うさヘルブログ

気持ちの整理のために開設。うさまるとデスヘルが好き。最近は、気持ちの整理とダイエット報告がメインになってきています。

世界樹の迷宮 ~ 長い凪の終わりに ~ 幕間 4 力を得ようとも、望みは遠く

幕間 4 力を得ようとも、望みは遠く

 

 

―――道具屋店主、ヘイの迷走―――

 

朝、開店の表示に看板をひっくり返してから三時間になるが、未だに入り口の扉に取り付けた鈴の音は聞こえてこない。立地が悪い。「商人組合の中でも上位に数えられるほど儲けられる商才がありながら、なぜこんな場所に店を構えたのか」、とは最近散々言われてきた言葉だが、あいにく俺に商売の才能なんてものはかけらほどもない。そんなことは誰よりも俺自身がよく知っている。元々長年の間、俺の店は初心者の世話をするだけの零細だったんだから。

 

 

幼い頃から人の言うことをよく聞く子だと言われて育ってきた。小さな頃は楽だった。ウチは古くから牧羊が仕事で、俺の役目はただ柵の向こうに消えそうになる羊を追い回して、柵の内側に入れるだけの仕事だった。そのうち、油を羊の耳に塗る仕事が増えて、毛を刈る仕事が増えて、屠殺の仕事が増えて、いつしか家を継いで結婚までした。妻は従順な女で、子供たちは従順な子供で、周りから見れば順風満帆な家族そのものに見えていただろう。

 

気がついたのは、暦が数十度も同じ月の同じ日を示したあたりだったか。いつものように起きて、いつものように洗面場へと向かい、いつものように食事をして、いつものように仕事に出かけた俺は、いつも同じように働いている最中、いつもとは違う光景を見た。

 

季節は夏。強く照りつける陽光の熱に、負けるものかと風が広い草原の上を駆けて、荒地へと抜けてゆく。羊たちはメェメェと声をあげながら、我先にと豊かさの象徴が多く残る草原へと足を運んでは、まだ露の残る草を食み出していた。

 

宿舎の外へ出てゆく羊を数えていた俺は、一匹足りないことに気がついた。またか、と思いながら獣と糞尿と据えた匂いの混じる宿舎の中に足を踏み入れた俺は、そろそろ改築の必要があるかなと考えながら宿舎の奥へと進み―――、そこで外へ出ることを拒んだ一匹の羊の姿を見つけた。

 

そいつはデカイ体を持っているわりに、何もできない奴だった。俺が餌場まで連れて行って、俺が毛を刈って、俺がそいつの寝床を整えて、俺が見回りをした際に声をかけないと眠ろうともしない、そんな奴だった。

 

いつものように横に転がって眠っているそいつを起こそうとして近づくと、俺はそいつの寝息が聞こえなきことに気がついた。よく見ると腹も上下していない。

 

―――ああ、死んだのか

 

そう思った。そいつはデカイ体を晒して死んでいた。他の羊たちとは違って、締まりのない間抜けな顔をして、くたばっていた。別に感慨なんてものはなかった。命あるもの、いつか死ぬ。だから、いつものように、死体となったそいつの処理をしないといけないなと思って、裏口から運び出そうとした時、宿舎の端にあった鏡が目に入った。

 

そこにはデカイ体をした、デカイ面をたずさえた男が、なんとも締まりのない顔をして、間抜けに俺を見つめ返していた。汚れて曇ったガラスの向こうに映る俺の姿を見て、俺は

こう思った。

 

―――ああ、あの羊は俺だ

 

突然怖くなった。あの羊は生まれた時俺が取り上げて、俺が餌と世話をして、そして今、死んだ後まで、俺の手を煩わせる存在だった。俺は親から羊と家と土地を受け継いで何一つ不自由することなく、ただ循環する時の中を生きているだけだった。ぐるぐると繰り返される時の中、ただ漫然と生きて、目的もなく死んでゆく。ああ―――

 

―――俺はこの世にいてもいなくても変わらない

 

嬉しいような、悲しいような不思議な気分を抱いた。噴出した思いは次の日になっても変わることなく、翌日、俺は全ての仕事を息子たちに譲って旅に出ることにした。息子も妻も文句を言わなかった。それは当然だ。だってあいつらは俺の、俺の家族の、俺の先祖たちの分身なんだから。

 

 

あてがあるわけじゃなかったが、少し離れた場所にあるエトリアまでやってきた。冒険者と呼ばれる自由人たちが集う街にくれば何か変わるかもと思ったのだろう。俺はこの街にやってきた冒険者たちと同じように、ギルドと執政院で手続きを行い、周りと同じように幾人かのメンバーと臨時のパーティーを組んで、数度ほど世界樹の迷宮へと足を運んだ。

 

幸い、スキルは皆と同じように使えるし、どのようにスキルを取得すれば効率いいかはギルドマスターが助言をくれるので、割と苦労することなく迷宮の一層程度なら探索できるようになった。ただやはりこうも思った。

 

―――ああ、ここでも俺は、生きていない

 

今では旧迷宮と言われる場所は、すでに迷宮の地図が完成していて、俺たちは彼らの辿った道筋を後から追うだけで良かった。効率の良い方法はすでに完成していて、他人の作った地図の上を迷わないで歩くだけで良かった。

 

―――俺はここにいてもいなくても一緒だ

 

だから冒険者もやめた。きっと続けていれば深い層まで行けただろう。人のいうことを聞くのは得意なのだ。おそらく完成した地図と完成した手順の通りに行けるだろうけど、けれどそこまでなんだろうなとも思った。

 

冒険者をやめて何をしようかと迷っている時、俺は街の入り口でオドオドとしている奴を見つけた。俺の息子より小さなまだガキのそいつは、大した装備は持ってないし、荷物も最低限しか持っていない。おそらく、後先考えず見栄を張って飛び出して、大した手持ちもないのに装備を買い揃えたあたりで手持ちの金が尽きたんだろうな、と思った。

 

ぼーっとそいつのことを見ていると、空と地面の間で視線を彷徨わせながらをずっと途方にくれた様子だったので、気になって話しかけてみると、果たして俺の予想通りだった。どうやら一念発起して出てきて、商人の口車に乗せられて最低限の装備を整えたはいいものの、これからどうすればいいかわからない、という話だった。

 

街に入って登録済ませればいい、というと、その方法がわからないという。その辺のやつにればいいじゃねえかと聞くと、それは怖いという。よくもまぁ冒険者になろうと思ったもんだと呆れたが、見捨てるというのも夢見が悪い。

 

仕方がないので、執政院とギルドマスターの元へと連れて行って、登録所の一階部分で知り合いに頼んで面倒を見てもらうことにした。金だけは結構潤沢にあったから、ついでに道具屋で適当にそいつの装備を見繕って奢ってやると、そいつにひどく感謝された。

 

「絶対にこの恩は忘れません」

 

その時は適当に聞き流して別れたが、宿に帰ってぼーっと横になっていると、その言葉が頭から離れないことに気がついた。もしかすると、自分は彼にとっての唯一になれたのだろうかと思うと、胸が踊った。

 

次の日、いつものように起きた俺は、いつものようにベッドから起き出して、いつものように身だしなみを整えようとして洗面台に近づいて、気がつく。鏡の向こう側、映るでかい顔した自分は、とても清々とした顔つきをしていた。そして俺は、その日のうちに俺は近くの安い家を買い取って、道具屋に改築する許可をもらっていた。

 

 

店舗の方は、あまり繁盛しなかった。当然だ。格差こそが商売の種、とはよくいったもので、俺の店で扱う品はどこでも売っているような迷宮初心者用の、単価が安く、多く売らないと儲けが出ないモノばかりを多く取り揃えていたからだ。その上、店をちょくちょく開けるものだから、客は別の店へと移動してしまうし、取引の機会は少ないしで、俺の店はいつだって低空飛行で、赤字線の上下を行き来していた。

 

けどそんなことはどうでも良かった。儲けが欲しくて始めたわけじゃない。俺は門の入り口に陣取って、出店で食べ物を売りさばくことを商売の主軸にしていた。そうして入り口付近で食べ物を売りさばいては、入り口で途方にくれているやつに声をかけて、おんなじように導いて、適当に道具を取り揃えてやって、感謝されて、満足していた。

 

そんな風に儲けを度外視してそんなことばかりするものだから、あの頃の俺は、面倒見のいいが商売下手な道具屋、などというあだ名が結構広く定着していた。今となってはあの行為は信用を稼ぐ行為だったんだろうと揶揄する奴もいたが、奴らは何にもわかっちゃいない。

 

俺は唯一の存在になりたかったんだ。その辺普通に存在するお金様にご執心のお前達と一緒にしないでくれ。

 

 

そんな日々を過ごしながら少し時間が経った頃の事だ。代替わりしたギルドマスターからある奴らを紹介された。

 

「シンだ」

「サガ」

「ピエールです。よろしくお願いします」

 

そいつらは今までの奴らと違って、見たこともない大馬鹿だった。シンという男は平気でこちらに無茶を請求する男で、サガは女なのに男として扱えと無茶を言うやつで、ピエールはこっちの痛いところをついては喜ぶ無茶苦茶なやつだった。

 

まあ多分、こいつらもそのうち俺の店から離れていくんだろうなと思っていたが、不思議とあいつらは俺から離れなかった。特にシンは俺の店の何を気に入ったのか、店を離れて出店をしている時はわざわざそちらまでやってきては、自分たちのフルオーダーメイドを明日までに制作しろとか無茶を要求してくる奴だった。

 

一度、あまりにも酷い請求が続くものだから、代価として当時の奴らにしては高い要求を突きつけた時も、あいつは「よし、わかった」と二つ返事で俺の要求を飲み込んで、平然とこなす奴だった。ひどく我儘で、身勝手で、でも、だからこそ、俺は必要されているのだと感じていた。

 

―――ああ、俺の居場所はここにある

 

心底そう思えたのはきっと、あいつらが他の店など目もくれず俺の店だけを利用してくれたからだろう。その理由は知らないが、あいつらは、シンは、俺にとって希望そのものだったんだ。

 

そしてあいつらは周りの団栗どもをあっという間に抜き去って、エトリア随一のギルドになった。奴らの無茶に引き摺られる形で、俺の店も有名になり、繁盛するようになっていった。俺の店にはあいつらが持ち込んで来る深層で取れる素材のものが溢れるようになり、宣伝など行わなくとも、道具を求めてやって来る奴らで溢れるようになっていた。あいつらと俺の飛躍は結びついていた。異体同心という奴だろう。一心同体じゃないのが少しだけ残念だった。

 

 

ただそんなあいつらでも、抗えないことがある。いや、運が悪かっただけなのだ。彼らは味方を病気で失ってしまった。病気の名前は赤死病。エトリアに広がりつつある死病で、罹患したら死亡率百パーセントの恐ろしい病気だ。

 

夢を叶えようと突き進んでいた彼らにとって、頼りになる味方を失ったことは相当な衝撃となったらしく、あいつらはふさぎ込んでいた。俺はそんなあいつらを見るのが辛くて、逃げるようにして入り口に出店を開き、いっときあいつらの事を忘れるため、食料品販売に勤しんでいた。

