と煤が衣服と融合して、赤だか黒だか茶色の地肌だかわからない色に変わっている。

 

深い火傷は背中どころか頭にまで到達していて、白髪は頭頂部近くまで燃えて、白いモノが見えている。力なく前に投げ出された右腕は、右は二本の指を切断され、左の手腕骨は砕かれていた。

 

―――早く手当を……!

 

心臓が高鳴った。本能が告げるままに足を湖底から引き上げて、倒れた彼へと近づこうとする。しかし、その動きよりも早く、誰かの手が前に進もうとする私の肩を強く掴み、妨げられた。その力は思いの外強く、直後、ぐいとその彼の元に引き寄せられた私は、私の体をその場に押し留めたのが誰であるかを知る。

 

「なんで……?」

「……近寄るな、響。奴に近づくんじゃあない」

 

呆然と呟くと、彼は、倒れ伏したエミヤ―――ではなく、そして地面に体を横たえさせた張本人である言峰から視線を離さないまま言った。それは冷静さがもたらす慎重……だけではなく、人が、理解しがたいものと遭遇した時に見せる、未知に対する恐怖という感情の表れだった。

 

「でも、それじゃエミヤさんが……!」

 

ダリはそのまま無言で私を自分の側へと引き寄せると、私を抱きかかえるようにして動きを封じて、やはり言峰を注視したまま動かない。その頑なな態度からは、なにがあろうと言峰という男の前に仲間を出すわけにはいかないという内心が伝わってくる。

 

「――――――」

「だ、誰かなんとか……」

 

力が強く、体が動かない。私では彼の拘束を解けない。助けを求めるようにして周りを見ると、サガはダリよりも彼に怯えているようで、彼を見つめるその目はいつもより少し目尻が撓み下げられていて、口を固く結んでいる。口内からは、歯をカチカチと鳴る音が聞こえた。

 

少しでもつつくと、今にでもスキルを暴発させてしまいそうだ。サガは完全に、目の前の言峰という男の迫力に呑まれていた。パーティーの中では小さな彼が、いつもより小さく見える。言ってはなんだが、今の彼は頼りにできないそうだ。

 

最後の望みをかけてピエールの方を向くと、どんな危険な状況下であっても微笑を浮かべて皮肉の一つでも言ってのける彼は、珍しく一切の表情を浮かべないで、じっと言峰の方を見つめている。彼の意地悪と喜びと驚き以外の顔を浮かべたのを見たのは、シンが死んだ夜以来の出来事かもしれない。

 

わからない。彼がなにを考えているのか、わたしにはさっぱりわからない。ただ、その細身の体から立ち上がる静かな気配と、動かない瞳の奥にある確かな灯火からは、今、そうしている彼が、己以外の何物の干渉があろうと、その態度を貫くという意志が感じられた。

 

つまりは彼も頼りにできない。結局、この場にエミヤを助けるに当たって、協力を仰げそうな人物はいないということだ。

 

「存外に冷静なのだな。もう少し、他人の救済に直情的な行動とるものだと思っていたが」

 

迷いの中、気がつくと言峰はエミヤのすぐ側まで近寄っていた。地上にいた大量の魔のモノを側に付き従わせた彼は、エミヤの頭を握ると、持ち上げて、顔をこちらへと向ける。

 

仄かな明かりの中浮かぶ意識のないエミヤの顔は、その細く独特な眉目も、整った顔も健在だったが、顔色だけが常と違い、不自然な色合いをしていた。エミヤの顔は、かつてみた両親やシンの死骸のように、白くなっていた。言峰が蝋燭の様になったエミヤの頭を揺する。

 

「―――う……、ぁ……」

 

途端、エミヤの閉じられた口が微かに開き、与えられた衝撃に対して反応して見せた。

 

―――彼はまだ生きている

 

「エミヤさん! 」

「駄目だ!」

 

叫んで近付こうとするも、ダリが力強く私を抱きとめて離さない。

 

「なんで!? 」

「あれは罠だ。たまにFOEなどの獣もやる、エミヤという生き餌を利用した罠。わかるだろう、響。奴は今、エミヤの生死を利用して我々を誘い出し、あわよくば我らを全滅させようと企んでいるのだ……」

 

ダリは言うと、下唇を噛み締めた。白い歯に隠された口の部分からは、血がにじみ出て、顎下より地面へと垂れる。血液が垂れるのを気にもせず、彼は一切視線を言峰とエミヤから外さずにいる。目には、無念さと悔しさが同居していた。

 

それでよくわかった。彼もエミヤを助けたい。助けたいけれど、助けて他の仲間を命の危機に晒すわけにはいかない。仲間を助けるために、仲間を見殺しにすると言う、その矛盾、その歯痒さを必死で押しとどめている。

 

「死なれても困るので多少治療を施してやった。が、後もって数分、と言ったところか」

 

ダリが感情を押し殺しての冷静を保つ中、言峰は冷酷に言ってのける。感情のない声は、彼が淡々と告げた事が事実であることを示している様だった。その言葉に、私を抱き止めているダリの腕の力が強まる。挑発に耐えようと、彼は必死なのだ。

 

「―――さて、このままこの男を縊り殺してしまうのは楽だが、この男の死によって貴様らが発奮し、魔のモノを封じられる様な事態になっては元も子もない。遠目に見れば魔力の篭った宝石にしか見えんが―――万が一という事もある」

 

言峰は、エミヤの頭をそれまでとは違った丁重な手際で地面に戻すと、油断のない瞳でこちらを見据えた。昏い色をした瞳からは、なんの感情も読み取ることができない。

 

「まずは試してみるか―――、やれ」

「――――――!」

 

やがて言峰は静かに短く命令を下した。控えていた手下―――すなわち魔のモノである獣たちが、背後の闇より飛び出して私たちに襲いかかってきた。咄嗟の出来事であるということと、負の感情が体の反応を鈍らせていて、対応が遅れる。

 

―――ダメ。間に合わない

 

「―――、―――!?」

 

頭の中、やけにあっさりとした諦めの言葉が浮かんだが、周囲の闇たちは、そんな私たちの死の予想を覆すかのように、私たちの周囲を照らす赤の光に触れた途端、まるで誤って火に手を突っ込んでしまった際に起こる生理的な反応であるかのように、驚きの表情を浮かべて飛び退いた。獣は光と触れた鼻っ面をかきむしって、怯えた所作を取る。

 

「―――なるほど、魔のモノを封じる、というだけのことはある」

 

けれどそして、配下の攻撃が通じなかったのを見た言峰は、なんとも愉快そうに口元を歪めた。陰鬱な笑い声とともに彼が浮かべる笑顔は、なぜか慈悲に満ちたものだった。

 

「ならば取引といこうではないか。―――宝石をその場で砕け。そうすれば、この男をそちらへと引き渡そう。速やかに治癒してやれば、万全の状態で一命を取り留めることも可能だろうよ」

 

そして発せられた言葉はなんとも選択に困るものであり、私たちを騒つかせた。ダリの腕にこめられた力が微かに抜け、サガも驚きに体を弛緩させ、ピエールですら顔を多少歪めた。そうして動揺が広がり苦悩と迷いが全員の心に行き渡った様を見て、言峰はさらに口元を引き上げて、心中の愉悦を露わにした。

 

 

他者が嫌う己の本質を認めたのは、第四次聖杯戦争の折だった。当時教会から派遣される魔術師という体で参戦。その実、父、言峰璃正の友人であり、我が魔術の師でもあった遠坂時臣聖杯戦争の勝者とすべく、補助に徹しての活動をしていた私は、師の召喚したサーヴァント、「ギルガメッシュ」と出会った事で、私は長きに渡る軛より解き放たれたのだ。

 

「無意味さの忘却。苦にならぬ徒労。即ち、紛れもなく「遊興」だ。祝えよ綺礼。お前はついに「娯楽」の何たるかを理解したのだぞ?」

 

己以外の全てを見下し、天上天下唯我独尊を体現する半人半神の英雄たる男は、しかしたしかにその傲岸不遜に見合っただけの実力を有しており、また、己の感性のみを絶対の基準として万物すべての事象の真贋を詳細に見抜き、気に食わぬモノに裁きを下す、暴君ながらも王と呼ばれるに相応しい男であった。

 

奴は私が長年誰にも明かさず、己の裡にて抑制してきた、他人が醜き姿をさらすのを見て美しいと思う感性を、短い観察の期間にて見抜き、そして、当時は罪深いと断じて見て見ぬ振りをしてきた苦悩を、愉悦を求める魂の渇望を拒むがゆえの痛みである事を見抜き、そして、私の魂の在り方を肯定した。

 

誰もが嫌い憎む本性を己で肯定し、あるいは他者に肯定される。奴との出会いにより、私は、一般的に悪と呼ばれる側に属する感性を持つ、無意味に生まれ、やがて無価値に終えるはずだった己の生涯を、せめて無駄と切り捨てず、愉悦にて楽しく彩る手法を覚えたのだ。

