価値観の違い
今更ながら、最近、アプリゲームに手を出した。ポチポチと同じことを繰り返すだけのゲームと侮っていたが、割と自分の性に合っていることに気が付いた。やってみないとわからないものだ。
自分の価値観と合わない人がやっているからと、一方的に嫌うものでない。
僕の価値観
僕はギャンブルと名の付くものが嫌いだ。競馬競艇パチンコ、宝くじ、カジノにあるブラックジャックやポーカーにスロット、ゲーセンのメダルゲームに至るまで、とにかく運と金が絡む事はことごとく嫌いだ。切っ掛けは、付き合いで買ったドッグレースや、祭りの屋台で当たりくじを引いたことがないことに起因するのだと思う。
無為に金が一瞬で溶けていく、あの虚無感と脱力感を混ぜた感覚が嫌いなのだ。
アプリゲームの仕組み
アプリゲームは大抵ガチャシステムを採用している。ガチャは一定確率で強いモノを排出するが、強いカードであるほど排出する確率が低く設定されている。タダでもできるけれど、課金をすればもっとガチャができる。
まさに僕の嫌いな「ギャンブル」だ。だから僕は手を出してこなかった。
若い人の価値観
今の若い人は、このガチャをするため、月に五千円から一万円くらい平気で使うらしい。正直、あまり理解できない、よくわからない価値観だ。
価値観の違う人がアプリゲームを楽しんでいる。僕は価値観の違う人と付き合うと、ひどく疲れる性質だ。その上、大抵疲れるだけでまるで楽しめない。だから、僕はゲームに近づくことすらも敬遠していた。
お金を使って娯楽をする
考えを改めたのは、家計簿を見直していた時だった。僕はゲームセンターに行くと大体1000円くらいは使う。週末やることがないと行くので、月に一万くらいは使う計算になる。実際そのくらい使っていた。その事実に気が付いた時、ふと、思った。
ゲームセンターで一万使うのも、課金で一万使うのも、娯楽に変わらないな、と。そう思った時、気が付くと、今まで避けていたアプリゲーに手を出していた。
アプリゲーの魅力
アプリゲーは思っていたよりも面白かった。
初代の白黒ゲームボーイや、色のついた直後の携帯ゲーム機よりもよく動くし、最初のうちはサクサクと行く。途中で詰まったら放置していれば、強くなるアイテムがたまる。時間をかければ、無理矢理のクリアも可能だ。昔のゲームのように、理不尽な詰みが少ない。要するに、時間さえかければ、単純な力押しが可能になるのだ。
だから、お金を使わなくとも、一人で割と遊べてしまう。使う人と一緒に遊ぶのは難しいが、適当にやっている人となら、つるんで遊ぶのも容易だ。いちいちの登録や手続きがないのは、めんどくさがりの僕にとって、手軽でとてもありがたいシステムだ。
金を使わなくても、手軽かつ単純にそこそこ楽しめる。きっと、お金をかけたらもっと面白いのかもしれない。課金に価値を見出す気持ちがわかった気がした。
価値観の違い
アプリゲーをやっていると、昔のRPGで経験値稼ぎをしているときの気持ちを思い出した。それは割と自分の性に合っている。作業ゲーは嫌いではない。ギャンブルが嫌いなら嫌いなりに、楽しむことができるのだと思った。
価値観が違えば、見る世界も違う。でも、価値観が違うからと言って、同じ事を楽しめないわけではない、ということを改めて思った。
だから、いろいろと避けてきた事に手を出してみたい。怖いが楽しめるといいな。