 

そんな時、エミヤという男が現れた。不思議な雰囲気の男だったが、入り口で例に漏れず目を瞑って途方にくれている様子だったので声をかけると、そいつは今までの奴らとは異なっていて、とても堂々とした、そして強い気配を体から発散する男だった。

 

あいつは―――、あいつは、なにもかも別格だった。飄々としていたくせに、赤死病の話題をふった途端、まるで自分ごとであるかのように怒り、冒険者になる宣言をした。

 

そしてたった数日で超高難易度と言われ、死傷者すらも出した新迷宮を単独攻略し、その存在感を露わにした。唯一という立場に憧れる俺は、たちまち虜になった。正直に、シン達よりも上だったかもしれない。だってエミヤは個人で完結しているのだ。

 

そのうえ、エミヤは俺の店にやってきて、見たこともない品を提供して俺の胸を高鳴らせ、俺を骨抜きにした。見た途端、心の全ての部分を侵食して満たす、美しい鱗と皮だった。そんなものを手に入れた俺は、まるで自分が世界で唯一の存在になったかのような感覚を味わった。俺はその時、絶頂だったのだ。

 

不安が心の中に芽生えたのはその直後だった。そんな時、シンらがやってきたので、俺は手に入れたばかりの鱗と皮を見せびらかした。あいつらの視線が鱗と皮に奪われるのを見て、俺はとても満足した。あいつらはどうやって手に入れたのかと聞いてきて、俺はエミヤから手に入れたのだと、あいつらに正直に話した。その頃からだろう。シンはエミヤのことばかりを口にするようになっていた。いや、シンのみならず、あいつらの話題はいつだってエミヤという男のことばかりになっていった。そしてあいつらは徐々に俺の店に寄らなくなっていった。

 

不安の正体が明らかになったのは、エミヤが新二層を攻略した後だった。シン達が俺の店に持ち込んだのは役にも立たないものばかりだったが、エミヤが持ち込んだものは、俺の店にとって、先日買い取った鱗と皮レベルの品だった。シン達の意識は、完全にエミヤの方へと向けられていた。ふと感じる疎外感。その場にいるのに一人だけ異なる存在であるかのような、その感覚には覚えがあった。当然だ。

 

―――だって、自分だって、エミヤという強い存在に心奪われ、彼らを軽んじたのだから

 

 

 

ああ、自分は家を出ると決意した頃からなにも変わっていない。この世で一番美しい鱗と皮を手に入れて唯一の存在になった気分でいたけれど、それを手に入れたのは自分の力ではない。エミヤが仕方なく譲ってくれたからなのだ。今回の羽だって、エミヤが持ち込んでくれたから、俺はそれに関わることが出来ただけなのだ。

 

思えばこの店が繁盛するようになったのだって、シン達が俺の店を訪ねるようになってからだ。別に彼らほどの実力なら、俺の店じゃなくたって、同じように無茶をやって、同じように成功していただろう。俺は結局、周りにいる優秀な奴らの尻尾にひっついて彼らの評価をかすめ取っているだけのやつだった。

 

自覚した時、胸に去来したのは、悲しいでも悔しいでもなく、納得だった。受け入れてしまった。俺はそんな自分をあっさりと受け入れられてしまった。それがなによりも悲しくて悔しかった。胸が痛い。もう還暦も近い男が抱える悩みでないことはわかっている。

 

けれど、俺は他でもない、代替物のない俺になりたかった。でも俺には、人に誇れるものはなにもなかった。だから初心者相手に他人の開拓した地図と知識を使って偉ぶって、いい品を手に入れて自分たちより実力のある前向きな奴らにいい気分になっていたんだ。

 

自分の醜さが嫌になる。辛い。死んでしまいたいとも思うけれど、そんな度胸もない。ああ、ならせめて、エミヤ唯一の存在になれなくても、シン達の為に注力すれば彼らという強者にとってもの特別にならなれるかもしれない。そんな邪な気持ちで奴らから託された虫の羽を加工して、今自分にもてる全ての技術を注ぎ込んで薄緑を作り、異邦人のメンツを待っている矢先―――

 

シンの訃報を聞いた。それから体が動いてくれない。彼が死んだというショックで動けなかったのではない。彼が死んだと聞いて、それを涙目で語るシンの仲間達の様子を見て、羨ましいと思ったからこそ、俺はそんな自分にショックを受けて動けなくなったのだ。

 

シンはエミヤと仲間達をかばって、新迷宮三層の番人と相討って、死んでいったのだ。その話を聞いた時、悲しい、と思うよりも先に、羨ましいと思った。シンはそして、永遠になったのだ。シンの経歴と死に様はとても常人に真似できるようなものではない。エトリアに長く語り継がれる伝承になるだろうし、少なくとも、エミヤや異邦人の連中の心にはいつまでも唯一の存在として残ることだろう。俺はそれを羨ましいと思ったのだ。

 

それが決定打だった。その時から、店の奥、椅子の上で俺は一歩も動けていない。ぼうっとしていると気が狂いそうになる。でも、一歩も動く気力がわかないんだ。ああ、俺は妬むばかりで、欲するばかりで、俺は自分からは人様に誇れるようなことをなにも成し遂げていない。いつだって与えられるものを与えるがまま貪るばかりで―――

 

『そんなことはない』

 

チリンチリンと、鈴がなり、扉が開く。そして現れたのは、死んだはずのシンだった。シンの体は少し土にまみれて汚れている。しかしそんな汚れが気にならないほど、シンの体からは光が溢れていた。

 

「シン? お前死んだんじゃ……」

『ああ。だが、生き返った。エミヤ達のおかげでな』

 

俺の意識を深淵より引き上げたシンは、店の中をまっすぐ進み俺の目の前までやってくると、手を差し伸べてこう言った。

 

『共に歩こう、ヘイ。私には君の力が必要だ』

「お、お前、どういう……、それに俺の力が必要ってどういう……」

『君だけなのだ、ヘイ。唯一、君でないとダメなのだ』

 

―――ああ

 

シン。お前はなんて甘い誘惑をするんだ。唯一だなんてそんな嬉しい言葉を聞いて、俺が断れるわけないだろう? 行くよ。俺はお前について行く。どうかお前と一緒に歩かせてくれ。

 

 

―――施薬院メディック、サコの秘匿―――

 

 

私には双子の兄がいました。兄はとても優秀で、勉強ができる上に、体力もあり、いろんなスキルの使い方に秀でており、人当たりもよい人でした。一方、同じ日の、数秒遅れた時間に生まれ落ちた私は、普通の人より頭が悪く、体力が足りず、スキルのうまく使えず、人と上手く付き合うことすら出来ない人間でした。

 

何をやっても上手くいかない私は、いつだって兄の後ろにひっついていました。同い年の兄は、普通の友達よりも鈍い私をいつだってかばってくれました。成長が遅く、運動音痴でもある私を庇って、兄は体に沢山の細かい傷を負っていました。兄がいたおかげで私は仲間外れにならず、兄がいたおかげで私は、兄がいたおかげで、私は“足りない子”だと気付かれずに済んだのです。兄はわたしにとって、光そのものでした。

 

 

そんなある日、兄は唐突にいなくなりました。忽然と、みんなの前から消えたのです。わたしは混乱しました。両親も友達も、みんな初めからそんな人間はいなかったといい、まるでわたしだけだったかのように振る舞うのです。誰に聞いても返ってくるのは、知らないという返事ばかり。兄が書いた勉強やスキルの使い方をまとめたノートを見せても、私のものとして扱われてしまいます。周りのみんながひどく困惑したのを覚えています。

 

私は変な目で見られるようになりました。兄が私のためにとやってくれたことは無駄になってしまいましたが、それでも私はめげずに聞き続けました。しかし、一年経っても、二年経っても、結局兄の手がかりを見つけることはできませんでした。

 

幼い頃はそれでもよかったのですが、一年二年も同じ質問を違った形で続けていると、私はすっかり厄介者のような扱いを受けるようになりました。しかし私はそんなことどうでもよかったのです。私にとって、私の評判なんかよりも、兄がどこに消えたのかということの方が重要でした。

 

とはいえ、その頃になって周りの人の感覚が理解できるようになってきて、変人相手にはまともな返事をもらえないのだと気づいた私は、次第に兄のことを質問する事をやめるようになりました。無駄だとようやく悟ったのです。

 

やがて私は勉強やスキルの使い方を積極的に学ぶようになりました。兄のことを諦めたわけではなく、無駄な質問をするくらいなら、人に頼らない別の手段を取ろうと思ったのです。

 

手段を探すうち、私は人の体や行動について特に学ぼうと考えました。きっかけはむかし兄と一緒に忍び込んだ村の書庫にありました。ミズガルズ図書館と近い場所にあったこの村には、古い時代の医学書の写本がたくさん書庫に置いてあったのです。

 

スキルというものがあれば大抵の病気や怪我は治せるので、昔の難しい本に興味を示す人は村にあまりいません。その割に書籍は本棚に収まりきらないほどの数の蔵書があったので、私は一人で勝手に入っては、兄の行方を追うために、書庫に置いてあった医学書に目を通しはじめました。人の行動や心理がわからないというなら、過去の知恵から学ぶのが兄への一番の近道だと考えたのです。

 

書庫通いをはじめた頃、周りの人はそんな私の様子を見て、ようやくこの子も落ち着いたのか、といってホッとしていたのを覚えています。やがて私のそれは、妖精でも見ていたのだろうということで落ち着きました。私はそれがとても不服でした。

 

私が人間について学んでいるのは兄の行方を追いたいからなのです。兄は確かにいました。それは空想上のお友達でも、解離性人格障害でもないことは、人の体や精神の仕組みについてまなんだ私が一番よく知っています。兄は確かにいたのです。しかし、なぜかそのことを皆は認めてくれないのです。

 

私は彼らのことがどうでもよくなりました。それ以来、私は、彼らと付き合うことなく、村での役割を終えた後は、一人で書庫にこもり、黙々と自己研鑽に励むようになりました。私は孤立したような状態でしたが、以前よりも良い雰囲気で村の中で過ごすことができるようになりました。

 

 

やがて成長した私は、エトリアという街にやってきました。兄がいなくなったのは私がまだ幼い頃で、また、兄はとても明るく人懐っこい人でしたから、もし仮にいなくなった兄がいるとしたら、村からの道が険しくない上、人の集まる、一番近くの街だと考えたのです。

 

残念ながらそこに兄はいませんでした。痕跡も残っていませんでした。しかし私はしばらくそこで兄の手がかりを探すことにしました。あちこち探し回ってすれ違いになるよりも、人ところで情報を収集した方が良いと考えたのです。

 

幸いにしてエトリアは、世界中から冒険者たちが集まってくる街で、施薬院はとても繁盛しています。だから私はこの街でメディックをする決意をしました。村で医学書を読み込んだお陰もあって、私は施薬院の中ですぐに頭角を表すことができました。

 

偉くなって裁量権が回ってくると、割と自由に動けるようになります。私は毎日やってくる傷ついた患者たちの手当てをしてはそれとなく話を聞くようになりました。ただ、また兄のことをしつこく聞き回って変人扱いされるのは、きっと兄を見つける遠回りになると思って、私はそれとなく聞くというだけに注力していました。