 

 

エミヤが助かる。しかも完全な状態で。言峰綺礼という男の言葉は、驚くほど素直に私の心を切開して、中に入り込んできた。声は先ほどとは一転、慈愛に満ちていて、言葉が絶対の事実であるかの様に思わせる。

 

「―――あ」

 

思わず手が伸びて、体が前に出そうになった。けれどその動きは、やはりダリの腕に体を抑えられて、足を動かせずに終わる。間違いなく罠だ。言峰が述べた甘い言葉は、エミヤが語った彼の人物像を思い出させて、遅ればせながら私はダリと同じ判断をする。

 

おそらくそれなら、砕いた瞬間、言峰はエミヤを殺す。けれど、砕く事を拒否すると断言しても、やはりエミヤは殺される。エミヤが今、瀕死ながらも彼の掌の上で生きながらえているのは、この宝石に取引の材料として価値があるからだ。だから、宝石を決して砕いてやるものかと固く握りしめる。

 

「―――ほう」

 

すると言峰は関心の一言とともに、私に観察の視線を送ってきた。おそらく、彼の予想では、もっと私の心が揺れるはずで、けれど、違った反応を見せたことに興味と好奇心を抱いたのだろう。嬉々とした様子で揺れる心の天秤がどちらに傾くのか、判断しようとする態度が、少しばかり気にくわない。

 

「おい、どうする?」

「――――――わからん」

「わからん……って、だってこのままだとエミヤが死ぬんだぞ!」

「だからといって、みすみす見えている罠に嵌ってやれるわけないだろう! 砕こうが砕くまいが、どちらを選んでも、魔のモノを封じようとする我々を奴が見逃すわけがないだろう! 砕けばその時点我々ごと! 砕かなければその時点で、エミヤが死ぬ! 殺されるんだ! わかっているんだ、そんなこと! だからどうすればいいかわからんといっているのだ!」

 

もちろん、奴の言葉に心を揺さぶられたのは、私だけじゃないし、エミヤが置かれている状況を見抜いたのも、私だけじゃない。サガの素直な問いに、ダリはまじめに正直な思いと考えを返し、睨み合う。そして、こんなときまで、それぞれの性質は変わらない。あるいは、こんな時だからこそ、それぞれの本質が出ているのかもしれない。

 

彼らの問答に導かれて、話の主役であるエミヤを見る。ボロボロの彼が微かな呼吸の身動きだけをする中、こちらの方へと伸びた右腕の、その先の二本がない怪我から、その半身の爛れた傷を眺めて、私は改めて息を呑んだ。

 

―――どう見ても、この場で全ての治癒が可能な傷じゃない

 

癒着した肉と服を綺麗に剥がして、失った体の一部を復活させるなんていう完全な治療のためには、エトリアに戻って施薬院に運び込むくらいしか思い浮かばない。けれど、エトリアに戻る手段を取り上げられ、その上、エトリアから追放されている私たちがその場所に戻るためには、魔のモノを封じて、来た道を引き返し、階段を戻るしか手段がない。

 

けれど、今、エトリアへの道は、魔のモノによって封鎖されている。つまりはどのみち、魔のモノを封じることが、エトリアに戻るための絶対条件だ。そしてそれを可能とする様な手段の手がかりは、今この場において宝石しかない。

 

宝石が魔のものに対して効力を発揮するのは、自分の目で先程確認したばかりだ。また、エミヤが言うには、魔のモノの手先であるという言峰綺礼が、宝石を砕け、とわざわざ交渉するからには、宝石にはたしかに、魔のモノの全てを封じこめる力がある可能性も高い。

 

なら、クーマの言った通り、宝石を制御装置らしきものへと当てれば、魔のモノを封じられるのかもしれない。どのみち、前も後ろも魔のモノに囲まれている状況で、全員を助けるなんていう芸当は、不可能だ。ならいっそ―――

 

―――彼を犠牲にして、宝石を杯に使用するべきか

 

「―――なるほど、瀕死の仲間を前にして動かないのは、こやつの言動により、私の信用が地に落ちているゆえか。そうだな、交渉を行うならば、互いの間に相手は必ず約定を守るという信頼関係か状況がなければ取引不可能だ、―――ならば、まずは材料を作るとしよう」

 

理性が損得を計算し、判断の天秤を最低損失での勝利条件へと傾かせにかかった瞬間、私の心情の動きを見透かしたかの様に、言峰は言い放ち、エミヤの爛れた背中へと手を当てる。そして彼の手が光ったかと思うと、見る間に血肉が服と切り離された。

 

皮膚と一体化して癒着したモノを剥離した途端、剥がしたものから血が滴り、肉と骨、筋繊維が見え、そして言峰が放つ光によって盛り上がりを見せたかと思うと、怪我は癒えてゆく。

 

思いがけないところから差し伸べられた治癒の手に、呆然とエミヤの傷が少なくなっていくのを眺めていると、やがて言峰は、スキルとは違う―――おそらく魔術―――技術によってエミヤの背中と頭部の大半の怪我を治癒すると、再び話しかけてきた。

 

「譲歩をしてやろう。宝石をこちらに渡せば、この男の傷ついた部分を治して返してやる。ついでに貴様らをこの冬木の土地から地上に送り返してやってもいい」

「え―――」

 

その言葉は、まさに魅惑の一言に尽きた。死力を尽くした私たちは道具も尽きかけていて、もはや魔のモノを封じる賭けに出るほかに生きて帰る道はない。けれど、そこに救いの手がもたらされた。

 

今、言峰の手によって、エミヤと言う男の瀕死の怪我は治癒されて、彼の顔には赤みが戻りつつある。血液の循環が正常に機能し始めた証拠だ。そうしてエミヤが回復する様を見せつけられると、如何にも彼は誠実かつ公正に取引を行い、寛大にも私たちを見逃してくれる人物なのだと思えて来てしまう。

 

「どうした? 侵入し暴れた不届きものを許す条件としては破格だろう? 宝石を渡すだけで、この男に治癒を施し、貴様らとともに五体満足の状態で返してやろうというのだ」

「―――どうやって、我々を地上へと送り返すつもりだ」

「この男から聞かなかったのか?  エミヤシロウは、私がこの冬木の土地から送り出したのだ。私の根城たる教会へと戻れば、転移のための装置が万全の状態で残してある」

「彼の指がないが―――」

「ああそれなら―――、そら、受け取るがいい」

 

答えると、奴は服のポケットから取り出したものを乱雑にこちらへと放り投げた。私たちの目の前の地面に着地した棒状のものが、二本、転がってくる。

 

「う―――」

「奴の指だ。あとで治療してやるといい」

 

言峰が放り投げたのは、エミヤの二本の指はボロボロで、グチャグチャで、すでに血の気も失せていたが、なんとか原型は保っていた。これなら繋がるかもしれないという希望が湧いて出る。

 

「―――渡せば、本当に、見逃してくれるのか? 」

「確実に、地上へと送り返すことを約束しよう」

「宝石を渡した瞬間、ズドンなんてことは……」

「不安ならば、教会まで宝石を貴様たちが持ってくるといい。魔のモノの力を使わずとも、宝石程度の石ころを砕く手法などいくらでも思いつくし、それらを試すのは貴様たちがいなくなったあとでも構わんのだから」

 

言峰は、どこまでも疑問を丁寧に埋めてくる。疑問が解消されるたび、サガとダリは、徐々に彼との取引に応じる気になってきている。

 

かくいう私も、エミヤの顔色が戻り、助かるかもという可能性が浮上してゆくたび、天秤が、宝石を渡してこの度の冒険を諦める方へと傾いてゆく。エミヤの、言峰を信用してはならないという忠告は、目の前で積み重ねられた、他ならぬエミヤの傷を治療したという実績によって、その効果が薄れていった。

 

絶望に満ちかけていた心に、一筋の希望の光が射し込む。

 

―――みんなで生きて帰れるなら、それが一番いい

 

希望は、全ての疑念を脇に置かせて、胸の中で徐々に大きくなってゆく。私は言峰が欲している宝石を握りしめた。私は、そうしてクーマからエトリアの未来のためにと託された宝石を、これから犠牲となりうる多くの人を救うためでなく、今、私たちが助かるために手放そうとしている。

 

気がつけば、ダリとサガはじっとこちらを見つめている。その瞳は、言峰に宝石を渡してしまう事を良しとしろ、と、明白に語っていた。もう、ダリの腕による拘束は解かれている。おそらく、現在宝石を持っている私が首を縦に振れば、その時点で契約は成立する。

 

私は―――

 

「わかりました。宝石を―――」

「渡すわけには、いきませんねぇ」

 

いうと、今までだんまりを貫いていたピエールという男は、私の手から素早く宝石を奪い取ると、湖面に足を踏み出して、そのまま数歩ほど進み、言峰どころか、私たちからも距離を取る。彼の端正な顔は、不愉快の感情に歪んでいる。それは言峰という男に対して向けられたものであり、同時に私たちを対象に含んでいることも、こちらを睨みつける刺々しい視線から読み取れた。