 

薬院で与えられた研究をしながら患者たちにそれとなく兄の事を尋ね、世界地図の地域に情報を書き込む日々は、村にいた頃よりずっと充実していました。研究は数値を追えば良いだけですし、大抵の患者はスキルで治せます。片手間で二つのことをこなして、残りの時間は患者より聞き出した兄がいないだろう地域の情報をまとめることができたからです。

 

私は幸せでした。兄が見つかってくれる日は着々と近づいていると思えましたから。

 

 

転機がやってきたのは新迷宮という存在が見つかって、エトリアの人死の数が増えてきた頃でした。ちょうどその頃より、赤死病という病気が流行りだしたのです。病気は罹患した際の死亡率が百パーセントという恐ろしい病でした。

 

興味を惹かれて研究を始めましたが、これまでのものと違ってまるでとっかかりが見つかりません。潜伏期間も出現場所もまちまちで、発生条件もよくわからなかったのです。唯一理解できたのは、冒険者に多い病であるという噂が真実だったことくらいです。

 

そんなおり、インという女性が施薬院へやってきました。ハイラガードよりやってきた彼女は、診察の結果、赤死病の兆候が出ていることが判明しました。しかし不自然なのです。話を聞くところ、今までの患者の症例から判断すると、彼女はとうに死んでいなければいけないのです。私は彼女に協力を求めました。彼女は二つ返事で了承してくれました。

 

私は百万の味方を得た気分でした。例外は手がかりになると確信していました。ましてやその手がかりは、死病であるはずの病気に負けず長生きしている患者なのです。私は彼女に情報の秘匿をお願いしつつ、研究を始めました。

 

治療や検査の最中、インは私の話をよく聞いてくれました。患者から話を聞くばかりで自分の事情を話さない私は、徐々に彼女といることが楽しくなってきました。やがて彼女の包容力にうっかりまけて兄を探していることについて口を滑らすと、彼女は真剣な表情で事情を聞き、参考になる意見をくれました。私は初めて協力者を得たのです。私はなんとしても彼女を助けたいと思いました。

 

私は兄の話の収集と並行して、病の治療法模索にも注力しました。しかし、どちらも手がかりはまるで一向に見つかりませんでした。病の情報は取れるのですが、インの体から取れる数値は異常値ばかりで、まるで参考になりません。

 

また、兄を探す作業の方も徐々に停滞して行きます。情報は多く集まるのですが、結局わかるのは人通りの多い場所に兄はいないだろうということばかりで、捜索の範囲円が狭まらないのです。

 

やがて問題解決の糸口が見えない迷路にはまり込んだ私は、胸に穴が空いたようでした。しかも空いた穴は、日に日に大きくなるのです。空いた穴が無力感で埋まってゆく中、相変わらず患者の数だけは相変わらずで、私はやがて、研究や兄探しよりもそちらの方が落ち着くという本末転倒な状態にまで陥っていました。

 

ある日、私が徹夜の研究から逃げるようにして施薬院内をさまよっていると、エミヤという男が話しかけてきました。彼は一日経って酷くなった火傷をしているにも関わらず、平然とした態度でした。異常値を放っていながら平然とする彼の態度は、行き詰まった私の気分を刺激し、寝てないがために高揚した気分も相まってでしょう、気付けば私は、彼を院内の治療室へと引きずり込んでいました。

 

彼はメディカの仕組みも知らない人でした。多分、エトリアに来たばっかりの初心者なんだな、と思いました。その割に体はしっかりしていたので、おそらくどこかの警護でもやっていたんだろうなとも思いました。

 

何も知らない彼に薬の説明をしてやると、彼は礼とともに治療費はいくらだ、などと尋ねてきました。本当に何も知らないまま迷宮に潜ったんだな、と気付くと、なんだか不思議と気分が軽くなりました。彼は私に初心を思い出させてくれたのです。

 

彼と別れた後、私は気分を改めて謎に挑むことができました。エミヤという別の土地からの来訪者は、私の悩みを解決してくれたのです。

 

 

やがて数日がたちました。研究は相変わらず捗りませんでしたが、私は以前より明るい気分で過ごせていました。そうして意識が上向きになったからでしょう、治療をする最中、患者同士の会話の中から兄の手がかりが飛び込んできました。なんと、兄の特徴に合致した人物がこのエトリアにいるというではありませんか。

 

「エミヤという男がギルド『異邦人』よりも先に新迷宮を攻略したらしい」「はぁー、意外だねぇ。俺はてっきり、シンとかいう男が率いるギルド『異邦人』の連中が攻略するものだとばかり……」「俺もだよ。あいつ、不愛想のようでいて素直だし、戦闘の時はいつもの不器用ぶりが嘘みたいに優しいし、戦闘以外興味なさそうな感じなのにどんなことでも人より器用にこなすから、おらぁてっきり、シン率いるあいつらがまっさきに攻略するとおもっていたんだけどなぁ」「エミヤもシンと同じく外からやってきた冒険者らしいが、やっぱりわざわざエトリアの外からやってくるやつは、根性決まってんなぁ」

 

人当たりが良くて、全ての面に優れる、外部からの来訪者。それは私の求める情報に全て合致していました。名前は記憶のものと多少異なる気がしますが、私の古い記憶が村の連中の心無い行いによって劣化したのかもしれませんし、あるいは、エトリアに来る際に捨てて別の名を名乗ったのかもしれません。

 

ああ、なんということでしょう。エトリアは私が最初に調査を行い、まっさきに捜査と聞き込みの範囲から外した場所でした。周りの事を気にしない私は、すでに調査範囲外として認識した場所で冒険者の誰が活躍しようと知ったことではなかったので、意識から外していたのです。

 

私は早速彼に会いに行きました。しかし、彼はいつも不在でした。当然です。迷宮に潜る冒険者は、いつ帰ってくるのかわからないのです。加えて、「異邦人」というギルドの彼らがほとんど怪我を負わずに帰ってくることも拍車をかけていました。さらに面会の約束を申し込もうと執政院に申し込むも、今彼らは依頼を受け付けてないと言われてしまうし、声をかけることタイミングがなかったのです。

 

―――いえ、嘘です。私は恐れていました。

 

数年かけてやっと手に入れた兄の手がかりです。それは真実であってほしい。きっと真実に違いない。特徴は間違いなく兄のもので、人物相も兄が持つものと同じなのだから、きっと間違いがないはずだ。

 

―――ああ、でも、もし違ったのならどうしよう

 

そう考えると、業務をほっぽり出してギルドハウスに張り込んだり、施薬院職員として強権振り回してまで、兄に似ているという人物の元へ押しかけるだけの勇気は私にはありませんでした。いえ、それどころか、満足すらしていたのです。

 

兄の噂を探せども、出てこない。そんな遠いようで近い距離感に慣れきってしまっていた私は、躊躇して一歩踏み出す事を恐れていたのです。もし、シンが兄でなかったのならば、それはおそらく、私から、再び同じ事を繰り返すだけの気力を奪い、二度と立ち上がれなくなるほどのダメージを負うだろうから―――

 

だから、私は積極的にシンという男性との接触を求めはしませんでした。長い間探していた兄がすぐ近くで活動していて、その噂が聞こえてくる。ならいずれ会える。その宙ぶらりんの状態でいい。そう。私は、現状維持バイアスに負けてしまって、ぬるま湯に浸かる事を選択してしまったのです。

 

 

「―――嘘」

 

そして湯から出て寒いかもしれない空気に身を晒す事を恐れていた罰は、すぐにやってきました。私は望み通り、シンと面会することができました。

 

―――解剖室の、冷たい台の上で

 

シンは―――、たしかに兄の面影がありました。血の気の失せた白い顔は穏やかで、兄が健やかに成長したならば、このような顔に成長するだろうな、というイメージの通りでした。死斑のあるちぎれた体は繋げて傷口を整えてやれば均整がとれています。全身にはスキルによる治療ではなく、自然治癒に頼ったのでしょう、細かい傷がたくさんありました。

 

それだけなら、別人と断定することもできたかもしれません。ですが―――

 

「あぁ……―――」

 

彼の体から出てきた不思議な結晶体。光を浴びて柔らかい青色を放つそれを見た瞬間、私の体から力が抜けてしまいました。感染症のことなど気にすることもできずに、シンの体に抱きつきました。

 

石が放つ清廉な光の前に、自己満足という名の逃避で必死に埋めようとしていた胸の空洞から、その全てが抜け落ちて行きます。堪えていたものが一つ二つと落ちると、もうあとは惰性です。

 

「ああ……、あぁ……」

 

水滴はシンの遺骸を叩くと、幾分か乾いた肌が潤いました。その当然の物理現象が、何より辛い。目の前にあるのはもはやただの変質したタンパク質の塊で、魂のこもっていない、死体に過ぎないのです。抱きついたところで昔のように反応は帰ってこない。それが悲しくて、私はシンの死体の胸の中、ただただ脱力して、目の前にある死人の裸体に張り付いたまま、涙流すことしかできませんでした。

 

―――せめてあの時、もっと必死になっていたら

 

水分がこれまで兄を探すため積み重ねてきた年月の間に巨大化した空洞は、後悔と未練と自己嫌悪で埋まって行きます。やがてそれらの負の感情は、溜め込んできた欺瞞を吐き出してすっかり空っぽになった空洞を満たして、灼熱で身体中に広がりました。

 

―――後のことはよく覚えていません。ただ、もう二度と願いが叶うことはないのだと絶望した事だけは、痛いくらいによく覚えています

 

 

剖検にて摘出した石を提出した後、私は部屋に閉じこもっていました。

 

―――もう前に進めない。

 

いや、進みたくない。進みたいと思えない。だって自分の人生はもう終わってしまった。最大の目標はもう、最悪の形で達成してしまったのだ。ならばあとはただただ惰性で過ごすだけの日々。身を焦がす後悔と罪悪感だけが私の隣に立つ永遠の伴侶となったのです。

 

胸が痛い。胸が痛い。胸が痛い。胸が痛い。ああ、痛い。痛い。痛い。こんなに痛いなら。

 

―――ああ、なら、いっそ

 

『やぁ、サコ』

「―――お兄ちゃん?」

 

短くも鋭い解剖用の刃物を手にしたその時、聞こえてきた声は私の脳裏を蕩かす甘さを持っていました。声の主人の姿が見えることはありませんでしたが、それはたしかに、はるか過去私の目の前から去ってしまった兄の声でした。

 

『さぁ、おいで』

「―――お兄ちゃんなの?」

『こっちだ』

「まって! 」

 

声に誘われるがまま、私は部屋の扉を開けて、声の後を追いかけます。追いかけても、追いかけても、声の主人はわたしから一定の距離を保って消えていってしまうのです。

 

「お兄ちゃん! お兄ちゃん! ねぇ、なんで答えてくれないの? お兄ちゃんなんでしょ!」

『サコ……おいで』

 

導かれるがまま、光の後を追いました。そうしてどのくらいの時間が経ったのでしょう、気がつけば私は、不思議な場所へと辿り着いていました。

 

目の前には不思議な歪んだ空間が広がっています。世界から隠されるようにこっそりと息づいている空中に渦巻くそれは、どう見てもまともな代物でないことが、一目でわかります。

 

『サコ……』

「―――」

 

兄の声はやがてシンのそれと重なりました。その事実は私から迷いを消し去りました。もう迷いません。私は、何があろうと、シンを追って、彼にこう尋ねるのです。

 

―――シン。貴方は私の兄でしょうか?

 

帰ってくる答えが肯定であろうと、否定であろうと―――、私は彼の口から答えを聞かないかぎり、もう今の状態から抜け出すことはできない、呪いを負ってしまったのです。それは他でもない私自身に対する怒りの感情によって―――

 

 

エトリアの街は静まり返っている。真っ昼間であるというのに、美しい翡翠緑の屋根と白い漆喰の建物が連綿と続く中、気配だけがない状態というのはあまりにも異常で、まるで広い霊園の中に放り出されたような不愉快な解放感だけが空気から伝わってくる。

 

「―――待て」

「どうしたエミヤ」

 

執政院に進もうとするシンを引き止めると疑問の声が返ってくる。

 

「―――どうやらこの街は、―――いや、もはやエトリアという場所は君たちのしるエトリアの大地ではないらしい」

「……はぁ? それはどういう―――」

「サガ。エミヤの言葉を遮るな。……、すまない、続けてくれ」

 

ダリはいつもより優しくサガに言い含めると、サガはそのダリの豹変した態度がひどくお気に召さないようで、むくれっ面をすると、ダリの脛当てを蹴りとばす。ダリはそれを困った顔で受け止めると、首を左右に数回ふって、私の方を向き直った。

 

「ああ―――、執政院から魔力を感じる」

「魔力?」

「君たちが使う、スキルの力に似たような力だ。要はアレとは別種の、スキルの力と思えばいい」

「……、なるほど。そしてそんなものが執政院から感じるということは……」

「ああ、クーマやシララが危ない可能性が高い 」

 

シンの目が鋭く光る。彼は即座に刀を手にしようとして、しかしその手が虚空を切り、首を傾げた。そして自らの機械化した手を見ると、納得した表情で頷き、響の方を向いて、照れた様子で、しかし平坦な声色で告げた。

 

「すまないが、剣を返却してもらっても構わないだろうか? 」

「あ、はい、もちろんです! 」

 

そうして響腰布から分厚い刀身が収まった大きな鞘袋を取り出すと、シンへと投げてよこす。シンは器用にカチンとそれを受け取ると、引き抜こうとして、少し戸惑った。

 

「―――オランピア

「なんだ」

「剣を抜こうとした途端、脳裏の目の前に高周波ブレードとやらの名前が飛び出したんだが。フォルディングアームとやらの解放を尋ねる文章も浮かんでいる」

「アンドロの―――というより、左腕に私の戦闘ボディを参考に作り上げたからな。後、武装は右腕にコンダクター、リフレクターとクラッシャーアームが付いていて、いざとなれば大ばさみとしても大型ペンチとしても機能する―――」

「いや、すまないが、しばらくその機能を封印する方法を教えてもらいたい」

「―――なぜ?」

「邪魔だ。剣がまともに振れん」

 

言い切ったシンの返答に、オランピアは少しの間を置いたのちに、いかにも不承不承といった体裁で首を横に振って否定の意を示した。

 

「なぜ」

「調整は機械のある場所でないとできん。すなわち、グラズヘイムや、アーモロードの深都などといった―――」

「―――そうか。ならばしかたない。ありがとう」

 

いうとシンは剣を引き抜いて構えると、不思議な軌跡で剣を振り下ろす。

 

「シン? 」

「どうやら可動域が違うようだな。少し慣れるまでに時間がかかりそうだ」

 

そう言いながらも、もう彼は現在の自分の体の動きを把握して、一振りごとにその剣筋を鋭くしていく。なるほど、戦さの神の名は伊達ではないのだな、と今更ながらに納得する。そうしてさらに数度剣を振るったシンはようやく満足いく剣の振り方を見つけたのか、鞘に収めて、宣言する。

 

「さて、では行くか。エミヤ。索敵は―――」

「魔力なら任せろ。暗闇や通常視界である場合は―――」

「サーモと赤外線、その他複数種類のセンサを備えた我らがいる。いざとなった、相互間で通信も行える。―――そうだ、お前らに通信機を……」

 

オランピアは背負っている袋に手を突っ込もうとすると、手が袋へと吸い込まれる直前でその動きを止めた。一瞬の間を置いて、彼女は再起動を果たすと、真剣な表情をして自らの頭を叩いた。

 

「そういえば、シララやクーマに連絡子機を持たせたことを忘れていた」

 

―――どうやらアンドロという存在も、なかなかお茶目な面があるらしい

 

 

執政院に入ると、魔力によって敷かれていた結界は私たちを拒絶することなく足を踏み入れることを許容した。どうやら我々を拒むものでないらしいと気付くと、一旦完全な戦闘態勢を解除する。

 

執政院の中は、執務を行う場所というものはかくあるべきとでもいうかのように、相変わらず静かだった。ただしその静寂は、人が努めて行なっているが故の静音が齎すものではなく、人がまるで存在しないが故の無音が故のものでもある。それは昼間のこのような時間帯、受付や施設内に人がいないという異常を雄弁に示していた。

 

警戒しながら、一部屋ごとを解放して進む。廊下に響くのは、我々の足音と、オランピアとシンの体から聞こえる電気機械の稼働音くらいだった。やがて目的の場所、魔力の最も濃密な場所である結界の中心地までたどり着いた私たちは、武器を構えたまま、目の前の扉を軽く叩いた。返事は聞こえない。

 

「―――オランピアだ。指定の場所に着いた。シララ。クーマ。どちらでもいい。応答しろ」

「―――了解だ」

 

オランピアの頭部と、扉の向こう側からシララの声が聞こえてくる。多少共鳴が起こったのち、扉からは外部のものを強烈に拒む気配が解除され、その扉はゆっくりと開かれてゆく。

 

「―――どうやら無事だったようだな」

「やぁ、これはみなさん、お揃いで」

 

クーマは両手を大きく広げて私たちを出迎えてくれた。完全に開かれた扉の向こう、衛兵とシララが構える向こう側では、彼らに守られる形でクーマと百人程度の人間が集団となっている。集団は冒険者、研究者のような特殊な服装をしたものから、商人、一般の人のように普通の服装をしたものまで、雑多な人数が揃っていた。

 

「おい、さっさと入って扉を閉めろ」

 

衛兵たちを束ねるシララは警戒の意思を解かないままそう告げた。最もだと思った私たちは、彼女の言う通り部屋の中へと足を踏み入れると、最後にしんがりを務めていたシンが後ろ手に扉を閉める。クーマが何やら呟くと、扉の部屋の内側面には何やら密教系の印が生じて、再び人の出入りを固く禁じる結界が部屋全体を包み込む。

 

「―――どうやら、色々と話を聞かせてもらう必要があるようだな」

「ええ。お互い、話さなければならない議題には尽きないようですね」

 

 

執政院の中にあるその部屋は、どうやら緊急の避難場所であるようだった。部屋の中は電燈があちこちに灯されていて、常の一定の明るさをたもっている。また、そんな平均的な明るさを保つ部屋の隅の方では数人が交代しながら発電機だか蓄電器らしきものに向かって雷のスキルを放っている。どうやら彼らの涙ぐましい努力によってこの部屋の明度は保たれているようだった。

 

彼らによって一定の明るさが保たれている部屋は、周囲を総勢数百人程度は収まりそうだった。しかし大人数を収容することができる割に、施設の入り口は、正面と奥に頑丈な扉が一つずつだけという少なさだ。おそらく極限まで堅牢性を高める為なのだろう。加えて、窓は一つも存在しておらず、空気換気のための簡素な穴がいくつか空いているばかりだった。

 

「お荷物をお預かりします」

「―――ああ、そうだな」

 

話し合いの前、一旦武装を解除すると、手持ちの武装や道具を一旦衛兵たちにあずける。差し出した荷物を恭しく受け取った彼らは、全てして荷物を全て衛兵たちに預けると、彼らはそれらを受け取ると、クーマの背後の集団の元へと駆け寄った。

 

集団の中からは数人の人間が歩み出て、道具らの鑑定を始める。おそらく外部からやってきた我々の道具に異常がないのか確認する為なのだろう。ご苦労なことだ。

 

「なるほど。グラズヘイムではそんなことが……」

 

衛兵たちより少し離れた場所でクーマやシララにグラズヘイムで起こった出来事を話すと、クーマはまるで疑うこともなく、私たちの経験を事実として受け入れた。シララは信じられないという顔で目をパチクリさせている。それも仕方ない。いや、むしろ彼女の方がまともな反応だと思う。突拍子も無い話であると言うのに、あっさり受け入れられるクーマの方がおかしいのだ。

 

「クーマ。こちらの事情は話したぞ。―――今度はそちらの番だ。聞かせてくれ。君は何者なんだ? どうして魔力を用いたこのような結界を張ることができる?」

「うーん、さて、なにから説明したものか……」

 

クーマは腕を組むと片方の腕で口元を抑え、眉をひそめた。一体何を悩んでいると言うのだろうか。

 

「そうですね……、とりあえず私の事情から説明するとしましょうか。私は―――」

「クーマ。アクーパーラとも呼ばれる亀王で、神々にアムリタを与えるのが役目の亀王。すなわちこのバブ・イルの土地においてその名を持つものは、人間どもの手助けを行うが役目を負う職につく場合が多い、維持の神、ヴィシュヌの化身よ」

 

クーマが口を開ききる前に、横から聞こえてきた声に驚く。静かな空間の中でも過剰なまでに主張をするかのような尊大な口調が誰のものであるか、間違えようはずもない。なにせそれは、つい先程まで激しく一方的にまくしたてられ、罵ってきた相手なのだ。

 

ギルガメッシュ!? なぜここに!?」

 

視線を横に送ると、黒のジャケットを着込んだ半透明な状態のギルガメッシュがそこにいた。どうやら意識体というか、霊体のようなものだけをこの場に送り込んできたのだろう。

 

「なに、貴様らが我が名を呼ぶまで待機する腹づもりであったが、違和感があったので観察をしてみれば、なにやら懐かしい気配がしたのでな。どうやら縛りも緩んだようであるし、我が幻覚を送り込むことにしたのよ」

「やぁ、これはギルガメッシュじゃないですか」

 

宙に浮いているギルガメッシュは、相変わらず睥睨する視線で私たちを見下している。そして驚く私とは裏腹に、クーマは冷静の姿勢を崩さないまま、奴の名を呼んだ。

 

「ヴィシュヌ―――!? どういうことだ、クーマ! 君はやつと知り合いなのか!? 」

「ええと、今までは知り合いでなかったけれど、昔は知り合いだったというか、ああ、うーん、そのですねぇ」

「ヴィシュヌは唯一絶対の存在である我とは異なり、その名が示す通り、『どこにでもいるがどこにもいない』もの。他者を助ける為ならば、人間や畜生に身をやつす事も躊躇わぬ酔狂な神よ。大方先ほど、『神はどこにでもある普遍的存在である』という概念が広がった瞬間、それ自体が其奴の名の中に眠っておったヴィシュヌの概念と結びつき、奴の知識と記憶の一部が目覚めたのであろう。―――だがこの世界に顕現する為、相当に神格を切り捨てたようだな」