 

私は、常に冷静を保っている彼の突然の蛮行に、文句を言うこともできずに驚くことしかできなかった。

 

 

私にとって、シンという男は、世界で一番大切な人間でした。彼が死んでしまった後、それでも生きてゆこうと思えたのは、ひとえに、シンという男の残り香がダリとサガの中にあったからであり、シンという男が願いを託した響がいたからです。

 

私は彼らの中に残ったシンの欠片が、私にとって良い刺激になることを確信していました。私は彼らの活躍を通して、シンという男の活躍を見ていました。私は彼らが活躍し、変化し、正しいと思える方向に成長するたび、シンが彼らに与えた影響を見つけて、喜んでいました。

 

やがて三人は、己の意志で、たとえ追放され無茶な条件をだされようと、エトリアという街と人のために戦うことを決意しました。シンが亡くなる前のサガなら、日和見な意見をだしたでしょう。ダリなら撤退を進言していたでしょうし、響なら周囲の意見に流されていたでしょう。

 

強敵であれ、難題であれ、迷いなく受託する彼らは、まるでシンのようでした。私はあの時、彼らの中に、シンを見つけたのです。まるで、シンがまだ生きているかのような気分を味わったのです。シンは、彼らの中に生きていたのです。

 

しかし今、そんなシンの意志をその身に宿す彼らは、強敵、難題を前に、楽な道を選ぼうとしました。判断難しい局面を前にした時、周囲に流されるがまま、他人の意見を採用しようとしました。

 

仲間は、敵と断言した男の甘言の心地よさに惑わされて、敵に屈しようとしていました。

 

私はそれが許せなかった。まるでシンを穢されたように感じて、気づけば私は、響の手から宝石を奪い取っていました。宝石を言峰に渡そうとしていた彼らは、当然、疑問の念を私に向けてきます。

 

さて、素直に私の気持ちを伝えてしまうと彼らにとって刺激が強すぎるでしょうし、ここは多少ぼかした表現を駆使して、差し出された毒餌の誘惑にまんまと引っかかった彼らに、私の気持ちと考えを伝える事といたしましょうか。

 

 

「おい! ピエール、どう言うつもりだ! 」

 

驚愕に言葉も発せない私の代わりに、サガが文句を言う。

 

「どうもこうもありません。だって、このままだと貴方達、宝石を奴に渡してしまいそうなんですもの」

「―――それの何が悪い」

「何が悪い……? 何が悪いですって……?」

 

言うと彼は、高らかに声を上げて笑い始めた。男性にしては高い音程の彼の声は、バードという言葉を武器とする職業の喉元から飛び出すと、薄暗い洞穴を満たすほども大きく周囲の地形に響き渡る。

 

「私はね。英雄が好きなんですよ。架空だろうと、実在だろう、世に残される物語に登場する果敢な彼らは、大抵、いかなる苦境に陥ろうと、諦めず、敵に屈することなく、最後まで自分の意思と信念を貫いて死んでゆくのです」

 

そして突然語り出した彼の独白に口を挟むものはいなかった。否―――、挟めない。語り部たる彼は今、言葉を武器とするこの戦場において、絶対の支配者と化していた。ただでさえ薄暗い闇の中、抗えないほど重苦しい空気が張り詰める。それはおそらく、彼の意図せずに発散している感情が生み出したものだったのだろう。

 

「英雄と呼ばれる彼らの生涯には、さまざまな苦難がありました。後悔があったでしょう。苦しみがあったでしょう。かつて人同士の諍いが戦いの理由であった時は、他者を憎み争いの種になる事だって珍しくもなかった」

 

彼が口を開き、長きにわたり滔々と語るのは、過去と彼にとっての事実を語る時だけだ。

 

「そうした彼らの苛烈な生き様、死に様は、私にとって、とても刺激的なものであり、美しく、快楽です。ただ、そのあまりの鮮烈さと過激さは、今の時代を生きる人たちにとって少々刺激が強すぎることもありますが―――、とにかく、バードはたる私は、物語を語る際、登場する人物がどのような思いを抱いて生き抜いて、そして死んでいったのかを再現し、己の解釈を感情に乗せて歌とするのです。そして、そんな英雄達が苦難を葛藤し乗り越えたのかを聴講者達に伝える事で、彼らに良い変化を与え、そして聞いたものが英雄達と同じように懊悩し、壁を乗り越えようとする様を、壁を乗り越えたのを、良質の刺激として楽しんでいるのです」

 

わからない。彼が何故今そのような己の性質を語り出したのか、その意図が読めない。ピエールはその視線を言峰綺礼という男に向けた。気圧されて静聴している私たちとは違い、言峰という男は、ピエールの話を聞いて、忌々しいと言わんばかりに、顔を歪めていた。

 

ピエールはそれを見て笑う。

 

「その反応。貴方がこの世界を醜いといってのけた時、もしやと思いましたが、やはりそうなのですね。私と貴方はよく似ている。私が他人の成長や、苦難を乗り越える姿を美しいと感じ良質の刺激とするのに対して―――貴方は、人が苦難や苦悩に絶望する姿を見て喜ぶ」

「―――」

 

言峰は一転して無表情となり、無言を貫く。

 

「―――私は今、一つ、気に食わないことと、一つ、気にかかっていることがあります。だからこうして宝石を取り上げたのです」

 

ピエールはそんな言峰の変化を、気にもしないで、話を続ける。話題をようやく本題へと戻したピエールの手中では、赤いルビーが、話の主役となることを喜ぶかのように輝いていた。

 

「気に食わないこととは、もちろん、私の仲間達のことです。苦難の道を歩むのは己が選択した結果なのだ、見くびるな、と言い張り、エミヤという男に真っ向から食らいついたサガや、常に誰かを守ることを密かな誇りとしていたはずのダリ。シンという男の意志を継いで、未知に挑むと誓った響は、あろう事か他人より差し出された安楽で破滅的な道を選ぼうとしていた」

 

突如こちらへと飛んで着た非難の刃が、私たちの心を容易く切り裂いた。言葉はそれぞれの心への侵入が容易となるように加工されていて、思わぬ痛みに、私も、ダリも、サガも、それぞれ呻き声のような声を上げさせられる。

 

心の痛みは、自らを甘やかしていると自覚させられた事によるものだった。

 

「くっ、くっ、くくっ」

 

そうして私たちが胸を痛めた様に、言峰は鼻を鳴らし、失笑を漏らした。顔には、思わぬ所

に面白いものを見つけた時などに生じる、喜びの感情が生まれている。間違いない。彼は今、私たちがそうして苦しんでいるのを見て、悦楽を得ている。

 

―――なんて性格の悪い

 

私はそして、エミヤの忠告と、ピエールの推論が正しかったことを、今更ながらに理解した。

 

「そして気にかかっていることとは、もちろん、貴方の言動です、言峰綺礼

「―――私の言動の何が腑に落ちないというのかね? 」

 

言峰は私たちの失態を見た事で機嫌を直したらしく、打って変わって私たちを言葉で傷つけたピエールとの会話を楽しむかのように聞く。

 

「だって貴方、実のところ、宝石を渡したところで、私たちを生かして返そうなんて気は、さらさらないのでしょう? 」

「―――さて、戯言を述べたつもりはないが、何を根拠にそう思う?」

「ええ、貴方はたしかに嘘をついていない。―――でも貴方、これまでの会話で、一言たりと、私たちを生かして返してやろうなんていう意味の言葉をいってないじゃないですか」

「―――く」

 

ピエールが指摘するや、言峰は、声を荒げて笑い始めた。己の性質を見抜かれ、企みを暴かれたというのに、心底愉快そうに、悦楽のままに、何度も息を切らしては、高笑う。それはまるで、長い時間をかけた末、鈍い両親に自分の意図をようやく少し読み取ってもらえた子供が、喜びのままに感情を表現しているかのような、純粋な喜悦に満ちたものだった。

 

 

ピエールは言峰綺礼が高笑いした直後、彼は杯に向かって駆け出していた。バードという補助職ながらも流石はエトリア随一の冒険者、その速度は決して他の近接戦闘職と比べても遅いものではない。少なくとも、彼はいつも以上の速度で湖底を駆け抜ける。

 

滑らかな黒い湖面は彼が持つ宝石の力によって、常にピエールから一定の領域だけ目に見えぬ境界が敷かれ、液体の侵入を完全に防いでいた。宝石は明らかに魔のモノを退ける強い力を持っている。

 

見た目では区別がつかないが、封印なのか、祓っているのかわからないけれど、どちらにせよなら、ピエールが言峰という男が馬鹿笑いしている隙に杯へと到達し、それに宝石を使用することができれば、魔のモノをどうにかできるかもしれないと、強く思えた。上手くいけば魔のモノである黒い影はだろうし、その配下である言峰も身動きが取れなくなるはずだ。

 

そうすればエミヤを助けられるし、私たちも助かる。あとは、言峰の言っていた転移装置で地上に脱出すればいい。それで万々歳。万事解決だ。

 

しかし。

 

「なるほど、面白い事を言う。だが、惜しいな。確かに私と貴様は似ているかもしれないが、物語のような余分や絞りかすを楽しめるのであれば、貴様の感性は所詮二流のものにすぎん。私が娯楽とするのは、危機に追い詰められた人間が極限下において見せる、むき出しになった魂の炸裂だ。例えば―――」

 

言峰が言うと、私たちのいる入り口近くの湖の際から杯の間までの黒く滑らかだった湖面が蠢いて、液体は気味の悪い触手の群れへと変貌した。目と吸盤だらけの黒いそれらを、一目見て醜いと思ってしまったのは、その触手が全身より放つ怖気が、原始的な本能部分に働きかけられた結果だ。

 

あれは、およそ人の受け入れられる存在ではない。触手は、一度触れれば、瞬時に食われてしまいそうな、絶対的な捕食者を前にしたような感覚を私にもたらして、私はそれらから距離を取る為に離れた。周囲ではダリとサガも私と同様の挙動をしている。

 

「―――はっ、はっ、はぁっ」

 

そうして湖の中で際限なく増える触手の群れの中を搔き分けるよう、ピエールは杯目指して一直線に進んでいた。湖面に膨大な数現れた触手は、魔のモノを封じる宝石によって、彼に傷を負わせることが出来なくなっているようだった。触手はピエールから離れようとして蠢いている。

 

しかしそして、湖の中を安全に障害なく進めるようになっているはずのピエールは、触手出現直後、中心に進むにつれて進行の速度が遅くなってゆく。

 

「ああ、もう、煩わしい……! 」

 

原因は、湖面を覆い尽くした触手だ。触手は湖面全てを覆い尽くし、ピエールの周囲を隙間なく埋め尽くしていた。つまりは、魔のモノも己の苦手とすると力から逃げられないでいた。故に先ほどまでピエールの周囲空間はもはや余裕が一切なく、彼は全身余すことなく魔のモノに飲み込まれているような状況だ。

 

「援護にいかないと―――、っ……!」

 

私は慌ててピエールを追いかけようとして、触手の群れに行く道がないことを思い出させられる。不用意に伸ばした指先が地面から伸びた触手にふれて、灼熱の痛みが走った。引っこ抜いて指先を見ると、先が黒くなっていて、感覚が無くなっていた。

 

―――死ね、死ね、死ね

 

そんなことよりも恐ろしいのは、指先から入り込んでくる悪意。今までに味わったことのない、他人から向けられる純粋かつ濃密な負の感情は、おどろくほどの速度で心に到達して、その全ての領域を汚染してやろうと侵食してくる。

 

次の瞬間、薬を使ったのは、本能の動きだった。一刻も早く、それから逃れたい。そんな思いを込めて振りまかれた治療薬により、指先は浄化されてすぐさま色を取り戻す。黒の色が私の体から消えると同時に、その呪いはどこかへと消えていた。

 

「―――っ、……はっ、……はっ」

 

呪いから逃れたことに安心したのもつかの間、蠢いていただけの触手は能動的な反応を見せて、目の前の私に襲いかかってきた。一つならなんとかなったかもしれないけれど、湖から襲いかかる触手は、あまりに数が多すぎて、反応が間に合わない―――

 

「響! 」

 

顔が黒焦げになる寸前、ダリが私の体を引っこ抜いて、湖のそばから離脱してくれた。今まで私たちのいた地面をたくさんの触手が叩いた途端、じゅうじゅうと音を立てて、地面が焼かれて黒くなる。触手は共食いするかのように重なり合ったのち、獲物がいない事を確認すると、その触手を元の場所へと戻した。

 

そいつらがいなくなった後の地面は幾重にも抉れ、黒焦げになっている。一瞬でもダリの反応が間に合っていなければ―――

 

―――私は、本能の部分に嫌悪の感覚を叩き込んでくるあの触手の餌食になっていたのか

 

「―――っ!」

 

背筋に冷たいものが走って嫌な汗がブワッと額に浮かんだ。鼓動は嫌が応にも早まり、呼吸が荒く短くなる。そのまま顔を上げて、触手に襲撃の命令を出した張本人を見てやると、言峰は、命の危機に恐怖に怯えた私を見ると、彼は愛おしそうに笑っていた。

 

「そう、それだ。多少もの足りぬが、今しがたお前が見せた、その命の輝きと抵抗の先にあるものこそ、私の求める刺激の源なのだ」

「―――」

 

そして私は、エミヤが危険視し、ピエールが宝石を私から奪った理由を、完全に理解した。この男は、心底、他人の不幸と苦しみを喜び、糧とし、それのためなら、虚言に戯言、卑怯な謀だって平気でやる人間なのだと。

 

「―――その目。どうやら私と言う人物を正しく理解してもらえたようだな―――、しかし、そうか、目論見と私の性格を見抜かれ、宝石が貴様らの手になくなったのなら、もはやこれには完全なまでに価値がなくなってしまったな」

 

彼は笑って、先程己が治療を施したエミヤの頭を踏みつけた。大地が砕けるほどの衝撃。ゴキリと嫌な音がして、彼の体が大きく揺さぶられ、四肢が一瞬だけ跳ねて再び地に落ちる。伏せた顔面から、血がどくどくと地面に赤い水たまり作ってゆく。私は頭に血が昇って、湧き上がった怒りの気持ちで冷めた心がかっと熱くなった。

 

「何を―――」

「いらなくなったものを処分する。それだけのことだ。それに、そろそろあの男が聖杯に到達してしまう。流石に魔のモノを押しのける程度の力しか持たぬ宝石でアレを完全にどうこう出来るとは思えんが、聖杯に使われては多少の影響があるかもしれん事は否定できない。なにより器が完成する前に水を差され二百年近くにも渡る苦労を台無しにされては、興醒めどころの話でないのでな。異変が起こる前に、余計なゴミを始末してから、あの男の処分に向かうとしよう」

 

素直に答えたのは、私たちのことを侮っているからだろう。言峰は足をあげると、その靴底をエミヤの背中の真上に持ってゆく。先程よりも高く上げられた足は、無防備な背中の上で固定され、私は彼が何をしようとしているのか悟り、思わず叫んだ。

 

「やめてぇ――――――! 」

「――――――、ふ」

 

心からの嘆願の叫びは、けれど奴を喜ばせて行動を促進する材料にしかならなかったようで、言峰は憎らしいほど晴れやかな笑みを浮かべて、その足を振り下ろした。

 

 

「―――あと少し……!」

 

目の前を塞ぐ触手と触手の隙間に、両手を捻じ込んで二つの距離を大きくあけると、今度は体を捻じ込んで、つっかえとします。そして胴体を梃子がわりにして、隙間をさらに大きくすると、二つが再び仲の良さを取り戻す前に、足を通して、間を抜けるのです。

 

こじ開けては、抜ける。こじ開けて、抜けて―――そして、そんな作業を数十回繰り返したのち、ようやく私は、杯の手前までやってくることができました。

 

湖面を大量の触手が覆う中、杯が保管されている台座の周辺だけは、何事もないかのように平穏を保っています。やがてその群れを、これまでと同じように無理やり抜けて空白地帯に身を投げ出すと、転げて杯に近寄りました。

 

「――――――! 」

 

すると、守護を突破された触手の群れは、悔しそうに身をよじらせながら、手近の地面を叩き、地面はまるで呪われたかのように真っ黒く染まり、掘削されて砂埃が飛びました。

 

呪いを帯びた礫は、黒い散弾となり地面に横たわる私の全身を襲いましたが、それは私の周囲から数メートルほどの空間に入った瞬間、呪いを浄化されて、元の色を取り戻しました。

 

―――やはり

 

礫に見るだけで呪い殺されてしまいそうな毒の沼に全身を浸らせていながら生きていられたのは、この手にした宝石のお陰なのでしょう。その事実はつまり、この宝石を魔のモノが守る杯に直接接触させれば、何かが起こるに違いないと、私に確信を与えました。

 

埃を払いのけると立ち上がり、前へと足を進めます。あと数十歩。それであとは決着がつくはずです。そう、この宝石を杯に接触させてやれば―――

 

「―――う」

 

そして宝石を持った腕を台座の上に置かれた杯へと伸ばして、私は気がつきました。人の頭が入るほどの大きさの銀の杯の底には、酒の代わりに血液が薄く、しかし波紋で波を作る程度の量が注がれており、さらに、人間の心臓が、氷の代わりに入れられていました。

 

杯に心臓を収める意図も意味もわかりません。いかなる仕掛けなのか、杯にぽつねんと存在する心臓は、まるで未だ千切れた血管と神経の先が繋がっているかのように、血色よく脈打っているのです。

 