「まぁ、私/ヴィシュヌが顕現するとなると、それこそ世界が破滅しますからねぇ」

 

ギルガメッシュはなんでもないよう事であるかのように、クーマがヴィシュヌである事を明かすと、クーマはさらりと物騒な返事とともに奴の言葉を肯定した。

 

「―――まぁ、そういうわけです。とはいえ、私は本人ではありません。先程、あなた方の行為によって目覚めた私は、ヴィシュヌの力と記憶を少しばかり継承したのです」

「それで結界を使えるようになり、ギルガメッシュのことを知ったと」

 

頷くクーマに、私は額を片手で抱えこんだ。この調子だと、他にも力や記憶に目覚めた人間がいるだろう。頭の痛い話であるが、どうやら先程私たちがやってしまった出来事は、世界に様々な火種を撒き散らしてしまったらしい。

 

「はい。そして今しがたあなたがお話を聞かせてくれたお陰で、エトリアに何が起こったのかも理解することができました」

 

クーマは深く長いため息をつく。渋面から吐息の成分を分析するに、不思議が解決したことに対する明朗を喜ぶ思いが二割と、億劫な事態が起こったことに対する鬱屈が八割といったところだろう。

 

「クーマ。聞かせてくれ。エトリアで何が起こったんだ? 」

「はい。そう、事の起こりは、つい一時間ほど前のことです。部屋で執務を行なっていた私の脳裏に、突如として不可解な頭痛が走りました。頭痛は一瞬で、多少めまいを感じる程度でしたが、思い出せばあれが全ての始まりだったのでしょう」

 

クーマは言って視線をいつの間にやら近くにまでやってきていたゴリンへと移す。すると彼は、いつもの不誠実な態度はどこへ言ったのやら、至極真面目な表情で口を開いた。

 

「俺ぁ、いつも通り口うるさい奴らから逃げて街中をぶらぶらとしてた時、突然頭痛がしてな。まぁ、クーマの言う通り一瞬だったんだが、その後、すぐさま街の様子がおかしくなっちまったんだ―――、街をいく奴らの目から生気が消えたのさ」

「生気が消える?」

「そう。辺りを見渡すと、ぼけーっと、空を見上げたり、地面を見つめる奴らばっかりでよ。声をかけても体を揺さぶってもまるで反応しないわけよ。そこいらの一般人どころか、手練れの冒険者みたいな奴らまで、こう、よだれを垂らした猫背みたいな格好でダランとしちまった」

 

ゴリンは少し大業に背中を曲げると、顎を前に突き出して、目線を上下に交互させた。多少誇張も入っているのだろうが、ゴリンの演技は、当時のあった出来事の異常さを知らしめるには丁度良いくらいの按配に仕上がっている。

 

「で、どうしたんだこりゃと思ってると、遅れて、今度はいきなり雷スキルでもくらったかのように一瞬背筋をピンとおったてた。直後、奴らはボケーっとしたまま、エトリアの街の外に向かって出て行ったんだよ」

 

エトリアから出て行ったという彼らの真似なのだろう、ゴリンはその場で姿勢を正すと、再び猫背に戻して、足踏みをする。彼はひどく真剣なのだろう事はその表情から分かるのだが、彼がそうして背を曲げてひょこひょこと歩く様子は少しばかり間抜けに見えて、笑いを誘う。―――というより、ギルガメッシュは隠そうともせず、指をさして失笑を漏らしている。奴らしいが、本当に遠慮というものがない男だ。

 

「追っかけようとも思ったんだが、まぁ、急にクーマの元へと行った方がいいってな天啓が降りてきてな。慌てて執政院にやってきたら―――」

「ちょうど結界を敷く作業中の私たちと出会ったというわけです。その後、ゴリンには衛兵たちと一緒に、街に残った人たちを連れてきてもらって―――、こうして、緊急施設に移動した後、湧き出た知識を用いて結界を発動させて、残った住人と一緒に避難していたわけです」

 

クーマとゴリンは、顔を見合わせると、互いに苦笑いを浮かべた。

 

「よくわからないが、どうして君たちは街の外に出て行ったという彼らのようにならなかったんだ? 」

「それは……」

「……、わからねぇな。こっちでも状況を把握しようと、それぞれに事情を聞いては見たんだが、どうもさっぱり共通点が見当たらねぇ。どっちかってぇと一般の奴らのが多く消えたから、肉体的に弱い奴から消えたのかとも思ったが、ラグみたいな優秀な衛兵も、ザークみたいな指折りの冒険者までいなくなってたからなぁ……。他にも、ラミ、ソル、ヘイに、トバルにサコといった、優秀な商人だの、料理人だの、道具屋だの、鍛治職人だの、医者だの……、数えてりゃきりがねぇ。さて、どんな共通点で俺らだけ無事だったのか……」

 

どうやらヴィシュヌの自覚といっても、本人の申告した通り、神としての権能や全能性に目覚めた訳でないらしく彼らは事態を把握できていないようだった。

 

「それはこやつらが、YHVHとは異なる古き神話軸であるからよ」

 

そこへギルガメッシュが割り込んでくる。不機嫌な態度から察するに、自分という高貴な存在がこの場にありながら、自らに注目が集まっていないという状況に耐えかねたのだろう、と推測できた。

 

「神話軸? 」

「大雑把に、奴とは異なる系統であるという事よ」

「神話が旧約聖書と関連しているか否かということか? 」

「そのような認識で良い。―――、一度目の頭痛とやらはそこなフェイカーどもが起こした事象によるもので間違いない。そして二度目の異変とやらは、おそらくYHVHの甘言だったのだ。―――奴は、手っ取り早く自らの力となる信仰、すなわち、自らを信ずる人間を獲得するため、微かな神力を使って周囲―――すなわちエトリアという街に住む人間へと呼びかけた」

「二度目の異変の際、クーマやゴリンは何も感じなかったようだが―――」

「ほとんどの人間は弱く、醜い生き物だ。新人類になってもそれの性質は対して変わっておらん。他人が自らより優れていれば嫉妬し、劣っていれば見下す。先も述べたようにこのバブ・イルの土地において、名というものは本人の資質に関連したものが自然と付けられる。すなわち、弱い人間であるほど、あるいは、強くとも嫉妬などが強さの原点であるものには、嫉妬の神であるYHVHと関連した名前が付けられやすい。弱体化した奴にとって、自らと相性の良い、自らの神話と関連する名の輩どもに語りかけるのが精一杯だったであり―――、そしてそれでも十分と言える数が、このエトリアという街には蔓延っていた」

「―――棘のある言い方だが、なるほど、だから、クーマのようにインド神話を基にする名前の人間にはその異変は起こらなかった、というわけか」

 

ギルガメッシュが鷹揚に頷く。相変わらずほとんど情報ない状態から物事の真実を見抜く奴である。破滅的に独尊的な性格さえなければ、さぞ王として讃えられただろうと思うと、少しばかり勿体無い気もした。

 

「はぁ、それで私やゴリンは無事だったのですね? 」

「まぁ、俺もヴィシュヌ系列の名前だからなぁ」

 

クーマは、数度首を縦に振り納得に仕草を見せ、ゴリンは呟いた。インド神話の場合、活躍すれば自動的にヴィシュヌ扱いされる側面もあったし、スキルを収める、武術に関係したゴリンとくれば、五輪書か、五輪塔あたりで、仏舎利仏陀となって、ヴィシュヌ……、といったところだろうか。

 

ということは、ここに残っているメンツは、中国やインド、エジプトにバビロニアといった、古く歴史のある名前のものしか―――、……ん?

 

「―――ふむ、ギルガメッシュ旧約聖書と関連するというのであれば、あれのオリジンである貴様の神話の名前も多分に影響していると思うのだが、その名を持った人間も連れ去られたのだろうかということか? 」

「は、なんともフェイカーらしい、間抜けな意見だな、この戯けが! フェイクとオリジナルには隔絶して超えられぬ差がある! そして我が属する神話こそ全ての神話の頂点! たとえ世界を席巻しかけた宗教とはいえ、原点たる我が属する神話の名を超えられるわけあるまい! そも―――」

「なるほど。それでこの世界で付けられた名前が影響して、私はアンタの顔のことを、昔以上に思い出したってわけね」

「―――」

 

ギルガメッシュが罵倒の言葉をさらに紡ぎだそうとした途端、それから私を守るかのように奴の言葉を遮ったのは、鈴の音のような高く涼やかな声だった。側面より飛んできた声を聞いた途端、衝撃が背筋を貫いた。体が震えた。瞬間的に脳裏へと聖杯戦争の記憶が蘇る。

 

冬木という因縁深い場所において、赤の外套よく似合う彼女と共に駆け抜けた夜の日々。それはたった二週間に満たない期間であり、自ら望んで正義の味方になろうと駆け抜けた生前や、望む、望まないと関係なく世界の走狗としてこき使われた死後の期間と比べれば、あまりにも短い期間だ。

 

しかし、そのたった二週間に満たない期間において起こった出来事は、全てにおいて、私、英霊エミヤ、すなわち、衛宮士郎という存在と深く結びつきあう運命へと導いたのだ。やがて過去の私は彼女と十本結切を贈られる仲となり、未来の私は彼と彼女の手によって救われた。

 

「あら、アーチャー。あなた、この声を忘れちゃったの? まったく薄情なんだから」

 

―――いやそんなことはない。ああ、覚えているとも。忘れられるはずがない。忘れられるはずがないだろう? だって君は―――

 

「―――自らの失態により屋根の上へと叩きつけるという斬新な召喚方法によって呼び出した英霊という最高位に位置する存在を、所詮は使い魔と言い切り、小間使いや茶坊主代わりにするその厚かましく図太い根性と神経を持っていなければ、とても出来ない言い草、忘れるはずもなかろう、凛」

「―――なんだかすごく含んだ紹介されたようだけど、まぁいいわ……、久しぶりね、アーチャー。相変わらずの仏頂面で残念だけど、ある意味安心したわ」

 

―――君は私を救った、私にとってかけがえのない恩人なのだから

 

 

世界樹の迷宮 幕間3のあとがき

ようやく書いてる小説もだいぶ設定吐き出せてすっきり。性別入れ替えはよくあるネタですが、隠している方はばれないかとひやひやモノですね。お陰でだいぶ筆が進まないこともあったので、これでようやく書き出せます。

 

次は個人の脳内でのイベントを幾つか続けるつもりなので、すごい楽。人物を組み合わせてどうこうするのではなく、情景描写や、心理描写を書き連ねて、くどかろうと思いのまま筆を進められるから、すごい気楽。

 

ずっとやってたい気分。

 

小説家になりたいなぁ。オリジナルのはどこに投稿しよう。メアドのせたら、誰か仕事の依頼くれるかなぁ。

世界樹の迷宮 ~ 長い凪の終わりに ~ 幕間 3 真実はまた別の謎を呼び  

幕間 3 真実はまた別の謎を呼び

 