何という人知を超えた不気味な光景なのでしょう。多くの物語を蒐集してきましたが、ここまで常軌を逸した光景を語るものはありませんでした。不気味に怯えて、思わず嚥下すると、喉元を通過してゆく唾液の音が、やけに大きく体の中に響きます。

 

―――とにかく、これで全てが終わるはず

 

気持ちが黒く塗りつぶされる前に、私は宝石を持った手を杯の方へとのばし―――

 

「やめてぇ――――――! 」

 

背後より響いた悲痛な声に、気がつくと振りむいていました。暗闇の中、視線が触手蠢く湖の光景を乗り越えると、やがて水際の近くと少し離れた場所に、仄か光る二つの光源を見つけることが出来ます。一つは、仲間のもう一つは、言峰綺礼という男のものでしょう。

 

まず近くの明かりへと目線を送ると、膝から崩れ落ちて両手を地面についている響の姿が目に入りました。目線を送った直後、彼女は体を揺らして震えはじめました。おそらくは嗚咽しているのでしょう。

 

彼女の前方ではダリが体を傾かせて槍に体重を預け、彼の横ではサガが力の抜けた肩を落としてうなだれていました。

 

いつの日か見た、絶望を露わにする態度。シンが死んだときの記憶がよぎり、嫌な予感が脳裏を駆け抜けます。彼らをドン底へと叩き込んだ原因を早く探れと不安に急かされるまま、入り口近くの明かりの方へと視線を移動させて―――

 

「―――そんな」

 

そこに胸を貫かれたエミヤの姿を見つけて、私は仲間たちと同様の、暗く深い絶望の刺激を味わいました。覚悟しての出来事であるとはいえ、目の前にすると、やはりたまったものではありません。

 

―――また、仲間が死んだ

 

エミヤを殺した言峰綺礼という男は、彼の胸から足を引き抜くと、自らの行動によって絶望の淵に沈んだ三人の様子を見て満面の笑みを浮かべました。そして。

 

「――――――」

 

遠くにいる言峰と私の視線が交わります。三日月の笑みを浮かべた顔面の中、口元が静かに動きます。この数十メートルも離れたこの位置から私がその動きをはっきりと捉えることはできませんでしたが、言峰がこちらに向けて発した言葉は、不思議と理解することができました。

 

―――お前のせいだ

 

お前が暴走したせいで、エミヤが死んだのだ。遠目に見える微かな唇の動きは、けれど雄弁にエミヤの死が私の行動にあるという事を述べていました。奴が遠くより放った言葉の刃が、目に見えぬ矢となって、私の心を貫きました。

 

苦しむお前らの姿が愛おしいと言わんばかりの慈愛に満ちた満面の笑みを浮かべる言峰の所作を見るのが辛くて視線を下に落とすと、そこでは物言わぬ骸となったエミヤが、頭部から血を流しているのが目に入りました。

 

―――君の足掻きのせいで私は死んだのだ

 

死者は何も語らない。死体から言葉を発したのは、私の心が生み出した幻聴に間違いない。そんなこと、嫌という程理解している。けれど、心がどうしても認めてくれない。だって真実、私が響の手から宝石を奪って杯へと近寄らなければ、彼は今まだ生きていた可能性が高いのだ。あるいは、奴の言う通り、宝石を教会という場所にもってゆけば、そこまでの間に彼は意識を取り戻してくれて、もっと良い手が打てたかもしれない。

 

―――いやきっと、そうなったに違いない

 

他の選択の先にもっと良い未来があったかもしれないと思うと、胸がいっそう苦しくなりました。あったかもしれない、いう言葉は、確定していたのに、という言葉へと成り代わり、やがて、自らを痛めつける刃となります。

 

そんなもの、被害妄想に過ぎないと言い聞かせながら、しかし、外部より過剰に与えられた刺激は心の中をかき乱して、冷静な判断をさせてくれません。

 

―――あの時、宝石を渡す選択肢を取っていれば……

 

彼女から宝石を奪い取った時、エミヤが言峰に殺されるという未来を予測していなかったわけではありません。それどころか、そうして交渉を無視して、宝石にて魔のモノの封印を試みれば、交渉材料として価値のなくなったエミヤが殺されるそうなる可能性は高いとすら思っていました。

 

しかし私は、そんな仲間を切り捨てる覚悟をしてこの場所まで宝石を運んできました。覚悟。そう、私は仲間を見殺しにする覚悟を決めていたのです。……決めていたつもりだったのです。……決めていたつもりでした。

 

けれど実際、自らの行動により仲間を死なせてしまったという事実は、そんな上っ面だけの覚悟なんて軽く吹き飛ばして、心の中をかき乱します。後悔の感情は、未だに私が離さず色褪せさせず抱えている、かつてシンという男が死んだ時に味わった想いに辿り着き、掘り起こし、交わって、やがて一切の法則性を持たない無茶苦茶な信号となって、表現しきれない感情が全身を駆け抜けます。

 

チカチカと視界が明滅するのは、現実を直視したくない体が、拒絶反応として瞼を動かしている故でしょう。ごとりと音がして、初めて自分が楽器を地面に投げ出していることに気がつきました。強すぎる刺激に支配された体は、バードとしての誇りを放棄する事を選んだのです。

 

―――私は

 

やがて気がつくと、力が抜けて崩れ落ちてしなだれていて、それでも宝石から手を離さないのは、浅ましくも、生存本能がこれを離してしまうと、周囲の魔のモノが押し寄せてくると感じ取ったからでしょう。

 

―――私はなんて愚かなことを……

 

ごめんなさい、と謝罪の言葉が脳裏をよぎって、けれどいってしまえば彼の死の原因が自分の物だと確定してしまいそうで、躊躇いにぎゅっと手を握りしめました。すると、手中にて変わらず赤く輝く宝石は、そんな私の弱気を吹き飛ばすかのように、静かで強い光を周囲に撒き散らしました。

 

自然が作り上げた奇跡の塊が放つ、純粋で高貴な輝きは、まるで、やると決めた事をやり通すし、気にくわない奴はぶっ飛ばすとでもいうかのように、未だに力強く魔のモノたちを遠ざける光を放っています。

 

宝石は持ち主の魂と記憶を受け継ぐといます。ならきっと、その凛然とした強さは、この宝石のかつての主の意志を反映したものなのだろうと思いました。

 

―――そうだ、今は悲しみにくれている場合じゃない

 

石が放つ美しい心の光は、彷徨い闇に落ちかけていた心を正しい方向へと導いてくれました。先程誘惑に屈しそうになった彼らのことを責める資格は、私にもないな、と思いました。また、シンの在り方と異なる行動を取りそうになった自分自身に怒りが湧き上がります。

 

ただ、そうして怒りのままに行動するのは、いかにもシンらしくないと思いました。気がつくと、私の怒りは、一旦、その全てが行動のためのエネルギーに変換されていました。脳が動く命令を下すと、体は従順に思った通りに動作してくれる事に気づけます。

 

―――犠牲が出た。それでも初志を貫徹する

 

そう。正しいと思ったのなら、命をかけてでもやり遂げる。私の選択によって、犠牲が出た。仲間が死んだ。仲間を死なせてしまった。でもだからといって、足を止めることはできない。

 

後悔したところで現実は覆らない。人は血液を失えば、人は死ぬ。心臓を砕かれれば、人は死ぬ。何もせずとも、寿命で死ぬ。だから、せめて、嘘偽りなく生きる。他者との衝突を恐れず己を貫き、間違いを指摘されたのなら認め、犠牲をだしてしまったのならその死を悼み、抱え、そしてやがて訪れる最後の瞬間、己の生き様を認め、満足のうちに死んで行けば良い。

 

それが、私がシンという男から受け継いだ強さであり、シンという男が憧れたエミヤという男を私の判断にて死なせてしまった事に報いる唯一の術であり、残すべき財産なのだから―――

 

 

走馬灯のように圧縮された時の中で後悔と懺悔、改心と決心を一気に済ませ終えると、私は元々の目的のために動き出しました。起きた現実の出来事をきちんと見据えてやると、頭の中にこびりつくような幻聴はもう聞こえてきませんでした。声のある時に目を向ければ、彼は変わらず下を向いた骸の状態で、動く事はありません。

 

―――償いと弔いは後で必ず。ですが……

 

その前にやり遂げないといけないことがあります。それは選択の結果、犠牲にしてしまったエミヤの望みでもあった、魔のモノの封印―――それが出来るという宝石を、杯に当ててやる事。

 

「せめてそれくらいは―――!?」

 

やり遂げてみせよう。決意して振り向き、手中に収まっている宝石を器の中に収めるべく、手をかざしつつ振り向き、器の上に持っていこうとした瞬間、発生していた異常事態に目をむかされました。

 

「杯が―――」

 

人間の心臓を収めるという趣味の悪い意匠が施された杯は、その身が置かれ固定処置が施されていた台座から解き放たれて空中に浮いていました。宙に浮いた杯の上に空いた穴からは、やがて黒い汚泥が漏れ出し、下部の杯を満たし、溢れ、地面を焼きます。

 

銀の美麗な器から溢れてきたそれは、今までの魔のモノという存在が放っていたものとは別種の暗黒でした。やがて漏れ出た暗黒の水滴が一雫だけ地面に触れた瞬間、土は持っている生命力を奪い取られたかのように、溢れる汚泥と同種の黒い存在となり、直後、私の体へと襲いかかってきました。

 

「―――う、っつ、くぅ」

 

闇の群れはこれまでの触手どもとは異なり、宝石の守りなどまるで無視して、体に纏わりつこうとしてきます。体の周囲を覆う光と闇の境界線は瞬時に崩壊し、私は闇と接触。

 

「―――あ、が、う―――あ」

 

―――……死ね。……お前も死ね。……お前も一緒に死んでしまえ!

 

絶対零度の悪意。闇と触れ合った体は瞬時に温度を奪われ、内包する悪意の成分は心に侵食してきます。その現象は、体と心を徐々に己を傷つけるなどという生易しい次元ではなく、瞬時の同化と悟りでした。

 

「―――あ」

 

ぼきり、と、心が折れたのを感じました。単なる負の感情の奔流ならば、もう少しは耐えられたでしょう。ですが、私はもはやそれの一部でした。闇の中には、生きている限り逃れることのできない死の恐怖が齎すさまざまな感情が、極限まで圧縮されて詰め込まれていました。

 

触れた途端、もはや出来る出来ない、可能不可能の話しではなく、抗ったところで数秒後に訪れる一心同体になる運命からは、絶対に逃れる事叶わないのだという現実を、汚泥は伝えてきます。

 

―――ああ

 

なんで私はこうも弱いのでしょうか。少し前に心に決めたはずの抵抗の決意は、未知なる質と量の悪意によって、簡単に霧散してしまっていました。

 

折れた心に反応して、体から熱が失せていくのがわかります。体が失せてゆく感覚を覚えました。削られ、自由に動かせる部分が、痛み感じる神経が、それを怖いと思う感情が消えてゆきます。

 

―――……ああ

 

明日を夢見て眠りにつくのとは違う、希望のない底なし沼に沈んでゆく、暗闇と一つになる感覚。そして記憶も感覚も凄まじい速度で失せていく中で、私が最後に思い出せたのは後生大事に抱えていた、シンへの想いと、彼と関わった仲間たちの事でした。

 

―――自分が消えるのはいい。でも、シンの痕跡が全て消えてしまうのだけは耐えられない

 

せめて、彼が生きた思い出と行動理念を受け継いだ彼らくらいは救ってやりたい。一念は、自由にならないはずの体を動かし、宙に浮いた杯の中へ宝石を投擲させることを可能としました。

 

―――こ…れ……で……、……

 

宝石は浮かぶ杯の黒い汚泥の水面張力と勢いを破り、暗黒の中へと静かに呑み込まれて消えてゆきます。前方から怒涛の勢いで迫る泥が私の体を完全に呑み込み、背中がゆっくりと地面へと吸い込まれてゆきます。

 

意識を手放す前、ぼやける視界の中、入り口の近く湖の際で二つの光が合流する。それが、私が全てを手放す前、最後に見た光景でした。

 

 

「多少予想外もあったが、存外呆気なかったな」

 

エミヤという英霊を殺し、遠目に聖杯が完成したのを見る。第三次の聖杯を参考に、第五次の機能を組み込み完成した聖杯は、瞬時に予定通りの効力を発揮して、黒い泥―――すなわち、「この世の全ての悪/アンリマユ」を生み出し始めた。

 

―――ああ

 

「なんと美しい―――」

 

感嘆の声が漏れた。聖杯に付着した泥。すなわちアンリマユは、世界の全てを呪ってやまない闇を聖杯の中より吐き出して、その周囲を呪いで塗り替えてゆく。やがて溢れ出る暗黒は、奴と同質の存在である地底湖一面を覆う魔のモノと接触した。

 

アンリマユは魔のモノと接触すると、即座に触手を黒く塗り替えて汚染してゆく。すると、魔のモノは同化し黒ずんだ体を悦楽に震えさせて、悶えるのだ。魔のモノはアンリマユが内包する感情を存分に体内に取り込み、アンリマユは自らの血肉を分け与えながら、周囲の魔のモノ全てを己の属性で染め上げてゆく。

 

杯より黒いワインのごとき液体を無尽蔵に生み出し、飢えた衆目に血肉をパンのごとく与えながら前進するアンリマユはまさに、キリストのような聖なる存在であると言えるだろう。世間においては悪と呼称されるモノ同士の邂逅により、私は初めて、自己犠牲というものの尊さを理解することができていた。

 

―――長かった

 

珍しく感傷に浸る。魔のモノに必要とされ復活し、この時、この光景を見るため、二百年を超える時を過ごした。故に目的達成の喜びはひとしおだった。

 

 

かつてこの世界の人間に敗れ、ほとんど力を失い逃走した魔のモノは、その傷を癒しもとのとおりに復活するため、大量の人間の負の感情を必要とした。

 

魔のモノは迷うことなく、これまで以上の分量の負の感情を人間たちから吸い上げ己の傷を癒そうと試みた。しかし、皮肉にもその行為は、人間たちが、己に、互いに、負の感情を抱く事を妨げる事となり、世界は徐々に平和になってゆく。

 

摂取できる餌の質が低下し量までも減ってゆく中、魔のモノは己の存在維持が精一杯となり、一層必至に人間どもから負の感情を取り上げるようになるが、その行為はますます人間が負の感情を生み出さない生物へと退化させる原因となり、魔のモノは徐々に力を弱めていった。

 

やがて糧の量が減り、質が悪くなる中で、力を失っていた魔のモノは、世界のある場所で異常なものを見つけた。それは、かつての巨大な力を持つ自分では気がつかないほど小さな、けれど、その時代においては純度の高い悪意の感情だった。

 

生存の糧を求めていた魔のモノは、迷う事なく反応がある場所へと向かった。その場所こそが冬木の土地。円蔵山の地下、霊脈と近しい場所にある、大聖杯が設置されていた大空洞跡地である。

 

大聖杯という、世界の外側に干渉し、現在過去未来の英霊の召喚を可能とする魔術道具は、その内部の時間軸が全て等価の存在だ。また、大聖杯は、聖杯を現世に降臨させるため、その土地の霊脈を聖杯降臨にふさわしいものへと作り変える能力を保有していた。

 

アンリマユを宿していた大聖杯と接していた周辺の土地と霊脈は、その性質を一部受け継ぎ、大空洞跡地は、大聖杯がその場所に設置されてから以後二百数十年の歴史を保有し、悪意が溜まりやすいという特性を持つ場所に変貌していたのだ。

 

やがて第五聖杯戦争よりのちの時代、大聖杯の存在に気がついたある魔術師はその土地の異常に気づき、土地を霊脈から切り離して、封印処置を施した。おそらくは時の流れの果てに溜め込んだ力を失う事を期待したのだろうが、あいにく周辺より隔離された土地は、だからこそ皮肉なことに、魔のモノの到来と世界の崩壊からも無関係を貫く事を可能として、その場所は、長い間、一部の大聖杯の記憶と、純度の高い悪意を溜め込む事を可能とした。

 

やがて長い時間の果てに封印の効力は薄れ、土地の持つ悪意は外へと漏れるようになり―――

 

そして漏れた悪意を弱り切った魔のモノは感知して、奴はその場所へと足を運ぶ事となったのだ。魔のモノはその悪意を喰らい、そして喜んだ。残存している悪意は、質が、その時代とは比べ物にならないほど良質なモノであったからだ。

 

その悪意を喰らい尽くせば、自身はかつてほどでないものの、幾ばくかの力を取り戻すことができる。喜びそれらを喰らい尽くそうとした魔のモノは、しかし思った。

 

―――それでは駄目だ

 

今、世界樹という天敵の上に住む人間たちは、以前よりも繁殖し、力を蓄えている。そんな中、以前より力を増してならともかく、以前よりも弱い、中途半端な状態での復活を果たしたところで、やがて異常を感知してやってくる人間どもにやられてしまう可能性が高い。

 

思考する中、土地と一体化して物質化していた事で保有されていた悪意を取り込んだ魔のモノは、自然とその土地の記憶を読み取り―――、残された大空洞の記憶の中から、これほどまでに純度の高い悪意が世に現れ、残留していた理由、すなわち聖杯戦争という事象を知り、初めは己の力のみでそれの再現を試みた。

 

もちろん、それは上手くいかなかった。魔術というモノの仕組みを理解できないモノに、大聖杯という魔術の極地の結果に生まれた道具と、それを用いて英霊召喚を行い、聖杯の選定を行う奇跡の儀式、聖杯戦争を再現出来るはずもない。

 