「馬鹿な! ありえない! 」

「ほう、王たる我の言葉を疑うとは不遜な。だが剛毅でもある。言うてみるがよい。貴様はいかなる理由を持ってしてありえないと申すのか」

「何もかもだ! まずもって、貴様の言った出来事には確かに唯一神教の神に絡んだ出来事であるが、時代系列も出来事も何もかもがめちゃくちゃだ! シナイ山の神はYHVHかもしれないが、預言者が油を塗ったから蘇った訳ではない! エリヤやエリシャが油を塗ったという伝承はあるが、むしろその事についてYHVHは、油を塗り、王や指導者、預言者を指名する立場のはずだ!死後復活したのはキリストであるし、そもそも、第一人の身で神霊を召喚できないのは、貴様も承知のはず……。そんな事、マシンスペックの足りないパソコンで人類の未来を演算しろというようなもの! 星に等しき巨大な概念的存在、召喚どころか知覚した途端、理解が追いつかず霊格が破損する! そもそも、人が神を召喚できないというのは、貴様が言ったのだろう、ギルガメッシュ!だからこそ、貴様という半身半人の英霊が呼び出されたのだと! 」

 

思考の忌避反応ゆえか、奴の言動を拒絶する言葉が立て板の上を水が流れるがごとくスラスラと生じた。それほどまでに、私にとって、YHVHという存在がこの世の中に召喚されたという事実は信じがたいものだった。

 

「ふむ、確かにそれは不快ながらも、我の口から出た言葉であるのは事実だ。だがな、フェイカー。同時に我はこうも言ったぞ? 新人類は旧人類に比べて霊的知覚能力の高く、エルに等しき人間でもある。故に、この地はバブ・イルに等しいのだと」

「……なに?」

「物事には順序というものが存在する。先にも言うた通り、今日の我は非常に気分が良い。そう慌てずとも、我が手ずから、自ら全てを明かすと言っておろう」

「……」

 

英雄王の目が細められ、眼光がぎらりと鋭く光る。奴がこちらに向ける視線は、まっすぐで嘘はない。いや、そもそも、この男は嘘をつくなどというまどろっこしいことをするくらいなら、全てのカードを明かして手の内を見せる男だ。

 

―――そう、少なくとも、今のところ、ギルガメシュはたしかに、私が疑問として抱えている事象に対して、完全な答えを返してやろうという気分でいるのだ

 

「さて、まず神霊の召喚の不可能性についてだが……、確かに貴様の言うた通り、通常なら不可能な所業よ。星の代行者であり、自然の摂理でもある神という存在、通常ならばこの世に呼び出すことすら難しいだろう。だが、要は、呼び出す神が持つ信仰のエネルギーに匹敵する量と質のエネルギーがあれば良いのだ。すなわち、それを補うためのいくつかの要因が重なれば、神霊の召喚という所業も可能となる」

「いくつかの要因?」

 

首をかしげると、奴は尊大に首を縦に振り、口を開く。

 

「そうだ。例えば此度のように呼び出す神霊の信仰が衰退していれば、その神霊の召喚は通常よりも容易い事となる。フェイカー。貴様はよほどYHVHを過大評価しているようだが、そもそも遡ってみれば、あれはただの一個人が酔狂に拝めていた神にすぎん。我が治世を行なっていた時代においては家族レベル、共同体レベル、国家レベルで異なる神を拝めていたが、その中でも最底辺の、一つの家族が勝手に拝み出したもの。すなわち、唯一神ではなく、一個人の拝一神だ。それが強大な力を持ったのは、やがて歴史の中で多くの信者を獲得したからこそ。すなわち、その信者が残らぬこの地においては。YHVHはバビロニアにおいて、奴らの言い方でその存在を表現してやるなら、最高神/エルヨーンではなく、神々/エロヒムの中に数多存在する一柱の神/エルにすぎん。まぁ、これはそのほかの神にも言えることではあるのだがな」

「ただの……、一つの古き神に過ぎないと……?」

「然り。しかし、先に述べた通り、奴や、奴を含む全ての神霊はこの今という時代において、古いという神秘のアドバンテージを保有するため、いまだ単に呼び出そうとしたところで、その召喚は不可能である。奴が自ら神格を落とし、人の位置に身を落としてまで真似をすれば別かもしれんが、あの嫉妬と呪いの神がそのような劣化召喚に応じるとは思えん―――ともあれ、ここで重要のなるのが、先ほどももうした、量と質よ。そして幸いにして、この地は旧人類と比較すれば、霊的知覚能力が高い人間、すなわち、奴らからすればエルに等しき、エロヒムが繁栄するバブ・イルの大地」

「……、つまり、その宗教に関連した儀式を、エロヒムである我らが大勢で行えば、一個人の神でしかないエルを召喚することは可能である、と? 」

 

奴の内容から話を纏め上げ、先読みすると、奴は少しばかり感心の色をその瞳の中に携えた。

 

「ほう、少しは自らの頭で考えるようになったではないか―――、如何にも。付け加えるならば、無関係のものが宗教的意味を持つ儀式を行うよりも、宗教的意味を持つ名を含んだ者が儀式を行う方が良いのは言うまでもない。―――混じり気のない神などというものはな。そこいらの食堂で出てくる料理と同じよ。過去の古いレシピを利用して、手順をなぞってやれば良いのだ。シェフという存在が出来上がる料理の名を知らずとも、材料と手順さえ合致しておれば、確実に料理は完成する。加わえて料理を作りあげた者の名が、かつての有名人と合致したのなら、ほれ、もう立派な再現よ。また、完成する料理の名が神というのであれば、料理を行う調理場が祭壇という場所であれば良いのは言うまでもない」

 

奴の言い様は非常の神霊という存在を見下したものであったが、たしかに一定の説得力があるようにきこえた。しかし―――

 

「―――エリヤ、もしくは、エリシャが油を塗る。YHVHが山に降臨する。神の名前を持つ者が復活する。―――確かにそれらは宗教的意味を持つ行為かもしれない。だが、貴様の話が真実だったとして、たった三つの出来事が重なった程度で―――」

 

言いかけたところで奴は首を振る。黄金の髪が揺らぎ、拒絶の意思が露わにされる。

 

「三つなどではない。……シンなる男は、貴様を絶対存在として敬意を評していた。すなわち、貴様は、シン=ナンナ=YHVHにとって、エルヨーンに等しき存在だったのだ。そのような存在に油を塗られる、すなわち王として認められる行為は、嗣業を与えられる行為、すなわち、申命記三十二章の出来事に等しい。これで四つ」

「……」

「そして、そこなピエールなる男。すなわち、初代教皇ペトロのフランス語読みである男が復活を喜び涙を流し喜んだこと。すなわち、コリント信徒への手紙一、十五章の出来事である。これで五つ。そして―――アシェラだ」

「アシェラ?」

「そう。かつての時代、奴の配偶神と見なされた女神。アシェラとはすなわち、我が創世神話『エヌマエリシュ』に登場するアンシャル神を起源とする、男性神アッシェル神の豊穣の権能面より抽出されたイナンナ、すなわちあの忌まわしきイシュタル的な女神である。―――それが二重に貴様らに関わっているのだ」

「二重に?」

「一つは、フェイカー。貴様が宿としているインと言う女だ。イン/innという名はすなわち、イナンナの名に通じる。そしてその女が構える場所が宿であるというならば、そこはすなわち、あやつの神殿に等しき領域。入り浸ると言うことはすなわち、イナンナの加護を得ているということに通じる。つまりは、フェイカー。貴様は、アシェラ、すなわち、YHVHの配偶女神の加護を得た男なのだ。これで六つ。さて、もう倍になったぞ? 他にも挙げればきりがないほどの拝一神的要素を、貴様らはこれまでの旅路において取得し、実践し、積み重ねきたのだ。そして―――」

 

ギルガメッシュは唇の両側を最大限にまでつり上げて、心底愉快だと言わんばかりの満面の笑みを浮かべた。その面には興奮の色も浮かんでいる。その無邪気でありながら攻撃的な面なサディスティックな笑顔はしかし、まるで満月の様に見たものを狂わせる魅力に満ちていた。時と場所がここでなければ、万人を魅了しただろう。

 

「トドメとなったのが、先ほども述べたアシェラの二重要素の残りの部分よ。アシェラすなわちサガは、シンすなわちYHVHが復活したと認め、祭壇の上で叫び、周囲に知らしめたのだ。男のような、女。まさにそこなサガという雑種の特徴とぴったり符合するであろう? 」

「―――男のような女……? 」

 

ギルガメッシュの言葉に眉尻をひそめる。「奴は何を言っているのだ」と思いながらサガの方へと目線を送ると、異邦人の皆に囲まれている彼は、急に目線を向けられて小さな肩を震えさせながら、ボサボサの頭を小さく左右に振るっている。その弱々しいさまは常に溌剌とした彼の様子からは考えられない態度で、私はまるで少女のようだと―――

 

「―――まて、まさかサガは……」

「なんだ、気がついていなかったのか? イナンナはアフロディティ、ヴィーナスとなり、フレイヤとなり、サガとなった」

 

言いかけるといつのまにか目の前までやってきていたギルガメッシュは、サガの胸元へと手を伸ばす。奴の言ったことがあまりに予想外で、奴の所作があまりに自然な動きだったからだろう、私たちは皆、誰一人として反応できるものはいなかった。

 

「そも『サガ』とは、広く欧州圏において女性名詞である。男に付ける名としては不適なものであろう」

 

ギルガメッシュは我々が硬直している中を素早く動くと、サガの胸元を掴んで、思い切り引っ張った。絹の裂ける音が響く。現役なのかは知らないが、ギルガメッシュの膂力と握力は奴が受肉化した英霊であった頃と遜色ないものを誇っており、サガの衣服は抵抗することすら許されず、真っ二つに引き裂かれた。突然の暴挙にサガは反応することすらできず、ギルガメッシュが衣服を引っ張った方向とは真逆に、結構な勢いで床へと仰向けに倒れこむ。

 

「サガ! 」

「だいじょう……ぶ……」

 

どたん、と、サガの体が床を打った音が私とダリを再起動させた。慌ててサガの方へと目線を送ると、そして見えたものに驚く。

 

「……、嘘」

 

響の呟く呆然とした声が、やけに大きく聞こえてきた。上半身の衣服の前面を失ったサガは、首元から胸元までが露わになっている。小さい体は細く、鎖骨から胸、腹部まで下って行く中、筋肉というものがまるで存在しないかのように滑らかな曲線を描いていており、なんとも柔らかそうだ。特筆すべきは、その胸元だろう。

 

サガの胸は、少年の鳩胸……と表現するには不自然なほど、ほっそりとした体に不釣り合いな大きく丸みを帯びた乳房を兼ね備えていた。サガは胸元を隠そうともせずに立ち上がると、残った上半身の衣服とサガの背中の間から、ちぎれた布がいくつも落下した。多分、サラシだろう。彼……、いや彼女は、あれの白い布切れを使って無理やりあの豊満な胸を抑え付けていたに違いない。よくもまぁ、バレなかったものだ。

 