やがて苦戦と懊悩の末、魔のモノは人間の中でも、悪側に属するものであり、聖杯戦争の監督者でもあった私に目をつけた。人間でありながら悪を容認し、他者の苦しみの中に喜びを見出す私と、負の感情を糧とする奴の出会いは、必然の運命であったと言えるだろう。

 

生前、己の持つ悪の性質により、無価値を決定づけられた私は、死後、初めてその性質を、心底、他者に必要とされたのだ。姿形こそ異なるものの、同種同類から必要とされ求められたという事実は、娯楽と無駄に費やした生涯にて積み上げてきた喜びなどとは比べ物にならない歓喜を私の中に生み出した。

 

悦楽を分かち合う同士と目的のできた私は、魔のモノの望み通り―――、そして、かつての私の望み通り、この世の全ての悪/アンリマユをこの世に下ろし、その生誕を祝福するため、私は聖杯戦争の再開を目的として動き出したのだ。その時、比翼連理の同士を得た私は、これまでにないほどの幸福な感情で我が身が満たされていた。

 

 

長い斎を強いられる時期は過ぎ去り、今や一対の翼は、もう一人の同類、否、同位体を得て、三位一体となった。そう、我らはもはやアンリマユという悪の神、魔のモノという悪の精霊、彼らと同一である悪の人間言峰は、神であり、精霊であり、神の子でもあるといえよう。

 

―――ならば世界樹の上に住まう無垢な民どもに祝福を与え、新たなる魂のステージに引き上げてやるが、上位者となったものの勤めと言えるだろう

 

自らの行いによって訪れる素晴らしい未来を予測して娯楽が生み出す快楽と悦に浸りながら美しい闇を生み出す聖杯を見やっていると、やがて聖杯の上部空間より漏れ出すアンリマユにて汚染された魔力の流出量が下がっていることに気が付いた。貯水と放水の機能を持つ聖杯の稼働が正常に行われていないのだ。

 

―――やはりあの聖杯の出来は、冬木にあったモノよりも数段性能が劣るか

 

大聖杯であり、小聖杯の機能を再現するために、土地の持つ過去の記憶より再現した第三次聖杯戦争の聖杯のレプリカは、聖堂協会の伝承にオリジナルの造形を噂に知り、魔術の知識を納めた私とはいえ、肝心の魔術の腕前が凡百である私の腕では再現が難しかった。

 

そこでレプリカの聖杯をすこしでも本物に近づけるため、自己改造により英霊の座の観測機能と地脈にアクセスしてマナ/外部魔力の調整機能を持っていた凛の心臓を抽出し組み込んだわけだが、やはりそれでも、かつての時代、神域の技術によって作り上げられた神秘の完全再現をすることは叶わなかった。

 

―――限界を見誤り、欲張って無茶な行使をしてしまったか

 

このまま稼働させ続けてもすぐに壊れるということはないだろうが、聖杯機能の中核となっている凛の心臓は、もはや代理となるものが存在しない貴重な品だ。機能不全に陥られると、再び穴を広げて再稼働をしてやるのに多少の面倒が発生するのは間違いない。

 

―――負担を軽くしてやるべく魔力流出の量を調整してやるか

 

不要のものとなったかつての仇敵の死骸を踏み越えると、湖へと近寄る。その際、未だ生きている三人の人間が視界の端に映った。アンリマユと魔のモノの交合を見た三人は、男二人は恐怖に怯え、女一人は呆然と全ての感情を失って、座り込んでいる。

 

―――もはやこやつらは敵となり得まい

 

この世界の住民は、精神構造が以前の世界に比べて特殊だ。悪意に対しての耐性が低く、全てのモノに対しての執着が薄く、脆い。己の怪我や生死に頓着しないくせに、他者の死や負の感情には過敏に反応して見せる。まるで子供のようだ。

 

中には、先ほど私に抗ったピエールとかいう輩のように、多少は堪え、悪意に抵抗するような者もいるが、それもすでに死んでしまった。

 

―――多少は抵抗してくれなくては、面白みもない

 

やはりこの世界とそこに住む住人は、私の娯楽の相手をつとめるに不適当だ。もはや奴らへの興味が失せた私は、三人の傍を通り抜けて水際へと足を進める。地底湖の中で狂気に乱痴気さわぎを起こしている彼らは、接近した私に歓迎の意を示すかのように、聖杯までの道を開けてくれた。黒い触手が大波のように蠢く美しい湖面は、私が足を踏み出すごとに割れてゆく。

 

エミヤの返り血により赤く染まったカソックを着用して、割られた湖底を歩く私は、まるで神に生涯を尽くした聖人になったような気分で、聖杯までの道を歩く。聖杯までの道のりは短いが、その間だけモーセの気分を味わうのも悪くない。

 

 

言峰が接近する最中、聖杯の中に沈んだ宝石は、込められた守りの魔術によって濃縮された呪いから己を守護し、ゆっくりと呪いを浄化しながら器の底へと身を沈めていった。聖杯の呪いがこれまでにないほど濃密さ故に、沈殿の速度は非常に緩慢ではあったが、宝石の魔のモノを祓う機能は未だ健在であった。

 

やがてそれは、杯の底に沈み、固着して張り付いた心臓に触れると、瞬間、まるでかつての主人との再会を喜ぶかのように打ち震えて、光の領域を拡大させながら効果を強めた。汚泥は聖杯との接触を遮断され、力の発生源となっていた核を失い、流出を停止させられる。

 

多少素材と手順と方法に逸脱はあるものの、基本的にはルールに則り、七つの魂を呑み込むことで完成した完全な聖杯は、銀という素材が持つ浄化の作用と、聖杯伝承に残る癒しの効果を最大限に発揮して、全ての暗黒を打ち払う。

 

暗黒の支えを失った聖杯は、光を放ちながら地面に落下すると数度地面を叩き、ピエールの体の側を通り抜けて、魔のモノ蠢く湖底へと転がり落ちてゆく。やがて触手が暗黒と魔のモノとが接触した瞬間、蠢くモノどもは宝石などとは比べ物にならない聖なる光による浄化の力を嫌い、あるいは、それに打ち払われ、聖杯が放つ光の領域から身を引き、逃げてゆく。

 

その折、触手が逃走する際の弾ける勢いに、聖杯は入り口近くの湖の際に跳ね飛ばされた。衝撃に反応してか、聖杯は一層強く輝く。その光の効力は凄まじく、聖杯通過部分の周囲数メートルの範囲の、アンリマユも、魔のモノも、絶対領域に変化させていた。聖杯は、浄化と癒しの力を静かに彼らと敵対者、そして遺体にまでばら撒いて、その力を存分に発揮する。

 

白光が暗闇を切り裂いた時、全てのものの動きを停止させて、空間から時を奪い去る。やがて静寂と厳粛の法が敷かれた場にて、最も早くその掟を破り場をかき乱したのは、過去より来訪した、屍となったはずの男であった。

 

それはこの場にいる誰もが知らぬ、インという彼女が作成した料理に秘められた効力が聖杯の癒しの力と組み合わさった結果だった。

 

かつてハイラガードにおいて世界樹の魔物の血肉を使って調理した料理は、食べた者にさまざまな恩恵を与えたという。インが受け継いだ調理本とはそれの、劣化コピー。味を落とさず、一般に溢れる食材での作成を可能とした代わりに、与える恩恵をほとんど失ったものだった。しかし、彼女はそれを、大量に作成し、彼らに振る舞った。

 

つまりインの料理は、質がダメならば量で補うという、ひどく当たり前の方法により、食したものに恩恵を与えるというかつての効果を微かに取り戻していたのだ。聖杯の癒しの力によって誘発されて発揮したその効果は―――

 

捕食者が死した際、一度だけ、復活の効果を与えるという奇跡に等しきもの―――

 

 

「馬鹿な―――、聖杯が元の「聖なる杯」としての機能を発揮しただと!」

 

遠くより聞こえた不快な声の叫びに遅れて、炉心を失い、擬似神経回路を壊され、もはや熱なんてない体の中に暖かい熱が降り注いだ。それでも生きために必要な重要機関を失っている体は入り込んでくる癒しの光を受け止めきれず、浴びる端から熱は地面へ抜けてゆく。

 

「―――そうか、あの宝石……、姿が見えんと思ったが、奴め、聖杯の器の中に投げ込んでいたのか……! 」

 

言峰は己が気付いた事実に困惑し、奴にとって想定外の自体を引き起こした敵を嫌悪し、憎々しげな声を上げていた。

 

―――っ……!