倒れこんだ際、背中と尻にについた埃を払い、胸を張った。体に不釣り合いな豊満な胸が揺れ、彼女が女であることを主張していた。

 

「―――なんだよ、悪いかよ」

「いや……、だって、サガ、前に迷宮で怪我した時に見たときは、胸なんて―――」

「一年でデカくなっちまったんだよ。悪かったな」

 

ダリは信じられない、という顔でサガの顔と胸元とを交互に見やる。やがてその視線は胸の方へと吸い寄せられてゆく。よほど現実が信じられないのか、ダリは呆然とサガの胸を眺めていたが、やがてダリは己のやった行為がどの様な意味を持っているのかに気がついた様で、不埒さに顔を赤らめながらふいと顔を逸らした。

 

年の割に純情な男だ。一方でそんなダリとは真逆に、シンは彼女を見下ろしたまま表情を変えず、オランピアがシンと同じく変わらぬ能面のような顔を浮かべ、ピエールがダリの反応を見てニタニタと笑う中、ダリは視線を逸らしたまま、唇をパクパクと動かした。

 

「―――なんで、お前……、いや、君は……」

「ほら、もう、男扱いじゃなくなった。―――嫌だったんだ。男と女の体は筋肉のつき方も骨格の成長の仕方も違う。俺だってお前らみたいにかっこよくなりたいのに、女はお前らみたくでかく成長しにくいからって、小さくても仕方ないって、馬鹿にしやがって。だから俺は、こうやって―――」

「サガ……、話は後にして、まずはその胸を隠しましょう?」

 

響はサガの言葉を遮ると、荷物から自らの服の予備を取り出すと、シンの目線を遮るようにして彼女の後ろから近寄り、抱きかかえるようにして衣服をサガの胸元に押し付けた。響の衣服は、響とサガの背丈が一緒くらいであるのが幸いして、ちょうどぴったり肩幅とマッチしている。なるほど、露わになった部分を隠すにはもってこいの大きさだ。

 

「なんだよ、俺は別に……」

「サガ、ほら、そう言わずに……」

 

サガは鬱陶しそうに響の押し付けてくる衣服を払うが、響は負けじと自らの衣服をサガの胸元へと引き戻す。その力や相当強いらしく、胸部に押し付けられる衣服とサガの体の間で胸が横にはみ出て揺れた。ダリが再び慌てて目線をそらす。

 

「いいって、こんな邪魔なもん、放り出したほうがさっぱりする―――」

「サガ……?」

 

響は首をかしげると、とてもいい笑顔でサガへと笑いかけた。先ほどの英雄王が浮かべたものとは違う、とても女性らしく柔らかい笑顔であったが、なぜか能面のように作られた笑顔であると感じる。月の面が袖の裏で般若に変ずる一歩手前の状態のようだ。

 

「 ―――、黙って、言うことを、聞け」

「――――――はい」

 

なんとも力強い断言とともに、響の体から殺気が連続して発散された。にこやかなのに目がまるで笑っていない。耳孔へと滑り込んでくる言葉は一区切りごとに大きくなり、段階的に心臓までを切り裂いてゆく。彼女の言葉はまさに刃であった。途端、サガは借りてきた猫のように大人しくなり、小さな体に不釣り合いな大きな籠手で素直に差し出されたものを受け取ると、籠手を外して、受け取ったものを着込んだ。

 

「ん、きつ……」

「―――」

 

直後、サガの発した言葉で部屋の温度が先ほどアンドロ製造場所レベルまで落ち込んだ。零下まで落ち込んだ気分。背筋をうすら寒いものが駆け上がってゆく。

 

「くだらぬ。嫉妬が元の仲違いなど後でやれ。今は王の御前であり、我の話の途中である」

 

一方、この状況を引き起こした張本人ギルガメッシュは、二人のやり取りを不機嫌そうな面で一言にて切り捨てると、我々より少し距離をとり、腕を組んで再び見下す様な姿勢へと移行した。どうも奴は、サガの性別が判明したことにより、話題の中心が自らでなくなったことに不快感を抱いたようだった。なんとも勝手な男だ、と内心嘆息する。が、同時に空気をまるで読まない奴の性格と行動に、感謝の念を送った。別の意味で、また心中にて、嘆息。

 

「―――ともあれ、我が神話を起源にする名を持ち、また、YHVHの配偶女神でも名を持ち、今、北欧神話に属する名を持つ者が、ジグラットであり、バーマーでもある、このグラズヘイムにおいて、高らかにYHVHの復活を叫んだのだ。そしてそれはグラズヘイムに敷かれた陣によって、新人類、すなわち、エロヒムの無意識の内に眠る、旧人類どもの拝一神YHVH=エルの知識と結びつき、シン=YHVHの復活は事実として広く無意識のうちに認識され、観測され、かくてYHVHは降臨したのだ」

 

奴の言葉によって、空気は再び響が撒き散らしたものとは別種の緊迫を含んだものとなる。真剣さを取り戻した私の頭は自然と奴との先程までの会話内容を思い出し、今の内容と共に合わせて咀嚼すると、やはり信じられぬ内容であると衝撃を受けた。

 

「それでも、人が神を召喚するなどと……―――」

 

呟くと、奴は失笑を漏らした。軽く浮かべた笑みの中には、もはや負の感情は残されていなかった。相変わらず秋の女心の様に機嫌を入れ変わりが激しい男だ。

 

「くっくっく、たしかに雑種ごときでは信じがたい出来事かもしれぬ。いや、むしろ確かに雑種がいくら集まろうが、不可能な出来事ではあったのだ。だがそこはほれ、最後の一押しがあったのよ。―――、新人類らの集合無意識下に巣食っている魔のモノとやらが肩代わりしたのだ。魔のモノとかいう存在は、貴様らの負の感情を食らう代わりに、新人類どもの霊的知覚を広げ、スキルなどを使う際の緩衝材がわりになるという役目を負っている。すなわち、魔のモノとやらは新人類が高次の存在と繋がるために足りぬエネルギーの質と量を補った、というわけだ。―――ああ、ついでに言うならば、新人類がYHVHを召喚した時の衝撃で、復活しつつあった奴の体は再び塵芥に返ったようだな」

「―――はぁ?」

 

ギルガメッシュの一言は、先ほどから続く予想外の出来事が正しく現実に起こったことなのであると認識するのに疲れ切っている頭を再び揺さぶり、もはや今日何度目になるかわからない、たった一言で疑念を呈する言葉を口にさせた。

 

「―――アレが復活させたキレイの知識を魔のモノ自身が吸収して聖杯を降臨させようと企んでいた事と、三位一体における精霊や悪魔の概念の源となったアンリマユを利用していた事も、YHVH降臨の後押しであった、というわけよ。はは、奴らも無様なものよの。しかして貴様からすれば僥倖であろう、フェイカー? 魔のモノの討伐し、赤死病の蔓延を阻止するという目的が解決したのだぞ? 」

 

誰もが口をぽかんと開けたまま動かない。赤死病という死病は、こんな訳も分からぬうちに解決してしまったという事実に、頭がついてきていない。なんとも呆気なく、そして実感のない目的の達成は、私たちの意識をはるか遠くの領域にまで吹き飛ばしていた。ギルガメッシュは「フェイカーどもが揃って間抜け面を晒しおるわ」と、大層上機嫌に笑っている。

 

「―――ギルガメッシュ。新たに質問をさせてもらいたい。―――、貴様が先ほど述べたことが真実だとして、なぜYHVHはこの場所でなく、エトリアにあるシンの死体の内に宿り、動き出したのだ? 」

 

しばらく奴の高笑いを聞いていた私は、それでもなんとか気を取り直して、別の疑問を奴にぶつけた。するとギルガメッシュは純粋な気色に満ちていた笑みへ攻撃的な色を混ぜると、片方の唇だけを釣り上げてを顔を傾けた。先程までと同じ様な相手を見下す態度だが、その視線が我々ではなく、窓の遠く―――おそらくエトリアの方向―――に向けられていることから、ギルガメッシュの軽蔑の意識はエトリアへと消え去ったYHVHに向けられているものだとわかる。

 

「は、大方、我―――、というよりも、我の持つ宝具『天地乖離す開闢の剣/エヌマエリシュ』を恐れたのであろう。奴の率いる民族はかつてアッシリアが崇拝していた神、エアの息子、マルドゥク神の加護を受けた国の前にこうべを垂れて膝をついた経歴を持つ。聖書にあるモーセの遺言においては信仰が本来の意味を忘れ、形骸化し、「格差社会」とやらが蔓延った結果だとほざいておるが、なんてことはない。あれはもともと一個人が編み出した妬みの神であり、自らを崇めなければ呪い殺すぞという手段でしか弱者を纏めることしか出来ぬ弱きエルであるのだ。故に、真であり祖でもあるこのバブ・イルという王国において、その王たる我とエアの座すジグラットに侵入することを恐れ―――、この場にあるシンの体をあきらめ、もう一つの方へと宿ることを決意したのだろう。我とあの存在は、征服したものと、されたもの。相性が最悪だからな。―――、ふむ……」

 

眉をひそめたギルガメッシュが指を鳴らす。すると、奴の周りを囲いこむよう、空中にコンソールが複数出現した。踊るかのように奴の周りを回転するコンソールの群れの画面には、山、川、海、海中、平原、草原、荒野、砂漠、崖、街、国など、世界中のあらゆる場所情景が投影されている。

 

やがて奴を覆い回転していたコンソールの群れが、奴の顔の前を次々と通過してゆく。コンソールは奴の顔を通過した途端、画面は再び別の場所の情景へと移り変わる。画面に映る光景は一つとして同じものがないことから、おそらくそれは世界中の光景なのだろうことが予測できた。

 

「―――どうやら奴は、シンとかいう雑種の体ごとこの世界から逃げ去ったようだな。しかも消え去る際、多くの新人類を連れ去ったらしい」

「人を連れて―――」

「この世界から―――」

「―――消える?」

 

ギルガメッシュは呆然と奴の言葉を反芻した私たちに反応すると、奴は自らの周りに浮かんでいるコンソールのうち一つの左右をくるりと反転させ、放り出すような所作をとった。するとコンソールはまっすぐ空中を進み、我々と一定の距離の場所の空中に停止する。見ろ、ということだろう。

 

「―――これは?」

 

ギルガメッシュの指し示した場所には、不自然な空間の断裂の歪みがあった。空中より一メートル四方ほどの空間が球の中心に向かって渦を巻くような形に歪んでいる。歪んだ空間の周囲では渦に沿って風が逆巻いており、周囲の地面の土や葉が渦に飲み込まれてゆく。やがて渦に飲み込まれた雑物は、その全てが姿を消すのだ。歪みはまるで底なし沼のようだった。

 

「この世界は、我と数名、あるいは数柱が、世界樹の上の大地を作り上げるため創生の役目を負って各地におるわけであるが、我のような強大な力を持つ存在では、細かな調整がきかん。畑が違うからな。王の役割は基本的に指示であるがゆえ、大雑把な作業はできるが、細かい調性は出来ん。そこで維持のため、様々な古代神話の伝承を用いた神殿を各地に建て、神を祭り上げることで、足りぬ部分を補填し、大地は維持されておる。だが、神話ごとにも、もちろん神話に登場する神霊ごとにも、それぞれ最悪の相性というものがある。フェイカー。貴様の神話で例えるなら、タケミカヅチタケミナカタのようにな。勿論ほとんどは起こらぬよう神殿は配置されておるし、異常を観察するため月に作り上げた施設を用いて地球を俯瞰し、世界から隠蔽するなどの常に対策を講じておるわけだが―――、祭祀の不在か、あるいは贄の不足か、時たまこうして、その漏れが生ずる。すなわち、これは世界樹の世界というものを維持するための歪みというわけよ」

「神話や神霊の相性が悪いため、空間が歪むというのか? 」

「然り。神殿に祭られたもの同士の相性が悪かったり、相性が良すぎたりすると、時たま、こういった時空間の捻れ、歪みというものが発生する。行き先は知らぬ。通常は発生してもすぐさま原因を特定し、潰してしまう故な。―――だが……」

 

ギルガメッシュは、再び不機嫌そうに眉尻をひそめると、組んでいる両腕の指先のうち、一本を上下に動かした。同時に目の前の画面が多少ぶれる。そして直後正常に戻った画面の上には、やはり変わらず歪みのある光景が映っている。

 

「奴はどうやらその歪みを利用して、別の次元へと逃げ去ったようだな」

「―――平行世界ということか? 」

「その通り。しかも、なにやら歪みに小細工を残していきおった」

 

ギルガメッシュは憎々しげに吐き捨てた。

 

「小細工? 」

「そうとも。おそらく奴はかっさらった連中を信徒とすることで、多少昔の力を得たのだろう。小細工を弄して歪みが消えぬようにしていきおったわ」

「歪みが消えないとどうなるのだ?」

「知れたこと。蟻の穴から堤が崩れるように、やがて矛盾は拡大し、世界の崩壊に繋がるだろうよ。―――すなわち、この大地の崩落だ」

「な……」

 

一難去ってまた一難という非常事態。いや、それどころか赤死病が広がり、人類の多くが徐々に死んでゆくよりもよほど大きな人死の出来事が起こるというギルガメシュの宣言は、私はおろか、異邦人の皆と、果てに、今まで沈黙と冷静の態度を保っていたオリンピアすらをも、驚愕の渦に叩き込んでいた。

 

「無論、我の力で抑えておるがゆえ早々大事には至らぬ。が―――、あるいは、向こう側に逃げ失せたYHVHが信者を獲得し、力を付け、再び舞い戻って来た場合、―――」

 

ギルガメッシュは眉間にしわを寄せて、言葉を切った。その先に続く言葉は、言ってしまえば現実になるかも知れないと思ったのか、あるいは自身がそう思ったことや、YHVHによって思わされたことが、奴にとって不愉快な出来事だったのだろう、圧倒的な不愉快を表す重圧を周囲に撒き散らしながら、ゆっくりと瞼を閉じた。

 

ギルガメッシュは傲慢ではあるが、愚かではない。おそらく、仮にYHVHがかつての力を十全に取り戻してこの世界にやってきた場合、霊脈が循環する施設と一体化している自身であっても負けるやもしれないとの可能性を考慮したのだ。

 

しかしギルガメッシュは英雄王であり、天下で唯一、他人とは隔絶した別の場所に置かれるほど自身には特別な価値のあると信じている者である。そんな男は、だからこそ、負けるかも、などという結論を叩き出した自らの頭脳を憎み、そしてまた、そんな結論をはじき出させたYHVHという存在のことをそれ以上に憎悪した、と、そんなところだろう。

 

「―――我にとって、この世界の維持など余興にすぎん。所詮は泡沫の夢。強敵を前に尻尾を巻いて逃げ出すような小物を追いかける趣味はないが―――」

 

ギルガメッシュの声が徐々に低いものへと変化する。空気が重苦しいものへと変化してゆく。吸うも吐くもままならない。胸が押しつぶされそうなほどの迫力。人の血が混じっているとはいえ、奴はまごう事なく神霊の性質も兼ね備えている事を改めて理解する。

 

自らの気質でその場の全てを己の領域へと塗り替える所業は、まさに人という存在には敵わない、神気のみが可能とする技。奴はまさに、人が、崇め、恐れ、奉り、祭りあげて、なんとかその強大な力を利用しようと、情けを受けようと、手綱を握ろうと、その恩恵に肖ろうとした存在そのものだった。

 

「―――偽物であるとはいえ、我の治めるバブ・イルの名がつく大地より所有物に手を出した挙句、掻っ攫っていった罪は裁かねばならぬ。我が王国において我が敷いた法を犯した愚か者には罰を与えねば、国というものは成り立たん―――、おい、フェイカー! 」

「―――なにかね?」

 

奴は体より発散する気配をまるで収めようともせず、むしろ私に当たり散らすかのよう、強く私の事を読んだ。身体中を駆け抜ける奴の怒気をなんとか受け流すと、私は応対する。

 

「貴様に我が尖兵となる栄誉を与えよう。―――歪みの向こう側へと逃げた奴を追いかけ、素っ首を叩き落として参れ」

「―――私が?」

 

私にYHVHを倒せというのか? 神を? 力が落ちているとはいえ、かつては世界の支配者と読んでも過言でなかったあの神を、元はただの人間に過ぎないこの私が?

 

「そうだ。我が言葉、聞いていたであろう? 奴をこのまま放置しておけば、やがてこの世界の崩壊につながる可能性がある。我としては別にそのような事態になろうと構わぬが、我が所有物を奪われた挙句、王国を崩壊させられたとあっては、我の沽券にかかわる。本来ならば直々に出向いて処罰を与えたいところだが、今の我はこのグラズヘイムと一心同体。表立って動くと面倒なことになるのは明白であるし、何より我がこの世界より失せた時、我が王国は崩壊するゆえ、この領域より外に出ることすら叶わん。―――よって、不承不承ながらも王国の民である貴様に、討伐を命ずるのだ。人の世の崩壊を防ぐため邪魔者を排除するなど、元は世界の走狗として掃除に励んでいた貴様にとって、慣れ親しんだ作業だろう? 」

「――――――」

 

ギルガメッシュの命令は非常に腹の立つ口ぶりではあったが、話す内容からして間違った判断でないことは明らかだった。YHVHを倒さねば世界の崩壊があるかもしれない。人が大勢死ぬかもしれない。幸せを享受している人々が、自身とは関係ない場所より生じた悪意により、不幸のどん底に落ちてしまう。そんな可能性を提示されては、たとえ相手がどのような強大な力を持っている相手だろうと、引くわけにはいかない。それは私の誇りなどよりも大切な、譲ることのできない矜持だ。ならば―――

 

「貴様の思惑に乗るような形であるのは正直気にくわないが、その依頼、承ってやろう、ギルガメッシュ

「王命であるゆえ、そもそも拒否権など存在せぬわ、愚か者が。―――だが、二つ返事でなかったとはいえ、否定や疑問なく受託したことだけは認めてやろう。……受け取るがいい」

 

奴は組んでいた腕を崩すと、自らの空間の周囲を歪ませ、そこに手を突きいれ、そしてなにかを取り出し、こちらへと放り投げた。それは小瓶だった。原始的な曇りガラスの中では、不可思議な色をした液体が揺らいでいる。

 

「これは?」

「飲めばたちまち全盛期の頃の力を取り戻せる、滋養強壮の薬のようなものだ。支度金がわりに貴様へくれてやる。励むがよい」

 

言うとギルガメッシュは片腕をあげ、そして勢いよく振り下ろした。私のみならず、仲間の体までもが白色の光に包まれた。

 

ギルガメッシュ、なにを……!」

「見たところ貴様は今、万全な状態ではあるまい。しかるに体調を整えてから、賊の討伐に旅立つが良い。王命を受託した部下に対しての気遣いという奴よ。寛大な我の心に感謝するがいい」

 

その言葉を最後に、私たちの視界は白色の光により完全に埋め尽くされる、眩いと感じるよりも先に、浮遊感が私たちの体を包み込み、そして―――

 

 

「……、ここは?」

『準備ができたら、再びこの場所へと参上するがいい。歪みの場所まで導いてやる』

 

白色の空間に身が置かれていたのは一瞬、ギルガメッシュの声に反応して目を開けると、暗闇と、それを照らしあげる微かな炎が私たちを仄かに照らしあげる中、シンの目が赤く光っているのを見て少しばかり驚き、私はたたらを踏んだ。赤外線を放つ目は拡大と収縮を繰り返すと、周囲の光度を分析し、調整し終えたのか、一定の瞳の大きさでとどまり、止まった。

 

「―――ああ、すまない。そうか、もう違うことを忘れていた」

「……いや、こちらこそ気遣いと配慮が足りなかった」

 

互いに謝辞を交わし合うと、気を取り直して、周囲を見渡す。窓一つない、牢屋に似た、鉄格子のある室内に私は覚えがあった。ここは―――

 

「転移所? 」

「どうやら、シンのいうとおり、私たちは戻ってきたようですね」

 

ピエールは真っ先に立ち上がるとあたりを見渡し、怪訝そうな顔を浮かべると、私たちの方へと向き直り、口を開く。

 

「―――どうも様子が変です。色々と疑問は尽きませんが、まずはこの場所から出ましょう」

 

 

暗がりの中から出ると、強烈な光が目に飛び込む。時刻は昼過ぎ。エトリアの街を行き交う人々の数が最も増える時間帯である。だが。

 

「……、どうなってんだ、こりゃ」

 

常なれば石畳を靴底が叩く音で賑わうはずの道に、サガの声が虚しく響き渡る。ほとんど蚊の鳴くような声であったにもかかわらず、彼女の声は真っ昼間の路上を支配する唯一の音源であった。

 

「やはりここの入り口にも衛兵はいませんね……」

 

ピエールの高い声のつぶやきが再び路上唯一の音色となり、反響して建物の影の中にか細く消えてゆく。異常な事態は沈黙を呼び、私達は無言のままベルダの広場へと足を運ばせた。

 

街を縫うように伸びた道を歩き目的の場所にたどり着くも、広場に敷かれた石畳の上を駆けてゆくのは風ばかりで、冒険者同士が声を掛け合う姿も、こっそりと彼らに声かけをする商人の姿も、それを目ざとく見つけて咎める役目の衛兵の姿も見当たらなかった。人の気配を失い、静寂が支配する広場において、広場の中央に存在するオベリスクだけが暮石のように存在感を放っており、不気味さをいっそうに助長させていた。

 

「人を連れ去る、か」

 

眠ったように静まり返った街は、私にギルガメッシュの言葉を思い出させた。言葉にすると、それは自然と周囲にいる仲間たちに浸透し、サガが狼狽した様子で周囲を見渡し、いくつもの窓を背伸びして覗き込み、嘆息する。

 

「武具店にも、酒屋にも、人が見当たらねぇ……、店や家の中に引っ込んでるってわけでもなさそうだな……」

「……、とにかく、予定通り一度執政院に向かおう……。シンの復活も含めて、クーマに報告しないと―――」

 

ダリが被せ気味にサガより大きな声で提案する。彼の言葉に反対するものは、この場に誰一人として存在しなかった。