 

生まれた敵愾心が反射的に身を動かそうとするも、思い叶わず、その上ひどい頭痛が走った。指を切り落としたが故、放置されたのが為だろう、微かにだけ動く右腕を動かして頭に持っていくと、皮膚がいつもより動いて、頭の中を不自然な感覚が駆け巡った。

 

残った指先で頭部を撫でると、亀裂を確認して、ようやく頭蓋が割れていることに気がつく。撫ぜた髪と皮膚からパリ、と音がする。出血はもう無く、乾きかけている。皮膚だけ再生している理由はわからないが、どうやら短くない間放置されていたようだ。

 

「冬木の聖杯を完全に再現できなかったが故、オリジナルに似せて作ったのが仇となったか。まさか穴を広げ、保ち、魔力を溜め込む以外に、そのような余計な機能まで発揮するとは……!」

 

体が軽い。体が寒い。そんなこと、当然だ。だって心臓がない。本来なら瀕死を通り越して、死んでいる状態こそが正しい有様だ。頭は破損し、血は空っぽ、心臓はない。体に熱を巡らせる機関がないそんな状態を生きているなんていったら、それこそ世界中の医者と宗教家と魔術師から研究対象にされ―――ああ、そうか。

 

―――もう世界が違ったのだった

 

かつての世の摂理に反している状態で体が動く理由はわからない。ただ、体のあちこちがガタガタのポンコツになっているのに、動くのなら何かをしなければならないという気持ちだけは、空っぽの体に満ち溢れていた。

 

体の状態を確かめる。不思議と痛みはなかった。右腕は感覚が微かだが残っていて、動く。左腕はまるで動かない。足の指先に力を入れると、開いた頭と空っぽの胸から微かな体液が噴出したが、地面を踏ん張る力が残っていることに気がついた。前に進むための足はまだ動く。体は行けと言っているのだ。

 

―――ぅ……、ぉ……

 

右腕をテコと支えにして上半身を起こそうとするも、背中から肩にかけての筋肉は中の神経ごと抉られていて上手く動かず失敗する。微かに持ち上がった体で右腕を見ると、肘から肩にかけてズタズタに引き裂かれた己の肉が目に入る。中の擬似神経回路である魔術回路はどうあがいても使用不可能だ。おそらく言峰が私の魔術回路を破壊すべく、この体に心霊医術を施したのだろう。

 

―――ん……、ぐっ……、ぬぅ……

 

起き上がるために足りない力を、腹筋と背筋より拝借する。寒さはいつのまにか、転換して暑さに変わっていた。感覚はまだ完全に死んでいない。どこからか滲む汗を無視して右腕の肘を支点に左半身を起き上がらせると、あとはもう流れで座った状態にまで持っていけた。

 

すると呼吸をして酸素を取り入れなくとも不思議と明朗な視界は、まず眩く輝く光を捉え、次にその向こう側、光に照らされた中、目立つ黒の色に視線を奪われた。

 

「―――悪あがきを……、お陰で穴が閉じてしまった。……だが、いや、もう手加減は必要ない。これまでだ。先ほどまでの会合で、魔のモノはアンリマユの力を体内に取り込み、もはや多量の汚染された魔力を浴びても耐えられるだけの力を得ている。ならば―――」

 

悪態をついた言峰が聖杯に向けて進み出す。一歩歩くごとに密集した触手が蠢き、奴の前方が割れてゆく。奴の仲間が白い光に身悶える動きは制御できないらしく、向かう奴の速度は非常に緩慢だ。あるいは奴が勝利を確信しているが所以の余裕なのかもしれない。であればおそらく。

 

―――これがラストチャンス……!

 

「―――っ……!」

 

足の指先に力を入れて体を前に動かすと、歯を食いしばって立ち上がった。何もかもが足りなくなった体はたったそれだけの動作で限界を迎えていて、もう一度休んでしまえと囁くかのように、ふらついている。

 

―――なら、倒れさせてやろうじゃないか

 

体のわがままを聞いてやり、揺らぐ体が前に倒れこもうとした瞬間、胴体が傾いたと同時に右足を前に踏み出した。ざくりと湿った地面を踏みしめて前に進むと、泥をかいた音が一帯に響き渡る。音は光が周囲一帯を支配して静寂の掟を強いている中によく反響して、全ての生き物の視線が私に集まったのがわかる。

 

「―――エミヤさん!」

「バカな―――、貴様の心臓はたしかに破壊した。魂は杯に吸収され、聖杯は完成したのだ。なぜ動ける―――」

「知ったことか!だが、大方、必死でこの世にしがみついたのだろうよ! 言峰綺礼! 貴様に一矢報いるためにな!」

 

驚く二人の叫びを無視して、私は誰よりも早く一歩を踏み出し駆け出していた。目的は決まっていた。聖杯に触れる。おそらくこの状況の突破口はそこにある。言峰は言った。

 

『馬鹿な―――、聖杯が元の「聖なる杯」としての機能を発揮しただと!』

 

聖杯が元の機能を発揮した。聖杯。かつての世界において、さまざまな英雄達が探し求め伝説を作った、神の子の血を受けし聖遺物。

 

『冬木の聖杯を完全に再現できなかったが故、オリジナルに似せて作ったのが仇となったか。まさか穴を広げ、保ち、魔力を溜め込む以外に、そのような余計な機能まで発揮するとは……! 』

 

しかし冬木にあったのは魔術師達の悲願を達成するべく願望器としての機能だけ発揮するように超一流の魔術師どもによって作り上げられた模造品で、さらに、目の前にあるそれは、そんな冬木の模造品を参考にして魔術師としては二流の、しかし、聖職者である奴の知識を動員して聖杯オリジナルの姿を模して作り上げられたという模造品の改造品だという。

 

―――コピーを真作に近づけようと改良を重ねたが故、別の機能を持つに至る、か

 

それはまるで私の使う多重投影魔術のようだと思った。奇妙な共通点は不思議と憎悪の対象でしかなかった仇敵との間に共感と信頼感を生み、それ故に奴の作り上げた聖杯は、間違いなく「聖なる杯」として癒しの力のほかに、冬木本来の聖杯としての機能、願望器としての機能も兼ね備えているに違いないと私に確信させていた。

 

駆ける。ただ前へ。体が地面に倒れこむよりも早く、一直線に白く清浄な輝きにて奴らの接近をはねのけて、神聖領域を確保している聖杯へ。

 

「―――させるか! 」

 

遅れてようやく私の目的に気がついたのだろう、言峰が動き出した。聖杯との距離はすでに相当近いくらいまでに詰められている。しかし、こちらは強化魔術も使えず、両腕のふりを速度に変換できない状態であるのに対して、あちらは万全の状態だ。

 

だが。

 

「邪魔だ! 暴れるな! 」

 

苛つき混じりに言峰は叫びながら、己が進路を塞ぐ触手をかきわける。聖杯に近寄ろうとする奴の意思とは裏腹に、蠢く魔のモノとアンリマユは、聖杯の放つ光から少しでも遠ざかろうと聖杯からの集団避難行動をとっていて、その挙動が奴の進撃を邪魔する壁となっている。お陰で今、奴との聖杯争奪戦において、私は有利な立場にあった。

 

「退け! 」

 

だがそれでも、強化魔術が使えず、体内のあちこちがガタガタで、腕の振りを速度に変換できない私とは違い、奴は万全の状態だ。言峰は一喝にて聖杯の光に怯える魔のモノとアンリマユを退かせると、願望機までの道を確保して駆け出した。

 

するとこちらとあちらのダメージの差は顕著に現れた。言峰は現在既にトップスピードを保っていた私の速度など瞬時に越して、猛然と聖杯へと近寄る。あれだけあった距離の差は見る間にゼロに近づいてゆき、競争が加熱する。しかし。

 

―――、後一手足りない……!

 

やはり体調の差は如何ともし難く、このままでは言峰の方が先に聖杯へと到達することが予測できた。血の巡っていない頭を回転させるも、栄養足りなくなった頭が導き出す答えはどれも、「奴の方が先に聖杯へと到達する」という認めがたい答えのみ。

 

聖杯とその先にいる奴を見据えながら、己の無力と非力を悔しく思い微かに唇を噛むと、言峰の不機嫌を露わにしていた唇の口角が上がり、笑みを浮かべた。

 

「貴様には焦らされたが、どうやら貴様の最期のあがきも無駄に終わりそうだな! 」

「――――――っ!」

 

嫌味に返してやる余裕もない。そんな事に回すエネルギーがあれば、一秒でも早く聖杯にたどり着くための力へと変換する。私の所作からそんな必死の思いを読み取ったのだろう、奴は私の顔を見て不快な笑みをいっそう濃いものにすると、しかし速度を緩めず聖杯へと近づく。

 

―――くそ、間に合わないのか……!?

 

「エミヤさん! 」

 

心中に弱気が走った時、掠れるくらい大きな声がその不穏な空気を払拭した。発声の直後、地面を連続して蹴る音がして、まだ年若い少女特有の甲高い声を発した響が聖杯に向けて駆け出していた事を察する。

 

「―――この……!」

 

一転、奴の顔に陰りが生じる。水際、最も近場にいた彼女は、今、私よりも奴より聖杯に近い立場にあった。ならば私は―――

 

「響! 」

 

 

A:聖杯をこちらに!

B:聖杯を使え!

 

 

第十六話 過去より出でし絶望と希望

 

終了